第五話『ウィリアム・ウィーズリー』

 ハリー・ポッターの行方がわからなくなった。ハリー・ポッターの監視をしていたアラベラ・ドーリーン・フィッグからの手紙を受け取ったアルバス・ダンブルドアはすぐさま信頼の置ける魔法使い達に連絡を取った。
 直ぐに見つかる筈だ。ハリーは今年で七歳。ダーズリー夫婦がハリーに金を持たせるとも思えない。子供の脚で行ける場所など高が知れている。そう考えていた。
 ところが、一晩経ってもハリーを見つける事が出来なかった。

「……ハリー。どこへ行ったんじゃ」

 ハリーの失踪が魔法省に知られれば騒ぎになる。そうなれば碌でもない事になるのが目に見えている。
 闇の帝王を滅ぼした赤ん坊。ハリー・ポッターの存在は魔法界にとって特別だ。手元に置こうと考える者も多い。だからこそ、ダーズリー家の周囲に自分を含め、フィッグ以外の魔法族が近づけないようにした。
 加えて、闇の帝王のシンパが未だにハリーの命を付け狙っている。ダーズリー家に居る限り、リリー・エバンズの遺した加護が彼を守ってくれる筈だったが……。

「校長。やはり、どこにも……」

 捜索に向かわせたセブルス・スネイプの報告も芳しくない。
 
「痕跡はどこまで辿れた?」
「ロンドン市内で途切れました」
「……それはおかしいのう」

 マグルの警察とは違うのだ。専門家の呪文による追跡を杖すら持っていない子供が振り切る事などあり得ない。
 何者かの誘拐。それも古の加護を破る程の魔法使いによる犯行。

「……校長。もはや、なりふり構っている場合では無いのでは?」

 セブルスの表情にも焦りが滲んでいる。
 
「そうじゃな……」

 既に一晩が経過した。もし、犯人にハリー殺害の意図があった場合は既に殺されてしまっている可能性が高い。
 ホグワーツ魔法魔術学校の校長室に重苦しい空気が漂う。

 第五話『ウィリアム・ウィーズリー』

 魔王に起こされて目を覚ますと、僕は知らない場所で眠っていた。

「ここは……?」
『漏れ鍋の二階だ』
「漏れ鍋って?」
『ダイアゴン横丁の入り口だ。酒場と簡易宿泊所を兼業している。倒れた貴様を小僧がここに連れて来た』
「小僧って……」
 
 思い出した。倒れる前、僕は赤毛のお兄さんから逃げていた筈。どうやら捕まってしまったみたいだ。

「ど、どうしよう。逃げた方がいいのかな?」
『……いや、今はいい。今の貴様ではまた倒れるのがオチだ』
「う、うん」

 それにしても、空腹で気分は優れないけど、普段感じる全身の鈍痛が消えている。
 不思議に思って服の袖を捲ると、そこにある筈の切り傷や火傷が無くなっている。たくさんあった痣も綺麗サッパリだ。
 驚いていると扉が開いた。

「ああ、目が覚めたんだね」

 入って来た人はあのお兄さんだった。手にはお盆が乗っている。
 空きっ腹には堪えるいい匂い。

「僕はウィリアム・ウィーズリー。覚えてるかな? ノクターン横丁の前で君と会ったんだ。ここは漏れ鍋。倒れた君をここに連れて来た。それと、これはトムさんに頼んで作ってもらったスープだ」
『ウィーズリー……、やはりか』

 僕が寝ているベッドの隣まで来ると、ウィリアムは小机にお盆を置いて、近くの椅子に腰掛けた。

「食べられる?」
「え? えっと……」

 困り果てた。食べていいとは、そこにある美味しそうな料理の事かな?

「あ、あの……」
「どうしたの? 具合が悪い? でも、少しでもいいから食べて欲しい」

 ウィリアムはスプーンでスープを掬うと、息を吹きかけて少し冷ましてから僕の口元に運んだ。

「ほら、あーんってして」
「えっと……、あ、あーん」

 言われた通りに口を開けると、温かくて美味しいスープが口の中に流れこんできた。
 あまりの美味しさにビックリして目を丸くすると、ウィリアムはクスリと微笑んだ。

「よかった。トムさんの料理は口にあったみたいだね」
「あ、ありがとうございます……」

 お礼を言った途端、お腹の虫が盛大に鳴いた。
 ウィリアムは一瞬目を丸くした後、嬉しそうにスープを飲ませてくれた。

「パンは食べられる? お肉や野菜も食べたほうがいいんだけど……」
「だ、大丈夫です。でも、いいんですか……?」
「なにが?」
「そ、その……」

 僕が目を伏せると、ウィリアムは悲しそうな顔をした。

「……聞きたい事がある。辛い事かもしれないけど、出来れば答えて欲しい」
「な、なんですか?」
「君の体は傷だらけだった。それに、トムさんが言うには満足な食事も与えられていないみたいだって……」

