第三十五話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に決断する男と夢を語り合う歪な二人

 アサシンの消滅より一夜明け、東の空が茜色に染まり始めた頃、遠坂時臣は魔道通信機で新都の言峰教会を呼び出した。
 此度の聖杯戦争の監督役たる言峰璃正神父と話をする為だ。
 璃正は時臣の呼び掛けに即座に応じた。
 聊か慌てた彼の様子に時臣はどうしたのかと問いかけた。

『時臣君。君はテレビのニュースを見たかね?』
「テレビのニュース……?」
『ああ、そう言えば、君の家にはテレビが無かったな……。昨夜から今朝に至るまでに百を超える行方不明事件が起きている。その際、天を翔る牛車と牛車を駆る赤毛の大男が目撃されている』
「天を翔る牛車を駆る赤毛の大男……、十中八九ライダーですね」
『ああ、ライダーは魔術の隠匿という魔術師として守るべき前提条件を完全に無視している。聖堂教会のスタッフが総出で事態の収拾に動いているが、今朝になってメディアに感づかれた。このままでは聖杯戦争そのものが表世界に露見するという最悪の事態もあり得る。現に冬木市警察は早々に捜査本部を設け、近隣の所轄とも連携し、総動員態勢を取っているらしい』

 璃正の言葉に時臣は拳を壁に叩き付けた。聖杯戦争以前に魔術の行使は秘密裡に行われるのが鉄則だ。今の時期にこの土地が世間の目を牽くような事態はあってはならぬ事。それ以前に時臣の頭を悩ませたのは桜の存在だった。
 魔術という秘跡の担い手たる者、魔術の存在が公にならないよう己の業を徹底しなければならない。守秘を徹底出来ない蒙昧な愚か者は速やかに魔術協会によって排除される。こと事態の隠滅に関する限り、魔術協会は断固として徹底的だ。その追求の手が桜に及べばどうなる事か、考えるまでも無く想像出来る。
 サーヴァントが人を喰らう。それ自体は奇異な事では無い。魔力を糧とする霊的存在であるサーヴァントは人の魂と言う魔力の塊を喰らう事で力を得る事が出来る。聖杯戦争に於いて、そういう輩が現れるであろう事は想定していた。それ自体は別に構わないとさえ考えている。
 魔術師とは条理の外にある存在であり、人の倫理で是非を問う事は無い。無関係な一般人をどれほど喰らおうと、それが慎重に隠蔽され、一般人の目の届かない所で行われる限り黙認しても構わないと思っている。だが、現状は黙して静観出来る程甘い状況では無い。このままでは桜は魔術協会によって排除されるだろう。それもただ殺されるだけでは済まされない。ホルマリン漬けの標本とされればまだ良い方だ。下手をすればそれ以上に陰惨な未来が待ち受ける事だろう。
 それに、事は桜だけに留まらない。恐らく、責任の所在は間桐に及び、遠坂にも及ぶだろう。そうなれば遠坂と間桐の家名は地に堕ち、凛の未来までもが暗く閉ざされてしまう。

『これは放任出来んでしょう。時臣君』

 苦虫を噛み潰したような璃正の表情が魔道通信機越しに容易に想像出来た。

『ライダーとそのマスターの行動はもはや聖杯戦争の存続すら危ぶむものだ。ルールを逸脱して余りある』

 時臣は瞼をきつく閉ざした。瞼の裏に浮かぶのは遠い日の桜の姿だった。
 遠坂の家門は代々、この冬木の地における霊脈の管理と怪異の監視を行うセカンドオーナーを魔術協会から直々に委託されてきた責任職にある。
 聖杯を求め、競い合うマスターとしてだけではなく、それ以前に時臣は冬木の管理者として桜の狼藉を阻まなくてはならない。だが、それ以上に時臣を突き動かすのは父としての情念だった。

「ライダーの現マスター、間桐桜の行為は既に警告や罰則で済まされる問題では無い。排除するしか他に無いでしょう……」
『しかし、彼女は君の……』
「なれば尚更看過するわけにはいきません。言うまでも無いでしょう。外道に墜ちた魔術師を排斥するのは管理者としての務めです」
『……分かった。だが、ライダーを保有する間桐の陣営にはセイバーも居る。容易く排除出来る存在ではない』
「如何にも……。何か策を考えねばなりませんね」

