第六話「交差路」

 クィディッチ・ワールドカップが死喰い人によるテロで中止になろうと、ヴォルデモートが復活しようと、九月一日になれば僕達はキングス・クロス駅に向かう。
「それにしても、魔法学校に行く手段が汽車っていうのは何度経験しても不思議な気分だね」
「あー、その気持ち分かるなー。まあ、電車じゃないだけまだマシだけど」
「……ホグワーツに電車で通学って嫌だな」
 駅前の広場で僕達はハーマイオニーとルーナに会い、そのまま一緒に9と3/4番線を目指して歩いている。
 後ろでハリーがハーマイオニーとマグルの世界出身者特有の話題で盛り上がっている。
 確かにホグワーツに電車通勤は嫌だ。電車自体に罪は無いけど、魔法と最先端の科学が混ざり合う光景は歪だ。
 旧時代の産物。煙を吐き出しながら走るアナログ式だからこそ、汽車はホグワーツへの移動手段に相応しい。
 魔法に科学的なアプローチを試みる光景をライトノベルやアニメの中でよく見掛けたけど、まったくもってナンセンスだ。
「……そう言えば、この前変な人に話し掛けられたの」
 歩いている途中、ハーマイオニーが声を落として言った。
「変な人?」
「うん。実は……」
 ハーマイオニーの話を要約すると、『見知らぬマグルの女が9と3/4番線へ続く秘密の入り口を潜ろうとしているハーマイオニーの写真を持っていて、その秘密を探ろうとしていた』という事らしい。
 実に不可解だ。
「ハーマイオニー。それは……」
「うん。冷静になって考えるとあり得ない事よね」
 僕の言葉の先を読んでハーマイオニーが眉間にシワを寄せながら答える。
「ホグワーツ自体に魔法が掛けられているように9と3/4番線にもマグルに気づかれない為の魔法が掛けられている。写真を撮ろうとしてもまともに映らない筈なのに、どうして……」
「しかも、ハリーの事を知っていた……」
 怪しい。その女はこそこそと嗅ぎ回って、何が目的なんだ?
「写真自体は魔法使いが撮影したものなのかもしれない」
 エドが言った。
「入り口に掛けられている隠蔽魔法はあくまでも無防備な相手を対象にしている。魔法使いなら撮影は可能だし、魔法の掛かっているカメラを使えばマグルにだって不可能じゃないかもしれない。ただし、後者の場合はあらかじめ隠蔽魔法の存在を認知している必要があるけどね。そこが入り口だと知らなければ、そもそも意識を向ける事さえ出来ないから」
 ブラック邸や漏れ鍋と同じ原理だ。どちらも存在を知らなければ目の前に立っていても人の出入りを認識する事が出来ない。
「あの女……、裏の世界だと有名だって言ってたの」
「情報を流している人間がいるって事かもね」
 僕は少し考えた上で言った。
「純血主義の対を為すもの。反魔法使い派の人間の仕業かもしれない」
「反魔法使い派?」
 ハリーが首を傾げる。
「そういう言葉があるわけじゃないけど、一定数存在するんだよ。魔法使いの存在自体を悪だと考えている人間が」
 アンチテーゼを掲げる人間はどんな世界にも少なからず居るものだ。
 万人が美しいと称する芸術を貶す者、万人が偉大だと褒め称える者を糾弾する者、万人が美味だと感じる食事を唾棄するもの。
 魔法使いの社会にもそうした人間が存在する。
「人の思想は多種多様だからね。そうした変わり者も居るのさ。大抵、そうした連中は無意味だと知っていても魔法省に抗議の手紙を送る事でストレスを発散しているけど、一部の過激な思想を持つ者達は魔法使いの存在を世間に公表しようとしたり、マグルに革命を唆したりする。殆どの場合、魔法省の役人に捕縛され、そのままアズカバンか精神治療の為に特別な施設に送られる。だが、中には例外もいる」
「つまり……?」
「その女の背後に良からぬ事を企んでいる反魔法使い派の人間がいる可能性は否定出来ないね」
 わざわざハリーの名前を出したという事は最悪、ハリーを狙っている可能性もある。
 そのネームバリューの大きさ故か、他に目的があるのかは不明だが、手を出そうとするなら排除するだけだ。
「……けど、そんなに気にする必要は無いよ」
「え?」
「所詮、マグルが魔法使いに手を出す事なんて不可能に近い。嗅ぎ回っていても、延々と幻影を追うだけさ。真実を掴もうとした瞬間、魔法省が対処するし、僕達が取り立てて行動する必要は無いさ。一応、魔法省かダンブルドアにでも報告をしておけばその女も余計な記憶を消されて普通のマグルらしい生活に戻るさ」
「そう……」
 ホッとした表情を浮かべるハーマイオニー。
 僕の言葉は歴然とした事実だ。僕達が杖を一振りするだけで、マグルは簡単に屈服する。それほど力の差が歴然なのだ。
 それが分かっているから反魔法使い派の人間も過激派以外は魔法省に抗議する程度の事しか出来ない。
「それよりも急ごう。汽車に乗り遅れる事は無いと思うけど、コンパートメントがいっぱいになってしまうよ」
「そうね、行きましょう!」
 

