第十三話「真の希望」
「ユーリィは少し一人になりたいそうだ。準備室に入るにはこの扉を通るしかないから、ここで見張ってやってくれ。俺は少し用事が出来た」
準備室から一人出て来たダリウスがそう言ったのが今から一時間前の事。部屋の中からは物音一つしない。さすがに妙に思い、声を掛けるが、返事は無い。もしかしたら、眠ってしまったのかもしれない。
無理も無い。元々、ダンスパーティーで疲れ果てていた所にジェイクの失踪の一報。次々に不吉な情報が舞い込んで来て、疲労がピークに達したんだろう。
「入るぞ」
一言告げてから、俺は準備室の扉を開けた。だけど、どこにもユーリィの姿は無かった。
「ユーリィ……?」
物陰の隅もくまなく探したが、ユーリィの姿はどこにも見つからない。
嫌な予感がする。部屋を飛び出し、俺はマクゴナガルに詰め寄った。
「先生!! あの準備室に抜け道は無いのか!?」
マクゴナガルは驚きに目を瞠りながら首を横に振った。
「ありませんよ。私がこの職に就いてからこれまで、そんな物の存在を見た事がありません」
変身術の教師が変身術の授業準備室にある抜け穴を知らない筈が無い。という事は準備室には抜け穴なんて無いって事になる。
なら、ユーリィはどこに消えたんだ。
「ダリウスがどこに行ったのか分かるか?」
残った闇祓いや連合の面々に聞いても首を横に振るばかり。
ダリウスを疑う気は無いが、ユーリィが消えた事と無関係とは思えない。
「俺、ダリウスを探して来る。ネビル、ロン、手伝ってくれ!!」
「あ、うん!」
「お、おう!」
二人と手分けをして城中を探し回った。結局、明け方まで探し回ったが、ユーリィの姿もダリウスの姿も確認出来なかった。
玄関ホールで合流すると、二人も手掛かり無しと困惑した表情を浮かべている。
その時だった。突然、見知らぬ少女が話し掛けてきた。
「あ、あの!」
恐らく下級生だろう。焦った様子で彼女は言った。
「ド、ドラコ先輩はどこですか!?」
「は?」
困惑している俺を余所に少女は尚も詰め寄ってきた。
「どこに連れて行ったんですか!?」
「な、何の事だ? ってか、ドラコ先輩ってのは、もしかして、マルフォイの事か!?」
「あ、当たり前じゃないですか!! ドラコ先輩はどこなんですか!?」
わけが分からない。いきなり、この女は何を言ってるんだ。
いい加減、苛々してきた所でネビルが言った。
「もしかして、君はマルフォイと一緒に踊っていた子かい?」
「どういう事だ?」
「ダンスパーティーでマルフォイに似た人影を見た気がしたんだ。その時、一緒にこの子が踊っていた気がする」
あいつ、ダンスパーティーに出席していたのか……。
もしかして、この女はあいつの彼女なのかもしれない。
「マルフォイがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって……、だって、あなた達の仲間が連れ去ったんじゃないですか!! それも、あんな乱暴な方法で!!」
要領を得ない彼女の説明に頭が痛くなって来た。
「落ち着けよ。俺達はマルフォイの行方なんか知らないぞ。俺達の仲間って誰の事を……」
言い掛けて、俺は閃いてしまった。この状況下でそんな行動を取る可能性のある人物について。
それも、俺達と縁のある人物。
「そいつはダリウスの事を言ってるのか……?」
「そうですよ!! いきなり、私とあの人がお喋りしてたら部屋に入って来て、呪いであの人を気絶させて無理矢理連れて行ったんです!!」
俺はネビル達と顔を見合わせた。
予感はこの瞬間に確信に変わった。ユーリィの失踪にはダリウスが関わっている。
あいつとの思い出が脳裏を過ぎり、否定したくなる気持ちが湧くが、その一方で頭の冷静な部分がハッキリと肯定している。
「とにかく、みんなの下に戻るぞ。お前も来い」
「ド、ドラコ先輩はそこに居るんですか!?」
「居ないが、とにかく少しでも手掛かりが欲しい――――」
その時だった。突然、玄関の大きな扉が音を立てて開いた。
その向こうから現れた人物に俺は言葉を失った。
「ユーリィ!?」
ネビルの声に我に返り、俺はユーリィに駆け寄った。
何があったのか分からない。ただ、ユーリィの体はボロボロだった。全身に血が付着していて、右腕は肘から先が無くなっている。
倒れ込むユーリィを抱き止めると、その弱々しい呼吸音に悲鳴を上げそうになった。
「ネビル!! マダム・ポンフリーを呼んでくれ!! ロン!! みんなに報告を頼む!! 女!! お前も手を貸してくれ」
「あ、はい!」
ネビルとロンは直ぐに踵を返して階段を駆け上がって行った。少女も慌ててユーリィの介抱を手伝った。
中に運び入れて、ローブを敷布団代わりにしてユーリィの体を横たえさせた。呼吸は尚も荒い。
しばらくして、マダム・ポンフリーが駆けつけてくれた。直ぐに応急処置を開始する彼女の後に続いて、ソーニャ達も駆けつけて来た。
ソーニャは狂騒に駆られ、泣き喚いたが、マチルダが眠りの呪文を掛けて沈静化させた。
気持ちは痛い程分かるけど、騒ぐとユーリィの体に障る。眠りについた二人を保健室に運び、俺達はそこでユーリィの目覚めを待つ事にした。
何が起きたのか? マルフォイはどうしたのか? ダリウスはどこにいる?
