エピローグ『両義』

 ハリーの様子がおかしい。クィディッチの練習で急降下の練習をした時からだと思う。
 練習の数日後、ハリーは自分の腕をナイフで裂くという奇行に出た。
 夥しい血が流れ、腕の肉はまるでミンチのような状態になっていた。医務室へ連れて行くと、マダム・ポンフリーは恐ろしい形相で僕を問い詰めた。
 聞かれた事に答えると、彼女はハリーに対しても質問を行い、結果として精神に病魔を抱いているという診断結果を出した。
 なんらかの呪詛かと思ったが、彼女曰く、精神的な疲労が原因らしい。
 彼女に処方されたクスリを飲むと、ハリーはたちまち元気を取り戻した。だけど、飲み忘れると悲惨だ。まるで死人のような顔でぶつぶつと何かを呟きながらナイフを手に取ろうとする。だから、僕は毎朝ハリーがクスリを飲むところをチェックする事にした。
 しばらくの内はそれで良かった。だけど、最近、またハリーの顔が暗くなってきている。
 
「ハリー!!」

 また、ナイフで自分の体を傷つけようとしていた。

「何をしてるんだ!!」

 クスリはちゃんと飲んだ筈なのに、ハリーの顔は暗いままだ。

「なんで……、こんな事をするんだ!!」

 もう、十回以上も繰り返した問答。

「……ドラコには関係ないでしょ」

 ハリーの言葉は鋭利な刃物となって僕の胸に突き刺さる。
 そんな筈は無いと何度も否定した。元気な時のハリーは僕をちゃんと見てくれている。僕に親愛を向けてくれる。
 なのに、今のハリーの瞳は僕を見ていない。

「なんでだよ、ハリー! 僕達は友達だろ! なんで、何も言ってくれないんだ!」
「……うるさいな」

 分からない。何がハリーの心を曇らせているんだ!?
 涙が滲んでくる。

「うるさくもなる! 言えよ! 僕に出来る事ならなんでもしてやる! だから……ッ」
「……ドラコには無理だよ」
「なっ……」

 気付けばハリーの頬を叩いていた。

「なんで……。なんで、そんな事を言うんだよ! 僕は……、僕達は友達だろ?」

 涙が滴り落ちる。だけど、ハリーの表情は変わらない。つまらなそうに僕を見ている。

「違うって言うのか……?」

 立ち上がり、ふらふらとハリーから離れる。

「ドラコ。僕は……」

 聞きたくない。僕は耳を塞いで、ドアに向かって走りだした。部屋を出て、寮を出て、ひたすら走った。
 涙が止まらない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 ハリーは僕にとって初めて出来た本当の友達なんだ。僕をマルフォイ家の長男としか見ない他の連中とは違う、たった一人の親友なんだ。
 この関係はずっと続く筈なんだ。

「おい!」

 何処をどう走ったのか覚えていない。気付けば、ロンが僕の腕を掴んでいた。

「どうしたんだよ、お前!」

 心配そうな表情。ハリーの浮かべた無表情とは違う。
 
「……ロン。僕達は友達か?」

 とても怖い。まるで、崖の淵に立っているような気分だ。
 ガクガクと足が震える。

「いきなりだな、おい……」

 ロンは呆れたように言った。

「あっ……」

 同じなんだ。ハリーと同じだ。僕が一方的に友情を抱いていただけなんだ。
 心を絶望が蝕んでいく。息が荒くなる。涙で目の前がぐちゃぐちゃになる。
 振り向いて、逃げ出そうとした僕をロンは掴んだまま離さない。

「……友達だよ。決まってんだろ」

 ロンは僕の涙を乱暴に拭いて言った。照れ臭そうにそっぽを向きながら、それでも彼は言った。

「友達だ! おい、これで満足か!? 言わせんなよ、恥ずかしい! 本当に何があったんだ!?」

 僕の涙は引っ込んでいた。友達。そう断言してもらえた事が嬉しくて、僕は思わずハグしそうになり、あっさりと避けられた。

「キモいぞ、お前」

 酷い言われようだ。だが、冷静に考えると、今の行動は確かに無いな。

「す、すまない……」
「いいよ、別に。それより、何があった?」
「それが……」

 まだ若干浮かれているのだろう。僕の口はとても饒舌だった。
 ハリーの事を慮って秘密にしていた彼の自傷行為についてまで話してしまった。

「うおい!? そういう事を溜め込むなって、前にも言っただろ!」
「し、しかし……」
「しかしもかかしもあるか! まったく、仕方ないな。僕から兄貴に話してみるよ」
「兄貴って、フレッド達の事か?」
 
 確かに彼らは明るくて、ハリーの元気を取り戻すにはうってつけの人材かもしれないな……。

「バカヤロウ。ビルに決まってるだろ! こういう事はビルに任せる事が一番なんだよ!」

 ああ、ビルがいたな。僕はあまり好きじゃない。何と言うか、自分が一番ハリーの事を分かってる風な態度が気に入らない。
 
「……アイツならなんとか出来るっていうのかい?」
「不機嫌になるなよ! ハリーの事を一番分かってるのはビルだよ。それはお前だって分かってるだろ」

 悔しいが、その通りだ。何しろ、ヤツは僕がハリーと出会うより二年も前に彼と出会っている。
 とても辛い時期に支えてあげたらしい。確かにビルならハリーの現状をどうにか出来るかもしれない。

「……納得いかないって顔してるね。けど、ハリーが今のままだと嫌なんでしょ?」
「それは……」
「なら、納得しろよ。一番大事な事はなんだ?」
「……ハリーが元気になる事」

 ロンは僕の背中を叩いた。

「ハリーとドラコは友達さ。それは間違いないよ! 今は調子が悪くて不機嫌なだけだ。元気になったら、ハリーの方から謝りに来るさ。その時に許してやれば、ハイ元通り。今のお前に大切な事は余裕を持つことだ」
「……余裕か」

 僕はロンを見た。僕を友達だと言ってくれる友達。
 
「分かった。頼むよ、ロン。それと、ありがとう。僕は良い友人を持った」

 僕の言葉にロンは顔を真っ赤にした。

「お前! そういう事を平然と言うな! 恥ずかしいだろ!」
「別にいいだろ。これは単純な事実だ。思った事を言葉にしただけだ」
「こ、こいつは……」
 
 わなわなと震えるロン。僕はクスリと笑い、その背中を叩いた。

「頼むぞ、友よ!」
「やめろ! その呼び方だけは止めろ!」
「はっはっは。すまないな、友よ」
「この野郎!」

 ロンが追い掛けて来る。僕は逃げる。追いかけっこなど初めての経験だ。
 思った以上に楽しいじゃないか。

「ほらほら、こっちだぞ親友!」
「止めろつってんだろ! なんで、そう極端なんだよお前は!」

 ロンの言う通りだ。僕は少し余裕が足りていなかった。
 ハリーの為に出来る事を改めて考えてみよう。ハリーがどう思っていようと、僕にとって彼は親友なんだ。

 エピローグ『両義』

 私は無実だ。友を裏切ってなどいない。この十三年間、私を支え続けてきた者は憎悪だった。
 今尚のうのうと生を謳歌している裏切り者。あの小汚いネズミを殺すまで、私は死なない。

「……ピーター。私は貴様を許さない。必ず、殺してやる」
 
 一人では難しいかもしれない。だが、私は一人じゃない。
 振り返れば、私の下にワームテールと赤い髪の少女の写真を差し入れてくれた男が立っている。

「感謝するぞ、キングズリー」

 キングズリー・シャックルボルト。闇祓い局のエースである彼は私が無実である事を知り、その証拠を持って来てくれた。
 アルバス・ダンブルドアが指揮する不死鳥の騎士団にも参加している。

「礼など必要ない。私も許せないのだ。ピーター・ペティグリューには罪を償わせなければならない」

 私は他の死喰い人と共に指名手配されている。その為、姿を隠す必要があった。
 隠れ家や食料を充実させてくれているキングズリーには感謝の念が絶えない。

「ありがとう」

 憎しみは際限無く沸いてくる。頭の中にはそれだけが満ちている。

「……そう言えば、よく似合っているじゃないか」
「ん? ああ、このロケットの事か」

 キングズリーと共に駆け込んだブラック邸。そこで見つけた美しい装飾のロケット。
 これは素晴らしいものだ。身に着けているだけで力が湧いてくる。
 憎悪を絶やさずにいられる。

