第三十三話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に見た魔女の夢

 少女は偉大なる父と美しい母の間に生を受けた。
 あどけなく、愛らしい笑顔を振り撒き、少女は美しく成長した。
 戦乱の時代、雄々しく戦場を駆ける父の背を見つめる少女を男は見つめていた。
 その少女に見惚れたわけではない。
 その少女が誰であるかを知っているが故に目に焼き付けなければならないのだ。
 雄々しき父と美しき母、そして、二人の愛らしい姉達に囲まれて少女は育った。
 己が幸福を僅かばかりも疑わず、少女は父の為、母の為、魔術師の下で魔術を会得した。
 際立った才を持つ彼女は魔術師の下でめきめきと力を付け、見る者を惹き付ける美貌の持ち主へと成長した。だが、彼女の運命は大きく歪む事となる。
 伝承にある様に、彼女の父は殺された。伝説の英雄である騎士王の父、ウーサー・ペンドラゴンの手によって、誰よりも強く、誰よりも気高く、誰よりもブリテンを愛した彼女の父、コーンウォール公ゴルロイスは卑劣な罠に掛けられ殺された。
 ウーサーがゴルロイスの妻であるイグレーンに横恋慕し、彼女をゴルロイスの手から奪い去る為に――――。その姦計に手を貸したのは誰あろう、彼女の魔術の師であった。
 魔法使い・マーリン。謎の多き魔術師はウーサーの恋を成就させる事と引き換えにウーサーにイグレーンの子を寄越すよう願い出た。そして、ウーサーにゴルロイスを殺す策を授けた。
 稀代の魔術師の姦計は見事に功を奏し、ゴルロイスは冷たい骸へと変わり果て、彼の妻であるイグレーンはマーリンの魔術によってウーサーを愛する夫と思い彼に抱かれ子を孕んだ。
 ウーサーは己の欲望を満たし、イグレーンを妻に迎えると彼女の三人の娘に政略結婚を迫った。
 長女のモルゴースは怒りに身を焦がし、次女のエレインは哀しみ暮れ、そして、末の娘であったモルガンは寂しさに凍えた。
 父を奪われ、母を奪われ、二人の姉から引き離され、住んでいた城からも追い出され、全てを失った彼女は寂しさに涙を流した。
 そして、更なる悲報が彼女の耳に入る事となった。
 憎き男との間とは言え、己の初めての下の子となる筈であったイグレーンの産んだ子供をマーリンが連れ去ったと言うのだ。

『悪魔との混血だと? 奴は悪魔そのものではないか!』

 モルガンは嘆き悲しんだ。
 何故、己から大切なモノを奪い去るのか? そう、問わずには居られなかった。それでも、彼女は賢明に生きた。
 夫であるゴアの王ユルエンスに尽くし、民に笑顔を振り撒いた。そして、ウーサーが息絶えたという報せを聞き哄笑した。
 皆から信頼を勝ち得ていたゴルロイスを卑劣な手段によって殺害したウーサーは誰からも見放され、敵であるサクソン人の罠に掛けられ殺されるのを防ごうと動く者は誰一人として居なかった。

『良い気味ではないか。父は己の手によって敵を討たれた!』

 取り繕っていた笑顔は真の輝きを取り戻し、モルガンの笑顔を見た者は誰であれ見惚れずには居られなかった。
 誰であれ、彼女の笑顔を愛さずには居られなかった。
 だが、その笑顔は一つの報せによって凍りついた。
 
――――新たなる王、アーサー。

 その顔を見た瞬間に分かった。アーサーを名乗る小娘が誰あろう己の妹であると一目見て悟った。未だ、己の呪われた出生などまるで知らぬ純粋で誠実な少女は内紛によって乱れた国を救う為、国というあまりにも巨大な重責を背負ってしまった。
 静止の声は彼女には届かなかった。だが、彼女は見た。目論見が上手くいき、悪魔の如き笑みを浮かべる魔術師の存在を――。

『ああ、お前は父を殺し、母を苦しませ、我等姉妹を引き離し、それでも尚飽き足らずに末の妹に修羅の道を歩かせようと言うのか!』

 感情を昂ぶらせるが彼女の声はアーサーには届かなかった。それも致し方ない事。賢明なる騎士に育てられたとはいえ、帝王学など学んだ経験も無い小娘が内紛によって乱れている上に外敵の脅威に常に晒されている国を背負うなど尋常では無い。
 王の剣と魔術師の力によって、彼女が止める間も無く、アーサーは骨の髄まで王となってしまった。気高く、雄々しき、ブリテンの王となったその姿に嘗ての父を幻視し、モルガンは涙を零した。

