第二十九話『彼と彼女の月夜語り』

「俺は責任を負わなきゃならない」

 茜色に染まる崖の上で、漆黒のタートルネックとピッタリとしたボトムスに真っ白なローブを羽織った赤髪の青年が山の向こうに沈んでいく太陽を見つめながら顔も向けずに告げた。表情は見えず、彼がどういう気持ちだったのかは分からなかった。

「やはり、私がやろう。お前は……未だ世界に必要な人間だ」

 赤髪の青年の後ろに立っている、線の細い青年が眼をきつく縛りながら言った。歳の頃は二十歳前後といったところか、濃色の狩衣をその身に纏い、長く美しい黒髪を首の後ろで括っている。狩衣を纏う青年の言葉に、赤髪の青年はニハッと笑みを浮かべた。

「アンタの方こそ必要だろ。俺は、アンタみたいに政治的な事とかは出来ない。だから、アンタに頼むんだ。放り出すんじゃない、アンタだから託せるんだ」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣を纏う青年は僅かに虚をつかれた顔をすると、辛そうに顔を歪めた。

「託す……か。何と、重たい宿命を背負わせる男よ」

 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年は笑みをスッと引っ込めると、視線を僅かにずらして「すまない……」と呟いた。

「――謝るな。引き受けよう、お主の依頼を。私は……もう老い先短い身だ。次代を担う者達に光を与えてやる事が、先人の努めなのだろうからな」

 狩衣の青年はフッと穏やかな笑みを浮かべると、赤髪の青年に顔を向けた。

「ああ、残りの短き時間の全てをお前の願いに費やそう。だが、その代価を頂くぞ」

 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年はギクッと体を強張らせた。ギギギと音を立てる様に、まるでブリキの玩具の様な動作で汗を滝の様に流しながら、狩衣の青年に向き直った。

「普通、こういう時は無償で引き受けてくれるモノじゃないのか?」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はハッハッハッハと腹の底から笑い声を上げた。

「私がそんなに善人に見えるか?」
「よっぽど度の合ってない眼鏡を三重くらいに重ねれば、見えない事も無い……かな」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はフッと笑みを浮かべた。穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。

「――必ず生きて帰って来い」

 狩衣の青年の口から放たれた言葉に、赤髪の青年は身を強張らせた。

「それが、代価だ」
「それは、…………確かに重いな」
「お前は、自分の中で最も犠牲にしてはいけない者を犠牲にしようとしている。お前が私に重たい運命を背負わせるならば、私はお前にも重たい運命を背負わせよう。必ず、戻って来い。そして……責務を果たせ」

 狩衣の青年の言葉が、赤髪の青年の肩に重く圧し掛かった。あまりにも惨い事を言う――。
 赤髪の青年は、今直ぐにでも目の前の男を殴り倒したくなる衝動に駆られた。そんな事は不可能だと分かっている筈だ、と怒鳴り散らしたい。
 夕日が沈み、月が常闇に染まった雲の無い天空に姿を現した。その真ん丸なお月様を見て、赤髪の青年は顔を歪めた。空に向かって、力の限り大声で吼える。まるで、傷ついた獣の如く、何度も……何度も吼える。

「いいぜ。必ずだ。俺は約束を反故にしたりしない。必ず戻って来る。だから、後の事は任せるぞ」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年は薄く笑った。

「ああ、任せろ」
「じゃあ、俺は行くぜ。アイツの事、それに…………子供達の事を頼む」
「ああ、承ったぞ。サウザンドマスターよ」
「頼むぜ、狸爺ぃ」

 お互いに、意地悪そうな笑みを交わし合うと、ナギは姿を消した。

「全く、年寄りに無茶をさせる男よ…………」

 立ち去った男の残影から視線を逸らすと、銀色に輝く満月を見上げた。
 それは、冬の日の出来事だった。チラチラと降り続いていた雪が止み、遠くの大地で、魔力がぶつかり合うのを感じた。
 その時に、全ては始まったのだ。一人の男の、友人との口上だけでの……それでも、何よりも大切な約束を護る為に――。

 関西呪術協会の総本山は、それから連日慌しい毎日を送る事になった。
 総本山の修復と結界の張り直し、総本山の警護の見直しや、目撃者への対処。周辺魔術結社への対応などにも追われ、ネギ達は半ば追い出される形で修学旅行の宿に戻って来ていた。
 ただ一人、エヴァンジェリンは宿には来ていない。彼女は、麻帆良の代表として“関西呪術協会に迫り来た脅威に立ち向かった”という事になり、現在は関西呪術協会の総本山で関西呪術協会の長である近衛詠春と共に、今後の関西呪術協会と関東魔術協会の溝を薄める為の会談を行っている…………という事になっている。

 部屋の扉を誰かがノックした。一冊の本を間に置いて見つめ合っていた和美とのどかは慌てて返事を返して扉を開いた。
 そこに立っていたのはタカミチだった。

「高畑先生……?」

 和美が戸惑いながら名を呼ぶと、タカミチはフッと頷くと口を開いた。

「昨日は災難だったね」
「え? は、はい。って、どうしてそれをッ!?」

 タカミチの言葉に、和美は虚をつかれた顔をした。
 昨日の災難。間違いなく、それは昨日の事件の事だろう。火の玉が襲って来たり、奇妙な本が出現したり、楓が忍者だったり。
 誰も説明してくれないから溢れる疑問を抱えたまま、二人は寝る間も惜しんで論争を重ねていた。
 答えの出ない議論を延々と……。

「ついて来てくれ皆も集まっている」
「皆……?」
「今回の件……それから、これからの君達の事を話す必要があるからね」

 和美は、息を呑んだ。そして理解した。高畑.T.タカミチは昨日の事件に関わっていると。
 そして、連れて来られた部屋に居る面々は一人残らず同じ境遇なんだと。

「ネギっち達も……?」

 和美は、タカミチの部屋で居住まいを正して正座しているネギやアスナ達に目を丸くした。

「それじゃあ、今回の件についての説明をしよう」

 和美がのどかとネギの間に座ると、タカミチが説明を始めた。
 今回の始まりから、上空に現れた魔法陣、高淤加美神、それにネギ達の事も包み隠さずに全てを語った。

「――これが、今回の件の全貌だよ」

 タカミチの説明が終わると、誰も声を発する事は出来なかった。和美は眩暈を感じた。あまりにも馬鹿げた話じゃないか。
 王女様に魔法使いに魔法陣にドラゴンに吸血鬼に生きるか死ぬかの戦い。そのどれもが現実感に乏しく、そのどれもが昨日の事件を体験した和美には受け入れられてしまった。

「じゃあなに、そのフェイトって奴のせいで皆が危険な目に合ったって事?」
「か、和美さん」

 和美の遠慮の無い言葉に、アスナを見ながらのどかが恐々と和美の服の裾を掴んだ。

「下手したら友達が死んでたかもしれないんだよ? アスナの正体がどんな身分だろうと、ネギちゃんが魔法使いだろうと、そんな事友達なんだから別に構わないわよ。だけど、ソレは駄目でしょ! 友達が死にそうになったんだよ!? それを高畑先生は知ってたんだよね? そこのオコジョも、学園長も! 大事な事だったかもしれないけど、私の友達巻き込まないでよ!」

 怒りに満ちた和美の言葉に、タカミチは懸命に表情を殺した。そんな事は分かっていると叫びたかった。誰が自分の生徒をこんな危険な作戦に参加させたいと思うのだろうか。それでも、魔法使いであり、麻帆良の魔法先生であるタカミチには逆らう事など出来ないのだ。
 所詮は言い訳だった。結局、自分はその作戦を止めたりは出来なかったのだから。何度止めるように言っても聞き入れてもらえなかった。だから…………諦めてしまったのだ。
 カモも和美の糾弾に俯きそうになるのを必死に堪えた。

