第四話『吸血鬼の夜』

 夜天の空に、徐々に星が煌き始めた頃、宴会は終了した。片付け自体は、テーブルを片付ける係と、大皿を運んで洗う係、それに紙皿や紙コップを纏めて捨てる係に別れて、見事な連携であっと言う間に終了した。
 それぞれ、各々の部屋に戻って行き、ネギと木乃香、明日菜の三人も自分達の部屋に戻って行った。
 部屋の前でクラスメイト達に別れを告げ、部屋の中に入いり、電気を点けて扉を閉めた途端に部屋は真っ暗闇になってしまった。

「え、停電!?」

 明日菜は戸惑いながら電気のスイッチをカチカチと何度も押すが、電気が一向に点かなかった。

「も~~、何でいきなり停電なのよ~~!?」
「お、落ち着いてください明日菜さん!」

 喚く明日菜を宥め様としていると、ネギはすぐ傍にドアの取っ手がある事に気がついた。

「とりあえず、管理人さんに聞きに行きましょう――えッ?」

 ネギが扉を開くと、突然電気が復旧した。

「へ……? 点いた――ッ! もう、どなってんだか~、ねえこの……か?」

 呆然としながら明日菜は、傍らに居るはずの木乃香に話掛けようとしたが、木乃香の姿は無かった。

「あれ、木乃香!?」
「え? 明日菜さん、木乃香さんがどうかしたんですか!?」

 扉を開けた状態で固まっていたネギは、明日菜の叫びに振り向くと、木乃香の姿が何処にも無かった。

「ネギ、木乃香、部屋を出た?」
「いいえ、私は扉のすぐ傍に居ましたけど、扉が開けばさすがに判ります」
「そう、よね……? もう、木乃香~~! どこにいるの!? 出て来てよ~~!!」

 明日菜は寝室や洗面所を見ながら木乃香を呼んだが、どこにも木乃香の姿は無かった。

「どういう事? 何で、木乃香いないの!?」

 明日菜は焦燥に駆られ、目の色を変えて探し始めた。

「どこなのよ木乃香!」

 どれだけ探しても部屋の中には木乃香の姿は無かった。

「もしかしたら見落としてたのかも。私、外を見てきます!」
「お願い!」

 ネギは部屋を飛び出すと、絶句した。
 部屋の外には、ネギがさっきお別れを言ったばかりのクラスメイト達が倒れていた。

「和美さん、裕奈! 夏美さん! 風香さん! 史伽さん! どうして!?」

 倒れている少女達を見回して、ネギは体の震えが止まらなくなった。行方不明になった木乃香、倒れているクラスメイト達、どう考えてもおかしい。
 ネギの叫びを聞きつけた明日菜が飛び出して来た。

「どうしたの、ネ――ッ!?」

 出て来た明日菜は思わず絶句したがすぐ目の前の部屋の前で倒れている隣の部屋の裕奈の胸が上下している事に気がついた。咄嗟に、裕奈に駆け寄って様子を確かめると、明日菜は目を見開いた。

「眠ってる……?」
「え……?」

 明日菜の呆然とした呟きに、ネギは驚いて裕奈に駆け寄った。

「本当だ!」

 即座に、ネギは他の倒れているクラスメイト達の安否を確認した。全員がただ眠っているだけなのだと分かった。
 眠っている少女達から、僅かに魔力を感じた。心を落ち着けると、この廊下――否、この学生寮を覆っている結界を知覚した。
 結界には幾つかの種類がある。護る為であったり、隠す為であったり。そして、この学生寮を覆っているのは結界内に居る”全て”の人間を眠らせるという物だった。
 だが、どうして、自分や明日菜が眠っていないのか、それを考えると、部屋を閉めた瞬間に停電になったのは、それが起動キーだったのではないか、とネギは考えた。それが意味する事にも気がついてしまった。
 木乃香も明日菜も一般人の筈であり、狙われるとすればそれは自分だ。その事に気がつくと、ネギは部屋の中に飛び込んだ。

「え、ネギ!?」

 直ぐにネギは転入初日に背中に担いでいた大き過ぎる程の大きさの不思議な形の木製の杖を背負って駆け出した。その手には、余程慌てていたのか、歓迎会の時に一端会場の隅に置き、再び部屋に持って来ていたUFOキャッチャーのぬいぐるみの入った紙袋を持ったままだった。中身は、明日菜とネギが欲しい人に配っていたので、ネギが見つめていたオコジョの人形だけだった。
 明日菜の静止の声も聞かずにネギは一階に降りて外に向かった。明日菜はネギの尋常でない顔付きに、何かあると悟った。
 一瞬、クラスメイト達をどうするか迷ったが、自分一人では全員を部屋に運ぶのに時間が掛かり過ぎてしまう。明日菜は両手を合わせて「ごめん!」と謝ると、ネギを追い掛けた。ネギを追い掛けた先に、木乃香が居る気がしたのだ。
 エレベーターも機能を停止していて、ネギは仕方なく階段を使って一階に降りた。一階のフロアでも、知らない上級生や下級生、同級生の少女達が何人か眠っている。彼女達を見る度に、ネギは泣きそうになって顔を歪めた。
 突然、入口のカウンターから白い物体が飛び出して来た。

「ふえ!?」

 ネギは慌てて立ち止まると、白い物体をキャッチした。
 それはカモだった。

「カモ君!?」
「チッス姉貴! お待たせしやした!」

 カモはネギに両手で胴体を抱えられた状態で片腕を振った。すると、カモは頭の上に冷たい雫が落ちてくるのを感じた。

「あね……き?」

 カモがネギの顔を見上げると、ネギは泣いていた。

「どこ……行ってたの?」

 震えた声に、カモは顔を伏せながら言った。

「……どうやら、手遅れだったみたいッスけど、エヴァンジェリンについて調べてやした」
「エヴァンジェリンさん?」
「そうッス。600万ドルの賞金首、不死の魔法使いと恐れられた、この学園の学園長すら凌ぐ実力者ッス」
「え……?」

 ネギには、カモの言った言葉が理解出来なかった。麻帆良学園最強の男、近衛近右衛門よりも強い。それが、どれだけ異常な事だか分かっているのだろうか? ネギは、自分の耳を疑った。