「では、また来るよ。もう少しだ。時が来れば、君の積年の恨みを晴らす事が出来る。それまで、耐えてくれ」
「……ああ、分かっているさ」

 奴は今、ホグワーツにいる。あの赤い髪の少女はホグワーツの生徒らしい。
 ダンブルドアはワームテールの存在に気付いている筈なのにヤツを放置している。そういう人なのだ。どんな者にも等しくチャンスを与えようとする。
 だが、今回ばかりは誤りだ。奴にチャンスを与えられる資格などない。
 キングズリーは慎重にダンブルドアの目がワームテールから逸れる機会を伺っている。その瞬間まで、私は耐えるのみだ。

第十話『闇帝再臨』

 広大な屋敷のエントランスホールに数十人もの魔法使い達が集まっている。
 その中央で闇の帝王は配下の男の報告を受けていた。

「ご命令通り、例の記者に写真を渡して参りました」
「御苦労だ、ロドルファス」

 これで、状況は全て整った。

「さあ、復活祭を始めるとしようか!」

 第十話『闇帝再臨』

 3月の末。世の中が|復活祭《イースター》ムード一色に染まったある日の事、魔法界に激震が走った。
 イギリス全土で同時多発的に死喰い人によるテロ行為が発生したのだ。
 不意打ちの如きタイミングで多くの魔法使いとマグルが殺害された。完全に対応が後手に回った魔法省が体勢を整える前にダイアゴン横丁も大きな被害を被った。
 フォーテスキューやオリバンダーが行方不明となり、襲撃時に買い物に来ていたマグル生まれの魔法使いが十一人殺害された。
 
「何をグズグズしている!」

 スクリムジョールはこの期に及んでも腰の重い役人達に苛立ちを覚えていた。
 刻一刻と被害が拡大している現状。猶予など微塵も無いというのに、高官の一部が闇祓い局の出動を渋っているという。

「ええい、埒が明かない! ファッジに活を入れてくる」
「きょ、局長!」

 副官のガウェインに現場を任せ、スクリムジョールは魔法省大臣の執務室へ向かった。
 その途中、誰かにぶつかった。同時に腹部に鋭い痛みを感じた。見下ろすと、突き立てられたナイフと夥しい量の血が目に入った。

「なっ……、何を……」

 ぶつかった男はスクリムジョールがよく知る男だった。誠実で真面目な男だった。
 その男が杖を向けている。

「アバダケダブラ」

 緑の閃光が走る。

「馬鹿な……」

 スクリムジョールが死亡した頃、他の場所でも殺人事件が発生した。
 犯人達は捕縛後に死亡。原因は破れぬ誓いによる呪詛。彼らは捕縛される事を互いに禁じ合っていたようだ。
 裏切り者の発生と有能な者の死が重なり、魔法省は混迷を極めた。
 情報が錯綜し、連絡系統も崩れ去り、立て直す為に指示を下せる者は軒並み殺されていた。

「大臣!! アナタが指示を出さなければ!!」
「わ、分かっておる……」

 闇祓い局副局長のガウェイン・ロバーズに詰め寄られ、青褪めた表情を浮かべながら魔法省大臣のコーネリウス・ファッジが陣頭指揮を取り始める。
 全ての指揮系統を撤廃し、新たな連絡網の構築に二夜を費やした。更に体勢を整える為に一週間が経過し、その間に更なる被害が発生していた。
 あまりの被害の大きさに隠蔽工作が間に合わず、マグルの世界でも事件がニュースとして取り上げられている。
 
 そして、誰もが心に暗雲を抱いていると、その男は魔法省の中心部に現れた。
 最強最悪の魔法使い。闇の帝王。名前を呼ぶ事すら恐ろしい邪悪。
 ヴォルデモート卿がその姿を晒した。

「やあ、諸君。初めましての者もいるが、敢えて、久しぶりと言わせてもらおうか」

 黄金の髪を靡かせ、威風堂々と彼は立っている。

「ヴぉ、ヴォルデモート卿!?」
「馬鹿な、死んだ筈だぞ!」
「どうして……」
「嘘だ。こんなの嘘だ!」

 悲鳴を上げる者達にヴォルデモート卿は微笑む。

「死んだ筈? はて、俺様がいつ死んだのだ?」
「……え?」

 誰もが戸惑いの声を上げる。

「だ、だって、ハリー・ポッターに……」
「聞かせて頂こう。この俺様を倒せる赤子が本当にいると思っているのか?」

 その言葉は恐怖に怯える者達の心に染み渡っていく。

「俺様は時を待っていただけに過ぎない! そして、今こそ時は熟した!」

 ヴォルデモート卿は両腕を広げて言う。

「魔法界よ! 我に従え! 忠誠を誓う者には生を、反逆者には死を与える!」
「ふ、ふざけるな!」

 ガウェインがヴォルデモート卿の前に躍り出る。

「こんな場所にノコノコと現れるとは、愚か者め!」

 ガウェインに付き従うように闇祓い達が杖を掲げる。降り注ぐ呪いの雨を見ながら、ヴォルデモート卿は呟く。

「無駄な事を」

 ヴォルデモート卿の杖から炎の竜が現れる。竜は呪詛を次々に飲み込んでいく。
 
「馬鹿な……」

 恐怖が次の一手を封じる。動けなくなったガウェイン達にヴォルデモート卿は言った。

「俺様は寛大だ。貴様等に考える時間をやろう。従うか、死ぬか、一週間後に答えを聞かせてもらう」
 
 その言葉と共にヴォルデモート卿の姿は消えた。
 立ち尽くす魔法使い達を置いて……。

第九話『病心』

 何が起きたのか理解出来なかった。ハリーの体が一瞬で燃え上がり、チリ一つ残さずに掻き消えてしまった。
 観客席から教師達が競技場へ飛び降りてくる。
 僕は呆然と立ち尽くしていた。

「何処だ、ハリー!!」

 ウィリアムが必死にハリーの名を呼んでいる。他の教師達は呪文で何かをしている。

「ドラコ!!」

 ロナルドが降りて来た。

「ハ、ハリーはどうしちゃったの!?」
「……僕に分かるわけないだろ! いきなり、燃えて……それで……」

 その時だった。競技場の外から拡声呪文を使ったフリットウィックの声が響いた。

「いました!! こっちです!!」

 走り出す教師達の後を追い掛ける。他の選手達も後から付いて来ている。

「そう言えば、見たか?」

 マーカスがウッドに話しかけている。

「ああ、吸魂鬼がいた。ポッターはきっと……」

 怒りが込み上げてくる。

「吸魂鬼だと……。ホグワーツを警護する為に来たんじゃないのか!? クソッ!!」

 今の声は僕じゃない。だけど、僕の内心そのものだ。
 前を走る教師達も口々に囁き合っている。

「あそこだ!」

 誰かが叫んだ。前を向くと、フリットウィックが手を振っている。その足元に誰かが寝転んでいる。
 見覚えのある赤い髪、ハリーだ。

「ハリー!!」

 ウィリアムが悲鳴を上げた。僕達も教師を押し退けてハリーに駆け寄る。

「ハリー!! 冗談は止せ!!」

 ハリーを抱きかかえるウィリアム。

「落ち着け! 気を失っているだけだ」

 スネイプがウィリアムの肩を掴んで諭した。

「火傷もないようだな。あの炎は一体……」
「それは恐らく……」

 フリットウィックが恐々と何かを差し出した。そこには一羽の雛鳥がいた。

「これは……、まさか!」

 ウィリアムが目を見開いた。

「知っているのか?」

 スネイプが問う。

「恐らく、不死鳥の雛だ」
「なにっ!?」

 僕はそっとハリーに近づくダンブルドアを見た。以前、校長が不死鳥を飼っていると聞いた事がある。

「フォークスではない」

 ダンブルドアの言葉を裏付けるように、空から一羽の不死鳥が降りて来た。雛鳥の前に立ち、唄を歌い始める。
 
「では、この不死鳥は……?」
「分かる事はこの者がハリーの窮地を救ったという事だけじゃ。とにかく、ハリーを医務室へ」

 ウィリアムがハリーを抱きかかえた。すると、不死鳥の雛は羽も生え揃っていない状態の翼を羽ばたかせた。
 ぎこちない飛び方でハリーの周りを舞う。すると、フォークスが雛に飛び方を教えるかのように近づいた。

「さて、諸君!」

 ダンブルドアが手を叩いて僕達の注意を引く。

「ハリーは無事じゃった! 故、観客達の不安を拭い、期待に応えねばならぬ!」

 その言葉に納得がいかなかった。今直ぐ、ハリーを追いかけたい。だけど、教師達が僕達を競技場へ連れ戻した。
 ダンブルドアがハリーの無事を報告すると、観客達の感心はグリフィンドールの勝利に向いた。久方振りのスリザリンの黒星に他寮の生徒達は歓声を上げている。
 選手達は一人も納得していない様子だが、奴等にとっては過程などどうでもいいのだろう。

