第五話『仮契約』

「おのれ……ナメおって!」

 エヴァンジェリンは腰まで伸びる金色のたっぷりとした美しい髪を夜風に靡かせ、サファイアの様に澄んだ青色の瞳に月明りを映し顔を怒りで引き攣らせていた。
 幻術が解けた事で服装はボンテージドレスからゴシックの愛らしい漆黒を基調としたドレスに変化していた。外套も縮み、消え去った部分はコウモリとなって少女の周囲を羽ばたいている。

「まあいい。元気な乙女の血は上質なワインにも劣らぬ素晴らしい味だ。神楽坂明日菜、お前の血もその身の一滴すら残さずに吸い尽くしてやろう!」

 爛々と獰猛な輝きを瞳に宿し、エヴァンジェリンは外套を翻した。殺害宣言を受けた明日菜はあまりの事に絶叫していた。

「ええええええええっ!?」

 絶叫する明日菜の前にネギは明日菜を庇う様に躍り出て、キッと頭上のエヴァンジェリンと、その傍らに傅く茶々丸を見上げながら右手に持つ、杖を向けた。

「貴女の目的は私の血の筈です! 明日菜さんには手を出さないで下さい!」

 ネギの言葉に、一番早く反応したのは敵対する少女達では無かった。最初に反応したのは、ネギが庇おうと背中に隠していた明日菜だった。その顔には面を喰らったような戸惑いの色が出ていた。彼女がココに居る理由。命を懸けたこの魔法使いの、魔法使いによる、魔法使いの為の舞台において完全に異質な、この異質な空間にまったくもってそぐわない明日菜という少女がここに居る理由は、目の前の小さな背で懸命に自分を護ろうとしている少し泣き虫で、なんだか目の離せない日本に来たばかりの居候で、大事な友達のネギという少女を助ける為だった。
 既に、一度の危機を救ったのだ。義理もキチンと返した筈なのだが、明日菜は帰るなどという選択肢が頭には端から無かった。ただ、愛しい男性が明日の朝に、誰も欠けずに、みんな元気に朝の出席を取ると言った言葉と目の前の少女をただ助けたいという思い。その二つだけが彼女の頭にはあった。その護りに来た筈の少女は、まるで自分を逃がす様に背で自分を上空の絶対的過ぎる強者から護っている。それが、明日菜には気に入らなかった。

「アンタ……何言ってる訳?」

 苛立ちを篭めた声に、ネギはそれでも動じる事無く顔も向けなかった。

「明日菜さんは日常に帰ってください! カモ君が何を言ったか分かりません。だけど、今ならまだ間に合います! コレは……私とエヴァンジェリンさんとの問題なんです」

 ネギの言葉に、明日菜は言葉を失くした。この生死を分けた状況下で未だそんな馬鹿げた事を口にするのかコイツは! と。
 明日菜の右肩には、チョコンと乗っかっているカモが辛そうに頭を伏せていた。
 雄の四季を通して魔法の力を持つオコジョ妖精と呼ばれる種族の彼の毛皮は真っ白なまま変る事は無い。だが、どうしてかその毛皮すらも青白く見えるのは月明りのせいだけなのだろうか? 初めての出会いから数年が経ち、姉貴と慕う少女の姿をした少年の性格など分かっていた。それでも、彼は懸けたのだ。彼が乗る神楽坂明日菜という少女の力に。頼ったのである、彼女の心の強さに。
 それでも、ネギの思いは変らなかった。只、その背中は同じ事を呟き続けていた。
『ニゲロ』――と。
 そのネギの思いは、頭上に浮かぶ魔女によって打ち砕かれた。

「そうはいかないな。人間風情が、私に手を出すなど断じて許さん! 私の力を見せ付けてくれるわ!」

 目を見開いたエヴァンジェリンは、その瞬間に両手から凄まじい冷気を纏った膨大な氷の魔力を集中し始めた。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を――」
「!?」
「な、何!?」

 あまりにも巫山戯た魔力の量と、その圧迫感に、ネギは言葉を失い呆然としてしまった。メルディアナでは、教師にすら見た事も無い量の魔力と聞いた事も無い氷の属性というネギが使う風と光と雷の属性とは違う強力な属性の魔法の呪文。だが、その詠唱の長さにネギは戦慄を隠せなかった。

「上級魔法!?」

 震えが走った。直後に死以外の未来を想像する事以外は出来なかった。傍らに立つ明日菜も、上空で魔力を練るエヴァンジェリンの掌から伸びる青白い閃光と、その閃光が集まり球体となっていく青白い光の球に、嫌でも気付かされた。