「じゃあ、脅されてたの? この学園の魔法使い達がエヴァンジェリンさんを放っておいたのは、脅されてたからなの?」

 ネギが震えながら聞くと、カモは首を振った。

「姉貴、時間が無いから手短にお話しやすぜ? 厳密に言えば、答えはノーでさ」
「でも……」

 反論しかけるネギをカモは遮った。

「すいやせん、最後まで聞いて欲しいッス。いいッスか? エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがこの地で中学生なんざやってるのには、15年前のある事件が切欠なんスよ」
「ある事件?」
「……姉貴の父である、サウザンドマスター――――ナギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンとこの地で戦い、封印したんス」
「――――ッ!?」
「術式は“登校地獄”――。奴さんの魔力を封印し、あまつさえこの麻帆良学園が出る事を禁じたんス。中等部に通い続けさせられる呪いを、15年間受け続けた」

 そこまで言って、不意にネギが立ち上がったのを感じた。

「姉貴……?」

 ネギは顔をクシャクシャに歪めて涙を零していた。

「じゃあ、やっぱり私のせいなんだ……」

 ネギの震えた声に、カモは絶句した。

「何、言ってるんスか?」

 呆然としながら聞くと、ネギはカモを玄関ホールのカウンターの上に置いた。右腕に掛けていた紙袋も一緒にだ。

「私がこの学園に来たせいで……。エヴァンジェリンさんだって、今まで我慢してきたんでしょ? なのに、そのせいで皆を巻き込んじゃった」

 ネギは背負っていた杖を右手に持ちながら俯いたまま玄関の外に歩き出した。

「止めろ姉貴! 俺っちの調べでは、半年前からエヴァンジェリンは吸血によって魔力を蓄えていた。全開とはいかなくても、麻帆良最強――つまりは、あのタカミチよりも強い近衛近右衛門にも匹敵する力を解放出来るかもしれないんスよ!」

 カモは必死にネギを押し留めようと発した言葉だったが、それが還って仇となった。

「半年間も私のせいでこの学園の人達に迷惑を掛け続けてたんだ。私のせいで……」

 まるで呪詛の様に呟き続けながら、ネギは外へと出てしまった。

「どうすればいい……?」

 カモは絶望しかけた。どれだけ頭を巡らせても、相手の戦法が分からなければ策の練り様が無かった。何度も策を練っては頭を振って、練り直すと言う作業を僅かな時間に繰り返した。
 その時、フと、カモの視界に自分に似たオコジョのぬいぐるみを見つけた。その背後から決意を秘めた眼差しの少女がカモに話しかけてきた。

「ねえ、ネギって魔法使いなの?」
「え……?」

 そこに居たのは、ネギを追い掛けて、ネギとカモの話を聞いてしまった神楽坂明日菜だった。

 外に出たネギの頭上から、女性の声が響いた。見上げると、漆黒のボンテージドレスに身を包み、漆黒の先が裂けている外套を羽織った女性がネギを見下ろしていた。
 ネギは、声が出なかった。ただ、見上げた先に君臨する女性が余りにも綺麗過ぎて、言葉を失った。月光は尚冴え冴えと闇夜を照らし出し、風の音すらも無く静かだった。金砂の如き美しく長い髪が月光に濡れている。宝石の様な瞳で、何の感情もなく見据えた後、唇の端を吊り上げて女性は酷薄な笑みを浮べた。

「私はこの時を待っていたぞ。サウザンドマスターの“息子”よ。最初は何の冗談かと思ったが、まさか本当に女体化して身分を隠すとはな」

 まるで、道化を見る様な眼差しで、己を睨むネギを見返した。エヴァンジェリンはパチンと指を鳴らすと、突然虚空に人が現れた。

「木乃香さん!」

 虚空に横たわる木乃香の姿にネギは声を張り上げた。

「木乃香さんを……私の友達を返して下さい!」

 必死に叫ぶネギを見下し、エヴァンジェリンは唇の端を吊り上げた。

「フフッ、乙女の血を得た私の魔力に敵うとでも思っているのか?」

 エヴァンジェリンは纏っていた外套を右手で一気に脱ぎ去ると、外套を闇の魔力に“戻し”て直接ネギに向けて放った。ソレは、まるで生き物の様にネギに覆い被さった。

「たわいないな」

 凄まじい地響きと共に、闇の魔法が大地を蹂躙し、エヴァンジェリンは勝利の笑みを浮べた。

「クゥ――――ッ!」

 突然、闇の魔力が弾け跳び、その一部がエヴァンジェリンの頬を掠めて一筋の血を流させた。エヴァンジェリンが忌々しげに見下ろした先には、無傷で杖を構えるネギ・スプリングフィールドの姿があった。

「10歳にしてその力……か。成程ヤツの息子。面白いではないか!」
「僕の父さんを知ってる。それに、木乃香さんを攫って、これだけの魔法を操る……。やっぱり、貴女が――」
「そう、彼女がエヴァンジェリンだ」

 突然、ネギの背後から声がした。渋みのある、とても頼り甲斐のある頼もしい声だった。

「タカ……ミチ?」

 ネギが顔を向けると、エヴァンジェリンは苛立った視線をタカミチに向けた。

「今更、何をしに来たのだ? まさか、今になって私を殺しに来たか?」

 タカミチはエヴァンジェリンの言葉を無視してネギの頭に手を置いた。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、僕の生徒であり、君のクラスメイト。そして――」

