第六話「戦闘準備」

 携帯端末を弄っていると、セイバーが戻って来た。

「起きてたか、イリヤ」

 顔を上げると、まだ温かい肉まんを手渡された。

「……美味しい」

 この季節になると、毎年ママがスーパーで五個入りの冷凍肉まんを買ってくる。簡単に調理出来る上、温かくて美味しいから一石三鳥だとよく言っていた。

「……元気出せって」

 乱暴な手つきでセイバーが私の頭を撫でる。いつの間にか、涙が溢れていた。

 ◆

 パパとママが殺されてから五日が経った。あの後、携帯端末に表示された地図を頼りにママが目指していたセカンドハウスに向かった。ついた先は閑静な住宅街の一角だった。鍵はナンバーロックで、端末に表示された数字を入力すると問題無く入る事が出来た。
 中に入ると、勝手に明かりが灯った。

「凄いな。科学って奴か?」

 目を丸くするセイバーを引き連れて、奥へと進む。廊下の突き当たりに扉があり、中に入ると、そこはリビングだった。テーブルの上には一通の封筒が置かれている。開いて、中身を確認すると、それはパパからのお手紙だった。
 緊張に手が震える。殺されたパパからの手紙。つまり、これは遺書という事になる。

「どうした?」

 手を止めていると、セイバーが覗き込んできた。

「……読むのが怖くて」
「怖い?]

 セイバーはよく分からないのか、首を捻った。

「オレが読むか?」
「……ううん」

 ありがたい提案だけど、断る。これがパパの遺書なら、やはり、自分の目で内容を知りたい。
 ゆっくりと手紙を開いた。そこには想像していた通りの文章が踊っていた。

「……『我が愛する娘、イリヤへ』」

 小説や映画だとよくある文章だけど、現実に当事者として読むと、これほど恐ろしい文章は他に無い。自分の死期を悟った者からの手紙。しかも、誰よりも愛していた人からの手紙。
 未だにおぼろげだった現実感が明確に姿を現そうとしている。この手紙を読み進んでいったら、きっと、私は絶望的な現実を目の当たりにする事になるだろう。けど、読まないという選択肢は無い。だって、これが唯一、このわけの分からない事態を説明してくれるかもしれない可能性を秘めているから……。
 深く息を吸い、私はゆっくりと文章を読み上げ始めた。

「……『この手紙を君が読んでいるという事は君がたった一人でここに来なければならない事態に直面している事を意味する。故に、ここには僕とアイリ、舞弥の三人がいずれも既に死亡しているものとして記す』……」

 こうなる事態をパパは想定していた。つまり、この先を読めば、私は現状を把握する事が出来る。だと言うのに、私の体はピクリとも動かなくなった。セイバーも訝しんでいる。でも、駄目だった。
 現実を知るという事はパパとママの死を現実として受け入れなければならないという事……。

「セイバー」
「なんだ?」
「全部、ドッキリなのよね?」
「……ドッキリ?」

 そんな筈無いって、分かっているのに私は問わずにはいられなかった。

「パパもママも死んでなんていないのよね? 本当はみんなで私をからかっているだけなのよね?」

 縋る思いで問う私にセイバーは静かに首を横に振った。

「お前の気持ちは分かる。けど、現実から幾ら目を離したって……事実は動かない。お前の両親は死んだんだ」
「……ヤダ」
「マスター?」
「ヤダ……。嫌だ……。パパとママが死ぬ筈無い……」

 涙を溢れさせる私にセイバーは溜息を零した。

「駄々捏ねたって仕方無いだろ。どんなに泣いたって……、死んだ奴は甦らないんだ」

 セイバーは残酷な事実を叩きつけてきた。そんな言葉は要らない。ただ、パパとママの死を否定して欲しいだけだ。私は耳を塞ぎ、聞こえない振りをして蹲った。セイバーはそんな私を冷めた表情で見下ろしている。

「そうやって、敵に殺されるのを待つ気か?」

 その言葉に体が震えた。顔を上げると、セイバーは哀しげな表情を浮かべていた。

「このままだと、次はお前が殺されるんだ。だから、どんなに辛くても、現実を受け入れるしかないんだ。じゃなきゃ、抵抗すら出来ずに殺されるぞ」

 ◆

 私はその後も一時間近く、只管泣いていた。その間、セイバーは何も言わず、ただ近くに居てくれた。時々、頭を撫でてくれるおかげで、私は潰れずに済み、涙が枯れ果てた後、漸く手紙を読み進める事が出来た。

