最終話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に変化し、そして終幕する第四次聖杯戦争

 暗黒に閉ざされた時代があった。覇王無き後、ブリテンは混乱の極みにあった。諸侯達は我こそが王者であると主張し、相争った。その一方で、分裂し、急激に力を失っていくブリテンの地を我が物にせんと、諸外国の異民族達が今が好機とばかりに狙っていた。
 人々は導き手たる王を求め、一人の少女が剣を取った。騎士の誉れと礼節、勇者の勇気と誠実さを併せ持つ清廉なる王はその手に握る輝きの剣によって、乱世の闇を祓い照らした。
 十の歳月をして不屈。
 十二の会戦を経て尚不敗。
 その勲は無双にして、その誉れは時を越えて尚不朽。紅蓮の荒野に立つ騎士が掲げる剣こそ、彼の王が戦場にて掲げし旗印にして、『栄光』という、過去から現在、そして、未来を通じて戦場に散っていく、全ての兵達の今際の際に抱く哀しくも尊きユメ。

「あれは……」

 苛烈にして清浄なるかの剣の赫奕に瞼を見開き、言葉を失った。
 切嗣だけでは無い。紅蓮の荒野へ誘われた者達は皆、その視線を騎士の持つ剣に向けている。

「約束された勝利の剣――――エクスカリバー……」

 切嗣の腕の中でいつしか意識を目を覚ましたキャスターが光り輝くその刀身に様々な思いを過らせ、零すようにその名を口にした。その剣の銘はエクスカリバー。その名を知らぬ者は居ない、彼の王の振るいし聖剣。
 あたかも、松明を三十本集めた程の明るさを放ち、その輝きは乱世の闇を祓い、人々の心を奮い立たせ、敵の眼を射た。あまねく兵達、あらゆる守護を切り裂き、王に勝利を齎し続けた栄光の剣。彼の王の最後の刻に王が忠臣に託し、王に聖剣を贈った湖の貴婦人に返還したとされる至高の聖剣が、今、時空の壁を越え、現世に顕現した。
 祖は人々の願いの結晶。

【こうであって欲しい】

 という想念を星が紡ぎ、星が鍛えた神造兵装。聖剣というカテゴリーの頂点に君臨する王者の剣を前に、あらゆる苦悩、あらゆる慟哭、あらゆる思念は無に還り、ただ、その奇跡に魅せられる。

「エクスカリバー……!?」

 驚く声は誰のものか、その剣こそ、本来、切嗣が召喚を狙っていた騎士の王が振るいし聖剣なのだ。

「星の鍛えし、神造兵装。そんなものまで創り出せるとはな……」

 しかし、とキャスターは表情を曇らせた。

「あれでは駄目だ……」

 キャスターは沈み込んだ声色で言った。

「キャスター……?」

 光り輝く剣に魅せられ、茫然と立ち尽くしていたアイリスフィールはキャスターの言葉に我に返り、眉を顰めた。
 切嗣、アイリスフィール、イリヤスフィールの三人の視線を受け、キャスターは言った。

「あれはアーチャーの創り出した贋作だ。だが、その出来栄えは限りなく真に迫っている。あれならば、聖杯を一撃の下に消し飛ばす事も可能だろう」

 聖杯を消す。
 キャスターのその言葉に切嗣は視線を黒い穴に向けた。穴からはまるで涙を零すかのように黒い汚泥が流れ続けている。
 汚泥は大地を腐食し、世界を穢している。

「あれが……僕達の求めた聖杯なのか……」

 生涯を通じ、求め続けた理想があった。幾度も挑み、幾度も膝を屈し、尚も諦める事が出来ず、最後は奇跡に祈った。
 世界を救いたい。争いの無い世界が欲しい。そんな人の身に余る奇跡を願い、求めた聖杯は……穢れていた。その可能性はキャスターの口から既に聞かされていた。だが、キャスターならばそれを御せると信じた。

「聖杯はやはり穢れていた。それが性質通りに起動してしまった……。ああなっては、もはや妾ですら制御は出来ぬ」

 その言葉に切嗣は一言「そうか……」と呟くのみだった。
 キャスターは胸に湧き上がる感情を堪え、言った。

「だが、破壊するにはアーチャーだけでは不可能だ」
「どういう事?」

 アイリスフィールの問いにキャスターは答えた。

「単純な話だ。今のアーチャーではあの剣を扱い切れぬという事だ。ある程度、担い手として振るえるだろうが、あれほどの手傷を負ってはな……。恐らく、既に現界すらギリギリの状態だろう」
「もし、このままアーチャーがあの剣を振るえばどうなる?」

