第三話「クリアウォーター邸」

第三話「クリアウォーター邸」

 玄関に一歩足を踏み入れると、ハリーはまるで道の迷宮に迷い込んでしまったみたいに不安そうな顔をした。その顔を見て、俺はハリーが他人の家に入るのが初めてなんだと気が付いた。他人の家というのは学校やコンビニのような公共の場所とは違う他人の生活領域だ。そこにはそこに住む人だけの空間が広がっている。
 他人の領域に土足で足を踏み入れる事に躊躇いを覚えているハリーの手を取って、中に招き入れた。

「あ、ちょっと……」

 ハリーは慌てたように声を上げた。ずり下がった眼鏡を直しながらおどおどと視線をさりげなく動かしている。
 ジロジロ見ては失礼だという気持ちがあるのだけど、やはり気になってしまうのだろう。しっかりと靴の汚れを落とそうと玄関マットで念入りに土汚れを落とそうとしているハリーに俺は声を掛けた。

「そんなに念入りにしなくても大丈夫だよ。そのマットには魔法が掛かってるんだ。一回、軽く擦ってあげればいいんだよ。それで汚れ一つ無くなるんだ」

 ハリーは感心したようにマットを見た。自宅で見た事のあるような物にも魔法が掛かっている。その事が新鮮なのだろう。
 
「これは何?」

 ハリーが指差したのは時計だった。ハリーが気にするのも仕方が無い。この時計には数字が書いていないのだ。代わりに家、仕事、学校、遊興などの文字が躍っている。そして、針の数も普通の時計よりも一つ多い。それぞれの針には名前が書いてあって、俺の名前が書いてある短い針は今、外出中から家に向かって動いている最中だ。
 家族の現状を簡単に知る事が出来る魔法界で人気のアイテムなのだ。尤も、このアイテムが人気になった理由は嘗ての暗黒の時代に端を発しているのだけど……。
 当時はこの時計には死や致命傷、危機が迫るなどの物騒な文字が多数躍り、針はそれらを行ったり来たりするのが日常だったそうだ。いつ、家族が死ぬかわからない時代。誰もがその時計を恐怖しながら手放すことが出来なかった。朝、その時計を見て僅かな安堵と恐怖を得るか、深い絶望を得るか、そのどちらかだったのだ。
 暗黒の時代は終わった。そう考えた魔法界では死などの文字を取り払った時計が大半となっている。
 ただ、うちの時計には死の文字がある。その理由は隣人にある。アルの父のエドは闇祓局で働く闇祓いだ。嘗て、闇の勢力との戦いの最前線を戦い抜いた経験が【油断大敵】という言葉を彼の脳裏……否、魂に刻み込んだ。
 うちの両親は二人揃って温和な性格だ。誰に対しても優しくて、そんな二人をエドも心から慕ってくれている。だからこそなのだ。慕うからこそ、彼は二人に常に【油断大敵】の言葉を口にする。用心を怠ってはならない、と我が家の防犯設備や防犯呪文にもかなりの労力を裂いてくれているそうだ。魔法界の主要機関程では無いにしろ、我が家を敵意を持って襲撃しようものなら、襲撃者は痛い目どころでは済まないらしい。
 ハリーは我が家の魔法道具に興味津々だった。玄関の中だけでも様々な魔法道具がある。一つ一つを説明する度に目を輝かせるハリーに俺は楽しくなってしまった。
 玄関でもたもたしていたら、居間の方からソーニャがやって来た。ソーニャの顔を見るといつも安心する。もう30台も後半だというのに若々しくて、美人だけど、ソーニャの魅力はやはり彼女の発する優しい空気だ。怖い事があっても、辛い気持ちになっても、ソーニャが傍に居るとそれだけで心が落ち着く。ちなみに、ソーニャの容姿はソーニャを知る人皆に言われるけど俺にソックリだ。髪はふわふわの栗色で、普段はシュシュでゆったりと纏めて肩から前に出している。目の色は藍色で、大粒の瞳には常に優しさが篭められている。そして、その瞳で今は真っ直ぐに俺とハリーを見つめている。

「ああ、やっぱりだわ。帰ってきたら、ちゃんとただいまをしなきゃ駄目よ?」
「ごめんなさい、ママ。ただいま」
「はい、おかえりなさい。それで……、あなたがハリーね?」

