第二十五話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に始動する思惑 セイバー「魔力放出があるといつから錯覚していた・・・? あれは筋肉だ!!」

――――消えて行く。

 自分を構成していたモノが零れ落ちていく。
 目に見えているモノの意味が理解出来なくなっていく。
 怖くて怖くて仕方が無い。
 崩壊したのは目の前の女が原因だった筈なのに、その女が何者なのかも分からない。
 ただ、何か大事なものを失いかけている事だけは分かった。

「た、すけ……て」

――――消えた。

 女の息が止まり、心臓の音が止まった瞬間、何か、大切なものがなくなってしまった。何がなくなったのかも分からない。ただ、ずっと胸の奥に仕舞い続けていた大切なナニカが永遠に思い出せなくなった。
 頭に残ったのは毎日繰り返される拷問の事ばかり。痛いと言えば更なる苦痛を与えられる毎日、息をするのすら許可が無ければ嬲られる毎日。痛みと苦痛の無い時間など無い。食事の時間すら毒と汚物の苦痛と悪臭に苛まされる。助けを求めるのもそこで止めた。
 だって、意味が無い。助けを求める相手が居ない以上、どうあっても助けてなんてもらえない。だから、死にたかった。死ねば楽になれると思った。何も無い、ただ、苦痛を感じるだけの生ならばせめて、苦痛の無い何も無い死に逃げ出したかった。だけど、それも許されない事だった。
 息をどんなに止めようとしても、自分の首を締めようとしても、体内の蟲が生という鎖で己を縛る。逃げる事すら許されない。だって、■してしまったから。だから、夢を見よう。せめて、夢の中で幸せになろう。最近、夢の中でいつも一人の男の人が現れる。
 男の人は己を救おうと頑張ってくれている。それが少しだけ救いになる。

 ドイツ、アインツベルン城。
 衛宮切嗣は冬木に派遣している偵察からの定時連絡を受けていた。

『セイバーの召喚者、間桐雁夜は本日セイバーと共に新都を練り歩いていました。恐らく、他のサーヴァントを炙り出そうという狙いだと思われますが、現在、他のマスター達は沈黙を保つ方針の様です』
「間桐雁夜は積極的に動くタイプか、成程。舞弥、先日送ったホムンクルスの様子はどうだ?」
『よくやっています。正直、私だけでは情報収集にも限りがありましたが、特にキャスターが調整したという索敵特化型ホムンクルスは優秀です。おかげでライダーのマスターの死亡及び間桐の頭首の動向を掴む事が出来ましたから』
「そうか……。作戦の首尾はどうなっている?」
『既に実行し、先程結果が届きました。どうやら無事に事を運べたようです』
「そうか。舞弥、引き続き情報収集並びに作戦の進行を頼む」
『了解。今朝届きました新たな100体のホムンクルスも今、昨日届けられました50体のホムンクルス達と共に起動させ、今は個々の命令をそれぞれに伝えてもらっています。これで作業効率は更に上がり――――』
「舞弥?」

 突然舞弥の声が途切れ、切嗣は舞弥の名前を呼んだ。
 しばらくして、謝罪と共に舞弥の声が戻った。

『問題が起こりました。どうやら、冬木ハイアットホテルに間桐雁夜が襲撃を仕掛けた様です』
「……それは拙いな。作戦に支障が出る。舞弥、索敵特化型ホムンクルスを使って監視しろ。場合によっては戦闘特化型ホムンクルスの使用も許可する。最低限、ランサーを死なせるな。僕達も今日の便で発つ。そっちの時間で明日の昼頃には到着する予定だ。それまで頼む」
『了解。失礼します』

 電話を切ると、切嗣は資料に目を落とした。
 キャスター召喚から四日目。
 既に聖杯戦争は動き始めている。

「切嗣よ、出立まで時間がある。イリヤと遊んでやったらどうだ?」

 部屋に入って来たキャスターに切嗣は適当な返事をしながら立ち上がった。
 資料をキャスターの手に渡し部屋を出る。
 横切り際に切嗣はキャスターに一言だけ言った。

「……ありがとう」

 その一言にどれだけの思いが篭められているのかは分からない。
 ただ、その一言が誰あろう切嗣の口から飛び出した事にキャスターは笑みを零した。

「素直じゃないのう」

 切嗣が顔を見せるとイリヤは花が咲いた笑みを浮かべた。

「キリツグ!!」

 駆け寄って来るイリヤに頬を緩ませる切嗣目掛け、イリヤは思いっきり助走を付けてぶつかって行った。
 飛び込んでくる白銀の弾丸に切嗣は思わず「もぎゃ」と悲痛な悲鳴を上げた。
 イリヤは倒れ込む切嗣の上に倒れ込む。
 切嗣はまるで押し潰されたカエルのような声を出して「参った」と言った。

