第六話『激突する想い』

「あいつら、どこに隠れたのだ?」

 エヴァンジェリンは見失ったネギと明日菜を探し回り、苛立ちを堪え切れなかった。茶々丸のセンサーも結界が張られてしまうと意味を成さない。
 あの二人の性格から逃げたとは考え難かった。エヴァンジェリンは舌打ちをすると『氷爆』を放った。ただ探すよりも、氷を爆発させる『氷爆』を使えば生き埋めに出来る可能性は高いし、燻り出す事も出来るかもしれないと判断したのだ。『凍る大地』に加え、連続した『氷爆』に、さすがのエヴァンジェリンも疲れが見えて舌打ちをした。
 茶々丸も自分の特殊な兵装を使い氷原を破壊し続けている。エヴァンジェリンは、茶々丸が最初に絶対に誰もいない事を目視で確認している事に気がついたが敢えて何も言わなかった。態々茶々丸に手を汚させる事も無いだろうと無意識に考えながら作業を続ける。無意識のその想いがどういうモノなのか、エヴァンジェリンは分かっていなかった。
 氷原の殆どが破壊しつくされ、エヴァンジェリンが残る場所に目を向けると、突然凄まじい光が溢れかえった。

「契約の光か!?」

 舌打ちをすると、エヴァンジェリンは『氷爆』を放ったが、爆心地には誰も居なかった。

「どこにっ!?」

 苛立ちからか、加減を間違えて立ち上がった氷煙を無詠唱の闇の魔法で薙ぎ払う。そこに、身の丈に似合わない長過ぎる程の長さを誇る杖を構えるネギ・スプリングフィールドと、ネギを護る様に前に立ち、不思議な形の鎧を着て、白金の輝きを放つ片刃の大剣を担ぐ神楽坂明日菜の姿があった。
 白金の輝きを放つ大剣の銘は『ハマノツルギ』。神楽坂明日菜の仮契約によって契約の精霊が割り振ったアーティファクトだ。刀身は五尺余り、幅は六寸程度の片刃の、だが太刀と呼ぶにはあまりにも無骨な斬るに適さない刀身。まるで、切り裂くのではなく叩き切る為の西洋剣を半分にした様な形だ。無理矢理、剣として扱える様に引き伸ばされた包丁――――それがハマノツルギだった。
 柄の底には白銀の縁取りのある先の三角になっている装飾があり、持ち手を護る為か、刀身から僅かに手を護る様に穴の空いた刀身の一部が伸びている。柄の底から伸びた装飾品の先にはまるで短冊の様な物が繋がっていた。そこには、明日菜が見た事も無ければ、読む事も不可能な文字が描かれている。
 明日菜の鎧は、ほど良い大きさの胸元を強調する様な臍回りが剥き出しになっている中世の補正下着の様な服を基調に両腕と肩と首だけに繋がっている。背中も補正下着の様な服と少し離れていて剥き出しになっているゴシックドレスの様な肩の広い上着があり、両腕には白銀の手甲があり、左肩には手甲と同じ白銀の肩鎧が装着されている。スカートを覆う様に何故か麻帆良の校章付きの簾の様な前と両サイドが離れているオーバースカートにはウエスタンベルトの様にリボンが巻き付けられている。両足も白銀の金属では無い不思議な材質の脚鎧が装着されている。左脚の方は短いが、右脚の脚鎧は膝まで伸びている。
 最早迷い無くエヴァンジェリンを見つめるネギの姿に、エヴァンジェリンは眉を顰めた。先程とはまるで別人の様に澄んだ魔力がネギから溢れる様に立ち上り、明日菜の体もネギから供給される魔力によって覆われている。

「なんか、ちょっとくすぐったいわね」

 むず痒そうに、顔を少し赤らめて明日菜は苦笑いした。ネギはそんな明日菜にクスリと笑みを浮べると、魔力を杖に集中させながらカモの作戦を反復していた。『まずは、俺っちの用意が終わるまで、お二人にはエヴァンジェリンと茶々丸の注意を引き付けてもらいやす。なあに、倒すんじゃない。ただ引き付けるだけでいい。他に仲間なんて居ないと理解してる筈だからな、それを逆手にとるんでさ』そう言って、カモはネギのブレザーのポケットに明日菜に持たせて持って来たUFOキャッチャーで取ったオコジョのヌイグルミを押し込んだ。
 オコジョ妖精の魔力は人間や吸血鬼とは全くの異質で、例えエヴァンジェリンでも見分ける事は出来ない。カモは、ネギのポケットにオコジョが居るとだけアピールさせる為に持ってこさせていたのだ。その間、カモ自身が何をしていても気付かれない様に。
 それこそが、態々明日菜のポケットの中に隠れたりもせずに堂々と肩の上に乗って、オーバーなリアクションを取っていた理由だった。少なからず、カモという存在をアピールする為に。
 既に、カモの存在はバレている。それを利用して、今回もカモを連れて来ている。つまりは、途中からカモが乱入してくる事が無いと思わせる為の行動だったのだ。ネギと明日菜はアイコンタクトを取ると、即座に後ろを向いた。

「何!?」

 予想外の行動に、エヴァンジェリンは慌てて魔力を集中した。正面から来るだろうと思っていたから、まさかいきなり逃げ出すとは思っていなかったのだ。

「追え、茶々丸!」
「ハイ、マスター!」

 エヴァンジェリンは即座に茶々丸に指示を飛ばすと詠唱を始めた。同時に、ネギも詠唱を始め、アスナは迫る茶々丸に白金に輝く大剣“ハマノツルギ”を振るった。
 ガキンッ! という甲高い金属音が響いた。

「やりますね、素人でこの反応とは……お見事です」

 淡々とした口調で賞賛する茶々丸を、キッと睨み付けた。本当なら戦いたくなんて無かった。だけど、負ける訳にはいかない。
 明日菜は声を張り上げて心を昂らせた。

「うあああああああああ!!」

 ネギの魔力のバックアップの恩恵を受けた明日菜の速度と力は、元々並みの女子校生のレベルを遥かに越えていたというのに、更に上がっていた。ネギからは離れ、茶々丸を出来る限り引き剥がす。
 茶々丸が魔法を使える従者だった場合を考えて肉弾戦に向いていないネギから茶々丸を魔法の効かない肉弾戦の得意な明日菜が引き剥がすのが作戦の第一段階だった。
 遠くを見ると、氷と風の魔法が激突して氷が吹雪のように凄まじい勢いで舞っている。
 ネギは『サギタ・マギカ、連弾・風の17矢』を、エヴァンジェリンの『サギタ・マギカ、連弾・氷の17矢』で相殺された瞬間に、別の魔法の詠唱を始めた。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 風の精霊17人、集い来たりて、敵を裂け! サギタ・マギカ、雷の17矢!」

