第七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に自らの意思で戦場に立った人の話

 間桐の家の庭に雁夜は己が召喚したサーヴァントと共に居た。僅か一年の修行でサーヴァントの召喚を可能とする程に成長を遂げた雁夜であったが、やはり、急造のマスターでは召喚した英霊のステータスに不本意な影響を及ぼした。軒並みのステータスが低下し、およそ、セイバーのサーヴァントとは思えない状態だ。
 セイバー自身は特に気にする必要は無いと言うが、自分の情けなさに雁夜は歯噛みした。庭で低下した能力の調子をセイバーに確かめさせたが、やはり、生前の強さを発揮するには至らないらしい。バーサーカーとして召喚していれば、ステータスの低下をある程度緩和出来ていた事だろうが、現れたのはセイバーのクラス。最優と呼ばれているクラスで召喚されたのは不幸中の幸いだったが、出足で躓いた感は否めない。

「雁夜よ。やはり、軒並みのステータスが本来のステータスよりも大幅に落ちているようだな」

 背後から声を掛けられ、雁夜は不快に顔を歪めた。セイバーも表情を曇らせ、声の主に顔を向ける。
 虫のざわめきに紛れでもしたのか、いつの間にか、そこに間桐家の当主たる間桐臓硯が立っていた。不愉快そうな面持ちでセイバーを一瞥し、臓硯は雁夜に手に持っていたものを放った。男性の性器に似た醜悪な姿の芋虫が雁夜の服にへばり付くと、服の隙間から入り込んだ。
 激痛が走り、苦悶に顔を歪める雁夜にセイバーは憤怒の視線を臓硯へと向けた。

「よせ……、セイ、バー」

 苦痛に喘ぎながら、雁夜はセイバーを制した。己のマスターの命令にセイバーは眉間に皺を寄せながら自身の怒りを抑えると、己のマスターの負担とならぬよう霊体化し、姿を消した。
 既に、セイバーは雁夜の戦う理由と雁夜に仕掛けられた臓硯の首輪の事を聞いている。いざとなれば、臓硯は雁夜の体内の刻印虫を操り、雁夜を殺す事が出来る事を。

「街に放しておった刻印虫がサーヴァント同士の交戦を確認した。郊外の森にあるエーデルフェルトの双子屋敷の片割れじゃ。今、貴様にくれてやった刻印虫とパスが繋がっておる。意識を傾けてみよ」

 雁夜は痛みを押さえつけ、臓硯の言うとおりに意識を傾けた。肉を食い破り、代わりにその場所を己の住まいとした忌々しい虫けらに。
 途端、雁夜の視界に地面スレスレを這いずる刻印虫の視界が映り込んだ。遠目にサーヴァント同士が向かい合っている様子が見える。

「あれは――――ッ!?」

 居たのはサーヴァントだけでは無かった。
 何故、そこに居るのかと雁夜は言葉を無くした。雁夜が愛した女性の娘の片割れが双剣を握る赤いサーヴァントの後ろに立っている。
 まるで、マスターのように。

「凜、ちゃん!?」

 遠坂凛。遠坂葵の娘であり、間桐に引き取られ、今も修行という名目で性的な虐待を受け、心を摩り減らしている間桐桜の実の姉。
 未だ小学生である筈の彼女が何故、聖杯戦争に参加しているのか分からない。ただ、分かる事は凜が危険に陥っている事だけだった。もし、凜が死ねば葵や桜が悲しむ。雁夜は視界の中で宝具を解放したランサーに追い詰められる赤いサーヴァントに苛立った。

「何やってるんだ。お前がやられたら、凜ちゃんが!」

 だが、そんな雁夜の声は虚しく間桐の屋敷の庭に響き、赤いサーヴァントは今にも倒されようとしている。
 雁夜は咄嗟に叫んでいた。

「待て、雁夜よ。貴様、何を!」
「セイバー! 凜ちゃんを助けろ!」

 瞬間、先程まで近くにあったセイバーの気配が消滅した。代わりに、視界の中にセイバーが現れた。
 雁夜は一瞬にして、遠く離れた場所である筈の視界の向こうに現れたセイバーに呆気を取られたが、セイバーが魔力を放出させた拍子に刻印虫が弾け飛び、衝撃と共に意識が本来の間桐雁夜の視界へと戻った。