「すまない…………」

 押し殺す様な声で、タカミチが頭を下げた。深く、畳の床に頭を擦り付ける様に。

「それ……卑怯だよ、高畑先生」
「だけど、僕にはこれしか出来ない」
「情け無いね」
「朝倉ッ!!」

 幾らなんでも言い過ぎだ。アスナがキッと和美を睨みつける。
 タカミチがこんな作戦に望んで協力する様な人間か、そんな事は二年以上も担任と生徒として接している自分達なら分かるだろうと。だが、事件の発端が自分の身内だという事が、それ以上の言葉を紡ぐ事を許さなかった。

「うん、分かってる。ごめん、高畑先生。ちょっと、…………ムカつき過ぎた」

 和美は感情の見えない表情で頭を下げた。ネギ達は何も言えなかった。友達が死ぬかもしれない。本当の意味で、クラスメイトの死の危険を感じ取ったのは、クラスメイトと一緒に過ごし、実際に死の恐怖に立ち会った和美達の方なのだと理解して――。

「そ、それにしても、アスナさんが王女様だったなんて驚きですね!」
「そ、そうです! 驚きです!!」

 のどかが必死に話題を変えようと無理矢理な笑顔で言うと、和美に抱き抱えられた状態でそれまで黙っていたさよが彼女の気持ちを察して笑顔を作って話に乗った。

「昔だけどね。国も無くなったし、今は本当にただの神楽坂明日菜」

 ニシシと笑みを浮かべ言うアスナに、のどかとさよはいけない事をしたという表情になった。

「それから、君達はこれからどうする?」

 タカミチは和美とさよ、のどかに顔を向けて尋ねた。

「どうするって?」

 和美が代表して尋ね返すと、タカミチは告げた。

「君達は今回の件で魔術の存在を知った。本来なら、記憶を消去するなりの処置が必要になる」

 記憶を消す。タカミチの口から発せられたあまりにも物騒な言葉に和美は無意識に体を強張らせた。

「だが、君達が事件に関わったのは偶然じゃない」
「偶然じゃないって……?」
「君達には才能がある。魔術の才能だ」
「私達に……魔術の才能が!?」

 驚いて、和美はのどかと顔を見合わせた。

「あの状況下で異常に気がついた事が君達の才能の証明だ。だから、僕は君達に二つの道を示す」
「二つの道……」
「一方は、恐ろしい運命が待ち受けているかもしれない魔術の道。もう一方は、全てを忘れ、再び平穏な日々を取り戻す道」
「どうして、平穏な道だけじゃなくて、危険な道まで示すの?」

 和美が疑問を呈した。平穏な道があるなら、わざわざ危険な道を示す必要は無い筈だ。

「平穏な道というのは君達から記憶を奪う事だ。君達が体験した危機や修学旅行の思い出を消すという事なんだ。ただでさえ、僕達の計画で君達を危難に晒してしまった。この上、更に記憶消去など……」
「気が咎めるって訳ね」

 和美は軽蔑の眼差しをタカミチに向けながら考えてみた。
 魔術の道。冷静にその魅力的な道について考える。だって、魔術だ。絵本や漫画の世界の話が現実に目の前にある。気にならない筈が無い。
 元より、朝倉和美は好奇心旺盛な少女だ。こんな二択、考える余地すら無い。
 例え、理由はどうあれ、こうして選択肢を与えてくれた事には感謝するべきかもしれない。 
 和美が魔術の道を選ぼうと口を開き掛けると、楓が待ったを掛けた。

「和美殿。貴殿がどちらの道を選ぶつもりなのか、そして、その道を選ぶに至った気持ちは分かるでござる。しかし、これは本当に最後の選択なのでござるよ。ここから先、魔術の道に進めば、二度と普通の人間としての暮らしは不可能になるでござる」

 そして、真名が続いた。

「これは、魔術サイドでも一般人サイドでも無い人間としての忠告。魔術の世界を絵本なんかの夢に溢れた世界だとは思わない事だよ。例えば、ある程度の才能はあっても魔術をその歳から修得するのは難しい。教会に口実を与えて何かの拍子に攫われれば、二度と表に出られない体にされる。最悪殺される事もある。血生臭い戦場に駆り出される事もあるし、若手の魔法使いはそういう時に限って日本の特攻兵みたいに捨て駒にされる事もある。よく考えるんだ。どちらにしても、麻帆良に帰るまでは記憶は消せないんだ。時間がある限り悩んだ方がいい」

 真名の言葉に、和観達は表情を凍らせて息を呑んだ。

「私の場合は、コッチよりソッチの世界で生きたいってのに、親やシスターのせいでコッチを強制されてる。だから、ソッチで生きられる可能性があるのは羨ましい事だよ。引き返せる場所で、その時の感情だけで突き進んじゃうのはちょっとアレだよ?」

 美空も、苦々しい表情を浮かべながら忠告した。

「よく考えてくれ。こんな事を言う資格は僕には無いが……。家族の事や、自分の夢の事、そして描いてきた未来の絵に魔術の力は本当に必要なのか……と」

 タカミチの言葉に、和観達は押し黙った。
 引き返せる最後のチャンス。だが、それは同時に進む事の出来る最後のチャンスでもある。
 だが、今の感情のままに答えを出すのは危険だとも理解した。

「少し……考えてみる」
「私も」
「私もです」

 三人の答えに、タカミチは頷いた。

「それじゃあ、済まないけど僕はこれからまた総本山に行かないといけない。もう、事件は起きないだろうから残りの修学旅行を楽しんでいきたまえ。エヴァは今日は未だ無理だけど明日の朝になれば開放される筈だから、一緒に見物が出来る筈だよ。それと……、ネギ君」
「何、タカミチ?」

 突然声を掛けられたネギはキョトンとした顔をした。

「実はね、今度犬上小太郎が麻帆良に行く事になったんだ」

 さりげなく言ったタカミチの言葉が頭の中に染込むまでに数秒掛かった。
 その言葉の意味を理解すると、ネギは眼を見開いた。

「え……ええ!? 何で!?」
「実はね、今回の件と以前のネギ君との共闘の実績を踏まえて、関西呪術協会と関東魔術協会の橋渡し的な意味で小太郎君に関西呪術協会の者として麻帆良に来て貰う事になったんだよ。小太郎君は元々修行や任務なんかがあってキチンと学校に通った事が無いらしくてね。それも踏まえた上での措置だよ」
「小太郎が……麻帆良に」

 ネギは噛み締める様に呟いた。それまでの雰囲気が一新。アスナ達はニヤニヤと顔を隠しながら笑みを浮かべた。どんな状況でも、他人の色恋沙汰は蜜の味だ。

「それでね、この修学旅行が終わったら君達と一緒に新幹線で麻帆良に向かう手筈になってるんだ。それともう一つ。今日の昼頃に総本山にもう一度来て欲しいんだ。君の相続したナギ・スプリングフィールドの別荘に案内してあげるよ。それにはエヴァもついて行く事になっている」
「ねえタカミチ。それって私達もついて行っていい訳?」

 アスナが尋ねると、タカミチは目を丸くした。そして、懐かしそうに笑みを浮かべた。

「お姫様にそう呼ばれるのは久しぶりですね」

 タカミチの言葉に、アスナも目を丸くし、口元に手を当て頬を赤らめながら顔を逸らした。

「嫌だった?」

 横目でタカミチの顔を伺いながら聞いた。

「いいえ」

 タカミチは笑みを浮かべて首を振った。

「敬語は禁止。それと、何時もどおり明日菜君でいいよ」

 安堵の息を洩らすと、アスナは笑みを浮かべて言った。

「分かった。明日菜君達も勿論ネギ君が許可すれば構わないよ」

 タカミチの言葉に、木乃香や刹那もついて行く事になった。

「私も行っていい? ネギっちのお父さんって興味あるし」
「いいですよ。一緒に行きましょう」

 和美が尋ねると、ネギはニッコリと頷いた。
 のどかとさよもついてくる事になり、真名と楓、古菲、美空、超は既に予定を組んであって抜けられないからと言い遠慮した。

 太陽が丁度真上に来た頃、ネギ達は早めの昼食を摂った後に総本山近くでエヴァンジェリンと合流した。小太郎も興味本位でついて来た。さりげなくネギの隣で一緒に歩いている。
 総本山から歩く事二時間。嵐山の奥地にヒッソリと隠れた建造物が見えた。

