第二十四話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に意志の疎通をする彼ら

 暗く澱んだ空気が満ちる地下の蟲蔵の一角に一際巨大な体躯を持つ男が居た。
 男の顔には憤怒、屈辱、憎悪と様々な感情が浮かんでいる。
 壁に磔にされ、時折赤い閃光をその身から迸らせている。

「気分はどうだ?」

 嘆きの声や悲鳴ばかりが木霊するこの空間に明確な意味を持つ声を発する存在がライダーの下を訪れた。
 男はその声を聞くと歯軋りをし、獰猛な眼差しを来訪者に向けた。

「ライダー、お前も強情だよな」

 ライダーの視線の先には一人の少年が立っていた。

「坊主!!」

 ライダーは吼えるように少年の事を呼んだ。
 途端、赤く激しい閃光が肉体を蹂躪した。
 肉体を構築するエーテルそのものを令呪の縛りによって蹂躪されながらもライダーはその顔を憤怒のみで染め上げ、一切苦悶の表情を見せる事無く耐え忍んでいる。
 彼のその様を見て、嘗て彼の主であった少年は嘲笑した。

「いい加減、素直になれよ。対魔力Dのお前じゃ、気合だけでそう長くは耐えてられないだろ? どうせ屈服する事になるんだ、早く楽になっちまえよ」

 男の良く知る声、喋り方で少年は男を甘言で誘惑する。
 男は獰猛な唸り声を上げ、赤い閃光を迸らせ、光源の僅かな地下を真紅に照らす。
 少年はその様子を可笑しそうに見つめながら言った。

「まったく、強情な男よな」

 少年の喉下から唐突にしわがれた老人の声が飛び出した。

「あまり時間を掛けている余裕は無いのでな。更なる令呪を持って命じよう」
「その意味を分かっておるのか?」

 ライダーは少年を睨みながら問うた。

「坊主の残した令呪は二つ。貴様が余に使った令呪は一つ。残る一つを使えば、余は確実に貴様の首を刎ねるぞ」

 男は己を拘束する鎖を引き千切らんとばかりに体を前方に逸らし、尋常ならざる殺意を持って少年に向け宣告した。
 少年は老人の声で嗤い、少年の声で自分の胸に手を当てて言った。

「この身は紛れも無く貴様の主の物だ。それを貴様は斬ると申すか」
「ああ、その方が坊主の為だ。貴様のような化生に操られ、生き恥を晒すくらいならばな!!」

 ライダーの吼えるような声に少年の表情に鬼気が灯る。

「まさしく英雄よな、ライダー。その傲慢、その思考、もはや人のソレではない」
「なんだと?」

 少年の口元が歪む。

「死ぬのが小僧の為。その様な戯言を本気で信じているなら、およそ、貴様は人の情というものを見失っておるわ」

 少年は堰をするように背中を震わせ哄笑をあげた。

「人という生き物にはな、死に増さる無念などありはしないのだ。例え、他者の操り人形になったとしても、例え、蟲の苗床になったとしても、己が存在の消滅、即ち死に比すれば蚊ほどのものではない」
「笑わせるな。それこそ貴様の様な亡者の思考ではないか!! 断じて人間の思考などでは無いわ!!」

 ライダーは己が主を侮辱する目の前の化生に猛然と怒気を放った。
 少年はそれを鼻で嗤うと言った。

「死を恐れぬ者こそ人間では無い。自己の存続こそが苦しみから逃れ得る唯一無二の真理なのだ。死ねば楽になる? 死を恐れてはならぬ? 己が命よりも護るべきものがある? その様な蒙昧なる戯言を持って人民を死地へと誑かす貴様の様な英雄が――――」

 ライダーは唐突に言葉を切った少年に訝しむ表情を見せた。

「そのような戯言が口に出来るなど、貴様が生前も生きてはいなかった証よ。人間が真に持つ欲望を貴様は知らぬのだ。それで征服王とは」
「我が王道を戯言と言うつもりか?」
「そうは聞こえなんだか? ああ、ならば言ってやろう。戯言よ。王道、騎士道、武士道、どれも皆一様に戯言よ。死という恐怖、生という欲望を塗り潰すための言い訳に過ぎぬわ。真の欲望を持たぬ人の道を外れた外道の倫理よ。人を理解出来ぬ愚者の戯言よ」

