第十話『本物と偽物』

 窓の外に目を向けると、雪が降り始めていた。

『……ここだ』
 
 時刻は深夜2時。魔王に言われて、僕は八階に来ていた。
 岩壁の前を三往復する。すると、扉が現れた。

『ここは《必要の部屋》と呼ばれている』

 中に入ると、そこには物が溢れていた。それらは何世紀にも渡り、溜め込まれた生徒達の秘密。
 必要の部屋は来訪者の望む形に変化する魔法の部屋だ。僕は前を通りながら《物を隠したい》と念じていた。
 所狭しと並んでいる隠し物の数々を見ながら歩く。しばらくすると、黒ずんだ古めかしい髪飾りがあった。

「よし、少し待っていろ」
 
 魔王は実体化すると、髪飾りを手に取った。すると、髪飾りから黒が抜けていく。黒はそのまま魔王の中に吸い込まれていき、髪飾りは黄金に輝き始めた。

「それも分霊箱だったの?」
「そうだ。ホグワーツ魔法魔術学校の創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りだ」

 魔王は僕の頭に髪飾りを乗せた。すると、急に頭の中がスッキリとした。どういう事なのか、魔王に聞く前に答えに辿り着けた。
 この髪飾りの力は知力を高めるものだ。だからこそ、僕の頭はとても澄み切っている。

「……あまり似合わないな」

 魔王は髪飾りを取り上げた。

「魔王?」
「まあ、中々に便利な魔具だ。困った時に役立つだろう」

 そう言って、僕の首に手を添える。透明な紐を手繰り、小さな袋を手に取る。
 そこには蘇りの石や僕が作った魔具が入っている。この袋自体、魔王に言われて僕が作ったものだ。
 魔王はそこに髪飾りを入れた。

「……これで二つ。漸く、マシになったな。貴様と離れても、ある程度は行動可能になった」
「え!?」
 
 魔王の言葉に僕は不安を抱いた。魔王が窮屈な思いをしている事は分かっている。だけど、いつも心の中に居てくれる魔王が居なくなったら……。

「落ち着け」

 魔王は呆れたように言った。

「あくまで、マシになっただけだ。一日か二日が限度だろう。それに、あくまで起点は貴様だ。離れようと思っても離れられん」
「ご、ごめん……」

 謝りながら、頬が緩んだ。喜んではいけない事なのかもしれないけど……。

「明日、貴様は小僧の家に向かう予定だったな?」
「う、うん」
「その日、一日だけ貴様から離れる」
「……どうして?」

 抑え切れず、声に不満の色が滲んでしまった。

「……そう睨むな。片付けておかねばならない仕事があるだけだ。明後日には貴様の下へ戻る」
「本当に? 絶対?」
「本当だ。絶対だ。なんだ、俺様が信用ならないか?」

 とっても意地悪な物言いだ。僕は魔王の胸を叩いた。

「……忘れるな。その身もその心も全て俺様のものだ。こう見えて、独占欲は人一倍強い。手放す気など無い」

 嬉しい。その言葉を聞いて、漸く安堵した。

「さて、戻るぞ。明日は朝一番に出発するのだろう?」
「うん……」

 第十話『本物と偽物』

 クリスマスの前日、ハリーはドラコと共に暖炉の中へ消えた。
 ハリーを見送った後、魔王は校長室を訪れた。

「手紙は受け取ったな?」
「この通り」

 ダンブルドアは一通の手紙を持ち上げる。それは魔王が用意したものだ。

「……まさか、乗るとは思わなかったな」
「提案して来たのはお主じゃろう……」

 呆れた様子のダンブルドアに魔王は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「賢者の石は貴様の手の中か?」
「いや、フラメル夫妻と相談して破壊した」

 魔王は一瞬瞠目した後、鼻を鳴らした。

「……賢明な判断だ」
「ある程度、命の水はストックしてある」
「そうか」

 命の水に興味を示さない魔王にダンブルドアは微笑む。

「欲しがると思ったのだがのう」
「必要ないからな」
「そうか……」

 どうでもいい。魔王が心からそう思っている事を悟り、ダンブルドアは一層笑みを深めた。

「それより、魔法省はどうなっている?」
「騒いでおるが、口も手も出させんよ」
「……ハグリッドはどうなった?」
「ほう、お前さんがハグリッドの心配をするとはのう」

 魔王はうんざりしたような表情を浮かべる。

「二度目だからな……」
「今は緑豊かな場所で心を癒しておる。よもや、ハリーに糾弾されるとは思っていなかったようだからな」
「そうか……。まあ、今はヤツの事などどうでもいい」

 魔王は踵を返した。

「今夜中に決着をつけるとしよう。これ以上は目に余る」
「……ふむ、ちょっかいでも掛けてきたのかね?」

 魔王は舌を打った。

「あまりにも見苦しい。これほど近くに居ながら、俺様に気付く事さえ出来ないとは……。他者に寄生し、生き永らえる姿は我が事ながら見るに耐えん。俺様自らの手で引導を渡してやる」

 そのまま、魔王は校長室を後にした。

 ◇

 その夜、ダンブルドアは魔法省から緊急の呼び出しを受けたとしてホグワーツを発った。
 魔王はホグワーツの地下深くで待ち人を待つ。
 そして、それは現れた。

「……これは」

 数々の罠を潜り抜けた結果だろう。その男の服は所々が焼け焦げ、破れていた。
 怪我も負っているだろうに、その顔に苦痛の色は無く、ひたすら熱心に広場中央の鏡を見つめている。

