第十四話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に直接激突する事となった二人

 ランサーとの戦いから丸一日が経ち、ウェイバー・ベルベットは己の腕から消失した一画の令呪を思い溜息を零した。

「――――クソッ」

 こんな筈では無かった。そんな思いが繰り返し頭に浮かぶ。使い魔越しに街の様子を眺め続ける内に頭が冷え、冷静な思慮が出来るようになると、昨夜の己が失態に雲泥たる気分になった。
 令呪を一つ消失し、ライダーの宝具をランサーに知られてしまった。ライダーの宝具は強力だが、相手は誰あろうロード・エルメロイだ。自分には気付けない対抗策を練られてしまう可能性も否定は出来ない。

「いつまで不貞腐れておるのだ?」

 およそ日本ではお目にかかれない紅蓮の髪に部屋を圧迫する程の巨体を持つ男が先程まで眺めていたテレビから目を離し、ウェイバーに向かって言った。
 ウェイバーは憎憎しげに己がサーヴァントたるライダーを睨みつけ、ふいと顔を背けた。

「別に不貞腐れてなんて……いない」
「不貞腐れておるではないか。まだ、気にしておるのか? あの場で令呪を使用した事を」

 ライダーの言葉に肩を強張らせるウェイバーにライダーは後髪をボリボリと掻きながら言った。

「一度の失敗をいつまでも悔やむでない。次に活かせば良いのだ」
「活かすったって、令呪は三つしかないんだぞ……。まだ、始まったばっかだっていうのに……」

 暗い顔をしてブツブツと呟くウェイバーをライダーはデコピンの一撃で黙らせた。
 あまりの激痛に呻くウェイバーにライダーは言った。

「いつまでもウジウジしとった所で何にもならんわ! どれ、一つ気分転換に街へ繰り出してみんか?」
「ば、馬鹿! 何言ってるんだよ! もう聖杯戦争は始まってるんだぞ! 敵が現れたりしたら――――」

 ウェイバーの言葉を遮るようにライダーが立ち上がった。

「それこそ望むところであろう。聖杯戦争は敵を悉く討ち取った果てに唯一組のみが聖杯を手にする事が出来るのだ。こんな所でウジウジと悩んでおるよりはずっと建設的であろう。それとも何か――――」

 ライダーは膝を折り、ウェイバーの目線に自分の目線を合わせた。

「貴様、戦いを怖れるのか?」

 ライダーの言葉にウェイバーは反射的に「違う!」と叫んだ。

「ぼ、僕は……、戦いを怖れたりしない!」

 精一杯の虚勢を張った言葉。
 言葉が詰まり、声が震え、ウェイバーは自分が情けなくなった。

「結構」

 だが、ライダーは満足そうに笑った。

「そう啖呵を切れるならば後は邁進あるのみだ。行くぞ、坊主」
「い、行くって、本気でか!?」
「無論!」

 立ち上がり、部屋を出て行こうとするライダーにウェイバーは慌てた。

「お、おい! 霊体化しろよ!」

 ウェイバーが叫ぶ様に言うと、ライダーは心底不思議そうな顔で言った。

「何言っとるんだ? 折角現世にこうして呼ばれたのだぞ。この両足でもって、大地を踏み締め、遊興に浸らずしてどうするというのだ?」
「だ・か・ら! 浸ってどうするんだよ!? 僕達はこれから敵と戦いに行くんだろ!?」

 ウェイバーが言うと、ライダーは呆れた様に言った。

「違うであろう。我等の目的は気分転換。むしろ、浸らずしてどうするというのだ? 敵との戦いなど、遊興のついでだ」
「聖杯戦争を遊興なんかのついでにするな!!」
「ここでこうして喋っておっても埒があかん。いい加減、行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待て!」
「もはや語るべき事など無い! いざ往かん! 現世の遊楽へ!」
「ま、待て! ほんとに待て! せ、せめて――――」

 ウェイバーは部屋を出ようとノブに手を掛けるライダーに必死に叫んだ。

「パンツを履けェェェェエエエエエエエ!!」

 そう、ライダーはパンツを履いていなかった。眼の毒にも程があるモノが丸出しなのだ。
 体に見合う巨大なソレはもはや怪物級だ。そんなモノをプラプラさせたまま街を出歩くなど正気じゃない。

「パンツ……おお、脚絆か! そう言えば、昨夜時折擦れ違った者達は皆履いておったな」

 丸出しな褐色の巨漢は困った顔をしながら拳を額に押し当て、至極真面目な顔でウェイバーに問い掛けた。

「あれは、必須か?」
「必要不可欠だ!」

 反射的に叫ぶと、ウェイバーはしまった、という顔になった。階下からマッケンジー夫人の声が聞こえたのだ。
 どうやら騒ぎ過ぎてしまったらしい。階段を上がってくる夫人の足音にウェイバーは顔を真っ青にしながら一先ずライダーを隠そうとライダーの体を引っ張った。