 少年が言葉を発した瞬間、暗闇に満ちた地下が真紅に染まった。
 令呪の縛りを受けながら尚、ライダーは鎖を引き千切り、少年の体を踏み砕かんと動いた。
 だが、

「令呪を持って命ずる」

 二つ目の令呪がライダーに更なる縛りを与えた。
 ライダーはしかし、「愚か者が!!」と嗤った。
 少年の持つ令呪は残り一画しか残されていなかった。
 それを使った以上、もはや少年に令呪は無く、己を自害させる手段は少年にはもはや無い。
 この二重の令呪の縛りは確かに煩わしいが、屈する前に少年を妖怪の呪縛から解き放つくらいは出来よう。

――――巻き込めるだけ巻き込み大暴れしてくれるわ!!

 そう、己が宝具を発動しようとするライダーに少年は不気味な笑みを浮かべ、令呪のあった方とは逆の手をライダーに向けた。

「重ねて令呪を持って命ずる」

――――馬鹿な!?

 二重の令呪によって、もはや言葉を発する余裕すら失ったライダーの耳に在り得ぬ言葉が届いた。
 そして、更なる令呪の縛りがライダーの精神を蹂躪した。
 もはや、思考は死に、暴れようという意志は消滅した。
 途端に大人しくなったライダーに少年は言う。

「確かに、この小童の令呪は残り一つだ。だが――――」

 少年の顔に似合わぬ醜悪な笑みを浮かべ、本来令呪の無い方の手を掲げて見せた。
 ライダーは驚愕する感情も既に失っていたが、感情があったならば目玉が飛び出すほどに驚いた事だろう。
 少年の手には在る筈の無い物があった。
 半円を描く様な図形のそれは、紛れもない――――令呪だった。

「ウェイバー・ベルベットの令呪はもう残っておらぬ。それは事実よ。だがな、儂にはバーサーカーのマスターより奪いし令呪があるのだ。実はな、バーサーカーのマスターは聖杯戦争の正式な開戦前に既に殺害されておったのだ。その死体を儂は聖堂教会の輩に回収される前に手中に収めた。知っておるだろうが、令呪とはマスター、あるいはサーヴァントが消滅した時点で聖杯の下に戻る。じゃが、何事にも抜け道というモノはある」

 もはや返答も無いというのに、ウェイバーは饒舌に喋った。
 己が所業を誇るように。

「令呪とはそもそもこのマキリ・ゾォルケンが構築したシステムだ。資格者無き令呪を聖杯から引き寄せるなど容易き事」

 言って、ウェイバーは老人の声のまま蟲の海へと視線を向けた。
 すると、蟲の波が起こり、中から一人の少女が現れた。

「ライダーよ。貴様にはこの娘の護衛を命ずる。この娘の言に従うのだ」

 汚泥の如く腐り濁った瞳の少女にライダーは同じく生気を失った虚ろな瞳で頷いた。

「桜よ。ソレはお前の好きにして構わぬ。ではな」
「はい、お爺様」

 ウェイバーはライダーと桜を後に残し、蟲の海へと沈んで行った。
 最期にライダーを一瞥し鼻で笑った。

「もっとも、この小僧はとうの昔に死んでおるがな」

 ライダーの人質として使えるかと思いウェイバーの死体をきぐるみのように纏ったが、ライダーに対しては余興程度の価値しか無かった。

「まったく、令呪を無駄に消費させおって」

 そう呟くと、ウェイバーの令呪の宿る手だけがウェイバーの体から切り離され、瞬く間に蟲共がその腕と共に小さな体躯の老人の姿を作り出した。
 残りのウェイバーの肉体は蟲共が貪り、後には何も残らなかった。

