第四話『危機』

 第四話『危機』

 杖店の店主は僕を見た途端に飛び上がった。

「もしや、エバンズ家の子かい?」
「エバンズ……?」
「違うのかね?」
「は、はい……」

 店主はまじまじと僕の顔を見つめる。

「……しかし、似ている。まるで、生き写しではないか」
「えっと……」
「おっと、失礼。お客様に対して、とんだ御無礼を……」

 僕が戸惑っている事に気付くと、店主は丁寧に謝った。だけど、その視線は未だに僕の顔に縫い止められている。

「い、いえ、大丈夫です。……そんなに似てたんですか?」
「ええ、それはもう! その艶やかな赤毛。理知的な緑の瞳。彼女の親類縁者ではないとすると、これは驚きじゃ」
「その人の名前は……?」
「リリー。リリー・エバンズじゃよ。聞き覚えはありますかな?」
「……いえ、初めて聞きました」

 僕と似ている女性。エバンズという姓にも、りりーという名前にも心当りがないけど、不思議と胸がざわついた。
 その人の事を知りたいと思った。

『……ハリー・ポッターである事は黙っておけよ。貴様は家出中なのだからな』

 魔王が言った。僕は心の中で頷きながら、店主に問い掛けた。

「あの、どんな人だったんですか?」
「慈愛と知性に溢れた美しい女性じゃった。ああ、今でも彼女が杖を買いに来た日の事を覚えておる。振りやすい柳の杖が彼女を選んだ。夫のジェームズ・ポッターも実に気持ちのよい性格の男だった。あの二人が遺した子がいつの日かこの店に来る時をワシは楽しみにしておるのです」

 ジェームズ・ポッター。その名を聞いた瞬間、僕は驚きのあまり呼吸が出来なくなった。僕の今の容姿と瓜二つな女性と結婚したポッターの姓を持つ男。
 僕は声を震わせながら問い掛けた。

「そ、その子の名前は……?」
「ハリー・ポッター」

 心臓が止まりかけた。リリーとジェームズ。二人は僕の両親だ。
 
「……おっと、いけませんね。ついつい無駄話をしてしまった。年を取るとどうにも……、いやはや」
「あ、あの!」
『止せ』

 魔王が言った。

『二人の事が知りたいのなら、俺様が後で聞かせてやる。あまりしつこく聞いて、正体がバレたらどうする』
「うっ……」
「どうしました?」
「い、いえ、なんでもありません」

 聞きたい。僕の両親の事をどうしても知りたい。だけど、魔王が駄目と言った。後で聞かせてくれるとも言った。
 僕は必死に我慢した。正体がバレてはいけない。やっと、あの家から抜け出す事が出来たのに、また逆戻りする事になるなんて絶対に嫌だ。
 魔王は僕に優しくしてくれた。殴られたり、悪口を言われたり、食事を抜かれたりしなくても良い場所に連れて来てくれた。

「どうしました?」

 店主は心配そうに僕を見つめている。

「だ、大丈夫です。それより、杖を……」
「おお、そうでしたな。必ずやアナタにピッタリの杖を見つけてみせましょう。杖腕はどちらですかな?」
『右だ』

 杖腕というのが何を意味しているのか分からなかったけど、魔王に言われた通りに言うと店主は満足そうに微笑んで店の奥へ引っ込んだ。
 しばらくして、何本かの杖を持って来た。どれも10インチ前後。一本ずつ持たされて、振ってみるように言われた。
 一本目は棚を吹き飛ばした。二本目はランプを割った。三本目がテーブルをひっくり返した所で申し訳なくなり謝り倒した。

「いえいえ気にしなさんな。しかし、これは実に難しい。ふーむ……」

 店主は奥へ行き、一本の杖を運んで来た。

「……もしかしたら」

 渡された杖は驚くほど手に馴染んだ。一振りすると、暖かい風が店内を満たした。
 店主は目を見開いている。

「……お聞きしておりませんでしたな」
「え?」
「お名前を伺っても?」
「ぼ、僕は……」
『ノエル・ミラーと名乗れ』
「ノ、ノエルです。ノエル・ミラー」
「……ふむ、ノエル・ミラーさんですか」

 訝しむような眼差し。

「あ、あの、代金はこれで!」

 杖の代金を渡し、慌てて店を出た。

『……まずいな。やはり、オリバンダーには注意すべきだった。仕方がない。ノクターン横丁に向かえ』
「う、うん」

 人にぶつかりそうになりながら駆け足でノクターン横丁の入り口に向かう。

「こらこら、そっちに行っちゃ駄目だよ」

 後一歩の所で腕を掴まれた。振り返ると、そこに立っていたのは長身の男性だった。
 今の僕の髪より少し薄めの赤髪。一言で言うとかっこいいお兄さんだった。

「僕、そっちに用があって……」
「駄目だよ。そっちは危ない。お父さんやお母さんはどこ?」
「い、居ません……」
「居ないだって? そんな……、これは」

 お兄さんは不可解そうな表情を浮かべると、僕の手を見た。
 手から腕に掛けて視線を動かすと、表情がみるみる内に強張っていく。

「この怪我は……、誰にやられたの?」

 硬い声。爆発しそうな激情を必死に抑えている。

「こ、転んだだけです」

 僕はいつも通りに答えた。ペチュニアおばさんから、誰かに体の傷の事を聞かれたら、こう答えるように命じられている。
 だけど、僕の答えにお兄さんは満足しなかった。それどころか、怒りが滲んでいる。

「お父さんとお母さんは本当にいないの?」
「……は、はい。随分前にその……、事故で亡くなって」
「なら、君はどこに住んでいるの?」
『……面倒な事になった。この男はウィーズリー家の者だな』

 僕が答えに窮していると、魔王が言った。
 
『杖でその男を突いてやれ。手が離れたら走れ』
 
 僕は言われた通りに行動した。杖でつつくと、バチッという音がした。

「イタッ」
「あ、ごめんなさい」
『いいから走れ!!』
「う、うん!」

 手が離れた隙にノクターン横丁に飛び込んだ。

「ま、待つんだ!!」

 驚いた事にお兄さんはノクターン横丁の中まで追い掛けて来た。すごく脚が早い。

『その角を左に曲がれ!』
「待つんだ!! せめて、怪我の治療をさせてくれ!!」
「ご、ごめんなさい! 僕、行けない!」
『喋るな! ヤツを撒くぞ!』

 迷路のような立地を縦横無尽に走り続ける。気付けば声が遠くなっていた。

『お、おい、どうした!?』

 魔王が慌てた声を上げている。だけど、僕は返事をする事が出来なかった。
 声じゃない。遠のいていくのは僕の意識の方だ。
 そう言えば、一昨日から何も食べてない。空腹なんて慣れ親しんだものだけど、歩き回ったりして疲れていたせいだろう。
 そう他人事のように考えながら、僕は意識を失った。

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