第十四話「エピローグ」

第十四話「エピローグ」

 運命という言葉を俺は知っている。だけど、信じた事は無い。俺の一生やユーリィの一生が誰かの操り糸によって決められているなんて馬鹿馬鹿しい。【予言】の内容を聞いた後も俺の考えは変わらない。

「くだらないな」

 本当に馬鹿げた話だ。そんなものに踊らされて、ユーリィを窮地に追い込んだ馬鹿野郎共。死喰い人達だけじゃない。今、この部屋に居る闇祓いも不死鳥の騎士団を名乗る面々も総じて馬鹿だ。
 そもそも、そんな予言が無ければ誰もユーリィの秘密に気付く事は無かった筈だ。
 確かに予言をもたらした何らかの【意思】が存在したのかもしれない。だけど、その意思が齎す操り糸を自分から体に巻きつけた愚か者は他でもない目の前のこいつ等だ。

「だが、予言は絶対なのだ」

 スクリムジョールは言った。

「確かに、予言に踊らされている我々が滑稽に見えるだろうが、未来に確定した希望があるならば動かねばならん。同様に未来に確定した絶望があるならば動かねばならん。予言を知る者は未来を選択する権利と義務を持つのだ」
「その権利と義務とやらの為にユーリィは捕まったのか? どうして、あんな物……さっさと破壊しなかったんだ? それに、どうしてヴォルデモートはその予言の存在を知っていたんだ?」
「予言は慎重に扱わねばならんのだ……。容易に破壊する事は許されぬ。それと、ヴォルデモートが予言の存在を知っていた理由は単純だ……」
「拷問の末、口を割ってしまったのよ。私達の仲間だった人が……」

 母さんは悲しそうに言った。

「勇敢な人だった。だけど、散々拷問された挙句、殺されたわ」
「……そうか」

 納得出来たわけじゃない。だけど、母さん達を責めても何も始まらない。こんなのはただの八つ当たりだ。ユーリィを探そうにも手掛かりは何も無かった。

 俺がバーテミウスに返り討ちにされ、湖に沈んだ後、丁度帰還したダンブルドアが湖に上空に浮かぶ闇の印と悪霊の火の存在に気付き、救出してくれたらしい。その後、俺の事をマダム・ボンフリーに任せた後、彼は嘗て闇の勢力が跋扈した時代に帝王に抗おうと終結した魔法使い達を再び招集した。【不死鳥の騎士団】を名乗る善なら魔法使いの集団は新たに真実を求める者達を取り込み、ユーリィの行方を追ったらしい。
 過去に闇の勢力がアジトとして利用した施設やヴォルデモートに関係する施設は根こそぎ調査を行い。バーテミウス・クラウチの邸宅にも潜入したそうだ。結果は惨憺たる結果だったが……。
 
「アル……」

 ハリーが心配そうな表情を浮かべて話し掛けて来た。優しい奴だ。自分も悲しい気持ちでいっぱいの癖に人を思いやる心を忘れていない。
 バジリスクが殺された事も聞いた。予言の間という場所で裏切り者のドーリッシュの悪霊の火によって、体の半分を焼き切られたらしい。ハリーを救う為に身を引き裂かれた痛みにも耐えて奔走したエグレに俺は尊敬の念を抱かずには居られない。今、英雄はハグリッドの小屋の隣で安らかな眠りについている。
 予言の間はしばらく閉鎖されるそうだ。悪霊の火は予言の間に大きな爪跡を残したらしい。ドーリッシュの行方も掴めていない。

「俺は大丈夫だ。まずは……杖だな」

 問題はユーリィの行方が分からない事だけじゃない。俺の杖は悪霊の火によって燃え尽きてしまった。杖が無ければ魔法は使えない。それは即ち、俺に戦う術が無い事を意味する。
 ユーリィの行方が分かっても、俺は戦えない。
 焦燥感に駆られる俺にネビルがおどおどと話し掛けて来た。

「どうした?」

 なるべく、声を和らげようと心掛けた。ネビルとロンは凄く消沈している。自分のせいでユーリィが攫われた。その責任の重さに必死に耐えている。

「僕の杖……使って」

 そう言って、自分の杖を差し出すネビルに俺は驚いた。
 杖は魔法使いにとって体の一部のようなものだ。杖を失い、俺はその事を強く実感した。まるで利き腕を肩から失ったかのような酷い喪失感を感じ、まるで大海原に捕まる浮き具も無く放り出されたかのような無力感を感じている。
 如何に責任を感じていようと、杖を差し出すのは勇気が必要な行為だ。

「……ネビル」
「ごめんよ……。本当に……ごめんよ」

 涙を流しながら謝り続けるネビルの肩に俺は手を置いた。

「言った筈だぜ。ネビルは悪くない。悪いのは死喰い人だ。だけど、もしも戦う時が来たら……貸してもらえるか?」
「……勿論だよ。僕なんかが杖を持っていても足手まといになるか、敵の操り人形になるのがオチさ。だから、アルに持っていて欲しい」

 ネビルはとても勇気ある男だ。分かっていた事だけど、俺は今、その事をより一層実感している。ネビルの瞳に逃げるという意思は存在しない。
 戦う気だ。杖を俺に渡して尚、戦いの渦中へと自分の身を投げ入れる気だ。