 チラリとタカミチがエヴァンジェリンを見上げると、エヴァンジェリンは薄く微笑んだ様に口を開いた。

「私は吸血鬼だ」

 鋭く尖った犬歯を見せ付けるようにしてエヴァンジェリンは言った。自分の言葉を無視されたからか、睨む様にタカミチを見下ろしている。
 タカミチはクスクスと笑った。

「何がおかしい!?」

 エヴァンジェリンが訝しむ表情をすると、タカミチは皮肉気に笑みを浮べた。

「ネギ君。あの姿で中学二年生に居たら浮いてしまうと思わないかい?」
「へ?」

 突然のタカミチの言葉に驚くと、改めてエヴァンジェリンを見上げたネギは「そういえば」と首を傾げた。

「エヴァは満月と乙女の血によって得た力で大人の姿になっているのさ」
「フン」

 タカミチの言葉に応える様に、再び闇の魔力で生成した外套を羽織るエヴァンジェリンを見上げながらタカミチは悪戯っぽく微笑んだ。

「まあ、あれだ。実際の姿じゃ凄みに欠けるだろ? 実際は君と同じ10歳程度の少女だし」
「え、そうなの? 成程……」
「納得するな!」

 タカミチの登場と、タカミチとエヴァンジェリンの言い合いを聞いている内にネギの緊張は徐々に解けていた。

「忌々しい。お前の父親のせいで15年間もこんな場所に閉じ込められて……。だが、それも今日で終わりだ!」

 舌打ちすると、エヴァンジェリンは右手の掌に闇の魔力を集中させた。

「気をつけろネギ君。エヴァはね、君の血が欲しいんだ」
「血を……?」

 ネギが眉を顰めると、エヴァンジェリンは闇の魔力をタカミチに向けた。

「邪魔をするなら、まずは貴様を殺すぞ? タカミチ」

 エヴァンジェリンの言葉にハッとしたネギは、タカミチを庇おうと前に出た。だが、それを押しのけてタカミチはネギの前に出てエヴァンジェリンを見上げた。

「別に、邪魔をする気はないさ」
「え?」
「ナニ?」

 タカミチの言葉に、ネギとエヴァンジェリンは同時に反応した。

「邪魔をする気はないよエヴァ。ただし、木乃香君は返してくれないかな? それに、こんな場所で戦えば、結界の維持に神経を向けないといけないんじゃないかな?」
「…………何を考えている?」

 タカミチの言葉は、まるでネギを差し出す代わりに木乃香を返せと言っている様だった。ネギは、杖を握り締めて、それでも心の中で泣きたくなるのを必死に堪えた。エヴァンジェリンは眼下の男の考えが読めずに眉を顰めている。

「別に、新しい戦闘場(バトルフィールド)は君が選択すればいい。僕達、“魔法使い”は誰も君に手出しはしないよ。僕達“は”ね」

 エヴァンジェリンはタカミチの顔を見下ろしながら、鼻を鳴らした。

「虚言ならば、ネギ・スプリングフィールドの次は、貴様の生徒達だぞ」
「僕が嘘をついてると思うかい?」

 タカミチの言葉に、エヴァンジェリンは胡散臭そうに鼻を鳴らした。

「持って行け」

 呟くと同時に、木乃香の体がタカミチの元へ下された。木乃香の体を抱きとめると、タカミチはエヴァンジェリンに「サンキュ」と言ってニッと笑って見せた。エヴァンジェリンは不快気な顔をしながらネギに顔を向けた。

「ネギ・スプリングフィールド」
「はい……」

 エヴァンジェリンの殺意の篭った視線を受けながら、真正面からエヴァンジェリンを見返した。

「ここより1km先の麻帆良湖だ。逃げれば今度はお前のお友達が眠るだけでは済まぬぞ?」
「逃げません」
「ほう、ならば、待っているぞ」

 そう呟いて、エヴァンジェリンの姿は闇に紛れて消え去った。取り残されたネギは、傍らで木乃香を抱えるタカミチに視線を向けずに駆け出そうとした。

「ネギ君」

 だが、タカミチに呼び止められて、脚が止まった。それでも、振り向く事は出来なかった。一度は覚悟した事だったが、それでも辛かったのだ。
 タカミチに顔は向けずに、弱々しい声でネギは呟く様に言った。

「大丈夫だよ……? ちゃんと、死んでくるから」
「――――ッ!? ああ、そうか……。勘違いさせちゃったね」
「え?」

 ネギは、全力を出してもエヴァンジェリンには敵わないと思った。なにせ、カモが言うにはタカミチ以上に強い学園長すら越える実力者なのだ。自分に出来るのは、エヴァンジェリンの復讐心を満足させて、これ以上被害が広まらない様に、血を吸い尽くされて殺されるだけ、そう思っていたネギに、タカミチは首を振った。

「違うんだよネギ君。そんな事をしても……君が命を捧げても駄目なんだ」
「どういう事?」

 命を捧げても無駄? それでは、自分はどうすればいいんだ、ネギは困惑した様な、泣きそうな様な複雑な顔でタカミチに振り返った。タカミチは優しく微笑んだ。

「違うんだ。僕や、学園長が期待しているのは…………君に、エヴァンジェリンを救って欲しいって事なんだよ」
「どういう意味?」

 ネギの問いに答える事無く、タカミチは振り返って寮の方へ脚を向けて行った。

「タカミチ!」

 ネギの叫びに一度だけ立ち止まると、振り返らずに言った。

「僕には無理な事なんだ。だけど、きっと君になら出来る。学園長は英雄の息子だからって、そう信じてるのかもしれないけど、僕はね、君が僕の友達のネギ・スプリングフィールドだから出来るって信じてるんだ」

 そう、ニッコリと微笑んで言うと、タカミチは寮の中へ入って行った。やがて、戸惑っていたネギは決心して振り返ると、エヴァンジェリンの指示した麻帆良湖に向けて杖に乗った。
 大地を蹴り、杖によって飛翔し、車と同じ様な速度で風を切って翔けた。その様子を、玄関のガラス扉の向こうから見ると、タカミチはフッと微笑んだ。

「行くのかい?」

 タカミチは正面に立つ、肩に真っ白なオコジョ妖精と片手に紙袋を持った少女に聞いたが、答えは分かりきっていた。
 この“お姫様”は、どんなに性格や姿が変っても、どこまでも気高い。

「当然です、高畑先生。だって、私は友達を助けたいから!」

 少女、明日菜は真っ直ぐにタカミチの目を見て断言した。タカミチは小さく溜息を吐いた。

「本当に、学園長の考え通りに話が進んでしまっている」

 そう考えるのだが、タカミチの顔には憂いは無かった。ただ、目の前の少女は止めても無駄だと悟って、疲れた様に道を譲るだけだった。

「これは独り言だ」

 そう呟いて、タカミチは顔を背けた。

「え?」

 首を傾げる明日菜にタカミチは虚空に向かって喋りだした。

「エヴァンジェリンはどうやら1km先にある麻帆良湖で決着を着けるようだな~」
「高畑先生!」
「僕は、今何も見なかった。そして、僕は明日の朝に生徒全員の出席を一人の欠席や遅刻も無しなのだと確認する。……いいね?」
「高畑先生……、はい! 行くわよ、カモ!」
「ガッテン!」