 眼を覚ますと、セイバーは既に戻って来ていた。
 今はあの剣道少女の姿では無く、常の白銀鎧を身に纏った騎士の姿に戻っている。
 重い瞼を気合で押し上げ体を起こすとセイバーは実体化した状態で雁夜の小説を読み耽っていた。
 雁夜がセイバーに声を掛けると、セイバーは余程集中していたらしく、驚いたように眼を丸くした。
 己の不覚を恥じ、頬を赤く染めている彼の表情は男の雁夜から見ても思わず見惚れてしまいそうな程美しかった。

「何を読んでいたんだ?」

 セイバーは読んでいた本のページにしおりを挟み、表紙が雁夜に見えるように本を掲げた。

「推理小説か」

 セイバーは頷き返した。

「この時代は実に娯楽が揃っていますね」
「お前の時代には無かったのか?」
「ええ、こういった書籍はあまり……。ディナダン郷のジョークが我々にとっては至上の娯楽でした」
「そっか……」

 雁夜は思った。そう言えば、こうしてセイバーの話を聞くのはこれが初めてだったと。
 召喚直後は余裕が無くてとにかく聖杯戦争に勝利する事ばかりに囚われていたけれど、己は今伝説の騎士と対面しているのだ。
 そう考えると、なんだか不思議な気分になった。

「なあ」

 だから、ちょっと気紛れを起こした。
 千年以上もの時空の壁を越えて出会った騎士の事を知りたい、もっと話をしたい、そう考えたのだ。
 だって、自分はもう直ぐ死ぬ。
 だったら、最期に奇跡のような出会いをしたこの男と人生の最後を楽しみたい。
 そう思ってしまっても仕方の無い事だ。

「ちょっと、街に出てみないか?」
「街に……ですか?」
「ああ、折角だからさ、現代の街を案内するよ。今の時代の娯楽って奴を教えてやるさ」

 雁夜の言葉にセイバーは驚いた顔をした。

「よろしいのですか……?」
「ああ、お前は一仕事して来たんだし、ちょっとは休息も必要だろ? もし敵が襲って来てもお前なら絶対負けやしない。それに――――」

――――俺も最期の時間を楽しみたいんだ。

 そう言われてしまえば、セイバーに拒否するなどという選択肢は無かった。
 この目の前の主は己の死を既に容認してしまっているが、それは死に対する恐怖を克服したという訳では無い。
 主は英雄などとは程遠い酷く平凡な男だ。
 寿命や病以外の死などメディア媒体の向こうの世界の話であり、肉体は脆弱で技に優れているわけでもない。
 そんな男が一人の少女を救う為に己の命を使い捨てると決意した。
 それがどれほど辛く苦しい選択であったかなど、死が常に隣人であった時代の人間である己には知る術を持たない。
 無論、死なせるつもりなど毛頭無いが。
 もし、敵が襲って来たとしても己が剣で薙ぎ払うのみ、今は主の思うままに……。

「わかりました。私も現代の街並みに興味があります」
「よし、そうと決まればまずは着替えだな」

 雁夜とセイバーは新都にやって来た。

「主、私は何かおかしいのでしょうか?」

 セイバーは周囲の視線を気にしながら顔を顰めた。

「おかしいって言うなら俺の方だと思うよ。こんな顔じゃな。お前の場合は多分、モデルかなんかと間違えられてるんじゃないか?」

 パーカーで顔を隠しながら雁夜はクスクスと笑った。
 隣に立つセイバーは雁夜の渡したジャケットをラフに着こなしている。
 買ったはいいけど服の丈が雁夜には大き過ぎてそのままクローゼットの肥やしになっていたものだ。
 日の目を見る機会に恵まれて服も喜んでいることだろう。
 長髪の男は大抵だらしなく見えるものだが、不思議とだらしなさを感じさせない辺りはさすが騎士様というべきか。

