第三話「二つの選択肢」

第三話「二つの選択肢」

 扉を開くと鈴の音が鳴った。店内に入ると多くの人でごった返していた。マダム・マルキンの洋装店とは趣きが全く違う。
 高級感のある完全オーダーメイド制の【マダム・マルキンの洋装店】に対して、【トウィルフィット・アンド・タッティング】はまるでデパートだ。四階まであって、一階はオシャレなローブがたくさん並んでいて、紫色の派手派手なローブを着ている老人やフリルたっぷりのローブを着ている女の子が居る。
 クリスマスに行われるダンスパーティーで着るドレスローブがあるのは四階みたい。エスカレーターみたいに勝手に足場が動いて上階に連れて行ってくれる階段で四階まで行くと、見知った顔があった。

「あら、ハーマイオニーじゃない」
「久しぶりね!」
「元気だった?」

 ラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチル。それに、妹のパドマ・パチル。彼女達もドレスローブを買いに来たみたい。
 相変わらずパチル姉妹は見惚れる程美しい。褐色の肌に腰まである美しい黒髪。パッチリとした瞳と潤いのある唇はまさに美貌というに相応しい。
 学年随一の美少女と評されるパチル姉妹にネビルとロンはすっかり鼻の下を伸ばしている。アルとハリーもチラチラと彼女達を見ている。案外、二人はむっつりなのかもしれない。

「ハリー。グリフィンドールのシーカーに決まったんですってね」

 パドマは零れるような大粒の瞳をハリーに向け、魅惑の表情で語り掛けた。

「貴方がシーカーになったら、きっとグリフィンドールはこれまで以上の強敵になるわ。でも、不思議なの。私、レイブンクローの脅威になるって分かってるのに、それでも貴方のプレイが観たくて仕方が無いの……」
 
 ソッとハリーの腕に撓垂れ掛かるパドマにハーマイオニーはわざとらしい咳払いをしてみせた。
 とても怒っている。パドマに、というよりもハリーに対してだ。ハリーの顔は完全に緩んでいる。無理も無い。学年一の美少女にあんな風に迫られたら嬉しくなってしまうのが男の性というものだろう。
 完全にのぼせ上がっている彼は悪戯っぽく微笑むパドマと鬼のような形相を浮かべるハーマイオニーに気付いていない。どうやら、パドマはハリーに絡んでハーマイオニーをからかって遊んでいるだけみたい。弄ばれているハリーが少し哀れだった……。
 
「アル、どうしようっか……」

 助けるべきかアルに相談しようと思ったけど、さっきの高級クィディッチ用品店での出来事を思い出して口を結んだ。さっき、俺は彼を叩いてしまった。きっと、まだ怒ってる筈。そう思って顔を向けると、アルの方にはパーバティがアプローチを掛けていた。

「残念だったわね、アル。貴方の試験の時の飛ぶ姿、とっても良かったわ。きっと、アンジェリーナも迷った筈だわ」

 すっかり鼻の下を伸ばしてる。頬を緩ませて、満更でもない感じ。パドマと違って、パーバティは何だか本気のように思える。だって、ハーマイオニーのようにからかう相手が居ないし、からかう為だけにしてはあまりに密着し過ぎている。好意を持っている相手じゃないと、ああいう距離の取り方は出来ないものだ。
 あまりジロジロ見て、彼にこれ以上嫌われたく無い。とりあえず、アル達の事は放置する事にして、自分のドレスローブをさっさと選んでしまおう。
 そう思って、ロンとネビルの方に顔を向けると、ロンの方にはラベンダーが居た。ロンは少し残念そうにしながらも満更でもない様子で浮かれた表情を浮かべている。
 俺とネビルはすっかり取り残されてしまっていた。

「みんな、モテるね」

 ネビルがポツリと言った。すると、ハーマイオニーに引き剥がされたパドマがやって来た。悪戯っぽく舌を出しながらネビルに向かってウインクした。

「ハーマイオニーってば、ちょっとからかっただけなのにあんなに取り乱しちゃって」

 クスクスと笑うパドマに俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
 ハーマイオニーはと言えば、ハリーになにやら説教をしているみたい。ハリーはすっかり小さくなってしまっている。浮気が奥さんにバレた亭主そのもの。
 きっと、ハリーは生涯、ハーマイオニーに頭が上がらないんだろうな。

