第零話『魔法学校の卒業試験』

 地獄。そこは地獄だった。まるで、龍に襲われているのかと思うような光景。紅蓮の大蛇はとぐろを巻くように蠢き、家々を焼き、人々を喰らい、闇夜を真昼の如く照らしている。微かに聞こえていた遠くの悲鳴ももはや聞こえない。
 紅蓮の業火に焼かれた村の外れに一人の少年は居た。燃えるような紅い髪に赤銅色の瞳を持つ幼い少年。彼は涙を流しながら叫んでいる。倒れ伏した金色の長い髪の女性を背にし、懸命に目の前に浮かぶ頭から外套を纏う不思議な青年に手を伸ばし、懇願している。幾度と無く憧れて、ずっとずっと会いたいと思っていた。

『待って……。待ってよ、父さん!』

 少年の声は嗚咽混じりで、ほとんど聞き取れないくらい弱々しい。身の丈に合わない、大き過ぎる木の杖を握り締めながら、遠ざかって行く青年を追い掛けている。どれだけ必死に走っても、青年は少年からどんどん離れて行く。少年は叫ぶ様に青年に向かって言った。

『お父さん。僕、強くなるよ! 大切な人を護れる様に、誰も悲しむ必要なんか無いように!』

 涙を両目から溢れさせ、少年は青年から手渡された杖を放り出し、力の限り叫ぶ。それは誓いの言葉。少年と青年だけの大切な誓い。

『立派な魔法使いになる! だから……、だからきっと!』

 顔を皺くちゃにして、炎に焼かれた街が、降頻る雪によって鎮火されていく中で、少年は叫ぶ。遠くの夜空に溶けていくよう去って行く青年に届くように、声も、思いも、全てを乗せて――。

『きっとまた……、会えるよね』

 少年の叫びは焼け落ちた山奥の小さな村に虚しく響き渡った。そして、少年の視界が真っ白に煌いた。

「父さん!」

 少年は叫びながら目が覚ました。彼はベッドの上で横になっていた。彼の寝ているベッドのすぐ隣には一人の少女が呆れた表情を浮かべている。彼女は彼のおでこをコツンとつつく。

「父さん! じゃないわよ、この馬鹿ネギ。早く起きなさいよね!」

 馬鹿ネギと呼ばれた少年はムクッと起き上がり、寝惚けた顔で周りを見回した。視線はベッドの脇に立っているプンスカと怒っている少女の前でピタリと止まった。ネギの髪よりも尚深い、赤い髪をツインテールにしている不思議なマントを肩から纏った、どこかおしゃまな感じの印象を受ける少女。

「もう! 今日は大切な日だって、忘れてんじゃないでしょうね? ったく、昨日も深夜まで魔導書の創作手引きなんて眉唾な馬鹿本読んでるからよ!」

 少女のキンキンと起きたばかりで覚醒していない頭には少しキツイ声に呻きながら、ネギと呼ばれた少年はベッドの傍らにある小机の上に“魔導書の創作手引き”とフランス語で題字に記されている本が開いたままになっている事に気が付いた。

「でも、古来より高名な魔法使いは自分の手で専用の“|魔法書《グリモワール》”を作り上げたっていうじゃないか」

 ネギが反論すると、少女は馬鹿にしたような表情を浮かべて、ネギの頭を小突く。

「だ・か・ら、そんなの近代魔法使いの私達の領分じゃないでしょ! 第一、歴史上のグリモワールの作成者にしたって、ソロモンとか、エノクとか、もう人外レベルの偉大な魔法使いだけじゃない。幾ら|千の呪文の男《サウザンドマスター》の息子でも、そんなにホイホイ作れる物じゃないわよ」
「アーニャ。言っておくけど、エノクは魔法使いじゃなくて聖人だよ? 人の始祖たるアダム・カドマンとその伴侶イヴとの間に生まれた三男セトの六代目の子孫。どっちかって言うと、教会側だからね?」

 幼馴染の少女、アーニャの間違った知識をネギが懇切丁寧に親切心から正してあげると、アーニャはニッコリと微笑んだ。まるで花の妖精のように可憐で愛らしい笑み。彼女は右手をとても自然な動作で振り上げて、ネギの顔面にめりこませた。