「……僕、気づかなかったんだ。落ちてくるハリーと目が合った。スニッチを掴んで、勝ったと思って、呆然としてたんだ……。もしかしたら、ハリーが死んでたかもしれないってのに!」
「ロナルド!」

 他の誰よりも早く、僕はロナルドの襟を掴んだ。

「ドラコ……」
「悪いのは吸魂鬼だ!」
「でも……」
「いいから、今は自慢気にスニッチを掲げとけよ。……後でハリーの見舞いに行こう」
「……うん」

 ロナルドはスニッチを頭上に掲げた。すると、観客達は声援を彼に送った。
 複雑そうな表情を浮かべている。
 優秀な兄を持つ弟。ロナルドはいつも劣等感を抱いていた。
 いつか、脚光を浴びる自分を夢見ていた。それが今、実現している。
 過程に不服があるのだろうが、徐々に頬が緩みだした。
 それでいいと思う。これは勝者が得るべき正当な報酬だ。

「ッハ、これで勝ったとは思わぬ事だ。寮対抗杯は今年も必ずスリザリンがいただく」
「言ってろ、フリント。我がチームには優秀なシーカーが入った。これからはグリフィンドールの時代だ」
「まぐれで喜ぶとはめでたい奴等だ。優秀なシーカーならば此方にもいる。今回はあくまで事故だ。……吸魂鬼め」

 キャプテン同士の会話も弾んでいる。そう言えば、昔はもっと険悪だったな。
 僕やハリーを始めとして、最近は寮の間を超えた関係を築く者が増えてきている。
 これはきっと、良い変化というものなのだろう。

「……おめでとう、ロン」

 第九話『病心』

 試合から数日が経過した。僕は病院のベッドで目を覚まし、事のあらましを聞いた。
 
「君が助けてくれたんだってね」

 僕の周りを飛ぶ真紅の鳥。クリスによると、あの卵から孵ったみたい。
 不死鳥は名前の通り、不滅の存在。例え死んでも、灰の中から蘇る。だから、滅多に卵を産まないし、卵も孵らないそうだ。
 卵を産む時、不死鳥は完全なる終わりを迎える。その時、野生の不死鳥は自らが産まれた地に産み落とし、人に飼われた不死鳥は人に卵を託す。
 人に託された卵は野生の卵よりも一層孵化し難いそうだ。
 不死鳥は知性が高い。卵の時から人の感情を感じているそうだ。その感情を心地よいと感じた時、不死鳥は主人を認め、殻を破る。

「僕を認めてくれたんだね、ありがとう」

 ピィと元気に返事をしてくれた。とても可愛らしい。

「名前を考えないとね」

 悩む。やっぱり、クリスマスに因むべきだ。

「よし、イヴにしよう!」
《またしても、安直だな》

 クリスに呆れられてしまった。

「だ、駄目かな……?」

 不安になりながら聞くと、不死鳥は嬉しそうにピィと鳴き、僕の指を甘噛した。

「ありがとう、イヴ」

 こうなると、ヘドウィグの名前もクリスマスに因むべきだったかもしれない。後の祭りだ。
 不死鳥の餌についてはダンブルドアがこっそり手紙を届けてくれた。基本的には何も口にしなくていいみたいだけど、竹の実という珍しい木の実を好むみたい。
 滅多に見つからない物らしいけど、ダンブルドアが特別に幾つか包んでくれていた。
 一口与えると、イヴは嬉しそうに唄い始めた。

 イヴとの出会いから更に数日が経った。チームメイトに謝った後、次の試合に向けて猛練習を続けている。
 マーカスの気合は十分だ。次のレイブンクロー戦に向けて、作戦を幾つも用意している。覚えるだけでも一仕事。
 そうして忙しい日々を送りながら、僕はあの時の事を思い出していた。
 空から落ちる僕の体。地面が間近に迫った時、魔王の声が聞こえた。もう一度聞こえないか、試してみたくなった。

「おい、ハリー!」

 クィディッチの練習中、急降下の練習と言って、僕は地面に向かって加速した。
 すると、目眩と共に魔王の声が聞こえた。

――――止せ、何をしている!

 ギリギリで箒を旋回させる。すると、骨がバキバキと音を立てた。酷い激痛。

――――だから言ったのだ。この愚か者め。無茶をするな。

 これは、ずっと昔の記憶だ。魔王の期待に応えたくて、無茶を繰り返した日々。その時の魔王の言葉。

――――貴様は目を離せんな。

 走馬灯というものなのかな。その声があまりにも鮮明で、現実的で、まるで近くに魔王がいるみたいに感じられた。
 マーカスに怒られて、ドラコに医務室へ運ばれ、以降からは急降下訓練を禁じられてしまったけど、僕はまた声を聞きたかった。
 刃物で自分を傷つけるだけでも魔王の声を聞ける事が判明して、僕は嬉しくなった。
 手首をナイフで裂くと、真っ赤な血があふれた。そして、声が聞こえた。

――――何をしているんだ! 俺様がいつ、そんな事をしろと言った!

「ああ、魔王……。魔王の声だぁ……」

 もっと、聞きたい。もっと、感じたい。ああ、やっぱり僕には魔王が必要なんだ。
 魔王がいなくても大丈夫だなんて……、そんなの嘘っぱちだ。
 魔王の声を聞く度、取り繕っていた物が壊れていく。

「魔王……。魔王……」
「なっ、なにしてるんだ!!」

 腕を切りつけていると、ドラコが戻って来た。
 ナイフを取り上げられてしまった。

「う、腕が……」

 ドラコは僕を医務室へ連れ込んだ。マダム・ポンフリーに怒られてしまった。
 クスリを渡されて、一日一回飲む事を約束させられた。破ろうとすると、ドラコが睨んでくる。
 飲むと不思議と心が落ち着いた。魔王の声を我慢出来た。
 だけど、それも最初の数ヶ月だけだった。

「魔王の声を聞きたい……」

 本物の魔王が帰って来てくれないのなら、例え幻聴でも構わない。
 もっと、感じたい。
 腕を切る。クリス達が止めようとするけど、ワームテールやイヴに僕を止める力はない。クリスも僕が命じれば止められない。
 イヴは僕が切る度に涙を流して僕の傷を癒してくれた。だから、何度も魔王の声が聞けた。ドラコにも気づかれない。
 
「あはは……。魔王……。僕の魔王……」

 傷が大きければ、それだけたくさんの声が聞こえる。きっと、死に近づく程……。

「魔王……」

第八話『試合』

 僕はロンドン郊外にぽつんと佇む教会で魔王と会っていた。ダンブルドアから託された物を彼に渡すためだ。

「……ほう、ハリーがシーカーに」

 ハリーの近況を教えると、さっきまでの仏頂面が嘘のように剥がれる。
 本当は会いたくて仕方がない筈なのに、頑固な人だ。

「楽しくやれているみたいだな」
「魔王……。一度くらい、顔を見せてあげてもいいのでは?」
「冗談は止せ。折角、ハリーが自分の足で歩き出したのだ。ここで顔など見せたら台無しではないか」
「しかし……」
「ウィリアム、貴様には感謝している。貴様のハリーに対する献身は実に素晴らしい。信頼し、託して正解だった」

 魔王は立ち上がり、僕が運んで来た荷物を懐に仕舞う。

「狙いは分からんが、大所帯となった事で潜伏場所も限られる筈だ。確実に場所を突き止めて、消し去ってくれる」
「まっ、待ってください! レストレンジとブラックがヴォルデモートの陣営に戻った事で分霊箱の所在は分からなくなってしまった。迂闊に動いても……」
「ならば、レストレンジとブラックに場所を吐かせればいい。奴等以外に預けたのなら、そいつの口を割らせる」
「……魔王。まさか、このまま……、ハリーに会わないまま消えるつもりですか!?」

 魔王は何も答えない。

「魔王!!」

 立ち去ろうとする魔王の肩を掴んだ。

「いくら元気になったと言っても、あの子にとって貴方は特別なんだ! それなのに!」
「特別なままではダメなのだ」

 寂しげに彼は言った。

「俺様はあの子の害にしかならない」
「そんな事……」

 魔王は姿を霞の如く消した。
 
「なんでだよ……。アンタじゃないとダメなのに……」

 ハリーは僕を信頼してくれている。だけど、もっと近づきたくても見えない壁に阻まれる。
 あの子にとって、一番は魔王なんだ。あの子の世界は魔王とそれ以外に分けられている。

「……クソッ」

 僕はハリーを守りたい。幸せにしてあげたい。一緒にいたい。
 ノクターン横丁に入ろうとしていたところを止めた時から、僕にとっての一番はあの子になっていた。
 ぼろぼろな格好。やせ細った体。傷ついた心。今でも鮮明に覚えている。
 あの時、僕は心に誓ったんだ。