 ネギの杖から雷の属性の金色の光が17本の矢となってエヴァンジェリンに迫る。

「無駄だ、『氷爆』!」
「――――ッ!」

 その時、ネギは見た。エヴァンジェリンが呪文を放つ時にどこからか取り出した不思議な色のビーカーを投げるのを。普通、魔法薬を使うのは余程の初心者か、それとも……魔力が足りない者だ。よく考えれば当然だった。長話のおかげでエヴァンジェリンは無駄に魔力を消費し続けていたのだ。もう、魔法薬に頼らないといけない状態なのだ。
 別に倒せると思った訳では無い。ただ、時間を稼ぐだけならば、微かだった可能性が大きく膨れ上がった。魔法薬のストックの量は分からないにしても、もう『凍る大地』レベルの魔法は連発出来ない筈だと踏んだ。

 一方、遠くのネギ達の戦いを見ながら、明日菜は茶々丸の右手の甲から伸びたアームソードを凌いでいた。何度も斬り合う内に嫌でも気がつく。茶々丸に明日菜を傷つける気は無いと。

「うらあっ!」

 左から右に大きく切り払い、茶々丸から距離を取ると同時に再び近づく。少しでも攻撃を加えたら迷わず逃げろ。それが、カモからの明日菜が厳守すべき注意事項だった。『勝つ必要が無い上に、エヴァンジェリンの従者なんだから只者って事は絶対にありえねえんス。下手に押してるからって斬りかかれば、その時点で終了ッス。どんなに優勢になっても、攻め込む事だけはしないでくだせえ!』それがカモの言葉だった。
 逃げ過ぎてネギの元に向かわれては本末転倒だ。攻め過ぎず、逃げ過ぎずのギリギリの戦いを明日菜は見事に成し遂げていた。茶々丸は内心で舌を巻いていた。
 これほどの力がありながら本当に素人なのですか、明日菜さん!? 茶々丸自身も、明日菜と同様に戦いたい訳では無かった。
 どうして明日菜がココに来てしまったんだろう、と茶々丸は苦い思いだった。見逃す事は出来ないし、この女性(ヒト)は絶対に逃げないだろう。重い筈の大剣を軽々と振り回しながら、自分に襲い掛かっては直ぐに後退する明日菜の戦闘法は、自分を主の下に向かわせない為だろうと、茶々丸はすぐに気がついていた。それでも、目の前の少女の巧みなタイミングでの攻撃に離脱するのは容易い事では無かった。
 チラリと主と未だ話しすらした事の無いクラスメイトの少女の戦いに目を向けた。右手のアームソードで明日菜の怒涛の攻撃を躱しながら。

「あの公園はっ!」

 エヴァンジェリンとネギの戦う場所は、湖のすぐ傍の『麻帆良湖公園』だった。
 一瞬気が逸れた茶々丸はすぐにハッとなり明日菜を見た。茶々丸は目を見開いた。明日菜もまた、ネギとエヴァンジェリンの魔法を放とうとしている姿を見て絶句していた。

「茶々丸さん、ごめん! ちょっと、休戦させて!」

 そのまま、明日菜は走り出していた。その場所は、茶々丸がいつも猫達に餌を上げる場所であり、今も一匹の捨て猫が取り残されている筈だったのだ。明日菜も木乃香と時々茶々丸の手伝いをしていて知っていたのだ。その猫の存在を。その姿を見て、茶々丸も無意識の内に駆け出していた。明日菜を越える速度で、明日菜を……公園の入口前で横に軽く押して草叢がクッションになる様に転ばせた。

 舞台を麻帆良湖公園に移したネギとエヴァンジェリンは魔法を放ち合っていた。

「ハハハ、中々やるではないか! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 闇の精霊29柱――」
「クッ! ラス・テル マ・スキル マギステル! 光の精霊29柱、集い来たりて敵を射て!」

 ほぼ同時に同じ量の魔力を練り上げる。

「サギタ・マギカ、連弾・闇の29矢!」

 一瞬先にエヴァンジェリンが詠唱を完了させて29本の漆黒の矢がネギを目掛けて降り注ぐ。ネギは杖を振り回す様に「サギタ・マギカ、連弾・光の29矢!」と唱えた。ネギの正面に光のサギタ・マギカが壁の様に発生し、エヴァンジェリンの魔法をギリギリで受け流した。

「ハハハハ! 辛うじて防いだか! いいぞ、それでこそ奴の――ッ茶々丸!?」
「え、茶々丸さん!?」

 高笑いをしていたエヴァンジェリンが突然目を見開き、ネギはその視線の先を追った。そこには、明日菜と遠くで戦っていた筈の茶々丸が蹲る様にして倒れていた。体中からはバチバチと火花が飛び出している。
 まるで工事現場で鉄を切っている様な凄まじい光だった。焦げ臭い香りに、一瞬ネギは肉の焼ける臭いかと思い顔を青褪めさせた。

「何故、何故だ……茶々丸?」

 エヴァンジェリンは戸惑いを隠し切れていなかった。突然、ボロボロの姿で出現した茶々丸に理解が追いつかなかった。ネギも同じく戸惑いながら茶々丸を見つめた。

「え?」
「何!?」

 茶々丸の腕の中から猫の鳴き声が聞こえた。

「茶々丸さん!」

 呆然としているネギとエヴァンジェリンを尻目に、走ってきた明日菜は茶々丸の元に行き息を呑んだ。

「茶々丸さん……」

 茶々丸が苦しげな表情を浮べながら起き上がると、その胸には一匹の小さな子猫が茶々丸によって抱かれていた。明日菜は心底安堵した表情を浮べた後、心配そうに茶々丸を見つめた。