 切嗣は瞼を固く閉じながら問うた。

「アーチャーは間違いなく消滅する。その瞬間にこの固有結界も消え去るだろう。後は聖杯の残骸が残り、冬木の地に災厄が降り注ぐだろう。妾では残骸と言えど消し飛ばす程の力は無い上、聖杯が呪いの残滓となっては、サーヴァントたる妾はその時点で現界を維持出来なくなり、消滅するだろう」

 それは即ち、人の身ではどうする事も出来ない災厄が冬木を襲うという事だ。

「それじゃあ……、僕達は何の為に戦っていたんだ……?」

 切嗣の零した言葉にアイリスフィールが声を掛けようとするが、それを遮り、キャスターが言った。

「アーチャーだけでは不可能だ。だが、妾は見ての通り、まともに動く事もままならぬ」

 キャスターはそう言いながら切嗣の手をそっと握った。

「だから、妾に命じてくれぬか? この冬木を救え……と」

 キャスターは既に死に体だ。
 心臓を刺し貫かれ、未だに現界を維持していられる事が不思議なくらいだ。
 それでも尚、令呪によって無理に力を使わせようものならば、どれほどの苦痛が彼女を襲うだろう。

「キャスター……」

 その切嗣の迷いをキャスターは敏感に察知し、仕方ない奴め、と微笑んだ。

「切嗣」

 キャスターは切嗣の手を両手で握り締め、瞳を覗き込むようにしながら言った。

「すまなかったのう」
「……え?」
「お主達の尊き願いを……妾は叶える事が出来なかった」
「それは――――」

 君のせいじゃない。
 そう、切嗣が言おうとするのをキャスターは首を振って制した。

「妾はアコロンの死に誓った。あやつの命を散らせた愚かなる妾を決して恨まず、最期まで妾の事を思ってくれたあやつに誓ったのだ。必ず、アルトリアに人としての幸せを捧げて見せる……と。そして、その願いは叶えられた。お主達のおかげじゃ……。だから、せめて守らせて欲しい」
「……モルガン」
「妾にお主達の未来を守らせてほしい。妾の……これが最後の我儘だ」

 切嗣は慈愛に満ちた表情で微笑むキャスターから顔を逸らそうとした。その切嗣の肩をアイリスフィールがそっと支えた。
 切嗣は愛する妻を見た。アイリスフィールは涙を零しながら小さく頷いた。

「キャスター……」

 イリヤスフィールは両親の様子に尋常では無い空気を敏感に感じ取り、怯えた表情を浮かべた。
 そんなイリヤスフィールの頭にキャスターは手を乗せ、優しく撫でた。

「イリヤスフィールよ。母と父と共に幸せに生きろ。友を作り、愛する人に寄り添い、子を育め」

 それはモルガンという少女が望んだ夢だった。
 気高き父を持ち、美しい母を持ち、賢き姉を持ち、穏やかな姉を持ち、愛しい妹を持ち、愛してくれる人を持ち、その全てを失った少女の願い。
 イリヤスフィールはキャスターの言葉の裏に秘められた願いこそ知らないが、それでも、キャスターの声に篭められた感情に突き動かされるように大きく頷いた。
 安堵の息を吐き、キャスターは切嗣を見つめた。

「頼む、切嗣」

 切嗣はキャスターの手を取り、歯を食い縛りながら言った。

「君は最高のサーヴァントだった。僕の妻と娘を救ってくれた。僕は……」

 切嗣は万感の思いを篭め、キャスターに言った。

「ありがとう」

 その言葉にキャスターは目を見開き、心底可笑しそうに笑った。

「変わったな……」
「君のせいだ……」

 切嗣の言葉にキャスターは笑った。
 切嗣も笑い、アイリスフィール涙を拭いながら笑い、イリヤも戸惑いながら笑みを零した。

「さあ、頼む」

 キャスターの言葉に切嗣は己の手に残された最後の令呪を見た。
 残り一画の令呪を掲げ、最後にもう一度、キャスターを見つめた。

「令呪をもって、我がサーヴァントに希う。僕達の未来を切り開いてくれ」
「ああ、承った。我が、主よ」

 その瞬間、キャスターの総身に潤沢な魔力が宿った。

「では、いってくる」
「……ああ」

 キャスターは振り返る事無く、荒野の主の下へと向かった。
 騎士の掲げる黄金の輝きへと歩むその姿は妹を救う為、願いと引き換えに守護者となった嘗ての彼女の姿が重なった。
 奇跡を願う代償に彼女はその身を世界に捧げた。
 誰よりも幸福を願った少女は最後に愛する人の幸せを願った。
 その在り様はどこまでも尊く、されど、どこまでも哀しかった。