『ああ、何故お前は王となってしまったのだ……。人としての幸せを何故捨て去った』

 モルガンはアーサーを王座から引き摺り下ろそうと躍起になった。その様は彼女のあまりにも分かり辛い愛情であり、マーリンに対する怒りでもあった。
 悪魔の手から末の妹を取り戻すのだ。そう胸に誓い、彼女は幾度も策を講じてアーサーを王座から引き摺り下ろそうと姦計を巡らせた。

『アーサー王よ、お前は王の座に在るべき者では無い』

 そう、面と向かい吠え立てた事もあった。結局は無駄に終わり、アーサーは王としての在り方を貫いた。
 王として国を治める為に女である事を秘め、己を男と偽り、その為に妻を娶り、ますます人としての幸せから己を遠ざけていく彼女をモルガンは嘆いた。

 一人の男が居た。
 英雄達が闊歩するその時代にありながら、どこまでも凡庸な男だった。ただ、誰よりも純真で、誰よりも優しく、誰よりもモルガンを愛していた。
 当時、夫であるユリエンスは敵として憎んでいた筈のアーサーに傾倒し、円卓の一席にその名を列ね、息子であるユーウェインとも疎遠になり、その上、アーサー王に対する数々の陰謀によって周囲からは畏怖の目で見られ、モルガンは孤独だった。
 そんな彼女の前にその凡庸な男は現れた。

『僕の愛を君に捧げるよ』

 男の名はアコロン。
 たった一人、妖姫と畏れられたモルガンに真実の愛を向けた騎士だった。
 モルガンは喜んだ。
 父を失ってから終ぞ誰からも与えられる事の無くなった親愛の思いを受け、涙を零し喜んだ。
 しかし――――、

『お前の愛を妾は受け入れられぬ』

 モルガンはアコロンの愛を拒んだ。
 己の欲望の為に多くの人を陥れて来た己にはアコロンの向ける真実の愛を受け入れる資格など無いのだと……。

『どうして……、君は陛下をどうして王と認めないんだい?』

 アコロンの問いにモルガンは答えた。

『あの者に王の座は相応しくないからだ』
『……そうか、ならば僕は』

 純朴な男はそれから伝承にある通りの結末を迎えた。
 彼は怪我をした騎士の代理としてとある騎士との一騎打ちに向かった。
 その道すがら、一人の小人が現れた。
 小人の手には鞘に収まった一振りの美しい剣があった。

『お前がこれから挑む戦いの相手を見事打ち負かせてみせよ。さすれば、妾はお前の物となろう』

 小人の伝えた伝言はその発言の主が誰であるかを容易に教えてくれていた。
 小人はアコロンに剣を渡した。
 渡された剣を見たアコロンはこの先に居るであろう騎士が何者であるかを悟った。
 決闘の場に赴く前にアコロンは兜で顔を隠し、剣を腰に差した。
 その先に立っていたのは誰あろう、騎士王アーサー・ペンドラゴンであった。

『その剣は……』

 アーサーはアコロンが抜き放った剣に冷めた視線を向けた。

『盗人風情に負ける訳にはいかぬな』

 アコロンは凡俗な身でありながら懸命に戦った。
 その手に握る王者の剣と腰に提げる魔法の鞘の力を使い互角に戦った。
 だが、どれほど優れた剣を持とうとも、その本来の担い手には遠く力が及ばず、ついにアコロンは敗北した。

『ああ、我が愛しいモルガン。君をまた孤独にしてしまう僕をどうか許してくれ……』

 身に大きな傷を負ったアコロンは四日間生死の境を彷徨い、その命を落とした。
 最後の瞬間まで、モルガンの身を案じながら……。

『アコロン……。ああ、アコロン……』

 モルガンはアコロンの勝利を信じ、己の宮殿で待ち続けていた。
 彼ならば己の思い分かってくれる。
 彼ならばあの子を普通の少女に戻してくれる。
 そう、信じていた。
 しかし、彼女の下に届けられたのは新たなる王の誕生の報せなどでは無く、愛してくれた男の遺骸だった。
 冷たいアコロンの骸に胸が張り裂ける悲しみを抱き、モルガンはいつまでも泣き続けた。
 丁度、息子とも今度こそ完全に決別する事となってしまっていたモルガンの胸に去来したのは絶望だった。
 慄然とした。

『ああ、そうか……。妾はあの子を救いたかったのでは無い。妾はただ……』

 己の陰謀によって、夫の愛と息子の信頼を、そして、何よりも己を愛してくれたアコロンを失った事にモルガンは心を乱した。
 彼を亡くした事でモルガンは本当に己が願っていた望みを思い出した。
 他の誰を、何を失おうとも、決してアコロンだけは失ってはいけなかったのだと気が付いた。