「ネビル。俺はお前を心から尊敬する。だから、敢えて言わせてもらうが……、戦うつもりがあるなら俺は杖を受け取らない。杖を渡したいならお前は逃げろ」
「僕は……」
「杖も無く、戦いの場へ参ずると言うなら、それはただの自殺だ。お前の意思を知った上で言わせてもらうが、そんなのは勇気じゃない」
「でも……」

 ネビルは見た事の無い程険しい表情を浮かべた。

「君は戦うんだろう?」
 
 確信を持った声。まるで、自分の心を見透かされたかのように感じる。

「僕が杖を渡さなくても、君は戦う。自分でただの自殺だって分かっていながら……。僕は君を心から尊敬するよ。だから、敢えて言わせてもらうけど、君は卑怯者だよ」

 攻撃的な言葉とは裏腹にネビルは泣き顔を浮かべている。

「ずるいよ。僕から選択肢を奪うんだ。君に杖を渡さなきゃ、君は素手で戦いに赴いてしまう。死にに行くだけだって、分かっていながら……。だったら、僕は君に杖を渡すしかない」

 杖を差し出し、ネビルは言った。

「ユーリィが攫われる原因を作った僕に逃げろだなんて……。あまりにも酷いよ。残酷過ぎるよ……」
「良いんだな?」
「僕以外の人は皆、杖を持っていて意味がある人達なんだ。僕だけが、杖を持っていても役に立たない。分かってるんだ。僕はグリフィンドールに相応しくない。勇気も無いし、頭だって悪い。いつもドジばっかりだ」
「ネビル……、そんな事は」
「あるんだよ。だから、頼むよ」

 ネビルは俺の言葉を遮るように言った。

「ユーリィを助けてくれ。きっと、それが出来るのはアルだけだと思うんだ。他の誰でも無い。ユーリィを助けるのは君なんだ」
「……ネビル」

 俺は頷いた。

「ああ、任せろ」
「生憎だが、そうはならないみたいだぞ」

 杖を受け取る俺に扉を荒々しく開いて入って来たマッドアイが口を挟んだ。そう言えば、少し前から姿を晦ませていた。

「水を差すようで悪いが、他人の杖は言う事を聞かんぞ、アル。それに、ユーリィが見つかった。無事だ」
「なんだと!?」

 聞き間違いじゃないだろうかと自分の耳を疑った。俺が保健室に篭っていた四日間、なんの進展も無かったのが、ここに来ていきなりだ。
 驚きのあまり、嬉しいと思う余裕も無い。突然の一報にみんなの反応も似たり寄ったりだ。

「どこに居るんだ!?」

 マッドアイに詰め寄ると、マッドアイはうっとおしそうに俺を押し退けた。

「今、迎えが行っている。何の対策も無い場所で未成年者の魔法使いが魔法を使うと魔法省で探知出来る。マグルの警察に保護されていたのを見つけた。今直ぐにホグズミードに向かうぞ。そこで付き添い姿現わしをする予定になっている」

 聞いた瞬間には走り出していた。手にはネビルの杖を握ったままだ。
 無我夢中でホグズミードに通じる出入り口の見える窓に駆け寄り、躊躇い無く飛び降りた。途中で浮遊呪文を使い落下速度を落として校庭に着地すると、校庭には遊んでいる生徒達の姿があった。驚いた表情を浮かべる生徒達の目線を尻目に俺は門へと走った。
 だけど、門には鍵が閉まっていた。飛び越えてしまおうと思ったけど、その前にマッドアイ達が追いついて来た。

「この愚か者!! どこに姿現しするかも分かっておらん癖に一人で先走るでない!! というか、何故ロングボトムの杖を操れるのだ!?」

 マッドアイの一喝も今の俺には効果が無かった。
 今直ぐにでもユーリィの顔が見たい。生きていた。それだけが俺の頭の中を占めていた。
 マッドアイの後に続き、高鳴る鼓動を抑え切れない。

「ここだ」

 辿り着いたのはホグズミード村の端にある叫びの屋敷という心霊スポットの近くだった。

「見つかったのはほんの少し前だ。未成年の魔法使いがマグルの警察署内に居るのを確認し、迎えを向かわせた。そら、もう直ぐだ」

 マッドアイの言う通り、ソレは直ぐに起こった。回転する物体が唐突に目の前の空間に現れた。
 そこに居たのは見知らぬ魔法使いとその魔法使いに手を繋がれたユーリィの姿だった。
 そこには血塗れのユーリィが居た。どこを見ているのか分からないぼうっとした表情を浮かべるユーリィ。

「……ユーリィ?」

 誰も動けない中、ソーニャが恐怖に慄く表情で声を震わせた。
 その声で漸く俺は動く事が出来た。駆け出して、ユーリィの名前を呼んだ。
 返事は無い。瞳は虚空を彷徨っている。口をポカンと開けたまま、涎が滴っている。

「エメリーン……。何があった?」
 
 マッドアイが険しい表情でユーリィを連れ添って姿現した魔女に問うた。

「私がマグルの警察署に到着した時には既に……。警察官から話を聞いた所、この子はこの状態でよろよろと道を歩いていたそうです」

 何があったんだろう。話を聞きたくても、とても聞ける状況じゃない。

「とにかく、保健室に連れて行こう」

 ジェイクは涙を流しながら努めて冷静な声で言った。
 安堵と哀しさと不安が入り混じった複雑な表情。本当なら泣き叫びたいに違いない。こんな時に強がる必要なんて無いのに……。