「明日菜さん?」

 ネギがその背中に問い掛けると、明日菜は小さく溜息を吐いた。

「ここね、茶々丸さんがいつも猫達に餌をあげてる場所なんだ」

 淡々と、怒りも悲しみも何も感じさせない口調で明日菜は語り続けた。茶々丸が居るせいか、エヴァンジェリンも攻撃を躊躇っている。

「ネギ、茶々丸さんはやっぱり優しいや。だって、私の事突き飛ばして自分がコッチに行っちゃうんだもん。毎日、餌をあげて面倒をみてあげてるのよ。この捨て猫の……」

 明日菜は立ち上がると、茶々丸の手から子猫を預かった。そのまま、子猫を公園の外に向けて降ろすと、近寄ろうとする子猫に向けてハマノツルギを目の前に突き立てた。

「行きなさい!」

 怒鳴る様に叫ぶと、子猫は驚いた様に身を縮めて公園の外へと逃げて行ってしまった。その様子を眺めている茶々丸に気がつくと、明日菜はニッコリと笑みを浮べた。

「大丈夫、きっと戻ってくる。最初ね、木乃香が居なくなって不安だった」
「?」

 突然の言葉に、エヴァンジェリンは浮遊したまま眉を顰めた。

「ネギを虐めるエヴァンジェリンにムカついたし、私が狙われて殺されるなんて冗談じゃないって思った。でもね――」

 ジロリと、それこそ尋常ではない気迫を放ち、明日菜はエヴァンジェリンを見た。

「どうでもよくなっちゃった。何で茶々丸さんと戦わなきゃいけないんだ! って……迷いももうどうでもいい」

 明日菜は問い掛ける様な口調で言った。

「ねえ、エヴァちゃん、どうしてこうなってんだろうね? きっと、楽しかった筈だよ? エヴァちゃんも一緒にネギとお友達になって、いつも皆と馬鹿やって。こんな風に、殺し合いなんて馬鹿な事しなきゃ、茶々丸さんだって傷つかなかった。子猫だって怖い思いをさせずに済んだ。ネギのお父さんがエヴァちゃんに何したのか何て私は知らない。それでもね? これだけは言えるの。もう馬鹿げた悪夢はココでお終いにする」

 明日菜の言葉に、エヴァンジェリンは唇の端を吊り上げた。笑みを浮かべ、それでも瞳には僅かな動揺が走っていた。

「馬鹿な事を……。私に勝てるつもりなのか? この、闇の福音と謳われた、この私に!」

 忌々しげに殺意の篭った視線を向けるエヴァンジェリンに、それでも明日菜はジッと見つめるだけだった。バチンッ! と突然何かが外れる音がした。

「え、茶々丸さん!?」

 ネギは明日菜から目を逸らして茶々丸を見た。ネギの視線の先には、左腕が肩ごと落ちた茶々丸の姿があった。ネギは驚愕した。茶々丸の傷跡にあるべき物が無く、代わりに無い筈の物がある事に。血も肉も無い。そこにあるのは、暗闇に光る青白い光や赤い閃光。それに何本もの千切れたコードや金属だった。

「嘘……っ! 茶々丸さん、ロボット?」

 呆気に取られた様に明日菜は叫んだ。茶々丸の服からはみ出した顔も手も太腿も、どう見ても人間の少女にしか見えない。なのに、その少女にはある筈の無い無骨な金属パーツが見えたのだ。体中からは絶えず火花が散り、鈍い動きで立ち上がる。

「駄目です、茶々丸さん! そんな状態で動いたら!」

 ネギが慌てて叫ぶが、茶々丸はエヴァンジェリンに顔を向けた。その刹那の間に、ネギは一瞬だけ茶々丸が微笑んだ様な気がした。目を見開くネギを尻目に、茶々丸はエヴァンジェリンに頭を下げた。

「申し訳ありません、マスター。猫が危険だった物で……」

 言い訳もせずにただ事実を報告する茶々丸に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

「くだらない情に流されおって、やはり科学とは当てに出来んな。余計な感情など、私の従者には不要だというのに……」

 エヴァンジェリンのあまりの物言いに、明日菜は怒気を放った。

「何ですって?」

 大声では無かったが、ネギはその声に心臓を鷲掴みにされた様な感覚を覚えた。エヴァンジェリンはそんな明日菜の姿に目を細めると、下らなそうに鼻を鳴らした。

「何を激昂しているのだ? 茶々丸は魔法と科学で生み出されたガイノイドだ。壊れても幾らでも修理できる。第一、機械に情などあっても仕方あるまい」

 エヴァンジェリンは冷たい口調で言い放った。

「何で、何でそんな事言うんですか! 茶々丸さんは貴女の、エヴァンジェリンさんのお友達なんでしょう!?」

 顔を歪めて叫ぶネギに、エヴァンジェリンは憎悪を孕んだ顔で睨み付けた。

「友達? フンッ、笑わせるな! 私はお前の父親サウザンドマスターに囚われの魔法をかけられて以来15年間……いや、10歳の時に吸血鬼にされ、成長が止まったその時以来、ず―っと一人だよ! 友達などいるものか!!」

 まるで、感情が爆発した様だった。ハァハァと息を乱し、ゆっくりと整えるとエヴァンジェリンはニヤッと笑みを浮べた。

「言うなれば、茶々丸は私の下僕だ!」
「違うわよ! 茶々丸さんは私達や……アンタのクラスメイトよ!」
「どうして、そんな悲しい事を言うんですか!? 友達を……下僕だなんて!」

 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜は歯をギシギシと軋ませて叫んだ。ネギは、涙をその両目に浮かべ、心に燻った思いを吐き出した。

「明日菜さん、ネギさん……」

 茶々丸は、そんな二人を少しだけ目を見開きながら見つめた。

「自由を……、自由を謳歌出来る貴様等に何が……何が分かる!! 永遠の生き地獄を宿命付けられた私の苦しみなど分かるものか!! ああそうさ! 貴様の父親も結局は私を置いて行った! 一緒に旅をして、街を救ってやったり、死に行く弱者に力を貸してやったりもした! 強大な敵が来ると言われて、共に戦おうとも思ったさ! 少しは光に生きる気にもなったのに、お前の父親は……わた、私を!!」
「エヴァンジェリンさん!?」