「モルガン!!」

 叫ぶ切嗣にキャスターは振り向かずに言った。

「お主達と過ごした日々、実に楽しかったぞ。ではな……」

「投影完了――――トレース・オフ」

 投影は刹那に完了した。
 輝く刀身は嘗て憧れた騎士の剣。

「黄金の……剣?」

 凛はアーチャーの手に握られる剣に息を呑んだ。
 あまりにも美しく、あまりにも尊いその在り様を前に悲しみも憤りも湧かず、ただ魅せられる。
 その剣を実際に見た事は無い。
 たが、識っている。
 ラインを通じて視たアーチャーの過去の夢の中で一人の騎士が振るいし聖なる剣。

「約束された勝利の剣――――エクスカリバー……」

 凛は茫然とその剣の名を呟く。
 令呪によって齎された莫大な魔力が光に変わり、アーチャーはその輝きを刀身に束ねようとするが、光は外に逃れようと暴れ、二つの令呪によるブーストによって辛うじて維持していた現界が再び解れ始める。

「ダメージを受け過ぎたか……」

 舌を打ちながらもアーチャーは意識を研ぎ澄ませ、光を少しずつ刀身に束ねていく。されど、聖杯を破壊するには遥かに及ばない。焦りが精神を乱し、僅かに剣に満ちた僅かな輝きが散る。
 その刹那、不意に背を誰かに押された。瞬間、あれほどまでに荒れ狂っていた魔力が静かに刀身に束ねられていく。瞬く間に十分な量の魔力が刀身に集められた。

「キャスター……」
「妾に出来るのはここまでだ……。後は任せるぞ、アーチャー」

 その言葉を最期にキャスターのサーヴァントはその身を光に変え、姿を消した。霊核を破壊されながら、令呪によって無理に力を行使したキャスターは全ての力を使い果たし、その役目を終えた。
 この瞬間、アーチャーを除く全てのサーヴァントが消滅し、聖杯――――黒い穴は一気に拡大した。完全なる起動状態となった聖杯を破壊するべく、アーチャーはその手に握る奇跡の真名を唱えた。

「約束された勝利の剣――――エクスカリバー!!」

 光が奔る。光へと変換された純粋な魔力が圧縮され、加速され、触れる物を例外なく切断する果て無き威力の斬撃となり、呪いの塊と化した聖杯を呑み込んだ。
 光は吠え、それは文字通りの光の線を描き、アーチャーの固有結界を切り裂き、コンサートホールの屋根を切り裂き、その果てにある天を裂いた。
 静まり返るコンサートホール。紅の騎士はその役目を終え、静かに己が主に顔を向けた。大きく穴の開いたホールの天井から降り注ぐ月明かりに照らされた赤い外套は所々が裂け、鎧も罅割れ砕けている。存在は気迫で、騎士の体は足元から既に消え始めている。

「アーチャー……」

 涙を零しながら、凛はアーチャーの破けた外套に手を伸ばした。アーチャーはその手を握り、凛の体を抱きしめた。
 互いに言葉は無い。この肝心な時に何の言葉も思いつかない。何よりも大切な時に機転の利かない己を恨めしく思いながら、凛はアーチャーの体に力の限り強く抱きついた。

「君を泣かせてばかりいるな、私は」

 アーチャーはため息交じりに呟いた。

「アーチャー」

 凛は大きく息を吸った。
 深い悲しみも、暗い絶望も今だけは忘れる。
 常に己の傍に居てくれた騎士にせめて己が返せるものは最期に満面の笑顔を見せる事だけだった。

「私……大丈夫だよ」
「凛……」
「私、頑張るから……。どんなに辛い事があったって、絶対に挫けたりしない。頑張って、生きていく。だから、だからさ……アーチャー」
「――――ああ」

 お互いに笑顔を見せ合う。
 互いに未練を多く残しながらも最期の言葉を紡いだ。

「さようなら、アーチャー」
「ああ、さようならだ、凛」

 風が吹いた。
 別れの言葉と共に騎士はその傷ついた体を休ませ、少女は空になった手をしばらくの間抱き続けた。

「アーチャー……」
「……アーチャーのマスター」

 背後から声を掛けられ、凛はどこか諦めたように振り向いた。この場所に居るのは己の他には敵対したキャスターの陣営の魔術師とその仲間だけ……。
 いいや、もう一人居た。綺礼の姿はどこにもない。どこに行ったのだろう? 聖杯の崩壊に巻き込まれたのだろうか? そんな風に思考を巡らせていると、キャスターのマスターと思しき魔術師は言った。