「ネギのくせにうるさい!」

 幼げな容姿に似合わない強さで幼馴染を殴り飛ばしたアーニャは、床に倒れ込むネギに怒鳴りながら、肩で大きく息を吐くと壁に掛かっている時計に目を向けた。

「もう! 馬鹿ネギが余計な事言うから、もうこんな時間じゃない! ほら、さっさと行くわよ!」

 アーニャはヨロヨロと起き上がるネギに怒鳴りつけた。ネギは理不尽なアーニャの言葉に唇を尖らせた。

「僕の……せい? どっちかって言うと、アーニャのせぃふにゃ!?」
「だ・か・ら、時間が無いからさっさとしなさい!」

 恨みがましい眼でアーニャを見ながら文句を言うネギに、アーニャは得意のアッパーをお見舞いし、素晴らしく爽やかな笑みを浮べながら怒鳴るという高等テクニックを見せた。
 ベッドに寄りかかりながら涙目になっているネギは暴力反対、と愚痴りながら起き上がり、自室の箪笥に向かった。すると、部屋を出ようとしていたアーニャが呆れた様に言った。

「全く、今日は何の日か、忘れたんじゃないでしょうね?」
「覚えてるよ! 今日は、魔法学校の卒業試験だ!」
「その通り! さっさと着替えて、早く行くわよ! 嫌よ? 朝食食べ損なうなんて!」
「分かってるから、朝から僕にそのテンションの高さを強要しないでよ……」

 ネギはウンザリした顔で部屋の外の廊下で待っているアーニャに訴えると、ネギの住んでいる学生寮を管理するメルディアナ魔法学校の指定制服をタンスから出してベッドに置く。着ていた寝間着を脱いだ丁度その瞬間、ネギの愚痴にプチンときてしまったアーニャが怒鳴り込んで来た。

「なんだとコラッ! ……あら?」
「え?」

 アーニャの視線の先には、透き通る様に白い肌。彼女と同じ血の様に真っ赤な髪を首のあたりでゴムで縛り、あどけない、少女の様な顔立ちをした少年のあられもない姿。

「キャアアアアアア!!!」
「キャアアアァァ……ァァア? って、キャアアア!? 違うでしょ!? 逆じゃない!? 何で、アンタの裸を女の私が見て悲鳴上げられるのよ!? シチュエーションおかしくない!?」
「いいから出てってよ!」
「ご、ごめんなさい! ……って、だから逆でしょ!?」

 納得いかないまま部屋から出て行くアーニャを見送ると、ネギは涙目になりながら服を着替えた。
 メルディアナの制服はヴァリエーションが豊富だけど、共通している特徴がある。目に見えるものではなく、制服の生地にこそ、その秘密がある。緊急用の防犯魔法や最低レベルの魔法防御など、様々な魔法の術式が刻まれている。
 制服に着替え終えると、ネギは魔法使いの正装である自分の肩から足元までと大きなマントを羽織った。時々、大き過ぎて脚に引っ掛けて転ぶ生徒も居るが、古き善き魔法使いスタイルで、頭にはマントに合わせた色のトンガリ帽子を被る。ネギの制服は全体的に桃色で、ネギの従姉弟の女性の趣味によるもの。ちなみにアーニャは燃える様な赤。
 ネギの準備が終わると、二人は寮から少し離れたメルディアナ自慢の大食堂に向かう。ウェールズのクライスト・チャーチ大聖堂を模して建てられたという大食堂は素晴らしく広い。既に大勢の生徒達が席に着いては注文をしている。ネギとアーニャも席に座ると、何も無いテーブルに向かって叫んだ。

「僕は、シェパーズ・パイにローストビーフとヨークシャー・ブティング!」
「じゃあ、私はコーニッシュ・ペスティーと、カスタード・タルト、後……、そうそう! 紅茶をお願いね。ネギも飲むでしょ?」
「あ、注文忘れてた、僕も紅茶をお願い! 朝はアールグレイがいいな。苺ジャムをしいてね!」

 二人がテーブルに注文を唱えると、次の瞬間には注文した料理が出現した。香ばしい食欲を誘う香りに、朝だと言うのにネギもアーニャも一つ残らず平らげた。ネギはシュークリームの皮の様にふんわりかろやかな口当たりのヨークシャー・ブティングを、ローストビーフを包んで食べながら目線を動かす。目線の先には未だに納得のいっていない顔でカスタード・タルトを口に運ぶアーニャ。ショートケーキを注文して、クリームたっぷりの苺をプレゼントしようとしたけど、いらないわよ、の一言でプイッと顔を背けられてしまった。
 折角仲直りしようとしているのに、とネギが不満に思っていると、背後から優しい声が聞こえてきた。