『妾はただ……、愛してくれる人が欲しかっただけだったのに……。アコロン……、すまぬ』

 その光景を最後に衛宮切嗣は目を覚ました。

「今のが……、キャスターの記憶か」

 なんということは無い。
 妖姫・モルガンと畏怖された彼女は所詮、ただの寂しがり屋の女の子だったのだ。
 無条件に己を愛してくれる筈の父と母を奪われ、姉二人とも引き離され、気高い夫や息子からは疎まれ、誰からも愛される事の無かった少女。

「キャスターの願いは……、きっと」

 叶えてやりたい。
 万能の聖杯ならば、きっと出来る筈だ。
 気高く、たった一人の女の為に戦った凡庸な男の一人を甦らせるくらいならば。

 アーチャーを中心に炎が走る。
 地面を走る紅蓮の炎は瞬く間にアーチャーと凛、時臣、綺礼、そして、ホムンクルス達を悉く呑み込んだ。
 赤々と燃え盛る炎は視界を覆い、世闇の深山町を塗り潰したかと思うと、次の瞬間、その異界は忽然と現れた。
 それは、一言でいうならば鍛冶場だった。
 燃え盛る紅蓮の炎と天に浮かび回転する歯車。
 そして、草一本生えていない見果てる荒野には、担い手の無い剣が無数に突き刺さっている。
 大地に連なる刃は全て名剣揃いであり、アーチャーが振るう干将莫邪もある。
 無限とも言える武具の投影。
 廃棄場染みた夥しい程の武器が立ち並ぶその光景は圧巻であり、さっきまで泣きじゃくっていた凛でさえ、泣くのを忘れてポカンとした表情を浮かべている。
 夢の中でこの荒野の光景を見た事があった。
 だが、今目の前に広がる光景とはリアリティが違う。
 無数の剣群の中心に君臨する己の従者を凛は不安気に呼び掛けた。

「凛の魔力では展開していられるのは僅かだろう。だが、十分だ」

 アーチャーは高々と片腕を振り上げた。
 まるで、軍を指揮する指導者の様にアーチャーは周囲の剣群を空中へと浮遊させた。
 その圧倒的なまでの死を前にして、ホムンクルス達の顔に焦りや恐怖といった感情の色は無かった。
 ただ、あるのは目的を遂行しなければ、という使命感だけだ。

「停止解凍――――」

 それはあまりにも一方的な光景だった。
 時間にして僅か数秒。
 それだけの間に凛の目の前には無数の屍が出来上がった。
 一つ一つが現代の魔術師の張れる最高峰の結界を容易く斬り裂く名刀揃いであり、回避に専念しようとも武具の纏う魔力が肉体を蝕み殺す。
 一つの武技を極めた英雄ならばいざ知らず、身体能力と戦闘技術のみの人造生命体ではアーチャーの指揮する死の舞踊を前に為す術も無かった。

 異界の空は現れた時と同じように呆気無く消失した。
 夜天の下、静寂が辺りを支配し、凛ばかりではなく、時臣までもが呼吸を忘れていた。

「固有結界……」

 永い時を魔術の研鑽に当てて来た時臣だったが、魔術の秘奥とも呼ぶべき術者の心象風景を具現化させる大禁呪を目にし、感動と羨望、そして、屈辱を禁じ得なかった。
 固有結界は五つの魔法に最も近いとされる大魔術であり、魔術における到達点の一つとされている。
 非才の身でありながら努力を重ね続けて尚、遠坂の悲願たる第二魔法――――並行世界の運営には遠く及ばなかった己と初代でありながら魔法に匹敵する魔術師にとっての最大級の奥義の使い手となった眼前の紅の男を比べ、様々な感情が去来した。
 だが、その中で一際時臣の心を騒がせた感情はシンプルなものだった。
 
――――欲しい。

 英霊、即ち死者であるアーチャーでは無く、生きているエミヤシロウが欲しくなった。通常、サーヴァントとして召喚される英霊は総じて過去の偉業を為した英傑だ。だが、この男に限っては例外が適用されている。
 未来から召喚された英雄。それも、アーチャーの言によれば今この時もこの世界に彼は存在し、己の娘たる凛と同い年だったというではないか……。
 凛は優秀だ。五大元素を操る才を持ち、破格の魔力を保有している。その凛と固有結界の使い手たるエミヤシロウの血が交われば、どれほどの優秀な魔術師が生まれるだろうか――。

