第九話「不穏」

第九話「不穏」

 目の前を人が行き来している。背中に感じるエグレの死骸の冷たさに涙が滲んで誰が誰だか判然としない。ハーマイオニーは隣に腰を降ろして黙って寄り添ってくれている。今は誰とも何も話をしたくなかったから、彼女の気遣いがありがたい。何だか、頭がぼんやりする。瞼を閉じると、そこにはエグレの姿があった。僕は大人に成長していて、隣にはハーマイオニーが居て、子供が居る。子供達はエグレの背中に乗って広々とした庭を駆けずり回り、僕と彼女はそれをただジッと見つめている。
 いつの間にか眠ってしまっていた僕をハーマイオニーが起こしてくれた。体中が痛い。随分と長い時間眠ってしまっていたらしい。目の前にはスクリムジョールとダンブルドアが立っていて、二人の後ろにファッジが居る。スクリムジョールはしゃがみ込むと、申し訳無さそうに言った。

「まず、君には謝らなければならん。此度、君を襲った犯人……ジョン・ドーリッシュは私の部下だ。最近、少々慌しかったものでね。部下の行動には逐一目を通しているつもりだったが、見落としがあったのだ。彼は八月の初めにキングズリーとある任務に向かっていた。そこで、闇の帝王に服従の呪文を掛けられたらしい」

 キングズリーの名前にいち早く反応したのはハーマイオニーだった。

「キングズリーがホグワーツ特急を襲撃した件については学校側から政府に通達があった筈です。他の部署ならいざ知らず、闇祓い局はそれが事実だと認識出来た筈ではありませんか? 夏の間、ユーリィの家にマッドアイを常駐させたり、ヴォルデモートに関する調査を行っていたのは貴方達じゃない! 例え虚報だと疑いを持ったとしても確証を得るための行動を取るべきだし、取った筈だわ! なのに、これはどういう事なの!?」

 ハーマイオニーの言葉はその語気の荒さとは裏腹に理路整然としていた。確かに、マクゴナガルの言う通り、学校側の報告を魔法省全体が【子供の言葉】を理由に認知せずに虚報だと決め付けても、闇祓い局だけはそれが真実だと分かった筈だ。仮に虚報だと疑っても、確りとした調査を行っていれば、今回のような事態にはならなかった筈。エグレが死ぬ事も無かった。
 再び湧き上がってくる怒りを必死に抑えながら、僕はスクリムジョールの回答を待った。
 やがて、彼は重々しい口調で言った。

「我々のミスだ」

 たった、それだけだった。スクリムジョールは他に言い訳をするわけでもなく、ただ、そう一言呟くだけだった。

「何だよ、ソレ」

 ずっと座った状態のまま眠っていたからだろう、立ち上がると眩暈がした。構うもんか。焦点が未だ定まらぬまま、僕はスクリムジョールを睨み付けた。

「僕の友達が死んだ。お前の部下のせいで!」

 湧きあがる激情を抑える事が出来ない。お前が確りと部下を管理していれば、僕の友達は死なずに済んだんだ。頭の中にあるのはコレだけだった。
 せめて、言い訳の一つでも聞かなければ納得など出来ない。

「待って、ハリー」

 尚も黙ったままのスクリムジョールに痺れを切らし、更に声を荒げようとする僕をハーマイオニーが制止した。
 彼女の目は僕の内面とは反対にどこまでも理性的だった。彼女は僕が大人しくなるのを待ってからスクリムジョールに向かって目を細めた。

「元々、妙だと思ってたんです。ユーリィの自宅にマッドアイを常駐させたりする程、過剰に【ユーリィ】を保護しようとしていたあなた方がどうしてホグワーツの新学期が始まってからは一切手を出して来ないのか……。キングズリーの一件以降も【ハリー・ポッター】と【ユーリィ・クリアウォーター】の二人が狙われたのにも関わらず、一切の動きを見せなかった。それはどうしてですか?」

 確かに妙な話だと思う。だけど、ホグワーツにはダンブルドアがいる。正直に言えば、エグレを助けてくれなかったダンブルドアの事を皆が言う程凄い人物とは思えなくなっているのだけど、それでもヴォルデモートが唯一恐れた人物である事は事実だ。彼が居るからこそ、闇祓い局は警戒を解いたのではないだろうか? 僕が思った事をそのまま口にすると、ハーマイオニーは一応は納得したように頷いて見せた。だけど、視線はスクリムジョールから一切動かない。