 両目から涙を溢れさせて、その愛らしい顔を恐ろしい鬼の様に歪め、エヴァンジェリンはネギを鋭い殺意を篭めて視線で射抜いた。

「動け、茶々丸!」
「ハイ、マスター!」

 エヴァンジェリンの命令で、左腕を失った茶々丸は右手の甲から鋭いアームソードを出して駆け出した。

「茶々丸さんとは私がヤル! アンタは……あそこで泣いてる子を闇から無理矢理にでも引きづり出してやんなさい!」

 叫ぶと同時に、明日菜も茶々丸に向かってハマノツルギを両手で構えて駆け出した。ぶつかり合うハマノツルギとアームソードが交差する。体中から火花を放ちながら、茶々丸は一切の容赦も無く神楽坂明日菜に斬りかかる。

「もし、貴女が思いを通すと言うのでしたら、私は全力で応えましょう。殺す気でいきます、貴女が貴女の思いを通すと言うなら、私を倒して下さい」

 淡々とした口調で告げられた宣戦布告。恐らくはコレが最後の攻防となる。
 既に作戦開始から時間は十分が経過した。もう、時間稼ぎのフェイズは終了したのだ。適当な作戦では無意味、さりとて凝った作戦などその場で実践出来る筈も無く、600年を生きた古血の吸血鬼に通用する筈が無い。
 カモが練った作戦はシンプルなモノだった。つまり、命をチップに時間を稼ぎながら、自分の役割を果たすカモの存在を徹底的に隠す事。そうすれば、勝利の為の鍵はカモが用意する。

「ええ、私も迷わない! 貴女を倒して、泣き虫娘(ネギ)と泣き虫娘(エヴァちゃん)の元に行く!」

 その攻防は異常だった。武芸を知らないただの女子中学生が、多種多様な武術のデータと、それを操る為のスペックを併せ持つ茶々丸(ガイノイド)という存在に互角に渡り合っているのだ。
 明日菜は、それでも足りないと前に出る。互角では意味が無いと。この先、自分はもう異能の世界から逃れることは出来ないとカモは言った。自分の能力は、魔法使いにとっては恐怖の的であり、排除するか、もしくは研究材料にされる可能性があるらしい。
 冗談じゃない! 更に前に出る。甲高い金属音が夜の公園に響き渡る。訳の分からない理由で殺されたり、解剖されたりするなんて冗談じゃない。明日菜は前に出続ける。
 ここで、絡繰茶々丸という女性を乗り越えなければ未来が無いとでも言う様に。
 ネギ一人では作戦は実行出来ない。だがそれ以上の思いで、腕や脚すら使い、一種の演舞の如き流れる動きで茶々丸を攻め続ける。一切の躊躇いも無く、一切の容赦も無く。左腕を肩から失った茶々丸の動きは、明日菜でも対応できる程に衰えていた。時間が経てば勝手に自滅するだろう相手。それでも、明日菜は攻め続ける。それが、絡繰茶々丸に対する礼儀だとでも言う様に。
 走る明日菜のハマノツルギの刃を、アームソードで流す茶々丸。最早、ハマノツルギの描く軌跡は残像を残すレベルに達している。ソレでも尚、茶々丸は衰えたスペックで対応する。
 一方的に見えて全くの互角。それでも、力の差は徐々に明日菜に軍配が上がっていく。茶々丸は火花が噴出す度に何処かの機能を失っているのだ。最初は各種の戦闘に不要なセンサー。左腕を操作する為のセンサーも死に、体中の武装までもが死んだ。メモリーは特殊なプロテクターがあるおかげで無事だが、徐々に視界もぼんやりとしてきている。

「明日菜さん、貴女は強い。それでも、私は貴女を通さない」

 攻められ続ける茶々丸は、後退する事で明日菜の剣戟と蹴りや拳を回避し続けていた。

「――――ッ!」

 茶々丸の体が止まる。回転する様に明日菜の剣の軌跡、腕や脚の動きも全てを把握し、まるで明日菜は茶々丸が実体を失ったかの様な感覚を覚えて、茶々丸を通過してしまった。
 ギィィィン! という凄まじい響きが木霊する。無意識に右手で背後に放ったハマノツルギの斬撃が、茶々丸のアームソードを防いでいた。

「これも反応しますか……。貴女の実力は、既に並みの魔法使いや武人を遥かに凌いでいます」

 茶々丸の素直な賞賛を受け、明日菜はニヤリと笑みを浮べた。

「そりゃどうもっ!」

 ハマノツルギを左手に持ち替えて、茶々丸のアームソードを防ぎながら拳を放つ。

「フッ」

 それを飛び上がって回避すると、茶々丸は身に着けていたエプロンを引き千切り、真下の明日菜に向けて放った。

「無駄!」

 そのエプロンを一刀両断にし、その更に上を見上げた明日菜の視界に、茶々丸の姿は無かった。

「どこにっ!?」

 咄嗟に、茶々丸が飛んだ場所とは反対側を向いた。前に跳んだならば着地するのはコッチの筈だった。

「後ろです」

 その常識的な考えが通用する相手では無いんだと、自分の迂闊さに明日菜は舌打ちした、茶々丸の兵装には、遠距離武装はあまり無い。外部パーツを用意していた訳でも無い茶々丸の遠距離武装は左手に集約していた。右手は防御力と強力なアームブレードのみであり、他の部位への武装発動の信号は、既に受信パーツが壊れている。そこまでの故障があって尚、異常な戦闘力を有する明日菜と互角に立ち合えているのは、茶々丸のエヴァンジェリンへの忠誠心と、明日菜の思いに応える為の“心”故だった。
 明日菜は徐々に自分の武装の特徴を掴み始めていた。大き過ぎる剣は、魔力のパックアップのおかげで羽根のように軽く振るう事が出来、おかげで無茶苦茶な斬撃でも茶々丸を押す事が出来た。

「――――ッ!」

 茶々丸は気がついた。明日菜が闇雲に振り回すだけでなく、その長大な間合いを持って己を制し始めているのを。早過ぎる斬撃を茶々丸の攻撃範囲外から繰り出し続ける。その上、剣は剣先に行くほど力を増す。連続する攻撃を受け、茶々丸のアームブレードは茶々丸自身よりも早く限界を迎えてしまったのだ。
 バキンッ! という、金属の弾ける音と共に、体が吹き飛ばされた。そこに更に追撃しようとすると、茶々丸が拳を振り上げていた。
 茶々丸は態と亀裂の走ったアームブレードを放棄して、アームブレードの固定部を意図的に破壊したのだ。右手だけのラッシュに、明日菜は戦慄した。
 一撃一撃が重過ぎるのだ。当たれば一撃で戦闘不能に追い込まれる。ハマノツルギを盾にして、攻撃を防ぎ続ける。