「あれが……魔法!」
「やばいぜ、本気でやばい!」

 明日菜の肩に乗るカモはその深い知識からエヴァンジェリンの紡ぐ呪文の意味を理解した。

「氷結系上位ランクスペルの広範囲魔法! 封印されててコレかよ……姉さん!」

 カモの必死な叫びに我に返った明日菜は、咄嗟にネギの腕を掴みあげた。上空のエヴァンジェリンはニヤリとほくそ笑み、真下の湖に魔力を叩き付ける様に放った。

「『凍る大地』!!」
「――――ッ!?」

 凄まじい魔力の篭められた氷の魔法球が湖に達した瞬間、その場を離脱しようと駆け出していた明日菜は首だけを向けて絶句した。引っ張られるネギも顔を引き攣らせ、カモは全力で叫んでいた。

「逃げろ、姉さん!!」

 一瞬にして、湖が一気に凍り始めたのだ。半径だけで100mはある湖は、巨大な氷の塊になってしまった。『凍る大地』が直撃した瞬間に跳ね上げられた波はそのままの状態で凍結され、まるで珊瑚礁の様に滅茶苦茶な形の柱や棘の様な状態で凍結してしまったのだ。

「なんて力……、湖が凍結するなんて!?」

 明日菜に引っ張られながら湖の凍結する様を見たネギは驚愕した。幾らなんでも無茶苦茶である。湖の広大な面積を全て一瞬にして凍結する魔法など、ネギは知らなかった。
 明日菜の肩に乗るカモはすぐに悟っていた。どうして、直接ネギや明日菜を狙わなかったのか、それは、走る明日菜達に向けても命中させるのは難しいからだろうと。
 真下の湖を凍結させたのは、次の攻撃の為なのだと。

「姉貴、すぐに次が来るッス! 姉さんを乗せて飛翔してくれ!」
「遅いな……、『氷爆』!」

 カモの叫びと同時に、エヴァンジェリンは右手を翳してニヤリと笑みを浮べた。ネギは、カモの叫びに条件反射の様に即座に行動に移っていた。杖を明日菜よりも先に投擲し、明日菜の脚が杖に追いつくと、杖に跨って明日菜の背中と膝の裏に腕を入れて抱き抱えた。

「うにゃ!?」

 明日菜は突然の事に驚いたが、ネギは即座に上空に飛翔した。その瞬間に、ネギ達の居た場所に爆発した湖の氷が降り注ぐ様に襲い掛かった。
 一発一発が大砲の様な威力を持つ、爆発によって鋭い刃となった無数の氷の包囲網をネギは全速力でギリギリに回避しながら脱出したが、どうしてか体が重く感じて、僅かに掠めた氷の弾丸の衝撃に、ネギは明日菜を庇う為に左肩を犠牲にしてしまった。

「アグ――――ッ」

 苦しげに呻きながら、エヴァンジェリンの放った『氷爆』によって巻き上げられた真っ白な氷煙に紛れて、ネギは一気にエヴァンジェリンから距離を離すと『氷爆』から逃れる為に何時の間にか湖の中心を目指している事に気がつき、思わず舌打ちをしてしまった。

「うぐっ!?」

 目の眩む様な激しい痛みを感じて、これ以上明日菜を抱えて飛行する事が出来ないと判断したネギは徐々に高度を下げて凍結されたまるで洞窟の様になっている波の影に隠れて息を潜めた。途端に、洞窟の入口で何かをしていたカモが念話を始めた。ネギは明日菜も反応した事に驚きながらもカモの話に心の耳を傾けた。

『姉貴、姉さん、これから作戦を言うッス。よく、聞いて下せい』

 カモの言葉に、ネギは目を見開いた。

『カモ君! まさか、本気で明日菜さんを巻き込む気なの!?』

 そのネギの言葉に最初に反応したのはカモではなく明日菜だった。

『アンタ、まだそんな事言う訳? 巫山戯んじゃないわよ! ここまで来て、アンタを見捨てる様な人間だって思ってるの!? この私を!』

 器用に心の声で怒鳴る明日菜の言葉に、ネギはそれでも逆に怒鳴り返した。

『明日菜さんは分かってません! 相手は最強の魔法使いなんですよ!?』

 ネギの怒鳴り声に、余計に頭に血を上らせた明日菜は青筋を浮べた。いつ爆発するかも分からない程感情を高ぶらせる明日菜だったが、カモが話しに割り込んできた。

『姉貴、本気でエヴァンジェリンに一人で勝てると思ってるんスか?』

 カモの言葉に、ネギは答えられなかった。湖を一瞬で凍結させる魔法使い。そんなのを相手に勝てるか? と聞かれて、勝てる! と断言出来る者が何人居るんだろうか? 答えの無いネギに、カモは小さく溜息を吐いた。