「なんか秘密の隠れ家みたいねー」
「天文台がありますよ!」

 和美とのどかが称した様に、その建造物の屋上には大きな天文台があり、谷間に埋まっているかの様に地下が深く、森の木々に隠されたその建造物はまさに秘密の隠れ家の様だった。

「京都だからもっと和風かと思ったけど」

 アスナは建造物を見ながら呟いた。

「十年前にナギが失踪する直前に来た時以来だが……。木々が生い茂ってしまっているな」
「ん、どういう事だ?」

 エヴァンジェリンは詠春の言葉に首を傾げた。

「元々、ここはナギの日本に於ける重要な拠点だった。だから、強力な結界が張ってある。ナギが消息を絶って以降は誰も近づけなくなっていた。ただ、所有権は間違いなくネギ・スプリングフィールドに相続されているから、ネギ君が居れば入れる筈だよ」

 詠春はそう言うと、桟橋を渡ってナギ・スプリングフィールドの別荘の入口へと一同を導いた。

「さて、ネギ君。ここが、君の御父上の過ごした別荘だ」

 詠春は優しく微笑んだ。

「ここが……お父さんの過ごした別荘」

 別荘を見上げながら、ネギは搾り出す様な声で呟いた。そっと壁に手を触れる。ざらついた肌触りの壁を愛おしそうに撫でながら、ネギは息を大きく吸い込んだ。
 扉のノブを掴み、押し開いた。扉を潜ると、そこには不思議な空間が広がっていた。見上げるほどの高さを誇る本棚には、分厚く色鮮やかな本が幾つも並んでいる。そのどれもがラテン語やギリシャ語などの外国語で書かれている。階段や梯子が所々にあり、まるで迷路の様に入り組んでいた。
 まるで、導かれる様にネギは別荘の中に入って行った。後ろからアスナ達が続こうとするが、詠春によって止められた。

「もう少しだけ待ってあげてください……」

 その言葉に、好奇心が爆発しそうだった和美達の心が冷えた。自分達にとっては胸の躍る魔法使いの根城でも、ネギにとっては全く違う。行方不明のお父さんの住んでいた別荘なのだ。
 好奇心で荒らしていい場所では決して無いのだと、反省した。だが、一人だけがさっさと中に入ってしまった。エヴァンジェリンだ。エヴァンジェリンは、ネギの隣まで来ると、頭に優しく手を載せた。

「どうだ? 自分の父親の過ごした空間だぞ。そして、ここはお前の空間だ。だから…………我慢する必要は無い」

 その言葉は、最後の一押しだった。エヴァンジェリンは青銀の瞳を輝かせると、冷たい風によって別荘の扉を閉めた。呪文を紡ぎ、一瞬だけ光に包まれると、エヴァンジェリンの体は大人の姿へと変貌した。

「この姿なら、ちょっとは甘え易いだろう?」

 困惑した表情を浮かべるネギに、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮かべた。
 そして、ソッとネギの頭を抱き締めると、ソファーに移動し、まるで赤子をあやす様な仕草でネギを抱きかかえた。

「エ、エヴァンジェリンさん……」

 顔を真っ赤にして身を捩るネギを、エヴァンジェリンは離さなかった。

「ネギ・スプリングフィールド。今日だけはとっ……特別だ。……ここに居るのは今は私だけだ。今だけは私に甘えろ」

 ネギの瞳が大きく見開かれた。そして、我慢の限界を超えた。
 エヴァンジェリンに抱きつき、肩を震わせてエヴァンジェリンの黒のワンピースに染みを作り出した。
 エヴァンジェリンはその事を気にも掛けずに、ネギの背中をポンポンと優しく叩いた。

「ネギ、お前はもっと他人を頼れ」

 エヴァンジェリンは、高く聳える本棚の本の背表紙を眺めながら呟いた。
 ネギの肩が一瞬震えたのを感じ取った。

「今回の件もそうだが、お前に責任の一端が無いとは言えない。だがな、その責任を必要以上に背負い込む必要は無いぞ」

 エヴァンジェリンはネギの震えた肩に視線を落として言った。

「それとも、それは誤魔化しているのか? 本当は、あの夜の再現を見たくないだけだから」

 ネギの体が面白いくらいに反応した。ビクッと体が震えた。

「心が壊れて、それでも涙を流しながら笑みを浮かべてお前を護り続けた姉の姿が重なるか?」

 エヴァンジェリンの言葉は岩を削る杭の様だった。

「アスナに助けを求めなかったのも、アスナに対してどこまでも負い目を持っているのも、神楽坂明日菜がネカネ・スプリングフィールドに似ていたからか?」

 ネギは息を吸う事が出来なくなった。心臓が大きく跳ね上がり、震えが止まらなくなる。
 違うと否定する事すらままならない。

「お前が必要以上に負い目を持っているのは、本当はアスナに目の前で死なれたくないからじゃないのか? ――あの夜の再現を見たくないから」

 心臓が早鐘を鳴らす。グルグルと頭の中がシェイクされているかの様に眩暈がしてくる。

「今のまま、誤魔化しを続けていれば、いずれはお前の気持ちがアスナにもバレルぞ。それに…………このままなら、お前の成長はここで止まってしまう。魔法使いは精神の強さによって成長する。自分の心を誤魔化している者に成長は望めない」

 エヴァンジェリンの言葉が毒の様にネギの心に染み渡り、苛んだ。

「いい加減、誤魔化すのは止めるんだな。一人でそのトラウマを克服出来ないなら、誰かに頼ってもいいんだ。私でも、木乃香や刹那でも、タカミチでも、……あの黒髪の坊やだってな」

 エヴァンジェリンは強くネギの体を抱き寄せた。

「お前は十歳の子供なんだぞ。少しは大人や周りの年上に甘えろ。子供の甘えは義務みたいなものだ。甘える事を知るからこそ、出来る事や分かる事がある。強くもなれる。甘えない事は強さじゃない。ただの停滞だ」
「エヴァン……ジェリンさん。私は…………」

 ネギの掠れた様な声が聞こえる。
 ネギの呟くような小さな声に耳を傾けながら、エヴァンジェリンはネギの髪を撫で続けた。

「甘える側から甘えられる側に変るまで、誰かに縋ってもいいんだ。わかった……な?」

 クッと笑みを浮かべながら、エヴァンジェリンはツンッとネギのオデコを突っついた。

「さて、そろそろ外で待ちくたびれてるだろう奴等を入れてやろう」

 ネギを離してフッと笑みを浮かべて言うエヴァンジェリンに、ネギは慌てて眼を擦ると、頷いた。

「…………はい!」

 扉を開くと、アスナ達はすぐにネギの泣き腫らして赤くなってしまった目元に気がついたが、誰も何も言わなかった。
 中に入ると、その不思議な空間に和美達は息を呑んだ。別荘の部屋を順番に見て回ると、様々な魔術用品や高級そうな調度品が幾つも置かれていた。

「ネギ!」

 小太郎が適当に開いた部屋の中を覗くとネギを呼んだ。

「どうしたの?」

 ネギが来ると、小太郎は部屋の中をチョイチョイと指差した。

「あ……」

 ネギが部屋を覗くと、そこには沢山の写真が並べられていた。
 アスナ達も部屋に入ると、並べられている写真を見た。

「うわっ、懐かしい写真があるわね……」

 アスナはその内の一枚を手に取った。そこには、幼少期の未だ神楽坂明日菜ではなかった頃のアスナの無表情とその頭に手を乗せるナギとガトウの写真があった。

「ナギ……、ガトウさん…………」

 その写真を手に取って、アスナは噛み締めるように名前を呼んだ。

「これは…………」

 エヴァンジェリンも写真の一つを手に取った。
 それは、エヴァンジェリンとナギが唯一、一緒に並んで写真を撮ったあの雪の村での写真だった。一枚はエヴァンジェリンのロケットの中に入っている。