「――――ッ!」
「――――ッ!」

 明日菜と茶々丸は同時に目を見開いた。凄まじい大きさの水柱が突如公園に発生したのだ。

「マスターッ!」

 茶々丸は焦燥に駆られ、一気に勝負をつけようと拳を振るう。

「去れ(アベアット)」

 ハマノツルギに当たる筈だった拳は、ハマノツルギが突然消滅した事でからぶった。その勢いは殺す事が出来ず、茶々丸は絶望的な隙を作ってしまった。

「来れ(アデアット)!」

 その背後から、ハマノツルギを再び取り出した明日菜が渾身の力でハマノツルギの峰を茶々丸の背中に叩き込んだ。

「ごめん、茶々丸さん!」

 両手を叩いて頭を下げると、もう明日菜は茶々丸を振り返ることは無かった。

「申し、わけ……あり……ません、マス……ター。私……は、あの、女性(ヒト)に……は…………敵い……ませんで…………した」

 全身がボロボロになってしまった茶々丸は、そのまま空を見上げながらクスリと微笑んだ。
 不思議な気持ちですね。今、私の心は素晴らしく穏やかです。茶々丸は胸中で呟きながら走り去った明日菜に小さく言った。

「がん……ば…………て」

 遠くで、茶々丸と明日菜の戦闘を眺めながらエヴァンジェリンとネギはお互いを睨み合っていた。既に半年間溜め込み続けた魔力の殆どを消費したエヴァンジェリンと魔法使いとして未熟なネギは一度戦いの火蓋が斬って落とされれば、後はどちらが先に魔力を使い切るかの勝負になってしまう。
 魔法薬のバックアップも元の魔力が無くなれば意味は無い。睨み合ったまま動かない二人はジリジリと遠くで響く戦闘の音を聞いていた。

『姉貴!』

 唐突に、ネギの目が見開かれた。不信に思ったエヴァンジェリンは呪文の詠唱を開始して、ネギも即座に杖を構える。

『カモ君、準備は!』
『完璧ッス! 後の問題は場所ッス! 姉貴、そこから500m先にある麻帆良湖公園の中央の噴水までエヴァンジェリンを誘導してくだせえ! そしたら、俺っちが合流しやすから、そこで術式の起動を!』
『了解!』

 念話を終えると同時に、ネギの杖には風の魔力が、エヴァンジェリンの掌には氷の魔力が集中した。

「サギタ・マギカ、連弾・氷の29矢!」
「サギタ・マギカ、連弾・雷の29矢!」

 同数のサギタ・マギカでの打ち合い。互いに無駄撃ちは出来ないのだ。相手の放った魔法を相殺する魔法を放つ。これは魔力操作の緻密性の戦いだ。無駄な魔力を魔法の構成に注げば、その分だけ終わりは早くなる。このままいけば、エヴァンジェリンの勝利が確定する。
 魔弾を連続で放ち続けるエヴァンジェリンの顔には余裕の笑みが浮かぶ。ココに来て、実力の差がハッキリと現れた。一撃一撃に無駄に魔力を練り込んでしまうネギと最低限度の魔力だけを篭めて魔法を構成するエヴァンジェリンでは圧倒的にネギの魔力消費量が上なのだ。
 総量ではエヴァンジェリンを凌ぐネギだが、その優位性は実力の差という埋め難いモノによってゼロどころかマイナスにされてしまっている。

「何っ!?」

 エヴァンジェリンは目を見開いた。この土壇場でネギは逃げ出したのだ。

「貴様、あれだけ吼えた癖に逃げると言うのか!? それが、それがあの男の息子のする事か!」

 激昂したエヴァンジェリンは魔法薬を放ち、呪文を唱える。ネギが向かう公園の中央部に向けて。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 貴様の父親の好んだ技で終わらせてやる――ッ!」

 エヴァンジェリンが掌に集中させたのは氷でも闇でも無く、雷の魔力だった。

「あれはっ!?」

 ネギは目を見開いた。雷は風属性の魔法の応用だ。闇と氷の魔力特性を持つエヴァンジェリンには使い難いはずだった。
 通常、魔法使いが自分の得意とする属性を持ち、得意属性では無い場合は発動が難しく、魔力を必要以上に練ってしまったり、構成が雑になってしまう場合が多い。また、得意としている属性から応用して別の属性を操る事は可能で、例えば、ネギの扱う”雷”という属性は、風の精霊を操り応用して発動する特殊な属性なのだ。ただでさえ、得意属性とは思えない風の属性の魔法を更に応用する雷の魔力を操りながら、エヴァンジェリンは平気な顔をしている。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……、最強の魔法使い!」

 ネギは全身に鳥肌が立つのを感じた。自分が相手にしているのは間違いなく最強を冠するに相応しい魔法使いなのだと理解し、心の奥底で小さな炎が灯ったのだ。

「来れ、虚空の雷! 薙ぎ払え、『雷の斧』!」

 収束した雷の魔力を、エヴァンジェリンは叩き付ける様にネギを目掛けて振るった。

「加速!」

 防ぐ事は出来ないと悟ったネギは、余波を受ける事を覚悟して杖に乗って移動速度を上げた。地面に激突した『雷の斧』は爆発すると、その一部が鞭の様にしなってネギの背中を抉った。

「ギギャアアアアアアアア!!」

 杖から落ちたネギは、そのまま滑る様に転がり、左腕が動かないせいで受身も満足に取る事が出来なかった。肉が焼けた嫌な臭いがネギの鼻腔を刺激する。

「ガググアアアア!!」

 のたうちまわるネギを詰まらなそうに睨みながら、エヴァンジェリンは不信気な目付きでネギを見た。何かがおかしい――、エヴァンジェリンは目を細めて周囲を見渡した。
 どこにも何も無いし、誰もいない。だと言うのに、不自然な魔力の流れを感じたのだ。

