聖堂内に侵入者が現れた。その一報を聞いた数分後、最奥にある僕の部屋の扉が開いた。
随分と早い。迎撃用の罠を何重にも仕掛けておいた筈だが……。
「なるほど、思ったよりやるね」
拍手をしながら出迎える。ハリー・ポッターと|魔王《未来のボク》が並び立ち、その背後にサングラスを掛けたバジリスクが佇んでいる。
エピローグ『チェックメイト』
なるほど、ユニークな発想だ。見た目は些か間抜けだが、敵の本拠地を無血で制圧する為の手段としては最適解と言える。
なにしろ、バジリスクの魔眼は予め対策を打っておかなければ防ぎようがない。サングラスで魔眼の力を抑える事によって対象を石化状態に留めている点も見事だ。
時間を掛けて用意したものが全て水泡に帰す。まるで、積み上げたトランプのタワーを崩した時のような一種の清々しさを感じる。
「待ってたよ、未来のボク」
それにしても、ドラコは上手くやってくれたみたいだね。
彼は僕の期待に良く応えてくれた。
この状況はボクの思い描いたビジョンそのままだ。
「……待っていただと?」
「ドラコなら確実に君達をこの場所へ誘うと確信していたよ。ああ、言っておくけど命令はしてないよ? 《人事を尽くして天命を待つ》ってヤツさ。ちょっと意味が違うけどね。適切な人選を行い、適切な路線に乗せてやれば、後は勝手にゴールまで突き進む」
「なるほど……。だから、敢えてドラコ・マルフォイの心を縛らなかったわけか」
「正解だよ」
ドラコは勇敢で知恵も回る男だ。挑発してやれば、確実にボクを裏切ると思った。そして、縛られた行動の内で最善の行動を選択出来ると信じた。
監視の目を欺き、メッセージを発信する。そこまでやってくれれば完璧だ。後はダンブルドアが勝手に動く。
メッセージを知った時点で、ヤツはボクの仕掛けた罠に気付いた筈だ。その上で、動かす駒を選別した筈。
本体ですらない分霊であるボクを倒す為に自分の命を賭ける程、ダンブルドアという男は浅慮じゃない。かと言って、信頼の置ける手駒はヤツにとっても貴重だ。だが、信頼の置けぬ者は使えない。
ならば、ヤツの選択肢は一つに絞られる。
《殺されても構わない。むしろ、殺される事で勝利の一助となる者を向かわせる》
それがハリー・ポッターだ。魔王がヴォルデモート卿の分霊である以上、|本体《オリジナル》を滅ぼすつもりなら、いつかは消さなければならない。その時、魔王の依り代である少年も死ななければいけない。
死の訪れが早いか遅いかの違いでしか無い。ならば、これほどうってつけの人材もあるまい。
ボクが言うのも何だけど、相変わらず善人面を下げて、やる事が悪辣だ。
「君達とは一度話をしてみたかった」
見れば見るほど滑稽だ。彼らは手を繋ぎ合っている。魔王はハリーを庇い、ハリーは魔王に縋っている。
無意識なのだろう。立ち止まった時、自然とその体勢になった。
「ねえ、親子ごっこは楽しいかい?」
腹を抱えて笑いそうになった。
僕の言葉に二人は面白いくらい反応を返してくれた。
「どうしても聞いてみたかった。今のボクには分からない感覚だからね」
魔王を見る。無様な程、狼狽えている。親子ごっこという言葉は思った以上にヤツの心を揺らしたようだ。
「ねえ、ハリー・ポッター。自分の両親を殺した相手に懐くって、どういう心境なんだい?」
彼の経歴は調べた。ダーズリー家で行われた虐待行為の数々も知っている。
餓死寸前まで食事を抜き、暴力は罵詈雑言を恒常的に浴びせられ、狭い空間に閉じ込められ続ける。
おまけに人格を否定され続けたそうだ。お前は異常だ。普通ではない。そんな言葉を掛けられ続けた人間がどうなるか……。
「聞かせてくれないか? 自分を絶望に叩き込んだ人間に縋りつく事しか出来なかった心境ってヤツを」
これはボクに大きな可能性を示してくれた。憎むべき存在に対して、愛情を向ける事しか出来ない人間。決して裏切る事のない便利な駒。
肉体的、精神的に壊れた人間を量産し、実験を繰り返してみたけど、どうにも上手くいかない。