 タカミチの言葉に、胸を詰まらせながら、明日菜は大声で返事を返すと、肩に乗るカモに声を掛けて駆け出した。去り際にカモは「恩に着るぜ!」とタカミチに呟いた。
 その彼女の走り去る姿に、タカミチは複雑そうな表情を浮べた。

「きっと、大丈夫ですよ。僕はそう信じています。ね、学園長?」

 眠っている生徒達しかいない筈の玄関ホールで、タカミチは一人呟いた。すると、どこからともなくしわがれた老人の声が響いた。

「フォッフォッフォ、大丈夫じゃよ。保険はあるしのう。それに、どんな事になったとしても、アヤツにネギ君は殺せんよ。恨んでるじゃと? 全く、嘘のつけん性格のくせにのう」

 心底愉快そうな老人の声に、タカミチは苦笑した。

「ですね。彼女は間違いなく、今でもナギの事を――」

 玄関のガラス扉の先から零れる月明かりをバックに、タカミチは眠っている少女達をベッドに連れて行く作業を開始した。僅かに胸の内に切なさを抱えながら――。

 誰も居ない月明かりだけが照らす湖の上空で、一人の女性と一人の少女が対面している。結界は張られていないのか、上空は強風が吹き荒れている。そんな場所でエヴァンジェリンを見つめながら、ネギは制服のリボンを外し、それで髪の毛をポニーテイルにして縛った。
 どうすればいいのか、そんな事は今も分からなかったが、タカミチの言った『君に、エヴァンジェリンを救って欲しい』という言葉。
 ネギはしっかりと目の前のエヴァンジェリンを見つめて覚悟を決めた。

「覚悟は出来たようだな」

 見下す様な視線を向けるエヴァンジェリンに、ネギはキッと見返した。

「エヴァンジェリンさん、私と勝負して下さい」
「……勝負? クク、クハハハハハハハハ!! 面白いことを言うな~ぼうや、いや……お嬢ちゃんとでも呼んでやろうか? やる事いう事面白過ぎるぞ!」

 高笑いをしながら、心底愉快気な視線でネギを見る。

「それで、どうしようと言うのだ?」

 クスクスと笑いながら言うエヴァンジェリンに、ネギは小さく息を吸い、確りと真正面からエヴァンジェリンを見つめた。

「私が負けたら……私のこの体に流れる血を一滴残らず貴女に捧げます」
「ほう……」
「だけど、私が勝ったら、もう悪い事はしないで下さい! そして――」
「そして――、なんだ?」

 ネギは目を閉じると、決意を固めた目でエヴァンジェリンを見た。

「私とお友達になって下さい!」
「は……?」

 その言葉に、エヴァンジェリンは目を丸くした。理解が出来なかった。殺し殺される関係にある筈の自分達の間に、友達などという言葉が出て来るのが訳が分からなかった。
 だが、ネギの顔を見て、それが本気なのだと悟る。ネギは、ずっと隣の空いた席が気になっていた。クラスの皆と仲良くなる事が出来て、もしも、本当にクラスの皆とお友達になれたらどんなに素敵な事なんだろう。そう思っていた。
 例え、悪い魔法使いと呼ばれていたかもしれない。それでも、この学園に自分が来るまでは大人しくしていたのだ。それに、今朝のまき絵の様子を見れば、エヴァンジェリンは決して彼女を傷つけようと思った訳では無いと判った。
 本当の悪人なら、後遺症が残るくらい、いや、それ以上の血を吸っていた筈だ。それに、今夜も、結局は誰も傷つけてはいない。復讐をしようとしているのに、木乃香の体も傷つけない様にタカミチに降ろす時にも慎重だった。
 ネギは、本当は目の前の女性が優しい人なのではないかと思っていた。だからこそ、ネギは命を懸けて懇願する。そして、ネギの真っ直ぐな言葉を聞き、エヴァンジェリンは顔を赤くしてヒクつきながら唇の端を吊り上げた。

「な、何を言い出すかと思えば……。まぁ、いいだろう! 私が敗北するなど、万に一つも無いのだからな! その条件、聞き入れた!」

 叫ぶと同時に、エヴァンジェリンは魔力を練り始めた。同時に、空中で浮かんでいる杖を片手だけで掴み、体を支えて左手で魔力を練る。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 氷の精霊11頭、集い来たりて敵を切り裂け!」
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 光の精霊11頭、集い来たりて敵を射て!」

 エヴァンジェリンの掌に氷の魔力が集中し、同レベルの光の魔力がネギの杖に集中する。

「サギタ・マギカ、連弾・氷の11矢!」
「サギタ・マギカ、連弾・光の11矢!」

 エヴァンジェリンから放たれた水色の閃光とネギの杖から放たれた白き閃光がぶつかり合い、凄まじい爆発音と共に周囲を強烈な光が包み込む。衝撃から離れる為に同時に距離を置くと、エヴァンジェリンは外套を翻した。

「やるな! では私のパートナーを紹介してやろう! 来い、絡繰茶々丸!」
「はい、マスター!」

 突然、ネギの背後から出現した茶々丸に目を見開くと、ネギは咄嗟に杖を回転させた。

「誰!?」
「ハッ! お前のクラスメイトだぞ? 出席番号10番で私の従者の絡繰茶々丸だ!」

 そう叫びながら、エヴァンジェリンは闇の魔力を掌に集中し始めた。

「クラスメイト!?」
「そうだ! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」
「――――ッ! ラス・テル マ・スキル マギステル!」

 ネギも咄嗟に風の魔力を集中させた。

「風の精霊17――ッ!?」

 突然、顎下から衝撃が走り、詠唱が中断されてしまった。茶々丸が真下からネギに向かってアッパーを放ったのだ。加減したのだろうか、脳が揺さ振られはしなかったが、それでも詠唱が中断させられてしまったのは致命的だった。