『姉貴、後で俺っちを殴ってくれて構わねえ。なんせ明日菜の姉さんを巻き込んだのは俺ッス。だけど、ここでエヴァンジェリンを倒さないと、姉貴が倒れた後は今度は姉さんが一人でエヴァンジェリンに挑む事になるんスよ?』

 カモの残酷な言葉に、ネギは今度こそ完全に言葉を失った。ただでさえ、死に戦な戦いだと言うのに、そこに負けてはいけないという言葉が付与されてしまったのだ。
 負けても、最悪な場合はネギの命を捧げればまだ他の人達は助かると思っていた。だが、そこに明日菜の生死が関ってきてしまったのだ。ネギは肩の痛みも忘れてあまりの衝撃に顔を歪めて涙を零した。ネギは、本来は未だ10歳の子供なのだ。なのに、死を心の底から体感し、挙句の果てに負ければ自分に優しくしてくれた明日菜が殺されるという状況に心が壊れそうな程だった。
 カモはそんなネギの様子を見ながら、小さく息を吸った。

「姉貴、それでも――」

 敢えて、見つかるかもしれないのに、カモは普通の言葉で声を掛けた。

「勝つんス。その為の策は練りやした。それに、姉さんの力は必ず俺達に勝利を齎してくれる筈ッスよ」

 カモの言葉に、ネギは思わず顔を上げていた。さっきも言っていた。ただの一般人である筈の明日菜の力が、どうしてこの絶望的な状況で勝利に結び付くのかが理解できなかった。

『そう言えばさ、まだ私も聞いてなかったんだけど、その私の力って何なの?』

 明日菜の質問に、カモは、よくぞ聞いてくれました! と胸を張った。

『姉さん……アンタは完全魔力無効化能力者だ』

 瞬間、空気が固まった。ネギは信じられないといった表情で明日菜を見て言葉の意味を探った。明日菜は、言葉の意味が理解出来ずに首を傾げたが、その言葉のニュアンスから自分がまるで異能の力を持つ者の様に言われた気がした。

『カモ君、魔力無効化能力者って……?』

 ネギはカモに問い掛けた。

『魔力無効化能力者。とんでもなく珍しい、数ある特定の家系や一族、流派にのみ存在する固有スキルの中でも更にレア中のレアスキルなんス。あらゆる自分が拒絶した魔法の力を無効化……つまりは破壊する事が出来るとんでも能力ッスよ』

 カモの言葉に、ネギは絶句して明日菜を目を見開いて見つめた。明日菜自身も、カモの説明に衝撃を受けていた。まだ、お前さんは魔法使いだ、とか言われる方がマシだと思った。
 レアな固有スキルの中でも更にレアな能力者。まるで、最近流行りのカードゲームの絶版したパックを偶然見つけたら、その中に入っていたのはそのパックで出る中で最高のレアカードだったと言う様な感じだ。
 カモは驚愕に固まってしまった二人を無視して説明を続けた。

『姉さんの能力の凄さは、無条件な無効化では無いって事なんスよ』
『どういう事?』

 明日菜はこれ以上まだ何かあるのか!? という様に顔を歪めた。ただでさえ、ファンタジーな状況についていくのがやっとだと言うのに、まさか自分自身がファンタジーの仲間だったなんて最高に最悪な冗談だ。

『姉さん、覚えてるッスか? 俺っちが魔法を染みこませた特製のチョークで書いたルーンのカードを。それに、姉さん自身が今も使ってる念話もルーンのカードによる物だと』
『え、ええ。さすがにそこまで馬鹿じゃないわよ!』

 ほんの数分前の事だったのだから。そう、たった数分前の出来事だったのだ。この日常から外れた異能の蔓延るファンタジーに出会ったのは――。

『そのルーンもまた魔法なんスよ。神の創造した24の文字を使ったドイツ発祥の魔法。ルーン魔術ッス。なのに、姉さんは無効化せずに今も使っている。つまり――』
『つまり?』
『姉さん、アンタの能力はアンタが拒絶した魔法だけを無効化するんスよ。それに――』