「お前も…………持っていたのか」

 震えそうになりながら、エヴァンジェリンは微妙な笑みを浮かべ、満面の笑みを浮かべているエヴァンジェリンの頭に手を乗せているナギの写真を愛おしそうに抱き締めた。

「ネギ、これ見てみい」
「え?」

 ナギの写真を見ていたネギに、小太郎が一枚の写真を見せた。

「これって……エドワードさんと……お父さん!?」

 そこには、今と全く変らないエドワードと、満面の笑みを浮かべてVサインをしているネギと同い年くらいのナギの写真があった。

「そう言えば……エドワードさんの弟子だった時期があるんだっけ」
「その頃の写真なんやな」

 自分とは全く違う活発そうな写真の中の少年は、無邪気な笑みを浮かべていた。
 他にも若い頃の詠春の写真を見て刹那と木乃香が語り合い、のどかと和美、さよの三人も適当な写真を眺めた。

「この人がネギさんのお父様ですか」
「かっこいい人ですね」

 さよとのどかの言葉に、ネギは照れた。その後も、しばらくは写真の鑑賞会をした。

「この写真は……」

 ネギが一枚の写真を手に取った。
 そこには、十五歳の頃のナギ・スプリングフィールドとその仲間達の姿が映っていた。

「紅き翼の集合写真ですよ」

 詠春が言った。

「ナギの隣に立っているのはアルビレオ・イマ。反対側に立っているのが若い頃の私で、その隣がガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。そして、後ろの大男はジャック・ラカン。ナギのすぐ手前に居るのはフィリウス・ゼクト。この方はナギの師匠で、彼が本当の意味で敬意を示したのはこの人くらいなものだったよ」
「お父さんの師匠ですか!?」

 ネギは自分とそう歳の変らない様に見える少年の姿を見て目を丸くした。

「私は会った事ないぞ」

 ネギに顔を向けられてエヴァンジェリンは顔を逸らした。

「ここにあるモノは皆ネギ君、君の物です。写真なりアルバムなりを適当に持ってて構いませんよ。魔道書の類もそれなりのがありますし」
「あ、はい!」

 詠春の言葉にネギは頷いた。
 それから、しばらくは各々で別荘内を散策した。さよとのどかは本棚の本を読もうとして、日本語の本が殆ど無い事に気がついてガッカリした。

「そう言えば、茶々丸さんはどうしたの?」

 アスナはソファーに座りながら目の前の本棚からラテン語の魔道書を手に取っているエヴァンジェリンに尋ねた。

「茶々丸は今は総本山で情報操作を行っている。実を言うと、あの時は茶々丸を呼んでも下手をすると無駄死にさせる事になるから上空に陣が敷かれた時にあの場に呼ばなかったが、昨夜はどうして呼ばなかったのかって怒られてしまったよ」

 クスクスと笑みを浮かべながら言うエヴァンジェリンは、どこか嬉しそうだった。

「本当に、最初の頃に比べると人間らしくなったよ」
「そっか」

 アスナは笑みを浮かべながら立ち上がると、近場の本を一冊手に取った。

「へえ、『古代魔術の理論第四版』なんて読んでたんだ」
「ん? お前…………読めるのか?」

 アスナの手に取っている本はギリシャ語で書かれていた。
 スラスラと読み進めるアスナにエヴァンジェリンは目を丸くした。

「未だ読めるみたい。あ~でも、幾つか忘れてる単語あるなぁ」

 アスナは頭を掻きながらイライラとした様子で言う。

「読めない字は私が教えてやろう。どれだ?」
「ここなんだけどさ……」
「ああ、これは――」

 アスナとエヴァンジェリンが本を読んでいる間、ネギは小太郎と木乃香、刹那、と一緒に写真を整理していた。
 その中には、鍋を囲んで詠春が仕切っている写真などもあった。

「あはは、ネギちゃんのお父さん叱られとるなぁ」
「その隙をついてラカンさんがお肉を食べてますね」
「てか、コッチのあんちゃんは何気に皿に肉がたんまり入っとるで」
「わぁ、タカミチが何だか幼いです」
「あ、ほんまや! 高畑先生可愛ええな~」
「この頃からガトウさんの真似をしていたのですね。髪型もお揃いにして」
「あのおっちゃん強そうやな。一回戦ってみたいで」
「さすがに小太郎でもタカミチには勝てないよ」
「何言ってんねん! 勝負はやってみなけりゃ分からへん!」
「せやけど、高畑先生は凄く強いんやで?」
「咸卦法に居合い拳、つまりは無音拳を巧みに操る魔法世界でも“立派な魔法使い”に今最も近い男と毎週雑誌のグラビアページを飾っている方ですしね」
「え?そうなんですか!?」
「高畑先生がグラビア…………」
「えっと……、お嬢様? 別に水着とか裸とかにはなってませんからね?」
「ほえ!? そ……そんなの当たり前やない。あはは…………」
「笑みが引き攣っとるで?」
「そ……そう言えば、ネギちゃんは高畑先生と昔からのお友達なんよね?」
「え、ええ。昔、素手で滝を割って見せてくれた事もあるんですよ」
「た……滝を素手でか…………。さすがに無理やな……」
「私も素手ではさすがに……。さすが高畑先生ですね」

 そんな感じに喋りながら大量の写真を見つけたダンボールに丁寧にしまっていく。
 ちなみに、エヴァンジェリンとアスナにはそれぞれ数枚写真を渡す事になっていて、その分は別にしてある。

「せや、ネギは明日も京都見学するんだよな?」

 写真をあらかた仕舞い終ると、小太郎が尋ねた。

「うん。ていうか、色々あってちゃんと遊ぶのって明日だけなんだよね」

 ネギが言うと木乃香と刹那もたははと乾いた笑みを浮かべた。

「せ……せやったらその……案内とかあったらちゃんと名所とか行けるやろ?」
「そうだね。だけど、ガイドさんをわざわざ雇うっていうのは…………」

 小太郎の言葉に、ネギが見当はずれな事を言うと、木乃香がクスリと笑みを浮かべた。

「ちゃうで、ネギちゃん。コタ君はネギちゃんに明日自分が案内してあげるって言いたいんや」

 木乃香の言葉に、ネギは体がカッと熱くなるのを感じた。
 小太郎も顔を真っ赤にして「お、おう」と言った。

「じゃ、じゃあ、お願いしていいかな? エヴァンジェリンさんも次は何時外に出られるか分からんないから楽しんで欲しいし」
「え!? ……あ、うん。…………任せとき」

 微妙にガッカリした様子の小太郎に、ネギはキョトンとした顔をした。
 刹那と木乃香は微笑ましげに苦笑いを浮かべた。

「代わりに麻帆良に戻ったら私が小太郎を案内してあげるからね」
「へ? …………お…………おう!!」

 ネギがニッコリしながら言うと、途端に小太郎は大喜びで頷いた。

「分かり易いですね」
「可愛ええなぁ」

 刹那と木乃香の言葉に、ネギは首を傾げているが、小太郎は顔を真っ赤にして木乃香と刹那を睨んだ。
 その頃、タカミチはさよとのどか、和美に魔法について講義を行っていた。

「つまり、魔法を操るにはラテン語やギリシャ語は必須だと……」

 のどかは可愛らしいウサギの絵が描かれている手帳に熱心にメモを取りながら聞いていた。

「その通り。基本的に今一番ポピュラーな魔法は始動キーを使って操る魔法が主流だ。それに、殆どの魔道書はその二つの言語が標準なんだよ。他にもヘブライ語や古代中国語、日本の古代文字なんかもある。象形文字やルーン文字で書かれたのもあるから、覚える事はかなり多いよ」
「うへぇ、そんなに勉強すんのやだなぁ」
「でも、魔法を覚えるためなら頑張れる気がします!!」

