第二話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した最大のとばっちりを受けた人⇒遠坂時臣さん

「――――告げる」

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトという男は一言で言えば天才だった。その才は幼少の頃より既に花開いており、どのような課題も常に他の誰よりも優秀な成績を修め、ケイネスと競い合うことが出来るライバルも存在しなかった。執念染みた向上心で努力を積んだ者、並外れた目的意識を持つ者、そんな者達の成し遂げる成果をケイネスは軽々と跳び越え、更なる成果を成し遂げる。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 時計塔における華々しい活躍に羨望と嫉妬を一身に受けながらもケイネスにとっては当然の結果であり、そこには満足も達成感も介在しなかった。過去においてもそうであったように、未来においてもケイネスの成功は約束されている。それはケイネスにとって疑いようのない大前提だった。
 自らの成功こそが世の秩序と考えるケイネスにとって、それ故に盲亀の浮木に目論見が外れる事があれば、ケイネスにとっては秩序の崩壊であり、度し難き混沌であった。

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 ケイネスにとって、勝って当たり前のこの極東の地に於ける魔術師同士の殺し合いに最初に影を落としたのは身の程を解さぬ愚か者の愚行だった。不肖の弟子がマケドニアから届けられたケイネスの手配した最高クラスの英霊の聖遺物を事もあろうに盗み出したのだ。それ故にケイネスは他に手配していた聖遺物を召喚の媒介にせざる得なくなった。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 ケイネスは朗々と呪文を呟きながら、はらわたが煮え繰り返るような憤りを覚えつつも銀色に輝く水銀によって描かれた魔法陣を見下ろす。陣の形成に用いた水銀はただの水銀では無く、『月霊髄液』の名を冠するロード・エルメロイが有する最高クラスのミスティックコードだ。
 水銀からは緩やかにエーテルが吹き荒れ始め、魔力が循環している事を確認出来た。

「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 呪文の終わりと共に魔法陣の中心に光が満ち溢れる。その向こうには人影が一つ。

「貴様の名は?」

 ケイネスが問うと、魔法陣の中央に立つ男はゆっくりと膝を折り頭を垂れた。

「ドンの息子、ディルムッド・オディナ。此度、ランサーのクラスを割り当てられ、ここに現界致しました」

 冬木の郊外にある小さな家でウェイバー・ベルベットは目を覚ました。
 目覚めは最悪だった。手の甲にまるで焼き鏝を当てられたかのような激しい痛みを感じて飛び起きたのだ。