聞きたい事は山ほどある。だけど、無事にまた姿を見れて良かった。腕が千切れているが、マダム・ポンフリーなら絶対に治してくれる筈だ。
全ての治療が終わり、ユーリィの呼吸音が落ち着く頃には太陽がすっかり昇っていた。途中、ダンブルドアが訪れたり、連合のメンバーが入れ替わり立ち代りしたが、ユーリィが目を醒ましたのはそれから更に半日以上が経過し、空が茜色に染まる頃だった。
目を薄っすらと開いたユーリィは開口一番に言った。
「マコちゃんが奪われた。それに、ドラコ君が殺された」
ユーリィじゃなかった。
そこに居たのはユーリィの中に眠るもう一人の人格。
ジャスパーは驚愕に顔を歪める俺達を一瞥し、途端に顔を手で覆った。
体を震わせ、泣いているのかと思った。
「あははっ」
違う。そうじゃなかった。
ジャスパーは泣いてなんかいない。
「あっははははははははははははははははは!! っはははははは!! あっはははははははははははははははははははははは!!」
ジャスパーは気が狂ったみたいに笑い出した。
顔を歪め、壮絶な笑みを浮かべるジャスパーを前に俺達は誰も口を開けなかった。
ユーリィと同じ顔をしていながら、どうしてこんなにも醜悪に笑えるのか不思議で堪らない。それほど、ジャスパーの笑いは聞くに耐えなかった。
「こんな事があるなんてね」
漸く笑うのを止めたジャスパーは今度は涙を流した。目まぐるしく変わるジャスパーのテンションに誰もついていけてない。
ただ一人を除いて……。
「あ、あなた!!」
マルフォイの恋人を名乗る少女が身を乗り出してジャスパーに掴みかかった。
「ド、ドラコ先輩が死んだって、どういう事ですか!?」
そうだ。奴の笑いに気を取られ、肝心な事が頭から抜けてしまっていた。
奴は笑い出す前に言った。ユーリィを奪われた。そして、マルフォイが殺された。そう言ったのだ。
「ジャスパー。ユーリィが……、マコトが奪われたって、どういう事だ?」
問い詰める俺と少女を一瞥すると、ジャスパーは深々と溜息を零した。
「本当に絶望的だよ。君には少し期待を抱いていたのに、結局君はマコちゃんを守れなかった」
「どういう意味だよ……」
「ああ、教えて上げるよ。何があったのかを……」
ジャスパーは淡々と語った。ダリウスにティーカップを出され、触った途端に見知らぬ場所に飛ばされた事。
ヴォルデモートが現れ、ユーリィが拘束された事。
ジェイクが殺され、ドラコが殺され、そして、マコトが生前の肉体を取り戻し、死喰い人に拉致された事。
一つ一つがあまりにも衝撃的過ぎて、俺達はパニックになり掛けた。そのパニックを抑えたのは、俺達以上にパニックに陥ったソーニャだった。
ジェイクが殺され、マコトが拉致された。彼女は愛する夫と息子が同時に奪われたのだ。普段の彼女からは想像も出来ない狂態にマチルダは涙を零しながら彼女を眠らせた。
「嘘よ。嘘だと言ってよ、ジャスパー」
マチルダの言葉をジャスパーは鼻で笑った。
「本当に愚かだね、君たちは」
「なんだと!?」
思わず掴み掛かると、ジャスパーは冷たく言った。
「まあ、僕が一番愚かなんだけどね」
そう言って、ジャスパーは俺を突き飛ばした。そして、言った。
「とにかく、彼女をこのまま放っておくわけにはいかない」
「彼女? そいつの事か?」
俺が静かに涙を零し、力無く項垂れている少女を指差すと、ジャスパーは大きな溜息を零した。
「馬鹿だとは思っていたけど、ここまで来ると絶望的な気分になるよ」
「なっ!? じゃあ、ソーニャの事か?」
再びジャスパーは溜息を零した。
「じゃあ、誰の事を言ってるんだ!?」
「マコちゃんの事に決まってるじゃないか」
「え?」
ジャスパーは言った。
「マコちゃん。冴島誠は女の子だよ。まあ、僕が色々記憶を弄ったから、本人も自分が生前女の子だった事は覚えていなかったけどね」