 ソーニャの視線がハリーに注がれると、ハリーは緊張した様子で頷いた。ハリーは決して人見知りの激しいタイプじゃない。
 人見知りが激しかったら、まず初対面でハグリッドについて行こうという思考には至らない筈だ。それに初対面でも割と誰とでも気さくに話している。そこが俺との大きな違いだと思う。
 小さく息を吸って、ハリーは「お邪魔しています」と挨拶をした。この礼儀正しさはきっと、ダーズリー夫妻の教育の賜物なのだろう。接し方はキツイけれど、夫妻は少なくともハリーが社会に出て行った後、一人で生きていけるように必要な事を教えている。それは厄介物を追い出したい一心ではとても出来ない事だ。
 そもそも、ハリーを本当にただの厄介物だと思っているなら、ハリーはとうの昔に追い出されている筈だ。なにせ、脅されているのは本で読んだ限りペチュニアだけで、それをダーズリー氏は知らなかったようだ。ダーズリー氏が知らない、という事は夫妻の間でハリーを本気で追い出そうという会話をした事が無いという事だ。そこには歪ではあっても、確かな愛情を垣間見る事が出来た。
 三人で居間に向かうと、途端に美味しそうなご馳走の香りが溢れていた。テーブルにはパーティーのようなご馳走が並べられていて、マチルダが忙しそうに動き回っている。
 ベランダの向こうの庭を見ると、ジェイクとエド、それにアルの三人が机を並べてバーベキューの準備をしているのが見える。
 マチルダは俺とハリーを交互に見ると、ニンマリと笑みを浮かべた。

「ゲストの御到着だわ」

 エプロンを外しながら杖を一振りしてテーブルの上の皿を次々に庭の机に飛ばしていき、マチルダは俺達の方に歩いて来た。 

「おかえりなさい、ユーリィ。それと、あなたがハリーね」

 マチルダはソーニャとは反対に眼差しが鋭いからハリーはすっかり恐縮してしまった。マチルダもソーニャとは別ベクトルに美人だ。情熱的な性格によく映える赤い髪は腰まで伸びていて、ブラウンの鋭い瞳は知性を感じさせる。夫のエドと同じく闇祓いだった彼女は凄むと本気で怖い。
 
「歓迎するわ。今日はあなたの為にみんなでパーティーを開いたのよ。お腹一杯食べてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」

 ソーニャとマチルダは料理に戻り、俺も手伝おうかと思ったけど、ゲストのおもてなしが最重要任務だ、とハリーと一緒に庭に追い出された。後ろから次々に飛んで来る料理の皿を避けながらアル達の下に向かうと、アルはハリーに一言挨拶をしてからムッとした顔で向き直って来た。
どうやら、また俺は彼を怒らせてしまったらしい。

「また、僕に内緒で動いたね」

 そう、アルは言った。必要の部屋を内緒にしていた時のように突き刺すような視線で俺を見つめるアルに対して、俺は言葉を簡単に見つける事が出来ないでいる。
 適当に流す事も軽く言い訳を返す事も出来ない。それが余計に彼を怒らせる事に繋がると分かっていても、黙って時が過ぎるのを待ってしまう。それが一番卑怯で、一番苛々させてしまう行動だと理解していながらそれを選択してしまうのが俺なのだ。

「一言くらい、相談してくれてもいいじゃないか!」

 事情がある。だけど、話せない。俺にしか無い知識で、俺以外に話せない知識を下にしての行動だから、俺以外に説明が出来ない。
 それを言い訳にして自分の行動を正当化しようと必死になっている自分が酷く醜く感じる。
 アルが苛々を募らせているのが分かる。何か言わないといけない。それが分かっているのに、何も言えない。

「そのくらいにしておけよ」

 結局、また誰かに助けてもらった。黙って時間が過ぎるのを待って、相手が折れるか、誰かに仲裁してもらう事で解決を量る。最低な手段をまた取ってしまった。
 見るに見かねたらしいエドはアルの頭に手を置いて、からからと笑いながら仲裁に入ってくれた。

「な、何をするんだ、父さん!」

 アルはエドの手を振り払おうともがいた。けれど、歴戦の闇祓いであるエドの引き締まった肉体はまさに鋼というに相応しく、子供がどんなに暴れてもびくともしない。
 改めて見ると、アルは本当にエドに似ている。二人共、短く切り揃えた金髪を後ろに流していて、緑色の瞳は吸い込まれそうになるほど綺麗だ。
 アルもこのまま成長すれば、エドのように映画俳優も顔負けのハンサムな男になる事だろう。

「はは、まだアルフォンス君もエドには敵わないか」

 ジェイクはからかうように言った。
 ジェイクもよく見ればとてもハンサムな顔をしている。オーランド・ブルーム似でパッと見はとてもイケてる感じがするんだけど、性格的にどうしても三枚目という感じになってしまう。
 まあ、そんなジェイクが大好きなのだけど……。