「これ以上、ハリーを泣かせるなよ……ッ」

 笑顔が一番似合うんだ。涙なんて、要らないんだ。
 魔王が消えたら、もう、あの子に笑顔は戻らない。
 あの子の幸せの為には魔王の存在が必要なんだ。

「消えるなんて許さない。絶対、何か方法がある筈なんだ。オリジナルを消して、魔王を生き残らせる方法が!」

 第八話『試合』

 最近、魔王に貰った卵が動くようになった。もしかしたら、もうすぐ生まれるのかもしれない。
 なんの卵なのかは聞いても教えてくれなかった。生まれた時のお楽しみらしい。
 楽しみだなー。また、家族が増える。

「君の名前も考えてあげないとね」

 明日はスリザリンチームのシーカーとしての最初の試合。
 ここ数週間は訓練漬けの毎日だったけど、その成果を試す時が来た。
 
「君も応援しててね」

 まるで応えるように卵はピクリと動いた。

 翌日、空は生憎の曇天模様だった。
 だけど、多少の雨なら続行するのがクィディッチだ。相手はグリフィンドール。つまり、ロンやフレッド達が相手というわけ。
 競技場で顔を合わせると、ロンは不敵な笑みを浮かべてドラコを見つめた。ドラコも同じ表情を浮かべている。

「ハリー。相手が君でも容赦しないぞ」

 フレッドが言った。いつものおどけた表情じゃない。

「もちろんだよ」

 みんな真剣だ。キャプテンのマーカスもグリフィンドールのキャプテンと睨み合っている。
 気合を入れよう。勝つのは|僕達《スリザリン》だ。

「さあ、選手達は空へ!」

 マダム・フーチの掛け声と共に僕達は上空へ舞い上がる。

「試合開始!」

 金のスニッチが解き放たれ、ブラッジャーが暴れ始め、チェイサー達が動き出す。
 
「やあ、ハリー!」

 緊張感に包まれていると、ロンが同じ高度まで上がってきた。

「君にも負けないからね!」
「僕だって!」

 ロンは手強い。僕よりもクィディッチというスポーツをずっと知っている。
 フレッドから、ロンはあがり症だって聞いてたけど、そんな素振りは少しも見せない。きっと、ドラコへの対抗心が心を奮い立たせているんだ。
 瞳がギラギラと燃え上がっている。
 僕達は互いに視線を逸し、スニッチを探し始める。
 
 僕達の下では試合が動き始めていた。グリフィンドールのチェイサーはアンジェリーナ・ジョンソン、アリシア・スピネット、ケイティ・ベルの三人。対して、此方はマーカス、グラハム、そしてドラコ。
 連携の面ではグリフィンドールが上手い。それでも、箒乗りとしての能力はスリザリンが上だ。
 観客席がどよめく。
 アンジェリーナからドラコがクアッフルを奪い取った。そのまま、アリシアとケイティを振り払ってゴールへ向かう。
 思わずスニッチ探しを止めてドラコの動向を追ってしまった。

「行け、ドラコ!」

 僕の応援が聞こえたかどうかは分からない。その瞬間、ドラコは一気に加速した。
 
「させるか!」
「行かせないぞ、ドラコ!」

 フレッドとジョージが迫る。ブラッジャーをクラブで叩き、ドラコへ向かって吹っ飛ばす。

「見えてるぞ!」

 ドラコはブラッジャーが直撃する寸前に急降下した。目標を見失ったブラッジャーはそのまま飛んで行く。
 ジョージが再びブラッジャーをドラコにけしかけたけど、これも的確に躱す。

「いけいけ、ドラコ!!」
「まずは先取点!!」

 ドラコがクアッフルをゴールに叩き込んだ。 
 あまりにも完璧な先取点。いつもスリザリンを悪く言う実況席のリー・ジョーダンさえ何も言えずにいる。

「やりやがった、アイツ!」

 少し上の方で同じようにドラコを見ていたロンが嬉しそうに叫んだ。
 その背中を金色の光が走った。
 
「見つけた!」
「なっ!?」

 幸運の女神は僕に味方した。ロンが追い掛けて来るけど、先に加速体勢に入った僕には追いつけない。
 
「ドラコに負けたくないのは君だけじゃないんだ!」

 あんなカッコイイ姿を見せられたら、燃えない筈がない。

「負けるかってんだ、このぉぉぉおおおお!!」

 追い縋ってくる。ロンの箒も僕と同じニンバス2001。ビルは僕とロンの両方に箒をプレゼントしてくれたんだ。
 箒の性能が同じなら、モノを言うのは乗り手の腕。
 小手先の技術ではまだロンに敵わない。だけど、スピード勝負なら……ッ!

「僕が勝つんだ!!」

 観客や選手達も僕達がスニッチを見つけた事に気付いたみたいだ。
 歓声と共にブラッジャーが襲い掛かってくる。フレッドだ。

「行け、ロン! お前がグリフィンドールの勝利を勝ち取るんだ!!」
「うおおおおおおおお!!」

 フレッドの叫びにロンが雄叫びをあげる。
 避けた代わりにスピードを失った僕は慌てて体勢を整える。その間にロンに並ばれてしまった。

「ロン!!」
「ハリー!!」

 スニッチは観客席の方へ向かう。僕達は全速力で追い掛けた。観客や障害物を避けながら追い掛ける。
 やっぱり、こういう技術はロンが上手だ。

「負けない!!」
「僕が勝つんだ!! ドラコにも、ハリーにも!! 僕がグリフィンドールを勝利させるんだ!!」
「僕だって、スリザリンに勝利を!! スリザリンが最強なんだ!!」

 スニッチが観客席を抜けた。遙かな上空へ舞い上がっていく。僕達もほぼ同時に飛び出した。
 空から水滴が降ってくる。雨だ。一気に土砂降りになった。それでも、金の軌跡だけは見失わない。

「おおおおおおおおおおおおお!!!」
「はああああああああああああ!!!」

 雲が眼前に迫る。その瞬間、スニッチは急降下を始めた。僕達はまるで宙返りでもするかのように箒を転回させ、そして……、見た。

「なっ……」

 天空を舞う黒衣。アレはホグワーツの防衛の為に配備されたアズカバンの看守である|吸魂鬼《ディメンター》。
 奴等が近づいてくる。同時に頭が酷く痛み出した。
 誰かの悲鳴が聞こえる。集中が掻き乱される。
 僕は杖を取り出した。

「消えろ!!」

 前に魔王から教えてもらった呪文。幸福な感情を意識しながら、僕は杖を振った。
 魔王と出会った事。魔王と過ごした日々。魔王から貰った幸福。

「|守護霊よ、来い《エクスペクト・パトローナム》!!」  

 杖の先から白い輝きが飛び出す。それは牡鹿を象り、吸魂鬼に向かっていく。
 溢れるようなパワーで守護霊は吸魂鬼を蹴散らしていく。
 安堵した途端、体勢が崩れた。
 濡れていたせいか、吸魂鬼の影響か、僕の体は箒を離れた。
 落下していく。土砂降りの雨と共に地上へ落ちていく。スニッチを掴み呆然としているロンと目があった。

「ハリー!?」

 ロンが追い掛けて来る。だけど、きっと間に合わない。もう、地面は間近まで迫っている。
 意識が掠れていく。

――――ハリー!!

 闇に沈む直前、僕は聞こえる筈のない声を聞いた。
 だって、彼はここにいない。だけど、まるで本物のような声が僕の脳裏に木霊した。

「……ああ、魔王の声だ」

 死が迫る中、僕の心はとても暖かくなった。
 ……不思議な旋律が聞こえる。まるで、鳥の鳴き声のような……。

第七話『シーカー』

 ホグワーツの三年目が始まる。アズカバンの事件が起きた翌日、ビルは僕達をキングス・クロス駅まで送り、そのまま何処かへ出掛けた。
 平静を装っていたけど、顔が強張っていた。きっと、ダンブルドアの指示を受けている。
 ホグワーツにも変化が起きた。城内にアズカバンの看守である吸魂鬼と闇祓い局の闇祓い達が警備をする事になったのだ。
 