「何と、愚かな。三度限りの強制命令権を、よもや敵のマスターの為に使うなどと……」

 臓硯の呆れた口調に苛立ちながら、雁夜は目の前で起きた不可解な現象について合点がいった。今のが令呪による絶対命令権の発動。
 歴史に名を残す英傑に己が命を遂行させ、命令次第では大魔術の真似事すら可能とする間桐臓硯が作り上げた聖杯戦争のシステムの重要なファクター。

「うるさい。セイバーがあのランサーを倒せば問題無いだろう」

 雁夜の言葉を臓硯は鼻で笑った。

「ステータスの低下したセイバーであのランサーに勝てるつもりか?」

 雁夜は唇を噛み締め、心を必死に落ち着けると、臓硯を睨み付けた。

「爺ぃ。あの場所に他の刻印虫は?」
「少し離れた場所に一匹居るのう」
「なら、パスが繋がっている刻印虫を寄越せ」
「構わぬが、英霊の召喚を行ったばかりの貴様の今の魔力ではそろそろ限界なのではないか?」
「うるさい。いいから、寄越せ!」

 臓硯は愉快そうに嗤うと、一匹の刻印虫を取り出した。何度見ても怖気の走る蟲だ。臓硯から受け取り、体内に取り込むと、再び凄まじい激痛が走った。
 目を瞑り、痛みに耐える。一年間付き合い続けた痛みと苦しみだ。乗り越える術は文字通り体で覚えた。
 深く息を吸い、吐く。数度繰り返し、意識を鮮明に保つ。刻印虫に意識を傾け、瞼を閉じたまま、瞼を開く。刻印虫の視界が映り、セイバーとランサーの戦いは既に始まっていた。

 ずるずるという音。それが召喚され最初に聞いた音だった。果たして、それは鳴き声なのか、粘液を垂らし這いずる音なのか、判別が出来ぬ腐敗した世界。
 石壁に包まれ、蜜の様に甘い空気が漂い、地面には無数の醜悪な蟲が蠢いている。

「セイ、バー?」

 視界に映り込んだのは死をイメージする容貌の白髪の男だった。ラインの繋がりが彼を己のマスターであると教えてくれる。

「然り。セイバーのサーヴァント。名をランスロット。聖杯の寄る辺に従い、ここに参上仕った」

 マスターはランスロットの名乗りを聞き、顔を輝かせた。ずるずると爛れた皮膚を引き攣らせながらも、喜びを露わにする主にランスロットは驚いた。
 湖の騎士・ランスロット。彼は誉れ高き騎士として多くの二つ名を持つが、それとは正反対の二つ名もまた冠していた。
 裏切りの騎士・ランスロット。自らの理想の為に自らが最も尽くすべき相手を滅ぼした愚か者。マスターとして、これほど信頼の置けないサーヴァントも他には居ないだろう。だと言うのに、何だ、このマスターの喜びようは。ランスロットは訝しむように主たる男を見た。
 暗く澱んだ瞳は死んだ魚のようで、皮膚は死人の如く白い。まるで、死体が生者の真似事をしているかのような様相だ。

「円卓の騎士。アーサー王よりも強い騎士。それが、俺のサーヴァント。勝てる、お前なら、お前と一緒なら、桜ちゃんを助けられる」

 喜色を浮かべ、ゆらりゆらりと歩み寄る主の足取りは酷く覚束ない。
 咄嗟に手を伸ばすと、主はランスロットに濁った瞳を向けた。

「俺は間桐雁夜。俺はどうしても、この聖杯戦争に勝利して、聖杯を手に入れないといけないんだ。だから、俺に力を貸してくれ」

 嗄れ声の主の言葉にランスロットは頷いた。元よりそのつもりだ。召喚に応じた時より、主に忠誠を誓う。理想を違えてしまった生前の過ちを正す為にも、自らの罪を贖罪する為にも、王に捧げる事の出来なかった真の忠誠を今世の主に捧げる。
 それこそが、ランスロットの召喚に応じた理由だった。

「我が身は主が剣。如何様にもお使い下さい。我が主よ」
「ふむ、クラスの指定には失敗したが、召喚する英霊までは間違えなかったようじゃな」

 耳障りな声が響いた。声の主の方へ顔を向けると、怨念の渦巻く闇の中心に一人の老人が立っていた。死臭を思わせる不快な臭いが漂う。
 ランスロットは足元を蠢く蟲共の絨毯と同じ気配を老人に感じた。あまりにも醜悪に過ぎる存在。