「連弾・闇の17矢!」
「!?」

 その隙に、エヴァンジェリンは呪文を完成させてネギに向けて17本の漆黒の矢を放った。

「加速!」

 咄嗟に、杖で真横に加速の魔法を使いながら飛ぶと、両脇から突然手が伸びて来た。

「!?」

 それは、翠色の髪を風にはためかせる、ミニスカートのメイド服を着た、耳に不思議な飾りをつけている少女、絡繰茶々丸だった。体を抱き締める様に拘束する茶々丸に、ネギはもがいて何とか脱出しようとするが、人間とは思えない程の力で拘束されているせいで、まったく体を動かせなかった。魔法で脱出しようとすると、目の前にエヴァンジェリンが現れた。

「終わりだ、ネギ・スプリングフィールド。自分にパートナーがいなかった事を後悔するんだな」

 やっぱり、どうにも出来なかった。ネギは自分の無力感を感じながら、ゆっくりと力を抜いた。そして、エヴァンジェリンが剥き出しにした鋭い犬歯がネギの首元の皮膚に当たり、突き破ろうとした、その瞬間だった。

「――――ッ!?」

 突然、エヴァンジェリンが目を見開いたのだ。小さな、何かが掠る様な音が聞こえた気がした。

「な、なんだ?」

 エヴァンジェリンが慌てて振り返ると、突然エヴァンジェリンの顔面に向かって革靴が飛来した。

「あいたあっ!?」

 ほぼ無意識に障壁を張れるエヴァンジェリンだったが、それは戦闘時の話だ。ネギを拘束した事で気が緩んだエヴァンジェリンの顔に革靴が当たり、バコーンと音が鳴った。

「か、顔はやめんかーっ!」

 コラーッと怒るエヴァンジェリンは、先程までの威厳が消し飛んでしまっていた。

「ああ、マスター。折角頑張って練習した演技が……」
「って、茶々丸! 何を言ってるんだお前は……って何ィ!?」
「あ、あれは!」

 茶々丸の言葉に、ネギは目を丸くし、エヴァンジェリンは反論しようとすると、二人の視界にとんでもないものが映った。眼下に広がる麻帆良湖、その陸から少し伸びる桟橋上に、何と桟橋に繋がれていたアヒルボートを持ち上げている女子校生の姿があったのだ。

「私の……友達に、何してんのよ~~~~!!」
「アスナさん!?」

 それは、在り得ない光景だった。全長は3.12m、全幅は1.78m、高さは2.10m、重量は160kg、定員は二、三人のおよそ、“普通の女子中学生には持ち上げられる筈のないもの(アヒルボート)”を、神楽坂明日菜は鬼神の如き顔で持ち上げていたのだ。

「お、お前は神楽坂明日菜!? よせ、や……めろ! 投げるのか? 投げる気なのか!? そんなもの普通の人間が放り投げるな――――ッ!!」
「私の友達を離せ~~~~!!」

 明日菜は必死に叫ぶエヴァンジェリンに向けて、その決して普通の女子中学生が投げていいモノでは無いアヒルボートを……凄まじい勢いを付けて投げた。
 アヒルボートは、エヴァンジェリンが咄嗟に張った障壁を歪めた。

「マスターッ!!」

 咄嗟にネギを放った茶々丸は、アヒルボートを横から殴り飛ばしたが、高度な幻術に魔力を使っていたエヴァンジェリンは砕けかける障壁に、咄嗟に幻術を解いて魔力を優先して障壁に流していた。

「な、なんて馬鹿力だ!」

 幻術の解けたエヴァンジェリンに、明日菜は目を見開いた。

「どこのナイスバディなヴァンパイアかと思ったら、やっぱりエヴァンジェリンだったのね!」

 明日菜は見上げながら叫ぶと、その隣にネギが降り立った。

「明日菜さん、どうして!?」

 ネギが叫ぶが、明日菜は無視して眉を顰めながらエヴァンジェリンを見上げた。

「何で大人の姿に……?」

 首を傾げながら言う明日菜に、ネギは「えっと……」と言いながらソッと耳打ちした。

「ああ、凄みが欠けるから……成程!!」
「だから納得するんじゃない!! グググ……おのれ! 神楽坂明日菜! 折角のシリアスな空気が台無しでは無いか!」
「折角、学校の屋上で毎日練習していたのに……おいたわしや、マスター」
「そんな事してたんだ……。ああ、だから最近毎日サボってたのね」
「エヴァンジェリンさん……」
「そ、そんな目で見るんじゃない!」

 それまでの険悪な空気が完全に消え去ってしまった。茶々丸が次々に白状してしまうせいで、エヴァンジェリンを見る明日菜とネギの目はどこか微笑ましげだった。
 幻術が解けた事で、少女の体に戻ってしまったのも原因で、最早演技の必要は無いと悟ったのか、さっきまでの大人の余裕はどこにも無かった。だが、そんなエヴァンジェリンを無視して、明日菜はネギに顔を向けた。

「怪我はない?」
「はい、大丈夫です」

 明日菜の優しい声に、ネギは再び泣きそうになった。それでも歯を食いしばり、ネギは明日菜を見た。

「明日菜さん、どうして来ちゃったんですか?」
「え?」

 明日菜は、予想外の言葉に驚いた。どうしてこの状況で驚かないんですか~!? と聞かれると思っていたのだが、ネギの口から出たのは全く違う言葉だった。

 時間は少し遡る――。

『どこ……行ってたの?』

 その、今にも折れそうな程か細い声が聞こえたのは、階段を三段飛ばして飛び降りるように駆け下りて来て、一階に到着した直後だった。

『………………………………』

 誰か一緒に居るのだろうか、明日菜は息を潜めた。
 突然駆け出したネギを追い掛けて来た明日菜は、その時の悲壮なネギの顔に危機感を覚え、殆ど何も考えずに眠っている皆に謝罪をして追い掛けて来たのだ。

