第九話『雪の夜の惨劇』

 その子供は呆れるほどに一途で真っ直ぐで……愚かだった。ウェールズの山奥に在る年間を通して涼しい事はあっても、暑い日は来ない、そんな小さな村だった。
 村人達は全員が魔法使いで、英雄サウザンドマスターの信奉者だったり、命を救われた者だったり、彼、ナギ・スプリングフィールドに縁のある者達ばかりが集まった集落だった。
 この村が出来た理由は分からない。まるで、そこに何か彼の大切なモノがあって、それを守っている様だった。真実、村人達はそこに住む一人の子供を守り続けていた。
 ある時は悪魔を殺し、ある時は魔法使いを殺し。それを、決して子供に知らせる事は無かった。子供が彼の事を聞くと、ある者は皮肉気に、ある者は愉快気に、ある者は親しげに、誰もが彼を賞賛した。彼の偉業ばかりを聞かされた子供は、見た事も無い彼……父親を尊敬した。
 両親が居ないのを悲しんだ事もある。村の子供達が羨ましかった事もある。子供は只管に父親を欲した。偉大なる英雄の父を自分のモノにしたかった。
 人々が危機に陥った時に現れる正義の味方。彼に会いたくて、子供は只管に自分を追い詰め続けた。ある時は猛犬を解き放ち、ある時は木から飛び降り、ある時は手首を切り、ある時は冬の湖にその身を投じた。
 従姉妹の女性を悲しませ、それでも子供は諦められなかった。関係の無い人々にも救いを与えるなら、実の子供である自分にも必ず救いをくれる筈だと。何を間違えたのだろう? 子供はただ父親に会いたかった。姉は子供を愛していた。幼馴染の少女は子供の身を案じていた。村人達は英雄の息子を守り続けていた。
 子供が村から少し離れた場所に冒険をしにたった一人で向かってしまった事が始まりだった。愚かな子供は、それが何を意味しているかしらなかった。たった一人で村の外に出てしまった子供は、見た事も無い化け物に襲われた。
 全身が真っ白な外殻に覆われた不気味な存在だった。

《見つけたぞ……漸く、見つけた》

 まるで、壊れたラジオの様に聞き取り難い声が響き、ネギは全く動けなくなってしまった。怖気の走る程の歓喜の色が見えた。涙と涎を垂れ流し、恐怖だけで死んでしまいそうな程だった。だが、目の前の化け物は子供を……ネギを襲う事は無かった。

《忌々しい結界よ……。我はそこには行けぬ。だが、我は貴様を見つけた》

 外殻に覆われ、表情など分からない筈なのに、心の底から冷たくなる様な、あまりにも綺麗で、あまりにも恐ろしい笑みを浮べている気がした。
 ネギは意識を失ってしまった。気が付いた時には、自分の家に戻っていた。目覚める前の事は靄が掛かったように思い出せなかった。目を覚ましたネギは、窓のカーテンの外から真っ赤な光が溢れているのを感じた。

「何だろう?」

 ネギが窓に近づくと、突然ネカネがネギの手を取った。

「お姉ちゃん?」
「あらあら、起きたのね。さあ、ご飯にしましょうね」

 ネカネはニコやかな笑みを浮べてネギの手を取ったまま、窓から離れてネギの家のリビングに向かった。ネカネがネギの家に居るのが不思議だった。
 いつもは長期休暇以外は魔法学校に行っている筈だからだ。ネギの幼馴染の少女、アーニャと一緒に……。

「お姉ちゃん、学校はどうしたの?」

 ネギが聞くと、一瞬だけネカネの肩が震えた。

「今日は……お休みなのよ。だから、お姉ちゃん帰って来たの」

 ネカネの声に、どうしてかネギは不安になるのを抑えられなかった。

「アーニャはどうしたの?」

 いつもなら遊びに来る筈の少女も居なかった。

「アーニャは、メルディアナに残ったわ。ネギも来年からメルディアナだもんね。一杯友達を作るんだから、元気をつけなくちゃいけないわ。さあさあ、シチューを食べましょう」