 呟くと、カモは明日菜の肩から降りて転がっている氷の欠片を掴んだ。

『コイツを握ってみてくだせい』
『え、うん……』

 カモに言われた通りに氷の欠片を握るが、冷たい感触があるだけで何も変化は起きない。

『姉さん、ソイツはエヴァンジェリンの魔法ッス』
『え? ……ってあれ!?』

 カモの言葉を聞いた途端に、氷の欠片は突然水になってしまい、明日菜の制服が僅かに濡れてしまった。その姿を見て、ネギは震える様に明日菜を見た。

『そんな事って……』

 呆然としたネギの呟きに、明日菜は首を傾げた。

『そう、姉さんはエヴァンジェリンの魔法はイコールで悪い魔法だと認識している。故に無意識にエヴァンジェリンの魔法を拒絶しているんス。そして、エヴァンジェリンの魔法をエヴァンジェリンの魔法だと認識したから、エヴァンジェリンの魔法によって凍結した湖の一部が水に戻った』
『え? でも、それならもうこの湖自体も水に戻っちゃうんじゃないの? 私が乗ってるんじゃ』

 カモの言葉に、明日菜は顔を青褪めさせた。こんな場所で氷が全て水に戻ってしまったら大惨事なんてもモノでは無い。真上にも分厚い氷があるのだ。
 仮に一瞬で全ての氷が水に戻ったとしても、かなりの重量の水が上から襲い掛かって来る事になる。それに、ここは湖の中心近くだ。泳いで渡るにしても、飛んで陸に向かうにしてもエヴァンジェリンに見つかる可能性は高いし、下手をしたら溺れてしまう。

『その心配は今の所は平気でさ。姉さん、とりあえずは姉さんの肌が氷に触れなきゃ大丈夫ッス。それに、これだけの広範囲だともう徐々に魔力が抜けてる筈ッスから、ただの氷になってる筈ッスよ。さっきの欠片は、未だ魔力が残ってたのを俺っちが確かめた奴だったから水に戻りやしたけど、氷の状態で安定すれば、魔力は徐々に抜けていくんス。ただの“自然現象”なら、姉さんの能力は無効ッスから。殆ど心配は無いッスよ。この洞窟内はもう完全に魔力が抜けたようだし』

 壁や天井を見渡しながら言うカモの言葉に、明日菜はホッと胸を撫で下ろした。試しに右手で氷の壁を撫でるが水に戻る事は無かった。

『カモ君、もしかして、ここに来る時に出た護るべき人達って』

 ネギは呆然と明日菜を見つめながら呟いた。あらゆる魔法の力を打ち消す存在。それは、魔法使いにとっては剣士以上の天敵だ。魔法が効かない以上はどうあっても肉弾戦しか出来ないのだから。
 魔法使いは魔法を使う者だ。肉弾戦が得意な者も居るが、殆どの魔法使いにとって、神楽坂明日菜という少女は恐怖の対象にすらなりかねない。つまり、狙われてもおかしくない存在という事だ。ネギは、メルディアナの卒業時に出た修行内容を思い出した。
 日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事――。既に、影からも何も無い状況だが、この事態になってようやく自分がここですべき事が分かった。そして、エヴァンジェリンを救えと言ったタカミチの言葉。

『そういう事なんだ。私は、明日菜さんやエヴァンジェリンさんを護る為にこの学校に送られたんだ』

 ネギの言葉に、明日菜は『どういう事……?』と眉を顰めた。

『私は、魔法使いの学校を卒業しました。そして、卒業後の修行としてある指令が下ったんです』
『指令……?』
『ええ、悪い組織に狙われている少女達を影から護る事、それが私に下された指令でした。こんな状況になって、ようやく思い出しました。明日菜さんの魔力無効化能力、それに真祖の吸血鬼のエヴァンジェリンさん。二人共、狙われる理由がある』
『狙われる?』

 明日菜にはネギの言っている言葉の意味が理解出来なかった。普通の女子校生として過ごして、バイトをしたり、木乃香達と遊んだりしていた自分が、突然舞い込んだファンタジーに狙われているなど、冗談にしても悪質過ぎる。まるで、いきなり映画の中で悪漢に狙われている女性をドキドキして見ていたら、その役割が何時の間にか自分に摩り替わっていたような気分だ。

『ショックなのは分かりやす。後で姉さんには説明するッスよ。ここまで来た以上、もう姉さんはコッチの住人だ。嫌でも知って貰う事になるッス。変だと思ってたんだ。何でタカミチの野郎があんなにアッサリ姉さんを通したのか』
『えっ?』
『はい?』