 璃正と時臣は双方共に黙して熟考し、やがて璃正が先に口火を切った。

『若干のルール変更は監督役たる私の権限の内にあります。一先ず、尋常なる聖杯戦争を保留し、全てのマスターをライダー討伐に動員しましょう。上手く事が進めば、セイバーも仕留められるやもしれません』
「ほう、何か策がおありですか?」
『ライダーを討伐した者に後の戦局を有利に運べるだけの恩賞を用意しましょう。残るマスターはアインツベルンとアーチボルトのみですが、彼らとてライダーの行動による聖杯戦争そのものの破綻は望む所では無い筈。必ずや応じてくれるでしょう』
「成程……。しかし、ライダーの討伐の褒賞によって余程のアドバンテージが齎されるようでは……。後々に我等に跳ね返っては困りますよ」

 魔道通信機越しに時臣の言葉を聞いた璃正は沈痛な声色で応じた。

『無論その通り。故、時臣君』
「――――我等に……いや、凛に桜を討たせる。そういう事ですか」
『已む得ぬでしょう。君の娘には負担を強いる事となるが、君達の勝利の為には間桐の陣営は聊か力を付け過ぎている』
「……ええ、分かっています。凛にも魔道の家門の頭首を受け継ぐ者としての良い試練となるかもしれない。人としての倫理を捨て去る事は魔道の道に生きる者にとって必要不可欠な事ですから」
『では、私は召集の準備をしましょう。……時に、綺礼の様子は』
「部屋に篭って居ます。やはり、アサシンの消滅に思う所があるのでしょう。アサシンは真に忠臣でしたからね」
『そうか……。綺礼はまたも大切な存在を失ったのですな』
「そう言えば、彼は妻を亡くしていたのでしたね」
『君も奥方を亡くしたらしいですな。お悔みを申し上げましょう』
「感謝します。では、また後程」

 そして、その日の夜、言峰教会の方角から全てのマスターに向けて魔力のパルスが放たれた。
 上空にはまるで閃光弾が放たれたかのようにチカチカとした煙が立ち上っている。
 それは聖杯戦争の監督役が参加者達を集う合図だった――――。

 ◆

「どういう事だ?」

 アーチャーは時臣に問うた。

「使い魔を通じ、お前も見たのだろう?」

 時臣の言葉にアーチャーは目元を僅かに歪ませた。
 ほんの数刻前の事だ。
 閉じ篭る凛の代わりにアーチャーは使い魔を放ち、聖堂教会の召集に応じた。そこで聞かされたのは間桐桜、及び彼女のサーヴァントたるライダーの討伐命令だった。
 場には間桐を除いた全ての陣営の使い魔が終結していた。狙って除外したのか、間桐陣営が召集を無視したのかは分からないが、その後の話から推察するに恐らくは前者だろう。
 間桐桜による大量誘拐事件の発生に起因する今回の召集。魔術の存在が公になれば、魔術協会、聖堂教会の双方から干渉され、聖杯戦争そのものが破綻する可能性が高く、このまま放置するわけにはいかなくなった、というのが璃正神父の言葉だ。間桐桜の討伐の恩賞として璃正神父が提示したのは破格のものだった。
 一画の令呪の譲渡。それが璃正神父が参加者達に向けて伝えた褒賞だった。嘗ての聖杯戦争で敗れ去った者達の遺した令呪を璃正神父は間桐桜を討伐した参加者に譲渡すると言ったのだ。令呪を一画得るという事は大きなアドバンテージを得るという事と同義だ。キャスターとランサーのマスターは即座に了承した。当然だろう。彼らにとっては間桐桜は元々排除するべき敵であり、そこに令呪の一画という褒賞が付くのだから、これを了承しない理由は無い。聖杯戦争は一時休戦状態に入り、全陣営が間桐桜を狙う事となる。そうなれば、如何にセイバーとライダーという強力なサーヴァントを保有していようとも命の保証は無くなる。だが、残っている陣営は間桐のセイバーとライダー、そして、脱落したアサシンとバーサーカーを除けば遠坂のアーチャー、アインツベルンのキャスター、アーチボルトのランサーのみだ。ならば己の行動如何によっては桜を死なせずに済む筈だ。そう、アーチャーは考えた。
 ライダーとセイバーのみを討伐し、桜と雁夜を教会に保護させる。その後は桜の事を凛とあの雁夜という男に任せればいい。そう考えていた。だが、使い魔へのアクセスを切ったアーチャーに時臣が告げた言葉はそんな甘い考えを断じるものだった。
 時臣はアーチャーに言った。間桐桜に対し、止めを刺すのはお前の役目である、と。

