第七話「裁判」

第七話「裁判」

 恐れていた魔法省への召喚命令が届いた。ヘドウィグに餌をやりながら手紙を読む。一週間後、魔法省の四号法廷で裁判が行われる。裁判は魔法生物規制管理部のエイモス・ディゴリーの立会いの下で行われる。被告はバジリスクと主人である僕。
 この一ヶ月の間、僕はみんなに手伝ってもらって、裁判で有利になる材料を探し続けてきた。だけど、バジリスクに関する資料はあまりにも少なく、そのどれもがバジリスクの危険性を示すものばかり。誰が殺され、誰が石にされ、被害の大きさばかりを強調する内容が殆ど。、それ以外となるとバジリスクの毒の威力や殺し方ばかり。そもそも、この四百年の間、バジリスクは目撃情報すら無い。それ以前の資料となると記述も曖昧で詳しい事が記載されていない。
 お手上げ状態というのが正直なところだった。ハーマイオニーは別の切り口が必要だと言って、僕の隣でずっと調査をしてくれているけど、結果は芳しくない。眉間に皺を寄せている。

「資料が少ないという事はバジリスクの安全性の証明が難しいのと同様に危険性を証明する事も難しいという事よ。少しでも切り口があれば、そこから有利なほうに裁判をひっくり返せる筈」

 ハーマイオニーが調べているのはバジリスクそのものではなく、バジリスクの創造主達。彼らが何を意図して生み出したのかを調べる事で切り口を見つけられないかと考えているみたい。
 ハーマイオニーは本当に心強い。他の誰よりも親身になってくれて、他の誰よりも聡明で、頼りになる。きっと、彼女が居ればエグレを助けられる。僕は何としてもエグレを助けたい。確かに、スリザリンの怪物という過去があったかもしれない。それでも、エグレは僕の友達だ。ホグワーツ特急の時だって、僕が呼んだからエグレは来てくれただけなんだ。日記のヴォルデモートを倒せたのだって、エグレが居たからだ。そのエグレを殺させたりしない。絶対に。
 残された一週間、僕もハーマイオニーの言う切り口を探るために執心した。授業以外の時間は寝る間も惜しんで図書館に通い詰め、秘密の部屋にも足を向けた。前回、行った時は気づかなかったけど、秘密の部屋にはスリザリンの巨像がある部屋の奥に蛇語に反応する扉があって、その向こうには闇の魔術についての資料が整然とならぶ書庫があった。一つ一つが恐ろしい闇の秘術についての内容が盛り沢山で、その中にはバジリスクについての研究資料もあった。著者の名前はサラザール・スリザリン。
 希望と共に開いた研究資料の中にあったのは絶望だった。そこにはそれまでに調べた資料とは比べ物にならないバジリスクの悪行についての情報が淡々と記されていた。
 特に目を引いたのはリビアの事件。現在のリビア周辺の砂漠地帯を根城としていたバジリスクは巣の周辺の生き物を全て石にしてしまい、その為に砂漠が出来たと言う。あまりにも規模の大きな、そして、あまりにも恐ろしい事件。僕は頭を振り被り、資料を捲り続けた。
 九世紀半ば、ローマの礼拝堂にバジリスクが侵入し、多くの修道士や修道女が死亡したらしい。その当時の写真まである。あまりにも惨たらしい写真に吐き気がした。
 
「くそっ……」

 何の役にも立たない。資料を床に投げ捨てて、秘密の部屋を後にする。
 調べても調べても出て来るのは不利な証拠ばかり。万が一の事を考え、恐怖に震え、雲泥たる思いで、僕はその日を迎えた。