「主、おかしいなどと……。あなたの相貌は桜殿の為に戦う戦士の証。何も恥じる事など――――」
「ありがとな。それとさ、前々から思ってた事なんだけど……」
「なんでしょう?」
「その、主って呼び方」
「不快でございましたか?」
「不快っていうか、気恥しいっていうか、せめて街中では普通に名前で呼んでくれないか?」
「……では、雁夜殿とお呼びさせて頂きましょう」
「殿も要らないんだけど……ま、いっか。とりあえず、飯にしよう。セイバーも食べるだろ?」
「私は……はい、雁夜殿」

 サーヴァントに食事は必要無い。
 故に断ろうかと思ったが、主は己に現代の娯楽を教えるためにこうして時間を割いて下さっている。
 それに、食事とは一人よりも二人で摂った方が美味しいものというのは時代が違えど同じ事。
 セイバーは素直に従う事にした。
 身長が190センチ以上もある外国人の男とパーカーを被ってる醜男が並んで歩いている様子は周りからはさぞ奇妙に映っている事だろうな、そんな事を考えながら雁夜はセイバーを連れて近くのレストランに入った。
 蟲が大人しくなってくれたおかげで普通の食事も苦痛ではなくなった。
 久しぶりのまともな食事にありつけるとあって、雁夜は内心心を躍らせていた。
 レストランに入ると案内係の女の子がセイバーにばかり目を奪われてくれたおかげで悶着無しに席に座る事が出来た。
 小奇麗な内装で周囲の席から美味しそうな臭いが漂ってくる。
 メニューを開いてどれにするか悩んでいると、セイバーは困った顔をしていた。

「どうしたんだ?」

 雁夜が声を掛けると、セイバーは言った。

「あまりに種類が多く、目移りしています。どれも私の時代には無かった品ばかりだ」
「セイバーの時代の食べ物ってどんなのだったんだ?」

 好奇心に駆られ、雁夜が尋ねると、セイバーはあからさまに顔を顰めた。

「雑でした……」
「そ、そうか……」

 聞いてはいけなかったらしい。
 あからさまにテンションの下がった調子で答えるセイバーに雁夜は言った。

「どれでも好きなの注文しろよ。お金なら十分にあるし、なんだったら全部喰ってもいいんだ」

 どうせ、もう使う事も無いのだから。
 口には出さずにそんな事を考えながら雁夜は店員を呼んだ。
 とりあえず、美味しそうな物をどんどん注文し、皿が無くなったらまた注文する事にした。

「いただきます」

 雁夜はセイバーに日本式の食事の挨拶を教えながら箸を手に取った。
 セイバーに箸の持ち方を教えてやろうかと思ったけれど、セイバーは巧みに箸を操り、並べられた料理に手をつけた。
 聖杯からの知識という事らしい。何とも便利な事だ。
 このレストランは和洋中様々な料理が揃っていて、どれも凄く美味しい。
 だけど、雁夜を楽しませたのはそれらの料理に一々眼を輝かせるセイバーだった。
 堅そうなイメージだったセイバーは料理を口に運ぶ度に頬を綻ばせ、一心不乱に箸を、レンゲを、スプーンを、フォークを動かし続けている。

「こ、これが料理という物なのですね……」

 結局、本当に全メニューを制覇してしまった。
 セイバーの食べる姿があまりにも可笑しく、雁夜は次々に注文をして、途中から店員さんもある程度食べ終わるのを見計らってはやって来るようになった。
 さすがは英霊である。
 あれだけ食べて少しも苦しそうな表情を見せない。

「か、雁夜殿。つ、つい……」

 食べ終わり、幸せそうに溜息を吐いた後、セイバーは顔を真っ青にしながら謝って来た。
 雁夜が笑いながら「良い食べっぷりだった」と言うと、今度は顔を赤くした。

「それにしても、そんなに美味かったのか?」

 あまりに美味しそうに食べていたセイバーに雁夜は問い掛けた。

「それはもう。我々の食事と言えば、ただ肉を焼くだけというのが殆どでしたので……。陛下も食事の時ばかりは顔を曇らせておられた……」

 そう言って、セイバーは頭を振った。
 相当酷かったらしい。
 雁夜は苦笑いしながら会計を済ませた。
 常なら目玉が飛び出しそうなほどの額だったが、貯金を全額下ろした今は余裕綽々だった。