「まさか……罠かっ!?」

 エヴァンジェリンが目を見開くと同時に、噴水から一匹のオコジョが飛び出してきた。

「馬鹿なっ!? オコジョはポケットに――ッ!?」

 それまで注意を払っていなかったネギのポケットに入っているオコジョにエヴァンジェリンはこの時初めて注目した。よく見れば明白だった。

「ぬいぐるみだとォォォォ!?」

 つまり、自分はあのオコジョを自由にさせてしまっていたのだ。エヴァンジェリンは一瞬で魔力を練り上げると、無詠唱のまま闇の魔法を放った。

「ナニッ!?」

 その攻撃は、ネギに届く事は無かった。突如地面から出現した水の壁に闇の魔法がぶつかり飲み込まれたのだ。水の壁は一気に天まで駆け上がり、その水の壁の中には欲望のルーン、拘束の意味を持つ『ナウシズニイド』が描かれたカードが無数に流れていた。
 カモの役割は、最終局面でカモが魔法陣を“魔力の篭められたカード”で描き、シングルアクションでネギの魔力を使わずにカードに宿った魔力だけで水の結界を張れる様に用意し、その中にエヴァンジェリンを一定時間封印出来る様に“湖から噴水まで伸びる水道管”の中に大量のカードを流し、結界に水道管の水を使った瞬間に封印の為の束縛の意味を持つ、明日菜には効果の無かった『ナウシズニイド』のカードを同時に巻き上げる様にしたのだ。
 ルーンはネカネが用意した特別高価な特別製で、特別な魔法薬でチョークを作り、魔力が染みこんだチョークで描いた。本当ならば、ゆっくりと手助けをする為に小出しにするつもりだったのだが、エヴァンジェリンに対抗する手段として、カモはエヴァンジェリンを束縛するという一点に絞った。信号を意味する知恵のルーン『アンスズアス』のカードで、ネギが魔法陣を発動したのだ。
 だが、ここでカモの作戦は頓挫した。ネギの怪我だ。背中は焼け爛れて、左腕は変色している。もはや生きているのすらギリギリな状態だった。

「ちくしょう、姉さんも……姉貴も頑張ったってのに……ここまでかよ!」

 最悪だった。準備している間、カモはネギや明日菜の健闘っぷりを見ていて油断していたのだ。せめて、公園の周囲の林の中を進めと言えば良かった。
 この状態では、ネギが最大魔法を発動する事など叶わぬ望みだった。エヴァンジェリンを倒すには、ネギの最大魔法である『雷の暴風』以外にはない。あの巨大な岩のモンスターすらも倒した『雷の暴風』ならば、如何に真祖の吸血鬼とはいえ無事では済まないだろう。

「あと、一歩だったんだぞ……」

 悔しげに、傷つき倒れているネギを見つめながら、たった一つの己のミスを嘆いた。その間に、水の柱の中から激しい爆音が響いた。エヴァンジェリンが結界を破壊しようと魔法をぶつけているのだ。そんな事をしなくても、総数300枚ものカードを使ったとは言え、その一枚一枚に篭められた魔力など微々たるものだ。もう数分もしないで結界が解ける。
 ネギは殺され、明日菜も殺される。自分も殺される全滅の未来。カモは諦めにも似た気持ちで、徐々に崩れていく水の柱の結界を眺めて嘆息した。

「ラス……テル…………マ・スキル……マギ…………ステル!!」

 信じられない声がした。カモが隣を見ると、口からも血を流しながら、懸命に立ち上がり、杖を構えるネギの姿があった。転がった時に切ったのだろう、額からも血を流している。

「ゴフッ! ……来れ…………雷精、風の…………精!!」

 大きな血の塊を吐き出し、背中から滴る血と共に小さな池を作り出している。左腕はダランと垂れたまま動かない。
 満身創痍、まさにソレがネギの現状だった。意識があるのか無いのかわからない目で、水の柱を見つめながら呪文を唱える。

「雷を纏いて……ゲフッ…………吹きすさべ! 南洋の……オエッ…………アグッ」
「姉貴!!」

 カモは胸が張り裂けそうになった。このまま、休ませてやりたい。どれだけそう思うか。だが、今、ネギが倒れれば全てが終わってしまう。そんな事は分かっていても、見ているだけで辛くなってしまう状態だった。

「南洋の……風!」

 雷と風の魔力が、ネギの体に宿る全ての魔力が杖に集中していく。ドバアアンッ! という凄まじい爆発音が響いた。水の柱の結界が自然消滅してしまったのだ。
 カモは見上げた途端に絶望した。そこに居るのは、ネギの魔法と同種の二属性融合魔法を発動する寸前のエヴァンジェリンの姿だった。
 空からは舞い散る雪の様にルーンを刻んだカードが降り注ぐ。その中には、魔法陣に使っていたカードもあった。恐らく、何枚かが結界の発動と同時に巻き上げられてしまったのだろう。予定よりも早い結界の消滅と共に考えて、カモはそう結論を出した。万事休すだった。

「見事だったぞ? 誇って死ぬがいい」

 エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮べながら掌をネギに向けた。血だらけの顔で、ネギはエヴァンジェリンを見つめる。

「その瞳……そう、その目だよ。人はみな私を憎しみと恐怖の目で見る。ならば、そう生きようと誓ったのさ」

 ネギは空ろな目でエヴァンジェリンの顔を見上げた。その瞳には、薄っすらと涙が溢れていた。

「やはり、私は永遠に一人だよ……」

 そう言って、エヴァンジェリンは魔法を放った。

「『闇の吹雪』!」

 闇の魔力と氷の魔力が同時に溢れ出し、月明かりに輝く暗黒の竜巻がネギに襲い掛かった。

「姉貴!!」

 カモの叫びに、反応し、ネギが杖を向けるが間に合わない。死んだ、そう思った。カモとネギは目を閉じて、その頼もし過ぎる声を聞いた。

「そんなのさ~、悲し過ぎると思う訳よ」
「なにっ!?」
「あ、姉さん!?」
「…………?」

 エヴァンジェリン、カモ、ネギはそれぞれ目を見張った。在り得ない光景がソコにはあった。
 暴れ狂う『闇の吹雪』を右手だけ翳して防ぐ少女の姿があったのだ。神楽坂明日菜は『闇の吹雪』を右手で抑えつけながらネギを見た。

「ねえ、もう諦めちゃう?」

 その声は、その光景に於いて在り得ない程優しいものだった。闇の魔力は明日菜の右手や体に当たる度に消滅し、氷の塊は明日菜の体に触れると同時に液化する。強力な魔法が、神楽坂明日菜という少女に屈していた。