「あらあら、朝からレディーを怒らせては駄目よ? 今日は卒業試験ね、ネギ」

 フワりと咲く桜の様に美しくも可愛らしい印象を覚える微笑を浮べる、どんなにお金を出して買った花束も見劣りする様な美しい女性が立っていた。

「ネカネお姉ちゃん!」

 ネギはパァと、笑顔を浮かべ、女性をネカネと呼んだ。

「二人共、調子はどうかしら?」

 ネカネが笑顔のまま聞くと、ネギはニッと笑顔を浮べて応えた。

「任せて、準備に抜かりは無し! 朝食もバッチリ食べたから、魔力も体力も満タンだよ!」

 ネギの頼もしい言葉に、隣に座るアーニャはチラリとネギを見てニヤァと意地悪そうに笑みを浮かべた。

「へぇ、言うじゃない。自信満々ですか、そうですか。まだまだガキンチョの癖に一人前にねぇ」

 どこか棘の在るアーニャの物言いに、ネギは未だ根に持ってるんだ。しつこいなぁ、とぼやくと、アーニャは眼を猛獣の様に光らせて、ネギの頭を掴んだ。

「あぁ、やっぱり子供の世話って大変だわぁ」

 拳を握って、頭を押さえ込むようにグリグリと拳を回すアーニャ。ネギは猫の様な悲鳴を上げて、アーニャから離れようともがく。じゃれている二人を見ながらネカネはクスクスと笑った。

「あらあら、朝から仲がいいのね」

 アーニャは鼻を鳴らしてネギを開放し、思案する表情で言った。

「でも、どんな試験内容なのかしら、当日まで内容を明かさないとか……、あの糞爺ぃ……」
「あんまり、人のお爺ちゃんを糞爺ぃって言わないで欲しいな……。でも、今日の試験は僕の夢、“|立派な魔法使い《マギステル・マギ》”になる為の第一関門なんだ!」

 ネギが決意に燃えた眼で宣言すると、アーニャはニヤニヤとからかうように笑う。

「マギステル・マギはただ頭が良くて、力が強いだけじゃ勤まんないのよ? それ、分かってるの?」
「勿論、傷ついた人を癒し、悪しき魔法使いと戦い、災害から人々を護り、次代へ繋げる橋となる! 僕は絶対になるんだ! マギステル・マギに!」

 ネギの宣言に、アーニャは目を細めて、少しだけ、カッコ良くなっちゃって、と心の中で呟いた。

「あらあら、お口にソースがついてるわよ?」
「ありがとうお姉ちゃん」

 感心した途端にネカネに口を拭いて貰うネギを見て、ガクッとなった。ネギの制服の袖を掴むと、やっぱ、アンタに『立派な魔法使い』は無理! と怒鳴った。
 二人が騒いでいると、試験開始五分前の鐘が鳴り響いた。

「大変、試験に遅れちゃう――っ!」

 ネカネに別れを告げると、二人は急いで試験会場である、フェニックスの間に向かった。既に並んでいた学友の列に参加すると、しばらくして再び鐘が鳴り、生徒達の前の壇上に、ネギの祖父であり、ここメルディアナ魔法学校の学園長でもあるコーネリウス・スプリングフィールドが現れる。コーネリウスはコホンと咳払いをすると、静粛に、とよく響く低い声で言った。

「2002年度卒業生諸君! 諸君等は本校メルディアナ魔法学校の全課程を修了した。これから、外の世界で活躍していく事になるじゃろう。じゃが、外の世界は学校の中とは違う。君達はまだ若い。じゃから、厳しい世界に羽ばたけるか否か、最後の試練が与えられる。今年度、卒業試験の内容は、“二人ペアによる、モンスター退治”じゃ」

 その言葉に、フェニックスの間に集った生徒達の間でざわめきが起きた。モンスター退治、それは、魔法使いにとっては避けては通れない試練。魔法使いになってからの仕事には、|旧世界《ムンドゥス・ウェトゥス》、即ち、この地球で発生した、一般人には倒せない魔物の退治もある。
 とは言っても、魔法学校の教育課程で、実際にモンスターを見た事はあっても、退治した事は無い。ネギとアーニャも他の周りの生徒達と同様に目を丸くしてうろたえている。