「さあ、おいで……」

 必死に微笑みを浮かべるジェイクにユーリィは反応を返さない。

「一度、眠らせた方がいいかもしれんな。こんな状態で自分の足で歩かせるのは……」

 父さんが言った。
 眠りの呪文を唱えようと父さんが杖を振りあげた途端、異変は起こった。
 ユーリィの視線が一箇所に定まった。真っ直ぐに父さんを見上げ、見た事の無い表情を浮かべ、叫び声を上げた。
 恐怖と憎悪の入り混じった恐ろしい形相。狂ったような叫び声。狂態としか思えないユーリィに父さんは落ち着かせようと優しい声を掛けた。すると、ユーリィは更に錯乱したかの様に悲鳴を上げた。
 そして、気がついた時にはどこからか取り出した杖を父さんに向けた。
 そして、明確な意思の宿る言葉を発した。

「死ね」

 父さんの体はまるで風で舞い上がった木の葉のように吹き飛ばされ、マッドアイに救出された。
 誰もが途惑う中、俺はユーリィの目を見た。

「お前は誰だ……?」

 俺の口から飛び出したのは俺でさえ意味が分からない言葉だった。
 ユーリィの瞳に宿る【絶望】の光に俺は恐怖した。
 獣のように悲鳴を上げ、ユーリィは俺に杖を向けた。
 ユーリィが俺に杖を向けた。杖はユーリィの物じゃない。だけど、見覚えがある。
 ユーリィを攫った死喰い人の一人。バーテミウス・クラウチ・ジュニアの杖だ。
 どうして、ユーリィがバーテミウスの杖を持っているのか? その疑問の答えは既に分かっている。血塗れにも関わらず、ユーリィの体に外傷は見当たらない。そして、開口一番の【死ね】という言葉。
 つまり、そういう事なのだろう。

「……お前、そうなんだな?」

 杖を振り上げるユーリィに誰かが悲鳴を上げ、誰かが俺の前に出ようとした。

「来るな!!」

 俺は叫び声を上げ、ユーリィの放った魔法に魔法をぶつけて相殺した。

「誰も手を出すな」

 俺の言葉に従う意思を見せる人間は誰も居ない。だけど、誰一人手出しはさせない。

「頼む。アイツと少し喧嘩をする必要がある」

 何があったか聞くのは後だ。どうして、俺を攻撃したのか聞くのは後だ。
 今はもっとやるべき事がある。

「アル……?」

 ソーニャは不安そうな声を零した。

「悪いな、おばちゃん。俺、分かっちまった。アイツの目を見た瞬間にな」
「何を言ってるんだ……?」

 父さんは困惑している。きっと、誰にも分からない。アイツと誰よりも一緒に生きて来た俺だから分かった。
 ソーニャやジェイクでさえ分からなかったアイツの感情。

「アイツ、怒ってるんだよ。何に怒ってるのかも、誰に怒ってるのかも分からない。だけど、アイツは怒ってる。だから、発散させてやらなきゃな」

 俺を止める声が響く。訳の分からない事を言うな。落ちつけ。今はとにかくユーリィを眠らせよう。口々に上がる意見を俺は無視した。

「ネビル。言ったよな? ユーリィを助けるのは俺だって……」

 杖を向けると、ユーリィは頭を抱えるようにしながら俺を敵意を持って睨み付けてくる。
 ああ、ゾクゾクするぜ。アイツとこんな風に立ち会った事はこれまで一度も無かった。
 ネビルは俺の言葉におどおどしながら頷いた。

「誰にも任せる気は無いし、任せられるとも思えない。アイツの心はここで何とかしないと取り返しのつかない事になる気がする。きっと、それだけの事があったんだ」

 優しくて、臆病なユーリィが明確な怒りを誰かにぶつけようとしている。
 何があったか分からない。だけど、想像は出来る。

「散々、酷い目に合わされたんだろうな。だから、今、アイツの感情に真正面からぶつかってやるんだ。じゃないと、きっと壊れる」

 俺の言葉に反論は無かった。あるのは困惑と共感のいずれかだ。

「……その行動に迷いは無いんじゃな?」

 ダンブルドアだ。

「勿論」
「ならば、わしらはただ只管に見守るとしよう」
「アルバス、正気なのですか!?」

 マクゴナガルは驚愕の声を上げる。

「無論じゃ。おそらく、今、あの子の事を誰よりも分かっておるのは彼じゃろう。あの子を救えるのもまた同様。取り返しのつかない事態になるようならば、その時に介入すれば良い。ミネルバよ。これは喧嘩だと彼は言った。ならば、大人が止めに入るのは無作法というものじゃよ」

 ダンブルドアの言葉に納得いかなかったのか、尚もマクゴナガルを始め、知った顔も知らない顔も口々に言葉を発した。
 だけど、どうでもいい。ダンブルドアが味方になってくれるなら、きっと最後には皆が認めてくれるだろう。
 だから、俺は俺の意思を通す。