 ネカネはネギに顔も向けずにそう言うと、ネギを椅子に座らせて深皿にシチューを盛り付けた。ネギは戦慄した。
 寝惚けていた目では気が付かなかった。ネカネの顔は、まるで死人の様に真っ青で、目は空ろになり、シチューを置く時も手が震え続けていたのだ。

「どうしたのお姉ちゃん? 顔色が悪いよ? お医者さんに行く?」

 ネギが心配そうに聞くと、ネカネは微笑みながら首を振った。

「大丈夫よ。大丈夫。あなたは何も心配しなくていいの。さあ、シチューを食べなさい」

 有無を言わさぬネカネの口調にネギは怖くなった。まるで、全く知らない人がネカネに化けている様な気分だった。恐ろしくなったネギはチラリと玄関に目を向けた。

「――――ッ!?」

 絶句した。玄関の扉には、結界が張られていたのだ。それも並ではない。外からの進入は勿論、中からも到底出られそうにない程の強力な結界だった。幼いネギは未だ魔法に関する知識をあまり持ち合わせていなかったがそれでも張られている札や描かれている魔法陣の数に驚きを隠せなかった。

「お姉ちゃん、どうして玄関を封印してるの? あれじゃあ、お外に出られないよ?」

 ネギは恐る恐るネカネに聞くと、ネカネはまたニコやかに微笑んだ。

「大丈夫よネギ。大丈夫。あなたは何も心配する必要が無いの。さあ、シチューをお代わりしましょうか」

 ネカネはそう言って、未だ一口も食べていないシチューの皿を持って、その上にシチューを掛けた。当然、溢れたシチューは零れている。だというのに、ネカネはまるで気が付いていないようだった。

「お姉ちゃん……?」
「大丈夫よネギ。大丈夫。大丈夫だから、シチューを食べなさい」

 ネギは顔を引き攣らせた。怖気が走った。恐怖に体中を蝕まれ、体が震え上がった。

「ごめ……なさい……」
「ん?」
「ごめん……なさい……」
「どうして謝るの? ネギ」

 ネカネは笑顔を崩さずに小首を傾げる動作をした。

「だって……怒ってるんでしょ? お姉ちゃん……怖いよ?」

 ネギは恐々とネカネを見ながら呟くと、すぐにハッとなって慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!!」

 頭を下げたまま謝り続けるネギの頭の上に、ネカネの優しい手が乗った。まるで、壊れ物を扱う様に、優しい手付きで頭を撫でてくる。

「大丈夫よ。不安なのね? 大丈夫。心配しなくていいの」

 全身から鳥肌が立った。

「何……これ?」

 全身に冷や水を掛けられた様な感覚だった。すると、突然家が震えた。

「何っ!?」

 ネギが慌てて部屋中を見渡すと、再び家が揺れた。地震などではない。まるで、巨大なハンマーで家を破壊しようとしている様なとんでもない衝撃が連続した。

「大丈夫よ、ネギ」
「え……?」

 ネギは目を見開いてネカネを見た。

「――――ッ!?」
「大丈夫だから……大丈夫だからシチューを飲んで。一緒に家の中で遊びましょう。外に出ないで、一日中家の中に居ましょう」

 ネギはネカネの顔を見て絶句した。涙を流し、それでも笑みを浮べようとしている。

「何があったの!? お姉ちゃんっ!!」

 ネギが叫ぶと同時に、再び家が揺れて、何かが割れる音がした。

「――――ッ!?」

 ネギは動けなかった。戦闘所か平和な日常の中で、一番の危機と言えば自分で巻き起こした危機だけだったのだから。脚は棒の様になって動かない。舌も指の一本までもが動かなかった。
 そして――、家は崩壊した。