「主よ。あの者は……」

 警戒心を露わにし、手に握る聖剣を老人に向けると、突然、主が苦悶の声を上げた。
 老人が快活に笑う。

「貴様、我が主に何をした!」

 苛烈な殺気を放つランスロットに老人は嗤いながら言った。

「そやつの身の内には儂の分身たる蟲が住み着いておる。雁夜に従属したとは言え、儂が命ずれば、瞬く間にそやつの肉片を喰らい、心の臓を食い破るじゃろう」
「なんだと!?」

 老人の正体が分からず、主の命が手玉に取られている状況でにランスロットは憤怒しながらも動けなかった。

「儂を殺そうなどとは思わぬ事じゃ。儂に手を出せば、貴様の主が死ぬ事になるぞ。無論、雁夜が救おうとしておる桜もな」

 臓硯の言葉に蹲り、苦しみに喘いでいた主が声を荒げた。

「臓硯! 俺は必ず聖杯を手に入れる。だから、桜ちゃんに手を出すな!」

 体を内側から削られ、尚も他者の為に憤る。ランスロットは臓硯に怒りを感じながら、同時に感動してもいた。
 死人の如き容貌でありながら、騎士道に通じる気高き心を持つ主に。

「臓硯とやら」
「何じゃ?」
「私は必ず主に勝利を捧げる。故、主に手を出さぬよう願いたい」

 目の前の存在は紛れも無く悪であるとランスロットは断じながらも、主の命、そして、主が護ろうとしている桜という存在の命の為に、屈辱と憤怒を抑え、ランスロットは臓硯に頭を下げた。

「よかろう」

 途端、主の苦しむ声が止み、主は行き絶え絶えに床に転がった。
 主の体を蟲共が這い上がろうとしているのを見て、ランスロットは主を抱き抱え、魔力を放出し、蟲共を払い除けた。すると、再び主が悲鳴を上げた。

「無駄に魔力を浪費せぬ事だ。セイバーよ」
「貴様、今度は何を!?」

 ランスロットが怒りの矛先を向けると、臓硯は窘めるように言った。

「儂ではない。今、雁夜を苛んでおるのは貴様よ、セイバー」
「なんだと!?」
「そやつは一年前、魔道に足を踏み入れ、無理な修行により擬似的な魔術回路を作り上げた。言わば、魔術師の模造品よ。そやつは貴様を維持する為の魔力を体内に住まわせておる刻印虫に自らの血肉を捧げる事で生成しておる。貴様が無駄に魔力を放出すれば、マスターたる雁夜はその分、体内を食い荒らされ、死に近づく」

 臓硯の言葉にランスロットは戦慄した。魔道に造詣が深い訳ではないが、ランスロットの知る限り、魔術とは外道なる法だ。だが、主のソレは常軌を逸している。
 自身の血肉を蟲に喰わせるなど、命を投げ捨てているようなものだ。

「戯言を弄する気か! その様な真似をすれば、主の命は――――」
「ああ、そやつの命は保って数週間じゃろう。じゃが、聖杯戦争の間のみ生き延びる事が出来れば、それで良いと刻印虫をその身に受け入れたのはそやつ自身の意志じゃよ」
「そんな、馬鹿な……」

 ランスロットは言葉を失った。どのような精神を持ってすれば、その様な選択が可能だというのだろうか。
 ランスロットとて、戦いで命を落とすならば本望であり、忠義の為ならば命を投げ捨てる覚悟をしている。だが、蟲に血肉を喰らわれ、真綿で首を絞められるが如くじわじわと嬲り殺しにされるなど、その恐怖たるや、屈強なる戦士であるランスロットですら身を震わせる。
 主は騎士道に通じる心を持っていると考えたが、それは違う。主のソレは既に騎士道など呼べるものでは無く、聖人君子の精神だ。

「何故、それほどまでに主は……」
「桜を救う為じゃ」
「桜……?」

 臓硯は少し離れた場所の蟲の群を指差した。すると、蟲の群が徐々に蠢き、中から一人の少女が現れた。体中に男性の性器に似た頭部を持つ芋虫に纏わり付かれ、口や性器、肛門に蟲が出入りをしている。
 ランスロットは己が見ている光景が現実とは思えなかった。生前、慰み者にされる女性を数知れず見て来た。その中には、彼女の様に幼い少女も居た。だが、この様に蟲共に全身を犯され、体内を食い荒らされるなどあってはならぬ悪魔の所業だ。
 ランスロットは確信した。この老人が悪であると。ならば、己が信ずる騎士道に則り、断罪すべきであると。
 だが、出来なかった。己が主の命、そして、あの娘の命も目の前の悪魔に握られている。
 この者を斬れば、二人が死ぬ。いっそ死なせてやる事が情けなどとはあの娘を救おうと地獄へ自ら足を踏み入れた勇者たる主を前にしては出来なかった。