「思えば、今まで喧嘩なんてした事無かったよな。いっつも俺が一方的に怒るばっかりでよ」

 こんな状況にも関わらず、俺の心には喜悦が浮かんでいた。

「始めようぜ。喧嘩だ喧嘩!! 納得いくまでとことんやろうぜ!!」

 狂気に満ちた表情のユーリィに俺は武装解除の呪文を放った。錯乱しているとは思えない動きで避けると、ユーリィは足下の石を投げつけてきた。その石に向けて変身術の呪文を唱える。
 狂乱の内に明確な意思が存在している。その意思に真っ向からぶつかっていく。
 真っ直ぐに飛んで来る石は呪文の効果によって空中でナイフに変貌していく。慌てて回避すると、ユーリィは拾った小枝に呪文を掛けてナイフに変身させて迫って来た。

「そんな使い方始めて知ったぞ」

 変身術なんて、戦いの中では何の役にも立たない。そんな俺の常識をアッサリ覆し、ユーリィは俺を殺しに来る。
 運動神経が鈍い上に得意な呪文は治癒の系統なユーリィがこうまで巧みに戦う姿に心から驚いた。
 
「死ね!!」

 心配が無いわけじゃない。何があったのか聞きたくて堪らない。
 傷つけたいわけじゃない。本当なら今直ぐにでも体を洗って、どこか怪我をしていないか確かめたい。
 
「死なねぇよ!」

 振り被るナイフを腕ごと掴み上げる。
 戦い方は驚く程上手だが、体の動きが釣り合っていない。
 今の一瞬の動きを俺が再現すれば、並みの魔法使いなら確実に仕留められていただろう。それくらい見事な流れだった。だけど、哀しいほどにひ弱な力と鈍足な動き。

「お前、やっぱり誰かを傷つけるの向いてないぜ」

 俺の声が届いているのか、いないのか。
 ユーリィは杖から火花を出して俺から離れた。地面に転がっている小石を投げつけ、ソレをナイフに変身させる。

「同じ手は芸が無いぞ?」

 ナイフを半身で躱して距離を詰める。ユーリィの手には新たに作り出したナイフが握られている。
 ナイフを我武者羅に振り回し、同時に赤い閃光を放ち続ける。魔法とナイフの併せ技。武術の心得も無ければ、攻撃魔法の使い方も満足に知らないユーリィの攻撃はとても単調だが、中々厄介だ。
 
「死ね!! 死ね!!」

 呪文を唱える以外に口をつく言葉はソレばかり。
 話を聞くにはアイツの怒りが収まるまで受け止め続けてやる必要がある。

「とことん付き合ってやるからな」

 ユーリィは動きがどんくさい。だから、呪文が放たれるまでに無駄な時間があって、どの方角に呪文が放たれるかが分かり易い。かと言って、油断しているとナイフが襲い掛かって来る。
 背後で悲鳴が聞こえた。ユーリィの放った麻痺呪文が襲いかかったらしい。ダンブルドアを始め、有能な魔法使いが数多く居るから心配は要らないのだろうが、万が一にもユーリィに誰かを傷つけさせるわけにはいかない。
 面倒この上ない性格のコイツの事だから、正気に戻った時に散々引き摺るだろうからな。

「アグアメンティ!!」

 杖から大量の水を吐き出させる。傷つけずに無力化させる手段としては一番有効だ。

「インセンディオ!!」

 問題は反対呪文で簡単に防がれるって点だ。ユーリィの杖から炎が吹き出した。だけど、俺の狙いはその後だ。
 炎で蒸発した大量の水が霧状になって視界を覆い隠す。この隙に懐へ飛び込んで皆から離れた場所に移動しよう。
 そう考えて、行動を開始した俺の動きは凍り付いた。
 別に攻撃を受けたわけじゃない。
 ユーリィが泣いた。ただ、それだけだった。わんわんと泣く、ユーリィの姿に俺はユーリィの怒りに満ちた表情以上の衝撃を受けた。
 そう言えば、俺はユーリィがこうして泣き叫ぶ姿を見たのも初めてだった。

「ユーリィ……?」

 怯えたり、哀しげに涙を零す事はあった。でも、こんな風に大声で泣き叫ぶ事は一度も無かった。

「ユーリィ!!」

 俺はネビルから借りた杖を放り出してユーリィに駆け寄った。大粒の涙を零しながら泣くユーリィにさっきまでの狂気は無かった。
 まるで赤ん坊のように泣き叫ぶユーリィに俺はただおろおろするばかりだ。
 ただ、怒りをぶつけてくるなら正面から受け止めてやるつもりだった。だけど、こんな風に泣かれてしまっては俺に出来る事は何も無い。