「……久しいな、ハリー・ポッター」

 新学期が始まり、しばらくした日の事だった。
 僕は廊下でルーファス・スクリムジョールに呼び止められた。
 あの日から四年と少し……。

「お久しぶりです」
「元気そうでなによりだ」
「ええ、おかげさまで」

 あの頃とは違う。もう、この人からも逃げたりしない。
 呼び止めた以上、何か用事がある筈だ。

「僕に何か用が?」
「いや、特にはない。折角の再会だから、挨拶をしておこうと思ってね」
「……そうですか」

 なら、話は終わりだ。拍子抜けしながら、僕は彼に頭を下げた。
 そのまま立ち去ろうとすると、スクリムジョールは言った。

「……魔王は元気かね?」

 そんな事、僕が知りたいくらいだ。

「さあ、知りません」
「そうか……」

 改めて確信した。僕はあの人が心の底から嫌いだ。

 第七話『シーカー』

 ハロウィンが目前に控えた日、スリザリンのクィディッチ選抜試験が始まった。
 今はドラコがチェイサーの試験を受けている。去年まではフリント、ワリントンと共にエイドリアンが務めていたのだけど、今年から彼は引退している。
 ドラコがチェイサーを選んだ理由は去年の学年末にフレッド達からアドバイスを受けたからだ。僕を元気づける名目で開いた練習会だったけど、中身は真剣そのものな内容で、僕もシーカーの適正があると認めてもらえた。だから、今年は僕も選抜試験を受ける。
 ちなみにグリフィンドールではジニーもやる気を出しているみたい。だから、ロンは夏休みの間、必死に練習していたみたい。店の手伝いに来れなかったのもそれが原因。汽車で会った時に謝られてしまった。妹にだけは負けたくないそうだ。実際、練習の時はジニーの方が上手だったっけ……。

「ドラコ、頑張って!」

 パンジーが声を張り上げている。
 今回はスリザリンのみんなと応援している。パンジーもシーカーの座を狙っているみたい。僕をライバル視している。
 だけど、今は関係ない。僕も声を張り上げて応援する。

「ドラコ、ファイト!」

 負けじとダフネやその妹のアリステアも声を上げる。
 上空でクアッフルを抱え、ドラコはブラッジャーや先輩選手達のアタックを巧みに避けている。
 動きに無駄が無い。他の挑戦者達とは段違いの動きだ。

「いけいけ!」

 アリステアが叫ぶ。
 クラッブとゴイルも後ろでウホウホと興奮している。
 ドラコがクアッフルをゴールにダンクした。チェイサーの試験はクアッフルを奪われるまで続く。それからドラコは二十回以上もゴールを決めた。
 まさに圧倒的。他の人達は大抵一桁がやっとだもの。
 降りてくるドラコをみんなで出迎えた。嬉しそうな笑顔を浮かべるドラコ。
 向こうからキャプテンのフリントがやって来る。
 
「ドラコ、文句なしの合格だ! 今年から、君も我がチームのチェイサーだ」

 歓声が上がった。
 パンジーとアリステアがドラコをハグする。二人がドラコに恋をしている事は寮生の中で公然の秘密だ。
 ドラコは困ったような笑顔を浮かべながら僕を見た。

「次は君の番だ」
「……うん!」

 ドラコはやんわりと抱きついている二人から離れ、僕の手を握った。

「君なら間違いなく合格すると確信している。一緒に試合に出よう」
「がんばるよ!」

 笑顔で握り返すと、ドラコは不思議な表情を浮かべた。

「どうかしたの?」
「……いや、別に。僕達は観客席で応援してるよ」

 そう言って、ドラコはみんなを連れて観客席へ向かった。
 僕は髪を紐で縛って、箒を呼び寄せた。
 次は僕の番だ。

「それではシーカー選抜試験を始める! 一組目、空へ!」

 シーカーの選抜試験は数回に分けて行われる。
 三人一組で空に上がり、最初にスニッチを捕らえた人間が次に挑戦出来る。
 僕は最初の組だ。一緒の組の人と同時に箒に跨る。
 すると、いつもの事だけど体が軽くなった。箒に乗る事はすごく気持ちの良い事。地上を離れると、気分が高揚する。
 本来、人は自力で空を飛べない。だから、昔から多くの人が空を飛ぶ手段を模索して、飛行機やヘリコプターを発明した。
 だけど、魔法使いは自分の力で飛ぶ事が出来る。
 上空で滞空すると、視野が一気に開けた。

「スニッチを放つぞ!」

 フリントがスニッチを解き放った。一瞬で姿を消すスニッチ。
 みんなも探し始めている。僕も探そう。
 耳を澄ませてみる。風の音や観客席からの歓声が聞こえる。その中から嗅ぎ分ける。
 
「……見つけた」

 誕生日にビルにもらったニンバス2001は素晴らしい性能だった。僕の思い描いた通りに動いてくれる。僕が動き出した後に他の人達も動き出すけど、もう遅い。
 僕は誰よりも早くスニッチを手に入れた。

「スニッチ、ゲット!」

 それから何度も同じことを繰り返した。
 その度に僕は一番早くスニッチを手に入れた。
 希望者が多くて、最後の三人に絞られるまでに陽が沈んでしまった。
 夜闇の中だと、一層スニッチは見つけ難い。
 だけど……、

「見つけた!」

 僕は勝った。誰よりも早くて凄い事を証明してみせた。
 スニッチを手に降りて行くと、みんなが賞賛してくれた。
 
「見事だ、ハリー! これからは君がシーカーだ! よろしく頼む!」

 フリントも僕を認めてくれた。
 魔王がいたら、きっと褒めてくれた筈。
 どうして、ここに魔王がいないんだろう……。

「ど、どうした!?」

 フリントが慌てている。思わず泣いてしまったみたいだ。

「ご、ごめんなさい。ちょっと、感極まっちゃって……」
「そ、そうか……。言っておくが、これからが本番だぞ。スリザリンこそ最強なんだ。それを証明する為に、我々に敗北は許されない! 涙は優勝杯獲得まで取っておくんだ。いいか、勝つのは我々だ!」
「……はいっ!」

 僕はスリザリンチームのシーカーになった。
 後日、ロンも見事にシーカーの座を射止めたと報告してくれた。ジニーも参加して健闘したみたいだけど、夏休み中訓練に励んだロンが一歩抜きん出たみたい。
 どうやら、チャーリーにいろいろと教わったらしい。
 もうすぐ、クィディッチシーズンが始まる――――……。

第六話『暗躍』

 どうして、こんな事に……。
 頭がおかしくなりそうだ。ここ一年余りの記憶が曖昧で、気がついたら恐ろしい犯罪の片棒を担いでいた。
 魔法省の役人が現れ、慌てて逃げ出した。だが、いつまでも逃げ続ける事は出来ない。

「見つけたぞ」

 走り疲れた私の前に男が現れた。闇夜に浮かぶ真紅の瞳が私を見下ろしている。
 その背後には日刊預言者新聞の一面を飾った凶悪犯達の顔が並んでいる。

「ま、まさか……」

 雲の隙間から月明かりが漏れる。月の光に濡れた黄金の髪をかき上げ、男は微笑んだ。
 
「名乗らせて頂こう。|我はヴォルデモート卿《I am Lord Voldemort》。どうかお見知り願うよ、アサド・シャフィク殿」

 その姿、その名乗り、その正体に私は呼吸を忘れた。
 死んだ筈の男。嘗て、魔法界を絶望へ叩き込んだ悪の帝王。

「貴殿は良く期待に答えてくれた。だからこそ、俺様は来た。これは褒美だ」

 杖を向けられる。緑の閃光が視界を埋め尽くした。
 痛みはない。ただ、眠るように……、私は闇の中へ沈んだ。

 第六話『暗躍』

 アルバス・ダンブルドアが校長室で日刊預言者新聞に目を通していると、慌ただしい様子でウィリアムとセブルスが入って来た。

「ダンブルドア! 日刊預言者新聞は読みましたか!?」
「ほれ、このように」

 ウィリアムの開口一番に持っている新聞を見せるダンブルドア。

「……些か、トムを侮っておった」
「トム……。では、やはり帝王の手引だと?」

 セブルスの言葉にダンブルドアは頷いた。

「魔法省の高官やホグワーツの理事が一斉に反旗を翻すなど、他に考えられん」

 アズカバンの集団脱獄は彼らの手引によって行われた。それぞれ地位と名声を持ち、魔法界に大きな影響力を持つ者達だ。
 
「……日記の分霊が築いた地下聖堂を覚えておるな?」

 二人が頷くと、ダンブルドアは言った。

「あの時、聖堂にいた者達はマグルが半数。他は子供やマグル生まればかりだった。他の|犠牲者《・・・》は終ぞ発見出来ず、当時行方不明になった者も他にはいなかった」
「……故に魔法省は捜査を打ち切った。日記の分霊が消えた時点で事件は解決していると判断した。そうでしたね?」

 すべてはヴォルデモート卿が遺した呪具による忌まわしい事件という事で公表される事も無かった。
 魔法省大臣を始め、高官達は今尚ヴォルデモートの存在を恐れている。今の平和な世が壊れる事を忌避している。
 だからこそ、マルフォイ家も処罰を受けなかった。事件そのものを魔法省は無かった事にしたのだ。
 