「詳しくは……ほれ!」

 コーネリウスが大きな杖を振るうと、生徒達一人一人の頭上にどこからともなく巻紙が降ってきた。

「詳しくはそのプリントに書いてある。しっかりと目を通しておくんじゃぞ」

 以上じゃ、とコーネリウスは壇上から下がった。その後、最低限の諸注意を他の教師が伝え、ネギとアーニャは顔を青褪めさせて廊下に出た。

「あらあら、どうしたの二人共? 顔色が悪いわよ?」

 ネカネが心配そうに聞くと、黙ってアーニャがプリントを手渡した。フラァっと、ネカネは倒れそうになるのを、咄嗟にネギが支えた。

「とにかく、足を引っ張るんじゃないわよ!」

 何とか気を取り直したアーニャが言うと、ネギはハッとなり、決意を篭めた目でアーニャに顔を向けた。

「任せて、僕が必ずアーニャを護るから!」

 ネギの言葉に、アーニャは顔を赤らめてプイッと顔を逸らした。チラリと横目でネギを見ると、その脚はフルフルと震えていた。
 締まらないネギに苦笑しながらアーニャは肩から息を吐いて言った。

「とにかく、頑張るわよ?」
「勿論!」

 二人の姿を優しく見守るネカネの胸に、プリントに書かれていた“魔法使い1000人を食べた”という文字に不安が過ぎった。

「本当に気をつけてね?」

 心配になり言うと、ネギとアーニャは元気良く応え、メルディアナの裏手の演習フィールドへの門に向かって走り出した。本当は、ネギは自慢のアンティークコレクションを持って行こうと思ったのだが、杖以外の持込は不可と言われてしまった。
 仕方なく、杖だけを持って門の前に立つと、二人は顔を引き締めた。

「行くわよ、ネギ」
「う、うん」
「二人共、気をつけてね……」

 演習フィールドの森の中に入っていく二人の後姿を、ネカネは心配そうに見つめた。フィールドに脚を踏む入れたネギとアーニャは遠くから蝙蝠の羽ばたきや、梟の鳴き声が聞こえ、段々と心細くなった。

「だ、大体! 何で私がネギなんかとペアを組まなきゃいけないのよ! チビでボケで頭でっかちで子供でそれで……もう、とにかく頼りないんだから!」
「そ、そこまで言わなくても……」
「また情けない声出す……。もう、男だったら言い返してみせなさいよ! 大体、私がついてなきゃ何にも出来ないんだニャ!?」

 突然、近くの茂みが揺れ、ガサガサと音を立てたのに驚き、アーニャは思わずネギに抱きついてしまった。

「な、何引っ付いてんのよ……」

 当然の様にネギのせいにするアーニャ。ネギの白い眼差しを無視して更に先を進んで行く。クスクスと笑うネギに、怒りたいけど恥しいと言う変な感情に挟まれ、アーニャは顔を背ける事しか出来なかった。

「それにしても、いつも先生達が一緒だったからそう思わなかったけど、演習フィールドって広いんだね」

 ネギが言うと、アーニャは照れ隠しに小さく咳払いをすると頷く。

「そうね、モンスターが居るってのも納得だわ。まぁ、種類とか数とかは学校が把握してるでしょうけどね……」

 アーニャの言葉が終わる前に、ネギが悲鳴を上げた。

「な、何?」
「あ、あ、あ、あ、あ、ああああああれ――ッ!」

 壊れたラジカセの様に声を震わせながらネギは足元を指差した。アーニャは恐る恐るネギの指差す先を見ると、口をポカント開け、眼を点にして顔を青褪めさせた。

「これって、足跡よね?」
「……うん」
「……3mはあるわね」
「うん……」
「てことは、本体はもっと大きいわよね」
「うん……あれ? 何か後から聞こえて……」

 アーニャの言葉に答えながら、ネギは後から聞こえる、まるで獣の唸り声の様なものに顔を向けると、眼を見開いて絶望した。ネギの真っ白な顔に驚き、ネギの視線の先に顔を向けると、アーニャはヒクヒクと顔を引き攣らせた。視線の先に居たのは、10m以上はありそうな巨大な岩石のモンスター。モンスターはネギとアーニャを見下ろしている。
 咄嗟にネギがアーニャを抱いて横に跳ぶ。直後にさっきまで二人の居た場所にモンスターの巨大な拳が叩きつけられ、大きなクレーターを作りだした。アーニャはすぐに気を取り直して立ち上がると、ネギを起しながら言った。

「相手は殺る気まんまんみたいね。行くわよ、ネギ! 私等の獲物はコイツで決まり!」

 颯爽と言い放ち、アーニャは自分専用の魔法の杖をモンスターに向けた。

「フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス。炎の精霊15人! サギタ・マギカ、連弾・炎の15矢!」