「ハリー。まずは落ち着くことが大切よ」

 ハーマイオニーはドッサリとした資料入りのバッグを手に隣を歩いている。

「大丈夫。やるべき事はやったわ。後は裁判官に言うべき事を言えるかどうかに掛かってるの」

 一字一句聞き逃さないように僕は彼女の言葉に耳を傾けた。今の僕にとって、何より頼りになるのは彼女の言葉だ。

「大丈夫よ、ハリー。あなたは一人じゃないわ。私も一緒よ。きっと、エグレを救う事が出来る」

 その言葉はとても心強く僕の心に響いた。彼女と一緒なら、きっと勝てる。そんな気がする。

「ありがとう、ハーマイオニー」

 緊張が少し解れたと思った矢先、僕はあまり会いたくない人物に出会ってしまった。
 ユーリィだ。

「ハリー」

 無論、僕だって分かってる。ユーリィが協力的じゃないのは、彼がバジリスクを怖がっているからだ。その理由は去年の事件にある。ユーリィは日記のヴォルデモートが憑依したロンに拷問された。その恐怖は容易には消えないだろう。その上、バジリスクに石にされてしまい、二年生の大半をベッドの上で昏睡状態で過ごした。
 逆の立場なら、僕も協力的な立場を取るのが難しいだろうと思う。でも、どうしても彼に協力して欲しかった。優しくて聡明な彼ならハーマイオニーと同じくらい頼りになる筈。彼が強力してくれたら、きっと今以上の状態で裁判に望めたと思う。それが口惜しくて堪らない。それに、エグレが微妙な立場に陥った原因はユーリィにもある。だから、少しは誠意を見せてくれても、と思わずにはいられない。
 本当は仲直りをしたい。でも、煮え切らない感情がそれを許してくれない。

「……その、頑張ってね」

 本当に些細な事が原因だったらしい。僕の心に引っかかっていた棘はアッサリと取れてしまった。
 
「……うん」

 僕は別にユーリィに全面的に協力して欲しいと願ってたわけじゃなかったらしい。自分の事なのに分かってなかった。僕は少しでいいから、応援して欲しかったんだ。
 たぶん、僕は贅沢になってしまったんだと思う。ハグリッドが嵐の夜に扉を破壊して迎えに来てくれたあの夜から僕はたくさんの友達を手に入れた。マルフォイみたいに僕を嫌う人間も居るけど、コンパートメントで出会ったロンを始め、ハーマイオニー、ユーリィ、アル、ネビルといった掛け替えの無い友を得た。
 決して裏切らず、決して裏切られない友を得て、いつの間にか彼らが僕の考えに常に賛同の意思を示してくれる人形みたいに思っていたみたい。恥ずべき考え。

「ごめんね。僕、感じ悪かったよね」
「俺こそ、協力出来なくて、ごめんね」

 少しして、僕らははにかむように笑顔になった。決定的な溝が出来る前に謝れて良かった。僕は友達を失いたくない。そう、友達を失いたくないんだ。
 僕がエグレを思う気持ちは同じなんだ。エグレも僕にとって大切な友達なんだ。友達を死なせたくない。
 
「エグレは僕の友達なんだ」

 僕は自分の考えをはっきりと口にした。

「僕は友達を助けに行ってくる」

 ユーリィの瞳が一瞬揺れたように感じた。それから少しして、彼は小さく頷いた。

「頑張って、ハリー」
「うん」

 さっきよりも力強く頷いた。不安や恐れが軽くなった。重みは消えないけど、もう震えたりはしない
 裁判なんて、マグルの世界でも経験した事が無い。それでも勝つんだ。僕はフルパウダーを使い魔法省に向かう為にマクゴナガルの書斎へと足を踏み入れた。

 僕は暖炉から一歩出て、魔法省に足を踏み入れた。直ぐ後にマクゴナガルとハーマイオニーがエメラルドグリーの火を抜けて続く。巨大な噴水が魔法省の威光を示し、心がざわつく。これから挑むのはこの巨大な権威なんだ。
 
「さあ、此方ですよ」

 マクゴナガルも聊か緊張した面持ちだ。後に続きながら、僕は気になった事を尋ねた。

「先生は僕がエグレを救おうとしている事をどう思ってるんですか?」

 マクゴナガルは困ったような表情で溜息を零した。

「危険な生き物を愛玩する物好きを貴方以外にも知っている者の身としては――――」

 一泊置いて、マクゴイナガルは再び溜息を零した。

「もう慣れっこです。まあ、バジリスクを生徒達の学び舎である校内にうろつかせるのは本意ではありませんがね」
「じゃあ、先生は反対なんですか?」

 不安が声を震わせる。
 マクゴナガルは急に立ち止まると、スッと目を細めた。

「友達を救いたいという貴方の思いを尊重した上で言いましょう。私はバジリスクを救う事には反対しておりません」
「先生――――」
「ですが」

 マクゴナガルは一転して厳しい表情を浮かべた。

「校内に置き続ける事には反対です。如何にあのものが貴方に忠誠を誓おうとも、貴方以外は違うのです。それを理解なさい。貴方だけが特別なのです」
「でも、エグレは人を――――」
「食べていない。それだけでは、裁判には勝てませんよ? 貴方は客観的に物事を見る能力に欠けています。他者が何を思うかをよく考える事です。主観でのみ語る者の意見が通じる程、世の中というのは甘く無いのですよ」