「あんまりユーリィを虐めるなよ。嫌われちまうぞ?」
「べ、別に虐めてないよ! まったく。行こう、ユーリィ。ハリーもこっちだ! 母さん達のミアとポールを見せてあげるよ」

 エドの言葉にアルは顔を真っ赤にして反論した。怒りの矛先が変わってホッとしてエドを見ると、思わず男の俺でもクラッとしてしまう魅力的なウインクを向けて来た。
 ウインクがこうまで似合う人間も珍しいと思う。俺もいつかはエドのようになりたい。ジェイクには悪いのだけど、俺にとってエドこそが理想の男なのだ。

「任務ご苦労さん。ハリーポッターを招待するなんて上出来だ。俺もマチルダも彼の大ファンなんだ。っと、置いてかれるぞ? 行った行った!」

 ソッとそう言いながら、エドは俺の背中を押した。お礼を言って、アルとハリーを追いかける。いつの間にか二人は庭の隅でころころしている毛玉で遊んでいた。
 毛玉の正体は魔法界で常にトップの人気を誇る愛玩ペットのパフスケインだ。
 世話をするのはすこぶる簡単で、放置してればネズミや虫といった害虫や害獣を勝手に探して食べてくれるから家の掃除にも重宝されている。見た目もまん丸で柔らかい毛に覆われているから凄く可愛い上に人間に対しての忠誠心が厚く、ドッジボールのボール扱いしても懐いて来る。
 ちょっと大きいのがオスのポールでマチルダのペット。小さいほうはミアでソーニャのペットだ。ミアはソーニャが昔家で飼っていたパフスケインの子供でおばあちゃんの家に行けばまだミアの両親が家の庭でころころしている。ポールの方はミアを見て一目で虜になったマチルダが飼い始めた。
 折角なら子供が出来るようにとオスを飼ったらしく、目論見通りにミアとポールは熱々のカップルになった。いっつも寄り添っている仲良しの二匹を見ていると羨ましくなるほどだ。

「可愛いだろ? こいつらパフスケインって言うんだ」

 自慢そうに言うアルにハリーは興味深そうにパフスケインを見つめた。

「うん……。これは可愛いね」

 我が家の……否、魔法界全体のアイドルであるパフスケインの魅力を前にハリーもすっかりノックアウトされてしまったらしい。ポールのふわふわな毛皮を抱えながら頬を緩ませている。

「でも、パフスケイン投げは出来ないんだ。母さん達が凄い怒るからね」
「パフスケイン投げって?」
「こいつらを交互に投げ合う遊びさ」
「キャッチボールみたいなもの?」
「そんな感じかな。そう言えば、昔、アルが木の剣でポールをぶっ飛ばした時のマチルダおばさんは怖かったね……」
「あれはな……」

 三人で他愛無い話をしていると、パーティーの準備が整った。庭に並べられた料理にかぶりつきながら、皆でハリーの来訪を祝福した。
 ミアとポールはハリーを気に入ったらしく、すりすりと彼の足に擦り寄って愛嬌を振り撒いた。試しに餌として肉を与えると、けもくじゃらの中から細い下が伸びて肉を絡め取り、それがおかしかったのか、ハリーは二匹への餌やりに夢中になった。
 エドとマチルダは闇の帝王を滅ぼしたハリーの大ファンだったみたいで、少しでもハリーの皿が減ろうものなら直ぐに山盛りにした。困った顔をしながらも頬が緩んでいたから悪い気はしていないのだろう。
 パーティーが終わると、ハリーは我が家の来客用の部屋に泊まってもらう事になった。元々はおじいちゃんやおばあちゃんが泊まりに来る用の部屋だからソーニャは常に掃除を欠かしていないのでかなり快適に過ごせる筈だ。