「勝った勝った! イリヤの勝利!」

 キャッキャと喜びながら切嗣の上で跳ね回るイリヤにアイリが慌てて駆け寄って来た。

「ほら、イリヤ。切嗣の上で遊んじゃいけません」
「キャー、お母様が怒った! 切嗣、お馬さんになって! 逃げるわよ!」
「ははあ、お姫さまのご命令のままにー」

 切嗣は四つん這いになるとイリヤを乗せて部屋の外へと走って行った。

「もう! 切嗣!」

 プンプンと頬を膨らませるアイリスフィールに切嗣と入れ替わりで入って来たキャスターは笑いを噛み締めながら声を掛けた。

「最強の魔術師殺しも娘には勝てぬらしいな。アイツに辛酸を舐めさせられた者共があの姿を見たらどう思うか、想像するだけで腹が捩れるぞ」
「もう、キャスターってば……」

 困った様に微笑むとアイリスフィールは言った。

「きっと、勝てるわよね、私達」
「ああ、勝つさ。その為に私は居るのだ。まあ、いざとなれば私には一発限りだが最強無敵の一撃必殺宝具がある。勝利は揺るがぬさ」

 胸を剃り返しながら自信たっぷりに言うキャスターにアイリスフィールは微笑んだ。

「ええ、信じているわ。貴女の事も、切嗣の事も」
「ああ、任せておけ」

 セイバーは冬木ハイアットホテルの間近に聳える建設途中のビルの屋上に降り立った。
 己が誇る二つの宝具を封じ、顕現させた第三の宝具の能力をいつでも解放出来るよう己が剣を構え、背後に佇む主の号令を待っている。
 雁夜は高鳴る心臓を押さえ、前方に佇む冬木ハイアットホテルを睥睨した。
 これまでは終始戦闘をセイバーに任せて来た。
 だけど、今日この戦いから己も戦に臨む。
 己の武器となる翅刃虫を待機し、雁夜はセイバーに顔を向けた。

「必ず、桜ちゃんを助ける。往くぞ、セイバー!!」
「ハッ!!」

 主の号令と共にセイバーはビルの屋上を駆け、大きく跳躍した。
 最上階には届かないが、ホテルの壁に着地すると、一気呵成にセイバーはホテルの壁を駆け上がった。
 重力という概念を無視した暴挙を平然とこなしてみせる様はさすがは英霊といったところだろう。
 セイバーが最上階に到達する目前で部屋の窓を突き破り赤と黄の双槍を握るランサーが現れた。
 互いに交わす言葉は無く、垂直にそそり立つホテルの壁を足場に二人の英霊の戦端が切って落とされた。
 駆け巡る二つの騎影。
 まるで重力の方向が変わってしまったかのように自在に壁を足場に駆け回る二人の英霊に常識などという言葉は今や無意味と化していた。
 幾度となく衝突する白銀と翡翠の影は地上から見上げる者が居たとすればピンボールを連想したかもしれない。
 尤も、その激突を視認出来る者がいればの話だが。
 両者のぶつかり合いは人の肉眼で捉えられるものではなく、かろうじて衝突の瞬間の刹那の停滞を捉えられる程度の死の演舞だった。

「まったく、こんな足場を戦場とするなど戯れが過ぎるのではないか? セイバー」
「いや、貴殿がそこまで空中戦に長けていたとはな」

 苦々しい表情を浮かべながらセイバーは言う。
 セイバーは無毀なる湖光によって強化されたAランクの筋力によって壁を蹴り移動しているが、その軌道はあくまでも直線的なものだった。
 それに反し、ランサーのサーヴァントは片方の槍で壁に自身を縫い止める事でまるで重力の縛りなどないかのように垂直な壁という足場を縦横無尽に駆け回る。
 ランサーの拠点を襲撃するに辺り、問題となったのはその場所だった。
 ホテルという場所は一般人があまりにも多く、下手に宝具化した物体を投擲しようものなら要らぬ犠牲者を生みかねなかった。
 故に壁を駆け上がると言う暴挙とも言える行動を取ったのだが完全に裏目となってしまった。