『………さん?』

 上手く聞き取れない。なるべく、ネギに見えない様に身を屈めながら、ネギの近くの柱に身を隠して聞き耳を立てた。すると、女子寮だというのに軽薄そうな男の声が聞こえた。
 まさか、今皆が眠っているのはコイツのせいなのでは? そして、ネギは危険な目に合ってるのではないか? そう、考えると、咄嗟に飛び出そうとしたが『そうッス。600万ドルの賞金首、不死の魔法使いと恐れられた、この学園の学園長すら凌ぐ実力者ッス』その言葉に明日菜の動きは止まった。
 不死の魔法使い? 600万ドルの賞金首? 何の話だろう、明日菜は首を捻った。

『え……?』

 ネギからも驚いた様な声が聞こえる。

「そりゃそうよね。魔法使いだとか、賞金首だとか……一体、この男の声って何者なの?」

 小声で呟きながら更に聞いていると、信じられないネギの言葉が明日菜の耳に飛び込んできた。

『じゃあ、脅されてたの? この学園の魔法使い達がエヴァンジェリンさんを放っておいたのは、脅されてたからなの?』
「この学園の“魔法使い達”? 何を言ってるのよ……ネギ?」

 明日菜は信じられない思いで呟いた。あまりの事に理解が追いつかなかったのだ。
 それでは何か? この学園には複数の“魔法使い”が居るというのか? そんな事、ある筈が無い。そう、明日菜は頭を振った。だが、ネギと謎の男の話は終わらなかった。

『姉貴の父である、サウザンドマスター――――ナギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンとこの地で戦い、封印したんス』
「ネギのお父さん? それに、エヴァンジェリンって!?」
『術式は“登校地獄”――。奴さんの魔力を封印し、あまつさえこの麻帆良学園が出る事を禁じたんス。中等部に通い続けさせられる呪いを、15年間受け続けた』
「どういう事よ!? エヴァちゃんが15年間も中学生を繰り返していたって……」

 頭の中でナニカが騒いでるような感覚だった。突然の事態に、現実感が乏しくなり、頭がクラクラとしてきたのだ。
 だが、『姉貴……?』男の声が心配気になったのを感じ、明日菜は再び聞き耳を立てた。

『じゃあ、やっぱり私のせいなんだ』

 明日菜には、何を言っているのか分からなかった。

『何、言ってるんスか?』

 それは男も同じ様で、どうしてネギが悪い事になるのかが分からなかった。父親が恨みを買ったからといって、娘のネギがどうして悪くなるのか、明日菜には理解する事が出来なかったのだ。

『私がこの学園に来たせいでエヴァンジェリンさんだって、今まで我慢してきたんでしょ? なのに、そのせいで皆を巻き込んじゃった』
「何よ、ソレ。巫山戯んじゃないわよ……」

 明日菜は今にもキレそうになった。この学園に来て、皆に歓迎会をして貰って、感謝のあまり泣き出して、楽しそうに笑っていたネギの顔を思い出して、親が買った恨みなんか背負おうとしているネギに腹が立った。
 それ以上に恨みを買った父親にも恨みをネギに向けたエヴァンジェリンにも腹が立った。

『止めろ姉貴! 俺っちの調べでは、半年前からエヴァンジェリンは吸血によって魔力を蓄えていた。全開とはいかなくても、麻帆良最強……つまりは、あのタカミチよりも強い近衛近右衛門にも匹敵する力を解放出来るかもしれないんスよ!』

 男の必死な声が聞こえる。明日菜はゆっくりと立ち上がると、ネギと話しているオコジョに気がついた。

「あの男の声って……あのオコジョ?」

 怒りも忘れて、明日菜は頭が痛くなった。幾らなんでも、コレは無いだろ……と。現実感に乏しかったとは言え、魔法使いだってただ話しに出てきた単語だった。だが、目の前に居るのは完全な異能の存在だ。
 同時に理解もした。全てが真実なのだと。何せ、あのオコジョはロボットなんかじゃないと分かりきっている。何度も触らせて貰ったし、食べ物もあげた。
 何だか昨夜は情けない鳴き声をあげていたが、朝になるとホイールで元気良く運動しているのに、木乃香と共に笑った。

『半年間も私のせいでこの学園の人達に迷惑を掛け続けてたんだ。私のせいで――』

 その言葉と同時に外に向かって駆け出すネギに今すぐ追いかけたいと思うのと同時に、聞かないといけないと、明日菜は首を振りながら唸るオコジョに近寄って行った。

「ねえ、ネギって魔法使いなの?」
「え……?」

 ネギが玄関の外に向かって駆け出した後、玄関ホールの管理人室の前にあるカウンターの上で作戦を何度も練り直していたカモの背後から、明日菜は声を掛けた。カモは明日菜の存在に目を見開き、その直後に青褪めた。

「何で、起きてるんスか? 明日菜の姉貴……」

 絶望の色を見せるカモに、明日菜は戸惑った。

「え? いや、普通に起きてただけだけど。じゃない! それより答えなさいよ! アンタ何者!? ネギは本当に魔法使いなの!? そもそも、どうしてネギが泣かなきゃいけないのよ!!」

 歯を剥き出しにして怒鳴る明日菜に、カモは苦しげな表情を浮べた。

「どうして……? そんな事、俺が聞きてえッスよ! 本当は、タカミチだかに助けを求めるように説得するはずだったのに、ちくしょう!」

 カモは自分の要領の悪さに泣きたくなった。話を急ぎすぎたのだ。すぐそこにエヴァンジェリンが居ると察知していたせいで、カモはネギに焦って喋る必要の無い事まで話してしまったのだ。

「しっかりしなさいよ!!」

 自己嫌悪しているカモは明日菜の叫びにハッとした。

「いいから、アンタが何者で、どうすればいいのかを教えなさい! 私があの子を助けるから!」

 その言葉に、カモは顔を上げて改めて明日菜を見た。爛々と瞳を光らせて、真っ直ぐにカモを見つめる神楽坂明日菜という少女にカモはそれでも首を振った。

「なんでよ!?」

 明日菜が叫ぶと、カモは申し訳無さそうに呟いた。

「姉さん……アンタはいい人だ。姉貴の友達がアンタみたいな人で本当に良かった。だからこそ、死地に連れて行くわけにゃあ行かねえのよ。悪いな。な~に、安心しな、ちゃんと後から記憶消去のスペシャリストが来てくれる筈ッス! これだけ大規模な事をしたんだ。魔法使い達だって感づいてる筈ッスよ。だから……すいやせん」
「何言って――ッ」