壊れた人間を正常に戻しても、どこかが欠落していたり、ボクに憎悪を抱く。
「ねえ、どうして君は魔王に縋り続けているの? 今なら守ってくれる人なんて幾らでもいるだろ? ねえ、どうして? ねえ、ねえ!」
「……黙れ」
魔王が怒りの篭った瞳を僕に向ける。まったく、溜息が出るね。
「もしかして、怒ってる? もしかして、ハリーが別の人を選ぶ可能性が怖い?」
「黙れと言った」
ボクと同一人物である事が信じられない。ハリーとの家族ごっこですっかり骨抜きにされている。
これはリスクとして注意すべき点だね。
「どうして、そこまで? あっ、もしかして! 昔の自分と重ねてるの?」
よく考えてみると、ボクがホグワーツに入学する前の境遇とハリーの境遇は似ている部分もある。
ハリーと違い、ボクは自分の身を自分で守っていたけどね。
「黙れと言っている!」
魔王が杖を振り上げた。うーん、見苦しい。
「激情に身を任せるなんて、そんな事だからダンブルドアに勝てないんだよ」
反対呪文で魔王の呪文を弾きながら言った。
まったく、呆れてしまう。年を取るとここまで耄碌するものなのか……。
「ダンブルドアは凄いね。君よりずっと年老いている筈なのに、まったく衰えていない」
魔王を見れば見る程、負けた理由が浮き彫りになる。
感情を軽視し、友情だとか、愛情だとかを唾棄している癖に死んで尚も捨て切れていない。
「貴様……」
ガッカリさせてくれる。
「ねえ、ハリー。教えてよ。どうして、そんなに魔王を愛しているんだい? 顔? 性格? やっぱり、雛鳥みたいに刷り込まれた? 本当の父親を殺した男を父のように慕う理由を是非とも教えてくれたまえ」
魔王が杖を振る。まったく、話の途中なのにマナーがなっていない。
「邪魔をしないでくれないかな? ボクはハリーに質問しているんだ」
ハリーは魔王の影に隠れたままだ。
「ねえ、教えてよ」
すると、漸くハリーが影から出て来た。
楽しそうに微笑みながら……。
「答える必要があるの?」
「え?」
「だって、もう自分で答えを言ってたじゃない」
意味がわからない。
「……何を言ってるの?」
ハリーは笑っている。その瞳には恐怖も憎悪もない。ただ、純粋に嬉しそうな笑みを浮かべている。
「なに、その顔……」
普通、この状況では怖がるべきだ。僕には憎悪や憤怒を向けるべきだ。
「嬉しかった」
「なにが……?」
「若い頃の魔王を知りたかったんだ」
胸がざわつく。日記は厳重に隠してあるし、この場所はボクに優位に働くよう仕掛けが施されている。
戦ったところで負ける筈がない。だからこそ、招いたのだ。
「もっともっと知りたいんだ」
ハリーは懐から何かを取り出して言った。
「もっと、魔王の事を理解したい」
見覚えがない。どうやら、髪飾りのようだ。それを頭に乗せた。
鷲の紋章が描かれ、その下には文字が刻まれている。
《計り知れぬ英知こそ我らが最大の宝なり》
実在する事は知っていた。手掛かりも掴んでいた。
恐らく、ボクを作った後にオリジナルが見つけ出したものだろう。
あれは間違いなく、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りだ。
「僕はまた一つ、魔王を理解出来た」
幸せそうな顔でハリーは言った。
「日記はそこだね」
ハリーの指はまっすぐ日記を隠した場所を指した。
「何故……」
ハリーは答えない。バジリスクに指示を出した。
「ま、待て!!」
壁が壊され、壊れた人形達に囲まれた日記が露出した。
魂を限界まで吸われた者達。その中にはドラコの両親もいる。
なのに、ハリーは笑顔を崩さない。
「君は日記から離れる事が出来ない。だけど、君は自分の本体を土で汚したり、水に沈める事を嫌った。だから、自分の目の届く場所に隠してしまった」
日記を咥えたバジリスクがハリーの下に戻る。
ハリーは言った。
「はい、チェックメイト」