第六話『邪悪』

 第六話『邪悪』

 僕は真の悪意というものを知らなかった。僅か一月の間に作り上げられた地下の聖堂。その中央で男は人間を壊している。
 感情を司る部位を脳から切除して、代わりに呪いを注ぎ込む。
 瞳から光を失った男女の数は三十七人。
 
「老いとは恐ろしいものだね」

 男は言った。

「ヴォルデモート卿は先人と同じ過ちを犯した。何故かな?」
「……知るもんか」

 吐き捨てるように言うと、男は笑った。

「孤独を怖れたからだよ」
「孤独を……?」
「そうさ。闇の帝王とまで謳われた男が、実際は孤独に怯える憐れな老人だったのさ。だからこそ、彼が肉体を失った時、裏切り者が続出した。忠誠心なんてあやふやなものを信じたからこそ、彼は今も醜い姿で彷徨い続けている」

 男は壊したばかりの男を床に転がし、近くのテーブルに乗っているチェス盤からキングを持ち上げた。

「人間は弱い。ちょっとの事で心が揺れる。決意が鈍る。意思が砕ける。愛、友情、忠誠、敬意……敵意でさえ、簡単にブレてしまう。そんなものを信じるから失敗するんだ。仲間だとか、配下だとか、実にバカバカしい。キングになってどうする。なるなら、指し手になるべきだ」

 キングの駒を僕に向かって放り投げる。キャッチすると、男は微笑んだ。

「キングもポーンも総じて駒さ」
「……僕も駒なら壊したらどうだ?」

 睨みつけると、男は吹き出した。

「アッハッハッハ! プルプルと震えながら何を言っているんだい? 学生である君にそんな酷い真似が出来るわけないじゃないか」

 心にもない事を言う。この男は既にマグルの少年少女を何人も壊している。その内の数人は壊し方を確かめる為の生贄だった。
 
「君には重要な仕事がある。壊れた人形には到底出来ない、アルバス・ダンブルドアを消し去る上でとても重要な仕事が」
「……僕に何をさせるつもりなんだ?」
「難しい事は何もないよ。君はただ、普通に生活しているだけでいい。それだけでダンブルドアや魔王の目は君に向かう」

 僕が意図を掴めずにいると、男は言った。

「実を言うとね。僕の存在自体はダンブルドアや魔王にバレてるんだよ。恐らく、こうして動いている事も把握している筈だ」
「なっ、何を言って……」
「詳細な事までは掴めていない筈だけど、動いている事自体は確実に知っている。知っていて尚、彼らは動かない。いや、動けないんだ」
「どういう事だよ……」

 あのアルバス・ダンブルドアがこの|人非人《ニンピニン》を知っていて放置するなんてあり得ない。

「理由は幾つか在る。一つはボクがボクである事。ボクと表立って戦うとなると被害はより大きなものになる。あの偽善者がそれを善しとすると思うかい? それに、ボクと戦うのなら相応の準備が必要になる。その為には膨大な時間が必要だ。他にも、僕の本体が分霊箱であり、その所在が不明である事も大きな要因だね。本体を叩かない限り、ボクを完全に滅ぼす事は出来ない。だからこそ、彼らは機を伺わなければいけない」
「だ、だからって……」
「ドラコ。君は一つ大きな勘違いをしているね」
「勘違い……?」
「ダンブルドアは完全無欠の|救世主《メシア》じゃないんだよ? ただ、より多くの人間に救いを与えるだけの|正義の味方《ヒーロー》さ。その為なら少数の犠牲を容認する」
「何を言って……」
「だからこそ、彼は強いんだ。切り捨てる事が出来るから勝つ」
「……じゃあ、ここにいるみんなはダンブルドアにとって」
「必要な犠牲だよ。容認する事で助け出す為の時間を省き、対抗策を打ち出す為の時間を稼ぐ為の」

 ヴォルデモート卿は笑った。

「残念でした! ここにいる全員、ダンブルドアに見捨てられちゃったんだ!」

 動悸が激しい。絶望の端まで押し出されたように恐ろしい気持ちだ。
 僅かに抱いていた希望。アルバス・ダンブルドアによって助けだされる可能性が潰えた。
 歯をガチガチと鳴らしながら、僕は後退った。すると、ヴォルデモート卿はスッと僕に歩み寄り、肩を抱いた。

「恐れる必要はない。君が仕事を完璧にやり遂げてくれれば、君は全てを手に入れる事が出来る。父と母を僕の支配から解き放ち、大切な友を守る事が出来る。地位も名誉も財産も思いのままに出来る。……だけど」

 ヴォルデモート卿は悲観の表情を浮かべる。

「もしも、君が失敗したら……。もしも、君が裏切ったら……。その時、君は全てを失う事になる」

 まるで憐れむように僕を見つめる。

「忘れてはいけないよ、ドラコ。君は両親と《破れぬ誓い》を行った。君が裏切れば、両親と共に君は死ぬ。その後、ボクは君の友にも牙を剥かねばならなくなる。ハリー・ポッターを生かしておく事が出来なくなる」

 嘆くような仕草。その一つ一つが憎しみと怒りを煽る。

「信頼しているよ、ドラコ。君は余計な事を何も言わず、ただ生活していればいい。友達と青春を謳歌するだけでいいんだ。なんならお小遣いをあげよう。なんなら、女も用意してやろうか? 壊れてうんともすんとも言わない人形で満足出来ればだけど」
「……ヴォルデモート、貴様ッ!!」

 この男にとって、僕はゴミのような存在だ。だから、どんな感情を向けても笑みを崩さない。
 それが堪らなく悔しい。

「がんばれがんばれ! 君のがんばりで助けられる人がいるんだ!」

 ヴォルデモート卿は僕の胸に杖を突き立てた。

「君には監視を付ける。《破れぬ誓い》を破らなくても、僕の信頼を裏切るような真似をしたら、その度に君の両親を刻んでいこう。最初は腕一本にしておいてあげるよ。だけど、その次は眼球だ。その次は……さて、どこがいい?」
「やっ、やめろ!! 両親にこれ以上手を出すな!! ……頼む」

 頭を下げる僕にヴォルデモート卿は言った。

「もちろんだよ。君ががんばってくれればね」

 僕に拒否権などない。 
 父上……。母上……。ハリー……。
 僕は……。

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