 明日菜がカモの言葉を理解したその時、カモの足元が光ると同時に、空中から光の帯が出現した。

「本当はもしもの時の為に用意したんスけど……。どっちにしろ、コイツはエヴァンジェリンには効きっこねえ。悪いな、姉さん」

 そう呟きながら、足元にどこからともなく取り出して置いた“ナウシズニイド”のルーンが描かれたカードをカモは設置していた。ルーンの文字は光の帯と同じ色の光を灯している。
 光の帯が明日菜を拘束しようと伸びる。その時だった。突然、カードの光が消えて明日菜を拘束しようとしていた帯も掻き消えた。

「なに!?」
「え、なに!?」

 突然現れた光の帯が、再び消滅し、カモの驚愕の叫びに驚いた明日菜は目を白黒にしていた。

「姉さん、アンタどうやったんだ!?」
「へ? いや、ただ触れたと思ったら消えちゃったんだけど……」
「馬鹿な!」

 カモは目を見開くと、ネカネに用意して貰いネギに付けて貰ったマジックアイテム『オコジョ妖精の七つ道具』から、無地のカードと魔力が染みたチョークを取り出した。

「意味は欲望から展開して束縛へ『ナウシズニイド』のルーン! それに加えて、停滞のルーン『イサイス』だ!」

 チョークで一瞬でカードの上にルーンを描くと、再び空中に明日菜を拘束する為の光の帯が出現し、空間ごと固まった様に一瞬だけ明日菜の体が静止した。

「馬鹿な!?」

 カモは叫んでいた。目の前で起きた事が信じられなかった。カモの少ない魔力で発動したとはいえ、一般人が破れる様な代物ではない空間凍結と拘束魔法を、明日菜は動く事すらせずに消滅させたのだ。

「な、何なの!? 今のって、魔法!?」

 明日菜自身も、何が起きているのか理解出来なかった。
 カモは戦慄しながら、ある推測を立てた。

「まさか、なんでこんな極東に……まさか“魔力完全無効化“の能力者!?」

 カモの言葉に、明日菜は「え? え?」と混乱した様に目を丸くしたが、突然カモがひれ伏したのに目をパチクリとさせた。

「お願いしやす! アンタの……貴女の力を貸してくだせい!」
「え……?」

 カモの言葉に、明日菜は目を丸くした。さっきまで、自分が行くと言っても止めようとした目の前のオコジョの突然の心変わりの言葉に明日菜は戸惑いを隠せなかったのだ。
 カモは頭を下げ続けた。

「お願いしやす! アンタが居れば……姉貴は死なずに済む! アンタが居れば、奴に……無敵の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルにだって勝てる!」

 カモの言葉に、明日菜は目を見開いた。そして、唇の端を吊り上げた。

「馬鹿言ってんじゃないわよ」
「お願いしやす……。終わったら、俺っちを丸焼きにでも何でもしていいッス! だから――」
「だ・か・ら、馬鹿言わないの。最初から言ってるじゃない」

 明日菜の優しげな声に、カモは顔を上げた。そこには、優しく微笑む明日菜の姿があった。明日菜は、カモを手に乗せてニッと笑みを浮べた。

「勿論行くに決まってるでしょ? 私は、アイツの友達なんだから」
「姉さん……。恩に着やす」

 カモは両脇を明日菜に抱えられたまま、首を曲げてお辞儀をした。

「それで、何をすればいいの? 作戦があるんでしょ?」
「ええ、明日菜の姉さん。アンタにも危ない橋を渡って貰う事になってしまうッスけど、俺っちに、命預けちゃ頂けやせんか?」

 カモは明日菜の顔を真っ直ぐに見上げながら言った。

「……ええ、いいわよ。喋るオコジョに命令されるなんて、ちょっと変な気分だけどね」
「姉さん……」

 クスクス笑う明日菜に、カモは脱力しながら溜息を吐いた。

「んじゃ、時間も無いッス。そこの紙袋を持って貰えるッスか?」
「これ? ゲーセンで取ったUFOキャッチャーの景品じゃない? こんなのここに置いておいても誰も取んないわよ! はは~ん、もしかして、こういう人形とかにラブを感じちゃうの~?」

 ニヤニヤしながら言う明日菜に、カモは「な、何言ってるんスか!? そんな変態じゃないッスよ!!」と声を荒げて否定した。すると、明日菜はクスクス笑いながら「はいはい」と適当に返事を返した。

「本当に違うんス! コイツは、作戦に必要なんスよ。相手はあの闇の福音ッス。少しでも手数を増やして、何手も先まで読まないと勝てる相手じゃないんスよ!」
「……分かった。んじゃ、行くわよ?」

 カモの言葉に頷いて、カウンターの上に置かれた紙袋を持ち、外に出ようとすると、外からタカミチが出てきた。
 明日菜を無視する様にガラス扉の向こうに視線をやると、フッとニヒルに微笑んだ。

「行くのかい?」

 流し目で明日菜に聞くタカミチに、明日菜はつい顔を赤くしてしまった。月明かりに照らされたタカミチは、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 そしてタカミチも魔法使いの仲間なんだと悟った。どうして外から入って来たのか分からないが、状況は分かっている様だった。

「なるほど、学園側は敢えて放置している訳だ」
「え……?」

 小声で、カモは呟いた。

「多分、何か考えがあるんスよ。とにかく、行きやしょう」

 カモが言うと、明日菜は小さく息を吸ってタカミチを見返した。タカミチの言葉に返答する為に。

「姉さん……?」
「当然です。高畑先生。だって、私は友達を助けたいから!」

 そう言って、一歩前に歩くと、タカミチは明日菜に向けて目を細め、顔を背けて呟いた。

「これは独り言だ」
「え?」

 タカミチの言葉に、明日菜は首を傾げた。

「エヴァンジェリンはどうやら1km先にある麻帆良湖で決着を着けるようだな~」
「高畑先生!」

 タカミチの言葉に、明日菜とカモは目を見開いた。

「僕は、今何も見なかった。そして…、僕は明日の朝に生徒全員の出席を、一人の欠席や遅刻も無しなのだと確認する。……いいね?」
「高畑先生……。はい! 行くわよ、カモ!」
「ガッテン!」