 まるで、何かに耐えるような表情を浮かべるウィリアム。

「……両親がいないっていうのは、本当?」
「は、はい……」
「なら、誰かの世話になっているのかい?」

 僕はどう応えるべきか悩んだ。今は魔王が居るし、その前はダーズリー家に居た。
 だけど、正直に答えていいのか分からない。もし、ダーズリー家に戻される事になったらと思うと身が竦む。

「……質問を変えるよ。君に帰る場所はあるの?」

 その質問に僕は震えた。涙が溢れてくる。
 
「帰りたくない……」

 それは自然と漏れた言葉だった。

「僕、帰りたくない」
「……そうか、わかった」

 ウィリアムは僕の頭を撫でてくれた。壊れ物を扱うように優しく。

「ごめんね。とても辛い事を言わせてしまったみたいだ」
 
 ウィリアムはパンをちぎった。

「……僕もまだ子供だ。だから、何が正しいのかなんて分からない」

 ちぎったパンを僕に手渡して、彼は言う。

「だけど、力になりたい。放っておきたくないんだ。君が帰りたくないと言うなら、僕の家に来るといい。両親もきっと歓迎してくれる。それに、父は魔法省で働いているんだ。君の居た環境に問題があったのなら、きっと力になってくれる」

 力強い言葉。

「……やめて」

 体の震えが止まらない。歯がカチカチと音を立てている。
 昔、僕の体が栄養失調気味である事に気付いた学校の先生が家に乗り込んできた時の事を思い出してしまった。

「ど、どうしたの!?」

 頭を掻き毟り、体を丸める。
 ペチュニアおばさんの怒声が聞こえる。バーノンおじさんが丸めた雑誌で何度も殴りかかって来る光景が瞼の裏に映る。
 
【この恩知らず!! 私達に恥をかかせたわね!!】
【馬鹿者が!! この家に置いてやってるだけで感謝するべき立場だろうが!!】
 
 熱湯が肌を焼く。ぐったりするまで蹴られ続ける。

【ろくでなしが!! お前の父さんとソックリだ!! 恩知らずでナメクジよりも気持ちの悪い男だった!!】
【同情を買おうとしたのかい? ああ、お前の母さんもおべっかが得意だったよ! 本当に醜い!】 

 耳に残る、僕という存在を否定する言葉。無価値だと言われた。邪魔だと言われた。何故生きているのか不思議だと言われた。
 空腹のあまり、埃を食べようとして吐いたら殴られた。
 汚いと言われて、真冬に冷水を掛けられた。洗濯用の洗剤とタワシで全身を洗われて、一週間以上痛みが続いた。
 
「ぅぅぅぅぅぅ……」
 
 蹲り、泣き続ける僕をウィリアムは震えながら抱き締めた。

「すまない……。すまない……」
 
 何に対して謝っているのか、本人も分かっていないのだろう。それでも、彼は僕に謝り続けた。

『……これほどだったか』

 魔王は酷く冷淡な声で呟いた。

『ハリー』

 初めて、魔王に名前で呼ばれた。

『ウィリアムの提案を受けろ。……少なくとも、ウィーズリー家の者はあのマグル共などより遥かにマシな人種だ』

 魔王に言われたから、僕は泣き止んだ後にウィリアムの提案を受けた。
 ウィリアムは喜んでくれた。手紙を出すと言って、部屋を飛び出した。

「……魔王。良かったの?」
『このままでは貴様が栄養失調で死んでしまうからな。それでは本末転倒だ』

 しばらくして、ウィリアムが戻って来た。

「両親に手紙を出したよ。夕方頃には返事が来ると思う。安心して欲しい。きっと悪いようにはしないから」
「う、うん……。ありがとうございます、ウィリアムさん」
「ビルでいいよ。みんな、そう呼んでる」
「……ありがとう、ビル」

 お礼を言うと、ビルはニッコリと微笑んだ。

「……っと、そう言えば名前を聞いてなかったね」
『ノエル・ミラー。そう名乗れ』

 ここまで来たら本名でも良い気がしたけど、僕は魔王に言われた通りに偽名を口にした。
 親切にしてくれた人を騙したくなかったけど、魔王が言うなら仕方がない。

「ノエルか……。よろしくね、ノエル」
「はい!」

 それから数時間、僕はビルにウィーズリー家の事を聞いた。彼の家には僕と同年代の子供がいるみたい。
 
「ロンって言うんだ。やんちゃだけど、心根の優しい子なんだ。きっと友達になれる筈さ」

 自慢気に家族の事を話すビル。僕は少しだけ、彼の弟の事が羨ましくなった。
 
 夕方になると、扉の向こうから背の高い男の人が現れた。

「父さん!」

 ビルが招き入れると、男性は僕を見つめた。

「やあ、はじめまして。私の名前はアーサー・ウィーズリー。ビルの父親だ。君の境遇についてはビルからの手紙で知っている。安心しなさい。私は君に出来る限りの事をするつもりだ」

 そう言って、アーサーは手を差し伸べてくれた。僕はビルをそっと見つめる。彼は頷いた。

「よ、よろしくお願いします」

 僕はアーサーの手を取った。

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