「オレが読もうか?」
「ううん。ちゃんと、自分で読むわ。だから……、一緒に居てもらえる?」
「……ああ、もちろんだ、マスター」

 パパもママも死に、故郷からも遠く離れたこの場所で私が唯一頼れるのは彼女だけだ。

「……イリヤ」
「ん?」
「イリヤって呼んで欲しい。マスターって呼び方は……、ヤダ」
「……仰せのままに」

 やれやれと肩を竦めるセイバーに私は少しだけ顔を綻ばせた。

「……読むね。『まず、君の出生の秘密に関して記しておく』。私の出生?」
「とりあえず、全部読んでみろ。ここには蔵書も揃っているらしい。後から疑問点を調べよう」

 首を傾げる私にセイバーが言った。頷いて、更に先を読み進める。

『イリヤ・エミヤ。君の本当の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンという。アインツベルンはドイツに古くからある魔術師の家系だ。彼らの魔術特性は力の流動と転移。伝来の魔術は物質練成と創製。錬金術に関しては他の追従を許さない。彼らの目的は第三魔法・天の杯。コレは魂を物質化し、現世に留める事を目的としたものだ。そのサンプルとして、彼らは魂の出力装置、即ち、ホムンクルスを鋳造している。君の母、アイリスフィール・フォン・アインツベルンもホムンクルスだ。君は人間である僕とホムンクルスであるアイリとの間に生まれた奇跡の存在なんだ』

 そこまで読み進めて、気分が悪くなった。並んでいる文章は殆ど理解出来ない。だけど、理解出来てしまった部分もある。錬金術。ホムンクルス。魔術。それらに関しては漫画やゲームである程度知識があるからだ。

「ママがホムンクルス……? い、意味が分からないわ」

 同意を求めるようにセイバーを見る。けれど、彼女は否定の言葉を口にした。

「お前がホムンクルスの血を受け継いでいる事は間違い無い」
「な、何でそんな事が分かるの!?」
「オレも同じだからだ」
「……え?」

 首を傾げる私にセイバーは言った。

「オレもホムンクルスなんだ。恐らく、オレ達を結びつけた縁もコレなんだろうな」
「貴女も……、ホムンクルス?」

 ホムンクルスとは人為的に作られた生命体の事だ。色々な漫画やゲームに登場しているけれど、大抵は悪役として描かれる。何故なら、彼らは人間では無いからだ。創造者の意のままに動く人形。それが大抵の創作物に登場するホムンクルスの特徴だ。

「嘘よ……。だって、私は人間だもの……」
「半分はそうなんだろうな。だが、半分は違う」
「嘘よ!」
「嘘じゃない……。受け止めろ、イリヤ。それしかないんだ……」
「だって……」

 あまりのショックに体がふらついた。咄嗟にセイバーが抱き止めて、近くのソファーに座らせてくれる。

「とにかく、最後まで読むんだ。それから、判断しよう」
「……うん」

 私は恐怖に震えながら先を読み進めた。

『恐らく、君はいきなりこんな事を言われて混乱している事だろう』

 まるで、私の心中を読んだかのような指摘。

『だから、これだけは先に言っておく。君もアイリも人間だ。確かに、生まれは複雑な経緯辿ったが、確かな感情を持つ人間なんだ。僕は君達を愛しているし、君達も僕を愛してくれていると確信している』

 そんな恥ずかしい台詞が堪らなく嬉しかった。

『このセーフハウス内には必要な資料が用意してある。だから、ここでは簡単な説明だけで済ませる。まず、魔術師についてだ。魔術師と言うのはイリヤが好きなアニメに登場する魔法少女とは違う』

 とっくに魔法少女物は卒業したのに、パパの中で私はまだまだ魔法少女に憧れる小さな女の子だったのかしら?