「独自に調査を続けたが、やはり他の犠牲者達の痕跡は見つからなかった。恐らく、今回のアズカバン集団脱獄に加担した者は当時日記の分霊に仕掛けを施された者達なのだろう」
「周到ですな……」

 セブルスの言葉にダンブルドアが頷く。

「まったくじゃ。ドラコに自らの拠点を魔王へ教えさせた時点でここまでの準備が整っていたという事だ。魔王に勝てば己が、万が一にも敗北した時はオリジナルが行動を開始出来るように」
「シリウス・ブラックもヴォルデモートの手に落ちたのでしょうか?」
「現状は憶測の域を出ないが、甘い期待は捨てるべきじゃろう」

 ダンブルドアの言葉にウィリアムは表情を曇らせる。
 
「……では、残る二つの分霊箱は」
「ヴォルデモート卿の手に戻ったと考えるべきじゃろうな」

 つまり、行方を追う事が非常に困難になったという事だ。
 ウィリアムは舌を打った。

「……何故だ。シリウスは無実だった筈! 何故……、脱獄など」
「ッハ、一言二言甘言でも囁かれたのだろうよ。ヤツの頭に詰まっている物は穴あきだらけのスポンジ同然だからな」

 セブルスは嫌悪感に満ちた表情で言った。

「スネイプ先生は彼を知っているのですか?」
「……甚だ遺憾だが、知っている。いけ好かない男だった。粗野で愚かで、どこまでも忌々しい……」

 憎悪に満ちた声。ウィリアムは僅かに目を見開いた。

「そこまでじゃ、セブルス。お主とシリウスの確執はよく知っておる。だが、憎しみで瞳を濁らせてはならぬ」

 ダンブルドアの言葉にセブルスは歯を食いしばるような表情を浮かべた。
 よほど、シリウスの事が嫌いらしい。

「よく聞くのじゃ、二人共。もはや、誰が味方で、誰が敵かも定かではない。だからこそ、慎重に動かねばならぬ」
「だが、あまりのんびりもしていられないでしょう。既に帝王は復活していると考えて行動するべきだ。つまり、何事も迅速さが求められる」
「もっともな意見じゃ、セブルス。迅速に、慎重に、賢明に動くのじゃ」

 ダンブルドアは言った。

「まずは分霊が不特定多数の者に施した仕掛けを解明せねばならぬ」
「……では、調査に向かいます」
「吾輩も……」
「頼む。お主等が頼りじゃ」

 二人が去った後、ダンブルドアもまた部屋を後にした。

第五話『不穏』

 第五話『不穏』

 時計の針が進んでいく。二年目が終わりを告げ、ホグワーツは夏季休暇に入った。
 一縷の望みを持って帰って来たメゾン・ド・ノエルにも魔王の姿はない。

「大丈夫……。大丈夫……」

 崩れ落ちそうになる体を壁に預け、何度も深呼吸を繰り返す。
 すると、ポケットからワームテールが飛び出してきた。肩に登って、キューキューと励ましてくれる。

「ありがとう、ワームテール」

 僕は孤独じゃない。魔王が居なくても、大丈夫。
 例え、魔王が僕に愛想を尽かしたとしても……。

《大丈夫か?》

 吐き気を我慢していると、リュックサックからバジリスクが顔を出した。

「……うん、平気」

 心配ばっかり掛けさせていられない。
 
「ワームテール。僕は明日、仕入れの手続きをしてくるよ。また、美味しいパンをよろしくね」

 任せろとばかりに胸を叩くワームテール。

《……私も何かするべきか?》
「う、うーん……、その姿だと……」
《姿か……》

 突然、バジリスクの姿が光に包まれた。次の瞬間、目の前に色白な少女が現れた。

「え? え?」

 目を丸くする僕に少女は言った。

《これならば問題あるまい》
「バジリスクなの……?」
《他に誰がいる?》

 びっくりした。人間に化ける魔物もいるとは聞いていたけど、バジリスクにも出来るとは思っていなかった。
 銀の髪に金の瞳。まるで人形のように綺麗な姿だ。

「……とりあえず、服を着ようか」

 彼女は生まれたままの姿だった。慌てて、衣装部屋から服を運んで来る。

《面倒だな》
「裸でうろつく人間を見た事ある?」
《……面倒な生き物だ》

 彼女に渡した服は前に魔王が制服の試作として作ったもの。
 白い布地のドレスは彼女にとてもよく似合った。

《……ふむ》
「ごめんね、動き難いでしょ? 明日、別の服も買ってくるから」
《いや、いい。主から与えられたモノだ。なにより、私に似合うと思ったのだろう?》
「え?」

 言い当てられた事に驚くと、バジリスクは笑った。

《素直だな、主よ》
「……えっと、そう言えば魔眼は大丈夫なの? 目を見ても何とも無いみたいだけど……」

 照れ臭くなって話題を変えたけど、よくよく考えたらバジリスクの眼を見てしまった事に今更気付いた。

《問題ない。この姿はあくまで仮初のものだ。この眼球も本当の意味での私の眼ではない》

 目元を指さして言うバジリスク。

「ふーん……。あっ、それと名前も決めないと!」
《別にバジリスクのままでもいいのではないか?》
「いや、良くないよ……」

 どんな名前がいいかな……。

「今までの御主人様は君になんて名前をつけたの?」
《……私に名付けを行う奇特な者などいない》
「そっか……」

 なら、ちゃんと考えて決めよう。
 魔王はいつもクリスマスにちなんだ名前をつけてた。ノエルもニコラスもフランス語でクリスマスを意味している。

「うん、決めた! 今日から君の名前はクリスティーンだ」
《安直だな》
「うっ……」

 確かに、もう少し捻った方が良かったかも……。
 
《だが、良い名だ。感謝するぞ、主よ》

 クリスは微笑んだ。その笑顔があまりにも綺麗で、顔が熱くなった。

「よっ、よーし! 明日から三人で頑張るよ!」

 気合を入れた途端、眠気に襲われた。

「……とりあえず、寝ようか。そうだ!」
 
 僕は杖を振った。すると、体に変化が起こり始める。
 ワームテールに教えてもらった動物に変身する魔法。
 変化が収まると、僕の体は子鹿に変わっていた。

《今日はみんなで一緒に寝よう》

 二階の寝室に上がると、クリスも人化を解いてヘビに戻った。
 一緒に眠るヘビとネズミとシカ。そこに籠から飛び出したヘドウィグも混ざる。自然界や動物園でも滅多に見ない光景。
 これがパン屋の店員達だなんて、一体誰が思うだろう?
 僕は楽しくなって笑った。

 クリスはヘビだから当然の如く人と話せない。だから、いつも口を閉ざしているのだけど、その見た目の可憐さ故に大人気となった。
 連日、メゾン・ド・ノエルは満員御礼。とてもじゃないけど、三人では回せなくなった。ビルに助けを求めると、フレッドやジョージ、それにドラコを連れて来てくれた。

「……あの子がバジリスクだって?」

 ビルにだけ、クリスの正体を教えた。すると、彼は口をポカンと開けたまま固まってしまった。
 こんな彼を見るのは初めてだ。よっぽど、衝撃的だったみたい。
 それから増えた戦力と一緒に忙しい毎日を過ごした。
 魔王がいない寂しさを感じる余裕もない日々。いつだって、フレッドとジョージが賑やかにしてくれるし、ビルとドラコは優しくしてくれる。クリスとワームテールも僕を一人にしない。
 そして、瞬く間に夏季休暇が終わりを告げた。

 その日、ビルは新聞を読んでいた。そして、あり得ないものを見たような目で一面に掲載されているニュースを読んだ。

「馬鹿な……。何故だ!?」

 その様子に僕達が驚いていると、彼は立ち上がった。

「ど、どうしたんだ?」

 フレッドが聞くと、ビルは険しい表情を浮かべた。

「アズカバンで複数の囚人が脱獄した」

 ビルは店を出て行った。きっと、ダンブルドアの下に向かったんだ。
 ドラコが彼の置いていった新聞を拾う。覗きこんでみると、脱獄犯達の名前と顔写真が掲載されていた。
 ロドルファス・レストレンジ、ベラトリックス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジ、アントニン・ドロホフ、オーガスタス・ルックウッド。
 そして……、シリウス・ブラック。

第四話『歩くような速さで』

 魔王が帰って来ない。いつも胸の中に感じていた彼の存在を感じる事が出来ない。
 喪失感、孤独感、そんな言葉では追いつかないほどの絶望。
 朝と夜の区別をつける事も出来ない。気付けば時間が飛んでいる。ついさっきまで雪が降っていた気がするのに、顔をあげれば満開の花が咲いている。
 