 瞬く間に数日が経過した。その間、三人で宿題を終わらせたり、山の中を駆けずり回った。特に山の中で箒の練習をするとハリーは大喜びだった。学校の指定の箒とは全然違う素晴らしい乗り心地に夢中になり、金庫の中の予算と箒の値段を頭の中で何度もすり合わせていた。
 急降下や急上昇、クイックターン。俺もアルも思わず舌を巻くくらいハリーは見事に箒を乗りこなした。試しにクィディッチの練習をやって見ると、どんな方向にクァッフルに見立てたボールを投げても一瞬で追いついてボールを捉えて捕らえる。その姿を見ている内、また罪悪感が込み上げてきた。
 ハリーは天才だ。箒に乗る事に掛けては誰にも負けない才能がある。クィディッチこそ、ハリーの生きる道といっても過言では無いのかもしれない。
 本の中では闇の勢力との度重なる戦いの経験から闇祓いの道を歩んだけれど、クィディッチのプロになる事の方がハリーにとって良い事なのではないだろうか? そう、思わずには居られない。
 箒に実際に乗ったからこそ分かる。地面すれすれまで急降下したり、一瞬で最高速度を叩き出すセンスは箒に乗り始めてから授業の僅かな時間だけで体得出来るレベルじゃない。
 七月の最後にはネビルとハリーの誕生日がある。ちなみに、ハリーの誕生日の二日後は俺の誕生日だ。それぞれの誕生日のプレゼントを用意する為に俺達三人は一日中通販のカタログを見つめていたけれど、俺もアルもハリーへの贈り物は一瞬で決まった。そして、ハリーの誕生日がやって来た。
 ソーニャとマチルダの合作の巨大なケーキや目移りする豪華なディナーの並ぶテーブルの横に並ぶハリーへのプレゼントの数々。その中で一際目立つ大きな箱に俺とアルは見覚えがあった。
 つまり、ハリーの飛行技術に目を付けたのは俺達だけじゃなかったって事だ。両親の居ないハリーにソーニャ達は惜しむ事無く最高のプレゼントを用意した。
 包みを開きながら震えるハリーの瞳に移ったのは滑らかな木の肌だった。
【ニンバス2000】。俺とアルとお揃いの箒だった。信じられないという顔でソーニャやジェイク、マチルダ、エドの三人を見つめるハリーにソーニャが代表して言った。

「あなたの箒に乗るセンスは類稀なものよ。そのセンスを是非磨いて欲しいと思ったの」

 その言葉に続けるようにエドが言った。

「ハリー。君はきっと世界中の誰よりも高く、速く飛べるようになる筈だ。俺は君の歳でこれまで君ほど上手く箒を乗りこなした者を見た事が無い。君が飛ぶ姿は本当に圧巻だった。君のご両親があの光景を見ていたなら、間違いなくコレを君に贈っていた筈だと断言する。だから、どうか受け取って欲しい」
「ホグワーツでクィディッチの選手に立候補してみたらどうかな? きっと、君はエースになれるよ」

 エドとジェイクの畳み掛けるような絶賛の言葉にハリーは箒を手にとって頷いた。

「ぼく……僕、嬉しいです。こんな……、だって……、こんな……」

 ハリーの瞳には涙が溢れていた。生き残った男の子。ただそれだけじゃないと、そう認められたのだと、ハリー自身が分かったのだ。贈られたニンバス2000こそがその証なのだと理解した。
 
「僕だって、負けないよ? 僕もクィディッチの選手になりたいんだ。だから、ライバルだよ?」

 アルの言葉にハリーは慌てたように涙を袖で拭い頷いた。

「うん。僕、なってみせる。負けないよ、アル!」
 
 ニヤリと笑みを浮かべて言うハリーにアルも笑い返した。

 それから俺の誕生日パーティーや山でのクィディッチの練習で瞬く間に日にちが経ち、ロンの家に行く日が来た。既にネビルとハーマイオニーはロンの家に泊まっているらしいとフクロウ便で報せてくれた。
 ロンの家のある隠れ穴へは煙突飛行粉を使う事になり、俺はハリーにやりかたを説明した。咳き込まないコツを特に入念に……。
 暖炉に煙突飛行粉を一掴み投げ入れて炎が緑色になるのを確認すると、出発の間際にエドとマチルダにキスをして、最初にアルが出発した。
 その次はハリーだった。炎が緑色になるとハリーは俺達の家族に振り向いて、深々と頭を下げた。マチルダが力強く抱き締めると、ハリーは真っ赤になりながらも焦らずに目的地を言って出発した。
 最後は俺の番だった。これでお別れなわけじゃない。学校へ出発する日はちゃんとキングス・クロス駅に来てくれる事になっている。だけど、しばらく離れ離れになる。俺は最後にもう一度ソーニャとジェイクに抱き締められ、深く二人の香りを吸った。二人から頬にキスをされて、俺もキスを返し、隠れ穴へ出発するギリギリまで目を閉じずに四人を見つめた。
 やがて視界がグルグルと回転し、気が付くと、俺はロンの家の暖炉に到着した。暖炉を出ると、狭い部屋に所狭しと人が居て、皆一斉にニッコリ笑った。

「いらっしゃい!」

 俺も負けじと笑顔を浮かべた。

「お邪魔します!」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。