「次はゲームセンターにでも行ってみるか」

 雁夜はそれからも様々な場所にセイバーを連れて行った。
 最期の時間を精一杯楽しむ為に、セイバーに現代の娯楽を教える為に。
 ゲームセンターでセイバーが身体能力を駆使して粗方のゲームの最高得点を叩き出し、セイバーの服を新調し、端から見るとまるでデートのようだと嫌な考えが浮かびながら必死に考え無い様にして雁夜はセイバーを引っ張りまわした。

「ここは書籍を売っているのですね」

 陽が落ち、聖杯戦争の時間となる前に最後に雁夜はセイバーを本屋に連れて来た。

「ああ、ここなら色んな本があるから好きなの買っていいぞ。俺も買いたいのがあるし、しばらく自由に見ててくれ」

 そう言って、雁夜は海外ファンタジーと看板に記されている方へと歩いて行った。
 セイバーは今日一日の事を思い出しながら適当に本の背表紙を眺めた。
 今日一日、主に連れられ現代の世界を見て回ったが、やはり己の居た時代とは何から何まで全てが異なっていた。
 それは何も目に見える街並みの情景や技術的な事ばかりではない。
 寒さに震え、餓えに苦しむ者が居ない。
 盗賊に襲われる事も、魔物に襲われる事も無い。
 民草の一人一人が己の幸せを当然のように享受している。
 主や桜はこの光景の中で生きるのが当然であった筈だ。
 その道理が悪意によって捻じ曲げられている。
 ならば、その道理を正す事こそ己がこの世界に召喚された理由なのではないか、セイバーはその様に考えながら店の窓に目をやった。
 外は茜色に染まり始めている。
 そろそろ、平穏な時間は終わりらしい。
 主の下に向かうと、主は一冊の本を熱心に読み耽っていた。

「雁夜殿」

 セイバーが声を掛けると、雁夜は驚いた様に顔を上げた。

「何を読んでいらっしゃったのですか?」

 セイバーが尋ねると、雁夜は照れた様に本のタイトルを見せた。

「アーサー王の物語だよ。昔、読んだ事があったんだけど、もう一回読み直そうかと思ってさ」

 雁夜は片手に買ったばかりの本を携えセイバーと共に新都と深山町を結ぶ橋を歩いていた。

「雁夜殿……、貴殿は私の事をどう思っておられますか?」
「え?」

 唐突なセイバーの問い掛けに雁夜は質問の意図が分からず首を捻った。
 ただ、セイバーがあまりにも必死な表情を浮かべるから思った事を口にした。

「頼りになる奴……かな?」
「頼りに……? ですが、雁夜殿も私の過去を知っておられるのでしょう?」

 セイバーの言いたい事を今度は察する事が出来た。
 セイバーの真名は湖の騎士・ランスロットだ。彼の騎士には誉れ高き英雄譚と共にもう一つ、不名誉な物語がある。それは己が主たるアーサー王の妃に恋をし、それが円卓の崩壊を招いたというものだ。だけど、人を愛する事がそんなにいけない事なのだろうか?
 雁夜は思った。ランスロットは確かにアーサー王の妻であるグィネヴィアに恋をした。でも、彼は彼女に決して手を出さなかったし、伝説の中でアーサー王も彼らの仲を許していた。彼は彼女の夫である前に王であったが為に彼女を妻として甘えさせる事が出来なかった。故にランスロットの彼女に向けた無償の愛が彼女の救いとなると考えたのだと言われている。

「別にお前が悪いわけじゃないだろ? そりゃ、主君の妻を好きになっちゃったっていうのは、まあ、何だけどさ……。けど、お前はただ愛情を彼女に対して向けただけで手を出したわけじゃない。それなのにモードレッドやアグラヴェインのせいで――――」
「彼らに罪はありません」