「そうね。そう考える事も出来る。だけど、妙に感じた点はそこ以外にも幾つかあるのよ」
「妙な点……?」

 ハーマイオニーはミステリアスな表情を浮かべ、掌を広げて見せた。すると、親指を閉じながら言った。

「ハリー。覚えているかしら? 夏休みの最後の日の事よ。キングス・クロス駅へ出発する前、突然、スクリムジョールがユーリィの家に現れたじゃない?」
「うん。覚えてるよ。闇の印が現れた日だよね?」

 チラリとスクリムジョールを見ると、彼の表情はまるで怯えているように映った。
 
「あの日、彼はユーリィを問い質した。場合によっては幽閉する事も視野に入れていたみたいだし、これはどう考えても異常だわ」

 あの後、直ぐにキングズリーの襲撃やエグレの件があって深く考えている余裕は無かったけど、確かに、今にして思うとスクリムジョールの行動は明らかに常軌を逸している。
 まるで、ユーリィがヴォルデモートに通じているかのような問い質し方だった。

「それに……」

 ハーマイオニーは人差し指を折った。

「よく考えてみると、ユーリィにばかり護衛を付けるのもおかしな話だわ。だって、ヴォルデモートが一番狙っているのはハリーの筈だもの。確かに、分霊箱の情報を齎したユーリィが狙われる事を警戒するのは当然だと思うけど、ハリーよりも厳重に保護するのは妙な気がするの」
「その点についてはわしが答えるとしよう」

 ハーマイオニーの疑問に口を挟んだのはダンブルドアだった。

「ハリーに関しては既に強力な守護を敷いてあるのじゃよ」
「強力な……守護?」
「古の術でのう。ハリーが成人に達するまでの間、あの家をハリー……」

 ダンブルドアはゆっくりと膝を折り曲げ、僕に視線を合わせて言った。

「お主が己の帰るべき場所だと思う限り、どのような結界よりも強力な守護となる。あの家に居る限り、ヴォルデモートであろうと君に一切の手出しが出来ないのじゃ。それに、マッドアイほど強力な対闇の魔法使いの戦士では無いが、常に君を見守っておる者もいる」
「見守ってって、誰が?」

 僕の周りに居たのは僕を虐めるダドリーの取り巻きやペチュニアの噂仲間、それか……、

「アラベラ・フィッグ。フィッグおばさん、とお主は慕っておるそうじゃな」
「……フィッグおばさん?」

 それはひょっとして、あの猫好きなフィッグおばさんの事だろうか? 僕が耐え切れなくなって助けを求めた時、唯一僕を心から慰めてくれたフィッグおばさん。彼女が?

「彼女はずっとお主を見守っておった」

 穏やかで慈しみに満ちた瞳のダンブルドアに僕は聞けなかった。
 じゃあ、どうして僕が虐められていた時、フィッグおばさんは魔法で助けてくれなかったの? 彼女が助けてくれたのは僕が本当に耐えられなくなった時だけだった。それか、僕を置いて一家が家族旅行に出掛ける時に僕を家に一人で残して荒らされたくないからとダーズリー夫妻が僕をフィッグおばさんの家に押し付けた時だけだ。
 見守っていたというなら、僕が虐められていた事も知っていたんだよね?

「これが解答で良いかね?」
「は、はい……」

 ハーマイオニーはまだ納得しかねているらしい。僕も同じだ。だけど、その理由は決定的に違う。

「……確かに、ハリーに対しても手厚い保護があると納得しました。それでも、ユーリィに対する闇祓い局の対応には疑問が湧きます。あなた方は何かを隠しているのではありませんか?」

 ついにハーマイオニーが切り込んだ。彼女には何か確信めいたものがあるように思える。それは一体何なのだろう?
 スクリムジョールは相変わらずだんまりを決め込んでいる。じれったいと思いながら、胸の内で怒り以外の感情が芽生え始めるのを感じる。

「では、ハッキリと私の疑問をぶつけさせて頂きます」

 ハーマイオニーは言った。

「何故、あなた方はユーリィの言葉をすんなりと信じたのですか?」
「…………え?」

 思わず声を上げてしまった。何の脈絡も無く飛び出した彼女の言葉に戸惑いを隠せない。
 一体、彼女は何の話をしているんだろう?