 ネギと明日菜は同時に目を見開いた。

『つまり、学園長を含めたここの学園の連中は、端から姉さんを巻き込む気全開だったんスよ。多分、近衛の姓を持ってる木乃香の姉さんもだ。だから、姉貴を姉さん達の部屋に住まわせたんだ。影から護らせる気なんざ無かったんスよ! 最悪だが……最適な手段でもあるがな。自分で危機感持たない人間を護るなんざ、プロだって難しいんだ。元々、学園って言う護ってくれる存在が無きゃ、例えば、卒業したりして学園の外に出て行ったりしたら、魔法の事も知らない能力者や魔法使いの血縁者なんて外道の魔法使いにとっては最高の研究材料ッス。だから、危機感や魔法の世界について分からせる為に、嫌でも巻き込まれる状況を用意した。多分、姉貴がサウザンドマスターの血縁者である事なんかも、学園側が意図してエヴァンジェリンに漏らしたに違いねえ。多分、何かしらの保険があるんだろうが――』

 忌々しげな表情で語るカモの言葉に、ネギと明日菜は戦慄するのを隠せなかった。まるで、大きな存在の掌で踊らされている気分になった。

『姉貴、もう四の五の言う段階は過ぎたんス。始めやしょう、姉さんは巻き込まれるべくして巻き込まれた。もう、姉貴が一人で背負い込む必要は無いんス! どっちにしても、魔力完全無効化能力なんて魔法使いにとっては最悪な天敵なんだ、外にそのまま出て行ったら、殺されたり、バラバラに解体されたりするかもしれねえんス! 姉貴! もし、姉さんを大切に思うなら決断してくだせい! 姉さんと一緒に戦うと決意してくだせい! どっちにしろ、ここで負けたら姉貴も姉さんも殺されるんだ。なら、もう始めましょうや、一世一代の大勝負って奴を!』

 カモの言葉に震えが走った。

「殺される……? バラバラに解体される……? そんなの冗談じゃないわよ!」

 明日菜はキッと未だにごちゃごちゃと悩むネギの肩を掴んで目を合わせた。

「ネギ、私は戦う。アンタの為だけじゃない。カモの言う事って嘘じゃないんでしょ?」
「それは……」

 念話も使わずに明日菜は真正面からネギを見た。ネギは目を逸らそうとしたが、明日菜の視線がそれを許さなかった。

「なら、私を止める必要なんて無い。この戦い、私は私の為に戦うわ! だから、力を貸して頂戴、魔法使いさん?」

 毅然とした態度で、胸を張り、爛々と瞳を輝かせながら明日菜は言った。
 ネギは言葉が出なかった。本当ならば、明日菜をこんな事に巻き込みたくないという気持ちが強かった。だが、全ては手遅れだった。カモの言葉通りなら、いつかは明日菜はコチラの世界に来る。護るという事は生易しいものじゃない。後回しにしていいものじゃない。今ここで、明日菜をコチラの世界に迎える事が正しいのか正しくないのか、ネギには最早分からなかった。それでも、これだけは言える。

「私が目指すのは『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』。いつかは辿り着かないといけない人を護れる存在に、今この場で……。明日菜さん!」

 ネギは顔を真っ直ぐに明日菜に向けた。その顔に、最早迷いは無かった。ここまで来て漸く、本当の意味での覚悟が決まったのだ。巻き込んで、一緒に戦って、護ると言う覚悟を。

「私に、力を貸してください!」

 ネギの叫びが木霊する。だが、それが外でネギ達を探すエヴァンジェリン達に聞こえる事は無かった。ここに忍び込んだ時点で、カモは気配遮断と音声遮断の結界を張っていたのだ。
 ネギの真っ直ぐな目を見返して、明日菜はニッと笑みを浮べた。

「当然よ。その言葉、待ってたわ! さあ、カモ! 作戦を教えなさい!」

 明日菜の言葉に、カモはニッと笑みを浮べて「ガッテン!」と叫んだ。

「そう言えば……、さっきまで念話してたのに今は普通に喋ってるけど、いいの?」

 明日菜が心配そうにカモに聞くと、カモは無用な心配だと指を振った。

「最初は氷の壁とかに未だエヴァンジェリンの魔力が残ってたから、話し声が微妙に届いちまう可能性を考慮にいれてたんスけど、今は最初に張った結界で声が外に漏れる心配は無くなってるッスから」
「そうなんだ」