 セイバーは激しい口調で言った。

「彼らはただ、己が正義を全うしようとしただけなのです。それを私は……」

 深い罪悪感を滲ませた声でランスロットは言った。

「全ては私が悪いのです。雁夜殿……、私は本当に彼女を愛していたわけではないのです……」
「どういう事だ?」
「私は唯、理想の騎士でありたかった。雁夜殿、私にとって、彼女は理想の騎士に最も相応しい女性だったのです」

 己の醜さを吐き捨てるようにセイバーは語った。

「私は女性に対する愛を武術や騎士道と同列に考えてしまっていた。理想の愛とは追い続けるだけの者であり、受け入れられてはならぬもの。陛下の奥方である彼女程それに相応しい女性は居なかった。私は彼女を愛していたのではないのですよ。私は理想の騎士として無償の愛を向ける手の届かない女性を欲していたに過ぎないのです。私は愚かだった。理想の騎士でありたい、そんな事の為に彼女を苦しませ、彼等を苦しませ、陛下を苦しませ、円卓を……滅ぼした。私程信用に値しない男は他に居ないでしょう」

 セイバーの独白を聞き、雁夜は「それでも」と言った。

「お前は彼女を愛してたんだろ?」
「私は……」
「だって、そうじゃなかったら森の中で二年間も放浪したりしないだろ」
「そ、それは……」

 己の恥しい過去にセイバーは顔を赤くした。

「お前がお前自身を信用出来ないってんなら、俺が信用するよ」
「雁夜殿……」
「お前は誰にも負けない。絶対俺を勝たせてくれる。桜ちゃんを助けてくれる。何てたって、俺のサーヴァントは最強なんだ」

 笑みを浮かべて断言する雁夜にセイバーは一時の間放心した。
 そして、深く息を吸い、深く吐いた。

「雁夜殿」

 セイバーはその場で雁夜に頭を垂れた。

「セ、セイバー!?」

 雁夜が慌てるのも構わず、セイバーは言った。

「我が剣に誓い、このランスロット。必ずや御身に勝利を捧げると今一度お誓い申し上げます」
「わ、分かった! 分かったから立ってくれ! 誰かに見られたらどうするんだ!?」

 慌てる雁夜にセイバーはクスリと笑い立ち上がった。

「雁夜殿。必ず勝利致しましょう」

 セイバーは片手を雁夜に向けて差し出した。

「あ、ああ」

 雁夜は照れた表情でその手を取った。
 その時だった。

「随分と帰りが遅いと思えば、この様な場所に居ったか」

 しわがれた老人の声が耳に届き、セイバーは咄嗟に雁夜を庇った。

「臓硯!!」

 橋を渡りきった先に老人が立っていた。

「そう警戒するでない。あまりに帰りが遅いのでな。こうして息子を心配し迎えに来たに過ぎぬ」
「戯言を……、何用だ」

 セイバーは殺意を漲らせ、臓硯に問うた。
 臓硯はカカと笑いながら言った。

「ふむ、それほど元気がありあまっておるならば、一つ良い事を教えてやろう」
「なんだ?」

 警戒心を顕にしながら雁夜は尋ねた。

「冬木ハイアットホテルにランサーのマスターが拠点を置いておる」
「ランサーのマスターが!?」

 驚き目を瞠る雁夜に臓硯は「ああ」と頷いた。

「ランサーめはライダーとの戦いで疲弊しておる筈だ。倒すならば今しかあるまい」

 臓硯の言葉に雁夜はセイバーを見た。
 セイバーは臓硯を警戒しながらも雁夜に頷いて見せた。

「ではな。武運を祈っておる」

 そう言い残し臓硯は消え去った。
 丁度、太陽が水平線上に沈んだ。
 雁夜はセイバーに尋ねた。

「いけるか?」
「無論!!」

 セイバーは次の瞬間には今日買ったばかりの服から白銀の鎧にその装いを変え、雁夜を抱え上げると同時に大地を蹴った。

――――あの時の決着を着けようぞ、ランサー!!

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