「な、泣くなよ……なあ」

 俺は助けを求めるように後ろを振り向いた。皆も途惑っている。ソーニャとジェイクだけが意を決した様子で近寄って来た。
 二人共、何故か杖を地面に放り投げた。

「おばちゃん……? おっちゃん……?」

 二人共とても優しい顔をしている。

「分かったんだ」

 ジェイクは言った。

「何を?」
「ユーリィは杖を向けられる事が怖かったんだ」

 そう言えば、ユーリィが狂乱したのは父さんがユーリィに杖を向けたからだった。
 
「きっと、酷く拷問されたに違いないわ」

 ソーニャは優しい笑顔のまま体を震わせて涙を零した。
 泣き叫びたい気持ちや怒りをぶつけたい気持ちを全て押し殺して、ユーリィを安心させようと笑顔を浮かべている。
 
「……どうして?」

 だけど、その強さは薄いガラスのようなものだった。いつ割れてもおかしくない薄っぺらなガラス。

「どうして、この子がこんな目に……」
 
 顔が歪んでいく。悲しみと怒り。俺の知る誰よりも優しいソーニャが初めて見せるその感情に俺は何も言えない。
 
「どうして……。どうしてなの……。どうして……」

 ソーニャは泣き叫ぶユーリィを抱き締めると、【どうして……】と繰り返し呟いた。

「この子が何したってんだ……」

 ジェイクも同じだ。俺を危険から遠ざけるためにユーリィの命を諦めた振りをしたり、こんな状況でも笑顔を浮かべられる二人を俺は強い人達だと思った。
 とんでもない勘違いだ。二人共強くなんかない。必死に強がっていただけだ。
 大切な子を拷問されて平気な親なんて居るわけない。二人は誰よりも……俺なんかよりもずっと、ユーリィの身を案じていた。なのに、俺は自分こそが誰よりもユーリィを思っているなんて馬鹿な勘違いをした。
 恥ずべき行為だ。確かに、アイツの怒りに真正面からぶつかってやる事は必要な事だと確信があった。だけど、他の方法を模索する事も出来た筈だ。例えば、今二人がしているように例えユーリィに刺される危険があろうとただ抱き締めてやる事で救ってやる事が出来たかもしれない。もっと、良い方法があったかもしれない。
 結局、俺は二人の前でユーリィを泣かせてしまった。俺は二人の気持ちを考えるべきだった。ただでさえ、血塗れで帰って来て、錯乱しているユーリィを見て悲しむ二人を無視して、俺は俺の意思ばかりを優先した。例え、それがユーリィの救いに繋がると思っても、ユーリィに杖を向けるなんてしちゃいけなかった。二人の前でこれ以上ユーリィを傷つけるなんて許される事じゃなかった。
 思い上がった馬鹿野郎だ、俺は……。
 
「……アル」

 俺の名前を呼ぶ声にハッとして顔を上げた。
 ソーニャに抱き締められ、安心したのかもしれない。いつの間にか泣いてはいるものの、感情の赴くままに叫んではいない。愚図りながら、俺の名前を呼んでいる。

「俺はここに居るぞ!!」

 無意識に駆け寄り、ユーリィの傍に膝を折った。
 だけど、ユーリィの視線は虚空を彷徨っている。最初に見た時の状態に戻ってしまったのかと思った。
 だけど、違った。
 ユーリィは哀しそうに呟いた。

「死んだなんて嘘だ……。アル……、どこに居るの? アル……どこ?」
「ここだ!! 俺はここに居る!!」

 必死に叫ぶ。なのに、俺の声はユーリィに届かない。
 どうしてなんだ? どうして、こんなに近くに居るのに俺に気がついてくれないんだ?
 ユーリィの手から杖を奪い取り、投げ捨てて、空いた手を握り占めた。

「アル……どこ? アル……死んじゃ嫌だ」
「死ぬもんか。俺はここに居る!!」

 届かない。だけど、分かった。どうして、あんなにユーリィが怒っていたのか……。
 拷問された事への怒りだと思い込んでいた。
 俺はまた馬鹿な勘違いをしていたらしい。

「俺が死んだと思ったのか……? そう、吹き込まれたのか……?」

 ソーニャとジェイクはもはや笑顔を取り繕えなくなっていた。俺もだ。顔を歪めて涙が溢れ出すのを堪える事が出来ない。

「俺はここに居るんだ!! ここに居るんだよ!!」

 どうしたら伝えられるんだろう。こんな叫び声だけじゃユーリィの心を覆い隠す壁を越える事は出来ない。
 キスでもしてみようか。そんな早まった考えまで浮かんだ。
 ユーリィの心の殻を破る方法が思いつかない。ユーリィの事なら何でも分かっているつもりになって、良い気になっていた癖にこんな体たらくだ。
 悔しくて堪らない。
 俺は何も分かっちゃいない。何も……。
 
――――いや、違う。

 一つだけ知っている。他の誰も知らないユーリィの秘密を俺は知っている。

「マコト」

 俺の言葉にユーリィは明確な反応を示した。
 目を見開き、俺を見た。
 ソーニャとジェイクは戸惑いの表情を浮かべる。二人には俺の呟いた言葉の意味が分からない。あるいは日本人なら分かったかもしれない。それが人名だと。
 マコト。【マコト・サエジマ】。ユーリィの転生前の名前だ。

「マコト。俺は生きている。ここに居るぞ」
「…………っあ、えぁ」

 混乱している。だけど、視線が俺の顔に向けられたまま定まっている。
 今はただ、頭を整理しているだけだ。

「…………アル?」
「ああ、俺だ」

 戻って来た。

「俺はここに居る。ちゃんと、生きてるぞ」

 漸く、本当の意味でユーリィが戻って来た。
 言い聞かせるように俺はユーリィに声を掛け続けた。
 瞳にはしっかりとした意思の光が宿っている。

「アル……。本当に……?」

 穴の開くほど俺の顔を見つめ、ユーリィは顔を歪めた。

「生きてる……。本当に生きてるの?」
「生きてるさ。俺は今、こうして生きてる。ほら」

 頬を撫でてやると、俺の掌の温度を確かめるようにユーリィは目を瞑った。
 
「ユーリィ」

 ソーニャが声を掛けた。

「ママ……?」

 ユーリィは自分を抱くソーニャの存在に初めて気がついたらしい。目を丸くして、頬を緩めた。

「ユーリィ」

 ジェイクがユーリィの頭を撫でた。

「パパ……」

 安心感に満ちた声。
 俺も少しはこの声の為に貢献出来たのだろうか……。
 今は何も聞かない方がいいのかもしれない。ただ、ユーリィの心が癒えるまで尽くしてやる。それが俺に出来る唯一の事だ。

