第七話『魔王の失敗』

 少し、昔の夢を見た。昔と言っても、ほんの一年ちょっと前。僕はドラゴンを見た。
 物語の挿絵に描かれているような猛々しい姿に見惚れた事を覚えている。

『ヘブリデス・ブラック種と言う』

 そこは竜の渓谷と呼ばれる場所。魔法省が管理するドラゴンの棲息域の一つ。
 魔王の魔法でこっそりと侵入した僕達はこの傾国にひっそりと咲く一輪の花を摘み取った。
 アーメグラウスと呼ばれる藍色の花びらを持つ花。

『中々、見事だろう?』
「うん……、かっこいい」

 こういう景色を何度も見せてもらった。不自由にさせていると思っているのだろう。
 
『……そうだ。近くに淡い緑の花を咲かせる樹があった筈だ。その枝を一本持ち帰るぞ』
「枝を……?」
『これから作る魔法薬は難度の高いものだ。いきなりでは難しい。だから、一つ一つ手順を踏んでいく。まずは|魔具制作《マジック・クラフト》を経験してもらうぞ』

 その後も色々な場所へ行き、材料を集めたり、魔具を制作したりした。パン屋の二階の一番奥には僕の専用工房がある。
 振ると星屑が溢れ出す杖。歌に合わせて踊る人形。永遠に留まり続ける火。他にもたくさん作った。
 
 魔王はたくさんの世界を見せてくれた。
 その度に思う。

――――ああ、この人について来て良かった。

 第七話『魔王の失敗』

 ホグワーツに来て、二ヶ月が経とうとしている。その間、特に変わった事は何も起きていない。
 しいて挙げるなら一つ。グリフィンドールとの合同飛行訓練の日、ネビルが箒の制御に失敗して死に掛けた。
 
 浮き上がる箒の上で慌てふためくネビル。

「落ち着きなさい、ロングボトム!」

 フーチ先生が制御を取り戻すように指示を飛ばすけど、箒にしがみつく事でやっとなネビルには届かず、その間も箒は暴れ続けた。
 そして、当たり前のようにネビルは箒から落とされた。肉体労働など殆どした事のない十歳の少年の体力では暴れ馬を乗りこなす事など出来なかった。
 だから、杖を向けた。

「お願い」
『……仕方がない』

 魔王に体を委ねる。魔王は二年の間に主観時間を操る術の研究を重ねていた。
 元々、時を操る魔法は存在するらしく、その技術を汲む事で実用段階まで漕ぎ着けた奥義と呼べる技術。
 魔王の感じる世界を僕も感じる。風ではためくローブの動きが徐々にゆるやかになっていく。

『|落ちゆくものよ、とまれ《アレスト・モメンタム》』

 呪文が杖の先から溢れ出す。同時に時の流れが元に戻った。
 ネビルの体が空中で止まる。僕は杖に手を掛けると、浮上してネビルを捕まえた。

「大丈夫?」
「え? あれ!?」

 混乱しているみたいだけど、怪我はしていないみたい。

「先生。怪我はないみたいです」
「……え? あっ、一応医務室へ連れて行きます。見えない所に怪我を負っている可能性もありますから」

 そう言って、フーチ先生はネビルを連れて行った。
 その後は大騒ぎ。僕のネビル救出劇を見ていたみんなが褒め称えてくれた。実にいい気分。ドラコとロンはこぞって魔王が使った呪文を使いたがった。物体停止呪文自体は僕も使えるから教えてあげると、二人は代わりばんこに箒で浮上しては互いを止め合って笑った。
 そして、鬼の形相を浮かべるフーチ先生に連れて行かれた。

 ここ二ヶ月で起きた大きな事件といえばそれくらいだ。ロンとドラコはあれ以来更に仲が深まったみたいで、時々一緒にふざけ合う仲になった。まさに悪友という感じ。
 最近、フレッドとジョージ、それに、彼らの仲間のリー・ジョーダンが自分達の立場を脅かされるのではないかとヒヤヒヤしている姿を見かける。
 とても平和だ。魔法使いの世界。あのスクリムジョールのような人ばかりだと思っていた。本当は魔王やワームテールとあの店に居たかった。だけど、思っていたよりも居心地が良い。

「あれ?」

 授業を終えて大広間に向かう途中、見知った人影が見えた。
 今日はハロウィン。大広間ではパーティーが開かれる。なのに、彼女は大広間と反対の方角へ走っている。

「どうしたのかな?」

 追い掛ける事にした。小走りで廊下を進む。彼女にはすぐ追いつく事が出来た。

「どうしたの? ハーマイオニー」

 彼女は泣いていた。

「……ハリー?」

 とりあえず、落ち着かせる為に近くの教室へ入った。座らせて、理由を聞いてみる。
 どうやら、呪文学の授業でロンと喧嘩をしたらしい。お節介を焼いたら、ロンに酷い事を言われて、トイレで泣こうとしていたみたい。
 
「よしよし」
「……何してるの?」
「頭を撫でてるの」

 昔、僕は誰かにこうしてもらいたかった。
 ビルに初めて撫でてもらった時、僕はすごく嬉しくて、安心出来た。
 ハーマイオニーは戸惑いながらも安堵の表情を浮かべる。
 そう言えば、魔王が頭を撫でてくれた事は一度も無いな……。

 ハーマイオニーの涙が引っ込み、落ち着いた頃に教室を出た。
 まだ、ハロウィン・パーティは続いている筈。折角の御馳走を逃したくない。
 ハーマイオニーの手を取って、一緒に走った。
 ところが、角を曲がった所で異様な存在と出くわした。