 主観のみ。再び歩き出すマクゴナガルの後を追いながら、その言葉を何度も自分の中で繰り返した。
 僕がエグレを救いたいのはエグレが友達だから。
 じゃあ、他の人はエグレをどう思っているんだろう。そんなの分かりきってる。ユーリィを見れば分かる。ハーマイオニーやマクゴナガルの言葉を聞けば分かる。みんな、エグレを怖がってる。
 なら、エグレは人間をどう思っているんだろう。一番大事な事を僕は聞き忘れていた事に気付いた。エグレは人を食べない。そこから先を聞くべきだった。
 後悔の波に襲われながら、僕はエレベーターに乗り込み、地下4階の魔法生物規制管理部に辿り着いた。

「やあ、君がハリー・ポッターか」

 そこに居たのは中年の男だった。どこか見覚えのある風貌。

「私はエイモス・ティゴリーだ。今日はよろしく頼むよ。もっとも、裁判官と被告という立場なのは非常に残念だが……。しかし、結果がどうあれ恨まんでくれ。今回は対象が対象なのでね……」

 歯切れ悪く言うエイモスの顔が誰に似ているのか分かった。ハッフルパフのクィディッチチームでシーカーをつとめるセドリック・ティゴリーに顔がとてもよく似ている。
 セドリックはハンサムで運動神経が抜群なだけじゃない。とても知的な男だ。
 きっと、この裁判は一筋縄ではいかない。緊張でじっとりと嫌な汗が流れる。エイモスの先導で僕らは四号法廷へと入って行った。
 四号法廷はあまり大きい部屋では無かった。裁判官のエイモスを除くと、僕ら以外に二人魔法使いが立ち会うだけみたい。
 一人には見覚えがあった。名前は覚えてないけど、去年、ホグワーツの警護に来た闇祓いだ。どうして、ここに居るんだろう。

「先に紹介しておこう。彼はドーリッシュ。去年、君達も会った事があるかもしれん。闇祓いの一員であり、去年の事件について知っている事を踏まえ、この場に立ち会って貰う事になった。そして、彼だ」

 白髪混じりの男はやはり去年見た闇祓いだった。
 そして、エイモスはもう一人の男を指で示した。

「彼は私の部下のマイケルだ。彼が検察官役だ。さて、では裁判を始めるとしようか」

 エイモスの軽い感じが鼻についた。まるで、エグレの命が軽々しく扱われているみたいで苛々する。
 
「冷静になりなさい、ハリー」

 僕の直ぐ近くにハーマイオニーは居た。この場で最大の味方はハーマイオニーだ。僕自身以上に僕の事やエグレの事を分かっているのは彼女の方だろう。
 彼女を信じる事がこの裁判に勝つ最善策に違いない。

「ありがとう、ハーマイオニー。君が居てくれて良かった」
「……お礼を言うのは裁判が終わってからよ」
「ああ、絶対にエグレを助ける」

 新たに気を引き締め、僕は心を落ち着かせた。

「では、始めますかな」

 口を開いたのはマイケルだった。彼は長い羊皮紙に視線を沿わせながらボソボソとした口調で話し始めた。

「えっと、今回の裁判はバジリスクのホグワーツ特急襲撃に関するものであり……」
「違います!!」

 マイケルが罪状を読み上げるのを遮り、僕は言った。

「エグレはホグワーツ特急を襲撃したんじゃない。僕が召喚したんです」
「召喚? しかし、バジリスクを召喚する呪文は……」
「サーペン・ソーティアです」

 僕の言葉の何がおかしかったのだろう。マイケルはおろか、エイモスやドーリッシュまでが笑っている。

「いやいや、君、その呪文はただ近場の蛇を呼び出すだけの呪文だよ。バジリスクなどという規格外の怪物を呼び出せるような強力な呪文ではない」
「出来たんです!! なんだったら、今すぐ証明してみせます!!」

 僕がポケットから杖を取り出すと、エイモスは慌てた様子で押しとどめた。

「待ちたまえ。仮に君の証言が真実だとしても、ここで証明してもらうわけにはいかんのだ」
「どうしてですか!?」
「君、ここは魔法省なのだよ? そんな場所でバジリスクが出現するなど、それこそあってはならない事態だよ」
「でも、僕は実際にバジリスクを召喚したんです!!」
「では、それを仮に信じたとして、君はどうしてバジリスクを呼んだのかね?」

 エイモスは僕の主張をまるで子供が駄々を捏ねているようにしか見ていない事がありありと伝わって来た。
 それでも退くわけにはいかない。

「死喰い人です!!」

 エイモスはハッとした表情を浮かべ、マイケルやドーリッシュに顔を向けた。
 変だ。どうして、驚いているんだ。死喰い人に襲撃を受けた事はもう先生方から魔法省に通達されている筈だ。
 咄嗟にマクゴナガルに頭を向けると、マクゴナガルは気まずそうな表情を浮かべていた。