「何しとるんだ?」

 ライダーの体は小柄なウェイバーがどれだけ引っ張ろうが微動だにしなかった。
 そして、無情にも扉は開き――――。

「ウェ、ウェイバーちゃん……!?」

 夫人は目を丸くして立ち竦んだ。
 彼女の目には巨漢に抱きつき甘えている――ように見える――ウェイバーの姿があった。

「え、えっと……その……」

 ウェイバーはライダーの腕を両手で握ったまま、どうやって、この下半身丸出しの男の言い訳をしようかと必死に考えた。
 夫人が絶句したのが、下半身丸出し男が居たせいだと思ったが故に――。

「ウェ、ウェイバーちゃん」

 夫人――――マーサ・マッケンジーは思った。
 ここで逃げてはいけない……と。例え、孫に男色の趣味があろうと理解し、受け止めてあげなくてはならない。
 チラリとマーサはライダーを見る。まるで甲冑のような服を着ている。
 この日本――否、今時こんな服を着ている人間など滅多に居ない。ならば、何者だろうか……、マーサは考え、そして、以前テレビで見たアニメーションや漫画、映画などのキャラに扮する人々が居る事を思い出した。そう、コスプレイヤーである。
 マーサは頭を抱えそうになった。
 孫は男の子だ。なのに、恐らくは彼氏を部屋に連れ込み、甘えている。相手は見たところ、どう考えてもウェイバーより年上で、その上、コスプレイヤー。
 徐々に下半身に目線を向けると、今度こそマーサの頭は真っ白になった。
 履いていない。丸出しだった。夫であるグレンのソレよりも大きな凶暴なナニが垂れている。
 まさか――、マーサは必死に脳裏に浮かんだ考えを振り払おうとするが、状況が物語っている。
 そう、これが真実なのだと……。

「ウェ、ウェイバーちゃん」
「な、何?」

 ウェイバーは必死に考えを纏めている最中だった。

「そ、その……ね、えっと……、や」
「や?」
「優しく、してもらうのよ!」

 そう言って、マーサは逃げ出した。自分自身を罵倒しながら、されど、耐え切れない現実から逃げ出した。
 孫が年上でコスプレイヤーな大男と今まさに一つになろうとしていたなんて、そんな現実には耐えられない。マーサ・マッケンジーは同性愛に対し、ある程度は理解があったが、相手が実の孫となると話は変わった。

「あ、あなた!」
「ど、どうしたんだい、マーサ?」

 部屋でゆったりとしていたグレンは突然飛び込んできた半泣きの妻に驚きながら彼女の体を優しく抱き閉めた。

「大丈夫かい?」

 マーサの頭を優しく撫で、落ち着かせながら問い掛けると、グレンは妻の口から驚くべき事を聞かされた。
 難しい表情を浮かべるグレンにマーサは尋ねた。

「私達はどうすればいいのかしら?」
「まずは、彼に会おう。その、ウェイバーの恋人とやらに。もし、彼が悪人ならば、何としてもウェイバーに彼と別れさせるんだ」
「悪人じゃなかったら……?」
「……その時は、私達も腹を括ろう。愛に壁など無いのだからね」

 グレンは諭す様にマーサに囁いた。

「分かったわ、グレン。そうよね、私達が受け入れてあげなきゃ……」

 マーサは拳を強く握り締め、決意の表情を浮かべた。

「そうと決まれば、今日はゆっくり話す為にご馳走を用意しないといけないわ」

 マーサは部屋を出た。
 ウェイバーとウェイバーの恋人と共に今夜はじっくりと話をしなければいけない。そして、ウェイバーの恋人が悪人ではないかキチンと見極めなければいけない。
 ウェイバーの祖父母である自分達にはその義務があるのだから。

 買い物に行こうと準備をしていると、ウェイバーが二階から降りて来た。
 ドキリとしたが、彼氏の方は降りてこなかったようだ。まさか、もう一回目が終わってしまったのだろうか、泣きそうになるのを必死に堪え、マーサは問い掛けた。

「どうかしたかしら? ウェイバーちゃん」
「えっと、その……」
 ウェイバーはとても言い辛そうにしている。

 まさか、何か拙い事が起きたのだろうか……。

「その、えっと、さっきの奴なんだけど……」
「大丈夫よ」
「え?」
「分かっているわ。彼、ウェイバーちゃんの大切な人なんでしょう?」
「え、あ、うん。まあ、大切……かな?」

 ウェイバーはいまいちよく分かっていない様な返答を返すが、マーサはそれだけで彼があの巨漢の男をどれだけ慕っているのかを理解した。もし、彼が悪人だったなら、彼を追い出さなければいけない。だけど、その時、この優しい坊やがどれほど悲しむ事になるか、想像するだけで胸が張り裂けそうになった。