『魔術師はどちらかと言うと、マッドサイエンティストというカテゴリーに入る。それぞれ固有の目的を達成する為に何代も研究に没頭し、時には人としての倫理や情念を無視して人々に害を為す存在だ』

 とりあえず、イメージは掴めた。

『次に聖杯戦争についてだ。これは簡単に言えば、何でも願いの叶う魔法の杯を巡る、七人の魔術師と七体サーヴァントによる殺し合いだ』

 殺し合い。その単語は否応にも父母の死の光景を思い出させた。身震いしながら、先を読み進める。

『魔術師とサーヴァントの数を合わせると十四人。ただし、それは最小限の数で、他にも協力者などが居るが、たったそれだけの人数でも、戦争と呼ぶに足る大規模な闘争が巻き起こる。その理由はサーヴァントの存在だ。サーヴァントは過去に偉業を為した英霊をセイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの七つのクラスを寄り代に魔術師達が召喚する存在を指す』

 何となく、分かって来た。パパとママを殺した、あの少女もマスターなのだ。そして、彼女が連れていた怪物はサーヴァント。そう言えば、彼女は怪物をバーサーカーと呼んでいた気がする。
 そして、今、私の隣に座る彼女もバーサーカーと同じサーヴァント。

『サーヴァントはそれぞれ街一つを容易く滅ぼす程の強力な力を持っている』

 その一文に背筋が寒くなった。不安に駆られ、セイバーを見つめる。すると、彼女は小さく頷いた。

「ま、全員が全員ってわけじゃないだろうが、オレも街一つくらいなら一晩あれば滅ぼせるぜ。んで、そんな力を持った奴が七人も一つの街に集まっている訳だ」

 恐ろしい話だ。

「全ては聖杯を手に入れる為?」

 私が問うと、セイバーは「ああ」と頷いた。ジッと瞼を閉じ、『聖杯』という単語を反芻する。以前、聖書やキリスト教関係の本を幾つか読んだ事がある。聖杯というのは神の子・イエスが最後の晩餐で使用した杯の事。イエスは杯にワインを注ぎ『私の血である』と言って、弟子達に飲ませたらしい。この聖杯やキリストの体を刺し貫いた聖ロンギヌスの槍はキリストの聖遺物であるとして、多くの小説の題材に取り上げられている。有名なところだと、アーサー王伝説みたいな古典やインディ・ジョーンズなんかでも登場している。
 遺書によれば、この聖杯戦争における聖杯とは何でも願いの叶う魔法の杯らしい。元々、聖杯の事を記したマタイによる福音書にはそんな夢みたいな記述は無かった筈だけど、その後に創作された聖杯伝説の聖杯にはそういう側面がある。

「聖杯伝説なんて、ただの騎士道文学を彩るアイテムだと思ってたんだけど……」
「聖杯は実在する。その為だけに命を懸けた騎士達もな」

 何か気に障った事を言ってしまったのだろうか、セイバーは少し不機嫌そうな顔をして言った。

『聖杯戦争における聖杯はあらゆる願いを叶える万能の窯だった』
「ん? だった?」

 セイバーが遺書を覗き込んで来た。

『ただし、第三次聖杯戦争におけるアインツベルンの失策により、聖杯は破損してしまっている。彼らは必勝の策として、ゾロアスター教の邪神、この世全ての悪――――アンリ・マユを召喚した。ところが、召喚された英霊はアンリ・マユとして扱われただけの人間だった。故に、彼は開戦から程なくして脱落し、大聖杯に魂をくべられた』
「くべられた……? いや、それより、破損しているだと!?」

 セイバーは怪訝な表情を浮かべる。確かに、この表現は何だか奇妙だ。

「と、とにかく、もう少し読み進めてみよう」
「ああ、そうしよう」

 二人で先を読み進めて行く。

『大聖杯に取り込まれたアンリ・マユは自らに課せられた『絶対悪』という性質を解き放った。汚染された聖杯はあらゆる願いを『災厄』という形で具現化する。故に、イリヤ』

 まるで、パパに語りかけられているように感じた。

『もし、君が今、聖杯戦争に巻き込まれているなら、君には選択肢が三つある。一つは逃げる事だ。仮にサーヴァントを召喚済みでも、君には令呪という刻印がその身に宿っている筈だ。令呪はサーヴァントに対する絶対命令権だ。どんな命令でも三度まで強制する事が出来る。それを使い、サーヴァントに自害を命じろ』

 それ以上、読めなかった。

「何よ……、これ」

 サーヴァントに自害を命じろ。それはつまり、セイバーに『自殺しろ』と命じるという意味。

「じ、自害させろって何よ!?」
「……いや、現実的に考えて、それも悪くないかもしれない」

 セイバーが言った。目を瞠る私に彼女は言った。

「お前の境遇について大体分かって来た。その上で言うが、お前の父親の言う事に素直に従った方が無難だ」
「無難って……。貴女を殺せって書いてあるんだよ!?」
「イリヤ。オレはとっくの昔に死んでるんだ」
「え……?」
「手紙にも書いてあっただろ? サーヴァントは英霊だって。英霊ってのは、過去の異形を為した英雄の霊なんだ。つまり、幽霊って事だ」