 和美がダルそうにしていると、のどかは眼から星が飛び出しそうな勢いで言った。
 その姿につい可愛いと思ってしまった和美は、のどかを抱き締めてソファーに寝転がった。

 夕方頃になり、帰る事になり、小太郎と詠春がネギの持ち帰る魔道書とアルバムを総本山に持ち帰って、郵送する事になった。
 別荘の中で記念写真を撮ると、エヴァンジェリンと小太郎、詠春の三人と別れ、ネギ、アスナ、木乃香、刹那、のどか、さよ、和美は宿への帰路についた。

 翌日、涼しい木々の合間を吹き抜けて髪を攫う風を感じながら、ネギとエヴァンジェリン、茶々丸、アスナ、木乃香、刹那は小太郎と一緒に鞍馬山に来ていた。
 雀の鳴き声に耳を澄ませながら、エヴァンジェリンは講釈を垂れていた。

「ここが彼の有名な源九朗義経が遮那王を名乗っていた時期に預けられた鞍馬寺だな。ここで、遮那王は天狗から八艘飛びを初めとした数多の妖術を学んだとされている」

 小太郎に義経縁の土地を案内させ、観光を堪能しているエヴァンジェリンはご機嫌だった。
 今まで観光ガイドなどで仕入れ続け、何時の日か見に来てやると闘志に燃えた夢が遂に叶い、自分の蓄えてきた知識を披露している。

「でも、実際在り得そうな話よね。天狗だって居たみたいな伝承が幾つもあるしね」

 アスナはご機嫌オーラを放ち続けるエヴァンジェリンを微笑ましそうに見ながら言った。

「八艘飛びなら、ワイもちょっとは出来るで」

 小太郎が不意に言うと、エヴァンジェリンは眼を見開いた。

「何!? 本当か、犬上小太郎!!」
「お、おう」

 ズズイッと押し迫るエヴァンジェリンに若干引きながら小太郎は頷いた。

「前にその…………師匠から習ったんや。昔、師から習ったんだって」

 そう言うと、小太郎は体を僅かに曲げた。息を小さく吐くと、小太郎は鞍馬寺の境内を縦横無尽に跳ね回った。まるで、黒い影が跳び跳ねているかの様に、木の上を駆け上ったり、凄まじい速度で移動している。

「これって、瞬動とは違うんですか?」

 ネギが不思議そうに小太郎の八艘飛びを見ながら首を傾げた。見た事も無い移動方法に戸惑っているのだ。扇の軌跡を描いて移動する影。その動きは全く未知の技術だった。

「あれは体術ですね。気や狗神、魔力を使わずに己が身体能力だけを使っている様です。なるほど、あれは隠密向きの技術ですね。気も魔力も感知されずに高速で移動できるのですから」
「たしか、牛若丸は八艘飛びを使って弁慶に勝ったんやで」

 刹那が八艘飛びの有利性を考察する傍らで、木乃香はネギに牛若丸の八艘飛びについて話した。

「壇ノ浦の戦いでも、義経は船から船へと八艘飛びで渡りながら次々に武勲を立てていったんや」

 木乃香の話を聞きながら、ネギは自動販売機で買ったコーラを口に含んだ。

「ま、あんま使う機会は無い技やけどな」

 戻って来た小太郎は肩を竦めながら言った。

「何せ平安時代の技だからな。さすがに千年の間に人の技術は比較にならない程進歩した。それは、科学という形だったり、魔法という形だったりな。魔力や気を使わなくても、今は高速で移動できる物は数多く存在している。科学技術の進歩は、嘗ては数歩先を行っていた魔法を後少しで追い抜きそうな所まで来ている。転移や天候操作、幻影魔術なども、そう遠くない未来に科学技術によってより、正確に、より安易に、より安全に使える様になるだろうさ」
「ワープに天候操作、ソリッドビジョン、嘗ては眉唾のSF小説の中の世界の話が、科学の力で実現している世の中ですから、そういったのも、もうそう遠くない未来には実現するでしょうね」

 エヴァンジェリンの言葉に、刹那は楽しげに笑みを浮かべながら言った。

「時々、そういった魔法の衰退に繋がる科学の発展を疎む者も居てな。そういった馬鹿の掃除も魔法使いの仕事の一つだ」

 困ったもんだとエヴァンジェリンは肩を竦めた。

「メンドイ奴がおるんやな。せやけど、影分身とか、昔の技も捨てたもんやないで。今でも現役バリバリや」
「そう言えば、小太郎の影分身って不思議だよね。どうやってるの?」

 ネギが尋ねた。

「ん、こう気を練ってやな」

 小太郎は自然体になると、まるでぶれた様に小太郎の体が二人に分裂した。

「こんな感じや」
「こんな感じや」
「うわ…………、小太郎の声がブレて聞こえる」
「うわってなんやねん」
「うわってなんやねん」
「う…………」

 二人の小太郎に睨まれてネギは後退した。

「小太郎…………ちょっと同じ顔で来ないで、不気味だよ」
「…………言うようになったやないか」

 目元をヒクつかせながら一人に戻った小太郎はネギを睨んだ。

「前に散々言ってくれたお返しだよ」

 ふふんとネギは悪戯っぽく笑みを浮かべた。すると、小太郎は面白くなく、ジト目でネギを睨んだ。

「ねちねち根暗な奴やなホンマに! 未だ根に持っとったんかい!?」
「な!? ね……ねちねちって……ひ、人にあれだけ言っておいて……」
「その後助けてやったやろ! それでイーブンや! やり返される謂れは無いで! この、根暗!」
「ま……また言った。また言ったね!! 根暗ってまた!!」

 小太郎の暴言に、ネギはガーッと両手を振り上げて叫んだ。小太郎は勝ち誇った顔で更に続けた。

「おうおう! 何度でも言ったるわ! 根暗! 根暗!」
「やめんか!!」

 さすがに、ネギが涙目になってプルプルと震え始めると、エヴァンジェリンが小太郎の頭に拳骨を落とした。

「痛ッテエエエ!!」
「ネギも、見せて貰って気味悪いとか言うんじゃないわよ」
「あうう……、ごめんなさい」

 ネギの頭をグリグリとしながらアスナが叱りつけた。ガミガミと叱りつけるアスナとエヴァンジェリンに、小太郎とネギはシュンとなってしまった。
 その様子を、茶々丸達は微笑ましげに見ていた。

「それにしても驚きましたね。ネギさんがあんな風に喧嘩するとは」
「歳が近いせいでしょう。ネギさんは十歳ですから」
「せやねぇ。十歳やから…………、え?」

 木乃香は茶々丸の言葉にキョトンとした顔をした。

「あの……茶々丸さん? 何か今……聞き捨てならない事を聞いた様な……」

 刹那が恐る恐る尋ねると、茶々丸は呆気無く言った。

「ネギさんは十歳ですよ。ですから、十三歳の小太郎さんの方が、お二人よりも歳が近いのです。それ故、気安くもあるのでしょう」

 茶々丸の言葉に、木乃香と刹那は目を丸くした。

「って、ほんまにネギちゃんって十歳なん!? 聞いてへんで!?」
「というか、じゃあ何で中等部に!?」

 茶々丸は木乃香と刹那の質問に答えた。基本的にネギが何の目的でそもそも麻帆良に来たのかなどを。

「そ……そうだったんですか。今更ですが、理解しました」
「そっかぁ、ネギちゃん十歳やったんか。なんや、色々と納得がいった気がするで」

 その頃、こってり絞られたネギと小太郎はお互いに謝って頭を押えていた。

「うう……頭が痛い……」
「の……脳天に雷が落ちたかと思ったで……」

 涙目になる二人に、エヴァンジェリンとアスナがギロリと睨みつけた。

「というか、エヴァンジェリンさんとアスナさんのお説教が妙に板に付いているというか……」

 刹那が言うと、茶々丸は事も無げに言った。

「まあ、マスターは600歳超えてますし、アスナさんは実質みそ――ッ!?」

 茶々丸が言い切る前に、茶々丸の目の前にエクスカリバーが真っ直ぐに地面に突き刺さった。
 あまりの事に絶句し固まる三人に向けて、アスナが凄惨な笑みを浮かべて言った。