「ハリー」

 声を掛けられた。いつも一緒にいる人。だけど、顔をあげる気も起きない。
 思考が淀んでいる。理性的な判断が出来ない。

「ハリー!」

 おかしい。さっきの声と違う。場所も違う。廊下に居た筈なのに、外にいる。
 
「どっちがフレッドでしょうかゲーム!」

 明るい声。覚えている。だけど……、どうでもいい。
 
「ハリー!」

 また、違う声。

「ハリー!」
 
 今度は女の子。

「ハリー」

 ……知ってる声。顎を持ち上げられた。ウィリアムの顔は相変わらずハンサムだ。

「ビル……?」

 心配そうな顔。呆然と見つめていると、彼は言った。

「寂しい気持ちは分かる。だけど、今のままではいけないよ」
「……どういう意味?」

 話の流れがさっぱり分からない。そもそも、会話をしていた事自体に今気付いた。
 
「いつも俯いてる。ロンが言ってたよ。君はどんなに話し掛けても空返事ばっかりだって」
「ロンが……?」
「今の君を見たら、魔王も悲しむよ」

 顔がくしゃくしゃになる。

「……だって、魔王がいないんだ」

 魔王が傍に居なければ、こんな世界に何の価値もない。
 色を失ったキャンバスのようだ。何も感じ取る事が出来ない。
 なにもかもがつまらない。

「それでも、君は顔を上げなければいけない。魔王は君が前向きに生きる事を望んでいた。その事を誰よりも分かっている筈だろ?」
「……だって」

 涙が溢れる。その涙をビルが拭う。

「ハリー。君にとって、魔王が特別な存在である事は知ってる。だから、寂しいと思う気持ちも分かる。だけど、君は孤独じゃない」

 抱き締められた。温かくて、力強い。

「僕がいる。それに、ドラコがいる。他にも、君を想う者がたくさんいる。みんなの声を聞いてほしい」
「ビル……」
「君は一人じゃない。その事をどうか知って欲しい」
 
 僕は掠れた声で答えた。

「……うん」

 第四話『歩くような速さで』

「ハリー」

 声を掛けられた。一瞬、億劫に感じたけど、ビルの言葉を思い出して顔を上げる。
 すると、ドラコは泣きそうな笑顔を浮かべた。

「なーに?」
「あっ、えっと、そうだ! 明日、一緒に競技場へ行かないかい? ロナルドの兄弟がクィディッチの訓練をつけてくれる事になったんだ!」
「……ロナルド? それって、ロンの事?」
「ああ、そうだよ!」

 驚いた。ドラコはロンの事をウィーズリーと呼んでいた筈。なのに、今は親しみの篭った声でロナルドと呼んだ。
 僕が俯いている間も時は一刻一刻を確りと刻んでいたみたい。変化は至る所で起きていた。
 僕だけが置いてかれていた。

「……ぼ、僕が行ってもいいの?」
「当たり前だ!」

 ドラコは何処か必死な様子で言った。

 翌日、目を覚ました途端、ドラコに肩を掴まれた。

「おはよう!」
「お、おはよう……。えっと、どうしたの?」

 単なる朝の挨拶で彼はまた泣きそうな笑顔を浮かべた。
 着替えたり、朝の準備を済ませると、腕を掴まれた。
 まるで、放っておいたら勝手に走り出す馬鹿なペットみたいな扱い。強引に手を引かれ、僕は大広間に連れて来られた。
 腕が痛い。

「おはよう、みんな」

 普通に挨拶しただけなのに、みんなが口をポカンと開けた。何事だろう。
 ドラコは隣でテンションが高い。まるで、執事のように椅子を引いて座るよう促してきた。
 その後も見た事がないくらい饒舌にロン達と話している。
 前は顔を合わせる度に口喧嘩を始めていた筈なのに、普通の友達みたいになってる。

「……どうしたの?」

 まるで警戒している猫のような態度でハーマイオニーに声を掛けられた。

「えっと、ドラコとロンって、あんな関係だったっけ?」
「アナタ、本当に上の空だったものね」

 呆れたように言いながら、ハーマイオニーは説明してくれた。

「ドラコはアナタを元気づける為に必死だったのよ。ロンに頭を下げるくらいね」
「ドラコが……」

 プライドの高いドラコが人に頭を下げた。それも、相手はロン。
 
「あの顔を見たら分かるでしょ? すごく嬉しそうじゃない。ロンはそんなドラコの姿勢に心を打たれたみたいね。気付いたら名前で呼び合ってたわ」
「そっか……」
「他人事みたいに思ってないでしょうね?」

 ジロリと睨まれた。

「思ってないよ。ただ、言葉が見つからないだけ」

 ビルの言っていた通りだ。僕は孤独じゃない。ここまで想ってくれる人がいる。

「それならいいわ」

 ハーマイオニーは表情を和らげた。

「あの二人の努力が無駄にならなくて良かった。もう、あんな状態に戻らないでよね?」
「う、うん」

 それから朝食を食べて、僕達は競技場に向かった。そこではフレッドとジョージが待っていた。

「おはよう、二人共」

 声を掛けた途端、二人はさっきのみんなと同じ反応をした。
 その硬直が解けると、今度は抱きついてきた。

「うおー、我らのハリーが戻って来た!」
「おい! もう大丈夫なんだな!? おい!」

 心配を掛けさせたみたいだ。二人は早速《どっちがフレッドでしょうかゲーム》を仕掛けてきた。
 正解すると、二人は大喜びだった。
 箒に跨がり、その日はずっとクィディッチの練習に明け暮れた。
 楽しい時間だった。

「……ドラコ、ありがとう」

 みんなと別れ、寮に戻る道すがらに言った。
 
「何の事かな? それより、戻ったら紅茶を淹れるよ。美味しく淹れられるようになったんだ。とびっきり美味しいお菓子もある」

 ドラコは僕の手を握った。引っ張られながら、僕は胸中でもう一度お礼を言った。
 ありがとう、ドラコ。僕はもう大丈夫だよ。
 魔王が傍にいないと寂しい。だけど、僕には友達がいる。前を向くための力を与えてくれる素敵な友達が……。

第三話『君想う声』

 ノルウェーの山奥に小さな廃村がある。十三年前、この場所で悲劇が起きた。五十六人の村人が一夜の内に死亡したのだ。
 恐怖を与える為、力を誇示する為、己の欲望を満たす為、悪の魔法使いによって滅ぼされた。
 この村の上空には彼らの怨念が渦巻いている。理不尽に命を奪われた者達の憎悪が強力な呪詛となり、この村を一級の危険地帯にしている。

「……眠れ」

 ハリーの下を去り、半年以上の月日が経つ。
 オリジナルの所在を探る旅を続けながら、魔王は嘗ての罪と向き合っていた。
 年月を経ても色褪せぬ深き憎悪の念を時間を掛けて解き放ち、廃村に火をつける。
 
「これで十二ヶ所目……」

 償いではない。償う事など出来る筈がない。
 故に、これは単なる後始末だ。
 まだ、廻らなければならない場所がたくさんある。
 それほどの絶望を世界に刻んだ。

「……これが俺様のしてきた事の結果か」

 理想を主張し、楽園に至る為に歩み続けた。
 今世を否定し、世界を変える為に戦い続けた。

「違う……」
 
 それは単なる思い込みだ。本当は理想など持っていなかった。革命など言い訳だ。

「ハリー……。俺様はこんなにも小さな男なのだ」

 物心付いた時、彼は親に捨てられた。
 拾われた先では異物として扱われた。嫌悪され、侮蔑され、畏怖された。
 化け物と呼ばれ、悪魔と呼ばれ、気持ち悪いと罵られた。
 存在そのモノが罪だった。生きている事が悪だった。誰も味方などいなかった。
 ダンブルドアも彼を警戒した。危険な存在だと監視した。ただの一度も信じなかった。

「……どこまでも、度し難い」

 虐げられた。だから、虐げる側に回った。
 ただ、それだけ……。

 第三話『君想う声』

 ロン・ウィーズリーは困惑した。
 |ハーマイオニーとジニー《ミーハーコンビ》による『|ギルレロイ・ロックハート《イカレポンチ》の|かっこよさ《どうでもいい》講座』からとんずらした先で遭遇したドラコ・マルフォイ。当然、いつものように口喧嘩になると思っていた。
 ところが、出会い頭に頭を下げられてしまった。