「今朝の召集は私と璃正神父とで相談し決めた事だ。確実に間桐を潰し、凛にアドバンテージを与える為にな」
「馬鹿な……、桜は貴様の娘だろう」
「だが、外道に堕ちた魔術師を放置するわけにはいかない。璃正神父の言葉をよもや聞き逃しては居ないだろうな? 桜は一夜の間に百を超す一般人を誘拐した。世間を大いに賑わせているが、その用途を彼らは想像する事しか出来ない。だが、お前は違うだろう。サーヴァントのマスターが人間を捕獲する。その用途は一つだ」
「魂の捕食……」
「放置すれば、恐らくは今晩も桜は人々を誘拐するかもしれない。それにな、アーチャー。これは管理者としての使命からのみで言っている訳では無い。戦略上に於いても我々は窮地に立たされている」

 アーチャーは押し黙った。
 事実だからだ。アサシンの消滅は遠坂の陣営に大きな痛手を負わせた。アサシンのクラスはそれほど強力な強さを誇っているわけでは無かったが、それでもサーヴァントが二体居るというのは敵に攻め込み難さを感じさせる事が出来ていた。
 戦闘に関してもアサシンが前衛となる事でアーチャーは本来のクラスとして戦う事が出来、平時にはアーチャーが屋敷の警護を行い、アサシンが街の様子を監視するという行動が取れた。これからはそれらをアーチャーが一人でこなさなければならない。無論、アーチャーは亡きアサシンの分まで働く事に異存など無かったが、痛手である事を否定する事は出来なかった。

「この状況下では桜だけでは無く、他のマスター達も我々を標的としかねない」
「それ故に桜を体の良いスケープゴートにしようという訳か」
「そういう事だ。加えて、セイバーとライダーという強力な二騎のサーヴァントが消滅すれば、もはや敵はキャスターとランサーのみ。そうまで絶望的な相手では無い」
「更には桜討伐に際して漁夫の理も狙えると……」

 人としての情を度外視すれば、これほど理に叶った戦術も無いだろう。
 だが、事はそう簡単に進むとは思えない。

「漁夫の理を狙おうとする者は我々だけでは無いだろう」
「当然だな。故にいざとなれば凛には令呪を切らせる」
「なるほど……。どうせ補充されるならば惜しむ事は無いというわけか」
「そういう事だ。その為にも凛を説得せねばな」
「出来るのか? 凛は今、魔術師と言う存在そのものに萎縮している。下手に突けば壊れるぞ」

 アーチャーの言葉に時臣は余裕を称えた笑みを浮かべた。

「我が娘はそう容易く壊れる程弱くは無い」
「時臣……、凛はまだ幼い。過度な期待は……」
「時間が無いのだ」

 諌めようとするアーチャーの言葉に時臣は僅かに焦った表情を浮かべた。

「桜がサーヴァントに人の魂を喰わせているのは十中八九、我々を討伐する為だろう。ならば、桜が力を付ける前に此方から攻めねばならない。でなければ……」
「他のマスター達に間桐陣営に対する当て馬にされかねないな。我々が死ぬまで戦い間桐陣営を疲弊させるのを高みから見物し、漁夫の理を得ようとするだろおう」
「そう言う事だ。事は一刻を争う。遅くとも今日中には行動を起こす。我々が行動に移せば、キャスターやランサーも黙ってはいられまい。必ずや現れ、桜討伐に動く筈だ」

