第四話『歩くような速さで』

 魔王が帰って来ない。いつも胸の中に感じていた彼の存在を感じる事が出来ない。
 喪失感、孤独感、そんな言葉では追いつかないほどの絶望。
 朝と夜の区別をつける事も出来ない。気付けば時間が飛んでいる。ついさっきまで雪が降っていた気がするのに、顔をあげれば満開の花が咲いている。
 
「ハリー」

 声を掛けられた。いつも一緒にいる人。だけど、顔をあげる気も起きない。
 思考が淀んでいる。理性的な判断が出来ない。

「ハリー!」

 おかしい。さっきの声と違う。場所も違う。廊下に居た筈なのに、外にいる。
 
「どっちがフレッドでしょうかゲーム!」

 明るい声。覚えている。だけど……、どうでもいい。
 
「ハリー!」

 また、違う声。

「ハリー!」
 
 今度は女の子。

「ハリー」

 ……知ってる声。顎を持ち上げられた。ウィリアムの顔は相変わらずハンサムだ。

「ビル……?」

 心配そうな顔。呆然と見つめていると、彼は言った。

「寂しい気持ちは分かる。だけど、今のままではいけないよ」
「……どういう意味?」

 話の流れがさっぱり分からない。そもそも、会話をしていた事自体に今気付いた。
 
「いつも俯いてる。ロンが言ってたよ。君はどんなに話し掛けても空返事ばっかりだって」
「ロンが……?」
「今の君を見たら、魔王も悲しむよ」

 顔がくしゃくしゃになる。

「……だって、魔王がいないんだ」

 魔王が傍に居なければ、こんな世界に何の価値もない。
 色を失ったキャンバスのようだ。何も感じ取る事が出来ない。
 なにもかもがつまらない。

「それでも、君は顔を上げなければいけない。魔王は君が前向きに生きる事を望んでいた。その事を誰よりも分かっている筈だろ?」
「……だって」

 涙が溢れる。その涙をビルが拭う。

「ハリー。君にとって、魔王が特別な存在である事は知ってる。だから、寂しいと思う気持ちも分かる。だけど、君は孤独じゃない」

 抱き締められた。温かくて、力強い。

「僕がいる。それに、ドラコがいる。他にも、君を想う者がたくさんいる。みんなの声を聞いてほしい」
「ビル……」
「君は一人じゃない。その事をどうか知って欲しい」
 
 僕は掠れた声で答えた。

「……うん」

 第四話『歩くような速さで』

「ハリー」

 声を掛けられた。一瞬、億劫に感じたけど、ビルの言葉を思い出して顔を上げる。
 すると、ドラコは泣きそうな笑顔を浮かべた。

「なーに?」
「あっ、えっと、そうだ! 明日、一緒に競技場へ行かないかい? ロナルドの兄弟がクィディッチの訓練をつけてくれる事になったんだ!」
「……ロナルド? それって、ロンの事?」
「ああ、そうだよ!」

 驚いた。ドラコはロンの事をウィーズリーと呼んでいた筈。なのに、今は親しみの篭った声でロナルドと呼んだ。
 僕が俯いている間も時は一刻一刻を確りと刻んでいたみたい。変化は至る所で起きていた。
 僕だけが置いてかれていた。

「……ぼ、僕が行ってもいいの?」
「当たり前だ!」

 ドラコは何処か必死な様子で言った。

 翌日、目を覚ました途端、ドラコに肩を掴まれた。

「おはよう!」
「お、おはよう……。えっと、どうしたの?」

 単なる朝の挨拶で彼はまた泣きそうな笑顔を浮かべた。
 着替えたり、朝の準備を済ませると、腕を掴まれた。
 まるで、放っておいたら勝手に走り出す馬鹿なペットみたいな扱い。強引に手を引かれ、僕は大広間に連れて来られた。
 腕が痛い。

「おはよう、みんな」

 普通に挨拶しただけなのに、みんなが口をポカンと開けた。何事だろう。
 ドラコは隣でテンションが高い。まるで、執事のように椅子を引いて座るよう促してきた。
 その後も見た事がないくらい饒舌にロン達と話している。
 前は顔を合わせる度に口喧嘩を始めていた筈なのに、普通の友達みたいになってる。

「……どうしたの?」

 まるで警戒している猫のような態度でハーマイオニーに声を掛けられた。

「えっと、ドラコとロンって、あんな関係だったっけ?」
「アナタ、本当に上の空だったものね」

 呆れたように言いながら、ハーマイオニーは説明してくれた。

「ドラコはアナタを元気づける為に必死だったのよ。ロンに頭を下げるくらいね」
「ドラコが……」

 プライドの高いドラコが人に頭を下げた。それも、相手はロン。
 
「あの顔を見たら分かるでしょ? すごく嬉しそうじゃない。ロンはそんなドラコの姿勢に心を打たれたみたいね。気付いたら名前で呼び合ってたわ」
「そっか……」
「他人事みたいに思ってないでしょうね?」

 ジロリと睨まれた。

「思ってないよ。ただ、言葉が見つからないだけ」

 ビルの言っていた通りだ。僕は孤独じゃない。ここまで想ってくれる人がいる。

「それならいいわ」

 ハーマイオニーは表情を和らげた。

「あの二人の努力が無駄にならなくて良かった。もう、あんな状態に戻らないでよね?」
「う、うん」

 それから朝食を食べて、僕達は競技場に向かった。そこではフレッドとジョージが待っていた。

「おはよう、二人共」

 声を掛けた途端、二人はさっきのみんなと同じ反応をした。
 その硬直が解けると、今度は抱きついてきた。

「うおー、我らのハリーが戻って来た!」
「おい! もう大丈夫なんだな!? おい!」

 心配を掛けさせたみたいだ。二人は早速《どっちがフレッドでしょうかゲーム》を仕掛けてきた。
 正解すると、二人は大喜びだった。
 箒に跨がり、その日はずっとクィディッチの練習に明け暮れた。
 楽しい時間だった。

「……ドラコ、ありがとう」

 みんなと別れ、寮に戻る道すがらに言った。
 
「何の事かな? それより、戻ったら紅茶を淹れるよ。美味しく淹れられるようになったんだ。とびっきり美味しいお菓子もある」

 ドラコは僕の手を握った。引っ張られながら、僕は胸中でもう一度お礼を言った。
 ありがとう、ドラコ。僕はもう大丈夫だよ。
 魔王が傍にいないと寂しい。だけど、僕には友達がいる。前を向くための力を与えてくれる素敵な友達が……。

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