「マコトが……ユーリィが女の子?」
まるで頭をガツンと殴られた気分だ。
「そうだよ。あの子は女の子だったんだ。だけど、この体に適応出来るよう、僕の記憶とかを彼女に流し込んで、余計な記憶は封印しておいたんだ」
「……やっぱりね」
納得したように呟いたのはハーマイオニーだった。他の誰もが驚いている中、彼女だけはジャスパーの言葉をアッサリと受け入れた。
「ヒントはあったものね」
「一番気付かなきゃいけない人が気付いてくれなかったけどね」
ジャスパーは肩を竦めた。それは俺の事を言ってるのだろうか。
「ヒントって、どういう意味だ?」
ハーマイオニーに向き直って聞くと、彼女は言った。
「初対面の頃から思ってた事なんだけど、ユーリィって、あまりにも男らしさが欠けていたわ」
「……って、それはアイツが女々しい性格だからって事か?」
「違うわ。性格がどうとか以前の問題よ。一つ一つの行動がヒントになっていたのよ。でも、もしかしたら性同一性障害なのかもしれないし、とてもデリケートな事だから本人には聞けなかったのよ。あの子、いつだって私と同じ立場に居たわ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。あなた達がクィディッチの話で盛り上がっている時も遊んでいる時もユーリィはいつだって眺めているばかりだったわ。それに、あなたと居ると特に感じたんだけど、あの子……、男に媚びていたわ」
俺はハーマイオニーを殴りそうになった。留まったのは、ハリーが間に入り、睨みつけてきたからだ。
アイツはハーマイオニーの言葉を聞いた瞬間に俺の行動を読んだに違いない。咄嗟に動ける程明快にハーマイオニーはユーリィを侮辱した。
「お前……」
「もちろん、あなたが怒る気持ちは分かるわ。でも、事実よ。あなただって、ユーリィがあなたに接するとき、どこか媚びているように感じていたんじゃない?」
否定出来なかった。確かに、アイツは事ある毎に俺が喜ぶ選択をしようと意図的に動いていた。だけど、それは生前の事があって、人に対して臆病になっていたからだ。
「アイツは男に媚びてたんじゃない。他人に対して怯えていただけだ」
「私に対しては自然体だったわ」
「なに?」
「私だって、ある程度は異性に対して自分を取り繕ってる部分があるわ。女は誰だってそうなのよ。意識してにしろ、無意識にしろ、異性に自分の事を良く見せたい。良く思わせたいと思うものなのよ」
まるで、自分の恥部を晒すような告白だ。
「同じ女だからこそ分かる部分もあるのよ。ううん、違うわね。恋人を得たからこそ分かる事って言うか……」
「何が言いたいんだ?」
「あの子は男の人に甘える事を知ってるのよ。多分、生前に恋人が居た筈。ジャスパー。あなた、ユーリィの生前の恋人なんじゃない?」
ハーマイオニーの言葉にジャスパーは微笑み、何も言わない。
「いいわ。他にもヒントはあった。例えば、あの子の趣味は家庭的なものが多かった」
「そのくらい……」
「ええ、少なからず居るでしょうね、そういう男の子だって。でも、それだけじゃないわ」
ハーマイオニーは言った。
「前にジャスパーは言ったわ。【ボクはマコちゃんを心から愛しているさ。っていうか、人をゲイみたいに言わないでよ。君と違って、ボクはそういうんじゃないから】って」
俺は殆ど覚えていない。さすがは学年一の秀才という事なのか。
「ここで重要なのはジャスパーはユーリィに対して、恋していると言っていたの。にも関わらず、自分はゲイじゃない言ったわ。明らかに友愛を逸脱した愛情を抱いておきながら同性愛者である事を否定した。つまり、この時点でほぼ彼は答えを言っていたのよ。ユーリィが……冴島誠が女の子だと」