「それ以上言ったら……ね?」

 ビキビキと拳を握りながら言うアスナに、木乃香と刹那、茶々丸はコクコクと頷いた。
 言った瞬間に殺されると本能が悲鳴を上げている。

「小太郎!」
「へ、へい!!」

 ガクガクと震えている小太郎に、アスナは顔を向けた。

「そろそろお昼だからおいしいお店案内しなさい」
「りょ……了解!!」
「あ、待ってよコタロ~」

 小太郎はアスナに命じられるままに走り出した。ネギは慌てて小太郎を追う。

「年齢の話はタブーですね……」

 刹那が微妙に顔を引き攣らせながら言うと、茶々丸と木乃香はカクカクと頷いた。

 エヴァンジェリンが京会席を所望し、ネギ達は鴨川を下って先斗町にやって来た。
 鴨川を見下ろすかたちでベランダのような場所で豪華な京会席に舌鼓をうつ。

「下に流れる禊川の川のせせらぎが心を落ち着かせるな」

 エヴァンジェリンは新鮮な刺身に口に含む。

「せやけど、良かったんか? その……ワイまでご馳走して貰って……」

 小太郎はわずかに緊張した様に言った。

「構わん。案内の駄賃だ。詰まらん事を言わずにこの美しい景観と料理を堪能しろ」

 優雅な仕草で天ぷらを食べながら言うエヴァンジェリンに、小太郎はお礼を言った。
 とはいえ、さすがに一万円以上も奢られては緊張してしまうというものだった。
 刹那と木乃香は慣れている様で、アスナも珍しそうにしてはいても、気後れはしていなかった。
 ネギだけは、やはり少し気後れしてしまっていた。それに気がついて、エヴァンジェリンは苦笑した。

「気にする必要は無い。どうせ、使う事など殆ど無いんだ。こういう機会にお前達に美味い飯を食べさせるのも悪く無い。私の弟子たるもの、味オンチは頂けないからな。ちゃんと味わって味を学べ」
「は……はい!」

 ネギと小太郎は同時に返事を返すと、漸くスムーズに食べ始めた。

「これなんだろ?」

 ネギは白い不思議な食べ物を箸で取りながら首を傾げた。

「エビか……何やろ?」

 小太郎も試しに口に入れてみた。だが、カリカリとしているが、味わった事の無い味だった。
 不思議そうな顔をする二人に、茶々丸は微笑をもらしながら、味を解析していた。こういう機会に、データベースに京都の料理を登録しておこうと思ったのだ。今度は何時になるか分からない以上、家でくらいは京都を感じてもらう為に。

「せっちゃん、ご飯粒ついとるで?」
「え、本当ですか!? ……不覚です」

 落ち込みながらご飯粒を取ろうと箸を置く刹那を制して、木乃香が刹那の頬についたご飯粒を取ってそのまま口に入れた。

「こ、このちゃん!?」

 顔を真っ赤にして慌てる刹那にクスクス笑みを浮かべながら木乃香は何事もないように食事を続けた。

「順調に進展しているな」
「挙式も近いかしら」
「式には呼んで下さいね」

 その様子を眺めながら、エヴァンジェリンとアスナと茶々丸は口々に言った。

「ちょっと――ッ!!」

 刹那は顔を真っ赤にして騒ぐが、誰も気にも留めなかった。

「あの二人付き合っとるんか」

 小太郎は刺身を食べながら言うと、ネギが顔を寄せてきた。

「うん、とっても仲が良いんだよ」

 微笑みながら言うネギに、小太郎は顔を真っ赤にして
「さ、さよか!」
と言った。

「付き合ってないですよ!!」

 刹那が何かを叫んでいるが、皆食事を続けた。

 再び、観光を再開して、ネギはエヴァンジェリンらと共に小太郎に京都市内を案内されている。
 ネギ達が今居るのは映画村だ。行き交う人達の殆どが仮装を楽しんでいる。ネギ達も思い思いの仮装を楽しんでいた。
 小太郎はすぐに黒い着流しを着て、腰に脇差を差して出てきたのだが、ネギ達が中々出てこないせいで待ち惚けをくらってしまった。
 衣装屋の近くの茶店で団子を食べながら待っていると、エヴァンジェリンと茶々丸とアスナが出て来た。

「ヤッホー、お待たー」
「お待たせしました」
「よーやっと、出て来おった……」

 三十分以上も待たされて団子の串が積み重なって山になっている。お茶を啜りながらエヴァンジェリンとアスナにも団子を勧める。
 茶々丸は食べないのでそのまま茶店の椅子に腰を下ろした。茶々丸は昔の日本の使用人の様な着物に前掛けを着けた格好をしている。

「お、すまんな。……ん、うまい!」

 エヴァンジェリンは団子を一気に平らげると頬を綻ばせた。

「やっぱ、団子は醤油よね~」

 オレンジ色の村娘衣装のアスナが満面の笑みを浮かべて頬張った。

「いやいや、蓬と餡子の巧みなバランスは中々のものだぞ」

 チッチッチと舌を鳴らして、白いゴシックドレスにレースの傘をさしたエヴァンジェリンが緑の蓬の団子を新たに小太郎の皿から取って食べた。外国人二人の団子批評を聞きながら、小太郎は衣装屋に視線を送った。
 丁度、刹那と木乃香も出て来た。刹那は新撰組の衣装を身に纏い、木乃香は豪奢な着物を着ている。まさしく、姫と姫を護る騎士といった様子だ。
 その後ろから、桃色の桜の絵柄の着物を着て、髪を櫛で結い上げたネギが出て来た。
 ちなみに、カモはタカミチと行動しているので今日は一緒に居ない。
 小太郎はついポカンとした表情で眺めていて団子を落としてしまった。その様子を目敏く見つけたアスナとエヴァンジェリンがニヤニヤと笑みを浮かべた。

「どうした、可愛いの一言でも言ってやれ」
「そうよ~。ネギには積極的なモーションが必要よ」
「うっさいわ、おばはん共!!」

 辺りに鈍い音が響いた。

「痛ッ――――」

 頭に大きなタンコブを二つ乗せて小太郎はあまりの痛みに言葉も出なかった。

「ピチピチの“女子中学生”に何言ってんのよ、まったく」
「全くだ。私達は“中学生”だぞ」
「実年齢は三十路と600歳で十分おばはッ――!!」

 最後まで言い切る事無く、修羅の如きの表情を浮かべる二人の鉄拳が真っ直ぐに振り落とされた。

「うおおおおおおっ!!」

 頭を触ると痛いから抑える事も出来ず、小太郎はプルプルと震えながら頭のタンコブに風を送った。

「だ……大丈夫?」

 ネギが心配そうに声を掛けるが、痛すぎて返事を返す事も出来なかった。

「何故、地雷と分かってて足を踏み入れるんでしょう……」

 呆れた様に言う刹那に、木乃香はキランと瞳を輝かせた。

「せっちゃん。押しちゃ駄目って書いてあるボタンが目の前にあったらどないする? 押すやろ?」
「え? 押しませんけど……」
「せやから、せっちゃんには分からないんよ!」
「ええっ!?」

 いきなり突き放す様な事を言われてアタフタする刹那の様子に満足気に笑みを浮かべながら、木乃香はネギ達の近くに行った。

「ウチもお団子食べてええ?」
「え……ええで~」

 まだ痛むのか、頭を押えながら涙目で皿を寄せる小太郎に
「おおきに」
と言って木乃香は団子を頬張った。

「小太郎、お店の人に氷嚢作って貰ったから、頭に乗せるといいよ」
「おう、サンキューな」

 氷水の入った袋を頭に乗せて一息吐く小太郎の横に座って、ネギもお団子を食べた。
 そのネギの姿をチラチラ盗み見ながら小太郎は何かを言おうとしてはネギが首を向けると凄い勢いで反対側を向いた。
 怪訝な顔をするネギに、小太郎はあ~~~~とかう~~~~~とか唸りながら頭を抱えた。