 どうして、ネギを貴方が助けに行かないんですか? そう質問したかったが、タカミチの言葉の裏に、ネギを助けてあげて欲しいという思いを受け取り、明日菜は答えた。きっと、何か理由があるのだ。明日菜はそう考えると、何時もネギが呼んでいたカモの名を呼び、駆け出した。肩に乗るカモは「恩に着るぜ!」とタカミチにすれ違い様に呟いた。
 明日菜はタカミチに抱き抱えられた木乃香に気がつくと、胸を撫で下ろして駆け出した。月明かりだけが照らす夜道へと。

 遠くに見える光を確認し、全速力を出しながら、カモが腕輪から出したカードにカモが不思議な『F』に似た文字を描いたカードを明日菜のブレザーのポケットに仕舞いこんだ。
 その瞬間、心の中に突然カモの声が響いた。

『姉さん』
「な、なに!?」

 驚く明日菜に、カモは再び念話で話し掛けた。

『姉さん、これは念話ッス。心の中で話しかけてみて下さいッス。最初は慣れないでしょうが、この知恵のルーン『アンサズアス』のカードがあれば、いつでも念話が出来る筈ッス』

 カモの言葉に、口を閉じて頭の仲で『えっと、これでいいのかな? 何か胡散臭いな~』と考えた。

『完璧ッス。ちょっと、本音も流れてきてるッスけど――』
『へえ、ちゃんと話せるんだ。てか、ルーンって何?』
『ルーンとはルーン魔術やルーン魔術を行う為の24の文字の事ッス。大神オーディンが自らの“百発百中の槍“グングニルで己を刺し、北欧神話で世界樹とされるトネリコの木の枝で首を吊る事で、9日9夜の後に冥界に辿り着き手に入れた神々の創造した秘密の文字の事なんス』
『全然理解出来なかったわ!』
『あ、姉さん……。とりあえず魔法の力を持った文字って考えてくだせえ』
『最初からそう言いなさい!』

 折角丁寧に教えたのに、分からないと断言され、脱力しながら言ったカモの言葉に、憤慨した様に明日菜は怒鳴った。

『作戦はどっちにしろ姉貴がいなきゃ説明が二度手間になるッス! まずは姉貴と合流するッスよ!』
『でも、どうやって!?』
『こうするッス!』

 カモは叫ぶと同時に明日菜のブレザーに今度は別のルーンを描いたカードを差し込んだ。

『ちょいっと、魔力を消費し過ぎたんで、あんまり効果は続きやせんが『ウルズウル』力のルーンでさ。発動すれば数秒間だけなら人外染みた怪力が出せやす。これで何か投げれば多分こっからでもエヴァンジェリン達に届くはずッス! それで注意を引いてくだせい!』

 カモが言うと同時に、明日菜は自分の履いていた靴を脱いだ。

「んのらああああああ!!」

 凄まじい威力で靴が見事にエヴァンジェリンの後頭部に向かい、技かにエヴァンジェリンの外套を掠めていった。エヴァンジェリンが顔を明日菜とカモに向けると同時に、今度はもう片方の靴を脱いで投擲する。
 湖までの距離は数m程度だがエヴァンジェリンまでは直進距離でも数十mはある。だというのに、そんな距離など関係無いかの様に、見事な命中率で明日菜の靴はエヴァンジェリンの顔面にヒットした。
 何かを騒いでいる気もしたが、明日菜は頓着せずに桟橋を渡り、繋いであったアヒルボートを掴んだ。

「あれ……? 姉さん? 何する気ッスか? 乗るんじゃ無いんスか!? って、さすがにそんなの……ってうえええええええ!?」

 あまりの事に、念話も忘れてカモは絶叫していた。幾らなんでも馬鹿げている。ルーンのバックアップがあるにしても、ただの女子校生がやっていい事では無い。明日菜は、アヒルボートを持ち上げていたのだ。

「私の……友達に、何してんのよ~~~~!!」

 明日菜はキレていたのだ。そもそも、最初から限界に近い程怒りに燃えていたのだ。上空を見上げた時、ネギが誰かに捕まえられ、今にも殺されそうになっているのを見た。
 その瞬間、頭が沸騰するかの様に怒りで頭の中が一杯になったのだ。もはや、誰の言葉も届いていなかった。ネギの言葉もエヴァンジェリンの言葉も茶々丸の言葉もカモの言葉も。
 ただ、全身全霊の力を篭めて投げた。

「私の友達を離せ~~~~!!」

 そうして時間は現在に至る。ネギの何故来たのか、という問い掛けに明日菜は言った。

「何でって……友達が大変なんだから当然でしょ? カモに頼み込むの大変だったんだから」

 あっけらかんと、まるで当然の事を態々聞くなんて馬鹿じゃないの? とでも言うかのように明日菜は言った。この生死を掛けた場面に登場する理由にそれ以上の理由が必要なのか? そう、逆に問い掛ける様に。
 ネギは絶句すると、明日菜の言った言葉に違和感を覚えた。

「待ってください。カモ君も居るんですか!?」

 ネギが叫ぶと、明日菜のポケットから一匹のオコジョが顔を出した。カモは「チッス」と言いながら、自然な動作で明日菜の肩に登った。

「何で……?」
「姉貴?」
「何で明日菜さんを連れて来ちゃったの!?」

 ネギの怒りの篭った叫びに、カモは小さく嘆息した。

「仕方無かったんスよ」
「仕方なかったって……」

 カモの言葉に、ネギは絶句した。そんな言葉で片付けられる問題じゃないのに……。そう、ネギは怒りを篭めた視線をカモにぶつけると、明日菜がニヤリと笑いながら言った。

「私が頼んだって言ったでしょ? それに、あの困った不良少女の素行を正す為には、私の力は必要みたいだしね!」

 明日菜の言葉に、ネギは「え?」と首を傾げた。そして、カモはニヤリと唇の端を吊り上げて、邪悪な笑みを浮べた。

「倒しやすぜ。最強の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを! 作戦がありやす!」

 そう、カモは言い放った。

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