「……頼む、ウィーズリー。他に頼れるアテが思いつかない」

 口をポカンと開け、放心状態になるロン。
 いつもの二人を知っている周囲の生徒達はその様子に驚いている。

「頼む!」

 更に深く頭を下げるドラコ。
 漸く正気に戻ったロンは慌てて頭を上げさせた。

「た、頼むって、何をしろってんだ?」
「……友達を元気づける方法を知りたい」

 またしても口をポカンと開けたままロンは放心状態になった。

「おい、大丈夫か?」
「……お、おう」

 ドラコの声で正気に戻ったロンは周囲を見渡した。
 興味津々な野次馬達がいる。

「とりあえず、場所を変えない?」
「……あ、ああ」

 ドラコも周囲の状況に気付いた。ロンの提案に素直に頷き、二人で近くの空き教室に向かった。

「それで、友達を元気づける方法だったか?」
 
 テキトウな席に座りながらロンが問う。

「ああ、そうだ」

 ドラコの言葉にロンはハリーの顔を思い浮かべた。
 こいつが元気づけたいと思う相手なんてハリーしかいない。

「ハリーがどうかしたの?」
「……ハリーとは言ってない」
「でも、ハリーだろ?」

 羞恥で頬を染めながら俯くドラコ。
 出会った頃と比べると捻くれ方が随分と可愛くなったものだ。ロンはニヤニヤと笑みを浮かべた。

「その顔をやめろ」
「へっへー、やなこった!」
「このっ……、クソ」

 挑発してもノッてこないドラコにロンは彼の本気を感じ取った。

「……悪かった。真面目にやるよ」
「是非そうしてくれたまえ……」
「お前も変な捻くれ方すんなよ?」
「……善処する」

 ロンはドラコからハリーの現状を聞いた。どうやら、随分と沈んでいるらしい。
 何が原因なのかはドラコも知らないと言う。
 食欲が無く、話し掛けても反応が薄い。まるで、亡霊と接している気分になると言う。おまけに夜泣きをする事もあるらしい。

「……大分重症だな」
「ああ、そうなんだ」

 何があったらそうなるのか想像も出来ない。

「それで、何とかして元気づけたいと思ったわけか……」
「そうだ」
「うーん……」

 思った以上に深刻で、中々上手い言葉が出て来ない。
 黙っていると、ドラコは言った。

「……頼む。僕には分からないんだ。今まで、本当の意味で友達なんて一人もいなかった。元気のない友達に掛けてやる言葉すら知らないんだ」

 悔しそうに呟くドラコ。ロンは呆れたように溜息を零した。

「とりあえず……、深刻に構え過ぎだよ」
「なに……?」

 ロンの軽薄な物言いにドラコは眉を顰める。
 
「元気づけたいって言うなら、そのしみったれた顔を止めろ。ぶっちゃけ、今のお前に何を言われても余計落ち込むだけだよ」
「しみったれた顔……、だと?」

 顔を引き攣らせるドラコにロンは大きく頷いた。

「協力してやるよ」

 ロンは言った。

「僕もハリーとは友達だしね。それに兄貴達も喜んで力を貸してくれる筈さ」
「……別にお前達の力を借りたいわけじゃないぞ。ただ、知恵を貸して欲しいだけだ」

 ドラコの言葉にロンは馬鹿にしたような表情を浮かべた。

「バーカ! 一人で抱え込んでる時点で元気づけるも何も無いって話だよ」
「……どうする気だ?」
「笑わせてやろうぜ」
「笑わせる……?」
 
 不可解そうに首を傾げるドラコ。
 ロンは言った。

「いいから、僕に任せとけって!」

 自信満々なロン。ドラコは少し不安に感じながら頷いた。

「……頼む」
「おう!」

第二話『消失』

 何故だ……。
 あの姿は間違いなく闇の帝王だった。
 どうして、ハリー・ポッターと闇の帝王が共にいる!?
 わからない。前後の記憶が曖昧だ。ここが何処かも、今が|何時《いつ》なのかも、何も分からない。
 だが、あの少女……いや、少年がハリー・ポッターである事は知っている。

『……簡単な話だ。ハリー・ポッターは闇の帝王と手を組んだ』

 今の声はなんだ……?
 いや、声など聞こえない。今のは私の思考だ。
 そうだ。ハリー・ポッターは闇の帝王と手を組んだ。
 
『これは由々しき事態だ。そうだろう?』

 そうだ。これは由々しき事態だ。

 第二話『消失』

「どういう事ですか!?」

 アルバス・ダンブルドアは掴み掛かって来た男を冷たく見据える。

「はて、どういう事とは?」
「惚けるつもりか!!」

 男が拳が振り上げられる。だが、その手を後ろに立つ別の男によって止められた。

「止さぬか、ウィリアム」

 止めておきながら、止めている方の男も表情に怒りを滲ませている。

「……聞かせて頂けるのでしょうな? 何故、ハリー・ポッターを敵の本拠地に差し向けたのですか?」
「ハリーが志願した。それに、適任だった」
「適任……? 十二歳の子供が適任だと……?」

 声を震わせながら、強張る体を抑え、セブルス・スネイプはダンブルドアを睨みつける。

「相手はあの闇の帝王だ!! 何故、我輩やウィリアムではなく、あの子を送り込んだ!?」
「ハリーには魔王がついておる。今のアレが牙を剥けば、敵う者などおらん。どれだけ数を揃えても無駄じゃろう。例え、それがあの者自身の分身であろうとな」
「だからと言って……、ハリーまで行かせる必要は無かった筈だ!!」

 ウィリアムの怒声にダンブルドアは首を振った。

「魔王を動かせる者はこの世で一人じゃ。ハリーが行かねば、アレは動かぬ」
「だから……、行かせたと言うのか!?」

 ウィリアムは杖をダンブルドアの胸元に突きつけた。

「何処だ……」

 憎悪と憤怒によって高ぶる心を必死に宥めながら、絞り出すように問う。

「ヤツの根城は何処だ!?」
「それを聞いてどうする?」
「決まっている!! ハリー|一人《ひとり》に行かせられるものか!!」

 ダンブルドアは言った。

「お主等を行かせるわけにはいかん」
「なんだと!? ハリーを行かせておいて、どうして僕を行かせない!!」

 激昂するウィリアム。その肩を誰かに掴まれた。

「止めないでくれ、スネイプ先生!!」

 振り向くと、そこには予想を裏切る人物が立っていた。

「落ち着け、ウィリアム」
「……ま、魔王!?」

 そこに立っていたのは敵の本拠地に乗り込んだ筈の魔王だった。

「ハリーは無事なのか!?」

 掴み掛かるウィリアムを鬱陶しそうに引き剥がし、魔王は頷いた。

「無論だ。今はメゾン・ド・ノエルで体を休めている」
「そっ、そうか……」

 ウィリアムはホッと安堵の溜息を零した。

「と、とにかく無事で良かった」
「顔を見に行くなら朝にしろ。さすがに疲れている筈だからな」
「ああ……」

 魔王はウィリアムから視線を外し、ダンブルドアに顔を向けた。

「終わったぞ」
「見事じゃ」

 魔王は肩を竦めて見せた。

「それにしても、随分とハリーから離れられるようになったようじゃな」
「日記の分霊も取り込んでやったからな」
「そうか」

 ダンブルドアは目を細めた。

「……残るはオリジナルじゃな」
「その前に残る分霊箱だ。やはり、万全を期す為にはヘルガ・ハッフルパフのカップとサラザール・スリザリンのロケットペンダントを確保しなければならん」
「確か、カップはベラトリックス・レストレンジに預け、ロケットは……」
「海辺の洞窟に隠した。だが、レギュラス・ブラックによって何処かへ移された」
「レギュラス・ブラックか……」

 暫くの沈黙の後、魔王が口を開いた。

「やはり、ブラック家の屋敷にある可能性が高い。だが、守り人は牢獄の中だ……」
「ワームテールを引き渡して貰えれば話は簡単に済むのだがのう」
「馬鹿を言うな。ハリーが許す筈がない」
「相手は後見人じゃ」
「ならば、自分で提案してみろ。見た事も無い後見人の為にワームテールを捨てろと」

 ダンブルドアは溜息を零した。

「そうなると時間が掛かる。無実という前提があっても、なにしろ十二年も前の話じゃ。証拠も揃っておる……」
「その辺りは貴様に任せる」

 魔王は踵を返した。

「……ハリーの下へ帰るのかね?」
 
 魔王は首を横に振った。

「オリジナルを追う」
「ま、魔王!?」

 魔王の言葉にウィリアムが目を見開いた。
 その彼に魔王は言った。

「明日、ハリーを迎えに行ってやってくれ。任せるぞ」
「待ってくれ、魔王!」

 慌てて追い掛けるが、魔王の姿は霞の如く掻き消えた。

「魔王……」

 その翌日、ウィリアムがハリーを迎えに行くと、ハリーは泣きじゃくっていた。

「魔王がいない……。魔王がいない……」

 同じ言葉を繰り返し、小さく体を丸めるハリー。
 その翌日も、その翌日も、月日が流れ、季節が変わっても、魔王は帰って来なかった。