「あの、それで……さ」
「どうしたの?」
「ううん、えっと、パンツを……その、買って来て欲しいんだ。アイツの……」

 マーサは思わず咳き込んでしまった。パンツを買って来て欲しい。つまり、パンツが使い物にならなくなったという事だろう。
 心が折れそうになりながら、マーサは賢明に表情を取り繕った。

「ええ、構わないわ。えっと、サイズはかなり大きいものが必要ね」
「う、うん。それと……ズボンとシャツもお願いしていいかな」
「ズ、ズボンとシャツも……?」
「う、うん」
「わ、分かったわ。じゃあ、行って来るわね。今夜はご馳走を作るから、あの……彼も一緒に食べて行ってもらって頂戴」
「わ、わかったよ。伝えとく……」
「ええ、お願いね」

 マーサはそう言うと家を出た。
 堪らず涙を流しながら――。
 一体、シャツやズボンまで駄目になってしまうというのはどういう事だろうか、一体、孫と何をしていたのだろうか、あの大男は。

 マーサが出て行った後、ウェイバーは溜息を零した。さすがに疑問を持たれてしまった。最悪、再び暗示を掛け直さなければいけない。
 せめて、現代の服を着ていればもう少し誤魔化せていたというのに、ウェイバーは頭を抱えた。サーヴァントは聖杯から現代の知識を学んでいる筈なのに、どうして下半身丸出しで外に出て行こうとするんだ、あの馬鹿は!
 ウェイバーは胸中でライダーを罵倒しながらも、面と向かって言う事は出来なかった。

「アイツのペースに乗せられちゃ駄目なんだ……。絶対に」

 さっきはライダーのペースに乗せられてしまったが、油断していたらいつ寝首を掻かれるか分かったものではない。

 ――――数時間後。
 マーサが用意したご馳走の席にライダーはマーサが用意した服を着込んで同席した。
 その瞳は少年のように輝いている。

「ずいぶん嬉しそうだな」

 マーサとグレンは未だ席に座っていない。
 マーサはグレンを部屋に呼びに行っている。

「当然よ。現代の食事を愉しむのも一興というもの。それも、我が為に用意された宴となれば、心躍らさねば不敬というものよ」
「あっそ」

 興味なさげに相槌を打つと、ウェイバーはこれからの事に考えを巡らせた。御三家と呼ばれる遠坂家と間桐家、そして、街の複数ヶ所に使い魔を放ち、一日情報を集めたが、ランサー戦後、どの陣営も息を潜めたらしく、魔術の痕跡一つ発見する事が出来なかった。情報が圧倒的に少な過ぎる。
 それが結論だった。この地に根を下ろす遠坂や間桐は勿論、もう一つの御三家、アインツベルンや強力なコネを持つケイネスを含め、他の魔術師達は皆ウェイバー以上に情報を保有している事は間違いない。日本に着いたばかりの頃、少し街を見て回ったけれど、地形を完全に把握し切れているとも言えない状況だ。
 戦うにしても、どんな状況、どんな場所、どんな時間帯に戦うのが自分達にとってベストなのか、それすら分からない状態だ。
 話すべきなんだろうとは思っている。この隣に座る巨大なサーヴァントと。宝具の事や戦法についてだけじゃない。聖杯を望む理由や、あの夜、本当に自分を殺すつもりでセイバーとランサーの戦いに乱入したのか、聞きたい事は山積みだし、言いたい事も星の数程ある。

「なあ、ライダー」
「お待たせ、ウェイバーちゃん。ライダーさん」

 ウェイバーがライダーに声を掛けようとしたと同時に部屋にマーサとグレンが入って来た。

「どうかしたか?」
「いや……、後でいい」

 ウェイバーは小さく溜息を吐いた。目の前に広がるご馳走はライダーの為に用意されたらしい。
 何を張り切っているのだか、しきりにライダーに話を持ち掛けるグレンとマーサを呆れた様に視線を向けながら、ライダーが妙な事を口走らないかとウェイバーは気が気でない夕食を取った。

 翌朝、ウェイバーは大きな笑い声で目を覚ました。いつの間にか部屋で眠っていたらしい。ズキズキする頭で昨日何があったのかを思い出そうとすると、ライダーに「お前もいっちょ、飲んでみろ」と言われて、日本酒を飲まされた記憶が最後だった。
 あの後、どうやら自分は酔い潰れてしまったらしい。運んでくれたのはグレンだろうか、それともライダーだろうか、ふらつく足で一階に降りると、リビングではなんとライダーとグレンが顔を真っ赤にしながら腕を組んで歌を歌っていた。