「雁夜と桜を救いたくば、勝利する事じゃな。聖杯さえ手に入れば、もはや二人に用など無い」
「ああ、手に入れてみせよう」

 そして、主と娘を救い、貴様を我が剣にて断罪してくれよう。
 胸の内で激しい憤怒の炎を燃え上がらせながら、ランスロットは主を抱え、桜の下へと歩き出した。

「待て」
「何だ? 私は勝利すると言ったのだ。この上、あの少女を苦しめる理由は無かろう」
「あの娘は修行中じゃ。貴様達が聖杯を手にし、持ち返るまで、あの娘の修行を止めるわけにはいかぬ」
「なんだと?」

 殺気を漲らせるランスロットに臓硯は言った。

「本来ならば、儂は此度の聖杯戦争は静観するつもりであった。だが、雁夜めが桜を救いたいと懇願するのでな。子の願いを叶えてやるのも父としては当然の事。チャンスをくれてやった。だが、万一にも貴様達が敗北すれば、儂は次の聖杯戦争の為に準備を行わねばならぬ。その為に、桜の修行を中断するわけにはいかぬのだ」
「貴様は――――ッ」

 視線だけで人を殺せそうな程に怒りに身を震わせるランスロットを臓硯は嘲笑した。

「裏切りの騎士が忠義の騎士を演じるか。それも良かろう。精々、桜を救う為に急ぐ事じゃな。雁夜の命はそう長くは続かぬじゃろうて」

 そう言葉を残し、老人は崩れるように消え去った。後には蟲の群れのみが残され、ランスロットは怒りと屈辱に身を震わせながら、主を抱え、地下から地上へ伸びる階段を登った。
 救うべき少女を背に残したまま――――。

 ランスロットが去ったのを確認し、臓硯は再び蟲倉に姿を現した。

「精々、狂戦士を従わせ、魔力を搾り取られる苦しみに喘ぐ彼奴の姿を肴に愉しむ程度に考えておったが、よもや、セイバーとして召喚されるとは。ステータスの低下は免れぬだろうが、果たして……」

 暇潰しのつもりで蟲共に肉体を作り変えさせたが、よもや生き残り、最優のクラスを引き当てるとは、臓硯は内心で愉快に思っていた。精々、一時の慰み者程度に使い捨てるつもりであったが、届くようなれば手を貸す事も良しとしよう。戦いに敗れようが、慰み者としてのたれ死のうが、どちらにせよ、廃棄するという結末に違いは無い。なれば、僅かな可能性に僅かばかりのチップを乗せ、ギャンブルを愉しむのも一興と、臓硯は愉快そうに嗤い、蟲に犯されながら女の悦びを幼くして知り、既に元の純真な少女になど戻れぬであろう娘を見下ろした。

「中々に優れた精神防壁を持っておるが、果たして、彼奴らは間に合うかのう」

 臓硯は街に放った己が分身の一つがサーヴァント同士の戦を発見した事を知り、笑みを浮かべた。

「さて、早速手助けをするとしようかのう」

 セイバーとランサーの激突は筆舌にし難い壮絶な戦いだった。ランサーの槍は稲妻の如き切っ先であり、人の身で躱すなど叶わぬ幻想だ。
 それを、セイバーは事も無げに防ぐ。

「なるほど、戦の礼儀を知らぬようだが、その剣捌きは認めよう」

 ランサーの言葉にセイバーは黙したまま白き剣を振るう。月明かりは森の木々によって遮断され、暗闇の中で鋼と鋼のぶつかり合う火花のみが薄っすらと二人の英傑の姿を晒す。ステータスのダウンをものともせず、剛力を持って、ランサーの槍を払いのけ、更に繰り出される槍撃を弾き返す。その度にランサーは徐々に後退を余儀なくされる。
 これが英傑の戦い。これが自身の召喚したサーヴァントの力。雁夜は使い魔を通して見る神話の再現に胸を躍らせた。そこには憎しみも怒りも介在せず、ただ只管に二人の英傑の戦いの清廉さに圧倒される。視認すら出来ない音速の槍をセイバーは確実に防ぎ切り、間髪を入れず、間合いに入り必殺の斬撃を放つ。