 アーニャの得意とする炎の属性の魔法の矢が杖から飛び出してモンスターに襲い掛かった。サギタ・マギカは魔法学校で習う初歩の攻撃魔法だが、その攻撃力は侮っていいものではない。
 魔法の矢がモンスターに直撃し、炎が爆発した。確かな手応えを感じたアーニャは勝利を確信して拳を握った。

「やった!」

 勝利の余韻に浸っていると、突然、ネギが焦った様子でアーニャの手首を掴んだ。

「アーニャ!」

 ネギは杖に跨り、アーニャを抱えながらモンスターから距離を離した。ネギの突然の行動に動揺すると、アーニャは煙が晴れ、モンスターが無傷なのを視認した。全ての矢が命中していた筈なのに、モンスターが健在である事にアーニャは信じられない思いで息を呑んだ。

「相手は岩のモンスターだよ、火の魔法は力を与えるだけだよ」

 ネギの言葉にハッとアーニャは息を呑む。。

「あ、五行思想。……忘れてた」

 五行思想とは、中国に於ける自然哲学の思想であり、万物は木・火・土・金・水の五種類の要素から成るという。この五種類の要素は、それぞれに干渉し合う関係がある。木は燃えて火と成り、火は燃え果て灰を生じて土に還り、土は大器に耐え金を生じ、金はその肌に水を凝結させ、水は再び木々を育てる。
 岩石。つまり土の属性のモンスターに対して、火の属性の魔法の矢は力を与えてしまう関係にある。アーニャは自分の失態に舌打ちすると、思考を巡らせた。

「ネギ、風の魔法でいくわよ!」

 即座に判断を下し、アーニャはネギに向かって叫んだ。土に勝てるのは木の属性。と言っても、アーニャもネギも木の属性の魔法は使えない。アーニャとネギが使える魔法の中で土の属性のモンスターに有効な魔法は風の属性だ。
 大地が水を吸収するように、水が炎を鎮めるように、炎が風を捻じ曲げるように、風は大地を風化させる。ネギも頷くと、飛行によってかなり後方に離したモンスターに向きを変えた。

「フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス!」
「ラス・テル マ・スキル マギステル!」

 二人の始動キーを唱える声が重なり合う。二人は歌う様に呪文を唱えた。

「風の精霊17人、集い来たりて敵を切り裂け! サギタ・マギカ、連弾・風の17矢!」
「風の精霊17人、集い来たりて敵を切り裂け! サギタ・マギカ、連弾・風の17矢!」

 二人の杖の先から、二人の姿を模った様な矢が飛び出した。魔法の矢がモンスターの体を削る様に抉る。モンスターは痛みに悶えるかのように唸り声を上げた。
 チャンスとアーニャはネギに声を掛けて杖を振上げた。

「畳み掛けるわよ、ネギ! フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス!」
「うん、ラス・テル マ・スキル マギステル!」
「光の精霊17柱、サギタ・マギカ、連弾・光の17矢!」
「光の精霊17柱、サギタ・マギカ、連弾・光の17矢!」

 17足す17。合計34発の光の矢がモンスターに直撃。光の奔流に目が眩みそうになる。アーニャとネギは同時に拳を握った。勝利の確信。光の属性はほぼ全ての属性に有効なダメージを与える事が出来る。たかだか大きいだけの岩石など容易く打ち砕く事が出来る……筈だった。
 大地が揺れる。ハッとしてモンスターの立つ方に頭を向けると、凄まじい唸り声を上げながら、所々が抉れ、ボロボロな体のモンスターがネギに向かい手を伸ばした。

「危ない、ネギ!!」

 いち早く気が付いたアーニャは、突然の事に驚き対応が遅れたネギを突き飛ばした。手負いの獣程恐ろしい存在は無い。ネギに逃げろと叫ぼうとして、アーニャはモンスターの拳によって吹飛ばされてしまった。

「きゃあああああああぁぁ!」
「ア、 アーニャ! そんな、魔法が効いてないのか!?」

 アーニャの悲鳴に、倒れ伏したネギは凍り付いてしまった。勝利を確信したからこそ、倒し切れていなかった事に失望を禁じえなかった。
 その刹那にアーニャがモンスターに捕われてしまった。

「助けて、ネギ!」

 アーニャの悲鳴に我に返ったネギは己の愚かさを叱咤した。両手で頬を叩き、顔を引き締めると、ネギはキッとモンスターを睨んだ。兎にも角にも、まずはアーニャを助け出さなければいけない。