「それより、ネビル」
「なに?」
「あなたとちょっと話がしてみたかったの」
「僕と?」

 パドマはハリーにしたみたいに魅力的な微笑みをネビルに向けた。さっきと違うのは、今度の笑顔は演技じゃないってところ。

「姉さんと選抜試験を観てたのよ。あなた、本当はキーパーじゃなくて、チェイサー志望だったって聞いたわ」
「……うん。でも、空きが無かったんだ」
「それでキーパーの試験に挑戦したのね。でも、それにしては凄く……なんていうか、スマートな飛び方だったわ」
「スマート? 僕がかい?」

 目を白黒させるネビルにパドマは豊満な胸元を見せつけるようにネビルの正面に回り込み、大袈裟なほど感動した様子で言った。

「あの時の貴方、すっごくかっこよかったわ」
「ぼ、僕が……カッコいい?」

 目をパチパチさせながらネビルはパドマの吸い込まれるような瞳を見つめた。見る見る顔を真っ赤にするネビルにパドマは畳み掛けるように彼の手を取って言った。

「素晴らしかったわ、本当に」

 ネビルはすっかりパドマの虜になってしまったみたい。
 アルやロンにも春が来たみたいで、俺は一気に取り残されてしまった。
 そう言えば、ダンスパーティーには当然だけどパートナーが必要なんだ。だけど、このままだと俺は一人だけパートナーの居ない状態で出席する事になり兼ねない。
 悩んでいると、誰かに呼びかけられた。

「何?」

 考え込んでいたせいで返事がつい硬くなってしまった。
 声を掛けて来たのはパーバティと話していた筈のアルだった。

「あ、えっと……、いや、別に……」
「……? 俺は先にドレスローブを選んでるよ。アルはパーバティとゆっくりしてなよ」

 何だったんだろう。不思議に思いながら、俺は皆より先にドレスローブを選び始める事にした。何しろ種類が豊富な上にもう夜も遅い。あんまり時間を掛けてもいられないだろう。
 不幸中の幸いで、ダリウスが居る。似合うかどうかのアドバイスは彼に聞けば大丈夫だろう。何と言っても、彼はとてもオシャレな魔法使いなんだ。
 普段着ている服も凄くオシャレで、公務の時のローブも高級感に溢れている。

「あ、おい!」
「放っておきましょうよ。それより、貴方のドレスローブを選んであげる。私なら貴方にピッタリのドレスローブを選んで上げられる筈よ」
「いや、別に……」
「ねえ、あっちの方に行きましょう」
「ちょっ、ま」

 何故だかパーバティに一瞬睨まれた気がする。彼女とはあんまり関わった事が無いから、きっと気のせいだと思うけど……。
 
「ユーリィ!」

 とりあえず、見て回ろうと歩いていると、ハーマイオニーに捕まった。

「どうしたの?」
「えっと……、なんか、怒ってない?」
「え?」

 何の事だろう。

「どういう意味?」
「え、えっと……なんて言うか」

 彼女らしくない。いつもなら何でもハッキリ言う彼女が言い淀んでいるような口振り。

「ハッキリ言ってよ。何なの?」
「……やっぱり、怒ってるのね」
「……だから、何の事?」

 サッパリ意味が分からない。何が言いたいんだろう。
 
「……もうっ! アルったら……」

 ハーマイオニーはそう言ったきり黙り込んでしまった。何か、彼女の気に障る事を言ってしまったのかな。
 でも、いいや。今はちょっと一人でボーっとしていたい気分。
 結局、俺はオーソドックスな藍色のドレスローブを買った。誰の意見を聞く気にもなれなくて、採寸をさっさと済ませて店を出てダリウスと一緒に皆を待った。