「何なんだ、一体!?」

 悪態を吐きながら手の甲を見ると、ウェイバーの表情は一転した。赤い蚯蚓腫れのような模様が手の甲に浮かび上がっていた。令呪と呼ばれる、聖杯戦争に参加する資格を持つ者である証であり、招来した英霊を律する三度限りの絶対命令権。令呪が宿ったという事は即ち聖杯戦争に参加する資格を得たという事だ。
 自然と頬が綻ぶ。ベッドから飛び起き、ウェイバーはベッドの下に隠した大きな箱を取り出した。
 ベルベット家は未だ歴史の浅い血統だ。魔術師は代を重ねる毎に魔術回路を開拓し、魔術刻印の密度を増加させていく。三代しか続いていないウェイバーの一族の魔術回路の数や魔術刻印の密度は由緒正しき名門の出の魔術師達に比べて些か劣っていた。それでも、ウェイバーは世界中の魔術師を束ねるマジックキャバル、通称『時計塔』と呼ばれる最高学府に招聘された。その偉業をウェイバーは誇りに思い、自らの才能を発揮し続けた。その最たる物が構想に三年、執筆に一年を費やした一本の論文『新世紀に問う魔導の道』だった。
 通説では、魔術師の力は歴史と比例するとされている。親から子へ、一生涯を掛けた鍛錬の成果を魔術刻印という形で受け継がれ、生まれながらの才能に左右されるとされる魔術回路の数も優性遺伝的に増やそうと歴史ある名家の魔術師達は腐心し続けている。なるほど、確かに魔術師の力が歴史に比例する考えは正しいかもしれない。しかし、とウェイバーはその通説に異論を挟んだ。例え、積み重ねた歴史が無くとも、経験の密度によって、その差は埋める事が出来る筈だ。術に対するより深い理解と、より手際の良い魔力の運用が可能ならば生来の素養の差などいくらでも覆す事が可能だ。その考えを元に執筆したのがこの論文だった。査問会の目に止まれば、必ずや魔術協会の現状に一石を投じる事になる筈だと、ウェイバーは信じて疑わなかった。
 だが、現実は非常だった。ウェイバーの論文は降霊科の教鞭を取るケイネスに流し読みされた末に破り捨てられてしまった。妄想癖は感心せんな、という言葉と共に。
 事もあろうに授業中に晒し者にされたウェイバーは怒り心頭になり教室を飛び出した。そこで、運命的な出来事が起きた。
 発端は管財課の手違いであった。ケイネスの立会いの下に開封せよと厳命されていた品を事もあろうにウェイバーに託し、ケイネスの下に運べと命じられたのだ。その中身とケイネスが近く開催される極東に於ける魔術師同士の殺し合いに参加するという噂を下にウェイバーは極東にある島国、日本の冬木市で開催される聖杯戦争の事を知った。
 ウェイバーの行動は迅速だった。瞬く間に出立の用意をすると、日本に向けて飛び立ったのだ。冬木の地に到達すると、直ぐに一件の民家に目を付け、住民を魔術で洗脳して拠点とした。
 そして、冬木に来て二日目の朝、ウェイバーは正式に聖杯戦争におけるマスターの一人として選ばれたのだった。。
 二階を自室にしたウェイバーは一階に降りると、拠点とした家の主であるマッケンジー夫妻に声を掛けられるが適当に返事を返し、大急ぎでサーヴァントの召喚の準備を始めた。近くの雑木林の中に見つけた広々とした空間に鶏の血でサーヴァント召喚の魔法陣を描き、祭壇にケイネスの手配した英霊の聖遺物を置く。見た目は古ぼけた赤い布切れだ。準備を終えた頃には空は真っ暗になり、満月の光がウェイバーの居る広場を照らした。
 自己暗示の呪文を唱え、トランス状態となり、魔力を体内で循環させる。慣れ親しんだ痛みを感じながらウェイバーは魔法陣の前に立った。ゴクリと唾を飲み込み、暗記した呪文を唱え始める。呪文に呼応するように魔法陣からはエーテルが渦を巻き、ウェイバーは確かな感触と共に最後の一節を唱えた。

「――――天秤の守り手よ!!」

 直後、爆発の如く強大な力が吹き荒れ、周囲の木々がざわめいた。眩い光が辺りを照らし、光の狂乱が収まると、ウェイバーの視界に異物が映りこんだ。
 存在する筈の無い存在。聖杯の導きとウェイバーの行った儀式により英霊の座より招来されし存在、サーヴァントが魔法陣の中央に君臨していた。その出で立ちは戦装束の上に赤いマントという現代の日本においては不釣合いなものだったが、それ以上にウェイバーを圧倒したのはそのサーヴァントのあまりの巨大さだった。マントよりも尚鮮やかな紅の短髪と顎鬚、深い彫りの顔立ち、ウェイバーの胴程もある太い腕とそれ以上に太い足。ウェイバーはサーヴァントを呆然とした表情で見つめた。

「貴様が余のマスターか?」
「お前……は?」
「余はライダーのサーヴァント。名を、イスカンダル!! 再び問うぞ、貴様が余のマスターで相違無いな?」
「あ、え? あ! そ、そう! ぼぼ、ボク! じゃない、ワタクシがお、お前のマスターたる、ウェ、ウェイバー・ベルベットだ、です! じゃない、なのだ! マスターなんだってばっ!!」

 イスカンダルと名乗る男にウェイバーは完全に圧倒されていた。イスカンダルはでかい男なのだ。
 それは何も見た目だけに限った話では無い。その身の発するプレッシャー、その存在感、なにもかもがでかい男なのだ。

「では、小僧! 余を案内せい!」
「ど、どこに?」
「無論! 書庫にだ」

 ニッと破顔しながら言うイスカンダルにウェイバーはしばらくの間、言葉の意味が理解出来なかった。そして、何時まで経っても鈍い反応しか返さないウェイバーに腹を据えかねたイスカンダルがウェイバーのおでこにデコピンを喰らわせた。
 ウェイバーの悲鳴が雑木林に響く。これが、ウェイバー・ベルベットとイスカンダルの最低最悪な初対面だった。少なくとも、今この時、ウェイバーは赤くなったおでこを押さえながらそう思った。