 それは、数時間前に遡る。ネギが行方不明になり、すぐに村人総出でネギの捜索が始まった。
 見つかった時には、ネギは横たわっていた。最初、ネギが死んでいるのではないかと発見した捜索チームの面々は恐怖したが、ネギはスゥスゥと小さな寝息を立てているのを見て安堵した。ネギをつれて帰って来ると、心配していたネカネは一目散にネギの下に駆け寄った。ネカネはその日、メルディアナの校長のお使いで、偶然に村に居たのだ。
 眠っているネギは当然反応を示さない。それでも、生きている事にホッとした。村で一番の魔法使いであるスタンが回復の魔法を掛け続けた。万が一という事を考えてだった。
 やがて、瞼が動いたネギに、安堵したスタン老人が顔を覗きこむと、ネギは目を見開いて絶叫した。驚いたのはスタンの方も同じだった。
 ネギが最後に「白い……化け物……」と呟いて再び眠りに落ちていった瞬間に、スタンは声を張り上げた。

「今直ぐ、村人全員を召集せよ!!」

 村一番の魔法使いの只事では無い様子に、村人達は一も二も無く従った。スタンの命令で、最初に眠っているネギを守る為にネギの家に隠匿と防御の結界を村人総出で張った。
 ネギに眠りの魔法を掛けるべきという意見もあったが、万が一に備えてネカネが共に家の中に入る事になった。

「スタンさん……」
「ネカネよ、時が来たのじゃよ……。アイツが……ナギがしておった事は、儂も詳しくは知らん。じゃが、これだけは分かっておる。何度も言われておったからな……。 “敵”は恐らく儂達では勝てぬ相手じゃろう……。じゃが、お主達に危害は加えさせやせんよ。ネギを頼むぞい」

 そう言って、スタンは内側に貼る札や描く魔法陣の為のチョークをネカネに渡し、家を完全に封印した。全てが終わった後に、誰かが解くまで決して解けぬ様に……。
 その後、戦闘力の強い者を除いて、特に子供の居る者は子供ごと村から退去させた。それでも、残った者は多かった。元々、子供が少ない村だった事と、ナギの形見を守ろうと終結した彼らの団結力が、彼らをこの村に留めたのだ。
 そして、惨劇は始まった。襲来したのは、あの化け物ではなかった。
 無数の漆黒の肉体を持つ悪魔達が次から次へと出現する。中には、伯爵クラスと呼ばれる悪魔までもが出現し、次々に村人達は切り裂かれ、焼かれ、凍らされ、石にされ、次々に命を落としていった。

「暗黒の闇に抱かれし者よ、真実を見破る尊き光を奥底に秘めし者。二重の鏃を打ち込み、我が請いに応え給え。汝が力を今ここに顕現せよ! 邪悪を喰らいて打ち砕け。『地獄の雷』!!」

 目の前に群がる無数の悪魔の足元から、漆黒の雷が上空まで、まるで逆さまになった滝の様に迸り、一気に悪魔達を消滅させたが、それでも尚悪魔達の数は減らなかった。
 最大の奥義を放ったスタンは力尽き……逃げた。
 逃げなければならなかった。村一番の魔法使いとは、即ちは一番生き延びる可能性の高い魔法使いでもある。
 ネギを村から出す事は出来なかった。この村は、“ネギを守る為の村”であり、ネギを守る為の仕掛けが施されているが、準備も無しにネギを安易に外に出せば、ネギを狙う者にとってはかっこうの機会となってしまう。様子を見て居た者までもが敵として襲い掛かってくる可能性があるのだ。
 味方と同じくらいに敵が多過ぎる“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”など論外であり、一般人の里が近いメルディアナなどで匿う訳にもいかず、それ故の村だったのだ。ネギの存在を可能な限り隠し、知った者は記憶を忘れさせずに破壊し、最悪な時は殺してきた。
 決して子供達、特にネギとその世話をしているネカネには伝える事の出来ない村の秘密だった。スタンが掛けた魔法は、隠匿の魔法の中でも最上級の魔法だった。己の命が尽きるまで続く強力な魔法だ。誰かに術者が殺されなければ、永遠に続く呪いに近い魔法。解除するには、死ぬしかない。
 この術が続いている限り、ネギとネカネは外に出られない。悪魔達が居なくなるまで隠れて、居なくなったら自害する。それは、誰にも話していない。
 スタンが逃げたのは村の隠し洞窟。昔、ここに村が出来る前にナギが使っていた隠れ家だった。洞窟の奥には、不思議な台座があり、そこには変な窪みがあった。それが何なのか、誰も聞いた事が無かった。
 スタンだけが、一度だけ聞いた事があった。