「っ――――」

 セイバーはとにかく平坦な足場を目指し、体を傾け、壁を蹴る。
 真横に移動していたセイバーの軌道が直角に曲がり、垂直に屋上へと向かう。
 宝具・無毀なる湖光の効果によって能力を底上げしているものの、以前の令呪によって強化されていた時とは違い、敏捷性においてセイバーはランサーに対して大きく劣っている。
 だが、こと瞬間的な爆発力においてはセイバーはランサーの上を行く。
 その果てにあるのはケイネスとソラウの拠する最上階フロアだ。
 ランサーはセイバーを追い、再び壁を蹴る瞬間を狙い己が赤槍を突き出す。
 真下からの攻撃という通常在り得ぬ方向からの攻撃を剣で弾き飛ばし、セイバーは更なる跳躍を行うが、ランサーの追撃は休む事無く襲い掛かる。

「慣れぬはお互い様だ。だが――――」

 ランサーはそう口にしながらセイバーに追い縋る。

「上に行かせるわけにはいかん!」

 呵成と共にランサーはセイバーの着地点目掛け己が黄槍を投擲した。
 セイバーは咄嗟に体を捻り黄槍を躱すが、そのほんの僅かな一瞬の隙にランサーはセイバーの一歩前を行き、黄槍を壁から引き抜くと、セイバー目掛け疾走した。

 ホテルの壁を舞台に激突する二体のサーヴァントを尻目にケイネスは雲泥たる面持ちで礼装による武装を固めていた。
 金額にものを言わせて借り切ったフロア一つ分に仕掛けられた罠の数々は完全に無駄となってしまった。

「ソラウ、どうだ?」
「発見したわ。隣にある建造中のビルの階段を降りている最中みたいね。でも、この男は……」
「ソラウ?」
「どうやら、私達は思い違いをしていたらしいわ」
「どういう事だ?」
「セイバーのマスターを私達は遠坂時臣だと思い込んでいたけど、彼は――――」
「遠坂時臣ではないのか!?」

 驚き目を瞠るケイネスにソラウは「ええ」と頷いた。

「相貌がかなり変化しているから確証は無いけれど、恐らくは間桐雁夜ね」
「間桐……雁夜、確か、魔道の道から逃げ出した落伍者だったか?」

 ケイネスは鼻を鳴らし侮蔑の篭った声で言った。

「未熟者以下の出来損ないが、身の程というものを教えてさしあげようではないか。ソラウ、君はここから奴の居場所を教えてくれたまえ」
「了解よ。いってらっしゃい、ケイネス」

 雁夜がビルの階段を駆け降り、外に出て頭上を見上げると、二体のサーヴァントは建物の壁や屋根を飛び跳ねるように移動しながら未遠川の方角へ向かっているようだった。
 雁夜は急いで後を追い駆けた。

 二つの流星が未遠川の沿岸の公園に落下した。
 二人の間の距離はおよそ三十メートル。
 それをランサーは一息の内にゼロにしてセイバーに襲い掛かる。
 セイバーはランサーの繰り出す双槍を己が聖剣でもって弾き飛ばす。

「つっ――――」

 ランサーはセイバーから距離を取った。
 丸一日回復に専念したが、ライダーの宝具、遥かなる蹂躪制覇の余波を受けた傷は癒えきっていなかった。
 だが、距離を取ったのはそれが理由では無かった。

「セイバー、お前は――――」

 言葉尻を浮かせて言い澱むランサーの表情には苦々しいまでの当惑と苛立ちの色が浮かんだ。
 今宵のセイバーの剣戟は初戦の時のソレと比べて僅かながらも明らかに軽かった。
 動き全体も鈍く、それを見逃すランサーではなかった。
 それが消耗によるものなのか判断がつかず、胸中に苛立ちが募った。

――――お前までが私の武を侮るというのか?