 手際の良いオコジョに、明日菜はちょっとだけ複雑な思いだった。

「にしても、あんなに可愛いと思って抱っこしてたオコジョがこんな性格だとは……」

 ガックリする明日菜に、ついネギはクスリと笑ってしまった。それを見て、明日菜は安心した様に笑みを浮べた。

「ようやく笑ったか。アンタは可愛いんだから、何時も笑顔の方が良いわ! 辛気臭い顔なんて似合わないもの」

 フッと笑いながら明日菜は目を細めてネギの頭を撫でた。

「やるわよ、ネギ?」
「はい!」

 頭に乗せられた自分よりも少し大きな優しい手に、ネギは目を薄っすらと閉じて嬉しそうに答えた。まるで、ネカネの様な優しい手に、ネギは強張っていた体の緊張が解れていくのを感じて胸の中が温かくなっていった。

「そんじゃ、作戦を言いますぜ? ……っとその前に」

 ドキドキしながら聞く体勢に入っていたネギと明日菜はズッコケてしまった。

「何なのよ一体!?」

 鼻を少し擦り剥いてしまった明日菜は涙目で怒鳴った。
 ネギも少しおでこを押えているが、カモは頓着せずにネギに体を向けた。

「姉貴、聞きたい事があるんスけど」
「聞きたい事?」
「ええ、あの翠の髪の女ッスよ。まさかとは思うんスけど、ありゃあ……」

 カモの言いたい事を即座に理解したネギは小さく頷いた。

「従者だって言ってた。確か、出席番号10番の私と同じクラスの絡繰茶々丸さんだって」
「茶々丸さん!?」

 ネギの発した言葉に、明日菜は目を見開いて驚愕した。明日菜はエヴァンジェリンばかりを見ていたので、茶々丸の存在に気付けなかったのだ。ほぼ毎日の様に顔を合わせ、何度か公園で猫の世話をしているのを木乃香や和美と見て手伝いをした事もある、明日菜の知る限りではとても心優しい少女の筈だ。その茶々丸がエヴァンジェリンの仲間だというのが信じられなかった。

「まさか、茶々丸さん、操られてるんじゃ?」

 明日菜は顔を青褪めさせた。まさか、操られているだけの人を攻撃する事など出来る筈が無い。明日菜の不安そうな表情を見て、カモは首を振った。

「それは無いッスね。従者っつうのは、魔法使いなら必ず一人は居る魔法使いを守護する役目を持つ者の事ッス。互いに同意した者同士で無ければ、例え魔法陣を使っても契約の精霊は契約を許可しないんスよ。間違いなく、その絡繰茶々丸ってのはエヴァンジェリンの仲間ッスよ」

 カモの言葉に、それでも明日菜は信じられなかった。

「でも、茶々丸さんは凄く優しい人なのよ? 公園で猫に餌をあげてたり、迷子の子を日が暮れるまで探し回ったり、風船が木に引っ掛かって泣いている女の子の為に風船を取ってあげたり、川に流されていたダンボールに入った子犬を川の中に入って助けに行ったりして……」

 聞いていると本当に心の底から並みの人間よりも善人な様だった。なんでよりにもよってエヴァンジェリンの従者なんてしてるんだ? とカモは本気で悩んだ。

「きっと、茶々丸さんにとってはエヴァンジェリンさんは大切な友達なんだよ」

 カモの思いに気がつき、そんな事は大した事じゃないとネギは言った。

「もう迷わない。全力で立ち向かって、勝って、ちゃんと話しをするんだ!」

 毅然として言い放つネギに、明日菜とカモは目を見張った。

「ネギ……」
「姉貴……」

 カモと明日菜は顔を見合わせると、お互いにニッと笑い合った。

「なら私達も!」
「負けてらんないッスね!」

 カモと明日菜の言葉に、ネギは全身に力が漲っていくのを感じた。魔力を産むのは精神の力であり、操るのも心である。心が強ければ魔法は正しく力を貸してくれる。心が弱ければ、魔法は暴走して術者自身を傷つける。
 今、心強い仲間を得たネギの心は燃え盛る炎の様に熱くなっていた。体中に魔力が浸透し、さっきまで感じていた重みが消えているのに気がついた。左肩は上がらず、左手も震えて熱を発していたが、無理矢理拳を握り締めた。