「もっと、正確に言えば……、何故、分霊箱の事を信用出来たのですか?」

 神秘部の玄関ホールがシンと静まり返った。それまで、周りで忙しなく動いていた魔法使い達まで動きを止めた。

「彼の言葉は信じるに値すると考えたまでだ」

 スクリムジョールは淡々とした口調で答えた。

「【子供の言葉】……」

 ハーマイオニーはそう切り返した。

「そんな安直な言葉で魔法省は私達の証言を虚言と断じましたよ」
「我々は闇祓いだ。子供の意見だろうと軽んじたりはしない」

 ハーマイオニーの反論をスクリムジョールは容易く捻じ伏せ、それで話は終わりだとばかりに背を向けた。

「まだ、疑問があります」

 にも関わらず、ハーマイオニーは止まらない。彼女の明晰な頭脳がこの質疑応答の先に何を見据えているのか、僕にはさっぱり分からない。

「あまり、私も暇なわけではない。それに、いつまでもエグレの死体をここに放置するわけにもいかんだろう。一刻も早く、彼を弔ってやるべきではないかね?」

 その言葉にカチンと来た。

「エグレを誤魔化しの為に引き合いにだしたりするな!!」

 スクリムジョールは首を大きく振った。

「本当に、私には時間が無いのだ。今回の事件はハリー・ポッターが無事だったから、それで解決というわけにはいかんのだ」
「どういう事ですか?」
「ハリー・ポッター。一つだけ聞かせて欲しい」

 スクリムジョールは振り返ると、鬼気迫る表情で言った。

「予言の間で予言を手に取ったのか?」
「予言……? あの水晶球の事ですか? 変な声の……」
「声……だと? では、まさか!?」

 スクリムジョールの顔から生気が一気に抜け落ちてしまった。
 ダンブルドアまでが険しい表情を浮かべている。

「えっと、どうしたんですか?」

 二人の様子があまりに尋常では無く、僕は怒りも忘れて声を掛けた。
 すると、スクリムジョールは僕の肩を強い力で掴んで来た。途惑う僕にスクリムジョールは言った。

「どこまで聞いた!?」
「え!?」
「奴にはどこまで聞かれた!?」

 僕はスクリムジョールの勢いに乗せられるまま、予言の間で聞いた重なり合う二つの言葉を口にした。
 その後のドーリッシュの言葉も含め、余さず言葉にすると、スクリムジョールは血相を変え、背後で作業を中断している魔法使い達に指示を飛ばした。

「今すぐにホグワーツへ向かえ!! ダンブルドア!! あなたも!!」

 スクリムジョールが顔を向けた時、既にダンブルドアは去っていた。その顔に浮かぶ必死の形相が僕らに只事では無いと教えていた。

「君達は私と闇祓い局に来なさい。エグレの事はキチンとホグワーツへ送っておく。今は君達の安全が最優先だ」
「ど、どういう事ですか?」
「ハリー。今は指示に従うべきよ」

 戸惑うばかりの僕にハーマイオニーが言った。

「ハーマイオニー。でも!」
「ハリー、聞いて」

 ハーマイオニーは青褪めた表情を浮かべながら僕の耳元に囁いた。

「一方の予言は間違いなくあなたとヴォルデモートのもの。そして、もう一つは恐らく……」
「恐らく、なに?」
「彼らのこれまでの動きや今の言動を思い返して。それに八つ目の月が生まれる時……、つまり、八月の初めが誕生日で両親が純血で、加えて純血主義者では無い人を私は一人知ってるわ」
「それって!?」

 僕はハッと脳裏に一人の少年を思い浮かべた。物騒な予言の内容とはかけ離れた彼の顔が頭から離れない。

「ユーリィがもう一つの予言の子なら、闇祓い局の動きについても少なからず納得がいくわ。今回の件については別だけど……」
「でも、ユーリィがそうだと決まったわけじゃ!!」
「確証は無いでしょうね。闇祓い局も闇の帝王の陣営も。だけど、可能性がある」
「戻らないと……」

 脳裏に一年前の光景が甦った。スリザリンの継承者に拷問を受けたユーリィ。
 確証が無くとも、確証を得る為の行動を死喰い人達がしないとは限らない。

「冷静になって!」
「でも……」
「私達が動くのはマイナスにしかならないのよ。今は大人に任せるべき。今、下手に動けば大人達の動きを阻害してしまうだけよ」
「でも!!」
「今はダンブルドアやスクリムジョール達を信じましょう」
「……うん」

 ハーマイオニーの目から零れ落ちる涙に僕は冷静さを取り戻した。
 彼女も助けに向かいたい気持ちは同じなんだ。だけど、彼女自身の明晰な頭脳がそれを否定する。
 僕はソッと彼女を抱き締めた。自分の不安を隠す為に、彼女の不安を和らげる為に。

「ユーリィ……、どうか無事でいてくれ」

 だけど、その願いは通じなかった。丸一日、闇祓い局でユーリィの無事を祈り続けていた僕の耳に入って来たのは、ユーリィが行方不明になり、アルが大怪我をしたという最悪なニュースだった。
 一体、どうやってホグワーツに侵入したんだ? 一体、スクリムジョールやダンブルドアは何をしていたんだ? 湧きあがる疑問はそれ以上の哀しさと恐怖に埋め尽くされた。
 また、僕は友達を失ってしまうのだろうか……。

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