「これほどとは――――ッ」

 セイバーは圧倒的な強さを見せ付けた。庭で見せた動きとは比べ物にならない。剣のみでは無い。セイバーは隙あらば地面に転がる石を蹴り上げ、ランサーの槍の矛先を逸らさせ、隙あらばランサーの脇腹を徒手にて抉らんとしている。
 剣と槍がぶつかり合う度、爆薬に火が点くが如く光が煌く。

「その聖なる輝き、よもや、貴様は――――ッ」

 セイバーはランサーが口を開くと同時にその剣に更なる力を篭めた。激しさの増すセイバーの剣戟にランサーは口を閉ざし、絶え間の無い豪雨が如く降り注ぐ斬撃を防ぎ切る。セイバーも相当なものだが、相手のランサーも尋常では無い強さだ。
 まるで鍛冶屋の錬鉄の如く火花が飛び散り、甲高い金属音が鳴り響く。いつしか、戦いはセイバーが圧していた。攻めから守りに転じた時点でランサーの敗北は決まっていた。斬り伏せるではなく、叩き伏せると言わんばかりの剛剣。騎士らしい優雅さなど欠片も無く、そこには力と技のみが存在した。
 渾身一刀の一撃が放たれ、

「調子に、乗るな――――!」

 その一撃を受けるでは無く、その圧倒的なスピードで躱し、セイバーの一撃は敢え無く地面に激突し、土煙を上げる。それは紛れも無い失策だと素人である雁夜にも分かった。あれほどまでに卓越した槍使いに対して、あんな大振りな一撃が当るわけがない。
 この瞬間、セイバーは紛れも無く完全な無防備状態をランサーに晒した。このままでは負ける。雁夜は届く筈の無い叫び声を上げた。その叫びが届いたが如く、セイバーの瞳が輝き、地面を抉ったまま、猛烈な勢いでセイバーは剣を襲い掛かるランサー目掛けて振るった。
 迫り来る聖剣の一撃に咄嗟にランサーは槍で防ごうとするが、その身は剣の力に吹き飛ばされ、体勢を崩した。だが、セイバーが攻めに転じる前に、ランサーは己が敏捷性を活かし、瞬く間に体勢を整えた。

「あの状態から即座に復帰するとは……、なるほど、貴殿は卓越した騎士だ。先程の無礼なる振る舞い、謝罪しよう」

 距離が離れ、睨み合いをしながら、セイバーは謝罪の言を口にした。恐らくはさっきのランサーと赤いサーヴァントの戦いに横槍を入れた事を言っているのだろう。
 騎士同士の戦いを妨害させたのは己だ。雁夜は罪悪感を感じながら、セイバーとランサーの睨み合いを見守った。

「いいや、これほどの相手と見合えたのだ。それに、貴殿程の清廉なる剣を振るう騎士があのような行動を取るにはそれなりの理由があっての事だろう。ならば、この上、非難はすまいさ」
「貴殿の寛大なる御言葉、ありがたく頂戴しよう」
「さて、よい頃合だ。そろそろ、決着と行こうか、セイバー」
「来るがいい、ランサー。互いに名乗り合えぬは残念であるが、貴殿の槍捌きは戦いの果てにこの胸に刻ませてもらう」
「こちらの方こそ、セイバー。貴殿の剣、確かにこの胸に刻む。では、参るぞ」
「いざ!」

 セイバーは聖剣を、ランサーは赤と黄の双槍を構え、臨戦態勢を整えた。そして、二人の英傑が今まさに大地を蹴ろうとした瞬間、雁夜の耳に雷鳴の轟く音が響いた。
 頭上を刻印虫に向かせ、その視界に捉えたのは天空を駆けるチャリオットが迫り来る光景だった。古風な二頭立ての戦車だが、その轅に繋がれているのは軍馬では無く、巨大な牡牛。その蹄は何も無い虚空で稲妻を蹴り、壮麗に飾られた戦車を牽いて降りて来る。轟々と雷鳴を轟かせ、紫電の触手を煌かす、強大な魔力を放出するソレは紛れもない宝具。
 即ちソレは赤きサーヴァント、ランサー、セイバーに続く第四のサーヴァントの到来を告げていた。

「アアアアララララライッ!!」

 轟くような叫びと共に、赤い外套を羽織る巨大な男がセイバーとランサーの狭間に降り立った。
 隆々と筋肉をうねらせる逞しくも美しい両腕をセイバーとランサーの双方に向け、吼えるように言った。

「双方、武器を収めよ! 王の御前である」

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