「昨日からずっと飲んでいたみたいだわ」

 何事かと呆気に取られた表情を浮かべるウェイバーに後ろからマーサが声を掛けた。
 マーサはガウンを着て、眠たそうに目を擦っている。どうやら、ウェイバー同様にライダーとグレンの笑い声に起こされたらしい。

「おお、起きたか坊主! どうだ? 駆けつけに一杯」

 そう言って日本酒の入った杯を差し出してくるライダーにウェイバーは堪らず怒鳴りつけた。

「一晩中何やってんだ、お前は!!」

 夕方、空が茜色に染まる中、ウェイバーはライダーと共に冬木の街を出歩いていた。
 ウェイバーは至極疲れた表情を浮かべている。

「いや、愉快な者達よな!」

 ライダーの言葉にウェイバーは顔を引き攣らせた。

「ど、こ、が、愉快なんだよおぉぉぉぉおお!!」

 怒鳴りつけるウェイバーにライダーはからからと笑った。

「いや、お前と余を――――」
「言うな!! 聞くのも考えるのもおぞましい!!」

 よりにもよって、自分とライダーを恋人同士だと勘違いするなど、何をトチ狂っているんだ、ウェイバーは居候している人の良い夫婦を心の中で盛大に罵倒しながらずんずんと歩き続けた。

「それで?」
「それで……って?」

 とりあえず見晴らしの良い所へ行こうと、高台を目指し歩いていると、唐突にライダーが切り出した。

「話があるのではなかったか?」
「……ああ」

 ウェイバーはスゥっと息を吸うと、ライダーに視線を向けた。

「聞きたい事は山ほどあるし、言いたい事も沢山ある。けど、まず聞きたい事がある」
「……なんだ?」
「お前はあの夜、僕を――――」
「ヌゥ――――ッ!」

 口を開きかけたウェイバーを制し、ライダーは少し離れた後方に視線を向けた。

「ど、どうしたんだよ?」
「見られておる」
「え?」
「どうやら、誘われておるらしいのう」

 挑発するかのようにあからさまな殺気を放つ何者かが徐々にゆっくりとしたペースで離れて行くのを感じ、ライダーは獰猛な笑みを浮かべた。

「ど、どうするんだ!?」

 ウェイバーが泡を食ったように叫ぶと、ライダーは「無論!」と応えた。

「乗るに決まっておろう。遊興のついでとは言ったが、敵が現れたのならば戦う以外の選択肢はあるまい。それに、こうもあからさまに挑発されては征服王たる余としても無視するわけにはいかぬからな」
「で、でも……」
「何をグズグズと言っておる? それとも、貴様はここに残るか?」

 ライダーの問いにウェイバーは僅かに悩み、そして、言った。

「行くよ! 行ってやるさ!」

 前のような醜態を晒してたまるか、そう自分に言い聞かせ、ウェイバーは拳に力を篭めた。
 まだ、ライダーを信じ切る事は出来ない。だけど、一日共に過ごして、わずかなりとは言え、ウェイバーはライダーを理解し始めていた。ライダーはどこまでも豪放で、野蛮な男だ。そして、真っ直ぐな男だ。
 時計塔という魑魅魍魎跳梁跋扈の魔術師の学び舎で腹の奥底にいろいろと抱え込んでいる様な輩としのぎを削って来たウェイバーにはそれが良く分かった。
 召喚した直後であったあの時には分からなかったが、ライダーが自分を殺す為にわざわざ敵に狙わせる等という回りくどい手段を取るとは思えない。それに、あの時、セイバーの斬撃からライダーは確かに己を護ってくれた。
 信じていいのかどうか分からない。だけど、まずは話をしよう。
 きっと、それで漸く自分達の聖杯戦争は始まるのだ。
 だから――――、

「ライダー、絶対に勝つぞ。まだ、お前とは沢山話をしなきゃいけないんだから!」
「分かっておるわい。任せておけ、坊主。余の力、今宵は存分に堪能させてやろう」

 豪快に笑うライダーにウェイバーは鼻を鳴らすとずんずんと進み始めた。

「行くぞ!」
「応ッ!!」

 高台の上にある広々とした公園でライダーとウェイバーは見覚えのある男と対敵していた。周囲に人影は無い。どうやら、相手が既に人払いを済ませ、戦いの舞台を用意していたらしい。

「また会ったな、ランサーよ」

 ライダーの言葉に応えるように、ランサーは虚空から取り出した赤と黄の双槍を構え、ライダーとウェイバー目掛け、突き刺すような殺気を放った。
 丁度、太陽が沈み、夕方から夜へ、聖杯戦争の時刻へと移り変わった。
 街灯が道を照らし、ランサーのサーヴァントは赤き槍の穂先をライダーへと向けた。

「貴様の首級を頂きに来たぞ、ライダー」

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