『ここには鍵の一つがあったんだ』

 それ以外、どれだけ聞いても話してはくれなかった。
 溝から、まるで人の腕の様な形で太い半球の溝が延びてその先に横を向いた鬼の貌の様な窪みがある。その溝に薄っすらと文字が描かれている。『Mammon』……と。
 ここには、スタンですらも解析出来なかった強力な守護がある。ここに逃げ込めば、悪魔達は入って来れない……筈だった。

「ハッハッハ、漸く見つけましたぞ」

 そこに現れたのは、黒い外套に身を包んだ真っ白なカイゼル鬚をたっぷりと口の上に蓄えた紳士然とした男だった。

「どうしてここに!?」

 スタンはあまりの驚愕に硬直した。ここに張られている結界は強力なモノだ。元々はここにあったナニカを守る為の結界であり、それが無くなった事で結界の効力も下がってはいたが、それでもかなりの守護がある筈なのだ。

「どうして? それを聞きますか。いやはや、ここについて貴方は何もお知りにならないらしい」

 嘲るでもなく、男は肩を竦めた。

「何じゃと?」

 スタンは厳しい目付きで油断無く杖を目の前の男に向けながら眉を顰めた。

「ここは、既に何の力も残されてはいないのですよ」

 スタンは目を見張った。

「何じゃと!? 馬鹿な、ここには確かになんらかの守護がある筈じゃ!!」
「ああ、ご老人、貴殿はこの洞窟が纏う力を守護の力と勘違いしたのですな? 無理も無い。いや、ここに“あった”護りは確かに強力なモノだったと報告をうけているのですがね、今ここに残っているのはソレとは全くの別物なのですよ」
「どういう……意味じゃ?」
「ここに纏わりついているのは、怨念ですぞ。それも、人以上の者の怨念が染み付いている。だが、その怨念を放っているのが清き存在だからこそ、貴殿は勘違いされたのですな」
「怨念じゃと!?」

 スタンの目がこれ以上なく見開かれた。ここに充満しているのはどう感じても清らかな力であり、ソレが怨念などと信じる事は容易い事では無かった。

「馬鹿なっ! 戯言を弄しおって、儂はここで死ぬ訳にはいかぬ。覚悟するがいい!」

 スタンは無詠唱で雷の魔力を練り上げると、杖を左から右に薙ぎ払う様に振った。凄まじい閃光が洞窟内を照らし、その隙にスタンは瞬動術を用いて洞窟の出口に向かった。

「まずまず、ですな。いや、貴殿は人という短命な種族の枷を受けながらも中々の力を持っている。惜しいですなあ。いや実に惜しい」

 本音からそう思っている様に、無念そうな貌をしながら、老紳士然した男はスタンの視界から消えた。

「――――ッ!?」

 気が付いた時には、背後に気配があり、スタンの体は石像にされていた。

「ああ、未だ名乗ってすらいませんでしたな。私はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン……もう、聞こえていませんな」

 そう呟くと、ヘルマンはおもむろにスタンだった石像の顔に手を当て……そのまま地面に叩き付けた。スタンだった石像は容易く粉砕し、二度と目覚める事が出来なくなってしまった。
 それは同時に、ネギとネカネの隠れる家の隠匿の魔術が解けた事をも意味していた。

「さてさて、この様な真似は……全くもって胸が痛むな」

 呟きながら、ヘルマンは姿を消した。

 さながら“地獄”という言葉がお似合いな光景だった。村は業火に包まれ、生きている人間など数える程ももう残っては居ない。石像にされた者は砕かれ、体に火を放たれた者は怨嗟の叫びを上げながら命を落とした。悪魔達は嬲る様に人を殺し、死体すらも蹂躙した。
 家は焼かれ、破壊され、ネギが友達と遊んだ広場は見る影も無く焼き尽くされていた。遊んでいた遊具も最早無い。
 大地は血に染まり、村人達の奮闘も虚しく、悪魔達の数は殆ど減っていなかった。それどころか、醜悪な姿をした悪魔達はその数を秒毎に増していく。ネギは、崩壊した家の中で、ネカネに守られながらただ立ち尽くしていた。