「今助ける! ラス・テル マ・スキル マギステル、サギタ・マギカ、連弾・光の29矢!」

 さっきよりも多くの光の魔弾をモンスターに放った。モンスターはわずかに動きを止めたが、決定的なダメージを与える事が出来なかった。
 モンスターに捕まったままのアーニャが悲鳴を上げた。見れば、モンスターが眼前に魔力を収束している。アーニャは絶叫した。

「避けなさい、ネギ――! 収束魔法よ!」

 大気中に存在するマナを己の魔力で力任せに収束させ、モンスターは破壊の力としてネギに向けて集めた魔力を解き放った。ネギは戦慄しながらも一瞬で判断を下し、急いで呪文を紡いだ。ネギの周りに風が鎧の様に取り巻いたが、モンスターの収束魔法は易々と風の護りを突破する。ネギは遥か後方に森の木々を巻き込んで薙ぎ倒しながら吹飛ばされた。
 ネギが吹飛ばされるのを見て、アーニャは涙を溢れさせながら絶叫した。もういいと、自分の事は放って逃げろと、アーニャは叫んだ。アーニャは、自分の為に傷つく少年の姿をこれ以上見ていられなかった。
 しかし、アーニャの悲痛な叫びによって、ネギは覚悟を決めた。杖を立て、しがみ付きながら、ネギは震える足で立ち上がった。口からは血を流している。さっきの収束魔法の衝撃と、地面に何度もバスケットボールをドリブルする様に叩きつけられたせいで、全身の骨や筋肉が悲鳴を上げている。恐らくは何本かの骨は折れ、どこかの筋が切れているのだろう。
 嘔吐感に任せて吐き出すと、血の塊が地面に広がった。内臓にもダメージを受けたらしい。眩暈がする。それでも歯を噛み締めて、目の前のモンスターを睨みつける。
 杖を固く握り締め、今朝見た夢を思い出す。夢は昔の記憶だった。生きていると信じ続けていたヒーローの姿を思い浮かべて、心に炎を灯らせる。千の魔法を使い、最強の名を冠する世界最強の大英雄たる魔法使い“ナギ・スプリングフィールド”――。ネギの手に握られている大きな杖は彼の所有物だった。ネギの住んでいた村が無数の悪魔によって焼け落とされた日にネギを救ったサウザンドマスターがネギに譲った物だ。

「そうだ……、そうだよ」

 決意の炎が心の中で燃え上がる。あの時、自分には何も出来なかった。それが嫌で、自分を救ってくれた父に憧れて――。

「あの日、あの人から貰った杖に誓ったんだ。僕も追いつくって、あの人の様になるって、なら――」
「ネギ――!」

 アーニャの叫び声を尻目にネギはモンスターに向かって杖を構えた。アーニャはハッとした。ネギの杖の先に集中する魔力の膨大さに息を呑んだ。

「――――――――の精」

 呪文の詠唱が終わると同時に、杖の周りに雷霆と突風が取り巻き、超局地的な嵐を作り出した。異変に気が付いたモンスターがアーニャを遠くに投げ捨ててネギに向かって拳を振るった。
 迅雷を纏う巨大な竜巻が杖の先からモンスターに向かって伸びていく。これこそが、今のネギが使いこなせる最強の魔法――。

「雷の暴風――!」

 周囲の空間ごと捻じ切る様に竜巻はモンスターの上半身を吹飛ばし、上空に伸び、雲を消し飛ばした。

「アーニャ!」

 ネギは慌てて杖に跨り、全速力でアーニャが飛ばされた方角へ飛んだ。アーニャは勢い良く地面に向かって落ちていた。間一髪、地面スレスレの場所でネギはアーニャを受け止めた。

「ウギ!?」

 全身から我慢出来ないほどの痛みが走る。骨や内臓がいかれている上に落下する人間を受け止めたからだ。ネギはそのまま意識を失ってしまった。倒れ込むネギを慌てて抱き抱える様にして支えながら、アーニャは投げ飛ばされた衝撃で痛む体に鞭を打ちながら、ネギの杖を操作してゆっくりと地上に降り立った。荒く息を吐きながら、アーニャは気を失っているネギの顔を覗き込んで愛おしそうに目を細めた。

「ありがと、かっこ良かったわよ、ネギ」

 ネギが完全に気を失っているのを確認して、アーニャは漸く素直になれた。自分の為に命を懸けて戦ってくれた、最高のヒーローに向けての、彼女に出来る最上級の賛辞だった。
 周囲に誰も居ないのを確認して、アーニャはその頬にソッと口付けをした。

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