 そう言い残すと、時臣はアーチャーを残して部屋を退出した。
 後に残されたアーチャーは一人拳を握り締めた。

「桜……」

 嘗ての選択を思い出す。
 己を愛してくれた大切な少女をその手に掛けると決意したあの小さな公園での選択を……。

「また、オレは桜を殺すのか……? オレは……、どうすればいいんだ、イリヤ……」

 嘗て、雪色の髪の少女は己に真に選択するべきであった選択肢のヒントを与えてくれた。
 それが何だったのかを思い出す事が出来ない。
 酷く当たり前な事だった筈なのに、それを嘗ての己は受け入れる事が出来なかった。

 ◆

「桜ちゃん」

 雁夜は地下深くへと降り立った。以前、この中に潜っていた頃よりも一層死臭がきつくなっている。人の死体が蟲に喰い散らかされて悪趣味極まりないオブジェになって転がっているのを雁夜は避けながら歩いた。
 桜は蟲蔵の奥に居た。死体の山に囲まれながら平然と雁夜に笑顔を向ける桜に雁夜もまた、平然と笑顔を向けた。

「ちょっと、お話をしないかい?」

 死体の山の中で雁夜は腰を降ろし、その隣に桜はとてとてと近寄り雁夜に腕を絡めて座った。

「どんなお話ですか?」
「多分、聖杯戦争はもう直ぐ終わる。そんな気がするんだ。だから、今の内に今後の事を話しておきたくてね」
「今後ですか?」
「ああ、今後の事だよ。聖杯戦争が終わったら、桜ちゃんは自由になれる。そしたら、何がしたい? 俺に出来る事なら何でもするよ」

 穏やかに桜に笑いかけ、雁夜は問うた。桜は瞳を輝かせて言った。

「えっとね、えっとね! 私、雁夜さんと外国に行ってみたいです!」
「外国に?」

 少々意外な答えに雁夜は驚いた表情を浮かべた。桜はうん、と頷いた。

「いつも雁夜さんが私達に買って来てくれてたお土産を見ながらずっと憧れていたんです。世界はとっても広いんだって! 私も色んな世界を見てみたいって! だから、一緒に!」

 桜の言葉に雁夜はそっか、と笑みを浮かべた。

「なら、その夢を叶えてあげるって、約束するよ」
「本当ですか!?」

 雁夜の言葉に桜は喜色を浮かべた。

「けどね、その為には桜ちゃんにも約束して欲しい事があるんだ」
「約束ですか……?」
「ああ、約束。お姉ちゃんやお父さんを決して殺さない。そう、約束して欲しいんだ」
「……どうして?」

 桜は雁夜の出した条件に顔を歪めた。
 雁夜はお構いなしに言った。

「俺は君の家族には成れるかもしれない。けど、君の姉にも父親にも成れないんだ」 

 雁夜の言葉に桜は反応を返さない。
 雁夜はそれでも構わずに続けた。

「俺にも母親が居た。でも、初めて彼女の顔を見たのは彼女が蟲の苗床になり死に体となっている所だった。その日は俺が初めて間桐の魔術を知り、間桐の魔術から逃げ出した日だった。彼女の事は今でも時々夢に見るよ。もしかしたら、あの人との幸せな生活があったんじゃないか? そんな考えが頭を過るんだ。だけど、あの人は死んでしまった」

 雁夜は桜の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。

「人は死んだらそこまでだ。死んでしまってから後悔しても遅いんだよ」
「でも、私はもう母を殺しました」

 先程までの笑顔とは打って変わり、桜は能面のように表情の欠落した顔で言った。

「後悔してるのかい?」
「後悔なんて……!」
「後悔の種なんて、少ない方がいいよ。桜ちゃんはこれから長い人生が待っているんだからね」
「……でも、聖杯戦争でマスターを狙わずに戦い抜くって凄く難しい事だと思いますよ?」
「心配ないよ」

 雁夜は確信を持って告げた。

「俺のサーヴァントは最強なんだ。マスターなんか狙わなくたって、正面からどんな敵も打倒すさ」
「……それに、私のライダーも居ますからね」
「桜ちゃん……」
「……分かりました。姉さんとお父様は殺さないようにします」
「桜ちゃん!」
「だから、約束を守って下さいね?」
「……ああ、勿論だ」

 二人はその後もゆっくりと話をした。
 多くの死体に囲まれた、二人だけの世界で、二人だけの夢の話をした。

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