「大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね。大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね。大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね」

 壊れたラジカセの様に、同じ言葉を吐き続けるネカネの心は既に壊れていた。窓の外からずっと見ていたのだ。人々が焼かれ、殺されていく様を。
 ネギを怖がらせてはいけない。ネギを守らなくてはいけない。その思いだけがネカネに障壁を張らせてネギを護り続けていた。
 ネギの頭は真っ白になっていた。直ぐ近くには、半分になった男の人の顔が落ちていた。遠くを見れば、首の無い状態で抱き合ったまま絶命している男女の奇妙なオブジェがある。
 頭上には巨大な貌を持つ巨大な牙と角を持った三階建ての家よりも大きな悪魔が、自分達を殺そうとその巨大な腕を振り下ろそうとしていた。

「あ……」

 間抜けな声だったと自分でも思った。たった一つしか頭には浮かばなかった。

「ああ……死んじゃうんだ」

 諦めにも近い気持ちで、目を細めた。

「諦めてんじゃねえよ」

 その時の光景は、今でも褪せる事無く脳裏に焼き付いている。人々の聞きにどこからともなく現れる正義の味方。目の前に突然現れて、悪魔の拳を片手だけで押さえ込んだ男を見て、理解した。

「貴方が……お父さん……」

 ネギは呟く様に言った。

「待っていろ」

 大きな不思議な形の杖を握り、白いマントを羽織るネギと同じ血の様に紅い髪の男はネギに顔も向けずに呟くと、凄まじい殺気を放ち、悪魔を一瞬にして葬り去った。周囲には稲妻が走り、男が雷の魔法を使ったのだと、ネギは何となく思った。
 男は虚空に浮くと、呪文を詠唱し、天空から無数の雷撃を悪魔達に落とした。瞬く間に殲滅されていく悪魔達は、何が起きたのかすら理解出来ていないようだった。

「雷の暴風」

 無数の悪魔達が男――“千の呪文の男(サウザンド・マスター)”ナギ・スプリングフィールドに雪崩れ込む様に襲い掛かり、只の一つの呪文で消滅させられた。
 最早死都と化した村をその先の山ごと粉砕する巨大すぎる雷を纏った竜巻は、無数の悪魔の大群を一気に消し飛ばした。畏怖すら浮かぶ強さを見せるナギを、ネギはボンヤリと眺め続けた。
 いい気味だとも、怖いとも、悲しいとも思わなかった。そんな感情は生まれる前に死んでしまった。天空から呼び寄せた雷撃が悪魔達を数十ダース単位で消し飛ばしていく。
 数刻もせずに、無数に居た悪魔達の殆どが消滅し、残ったのは数えられる程度になった。残った悪魔達を悉く駆逐し、ナギは一体の悪魔の首を握り締めた。

「貴様が……成程、ヤツラが恐れる理由も分かる……。私は、お前が怖いよ……。悪魔よりも……、化け物の名が……お前には相応しい」

 ゴキンッ! という音と共に、悪魔は消滅した。ナギが悪魔の首を折ったのだ。

「なるほど、サウザンドマスター……か。いや、“赤毛の悪魔”の方が余程お似合いだな。その強さ、尊敬よりも畏怖の方が集め易いだろう?」

 そこに現れたのは、ヘルマンだった。

「残るはお前だけだな……。死ね」

 呼び動作すら無く、無数の魔弾がヘルマンに迫った。

「呼び動作無しとは……、さながら様々な武道の極意と呼ばれる“無拍子”と言った所だな」

 ヘルマンはナギが魔弾を放った直後に魔弾を知覚してナギの背後に迫った。

「だが、残念ながら伯爵クラスというのは伊達では無いのだよ」

 凄まじい漆黒の魔力を纏った裏拳を放ちながら、まるで談笑をしている様な口調でその顔には笑みすらも浮べていた。

「遅せえよ」

 対してナギは底冷えする程の冷徹な眼差しと声で答えながらヘルマンの裏拳を難なく躱して杖とは反対の右手に旅の途中にエヴァンジェリンが無理矢理教え込んだ『エクスキューショナーソード』を長刀程度の長さで作り出してヘルマンに斬り付けた。