 全く幽霊らしくない自称・幽霊は言った。

「サーヴァントに対して、殺すという言葉を使う必要は無い。ただ、あるべき場所に還すだけなんだ。だから、罪悪感とかは感じなくて良い。オレだって、さすがに戦う覚悟も出来てない女を戦闘に巻き込む気が無い。どうしても、自分の手で殺したくないってんなら、自分で始末をつける」
「ま、待ってよ! そんな事言わないで! 貴女は私を助けてくれた! そんな人を死なせるなんて、出来るわけ無い!」
「死なせるんじゃない。元の場所に還すだけだ」
「でも……、イヤだ」
「何でだよ? 手紙を読むだけでも分かるだろ? 聖杯戦争ってのは、生半可な気持ちで参加していいもんじゃない。お前は父親の言い付け通り、逃げるべきだ」
「イヤよ!」
「どうして……」
「だって……、貴女が居なくなったら……」

 一人ぼっちになってしまう。そんな身勝手な言葉をセイバーは黙って受け止めてくれた。

「……ったく、仕方無いマスターだぜ」

 後頭部を掻きながら、セイバーは言った。

「まあ、逃げる以外にも選択肢はあるみたいだし、とりあえず、先を読み進めようぜ」
「う、うん……」

 セイバーに優しく諭され、私は落とした手紙を拾い上げた。

『逃げる場合、このセーフハウスには必要な物資が揃っているが、旅券だけは自分で手配する必要がある。一応、手順を書いた紙が箪笥の引き出しの右上に偽造パスポート等と一緒に入っているから読みなさい』

 偽造パスポート。そんな物を用意出来るなんて、パパは一体、どんな生き方をしてきたのだろう……。

『もし、君が逃げたくないと思うなら、選択肢は後二つある。一つは大人しく死を待つ事。もう一つは戦う事だ』
「実質、一択じゃない……」
『君が戦う事を選択するなら、その為の準備も整えてある』

 私はセイバーを見つめた。逃げるという事は彼女を殺すという事。
 彼女を殺さないという事は戦うという事。

「……セイバー」
「なんだ?」
「怖いの……」

 涙が溢れた。戦いとなれば、相手を殺す事になるかもしれない。自分が殺される事になるかもしれない。つい、数時間前まで、受験の事や将来の事で頭を悩ませていた筈なのに、今は生きるか死ぬかの選択を迫られている。そして、頼れるのは隣に座る騎士一人。

「……でも」

 セイバーを死なせたくない。それに、手紙には続きがあった。

『君が逃げずに戦う選択をした時のみ、この文章が浮かび上がるよう仕掛けてある』

 そう、前置きがあった。確かに、ついさっきまで、この文章は無かった。さっきの『君が戦う事を選択するなら、その為の準備も整えてある』という文章を読み上げた途端に現れた。

『聖杯は汚染されている。アンリ・マユが持つ、あまりにも純粋過ぎる悪意が純粋な魔力の渦である聖杯の中で混ざり合い、純粋な悪意の渦へと変えてしまった。どんな崇高な願いも悪意によって歪められ、惨劇という形で叶えられる。例えば、世界を救いたいと願えば、世界から救うべき人類や自然、生命が根こそぎ淘汰される。仮に真実を知らぬ者、あるいは、邪な考えを抱く者が聖杯を掴めば、目を覆いたくなる程の災厄が地上に振り撒かれる事になるだろう。被害が拡大する前に抑止力が動くだろうが、日本という国の地図が描き替えられる規模の災害が起こる事になるだろう。故に君は『勝者』にならなければならない』

 ただ、戦うだけでは駄目だ。勝たなければならない。こんな恐ろしい事実を知ってしまったら、もう、逃げる事なんて出来ない。だって、聖杯が起動したら、多くの人が死ぬ事になる。遺書の内容はそう示唆している。

「戦わなきゃいけない」

 私は言った。

「だから、セイバー……」
「……オレはお前の味方だ。何があっても、それは変わらない」

 気がつくと、私はセイバーを抱きついていた。駄々っ子みたいに彼女にしがみ付き、泣き叫んだ。彼女の存在だけが私の今の支えだ。彼女を失うなんて考えられない。だから、勝つしかない。逃げる事も負ける事も許されない。