「なあ、今年の三大魔法学校対抗試合はお前さんの情報を基に色々ダンブルドアが口を出したらしいぜ」
「ダンブルドアが?」
「ああ、炎のゴブレットだけで選定をするとお前さんの語ったような事態になりかねない。どんな防衛網を張っても、どこかに必ず歪が出来てしまうもんだからな。だから、炎のゴブレットに名前を入れられる資格者を限定し、直ぐに選手を決める方法を取る事になった」
「どういう事?」
「つまり、炎のゴブレットに名前を入れた後直ぐに選手を選定する事になったわけだ。それなら、死喰い人が細工をする暇も無いって事さ。で、その為に資格者の選抜を各学校が行う事になったわけだ。選抜されるには知識と技術、それに学校生活におけるモラルの有無なんかが要素に盛り込まれるらしい」

 ダリウスの語る通りなら、確かに物語でバーテミウス・クラウチ・ジュニアがしたような不正は出来ない筈。

「でだ……。こっからが本題なんだがな」
「何?」

 突然、ダリウスは深刻そうな表情を浮かべ、低い声で言った。

「俺達、連合としてはアルフォンスを選手に据えようと考えている」
「……え?」

 聞き間違いかと思った。
 三大魔法学校対抗試合は元々命を落とす可能性のある危険なイベントだ。その上、ヴォルデモートが手を出して来る可能性が非常に高い。だって、競技中なら事故死に見せ掛ける事が簡単だから。
 そんな恐ろしいイベントにアルを出場させるなんて正気の沙汰じゃない。

「そんなの駄目だよ!!」

 思わず、俺はダリウスに掴み掛かっていた。
 アルの命が危険に晒されるなんて絶対に許せない。

「……恐らく、選手には嘗ての三大魔法学校対抗試合以上の危機が待ち受けるだろう。競技の内容だけでなく、闇の帝王の手をも警戒しなければならない」
「だったらどうして!?」
「アルフォンスが一番、それらの危機に対応出来る可能性があるからだ」

 ダリウスは言った。

「アイツが二年生になってから、マッドアイを始め、俺を含め様々な人間がアイツを鍛えて来た。戦闘能力や危機的状況下での判断能力に関して、アイツは間違いなく学生の域を超えている。そう、指導して来たからな」
「待ってよ……」
「アイツに銃を教えたり、ナイフや剣の使い方を仕込んだりしたのも三大魔法学校対抗試合を見越しての事だ。危機的状況下で生き残る術を叩き込めるだけ叩き込んだ。だから……」
「待ってってば!!」

 俺は公衆の面前だというのに構わず叫んでいた。

「待ってよ。なんで、アルがそんな危険な事をしなきゃいけないの?」
「他の人間ならいいのか?」
「――――ッそんな事言ってるんじゃない!!」

 分かってる癖に。
 ふつふつと怒りが湧き上がるのを感じる。

「アルを危険な目に合わせるなんてッ!!」
「なら、どうしてお前はアルフォンスの傍に居るんだ?」
「……え?」

 ダリウスの言葉に俺は途惑った。 
 なんで、そんな質問をするのか分からない。

「本気で俺の言ってる言葉の意味が理解出来ないのか? それとも、分かった上で分からない振りをしてるのか?」
「な、何を言って……」
「アルフォンスがどうして俺達の訓練を必死に受けているか分かってる筈だぞ」

 無意識に耳を押えた。これ以上聞きたくない。頭で考えるより先に体が動いた。

「聞け」

 だけど、ダリウスは無理矢理俺の手を押し開いて言った。

「アルフォンスがあんなに必死に鍛えている理由をお前は誰よりも分かっていないといけない筈だ」
「お、俺は……」
「あいつはお前のために強くなろうとしているんだ」

 体が震えた。そんな事、分かってる。アルは俺を守る為に力を欲しがって、拳銃まで手にしてしまった。
 
「アイツを危険に晒したくないなら、お前はアイツと離れないといけない。その理由は分かるな?」

 ……分かってる。本当は分かってた。だけど、分かってない振りをしていた。
 だって、分かってしまったら、俺は俺自身の罪深さに気が狂ってしまう。
 
「アイツが今まで危険の中に飛び込んで来たのは全てお前の為だ。お前がバジリスクに襲われたから、アイツはマッドアイの訓練を受けて、継承者に立ち向かった。お前が攫われたから、アイツは単身で死喰い人二人に戦いを挑み、死に掛けた。これからも、アイツはお前の為に命を投げ捨ててでも危険に飛び込んでいく。その事をお前は自覚しないといけない」
「……俺は」