「アンタは、あの子をどうしたいの?」

 神楽坂明日菜は問い掛ける。自分が守るボロボロに傷ついた少女に。
 ネギの制服は殆どが破けてしまっている。背中は酷い傷で血が止め処なく出ている。そんな彼女に、それでも神楽坂明日菜は問い掛ける。

「姉さん……姉貴はもう応えられる状態じゃ……」

 カモが悲痛な声で言うと、隣から弱々しい声が聞こえた。

「……たいです」
「ん?」
「すけ……いです」
「もう一回」
「助け……たいです」

 必死に振り絞る声で、ネギは言った。

「巫山戯ているのか? 貴様等は、この私を馬鹿にしているのか!?」

 更に『闇の吹雪』の威力を高めるが、神楽坂明日菜の肉体に傷一つ負わせる事は出来ない。

「馬鹿な……。何故、何故だ!? 何故、私の魔法が効かない! 貴様は何者だ、神楽坂明日菜!!」
「何者って? そんなの分かりきってんでしょ?」

 その時、頭上から明日菜に向かって一枚のカードが降ってきた。

「これ、あの時の……」

 ハマノツルギを離して、空いた左手でカードを掴むと、そこに描かれていた絵を見て明日菜は笑みを浮べた。無茶な『闇の吹雪』の連続発動で、魔力が完全に切れ始めたのか、エヴァンジェリンは浮遊する事が出来ずに地面に降り立った。

「クソッ、クソッ、クソッ!! 何なんだ、何なんだ貴様は!! 神楽坂明日菜!!」

 エヴァンジェリンの叫びに、明日菜は一歩ずつ『闇の吹雪』の暴虐の中を悠然と歩き始めた。

「何者ってさ、分かってるでしょ? 私は、アンタや……あそこにいるネギや、遠くで眠ってる茶々丸さんのクラスメイト」

 ニヤリと笑みを浮べた明日菜は、エヴァンジェリンの眼前に来ていた。

「来るな……、来るな!!」

 自分の魔法の中を悠然と歩いて来た目の前の少女に、エヴァンジェリンは恐怖を感じた。明日菜はクスッと笑うと「アベアット」と唱えた。制服姿に戻り、明日菜はブレザーのポケットを漁る。
 少しだけ、プニプニとした感触のハンカチを開くと、意地悪そうな笑みでそれに持っていたカードを貼り付けた。ハンカチにはベットリと歓迎会の時に感激したネギの涙と鼻水が未だに乾かずにいた。ベチャッと嫌な音を立ててエヴァンジェリンの硬直した体のゴシックドレスの上にハンカチをカードごと貼り付ける。

「後は、あの娘の役目。さすがに、私も……げん…………か……い」

 そう言って、明日菜はゆっくりと離れて行った。
 直後、カモが信号のルーンで明日菜がエヴァンジェリンに貼り付けた束縛のルーンを発動した。僅かに残された力だが、魔力がほぼ枯渇してしまったエヴァンジェリンを捕らえるには十分だった。

「そうです……よね。諦める、なんて……簡単です」

 息も絶え絶えに、それでもネギは魔力を杖の先に研ぎ澄ませて行く。詠唱は既に終了している。

「それでも、諦めて……いいわけじゃ、無い! 逃げれば……いいって訳、でも……無い!! だから、私は貴女を倒します!! もう、逃げない、諦めない!! ウエッ……ハァ……ハァ……」

 大きな血の塊を吐きながらも、ネギは真っ直ぐな視線で光の帯に拘束されるエヴァンジェリンを見つめる。

「全部、それから。貴女を倒して、それから……ようやくスタート地点に立てる!! 貴女と私は一度も話した事すら無かったから。まだ、何も始まってなかった。父さんが貴女にした事も知らない。だから、教えて欲しい! だから、受けて下さい、私の……私達の思い!!」

 まさに疾風迅雷。空間を雷撃と旋風が蹂躙するネギ・スプリングフィールドの操る魔力が杖から吐き出される様に大地を削り、空気を切り裂く。

「逃げられぬ……か。ならば、私の障壁を越えて見せろ……ネギ・スプリングフィールド!!」

 拘束され、頭が冷えたエヴァンジェリンは確りとした目付きで眼前に金色の光と空間を歪める旋風を睨み付けた。残る全ての魔力と残る全ての魔法薬を使い、今出来る限りの最高の障壁を作り出す。

「『雷の暴風』!!」

 ネギの杖から莫大な魔力が噴出し、森全体が騒然となった。真横に倒された竜巻、それこそが『雷の暴風』の姿だった。金色に輝く雷光を纏った巨大な竜巻はまるで巨大な龍の如く暴れ回りエヴァンジェリンの障壁に激突した。

「グッオオオオオオオオオオッ!!」

 視界を覆い尽くして尚も分厚い壁となっている『雷の暴風』はエヴァンジェリンの構築した障壁を徐々に蹂躙していく。

「まさに……この力は――ッ!!」

 歯を喰い縛りながら、エヴァンジェリンは耐え続けた。

「こんな、ものおおおおおおお!!」

 屈する訳にはいかない。屈してしまえば、そこで全てが終わってしまうから。それまで自分を保っていたナニカが崩れてしまう気がするから。

「オオオオオオオオオオ!!」

 雄叫びを上げ、障壁に亀裂が入り、ギリギリの所でエヴァンジェリンはネギの『雷の暴風』を耐え抜いた。

「これで……なんだとッ!?」

 信じられなかった。否、信じたくなかった。ようやく耐え抜いた悪夢の様な魔法をネギ・スプリングフィールドは再び放とうとしていたのだ。

「連撃……だと?」

 目を精一杯見開いてエヴァンジェリンは絶句した。どうして、あんな状態でこんな魔法を連発出来るのかが理解出来なかった。最早、魔力も殆ど残っていないエヴァンジェリンにはこの一撃を回避する余力は残されていなかった。

「これで本当の本当に最後です、エヴァンジェリンさん!!」

 それは、契約解除によって戻ってきた明日菜に与えていた魔力だった。明日菜がアーティファクトと鎧を解除した事で、ネギからの魔力供給もストップしたのだ。本来失われるはずだった魔力が雷と風に変換されていく。さっきほどの威力は出なかったが十分だ。