「安心しろ。オレは最強だ。誰にも負けない」
「……うん」

 その言葉はきっと真実だ。だって、バーサーカーなんていう怪物相手にも彼女は臆さずに立ち向かった。そんな彼女が最強でない筈がない。

 ◆

 戦う事を決意した私は翌日、手紙の指示に従って準備を始めた。

『まずは装備を整えるんだ。洋服箪笥の中にある服にはどれも魔術的な処理がしてある。着ている限り、精神干渉系の魔術を受ける事は無い筈だ』

 手紙の指示に従い、箪笥を開くと、そこには様々なサイズの洋服が敷き詰められていた。私のサイズに合う服も大量に仕舞い込まれている。私はその中から白のタートルネックと動き易いジーンズを選んで身に着けた。

『箪笥の小物入れに入っているアクセサリーはどれも同じものだ。同じ物を身に付けている相手となら、遠い位置に居ても会話が出来る。距離や屋内外を問わないトランシーバーだと思えばいい』

 素敵なデザインのアクセサーリーが入っていた。適当に手に取ったブローチを身に付けて、セイバーと試してみると、ブローチ越しに会話をする事が出来た。本当にただのトランシーバーみたい。

『武器の類は床下の収納に仕舞ってある。説明書を一つ一つに添付してあるから、必要な物を持っていきなさい』

 その指示に従い、床下の収納を開くと、私は絶句した。そこには明らかに違法な品々が並んでいた。
 拳銃、手榴弾、ナイフ。銃刀法に真っ向から喧嘩を売っているとしか思えない。けど、今はそんな事を言ってる場合でも無い。怖々と中に入っていた察しを手に取る。

『注意事項をここに記す。ここにある品々に触れる前に扉の内側にあるドロップを舐めるように』

 よく分からない内容だった。拳銃の取り扱い方とか、もっと他にあると思う……。
 とりあえず、言われるままに扉の内側に目を向けた。そこにはドロップの缶が貼り付けてあった。一応、賞味期限を確認する。十年先でも大丈夫みたい。蓋を開けて、中身を取り出すと、白いドロップが出て来た。口に放り込むと、猛烈な頭痛に襲われ、他で荷物の整理をしていたセイバーが駆け寄って来た。

「お、おい、どうした!?」
「あ、頭が割れそう……」

 あまりにも酷い痛みで吐き気が込み上げて来た。何が起きたのか分からないまま、視界が真っ白に染め上がり……、気がつくと、私は布団の中に居た。

「起きたか?」

 セイバーは直ぐ傍に居た。どうやら、ずっと看病してくれていたらしい。

「う、うん。私、一体……」
「分からない。ただ、酷く魘されていたみたいだが……」

 時計を見ると、三時間くらい眠っていたらしい。起き上がると、テーブルの上に床下収納内にあった武器が並んでいた。

「一応、外に出してみたが、使い方は分かるのか?」
「え、映画やドラマとかでなら見た事あるけど……、アレ?」

 一丁の拳銃を手に取ると、その名前と使い方が頭の中に浮かび上がった。

「ベレッタM92FS……」
「知ってるのか?」
「う、ううん。こんなの、初めて見た筈なのに……」
「さっきの頭痛が原因かもな……。何らかの魔術でお前の脳に知識を植えつけたのかもしれない」
「魔術で!?」

 心臓を鷲掴みにされたような気分。魔術なんていう得体の知れないもので脳を弄られた。その生理的嫌悪感は計り知れず、私は吐き気を堪え切れず、近くのゴミ箱に吐瀉した。
 胃の中身が空になってから、漸く私は拳銃をゆっくり観察する事が出来るようになった。

「アメリカ合衆国の軍隊が正式採用している拳銃らしいわ。複列弾倉で、装弾数は15+1発。口径は9mm。ダブルアクションの機構を備え、精密射撃には向かないものの、連射性に優れているみたい」