 そう、問わずにはいられなかった。
 そんな、ランサーの心中を知ってか知らずか、セイバーは猛然と剣を振るった。
 戦いにおいて、一瞬の迷いが致命的な隙となる。
 ランサーは受け止めた双槍ごと吹き飛ばされた。

「くっ――――」

 ランサーの姿勢が崩れた瞬間をセイバーは見逃さずに更なる追撃を加えた。
 避ける間も無く、ランサーは双槍でもってセイバーの斬撃を受け止める。
 確かに、セイバーの剣はあの時よりも軽い。
 だが、それでもセイバーの剣戟の重さ、技の鋭さは舌を巻く程のものだった。
 劣化して尚、全力を持って受け止めなければ防げぬ即死の突風であった。
 解せぬ思いはあれど、眼前の敵は紛れも無い強者だ。
 ランサーは己が胸に燻る苛立ちを振り払い、セイバーの剣を弾くと、セイバーを上回る圧倒的な敏捷性を活かし距離を取った。
 だが――――、

「クッ」

 Aランクの筋力が生み出す爆発的な加速力によって、セイバーは刹那の間に距離を縮める。
 ランサーはセイバーの剣戟に対し、受けに回る事を余儀なくされた。
 敏捷性というステータスにおいてはランサーはセイバーの遥か上を行き、距離を一旦は離す事が出来るが、セイバーの強靭なる筋力が生み出す爆発的な加速力が為にセイバーを完全に引き剥がす事が出来ず、また、剣戟においても一撃一撃にセイバーの筋力に更なる重みと速さを加えている。

「ハッ――――」

 セイバーの圧倒的なまでの強さを前にランサーの胸は否応にも奮い立った。
 これぞセイバー。
 最優と謳われるサーヴァント。
 この清廉なる剣筋を受けていれば分かる。
 セイバーの剣は確かに軽くなっているが、セイバーは決して己を侮っているわけではないのだと。
 恐らくは何か理由があるのだろうが、もはやランサーにとってはどうでもいい事だった。
 ただ、己が剣を交えし敵の澄み渡るような闘志に心地の良い痺れを感じながらランサーは吼えた。

 雁夜がその場に辿り着いた時、既に勝負は決していた。
 ランサーは大地に伏し、セイバーはその首に剣を突きつけている。
 雁夜は顔を綻ばせた。

「勝った。勝ったんだな!! やっぱり、俺のサーヴァントは最強だ!!」

 歓喜する主にセイバーは微笑をもらし、ランサーに言った。

「最後に貴殿の名を問うてもいいか?」

 それは確認作業のようなものだった。
 だが、互いに剣を交えた目の前の男の名を彼の口から聞きたかった。

「……フィオナ騎士団。ディムルッド・オディナ」

 観念した様子で応えるランサーにセイバーは言った。

「貴殿の名はこの胸にしかと刻みつけた。貴殿を下した事、この身の誉れとさせて頂こう。さらばだ、ディムルッド郷」

 セイバーがランサーの首を刎ねようと剣の刃を返したその時、

「そこまでだ、セイバー!!」

 轟くような声が響いた。
 雁夜は身動き一つ取れずに居た。
 何故なら、雁夜の首には銀色に輝く鋭い水銀の刃が突き立てられていたからだ。

「雁夜殿!!」

 セイバーは咄嗟にランサーから離れ、距離を取った。
 ランサーは弾かれたように立ち上がると双槍を持ち直した。

「主、感謝致します」

 間一髪を救われたランサーはケイネスに礼をしながらも浮かない表情を浮かべた。
 それを見咎めるとケイネスは侮蔑の篭った声で言った。

「卑劣な手段だとでも言いたげだな、ランサー」
「その様な事は……」
「まったく、キャスターに遅れを取り、ライダーを取り逃がし、この上、セイバーにも劣るか」

 ケイネスは額に手を当てるとやれやれと首を振った。

「もはや期待はしていなかったが、こうも圧倒され、私の手を煩わせるとはな」
「……申し訳御座いませぬ」

 頭を下げるランサーを尻目にケイネスは雁夜に向けて言った。

「さて、セイバーのマスターよ。雁夜と言ったか? セイバーに自害を命じよ」
「なんだと……っ」

 ケイネスの言葉に雁夜は憤慨したが、水銀の刃に押され息を呑んだ。

「雁夜殿!! 寄せ、ランサーのマスター!!」

 セイバーは咄嗟に踏み込もうとするがランサーが間に立った。

「セイバーよ。貴様がランサーを下し、私に到達するまでと私がこの男の首を刎ねるまで、どちらが速いか考えてみよ」
「貴様!!」

 セイバーは烈火のごとく瞳を燃え上がらせ、ランサーを睨み付けた。

「ランサー、貴殿は――――」
「すまぬな、セイバー」

 ランサーは顔を顰めながら双槍をセイバーに向けた。
 敗北した以上は潔く負けを認めるのが騎士としての道理というものだが、主に対する忠義との合間に挟まれ、ランサーは道理を捨て、主への忠義を取った。