「その程度……」

 へルマンは鼻を鳴らして回避する。

「甘いんだよ、お前」

 突然、『エクスキューショナーソード』が伸び、ヘルマンの体を切り裂いた。

「なっ!?」

 ヘルマンは驚愕に目を見開くと、即座にナギから離脱したが、そこは未だナギの射程範囲だった。ナギから逃げるとは、即ちこの街から出なければ意味が無いのだ。

「死ね――『雷の投擲』」

 一瞬にしてヘルマンの居た場所を破壊し尽くすと『雷の投擲』は天を裂き、光の帯が何処までも続いて行った。

「――――ッ!」

 ナギは目を見開き、ネギに顔を向けた。その背後に、ネギとネカネを捕まえようとヘルマンが手を伸ばしていた。

「汚ねえ手で触んじゃねえよ」

 一瞬でヘルマンの真横に移動したナギはそのままヘルマンを蹴り飛ばした。

「強い……。なんという……君は人の身でそこまでの力を得て何を欲しているのだね?」

 咄嗟に自分から跳んで威力を殺したヘルマンはナギに視線を向けて問い掛けた。

「今の所、貴様の死を欲しているな」

 ナギが右手を上げてそう呟いた瞬間に、ヘルマンの居た場所に『雷の斧』が落ちた。

「悪魔などと生易しい表現では足りないな……これでは。全く、この姿になるのは何年ぶりか……」

 呟いた瞬間、ヘルマンの姿が変貌した。それまでの老紳士の姿から、のっぺりとした龍頭の人型の悪魔へと姿を変えたのだ。

「それがどうした?」

 ナギはいつの間にかヘルマンの背後に回って雷の魔力を解き放っていた。

「精霊に愛されているな。構成がデタラメだが、それを精霊達が補っている。実に興味の尽きない男だ」

 ヘルマンはナギの頭上から大きな口を開き、収束魔法を放った。地上に当れば、それは村ごと滅ぼしてしまうだろう威力だった。

「貴様……」

 ナギはヘルマンを睨みながら杖を真上に向けた。

「『雷の暴風』」

 あっと言う間に詠唱を終わらせて『雷の暴風』によって、ヘルマンの収束魔法を打ち破り、ナギはそのままネギの下に移動した。

「面倒だ……消えろ」

 上空に手を伸ばしたナギは、拳を握り締めた。

「百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』」

 瞬間、ネギとナギ、ネカネの三人の居る場所以外の全てが雷に飲みこまれ……、ヘルマンは唯一の安全地帯に回避して、ナギは真上に杖を向けていた。

「終わりだ」
「その様だね……」
「来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 “雷の暴風”」

 ヘルマンはナギを見下ろしながら、迫る雷を纏った竜巻に疲れた様に溜息を吐いた。

「稚拙な策とも呼べぬ策だが……こんな事が実現出来るなど……本物の化け物だな、君は」

 ヘルマンは最後にニヤリと笑みを浮べた。そうして、ヘルマンは消え去った。
 ナギの超広範囲殲滅魔法『千の雷』を何度も受けた村は、跡形も無く消え去っていた。死体も、建物の名残すらも消し飛び、辺りは静けさに満たされていた。

「大丈夫よ……ネギ……大丈夫……大丈夫……怖くないわ……シチューを温め直さないといけないわ……」

 虚空を虚ろな瞳で見上げながら同じ事を呟き続けるネカネと、彼女に抱き締められたままのネギの下にナギは歩み寄った。

「すまない、来るのが遅過ぎた……」

 血を吐く様に、ナギは悔しげに呟いた。生存者はメルディアナに非難した者を除けばたったの二名。その上、ネカネは心が壊れてしまった。
 ネギは黙ってナギを見続けた。顔を伏せると、ナギはネカネに杖を向けた。