 使い方所か、その拳銃に関する知識や分解の仕方まで分かる。知らない筈の知識を知っている事に対する違和感に頭が痛くなる。

「とりあえず、使い方が分かるなら持って行こう」

 セイバーはそう言うと、どこからか持って来た大き目の鞄に武器を仕舞い込んだ。暴発しないか怖かったけれど、どれもキチンとセーフティーが掛けられているみたい。
 金庫に仕舞ってあったお金を取り出し、私達は庭に置かれた一台の車に向かった。
 シルバーのアストン・マーチンV13ヴァンキッシュ。5.9リッターのV型12気筒エンジンを搭載し、4.4秒で時速百キロまで加速するモンスターマシンだ。フェラーリやメルセデスの対抗馬として、英国の自動車会社、アストン・マーチンが送り出したスポーツカー。
 車の知識なんて、何一つ無かった筈なのに、私にはこのモンスターマシンの運転方法が分かる。運転席に潜り込むと、ダッシュボードに私の運転免許証が入っていた。写真は去年、家族旅行で撮影した時の服装だ。

「……積み込み終わったぜ」

 セイバーが助手席に座る。

「安全運転で行くとして、冬木市まではかなり遠いわね」

 カーナビに目的地をセットすると、高速道路を使ってもかなり時間が掛かる事が分かった。

「まあ、休憩を挟みながら行こうぜ」

 セイバーの言葉に頷き、最後にもう一度、セーフハウスを見た。必要な物は積み込んである。後は覚悟を決めるだけだ。
 深く息を吸い込み、私はセイバーを見た。

「行こう」
「ああ」

 短いやり取りの後、私は車のキーを回した。

 ◆

 私達が冬木市に辿り着いたのはあれから二日後の事だった。途中で渋滞に引っ掛かってしまい、ホテルで休憩を挟みながら向かった結果、予想以上に時間が掛かってしまった。冬木に到着した私達は早速、新都にある冬木ハイアットホテルにチェックインを済ませ、街の散策に乗り出した。
 ジッとしているよりも、動いていた方が恐怖が紛れると思ったからだ。ところが、歩いていると思わぬ展開に巡り合ってしまった。人が倒れていたのだ。最初は聖杯戦争の被害者かと思い、近寄った。けれど、予想に反して、彼は単なる行き倒れだった。
 この飽食の国である日本において、私と殆ど歳の変わらない男の子が行き倒れている事実に別の意味で衝撃を受けながら、見捨てる気にもなれず、彼に食事を驕り、別れた。そんなトラブルに巻き込まれながらも、街中を歩き回り、地理を頭に叩き込む事が出来た。

 ◆

 ホテルのルームサービスで頼んだらしい肉まんを平らげた後、私達は今後の予定を立てる事にした。

「とりあえず、しばらくは様子見だな」
「様子見?」
「とにかく、情報を集めないと始まらない。他の参加者はどうか知らないが、こっちには敵の情報を探る手段が無いからな。自分の目と耳で確認するしかない」
「分かったわ」

 生まれてから、喧嘩すらした事の無い私と違って、セイバーは戦場で生きていた人。彼女の意見は何より信頼が置ける。

「とりあえず、今日は体を休めておけ。昨日は到着そうそう歩き回ったからな。疲れてるだろ?」
「うん」

 彼女の言葉に従って、私は部屋の中でのんびりと過ごす事にした。宛がわれた部屋にはインターネット環境も備わっているし、テレビもある。時間を潰す手段には事欠かない。
 適当にネットサーフィンを楽しみながら、私はつい誘惑に駆られてネット上の自分のメールサーバーにアクセスした。すると、受信サーバーには学友達からのメールが山程来ていた。

『どこにいるの?』
『先生が心配してる』
『無事!? 家の近くで家が幾つも倒壊してて……、イリヤは巻き込まれてないよね!? 無事だよね!?』
『お願いだから、連絡して! どこに居るの!?』
『無事だよね!? お願いだから連絡して!』
『イリヤ、どこに居るの!?』

 メールの内容はどれも私の行方を心配するものばかりだった。とにかく、彼女達を安心させようと思って、メールの返信を書こうとしていると、セイバーに止められた。

「今はやめとけ。下手に聖杯戦争の事を嗅ぎ付けられでもしたら不味い」

 セイバーの言葉にハッとした。万が一にも、彼女達を今の冬木市に招くわけにはいかない。
 唇を噛み締め、私はメールサーバーを閉じた。ベッドに横たわり、枕に顔を埋めて涙を流す。

 ◆

 気がついた時には外が真っ暗になっていた。どうやら、あのまま眠ってしまっていたらしい。
 起き上がると、セイバーが外を見つめていた。

「どうしたの?」
「ああ、起きたか、イリヤ。どうやら、始まったらしい」
「始まったって?」
「決まってるだろう?」

 セイバーは意味深な笑みを浮かべて言った。

「聖杯戦争が始まった」

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