「そう言えばさ」

 突然、明日菜が口を開いた。

「なんスか、姉さん?」

 一刻も早く作戦を説明したいカモは若干苛立ちながら聞くと「うっ」と明日菜は少し呻いた。

「いや、従者って結局なんなのかなって。なんか、魔法使い用語って感じだし」

 明日菜が首を傾げながら聞くと、カモとネギの動きが止まった。

「いや、その……」

 カモは目線を逸らす様に体を背けた。
 ネギも顔を赤くして視線を泳がせている。

「え、何? その反応、何なの!?」

 予想外の反応に明日菜は戸惑った。まるで、幼子が無邪気に大人に「子供ってどうやって出来るの?」と聞いてしまった時の大人達の何とも言い辛そうな困った顔を思い出させる。
 ああ、そう言えば昔高畑先生に委員長の馬鹿と一緒に聴きに行ったわね~。あの時の恥らう高畑先生の顔は私の心のアルバムにしっかり焼きついてますよ先生! そんな、関係無い事を考えながら、顔を赤らめるネギに、明日菜はカモに顔を向けて頬を赤く染めながら聞いた。

「えっと、何? エッチな事なの?」
「ブハッ!!」

 カモは噴出してしまった。年頃の女の子にエッチと言う単語を使われ、鳥肌が立つ様な背中に氷を押し付けられた様ななんとも奇妙な感覚を覚えた。

「いや、別にその……エ、エッチって訳……いや、日本人的な感覚だとエッチなのか? でも、アッチだと挨拶でもたまに……」

 何とも言い難そうなカモの様子に、明日菜は冷や汗を掻いた。

「えっと……? 結局、どういう事なの?」

 明日菜は改めて質問すると、カモは溜息を吐いて明日菜に体を向けた。

「仕方ありやせんね。まあ、そんなに難しい事じゃないんスよ。さっきもいいやしたが、要は魔法使いを守護する者。それが従者ッス。まあ、パートナーとも呼ぶんスけど、魔法使いってのは詠唱中に隙がどうしても出来ちまうんス。そん時に、魔法使いを護るってのが、従者の役割なんスよ。従者になると、魔法使いから魔力を分けてもらって従者はパワーアップしたり、念話や召喚なんかも魔法使い側から出来る。ついでに、一人につき一個ないし複数の特別な装備が契約の精霊によって、その従者に見合ったもんを割り振るんス。基本的には仮契約つって、本契約のお試し版があって。それでもそれだけの効果があって、本契約とは違って魔法使いの容量に関係無く複数の従者と契約出来るんス」

 カモが長々と説明すると明日菜は首を捻った。

「なら、本契約より仮契約の方がいいんじゃない?」

 もっともな明日菜の意見に、まるで優秀な教え子に教える様な教師の様にカモは微笑んだ。

「実際的に能力に違いはそんなに無いッス。それに、強力な魔法使い。まあ、英雄クラスのもんでも、結局本契約は交わさない人間もいやす。姉貴の親父のサウザンドマスターとまで謳われた英雄、ナギ・スプリングフィールドも一説では異性を惹きつける一種のカリスマ性で1000人の女性と仮契約を結んだとかなんとか。ま、それは幾らなんでも嘘でしょうが、そんなに本契約自体にこだわる魔法使いは少ないッス。それでも、恋人同士で契約を交わす場合は本契約で、その相手だけを従者に選ぶって事もあるんスよ」
「ネ、ネギのお父さんってそんなに凄かったんだ」

 明日菜が視線を向けると、ネギは今度は別の意味で恥しそうにしていた。

「ええ、サウザンドマスターは姉貴が子供の頃に行方を眩ます以前は、本国の英雄とまで謳われてたんス」
「本国の……?」
「ええっと、さすがにもうあんまり話してる時間は無さそうッスね。エヴァンジェリンの野郎……」

 突然、遠くから地響きが聞こえ、カモは焦った様に舌打した。

「え、何!? どうしたの!?」

 明日菜はキョロキョロと辺りを見渡しながら叫んだ。

「どうやら、見つからないのに腹が立って湖全体を攻撃し始めたようッス。さすがに長々と話し過ぎたッスね。急いで作戦を伝えるッス!」

 カモの言葉に、ネギと明日菜は頷いてカモに近寄った。
 カモが作戦を伝え終わると、明日菜は冷や汗を流した。

「準備がいいのね……。アンタって、本当にオコジョ? 何か怪しいわね……」

 カモの作戦を聞いて明日菜は胡散臭そうにカモを見た。

「馬鹿言っちゃいけやせんぜ? 俺っちには妹も居るれっきとした由緒正しきケット・シー……ああ、猫の妖精の事ッス。ソレにも負けないくらいのオコジョ妖精なんス」

 胸を張るカモに、オコジョにはオコジョなりのプライドがあるのかな? と思いながら明日菜はネギに顔を向けた。

「ねえ、少しでも作戦を成功させる為に手札は多い方がいいのよね?」

 明日菜が少し顔を赤らめながら言うと、カモは「ええまあ」と首を傾げた。
 外からの地響きは徐々に近づいてきている。壁や天井にも亀裂が走り、いつ崩れてもおかしくない状況だった。一刻も早く作戦を実行したいカモは明日菜が何を思っているのかを分からなかった。
 明日菜は息を静かに吸うと、真っ直ぐにネギを見た。