「――――ッ!?」

 漸く、ネギの無表情が崩れた。

「……………………」

 体中が震え、凄まじい吐き気に襲われた。足腰も笑ってしまい、それでもネギはネカネから貰ったお守り代わりの先に小さな星の付いた子供用の杖を握り締めてナギの顔を見上げた。

「お姉ちゃんを……守ろうとしているのか?」

 歩みを止めずに口を開くナギに、ネギは目を瞑った。瞼の裏が明るく光る。

「……………………?」

 恐る恐る瞼を開くと、ネカネは倒れこんだ。

「お姉ちゃん!?」

 ネギが焦燥に駆られてネカネを揺すると、キチンと息をしていた。

「安心しろ。ネカネにはこの光景はキツ過ぎた……。記憶を消してある。多分、眼が覚めたら元通りになっている筈だ」
「――――ッ!」

 ネギは頭の上に大きなナニカが乗るのを感じた。それがナギの掌だと理解するのに少し時間が掛かった。

「大きく……なったな……」

 万感の思いが篭った声が降り注いだ。愛おしそうに、ネギの頭を撫でながら呟くナギの声は震えていて、今にも泣きそうな気がした。ただそれは、ネギの勘違いだったのかもしれない。実際には、ナギは泣く事は無く、ネギの頭を撫で続けた。

「これを持っていろ」

 ナギはそう言ってネギの手に自分の持っていた杖を握らせた。

「――――ッ!」

 ナギはそのままネギを抱きしめた。

「すまない、もう時間が無い。お前に……何もしてやれない……」

 歯を食い縛るギリギリという音が聞こえた。ナギはネギの手を離して空中に浮かんだ。ネギは首を振り、涙を溢れさせた。

「待って……」
「こんな事……言う資格なんて無いんだろうけどよ。強く生きろ、元気に育て、幸せになれ!」
「待って、お父さん!」

 ナギの姿が、まるで霞のようにぼやけていく。ネギは倒れ伏したネカネを背に、杖をその場に落として走り出した。¥

「あばよ……」

 まるで、壁の向こうから聞こえる様な声でナギが言った。別れの言葉を。

「お父さん。僕、強くなるよ! 大切な人を護れる様に。誰も悲しむ必要なんか無いように! 立派な魔法使いになる! だから……、だからきっと!」

 ぼやけて、殆ど微かにしか見えなくなったナギは、笑った気がした。

「きっとまた……会えるよね?」

 虚しく響く最後の言葉を胸に秘め、ネギは泣き崩れた。それまで凍っていた感情を全て爆発させて。涙が枯れ果てても……ずっと泣き叫び続けた。
 誰も居ない。ネカネは眠り続けている。村のあった場所で、只管にネギは泣き続けた。

「――――それから三日後に、私とネカネお姉ちゃんはメルディアナのあるウェールズの魔法使いに村からの救援部隊に助け出されました。三日間、眠り続けているお姉ちゃんと二人っきりで凄く不安だったけど、あれだけの悪魔が居たのに、その三日間はまるで平和でした。まるで……この杖が守ってくれたみたいに……」
「それから……お前はどうしたんだ?」

 ネギの過去を聞き、明日菜は蒼白な顔をして言葉を失っていた。カモも、震えながら歯を食いしばっている。
 カモはその当時既にネギと出会っていた。オコジョ妖精の里から長期間出るには特別な許可が必要であり、カモはその許可が下りるまで、その惨劇の日はオコジョ妖精の里に居たのだ。
 それが、カモがネギに忠誠を誓う理由でもあった。助けて貰った恩義があるのに、彼には何も出来なかったから。ネギとはこの話を殆どしない。お互いになるべく触れず、カモはネギに忠誠を誓った。あの、壊れる一歩手前だったネギを二度と見たくなくて。
 アーニャと記憶を失ったネカネは、ネギに当時の事を聞かなかった。思い出せば、それだけ辛いだろうと思い、只管にネカネはネギに愛情を注ぎ、アーニャはそれまで以上にネギに寄り添った。時に叱咤し、時に慰め。カモは只管にネギのサポートをした。
 エヴァンジェリンは僅かに震えながらネギに問い掛けた。