「だ、大丈夫……?」

 頭が痛くて唸っていると思ったネギが心配そうに声を掛けるが、小太郎は頭を抱えたまま唸り続けた。

 扮装写真館で記念写真を撮影して、映画の撮影を見物した。

「お~~!! あれは有名な時代劇俳優じゃないか!! 後で、サイン貰えないかな……」
「後で聞きに行ってみよ」

 目を輝かせながらチャッカリサインを書いて貰うための色紙を用意しているエヴァンジェリンに、木乃香が言った。その後、何とかサインを貰えてホクホクと笑みを浮かべた

「良かったですね、マスター」
「ああ、このサインは汚れがつくと不味いな、ちょっと待ってろ」

 エヴァンジェリンはそう言うと、一瞬だけ路地の暗い影に隠れた。直ぐに戻ってくると、その手には色紙は無かった。

「転移でログハウスに戻した」
「転移って便利よね、私も覚えたいな」

 アスナが呟くと、エヴァンジェリンは肩を竦めた。

「私のは能力に近いんでな。教えられんぞ」
「う~ん、消すのは得意だけど、使うのはからっきしだったしな~」

 アスナはしょぼんとすると、視線の先にある看板を見つけた。

「お! お化け屋敷だ!! あれ行こうよ!」

 駆け出すアスナを追い掛けると、エヴァンジェリンは説明書きを読んだ。

「何々、東映の俳優が演じているリアルな怨霊達があなたを待ってます……。むむ、この俳優は!! 行かねばなるまい!!」
「エヴァンジェリンさんって俳優とかに興味あったんですね」

 刹那はエヴァンジェリンの意外な一面を垣間見た気がして呟いた。

「マスターは時代劇が大好きですから。特に水戸黄門や暴れん坊将軍などの名作はシリーズ全てのビデオやDVDを所有しています」
「エヴァンジェリンさんって、時代劇が好きだったんですか」

 ネギも驚いた様に言った。

「まあ、暇を潰すのにテレビというものは最適ですからね。最近では衛星第二でやっている韓国の冬のソナタというドラマにもハマッっていて、よく夜更かしをなさって少し困っています……」
「そういや、おばはん世代に大人気やもんな。アスナの姉ちゃんもハマるんちゃうか?」
「ねえ小太郎……。君って懲りない人だよね……」

 ネギは背後に忍び寄る阿修羅と小太郎から顔を背けて言った。その直後、この世のものとは思えない断末魔の叫びが轟いた――。
 フラフラしている小太郎に手を貸しながらお化け屋敷に入り、迫真の演技の怨霊達につい肝を冷やした。小太郎がう~う~唸っているせいで微妙に台無しだったが……。

 それから、一行は手裏剣道場に向かった。
 ネギは手裏剣を力いっぱい投げるが、的に届きもしなかった。エヴァンジェリンとアスナは面白がって投げていて、的を手裏剣で粉砕し、店の人に怒られた。
 ナチュラルに他人の振りをしながら、刹那は木乃香に手裏剣の手解きをしている。制服が同じだからあまり意味は無いが……。
 小太郎はネギの隣で手裏剣を構えた。

「へへ、見てろ」

 シュッと手裏剣をブーメランの様に投げると、放物線を描いて見事に的の真ん中に突き刺さった。

「凄い!」

 感激するネギに、小太郎は嬉しくなった。

「よっし、今度はこうや!」

 今度は三枚の手裏剣を一瞬の内に投げる。三枚すべてが違う放物線を描いて的の真ん中に見事に命中し、前から見ると上向きの矢印の様に見えた。

「よ~し、私も!」

 ネギも小太郎の真似をするが、全く掠りもしなかった。

「ほれ、こうするんや」

 ネギの後ろに立つと、小太郎は緊張しながらネギの手裏剣を持つ手に自分の手を添えた。

「ふえ!?」

 驚いて小さく悲鳴を上げるネギに、小太郎は「悪ぃ」と言って離れようとするが、ネギが首を振って留めた。

「ううん。教えて?」
「お、おう!」

 二人して顔を赤くしながら、小太郎はネギの身体を抱き締める様な格好でネギに手裏剣を投げさせた。
 真ん中では無いが、手裏剣は放物線を描いて的の右端ギリギリに命中した。

「やったな。こんな感じや。力むんやのうて、軽く投げればええんや」
「うん」

 ちなみに、茶々丸は的に見事な十字を手裏剣で描いて周囲から喝采を浴びていた――。
 怒られて肩を落としているアスナとエヴァンジェリンと共に、ネギ達は射的や矢場を楽しみ、手相を見てもらった。
 最後に清水焼の体験をする頃には、アスナとエヴァンジェリンも元気を取り戻していた。

 夜――。
 赤い髪の少女と黒い髪の少年が二人並んで歩いている。ネギと小太郎だ。
 空は宵闇に染まり、街灯が光を灯し始めた。二人が歩いているのは宿を少し離れた場所にある渡月橋。夜空には満天の星空が広がり、満月が銀色に輝いていた。

「水面に移る月を見下ろすのも趣きがあるね」

 立ち止まって、橋の下の川に映り込んだ銀色の盆を見下ろしながらネギが呟いた。
 静かに流れる川のせせらぎを聴きながら、微妙に形を変える月の姿を陶然と眺めている。
 小太郎は橋の柵に背中を預けて月を見上げた。

「偽者より、ワイは本物の方が好きや」

 ぶっきらぼうな小太郎の物言いに、ネギはクスリと笑みを洩らした。
 流し目で小太郎を見つめながら、ネギははにかんだ笑みを浮かべた。

「本物の月よりも心に描いた月の方が綺麗なんだよ」

 ネギの言いたい事が、小太郎には分からなかった。小太郎の表情に当惑の色が浮かんでいるのを見ながら、ネギはクスリと微笑を零す。

「今日は楽しかったね」
「…………せやな」

 ネギの言葉に小太郎は小さく息を吐きながら応えた。
 昼間はずっとネギと彼女の友人達に京都中を案内して回った。沢山の寺院や神社を見て回り、映画村で仮装を楽しんで写真を撮影した。
 だが、実際のところ、楽しかったのは確かだけど、小太郎は不満だった。二人で話す時間が殆ど無かったからだ。
 夜になって、ネギ達の泊まっている宿屋に帰ってくると、小太郎は溜息交じりに帰ろうとした。すると、後ろから声を掛けられた。赤い髪の自分より小さな少女が自分を呼び止めた。つい、嬉しくて笑みが零れそうになって顔を背けて、この場所まで歩いて来た。

「ありがとね。小太郎のおかげだよ」

 つい見惚れてしまいそうになる笑みを浮かべる少女に、小太郎は慌てて顔を背けた。

「お、おう。気にすんな」

 素っ気無く返す小太郎に、ネギは小さく頷いた。それからしばらくの間、二人は互いに何も口に出さずに押し黙った。
 実際の所、小太郎は何でもいいから話をしたかったが、何を言えばいいのか分からなかったのだ。ネギは、僅かに顔を俯かせながら物思いに耽っている様だった。
 大きく息を吸い込んで、声を掛け様とした矢先に、ネギが唐突に口を開いた。

「小太郎……」
「ん?」

 ネギは小太郎の名前を呼んだ。小太郎は横目にネギを見た。

「小太郎は、誰かを憎んだ事ってある?」

 ネギの口から、およそ不似合いな言葉が飛び出てきた。
 小太郎は僅かに驚いてネギの顔を見る。それから、思い出す様に呟いた。

「ある…………で」

 小太郎は、過去の痛みに目を細めた。

「俺の師匠で、俺の兄貴で、俺の親父や」
「師匠で、お兄さんで、お父さん?」

 キョトンとするネギに、小太郎は肩を竦めた。

「ワイな、両親の事は知らないんや。ただ、気がついたらアイツとおった。狗神の操る術を教えてもらった。忍術や気の使い方も習った。アイツは、親父で、兄貴やった。いつか、アイツを追い越して、ワイの事を一人前や認めさせるんが夢やったんや」
「……………………」