 今より二百年前の事。三つの魔術師の家系が一つの奇跡を為す為に手を取り合った。
 アインツベルン、マキリ、そして、遠坂。
 御三家と呼ばれるこの三つの家系の当時の当主達は目的を同じくしていた。根源の渦。万象の始まりにして、終わり。この世の全てがそこにあるとさえ謂われる神の座。世界の外側たる根源に至る事が御三家の共通の目的だった。そして、その望みを叶える為に御三家の魔術師達が作り上げた奇跡こそが、これより極東の島国たる日本の冬木に於いて行われようとしている聖杯戦争だった。
 聖杯戦争といっても、神の子の血を受けた杯を奪い合うわけではない。正しくはあらゆる願望を実現させると謂われる“万能の釜”の召喚と願いを叶える者を選別する為の殺し合いの事だ。六十年周期で行われるこの魔術師同士の戦いには御三家は常に令呪と呼ばれる聖杯戦争の参加者の証をその身に宿し、招来したサーヴァントと共に戦った。第四次たる今回に至るまで、聖杯を手にした者は居らず。御三家の一角たる遠坂は次こそは我が手に聖杯を、と慎重に準備を進めていた。その一つが聖杯戦争の監督役として聖堂教会より派遣されて来た言峰神父との協力体制だ。表立って、目立つ贔屓は望めないが、言峰神父は遠坂の現当主・遠坂時臣に対して可能な限りの情報提供と戦力として神父の息子を貸し出す事を約束した。
 神父・言峰璃正の息子、言峰綺礼は派遣という形で聖堂教会から魔術協会へと転属し、時臣の下で魔術を学んだ。綺礼は聖堂教会においては他を圧倒する程の実力を持った魔を滅ぼす代行者であり、修得した魔術に於いても特に治癒に関しては師である時臣をすら凌駕する程で、極めて頼り甲斐のある男だと、時臣は綺礼を評価した。璃正が時臣に綺礼を貸し出した理由は単にその代行者としての実力を買ったからからだけでは無い。その手に宿る赤き紋様こそが綺礼を聖杯戦争という魔術師同士の殺し合いに参戦させるに至った最たる理由である。
 遠くイタリアの地において代行者として戦い続ける綺礼の身に令呪が宿った事はまさに驚くべき事だった。イレギュラーと言う他無い事態であったが、璃正と時臣にとって、それは非常に歓迎すべきイレギュラーであった。聖杯戦争に参加する英霊のクラスの数は七つ。その内の二つを同陣営内で占有出来るとなれば、他の参加者に対して破格のアドバンテージを得られる事になる。
 そして、現在。時臣は綺礼を連れて屋敷の地下にある魔術工房へと足を運んでいた。その道中、綺礼は時臣に向けて問いを投げ掛けていた。

「それは?」

 綺礼の視線が向けられた先には時臣の持つ重厚な箱が一つ。

「サーヴァントの召喚に用いる聖遺物だ」

 地下の工房に到着すると、中央に既に描かれている魔法陣を避け、部屋の隅の小机に時臣は運んで来た箱を置いた。その蓋を開くと、そこには石化した蛇らしきものが入れられていた。

「蛇ですか?」
「正確には抜け殻だ。世界で最初に脱皮した蛇の抜け殻の化石。これを媒介とすれば、彼の英霊が召喚出来るだろう」

 時臣は魔法陣の外円を移動しながら綺礼に視線を向けた。

「綺礼、先程の璃正殿からの連絡の内容は?」
「父が一昨日の深夜にバーサーカー、そして、同時にアーチャーのサーヴァントの召喚を確認したそうです。どちらも現在捕捉している参加者とは異なるようです。詳細については現在もっか調査中との事」
「ならば、残るクラスはセイバー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシンの五つか。アーチャーが既に現界しているのは僥倖だ。彼の英霊を単独行動のスキルを持つクラスで召喚した場合、少し厄介な事になるだろうからな」
「英雄王・ギルガメッシュですか。確かに、世界最古の英雄にして、王であり、世界中の財をその手にした彼の英霊は制御が難しい事でしょう」
「残るクラスからアサシンを抜けば、英雄王は全てのクラスに該当する。願わくば、セイバーのクラスで現界してくれればあり難いのが」