「君はこれからどうするんだ?」

 キャスターのマスターの問いに凛は直ぐには応えられなかった。
 答える必要性も感じられなかった。
 無言を貫く凛の答えをキャスターのマスターは辛抱強く待った。

「……生きるわ」

 それが凛の答えだった。

「それがアーチャーとの約束だもの」

 凛の言葉にキャスターのマスターは「そうか……」とだけ呟くと去って行った。
 何をしに来たのだろう?
 首を傾げながら、凛は立ち上がった。
 ゆっくりと歩き続けて、外に出た。

 夜風が頬を撫で、凛は辺りを見回した。
 そこにはいつも通りの日常が広がっている。
 誰も苦しんだりしていない。
 何も燃えたりしていない。

「ちゃんと、守れたよ……アーチャー」

 凛は歩き続けた。通り過ぎる大人達の幾人かが夜更けに保護者同伴ではない凛の事を訝しげに横目で見遣っていくが、凛はそれらを意識の外に弾き出し、重い足取りでもう誰も待っていない屋敷へ歩き続けた。
 違和感に気が付いたのは冬木と新都を隔てる未遠川に掛かる橋を渡り切った時だった。
 あまりにも静か過ぎたのだ。人の気配が無いどころではない。鳥一羽、野良犬一匹姿を見せないのだ。
 今の時刻は夜の十時を回ったばかりだ。この時間ならばまだ車も多い筈なのに、橋を渡り始めてから一度もすれ違っていない。
 何かがおかしい。そう感じた瞬間、寒気がした。

『よもや、桜があのような決断を下すとは思わなんだ。聊か、煽り過ぎたかのう』

 カカと哂う声に凛は怯えた表情を浮かべ、周囲に視線を走らせた。
 声の主の姿は無い。
 だと言うのに、声は尚も響き続ける。

『お主には感謝しておる。雁夜の馬鹿者が刻印虫を無駄に浪費しおったが、それを補ってあまりある潤沢な魔力が手に入った。お主の家の家宝の魔力がな』

 その言葉を聞いて漸く、この声の主が何者なのかを凛は理解した。

「お前が……間桐臓硯」

 凛の言葉に声の主はしゃがれた笑い声をあげた。

『これは嬉しいのう。よもや、儂の名を知ってくれていようとは』
「出て来なさい!!」

 凛は叫んだ。
 胸の内で荒れ狂うのは怒りなどという生易しいものではない。それはまさに憎悪だった。
 妹を失ったのも、母を失ったのも、全ての元凶はこの声の主――――間桐臓硯に他ならない。今すぐにでも手足を引き千切り、その苦悶の声を聴きながら脳髄を引き摺り出して殺してやりたい。そんな凶暴な思考が脳裏を埋め尽くす。

『そう猛るでない。今宵は戦いに来たわけではない』
「あんたに無くてもこっちにはあるのよ!! 殺してやる。殺してやる!!」

 凛の怒声に声の主はカカと哂った。

『元気な娘じゃな。これはますます先が楽しみじゃ』
「どこに居るの!? 出て来なさい!!」

 魔術刻印を起動させながら叫ぶ凛に声の主は言った。

『言ったじゃろう。今宵は戦いに来たのではないと。今宵はのう……』

 その瞬間、突然足首に鋭い痛みが走った。何事かと目を向けると、そこに怖気の走る光景があった。
 己の足首を一匹の芋虫が食べているのだ。痛みは最初の一瞬だけで、今はそこに何かが存在する感触すらない。芋虫はまるで溶け込むかのように凛の足首から凛の体内へと侵入した。
 途端、体内の異物を感知した魔術刻印が廃物を排除しようとするが、それが完了するより早く、凛の体はグラリと揺れ、凛は地面に倒れ伏した。言葉を発しようにも全身が痺れ、声すら出せなくなっていた。

「今宵はのう……」

 その凛の瞳に一人の老人の姿が映った。

「遠坂に礼をしに参ったのじゃよ。何せ、嘗ての同士であり、盟約を結んだ仲だからのう。頭首が死に、遺されたのは齢十にも満たぬ童子。このままでは遠坂の尊き血が潰えてしまうやもしれぬ。それは大いなる損失じゃ。故にのう……ここは、儂が一つ救いの手を差し伸べてやろうと思ったのだ」

 老人の言葉はもはや殆ど凛の頭には入って来なかった。
 意識が薄れていく。
 最後に聞いたのは老人の穏やかな声だった。

「まあ、如何に善意と言えど、口やかましく言う者も居よう。故に一つ、お主に新たなる名を授けようと思う。これからよろしく頼むぞ、遠坂凛……いいや、間桐桜よ」

 老人の言葉を脳裏の片隅で聞きながら凛は気を失った。

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