 小太郎の呟くような言葉に、ネギはジッと黙り込んだまま聞いた。

「冬の日やった…………。アイツはいきなり里を滅ぼした」
「え?」

 小太郎の言葉に、ネギは言葉を失った。

「全滅やった……。ワイだけ生き残って、千草の姉ちゃんに拾われたんや」
「お兄さんは……?」

 ネギが怯えたようなかぼそい口調で尋ねた。小太郎は冷ややかな口調で答えた。

「変な連中と一緒にどこかへ行った。今、何処で何してるんか分からへん。せやけど、ワイは必ずあの野郎をこの手で殺す。そんで、狗神を後世に伝えるんや」
「そっか…………」

 小太郎の言葉に、ネギはただそれだけを呟くと下を向いた。足の先を見つめている。

「お前はどうなんや?」

 小太郎が尋ねると、ネギは少し間を置くと、顔をゆっくりと上げて小太郎を見つめた。ただ、ジッと見つめた。
 小太郎は居心地が悪くなった。動悸が高まり、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「私はね、…………皆が憎いの」
「…………は?」

 ネギの言葉に、小太郎は耳を疑った。

「何言って…………」
「やっぱり、小太郎と私は違うんだね」

 ネギは視線を小太郎から外した。ボンヤリと虚空を彷徨わせ、溜息を吐いた。

「エヴァンジェリンさんに言われてね、気が付いたんだ。私は、私が原因の癖に、あの日に私を護って死んでいった人達が憎かったんだって…………」

 ネギのそれは、独白だった。小太郎は黙って耳を傾けた。

「自分が許せないとか、そういうんじゃないんだなって、分かった。どうして、私なんかを護って死んじゃったの? っていうのも違う。ただね、私に背負わせないでって思ってたの。私は小さいから…………」

 小太郎が何かを言おうとすると、ネギは首を振って制した。

「年齢や、背の話じゃないの。器の話……。私は自分の事で精一杯なんだよ。誰かの命なんて背負えない」
「…………阿呆やな、自分」

 え? とネギが声を上げる。小太郎は呆れた様に溜息を吐いた。
 何を言い出すかと思えば、そんなのは当然の話なのに――。

「当たり前やろ、そんなの。ワイかてそうや。ワイとお前が違う? んな訳あるかい! 人間一人が背負えるんはな、自分だけなんや。そんなの、器の大きさなんて関係無い。護られて、生かされて……。そんな事より、あの日、あの場所で一緒に死なせてくれた方が良かった。そんなの、ワイかて同じや」
「……………………」

 ネギは言葉を紡げなかった。小太郎はネギの瞳を見つめる。

「せやから、責任を果たすんや。誰かの為じゃない。ワイ自身の為に、敵を討って、死んでいった奴等が確かに存在したんやって証を残す。それで、漸く解放されるから。生かしてくれた奴等から受けた呪縛から、解放されるから」

 小太郎は鼻で笑って見せた。

「綺麗事を並べて安心するのも、汚い言葉で罵って嫌悪するのも、同じ事なんや。だけどな、助ける事は出来るんや」

 小太郎の笑みに、ネギはトクンと胸の内で熱いなにかが込み上げてくるのを感じた。

「お前が倒れそうになったら、ワイが助けたる。そんで、余裕が出来たら感謝してみい。今度こそちゃんと、生かしてくれた奴等に心からな。前に言ったやろ?」
「…………え?」

 小太郎は真っ直ぐにネギの瞳を射抜いた。

「お前が前に踏み出す障害は、ワイが取り除いたるって」

 小太郎の言葉が染み渡る。暖かく、優しく心に安らぎを与える。心臓が高鳴り、夜の冷たい風が心地良く感じる。
 ネギは自然と笑みを零した。

「それって、誰かの受け売り?」

 ネギの言葉に、小太郎は呻いた。どうやら図星らしい。

「結局前を見てなかったんや。自分を残して死んだ奴等の事や、アイツを恨んで。そん時にな、知らないおっさんに言われたんや。『背負ってしまったなら、責務を果たして降ろしてしまえばいい』ってな。何時までも背負ってるんは、背負わせた方にとっても馬鹿らしい事なんやって」

 小太郎は恥しそうに頬を赤く染めながら言った。そんな姿がおかしくて、ネギはクスクスと笑った。
 小太郎が怒るが、そんな事お構い無しに。

「過去は忘れない。それでも、前に向かって歩かないといけない。ねえ、小太郎」
「なんや?」

 笑われた事に憤慨している小太郎にネギはクスリと笑みを浮かべた。

「ううん。何でもない」
「何やそれ……」

 クスクス笑うネギに、小太郎は憤慨する。小太郎が怒る度に、ネギは更に笑う。
 そうしている内に、小太郎も自然と笑い始めた。
 二人して笑い合う。

「小太郎、これから改めてよろしくね」

 小さく拳を握り、ネギは前に突き出した。小太郎も笑みを浮かべて軽く拳を握り、ネギの拳に軽くぶつける。

「よろしく頼むで、ネギ」
「そろそろ宿に戻らなきゃ」
「せやな……。また、明日な」
「うん、また明日」

 二人は今更になって照れながら手を振って別れた。
 部屋に戻ると、何故か真っ青になり力尽きているオコジョと「若いっていいなぁ」と言いながらお茶を飲んでいるアスナとエヴァンジェリンと、そのお茶を淹れている茶々丸と、顔を火照らせながら手を握り合っている木乃香と刹那が居た。
 困惑するネギに、誰も理由は教えてくれなかった。

 翌日の朝、宿で最後の朝食を食べて、3年A組とタカミチ、新田はバスに乗り込んだ。
 タカミチと話す機会を得て、話を聞くと、順調との事だった。フェイトに関しては、麻帆良に帰ってからとはぐらかされ、アスナの表情が僅かに翳ったのをネギは見た。
 京都駅に到着し、京都タワーに登って最後の記念撮影を行う。ネギはアスナと木乃香の間だった。そして、一同は麻帆良学園へと戻って来た。

 修学旅行翌日の深夜、学園都市に存在する巨大な樹――『神木・蟠桃』と呼ばれる、通称世界樹の最深部に存在する遺跡の中央の魔法陣にフェイトは寝かせられていた。
 その隣には濃色の狩衣を身に纏った黒髪の二十歳前後の青年が立っていた。さらにその後ろには真っ白なローブで身を包んでいる黒に近い紺色の髪の青年が立っている。

「どうですか?」

 ローブの青年が狩衣の青年に問い掛ける。

「予想通りの様だ」
「【創られた人】である彼がこの世界(ムンドゥス・ウェトゥス)で過ごすには造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)が必要でした。それが無くなった今、彼はこちらに長く留まれば……」
「それを何とかするのが我等の仕事だ」

 狩衣の青年はそう告げると、朗々と呪文を唱え始めた。

「今年は大発光の周期が早まる程に潤沢な魔力が世界樹に宿っていますし、アレの魔力を使えば……」

 呪文を詠唱し終え、濃色の狩衣の男は魔方陣に膝をつき、掌を魔方陣に添えた。途端、地面に刻まれた魔方陣全体が輝き始めた。
 遺跡全体が光の海に包まれた。地上では一般人の目にも世界樹が発光しているのが目撃されている事だろう。それこそ、世界中の意識を変革させる程の強大な魔力が空間を埋め尽くした。

「これだけの魔力を全て使っても一人分か……」

 徐々に光が収まっていく。フェイトの躯を徐々にナニカが覆い始めた。卵子(からだ)が精子(いのち)を覆う様に――。

「安定してくれればいいのだが……」
「魔素を実体に変換していくのは幻想を現実に変えようとするのと同じ事。かなり危険な賭けですよ」
「分かっている……が、これ以外に救う手が無い」

 二人の男は琥珀のように黄金の繭に包まれたフェイトの様子を見守り続けた――。

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