「これは……、どうすれば」

 困り果てた様子だ。《みぞの鏡》と呼ばれる魔具は映す者の欲望を投影する。
 実によく考え込まれている。あれこそ、ここに安置されていた筈の宝物を守る最後の試練。
 手に入れる事を望む者は宝物を手に入れる事が出来る。だが、手に入れた後の事を考える欲深き者には手に入らないようになっている。

「……見るに耐えない醜態だな」

 魔王は男に杖を向けた。吹き飛び、壁に叩きつけられながら、男は突然の事に呆然としている。

『貴様は……、どういう事だ!?』

 男は口を開いていない。にも関わらず、どこからともなくザラザラとした声が響く。
 耳障りだ。魔王は表情を歪めた。

「何というザマだ」

 魔王は男の頭に乗っているターバンを吹き飛ばした。
 そこには髪ではなく、顔が生えていた。

「ご、御主人様!?」

 男は悲鳴を上げた。名はクィリナス・クィレル。ホグワーツで《闇の魔術に対する防衛術》を教えている教師だ。
 その後頭部に宿る顔は嘗て《闇の帝王》と呼ばれた男の残骸。
 ヴォルデモート卿は驚愕に顔を歪めている。

『貴様は俺様だな! その姿はなんだ!? 何故、俺様に杖を向けている!』

 喚き立てるヴォルデモートに魔王は舌を打つ。

「ハリーを連れて来なかった事は正解だったな。このような姿、とてもではないが見せられん」
『ハリー……、ハリーだと!? 貴様は……、まさか!』

 魔王は拍手を送った。

「安心したぞ。そこまでは耄碌していなかったか」
『……ハリー・ポッター。まさか、ヤツに屈したというのか! 我が分霊たる貴様が!』
「屈した……? 違うな。俺様が支配したのだ」
『支配……? ならば、何故、俺様の前に立つ? 貴様が我が分霊ならば、我が復活を助けろ!』
 
 その言葉に魔王は嗤った。腹を抱え、今世紀最大のジョークを聞いたように。

「手助け? 手助けと言ったか? 何故、俺様が貴様のようなチンケな絞りカスに力を貸してやらねばならんのだ?」
『なんだと!? 俺様が本体だぞ! 貴様は俺様無しでは存在し得ない。俺様が消えれば、貴様も消えるのだぞ!』

 魔王はその言葉を聞いて肩を竦めた。

「分かっているとも。だが、それがどうした? 俺様が貴様を消さない理由にはならないだろう?」

 魔王は一歩ヴォルデモート卿に向かって近づく。

『馬鹿な……。何を考えている!? 貴様、本当にハリー・ポッターに――――』
「貴様は邪魔なのだ。既にヤツの人生は回り始めている。油を差したギアのように快調に……。必要な物は揃えた。後は貴様という存在が消えれば、それで全てが上手くいく」

 近づいてくる魔王にヴォルデモートは怒号を上げる。

『ふざけるな!! クィレル!! ヤツを消せ!!』

 ヴォルデモート卿の声に反応し、クィレルは杖を振る。だが、魔王は立ち止まる事すらせず、発射された死の呪文を紙一重で避けた。

『なんだと!?』
「……死の呪文? そんなチャチな魔法で俺様を止める気か? 笑わせるなよ。貴様も俺様ならば、もう少し足掻いて見せろ!」
『クィレル!!』

 クィレルは呪文を連発する。だが、その尽くが当たらない。派手に動き回るわけでもないのに、掠りもしないとはあまりに異常だ。

『貴様……ッ!』
「ご、御主人様!! 私はどうすれば!?」

 見苦しく狼狽える主従に魔王はうんざりした表情を浮かべた。

「消え失せろ。分霊箱で繋ぎ止めていようと、悪霊の火は繋がりごと焼き尽くすぞ」

 魔王はハリーの物ではない、別の杖を振り上げた。すると、その先から無数の獣を象る業火が溢れ出した。

『なんだ……、この火は!? まさか、その杖は!!』
「御名答。最強の杖で焼かれるのだ。これはこれで、悪くない最期だとは思わないか?」

 霊廟の如き空間が業火に取り囲まれる。ただの炎ではない。それは無限の呪詛。地獄から生み出された暗黒。怨霊達の怨嗟。
 分霊箱さえ破壊する破壊の炎が魔王とクィレルを呑み込もうと蠢く。
 逃れる事など出来ない。

「……ハリー。達者で生きろ。今の貴様なら……」

 魔王の呟きが炎の中へ消えていく。

『ふざけるな!! こんな終わり方など認めてなるものか!! 愚か者め、消えるのは貴様だけだ!!』
 
 その瞬間、クィレルの体が動いた。

「なっ、何をなさるのですか、御主人様!?」

 杖がクィレルの胸に突き立ち、緑の閃光が走る。

『フハハハハハッ!! 霊体ならばホグワーツの壁すら通り抜ける事が出来る!! 最後の最後で詰めが甘かったな!!』
「なっ、貴様!!」

 魔王が杖を向けるが、その前にヴォルデモート卿の魂は地面をすり抜けて行った。

「……馬鹿な」

 炎が近づいてくる。もはや、残された時間は数秒にも満たない。
 実体化を完璧に仕上げ過ぎた。ヤツのように壁をすり抜ける事が魔王には出来なかった。

「ハリー……」

 取り逃がしてしまった。今、己が消えれば、ヤツの牙がハリーを襲う。

「……お、おのれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 そして、炎が視界を埋め尽くした。

 ……鳥のようなものと目が合った。

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