「せ、先生?」
「魔法省に通達はしたのです。ですが……」
「子供の証言……だからですね」

 ハーマイオニーの言葉を僕は聞き間違いだと思った。子供の証言だから。まさか、そんなくだらない理由で魔法省はホグワーツ襲撃事件を無かった事にしたというのか。エグレの事は裁判まで起こして殺そうとしている癖に。
 沸々と得体の知れない感情が芽吹くのを感じながら、僕は必死に死喰い人が現れた事を説明した。だけど、どんなに熱心に説いても闇祓いであるドーリッシュまでが鼻で笑う始末だった。
 ……どうして、ドーリッシュまで驚いているんだろう。変だ。闇祓いはユーリィの証言を子供の言葉であるにも関わらず直ぐに信用し、分霊箱の捜索を行い、ユーリィの家にマッドアイという警護までつけた。なのに、どうして、ホグワーツ特急襲撃事件を信じないのだろう。
 何かがおかしい。それが分かっていながら、何がおかしいのかわからないまま、僕は必死にエグレの無実を訴えた。
 だけど、どんなに言葉を重ねても、ある一言によって全てが切り捨てられた。

【子供の言う事だから】
 
 いい方こそ変えられたり、オブラートに包まれたりしたけど、そんなふざけた言葉でこの一ヶ月の間必死に集めたエグレの無実を勝ち取るための資料がゴミとなった。
 どんな証言も暖簾に腕押しで意味が無い。僕の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じる。
 なんだ、これは? どんな証言も子供の戯言扱い。これではまるで……まるで、ああ……そうか……。

「最初から……」
「どうしたのかね?」

 エイモスは相変わらず人の良さそうな顔で僕を見つめている。
 その姿は子供が並べ立てる不平不満をただ黙って聞いてくれる優しいお父さんのようで、それで、分かってしまった。
 これは裁判なんかじゃない。

「バジリスクを救う気なんて無かったんだ……」

 小さく呟きながら僕は膝を折った。
 これは僕を慰めるための場なんだ。
 ハーマイオニーやマクゴナガルも分かっていたに違いない。ホグワーツ特急襲撃事件を揉み消した魔法省に対して、子供の証言だから、と直ぐに納得して見せたハーマイオニーもその事を知っていたマクゴナガルもこの裁判で僕がどんなに意見を言おうが同じように切り捨てられるだろう事を知っていたに違いない。
 彼女達だけじゃない。
 ロンもアルもネビルも分かってたんだ。だけど、熱心じゃないのは分かってた。それでもありがたかった。エグレを救う為に協力してくれる彼らの存在がありがたかった。
 だけど、違ったんだ。みんな、エグレを救おうなんて考えてなかったんだ。みんな、ただ、僕を救おうとしていただけなんだ。
  
「……ハリー。君に対して非常に申し訳なく思う。だが、分かってくれ。バジリスクという存在はホグワーツだけではない。魔法界全体にとっての脅威なのだよ」

 その一言が全てだ。
 ただ、僕がハリー・ポッターだから、特別だから、闇の帝王を滅ぼしたから、皆は僕に希望を見せてくれたんだ。
 だけど、こんな結果が待ちうけているなら、そんなのただの絶望の前座に過ぎない。

「さあ、色々と手続きがあるから来たまえ」

 そう言って、ドーリッシュが近寄って来た。
 僕にはもう抵抗する気力すら無かった。掬い取った砂が指の間から零れていくみたいに希望が僕の手をすり抜けていく。
 無気力のまま、歩き続けていると、エレベーターに乗らされた。ハーマイオニーやマクゴナガルはエイモスに呼び止められていたから、エレベーターの個室には二人きりだった。
 エレベーターは静かに地下九階へと降り立った。

「えっと……、ここは?」

 そこはあまりにも不気味な場所だった。一本の暗い廊下が続き、その先には扉があった。
 扉を潜ると、円形の全てが黒に染まった奇妙な部屋に出た。取っ手の無い十二の扉があり、扉には脳や死、時、惑星などという文字が刻まれている。

「こっちだ」

 ドーリッシュは乱暴に僕の手を引っ張った。抵抗しようと顔を上げるとギョッとした。エグレの事が気になって気付かなかった。ドーリッシュはまるで熱病に浮かされたように虚ろな表情を浮かべている。
 表情とは打って変わり、腕を引っ張る力は尋常では無く、僕は予言と刻まれた部屋へと連れ込まれた。
 そこにあったのは丸くてぼんやりと白く輝く水晶玉が並ぶ不気味な部屋だった。

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