「さあ、間桐雁夜。セイバーに自害を命じよ。さすれば命だけは助けてやらぬ事も無い」
「そ、そんな事……」
「ならば、死ぬが良い」

 迷う素振りを見せる雁夜に、ケイネスは容赦無く死刑宣告を行った。
 その瞬間、突如頭上に雷鳴が轟いた。
 何事かと月霊髄液から意識を離し、頭上を見上げたケイネスの目に一頭の神牛が牽くチャリオットの姿が映った。

「馬鹿な……、なんで、アイツが!?」

 驚愕は雁夜のものだった。
 思わずセイバーを見ると、セイバーも何が何だかといった表情を浮かべている。
 そして、ライダーが大地にチャリオットを着陸させると、ケイネスの眼にあってはならぬ光景が映りこんだ。

「ソ、ソラウ……」

 ライダーの駆るチャリオットの御者台の上にソラウの姿があった。
 ソラウは首筋にライダーの剣を当てられ恐怖の表情を浮かべている。

『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』

 ライダーの御者台から一匹の蟲が飛び出した。
 蟲からは男なのか女なのか、老人なのか、若者なのかも分からぬ不気味な声が発せられた。

「何者だ?」

 ケイネスが問うと、蟲は言った。

『今直ぐ、間桐雁夜を解放しろ。さもなくば、貴様の婚約者の命は無い』
「貴様……」

 険しい表情を浮かべるケイネスに見せ付けるかのようにライダーは腰剣でソラウの首の薄皮を切った。
 一筋の血が流れ、ソラウは悲鳴を上げる。

『こちらにはライダーとセイバーが居る。万に一つもランサーに勝ち目は無い』

 ケイネスは舌打ちをした。
 確かに、例え――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが愛した――婚約者を見捨てたとしてもランサーではセイバーとライダーを同時に立ち回る事など不可能だ。

――――ここで、ランサーを失うわけにはいかない。

 ケイネスは苛立った表情を浮かべながら月霊髄液を下げた。

「何故、ライダーが……」

 弱々しい足取りでセイバーの下まで歩くと雁夜は困惑した表情で呟いた。

『ライダーのマスターの死後、その所有権を剥奪しただけの事。さて、ランサーのマスターよ。婚約者を救いたくばこの場で――――』
「ランサー」

 蟲が言葉を紡ぎ終える前にケイネスはランサーに向かって言った。

「私を連れて離脱しろ」
「あ、主……?」

 ケイネスの口から発せられた言葉にランサーは動揺した。
 ソラウは信じられないという面持ちで叫んだ。

「な、何を言っているの、ケイネス!!」
「ランサー。二度言わせるでない。私を連れて離脱しろ」

 重ねられた命令にランサーは「しかし」とソラウを見た。

「貴様は命じられた事も遂行出来ぬ木偶なのか? 私はこう言っているのだ。ソラウを見捨て、私を逃がせ、とな」

 刹那の迷いが生じたものの、ランサーはケイネスの命令に今度こそ従った。
 完全な手詰まりであったからだ。
 セイバーとの戦闘で疲弊していた己ではセイバーとライダーを同時に相手して勝利するなど不可能であり、ソラウが人質に取られている以上はそもそも戦うという手段を選択する事は許されない。
 そして、仮に己が倒れたとしても、敵がケイネスとソラウを生かして返す保証はどこにも無い。
 故にケイネスの判断は最善と言えた。
 背後に響く己が護らねばならなかった女性の悲鳴が無ければ……。

「主、どちらへ?」

 ランサーは主に問うた。
 ケイネスを抱え、大地を駆るランサーだったが、どこへ向かえばいいのか皆目検討がつかなかった。
 拠点であったホテルで敵の襲撃を受けた以上、同じ場所を拠点とするわけにもいかない。
 ケイネスは昨晩、ランサーがライダーと追跡劇を演じた国道を指差して言った。

「郊外の森へ向かう」

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