「何が欲しい物はあるか?」

 俺は少しでもユーリィの元気が出るように願って、そう質問した。
 その途端、ユーリィの顔に浮かんだのは【恐怖】だった。

「どうしたんだ……?」

 俺はまた、何かとんでもない馬鹿をやらかしたのだろうか。
 不安になって、声を掛けると、ユーリィは静かに涙を流した。

「……ごめんなさい。アイツの……事、思い出して」
「アイツ……?」

 ユーリィは首を振った。

「名前は知らない。ただ、アイツ……アルを殺したって……。焼き殺したって……」

 まるで血を吐くかのように囁くような声で言うユーリィに俺は悟った。

「バーテミウス・クラウチ・ジュニアか……」

 怒りがまた甦って来た。間違い無い。あの男がユーリィを拷問したに違いない。

「何を……された?」

 聞いてしまった。怒りで冷静な判断が下せなかった。聞くべきでは無いと結論付けた筈なのに、俺はどうしても聞かずにはいられなかった。

「……首をね……切り落とされたの」

 だけど、もう遅かった……。
 ユーリィが嗚咽混じりの声で語った拷問の内容は想像を絶していた。聞くだけで吐き気を催す程凄惨な内容。
 嘗て、マッドアイが語った【磔の呪い】の話が脳裏に甦る。曰く、死の方がマシだと思わせる程の苦痛を与える呪文らしい。まさに、その通りだ。

「……何度も掛けられて、殺してって頼んだのに……笑顔でまた、クルーシオって……」

 何でだ?
 どうして、ユーリィがそんな目に合うんだ?

「ママやパパやアルに自分の体を食べられて……」

 予言の内容がそんなに大事なのか?

「目の前で連れ去って来た子を……」

 ユーリィがこんな目に合わされても当然だってのか?

「……ユーリィ」

 どうして、俺はあの時むざむざユーリィを攫わせてしまったんだ。
 俺が取り逃がさなきゃ、こんな惨い目に合う事も無かったのに……。
 俺はどうして、こんなに弱いんだ。
 どうして、こんなに愚かなんだ。

「もう、誰にも傷つけさせやしない」

 誓う。誰だろうと関係無い。親父が相手だろうが、操られていようが関係無い。
 もう、誰であろうと容赦しない。
 
「絶対……もう、二度と……」

 殺し尽くしてやる。ユーリィを傷つける奴は一人残らず殺し尽くす。
 闇の帝王も不死鳥の騎士団も闇祓いも魔法省もホグワーツも関係無い。
 その為に必要だってなら、これまで以上に勉強して、修行して、強くなる。

「なあ、父さん」

 俺は後ろを振り返った。
 ユーリィの言葉を皆聞いていた。その上で聞く。

「まさか、あの予言に踊らされて、ユーリィを幽閉しようだなんて、考えちゃいないだろうな?」

 ソーニャとジェイクが驚愕に満ちた表情を浮かべる。
 予言の事は二人も聞いていただろうけど、ユーリィが心配でそれ所じゃ無かったのだろう。
 
「そんな真似、出来る筈ないわ!!」

 ハーマイオニーが涙を溢れさせながら叫んだ。
 俺だって、そう思う。ユーリィにこの上更に辛い想いをさせようなんて思うなら、そいつは人間じゃない。
 だけど、人面の怪物というのは存在する。あのバーテミウス・クラウチ・ジュニアのように……。

「……この子の存在はこの世界全体を大きく揺るがしかねない」

 スクリムジョールは感情の色を見せない声で言った。
 怪物は身近な場所にも潜んでいる。

「大局を見渡さねばならん」
「冗談じゃないわ!!」

 ソーニャが叫んだ。

「こ、この子を幽閉だなんて、許さないわ!!」

 恐怖に顔を引き攣らせ、ソーニャはユーリィをより一層強く抱き締めた。

「この子に近づいてみろ。ア、アズカバンなんて怖くないぞ。誰だろうと殺してやる!!」
「お、落ち着け、ジェイク!」
「落ち着けだと!?」

 ジェイクの言葉に衝撃を受けたらしい父さんの言葉にジェイクは怒りに満ちた叫びを上げた。

「ぼ、僕の息子だぞ!! 僕とソーニャの息子だ!! 手を出すって言うなら、誰だろうと許さないぞ!! ダンブルドアだろうが何だろうが絶対に!!」
「どうして、こんな酷い目にあった子に!! よくも……よくも!!」