「それからの五年間、私はメルディアナで魔法を学びました。アーニャと一緒に……。どうして村が襲われたのかは、誰に聞いても教えてくれませんでした。あれから、ずっと勉強に熱中して……カモ君が沢山の本を集めてくれて、色々と教えてくれて」
「中途半端な力じゃ……姉貴には意味が無いッスから……」

 カモの呟きに、エヴァンジェリンは「そうだな……」と呟いた。

「時々……思います。私がお父さんに会いたいなんて思ったからなんじゃないかって……。あの出来事は……『危機になったらお父さんが助けに来てくれる』なんて思った……僕への天罰なんじゃないかって……」

 そう呟いた途端、ネギの頬に衝撃が走った。バチンッ! という音と共に、エヴァンジェリンがネギの頬を叩いたのだ。

「なっ!? エヴァちゃん!?」

 明日菜は突然の事にエヴァンジェリンに顔を向けたが、エヴァンジェリンは真剣な表情でネギに視線を向けていた。

「巫山戯るな。お前のせいかどうかは知らん。だがな、ソレを引き摺るな」

 エヴァンジェリンの言葉に、ネギは目を見開いた。

「いいか? お前は守られたのだろ? 命を懸けて、心を壊して、それでもお前を守った者達の思いを無駄にするな。過去を忘れろとは言わない。だがな、過去を引き摺り未来を闇に閉ざすな。お前は未だ、闇に染まるには早過ぎる。責任がお前にあると言うなら、それは幸せになる事だ。お前を守った者達の分まで。でなければ……お前を守った者達の死が無駄になる」
「私には……未だ難しいです……」
「だろうな……。だが、考えるのを放棄するなよ? 悩め。もし、お前が望むなら、お前に力をやる。お前にもな……神楽坂明日菜」
「え……?」
「エヴァちゃん?」

 ネギと明日菜はエヴァンジェリンの言葉の意味が分からなかった。

「分からんか? 鍛えてやると言っているんだ。お前はナギに言ったんだろ? 大切な人を護れる様に。誰も悲しむ必要なんか無いように! 立派な魔法使いになる! って。誰も悲しまない……。それがどれほどの茨の道か……お前には分からないだろうな。待っているのは身の破滅だ。その勘違いも……全部叩き直してやるさ」
「勘違い……?」
「ナギはな……全てを救う正義の味方じゃないんだよ。アイツは、近くで泣いている奴が居るのが許せない。ただの我侭な人間なのさ」

 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜は不満気に口を開いた。

「我侭って……そんな言い方……」
「事実だよ。だけど、その我侭がどういう訳か、人間達にとっては正義の味方になってしまうのさ。ただ……あいつにとっての近くってのが、凡人には広過ぎるくらいなだけでな」
「目指してなるんじゃない。結果としてなるのが英雄なんスね……」

 カモはしみじみと呟いた。

「どうする? お前達が決めろ。私の教えを請うか。それとも、自分の道を進むのか」
「少し……考えさせて下さい……」

 ネギは俯きながら言った。エヴァンジェリンは気を悪くした風も無く「分かった」とだけ呟いた。

「神楽坂明日菜、お前はどうする?」
「私も少しだけ考えたい。何か、頭の中が一杯一杯でさ……。少し、日常に戻って休みたいわ……」

 顔色の悪い明日菜に、茶々丸がお茶を出した。礼を言ってお茶を啜る明日菜は、頭の中がゴチャゴチャになって、訳が分からない状態だった。

「そうだな。信じたくないが、お前は一般人だったしな……」

 仮にも自分に恐怖を覚えさせた目の前の少女が一般人なのが、エヴァンジェリンにはどうしても納得がいかなかったが、肩を竦めて溜息を吐いて了承した。

「てか、もう6時過ぎてるじゃん。帰らないと木乃香が待ってるわ」

 明日菜の言葉に、その日の勉強会は終了した。宿題は未だ少し残っていたが、ネギ達にはどうにもヤル気が起きなかった。エヴァンジェリンのログハウスからの帰りは、二人とも無言だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。