 ドラコ・マルフォイの言葉は真実だ。事実、その日の朝、9と3/4番線のホームに侵入を試みたマグルの女性がホームに常駐している魔法使いに捕縛され、忘却術師によって記憶を抹消されている。
 だが、その時女には二つの幸運が働いている。
 マグルが何かの拍子にホームへ入り込んでしまう事自体は珍しい事では無かった事。
 彼女を捕縛した魔法使いがそれほど仕事熱心な人間では無かった事。
 彼女が捕まった時、咄嗟に母国語を叫んだ事。
 それらの条件が重なって、彼女は『駅のホームに入り込んだ数分間の記憶』のみを消されるだけで済んだのだ。
 結果、彼女の意識は『キングス・クロス駅にある秘密の入り口を調査する為に乗り込んだ瞬間、駅構内のトイレでうたた寝していた』という奇妙な状態に陥る。
 咄嗟に、ポケットを漁り、彼女は一つの機械を取り出した。それを押収されなかった事が二つ目の幸運であり、魔法使いの失態であった。
 それはマグルの世界の機械。ICレコーダーという音声を記録しておく為の機械。それがカメラや写真の形状をしていたのなら、魔法使い達も機械の用途に気付き、万が一を危惧して回収していた筈だが、その機械は魔法使いにとってあまりにも見慣れない物だった。
 彼女が写真と共に一人の『情報屋』から買った秘密道具。その中には彼女が望んで止まなかった真実に至る為の手掛かりがバッチリと残っていた。
「……やった。やったわ!」
 この幸運を離すわけにはいかない。羽川摩耶は仲間達の下へ急いだ。
 手に入れた決定的な情報を共有する為に。

 人々の知らない場所で時代が大きく揺らいでいる。
 その揺らぎの中心に程近い場所で一人の青年が罪を犯した。
「……ッハ」
 彼はずっと待っていた。信じていたのだ。闇の帝王が何時の日か復活し、再び世界を支配する刻が来ると……。
 帝王の復活を知った彼が初めに行った事。それは親殺しだった。
 まるで毎朝の日課として顔を洗うかのように、当たり前の様子で彼は人類の三大禁忌を犯した。
 悪びれる様子も見せず、彼は父親の死体を踏みつけながら恍惚の表情を浮かべる。
「待っていて下さい、帝王よ。今直ぐ、御身の下へ馳せ参じます」
 その事件が世に出る事は無い。闇の印は上がらず、死んだはずの男はその数ヶ月後、ホグワーツに現れたのだから。
 
 帝王からの命令を受け、彼は父親になりすまし、多くの子供達の前で演説を行う。
 それは開催の言葉。ホグワーツ魔法学校とボーバトン魔法アカデミー、ダームストラング専門学校の三つの魔法学校が競い合う歴史的行事。
 三大魔法学校対抗試合に目を輝かせる生徒の一人に彼は熱い眼差しを向ける。
 会いたかった。まるで生き別れた兄弟か、遠く離れた恋人か、死に別れた親と再会したかのような熱い感情が心中で荒れ狂う。
 偉大なる王をその卑しい身で脅かし、英雄と持て囃されている小僧。
 その身を八つ裂きに出来る日を待ち侘びていた。

――――さあ、その身で我が憎悪と憤怒を鎮めるといい。

――――さあ、その血で王の苦悩と嘆きを癒やすといい。

――――さあ、その死で愚かな者達に絶望を刻むがいい。

『ハリー・ポッター。恐れることはない。全てを本来あるべき姿に戻すだけだ。死ぬ筈だった赤子は死に、絶望するべき者達が絶望するだけだ』

『恐れるなかれ、ハリー・ポッター。“死”こそが汝の|真《まこと》の|運命《さだめ》なのだから』

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