 二人の顔はに浮かぶのはもはや憎悪と呼ぶ他無い。
 恐ろしいとすら感じる二人の怒りに誰もが言葉を失う。そんな中、ダンブルドアが一歩歩み寄った。

「ち、近づくな!!」

 ジェイクが杖を振り上げると、ダンブルドアは立ち止まった。
 咄嗟に不死鳥の騎士団の面々がダンブルドアの前に出ようとして、ダンブルドアは声を荒げた。

「ならん!!」

 その一喝で俺達は動けなくなった。
 溢れ出すダンブルドアのエネルギーはまるで太陽のようだ。
 誰もその意思に逆らう事なんて出来ない。

「無論じゃよ、ジェイコブ。誰にもその子をこれ以上苦しめさせはせん」

 そう言って、ダンブルドアは穏やかな表情を浮かべた。

「しかし……、ダンブルドア」

 スクリムジョールは苦悶に満ちた表情を浮かべている。

「お主とて、望まぬ筈じゃ。それに、その子も言っていたじゃろう?」

 ダンブルドアは俺を見つめて言った。

「予言に踊らされておるとな。まさに、その言葉は確信をついておる。確かに、その子を予言通りに幽閉すれば、一時しのぎにはなるかもしれぬ。じゃが、それは決して希望に繋がるものではないじゃろう。むしろ、更なる絶望を呼び寄せる事じゃろう」
「だが、どうするのですか!? 帝王の望む世界が出来上がれば、また、嘗ての暗黒の時代が再現される!! 悲劇が悲劇を呼ぶ!! ユーリィ・クリアウォーターだけじゃない。子供達が苦しめられる!! 殺される!! 私とて、苦しみぬいた子に追い討ちを掛けるなどという非道を望んでいるわけでは無い!! だが、それでも!!」
「落ち着くのじゃ。そうならぬよう努力するんじゃ」
「努力とは、何を指すのですか!? 何を努力せよと!?」

 スクリムジョールは掴みかからんばかりに吼えた。

「無論、戦うのじゃ。その為に研鑽を積むんじゃ。暗黒の時代が来る事は何としても阻止せねばならん。その点にわしも異論など無い。だが、現時点のように予言によって踊らされるばかりではヴォルデモートには勝てぬ。言った筈じゃ。あの子を幽閉する事は一時しのぎにしかならん。むしろ、要らぬ災厄を呼びこむだけじゃろう」
「だが……」
「あの予言は確かにあの子が存在するだけで絶望を齎すとあった。じゃが、絶望とは何を指す? 絶望とは誰にとってのものじゃ? わしにすら分からん。あるいは、ソレはヴォルデモートにとっての、という意味やもしれぬ。なれば、あの子を幽閉する事はむしろ最悪の決断かもしれぬ」
「馬鹿な事を言うな!! 希望を覆い尽くす絶望。その存在が世界を死で覆い尽くす。希望を絶望に変え、未来を閉ざす。予言はあの子を穢れた魂と言った」
「予言とは暗喩と寓意に満ちたものじゃ。額面通りに受け取れるものではない」
「だが、どちらの可能性が高いかは明白だ!!」
「ならば、あの者達を敵に回す事になるぞ!!」

 ダンブルドアの言葉は誰を指しているのか、誰に目にも明らかだ。

「子を愛する者を敵に回す恐ろしさを分からぬお主ではあるまい!! 暗黒の時代にもっとも梃子摺ったのはどんな敵であったか忘れては居るまい!! 子を、恋人を、友を、愛する者を想い、慕い、抗う時、人の強さは極限と達する。人質を取られ、自分の命すら惜しまず、知力の限り、死力の限り、戦う者こそ、最も我らが恐れた存在であった筈じゃ。ただの操り人形やただ邪悪なだけの愚者などとは比較にもならん。なによりも、彼らを敵に回し、彼らを傷つけた時、我らは大義を失うじゃろう。大義も無く、ただ強き者が集っただけの集団が帝王の勢力に敵うと思うか?」
「そんなものはただの極論に過ぎん……。それに、例え幽閉という選択をしなかったとして、どうすると言うのだ? あの子の運命が絶望を撒き散らすものだったらどうする? 帝王にあの子が再び捕まったらどうする? それに対し、答えが見つからんのだ。あの子を常に見守り続けるか? 今回失敗した我々がどの口でほざくというのだ?」
「それでも、ほざかねばならん」
「答えになっていない!!」
「答えなど……無い」
「無責任過ぎる!!」
「それが運命というものじゃ。予言もまた、道標の一つでしかない。それを忘れてはならん。決して答えでは無いのじゃ。ハッキリ言える事は一つ。運命だろうと、逃げに徹する者を待つのは敗北のみじゃ」
「私が逃げていると……、そう仰るのか?」
「然様。ただ逃げているだけじゃよ。抗ってすらいない。予言に踊らされておるだけじゃ」

 スクリムジョールは膝を折り、頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。

「私は闇祓い局の局長だ。逃げだと罵られようと……私は……」

 その苦悩を俺には知る由も無い。
 ユーリィを幽閉するなんて許せないけど、彼には彼の譲れない想いがあるのは分かる。
 世界と個人。天秤に乗せた時、どちらがより重いか……。
 俺はユーリィを選び、スクリムジョールは世界を選ぶ。
 正しいのはスクリムジョールなのかもしれない。
 だけど、俺は……。