 言いながら、時臣は綺礼を魔法陣前に立つよう指し示した。

「まずは綺礼、君にアサシンのサーヴァントを召喚してもらう」
「アサシンですか?」

 折角、二つのクラスを占有出来るというのに、何故、最弱のサーヴァントであるアサシンの召喚を命じるのかと綺礼は疑問を持った。
 尤もな疑問だと、時臣は苦笑しながら言った。

「英雄王を召喚すれば、その時点で我々の勝利はほぼ確定する。だが、不確定要素がある。それは何だかわかるかい?」
「……なるほど、マスター殺しですか」

 綺礼の回答に時臣は満足気に頷いた。

「その通りだ」

 言って、時臣は近くの机の上に置かれた資料を持ち上げた。

「此度の聖杯戦争において、あの魔術師殺しがマスターとして参加している」
「衛宮切嗣ですね」
「そうだ。あの悪名高き魔術師殺しならば、聖杯戦争のセオリーである英霊同士のぶつけ合いを避け、直接マスターに手を下そうと考えるだろう事は想像に難くない。ならば、気配遮断を能力を持つマスター殺しに特化したアサシンのクラスを奴に奪われる前に此方で占有するのが上策だ。それに、アサシンは間諜としても優秀なクラスだ。事、戦闘に於いては英雄王のみで十分。ならば、君のサーヴァントには敵の情報収集に専念してもらいたい」
「了解しました。師よ」

 綺礼の言葉に満足すると、時臣は綺礼に告げた。

「アサシンのサーヴァントを召喚するには通常の呪文に特別な一節を加える必要がある」

 時臣は口頭で召喚クラスを固定する為の呪文を綺礼に教えると、魔法陣から離れ、綺礼のサーヴァント召喚を見守った。時臣が十分に離れた事を確認すると、綺礼は魔法陣を前に魔術回路を起動した。内部を焼けた鉛が流動するかのような激痛と不快感。未だに慣れぬ感触を押し殺し、綺礼は師の教えを聞く弟子から魔術を行使する者へと変貌した。

「さて、そろそろ召喚を始めるか。綺礼」
「了解です、師よ」

 綺礼は意識を切り替え、魔法陣に向け、令呪の宿る手を向けた。深く息を吸い、滑らかな口調で呪文を唱え始める。

「――――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 時臣が魔力を篭めた宝石を溶かし形成した魔法陣が紅の輝きを帯び始める。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 渦巻くエーテルに時臣は魔法陣に向けた右手を左手で抑えつける。
 その背後で時臣が不意に訝しげな声を上げるが、綺礼は意識を召喚の儀に集中した。

「―――――Anfang」

 開始の合図と共にエーテルの渦は更にその力を大きくする。

「――――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 何かが綺礼の内より魔力を吸い上げる。時臣はその力の流動を抑えずに師より教わったアサシン召喚の為の特殊な呪文を加え詠唱を続ける。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 呪文の終わりと共に眩い光と爆風の如きエーテルの渦に視界を奪われ、綺礼は咄嗟に腕で目を庇った。
 そして、光と渦が消え去るのを確認すると魔法陣の中央に現れた存在に綺礼は問うた。

「お前が私のサーヴァントか?」
「……アサシンのサーヴァント。召喚に応じ、参上仕った」

 漆黒の外套に身を包み、顔を仮面により隠したアサシンの名乗りにフッと息を吐き、綺礼は師に召喚の成功を告げようと顔を向けた。すると、時臣の表情が恐ろしく歪んでいる事に気が付いた。

「どうしました、師よ!」

 尋常でない様子の時臣に綺礼は慌てて駆け寄った。すると、時臣は力なく応えた。

「私に宿った令呪が消滅した。馬鹿な、一体――ッ」

 どうなっている、呆然とした時臣の呟きが魔術工房に木霊した。
 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した翌日の深夜2:00。七つ全てのクラスのサーヴァントは出揃い、第四次聖杯戦争は開幕した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。