「なら、私をアンタの従者にして」
「え……?」

 一瞬、明日菜が何を言ったのか分からなかった。理解すると同時に、ネギは頬を染め上げた。

「ええええええええ!? で、でも!」

 俯きながら上目遣いで見上げてくるネギに、明日菜は言い知れぬ感覚を覚えた。必死に自制心を働かせて心を落ち着ける明日菜に対して、ネギは助けを求めるようにカモに顔を向けた。
 カモは、少し考える様に目を瞑ると、決心した様に頷いた。

「分かりやした。姉さんがいいってんなら、姉貴! ここは、作戦の成功率を上げる為ッス」

 どこか迫力のあるカモの言葉に、ネギは戸惑いながらも頷いた。
 既に壁や天井の亀裂は大きくなっていて、迷っている時間が無かったのだ。少しでも生還率を上げられるならそれにこした事は無い。急いでカモは、殆ど作戦の準備の為に使ってしまい、残り僅かになってしまった魔力を染み込ませてあるチョークで円を描いた。
 魔法陣とは、基本的に円の事を指す。そこに、追加して五芒星や六芒星を描く事で魔法陣の方向付けをするのだ。魔法陣の円の中によく描かれる六芒星はダビデの星と呼ばれ、基本的にはユダヤ教の象徴だ。ベースとなる円に追加効果を加える物で、ソロモンやダビデの星などを重ねて描く。円の外周に力を借りたいと願う天使や悪魔、精霊や星々、星座などの名を書き、この際に使う文字は使いたい魔法に必要な力によって変る。簡単な魔法ならば英語だって構わないし、陰陽道と合わせて漢字を使う場合まであるのだ。更に、それを円で囲いその外周に借り受けた力をどう使うかを示す。そして更に円でその外周を再び囲う事で、魔法陣の力の方向を内側に向ける事が出来る。
 カモは、最初に円の中心に主と従者を象徴する大きな三日月と小さな星を描く。それを六芒星で囲い、更にもう一度六芒星で囲った。円の外周には契約の精霊に力を借り受けるために黄道十二星座の紋章を一つ一つ区切りながら書き、格子のように間に線を引く。その回りに二重に円を描く。円周にラテン語で仮契約の意思を書き記すと、魔法陣全体が輝きだした。
 丁度、カモのチョークも使い切ってしまっていた。壁は崩れ始め、天井から氷が降り始めてきた。

「それで、この後どうするの?」

 明日菜は戸惑いながら聞いた。結局、具体的にどうすればいいのかは聞いていなかったからだ。カモは崩れだした壁や天井に焦り「キスして下せえ!」と叫んだ。カモの叫びに、つい明日菜は「はい!?」と叫び返してしまった。従者とは恋人の様なもの。だから、ネギが恥しがっているんだと思っていたのだ。ネギを見れば、カモの言葉が嘘ではないと分かる。土壇場に来て一瞬迷ったが、明日菜は「ええ~~い!」と叫ぶと、魔法陣の中に入りネギの肩を掴んだ。

「い、いくわよ、ネギ!」
「は、はい」

 顔を赤くして、若干目を潤めているネギに、明日菜は若干の罪悪感を感じた。自分は既に木乃香とファーストキスを済ませているが、ネギはもしかしたらこれがファーストキスなのかもしれない。そう考えると、明日菜は少し躊躇した。

「もしかして、ファーストキス?」
「…………」

 答えずに俯くネギに、明日菜はあちゃ~っ、と頭を押えるとネギの耳元で囁いた。

「これ、カウントに入れなくていいからね」

 そう言って、自分の唇をネギの唇に合わせた。その瞬間、魔法陣は一気に光を放ち、ネギと明日菜、二人の胸の前に出現した黄道十二星座の紋章が描かれた円と円の間の部分だけの魔法陣が出現し、ネギは顔を赤くしたまま自分の魔法陣に手を差し入れた。そのまま、明日菜の魔法陣に手を伸ばすと、ナニカを掴む事が出来た。

「仮契約成立――、パートナー神楽坂明日菜! 我に示せ、秘められし力を! 契約発動!」

 瞬間、光は更に増して洞窟の外にまで漏れ出した。

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