「第二陣が来ないとも限らない。早々に屋敷に戻ろう」
「ああ、そうだな」

 時臣は小さく笑みを浮かべながら頷いた。
 
――――例え、聖杯が穢れていようとも、我が家門の悲願は変わらない。

 時が経つに連れ、アーチャーの語った話の一つ一つが真実であると証明されていく。
 故に時臣は最悪の結末の先を見据え始めていた。
 
――――聖杯が駄目ならば別の手段を模索するのみだ。

 魔女は嗤った。己の同朋が数多く死に、嘆き悲しむ女の隣で己の策が破られたというのに狂おしい程の歓喜に酔っている。
 何がそんなに可笑しいのか? そう問われると、魔女は答えた。

「見つけたのだ。同一では無いが、妾の願いを叶えるのにコレは非常に都合が良い」

 貴女の願いって?
 そう、女が尋ねると、魔女は答えた。

「案ずるな。お前達の悲願を邪魔する類のものではないさ」

 言いながら魔女は不意に笑うのを止めた。

「しかし……、妙じゃな」
「どうしたの?」

 女が問うと、魔女は反対に女に問うた。

「アイリスフィールよ。アサシンの魂は聖杯に還ったか?」

 魔女の――――キャスターの問いにアイリスフィールは困惑した表情を浮かべた。

「いいえ。だって、アサシンはまだ生きているのでしょう?」
「いいや。アサシンは消滅した」

 キャスターの言葉にアイリスフィールは目を見開いた。

「どういう……事?」
「あの状況でアサシンが生きておるとは思えぬが……。あるいは、あの場には間桐の魔術師が居った。何らかの小細工を弄しおったか……。遠坂の陣営に気を取られ過ぎておったな」

 思考に耽るキャスターにアイリスフィールは不安そうな面持ちになり、丁度部屋に戻って来た切嗣は心配そうに声を掛けた。

「どうしたんだい?」

 アイリスフィールが応えるより早く、キャスターは切嗣に問うた。

「調査結果は出たか?」
「ああ、調査に派遣したホムンクルスが戻って来た。確かに、君の言う通り、霊脈の一部に歪みが見られた。もう少し、調査を進める必要がありそうだ」

 眉間に皺を寄せながら言う切嗣にキャスターは肩を竦めた。

「やはりか……。神殿化にあたり、どうにも違和感があったが……。だが、今は置いておこう。調査はホムンクルス達に任せ、今は間桐陣営に対する策が必要だ」
「と言うと、遠坂陣営は」
「いいや、生憎と差し向けたホムンクルスは全滅だ」
「全滅……、百五十を差し向けて尚か?」
「アーチャーの切り札とは相性が悪かったとしか言いようが無いな……」
「アーチャーの切り札……?」
「ああ、アーチャーめ、固有結界なんぞを隠し持っておったわ」
「固有結界……!?」

 切嗣の驚く顔を見てキャスターは可笑しそうに笑った。

「Unlimited Blade Works……、武具の投影もそこから零れ落ちたものなのだろうな。だが、成果はあった」
「成果……?」

 アイリスフィールが尋ねた。

「奴の切り札は強力だが、妾の宝具ならば確実に仕留められると確信が持てた。後は奴らと間桐陣営をどうぶつからせるかだな。あの桜とか言う小娘の様子ならば黙って見ているだけで再び戦端を開きそうではあるが、あの雁夜と言うセイバーのマスターが抑止力となってしまう恐れがある」
「それに、いざ戦端が開かれ、遠坂と間桐が再度ぶつかったとして、間桐陣営にはセイバーとライダーという強力な二体が侍っている。一方的な戦いとなって、間桐が消耗しなければ今度はその矛先がこちらに向けられる」
「ランサーを動かすか……。理想はアーチャーが生き残る事だが、少なくとも生き残るのは一騎であって欲しいところだ」

 キャスターと切嗣の話し合いを聞きながら、アイリスフィールは僅かに違和感を覚えた。
 何と言うか、いつもより二人の距離が短い気がするのだ。
 その原因がどちらにあるかというと、切嗣の方なのだ。
 以前まであったキャスターとの間の壁がいつの間にか無くなっている。
 その事に気が付くと、アイリスフィールはクスリと笑った。

「問題は間桐が何らかの策を弄している可能性がある事だな」

 キャスターが言った。

「アサシンの魂の行方……か」

 切嗣はきな臭いものを感じながら、庭でホムンクルスに相手をしてもらい遊んでいるイリヤを見つめた。

「勝つんだ。相手がどんな策を弄して来ようが……必ず」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。