「……え?」

 身の丈三メートルはありそうな巨人。その手には明らかに暴力的な目的で使うであろう棍棒が握られている。

「うそっ……、トロール!?」

 トロール。名前は聞いた事があるけど、実物を見たのは初めてだ。
 知っている事と言えば、ノロマで単細胞……そして、

「逃げて、ハーマイオニー!」

 とても凶暴。振り下ろされた棍棒を盾の呪文で防ぐ。

「で、でも!」

 追い掛けている時に見た感じ、ハーマイオニーは足が遅い。いくら相手がトロールでも逃げ切れない可能性がある。
 生憎、僕も彼女を背負って逃げ切れる程の体力自慢じゃない。
 
「いいから、先に行って! 先生を呼んで来て!」
「ハリーは!?」
「君が逃げたら逃げるよ!」

 そう言うと、漸く自分が足手纏になっている事に気付いてくれた。振り向いて走り去っていく彼女から目をそらし、代わりにトロールを見つめる。

「……出来れば、元の場所に帰って欲しい」
『無駄だ。アレは会話を解す程の知性もない。ただ、本能のままに暴れるだけの獣と同じだ』
「でも、ここに自分で来る事はあり得ないよね?」
『ああ、そうだな。間違いなく、何者かがここに招き入れた』
「なら、この仔に罪は無いよ」

 魔王は僕にたくさんの世界を見せてくれた。かっこいい生き物。かわいい生き物。優しい生き物。怖い生き物。たくさんの生き物を見て来た。
 そこに悪意があるなら立ち向かう。だけど、連れて来られただけのトロールを痛めつけたくない。
 棍棒を盾の呪文で防ぎながら、ハーマイオニーが逃げる時間を稼ぐ。

「……先生達が来たら、どうなるかな?」
『殺すだろうな。間違いなく』
「それは……、イヤだな」
『仕方のない事だ。害を及ぼすモノはそれが獣であれ、虫であれ、人であっても駆除するのが人間だ』
「でも……」

 迷っている内に背後が騒がしくなった。誰かが来たようだ。
 悲しい気持ちになる。僕にはどうする事も出来ない。ただ、連れて来られただけの仔が殺される。なんて、理不尽な話だろう。

「ただ、連れて来られただけなのに……」

 そこに存在する事が罪とされる。その苦しさ、絶望はよく知っている。

「……ごめんね」

 トロールの未来を悼む。すると、後ろから声が掛かった。
 その声は予想と違うものだった。

「ハリー!!」
「……え?」

 そこに居たのはロンとドラコだった。

「ど、どうして!?」

 わけがわからない。ハーマイオニーには先生を呼んでくるように伝えた筈だ。なのに、どうして二人がここに来るのか理解出来ない。

「ハリーから離れろ!」
「こっちだ、ウスノロ!」

 囮になるつもりなのか、二人はトロールを挑発する。

『……いかんな』

 全てがスローモーションに見えた。怒ったトロールが棍棒を二人に投げつけたのだ。予想外の事に二人は目を丸くしている。
 避けろと叫んでも、二人は縫い止められたように動かない。恐怖が彼らを縛っている。

「|盾よ《プロテゴ》!!」

 盾の呪文で二人を守る。

『馬鹿者!! 避けろ!!』

 魔王が叫ぶ。振り向くと、トロールの足が迫ってきていた。
 まるで、サッカーボールのように蹴られ、僕の体は冗談みたいに飛んで行く。いっそ、笑えてくる程見事に蹴り飛ばされてしまった。
 壁にぶつかると、呼吸が出来なくなり、全身に痛みが走った。急速に意識が遠のいていく。

『如何なる時も……』

 薄れゆく意識の中、魔王の声が聞こえる。

「如何なる時も自らを優先しろと教えてきた筈だぞ!」

 目の前に実体化した魔王の足が見えた。そして、僕の意識は闇に沈んだ――――……。

 ◆

 他人を蹴落とす事は教えられなかった。だが、常に自らの利益を優先しろと教えてきた。
 |あの愚か者共《ダーズリー》がハリーから奪ったモノは多い。その中にはハリー自身の自尊心もあった。
 常に見えない誰かに怯え、自分を価値の無い人間と思い込んでいた。
 多少は改善されたが、このような結果は許容出来ない。

「……後で小言の一つや二つは覚悟してもらうぞ」

 ハリーの魔法で守られながら、愚かにも目を瞑り怯えている小僧共を眠らせる。

「教師が来るまでに二分といったところか……」

 本当ならば嬲り殺しにしてやりたい。だが、それをハリーは望まない。
 
「……育て方を間違えたか」

 打算的に思考出来る癖に、肝心な所で感情を優先させる。
 もっと、冷酷で悪意に満ちた人間に育て上げる筈だったのに……。

「過ぎた事を言っても詮無き事か」

 トロールの下へ歩み寄る。棍棒は消滅させておいた。

「貴様は野へ帰るがいい」

 ホグワーツの校内では転移系の魔法が使えない。
 だから、壁を破壊し、トロールを遥か彼方に聳える山の中へ強引に吹き飛ばした。盾の呪文を施したから、死ぬ事は無いだろう。
 一仕事を終え、ハリーの中に戻ると、ちょうどウスノロ共がやって来た。
 崩れた壁を見て驚いている。まあ、この者達の事はどうでもいい。問題はトロールを招き入れた者だ。十中八九、これは囮だ。本命は恐らく……。

『まあ、どうでもいいか』

 少し疲れた。休むとしよう。

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