「これが……私の今出来る最強魔法!!」

 既に、背中の傷や左腕が発する熱によって、意識を朦朧とさせながら、ネギは精一杯の叫び声を挙げた。

「『雷の暴風』!!」

 身体能力補助の為の風の魔力も全て乗せて放った『雷の暴風』は先程の威力は出なかったが、それでも確かに『雷の暴風』はエヴァンジェリンに届いた。

「マスターッ!!」

 突然、エヴァンジェリンの前に茶々丸が飛び出してきた。脇腹を抉られ、左腕は肩から落ちて、両足も崩壊し、飛行ユニットでギリギリ浮遊している。

「茶々丸っ!? 何故来た!! そんなボロボロになって・……っ!!」

 エヴァンジェリンの叫びに、茶々丸は笑みを浮べた。

「マスターは……私が守ります」

 エヴァンジェリンは思わず息を呑んだ。遠くから『雷の暴風』を見た茶々丸は飛行ユニットを使って文字通り飛んで来たのだ。大切な主を守る為に。『雷の暴風』は既に目前まで迫り、茶々丸に気がついたネギが無理矢理魔力を霧散させようとするが間に合わない。

「馬鹿者!!」

 無意識の行動だった。エヴァンジェリンは茶々丸を光の帯に拘束されたまま横に押し退けた。
 瞬間、エヴァンジェリンの体はネギが魔力を僅かに霧散させた事で威力が落ちた『雷の暴風』の残骸である風の塊に吹き飛ばされた。

「グハ――ッ!」
「マスターッ!」

 叫ぶ茶々丸を遠目に見て、漸くエヴァンジェリンは気付く事が出来た。一緒に茶道部の活動をする茶々丸。一緒に授業をサボって昼寝をする茶々丸。毎朝自分に朝食を作り、弁当を作り、夕食を作り、時々自分で勉強をしてるのか、段々とおいしくなっていた。
 いつも一緒だった。どこに行くのも。

「どうして……こんな時になるまで忘れてたんだろうな」

 吹き飛ばされ、魔力で編んでいた外套も服も全て弾け跳んだエヴァンジェリンは、眼下に見える麻帆良湖を見ながら思った。
 あそこに落ちれば、泳げない自分は死ぬかもしれない。ただでさえ、限界なのだから。封印さえ無ければ結果は違っていたかもしれない。だが、封印さえなければ元からこんな戦いをしなくても済んだのだ。

「本当に……憎らしい封印だ」

 そう胸中で呟きながら、エヴァンジェリンは目を閉じた。

「気がつかなかった……、いつも、そこに居るのが当たり前で、返事が返ってくる事が当たり前だった」
「それが……きっと、友達なんじゃないですか?」

 耳元でそう囁く声が聞こえた。目を開くと、そこには顔中を血だらけにしながら、エヴァンジェリンの体を右手だけで支えて苦しげな顔をしている少女の顔があった。柔らかく笑みを浮べてエヴァンジェリンの瞳を見つめていた。

「友……達か?」
「ハイ!」

 ニッコリと、ネギは微笑みかけた。エヴァンジェリンはハッとなって思い出した。

「そういえば……、あいつもこんな笑顔だったな」

 昔、自分に呪いを掛けた時に見せた彼の言葉を思い出した。『すげえ敵が来る。俺は負けやしねーが、しばらく帰れねーかもしれん。 俺が帰って来るまで麻帆良学園に隠れてろ。あそこなら安全だ、結界があるからな』そう言った。自分は一緒に戦いたかったのに、護りたかったのに……。そんな自分に彼はこう言った。『光に生きろ! それが出来た時、絶対にここに戻って来て、お前の呪いを解いてやる』それなのに、奴は二度と帰って来なかった。

「違うな……。そうだったんだ……、私は未だ、生きてなかったんだな? ナギ……」

 地面に降り立つと、ネギの体は崩れ落ちた。エヴァンジェリンはその体をソッと支えると、呟く様に聞いた。

「何故……助けたんだ?」

 エヴァンジェリンの言葉に、ネギは目を瞑り、意識を手放しながら呟いた。

「当たり前じゃないですか。だって、貴女は私の……友達……だか…………ら」

 意識を完全に手放したネギの呼吸は不規則で、すぐに応急処置をする必要があった。エヴァンジェリンは小さく溜息を吐いた。自分の体もボロボロで、魔力も残っていない。従者の茶々丸も修理しないと拙い。残った手は一つだった。
 公園に戻って来たエヴァンジェリンは、スヤスヤと心地良さそうに眠っている、“全く無傷”な少女を脚で蹴っ飛ばして起した。

「フギャッ!?」

 猫の様な悲鳴を上げて起きた明日菜は、目を擦りながら「なんなの~?」と辺りを見渡した。視線が正面に来ると、そこにはネギを支えている全裸のエヴァンジェリンの姿があった。

「エ、エヴァちゃん!?」
「人の名前を勝手に略すな……」

 疲れた様に言いながら、エヴァンジェリンは明日菜にネギを押し付けた。

「あっ、ネギ!」

 全身ズタボロのネギを慌てて抱える明日菜を尻目に、エヴァンジェリンは最後の力で声を張り上げた。

「見ているだろ! そこの“小娘”を治療してやれ! 此度の戦いは私の負けだ!!」

 そう叫ぶと、エヴァンジェリンは茶々丸に近寄った。

「へ? へ? うふぇ?」

 訳が分からずに首を傾げる明日菜に、エヴァンジェリンは皮肉気に鼻を鳴らした。

「しばらく待ってろ。人が来る筈だ。お前達の様な野蛮な友達などいらんが……まあ、アレだ!」

 少しだけ首を向けながら、顔を赤らめてエヴァンジェリンは恥しそうに言った。

「学校には……顔を出すさ」

 その言葉に、明日菜はニヤァと笑みを浮べた。

「な、何だそのいやらしい笑みは!!」
「いやらしい!? 失礼ね! もう照れちゃってるんだから~」

 唇を突き出しながら明日菜はエヴァンジェリンに言うと、クスッと笑みを浮べた。

「また、明日ね」
「フンッ……」

 ソッポを向いて明日菜から離れ、エヴァンジェリンは茶々丸を連れて夜の闇に消えた。

「全く、恐るべき馬鹿者共だ……。あれだけの事があって尚、友達などと……」

 胸中で呟くエヴァンジェリンの表情は、どこか優しげだった。

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