「俺が護る……」
「子供の力で何が出来るというのかね……」

 俺の言葉にスクリムジョールは嘲笑も侮蔑もせず、ただ淡々と言った。

「強くなる。誰にも負けないくらい」
「それが子供だと言うのだ。幾ら強さを追い求めても、目の前で大切な物を取り逃す事はある。何事にも絶対は無いのだ」
「だけど、それは予言に従っても同じだろ」
「ああ、そうだ。だが、どちらが可能性が高いかは分かる。確立の低い賭けは出来ぬのだ」
「局長だからか?」
「そうだ」
「じゃあ、個人的にはどう思ってるんだ?」

 俺の問いにスクリムジョールは深く溜息を零した。

「無論、答えは決まっている。子供に犠牲を強いたくなどない。だが、私は世の安寧を護る義務がある。逃げだと罵られようが、私は義務に対して逃げるわけにはいかんのだ」
「でも、信じて欲しい」

 俺は真っ直ぐにスクリムジョールを見た。

「俺は絶対にユーリィから目を離さない。どんな敵にも負けない。ユーリィの行動が世界に絶望を齎すってんなら、絶対に止めてみせる。だから、俺を信じてくれ」

 スクリムジョールは俺の目を見返して、周りの人達の顔を見た。
 深々と溜息を吐き、言った。

「味方は居ないか……。まったく、難儀な立場だとつくづく思う。魔法省大臣となれば、更に重い責任を担う事になるのだろうな」

 乾いた笑みを浮かべ、スクリムジョールは俺に顔を向けた。

「私が強行した所でその子を幽閉するのは不可能だろう。誰も協力してくれそうにない。まったく……」
「局長……」

 母さんが声を掛けると、スクリムジョールは真っ直ぐに立ち上がった。

「信頼するぞ。誰よりも強くなれ。そして、卒業したら私の部下になれ。私に苦労を掛けるのだ。出世払いで返してもらおう」
「……お手柔らかに頼むよ」
「まずは敬語を覚えるようにな」

 そう言うと、スクリムジョールはダンブルドアに話し掛けた。これからのホグワーツの警備についてやユーリィと俺、それにハリー達の処遇について色々と話しているのが聞こえる。
 だけど、今はどうでもいい。

「ユーリィ。俺が護ってやる。絶対にな」
「俺は……」

 ユーリィは何かを言い掛けて止めた。
 また、秘密だろうか?

「何だよ? 言ってみろ」

 ユーリィは不安そうに俺の顔を見上げて言った。

「アルは俺の事を許してくれるの……?」
「何の話だよ……」

 もしかして、その杖の事だろうか。
 そう思ったが、全く見当違いな答えが返って来た。

「俺の秘密……」
「……許すも何も、怒ってないぞ。っていうか、何を怒れってんだ?」
「だって、俺は……」
「ユーリィはユーリィだ。それ以外の何者でもない。俺の言葉……信じられないか?」
 
 ユーリィは慌てたように首を横に振った。

「……ありがとう」

 囁くような小さな声。
 でも、それは謝罪じゃなかった。
 こういう時、いつものパターンならユーリィは謝罪の言葉を口にする。だけど、違った。

「ユーリィ……?」
「でも、俺も強くなるよ」

 ユーリィの瞳には明確な意思が宿っていた。

「俺は本当に怖かった……。アルが死んだって聞いて……」
「だから、俺は生きてるって……」
「そうじゃないの。俺を守る為にアルが怪我をしたり、死んだりするなんて嫌だ」

 ユーリィは言った。

「俺、ずっと間違えていた。ただ、知識に頼って解決しようとして……。ダンブルドアの言ってた言葉。予言は道標に過ぎないって……。俺の知識も同じなんだ。俺も俺の知識に踊らされてた……」

 何の事だ? 俺以外のみんなが顔に浮かべるのは困惑の表情。
 だが、俺には分かる。

「じゃあ、これからどうするんだ?」
「俺も強くならなきゃいけないんだ。心も体も強くならなきゃいけないって、分かった気がする。俺も……アルを護りたいんだ」
「そっか……」

 悲劇はあった。だけど、残ったのは絶望じゃない。ユーリィの瞳には希望の光が宿っている。

「そうだな。一緒に強くなろうぜ」

 手を差し出して、立ち上がらせる。ふらふらしているけど、しっかりと、自分の足で立つユーリィに俺は言った。

「まずはその鈍臭さをどうにかしないとな」
「ど、鈍臭さ……」

 何をショックを受けているのだろうか。強くなると決心を固めたのはいいけど、前途多難だな。
 まあ、それは俺も人の事言えないけどさ。
 色々勘違いがあった。間違いがあった。だけど、俺達はこうして生きてまた出会えた。
 だから、まずは……、

「とりあえず、風呂入りに行くか! お前、相当臭いぜ」
「えっ……」

 血の臭いに混じって、いろいろ異臭がする。まずは体を綺麗にしてやらないとな。
 
「……酷い」

 俺は何でか半泣きになってるユーリィを連れてホグワーツの城へと向かった。
 とりあえず、しっかり休んで、全てそれからだ。
 どうして、ユーリィがバーテミウスの杖を持っていたのか?
 どうして、ユーリィは死喰い人から逃げ出す事が出来たのか?
 これから、何をするべきなのか?
 全部それからだ。
 俺達の三年目はまだ始まったばかりだ。それに、俺達の運命もきっと始まったばかりだ。
 壁は数多あるけど、絶対乗り越えて見せる。
 俺達の戦いはこれからだ。

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