 そうだ。アルを危険に晒している張本人は他の誰でも無い……俺なんだ。
 分かってる癖に分かってない振りをしていた。俺は例えアルを危険に晒してもアルと離れたくないと思ってしまったんだ。その気持ちはアルを危険に晒していると自覚した今も変わっていない。
 
「俺……」
「本当はこの事はお前には伏せておく事になっていた。お前が必ず反対する事は目に見えていたからな。だが、俺は敢えて教えた。その理由は分かるか?」
 
 ダリウスは真っ直ぐに俺の顔を見ながら言った。
 俺が首を振ると、ダリウスは言った。

「お前がアルフォンスに誠意を見せていないからだ」
「誠意……」
「三大魔法学校対抗試合に出場する事はこれまで以上の危険に飛び込む事と同義だ。それでも、アルフォンスは当然のように出場するだろう。だが、お前が誠意を見せないまま、アイツを送り出せば、最悪の結果が待っているかもしれない」
「最悪の結果って……」
「【死】だ。アルフォンスはまだ子供だ。だから、迷う事もあるだろう。その迷いを断ち切るにはお前が誠意を見せる必要がある。でなければ、その迷いがアルフォンスを殺すだろう」
「そんな……。誠意って、俺は何をすればいいの?」
「逆に聞くが、分からないのか?」

 分からない。必死に考えてみたけど、どうしても分からない。アルの望む事をしてあげればいいんだろうか。
 俺が女だったら、体を捧げる事も出来たかもしれないけど、男の俺では無理な話だ。一体、どうすればいいというの?
 ダリウスは大きな溜息を零した。

「お前はよ……、アイツにちゃんと【自分の事を助けて】って言った事があるのか?」
「……え?」

 俺は困惑していた。どういう意味なのかサッパリ分からない。

「お前はただ、アイツが護ってくれる事が当然だと思ってるんだろ」
「そんな……事……」
「無いと言い切れないだろ。アイツはいつもお前を助けるヒーローで在り続けて来たからな。結果が伴うか否かは別としてだが……。なあ、ユーリィ」

 ダリウスは膝を曲げて俺に視線を合わせた。

「アイツにちゃんと戦う理由を与えてやってくれ」
「……戦う、理由」
「そうだ。じゃないと、アイツはいつか迷う。自分がどうして戦っているのか分からなくなる時が来る。たった一言で構わないんだ。【俺を助けて】と言ってやってくれ。信頼の上で言葉なんて飾りだ、なんて言う奴も居るが、言葉が無ければ伝わらないものもあるんだ。頼む」

 ダリウスの真摯な言葉に俺は頷けなかった。
 だって、ソレを言うという事は俺の為に危険に飛び込んで、と言うようなものだ。
 俺の手で彼を奈落の底へ突き落とすようなものだ。
 
「アルフォンスの事を思うなら、誠意を見せろ。直ぐには無理だというなら、まだ時間がある。覚悟するなり、考えるなりして、答えを出せ。ただ、どんな形であれ、アイツが死ぬような選択はしないでくれ。アイツは……俺の弟子なんだ」

 俺は俯いてしまった。
 アルを危険な目に合わせたくない。だけど、そうするには彼と離れなくてはいけない。誰よりも大切な彼と……。
 離れたくないなら、自分から彼を危険という奈落へ突き落とさないといけない。誰よりも大切な彼を……。
 迫られた選択はあまりにも重かった。店の扉からアル達が出て来た後も俺は顔を上げられなかった。皆に心配を掛けてしまったけど、言葉を発する事も出来ずにただ黙って皆の後ろを歩いた。
 俺はどうするべきなんだろう。そんなの決まってる。離れるべきだ。
 俺はどうしたいんだろう。そんなの決まってる。離れたくない。
 顔を僅かに上げると、前の方でアルがパーバティに腕を絡まれて照れている姿があった。
 俺は離れるべきなのかな……。これ以上、アルを危険な目に合わせない為に……。彼の幸せの為に……。

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