言っている事は理解出来る。だけど、そんなのはどれも憶測の範疇に過ぎない。
明確な証拠となるものは何も無い。
「どれも確かにユーリィの生前を女の子だったと言うには弱い。でも、それが重なればどうかしら? 憶測は実体を伴うわ」
ハーマイオニーの言葉にジャスパーは言った。
「っていうか、ボクはマコちゃんが女の子だって、さっき言ったんだけどね。まあ、いいや。君の憶測は合ってるよ。彼女は女の子だし、ボクは生前の彼女の恋人だった。でも、君が考えてるのはその程度の事じゃないんだろ?」
ジャスパーの言葉にハーマイオニーは頷いた。
そして、表情に暗い影を落とし、彼女は言った。
「全てが逆だったのね? だから、あなたはココに居る」
「全てが逆……? どういう意味だ?」
「つまり、ユーリィの体は元々ジャスパーの物だったのよ」
「は?」
意味が分からない。だって、ジャスパーはユーリィの魂に寄生している存在の筈だ。それが、なんで肉体の本来の持ち主になるんだ。
「つまり、ジャスパーがユーリィの魂に寄生していたんじゃない。ユーリィがジャスパーの魂に寄生していたのよ。そして、恐らくあなたが語った生前の世界で起きた惨劇はあなたが行った事じゃない。あれは全て――――」
「待て!!」
俺は気が付くと叫んでいた。
とてつもなく嫌な予感がしたのだ。この先を決して聞いてはいけない、と俺の本能が告げた。
聞けば後悔する事になる。そう、確信があった。
だけど、ハーマイオニーは止まらなかった。
「ユーリィが行った事。人を殺したのはユーリィ。そして、あの予言の絶望はあなたじゃなくて、ユーリィを指したモノだった」
「違う!! そんな筈無い!! ユーリィが人を殺す筈が無い。だって、アイツは人を殺せるような性格じゃ――――」
「ジャスパーが言ってたじゃない。性格を作り変えたって……」
俺は言葉を失った。何を言っても反撃の言葉が用意されているような気分だ。
だけど、止まるわけにはいかない。
「俺はユーリィの記憶を見たんだ!! その記憶の中で、確かにユーリィは男だった筈だ!!」
「その記憶の中のユーリィが本当に男の子だったと断言出来る?」
「で、出来るさ!! 髪だって短かったし――――」
「女でもショートカットは居るわよ」
「それに、アイツの部屋はすっきりしてたんだ。女の部屋だったら、もっとごちゃごちゃしてる筈だろ!!」
「ユーリィは綺麗好きだもの。それに、持ち物の少ない女の子も居るわ」
俺は尚も反論しようとすると、ジャスパーは深く溜息を零した。
「君達はいつまで、そんなコントを続けている気なんだい?」
俺が反論しようとすると、ジャスパーは先んじて言った。
「いい加減、ウンザリしてきたから、もう結論から言っちゃうよ。ハーマイオニーちゃん、大正解だよ。全て、君の推測通りだ」
「なんだと……?」
「なんなら、全てを教えて上げるよ」
「全て……?」
「始まりも終わりも何もかも。もう、隠す理由が無くなってしまったからね」
ジャスパーは言った。
「ハーマイオニーちゃんの言う通りさ。つまり、全てが逆だったんだよ。マコちゃんは予言で言う所の【絶望】で、僕が【真の希望】だったんだ」
「お、俺は……」
聞きたくない。今直ぐにも逃げ出したい。
後ずさる俺をジャスパーは掴んだ。
「君には特に聞いて欲しいな。そして、理解して貰わないと」
「理解……?」
「そうだよ。僕は大きな間違いを犯した。君は僕と似ている。だから、同じ間違いを犯して欲しくないんだ。色々な意味でね」
ジャスパーは淡々とした口調で語り始めた。
全ての始じまりと終わりの物語を……。
「さあ、僕の話を聞いておくれ。愚かでどうしようもないクズが犯した大きな過ちを……。どこにでもいる普通の女の子が絶望に塗れた理由を聞いてくれ」