第九話「正体」

「現在、シリウス・ブラックは『叫びの屋敷』を拠点にしてホグワーツの周囲を彷徨いております」
『闇祓い達は叫びの屋敷からホグワーツに侵入する隠しルートの存在に気づいていないようだ。命令通り、一日監視していたが奴らの目は無かった』
 リジーとシグレからの報告を聞きながら、僕は時間的猶予が少なくなりつつある事に気付いた。
 叫びの屋敷と暴れ柳を繋ぐ隠し通路の存在をダンブルドアが知らない筈がない。元々、リーマス・ルーピンの人狼化を鎮めるための場所として、ジェームズ達に叫びの屋敷を提供したのは彼だ。
 当然、当時利用していたルーピンや彼の秘密を探ろうと侵入を試みたスネイプも知っている。その情報を闇祓い局に提供しない理由も無い筈だ。
 その通路を封鎖する事もせず、監視の目も置いていないという事は……。
「既にシリウスの捕縛準備を進めている状況とみて間違いないな」
 泳がせて、最適なタイミングを図っているのだろう。
 早ければ今日中、遅くても一週間以内には決着がついてしまう。闇祓い局の精鋭達とホグワーツの優秀な教師陣に取り囲まれて、シリウスが切り抜けられる可能性はゼロに近い。
 行動を開始する時が来た。既に準備は整えてある。
「ご主人様、どちらへ?」
「我が友人達に会いに行ってくるよ」
 忍びの地図を片手に僕はフレッドとジョージ、リーの三人組の下へ急ぐ。
 彼らは都合の良い事に大広間で寛いでいた。
 僕が入って来た事に気づくと、三人揃って手を振ってくれる。
 大広間で大っぴらにグリフィンドール生と接触を取る。以前までなら双寮から顰蹙を買っていた事だろうが、漸く三年間の努力が実を結び始めている。
 スリザリンの生徒達はノットを始め、ザビニやブルストロード、グリーングラス、パーキンソンといった『聖28一族』の末裔達を籠絡し、ハリーやダンを通じてクィディッチ・チームの選手達にもより深い関係を持たせてもらった事で一層の発言権を得る事が出来た。個人的感情よりも家格が優先されるスリザリンにおいて、今の僕に敵意を向けられる人間など存在しない。
 グリフィンドールの生徒達にもフレッド達やネビルを通じて僕という存在を徐々に認めさせてきた。
 こうして、僕とフレッド達が親しげに話しても誰も文句を言わない環境を作り上げる事に成功した。
「やあ、ドラコ!」
「御機嫌よう!」
「朝から拝顔賜り恐悦至極にございます」
 仰々しい挨拶をしてくるフレッドとジョージにそれとなく合わせてあげながら、僕はコッソリと彼らに忍びの地図を見せた。
「ちょっと、この地図に気になる名前があったんだけど、聞いてもいいかな?」
「気になる名前?」
 僕はグリフィンドールの寮でロンの傍について回っている一つの名前を指差した。
 ピーター・ペティグリュー。
 その名前にフレッド達は首を傾げた。
「こんな名前の奴、グリフィンドールに居たっけ?」
「いや、俺は知らないぞ」
「ロンの友達か? けど、ピーターなんて奴の名前は聞いた事が無いな……」
 忍びの地図を手に入れる事が出来た事で計画は大幅に簡略化された。
 僕は少しミステリアスな表情を作りながら言った。
「僕には一つ心当たりがあるんだ」
「へえ、どんな奴?」
「……君達は少し驚いてしまうかもしれない。だから、覚悟を持って聞いて欲しい」
 僕がもったいぶった話し方をすると、彼らは早く言えと囃し立てた。
「ピーター・ペティグリュー。十三年前にシリウス・ブラックに殺された筈の男と同じ名前なんだ」
 その言葉に三人組の表情は凍りついた。
「い、いや、それは……」
「単に名前が一緒なだけだろ?」
「けど、そう考えると面白くないかな? グリフィンドール生であり、ロンの兄でもある君達すら知らないロンの秘密の友人。その正体が十三年前に死んだ男」
 僕は三人が興味を示すように仕草、表情、声、口調全てを丁寧に操った。
 惹き込まれるように三人がゴクリと唾を飲み込む。
「……僕の推理を聞いて欲しい。些か突飛かもしれないけどね」
「聞かせてくれ、ドラコ!」
「へいへい、面白くなってきたじゃあーりませんか!」
「どんどんぱふぱふー!」
 三人の反応に周囲の人間も聞き耳を立て始めた。その中にはダリウスという闇祓いの姿もある。
 僕が発したピーターの名前に一瞬、顔を歪めた。状況は整っている。
「この忍びの地図はホグワーツのあらゆる抜け道や隠し部屋が描かれていて、誰がどこにいるかも正確に分かる魔法の地図だ。つまり、地図上に名前があるという事は実際にその人がその場所に居る事を示している」
 これはダリウスに向けた説明。
「なら、ピーター・ペティグリューは今、グリフィンドールの寮でロンと一緒に居る事になる。さて、ここで注目すべきは二人が寮のどこに居るかだ」
 僕は彼らの名前のある部屋を指差した。
「寝室。二人が名前を知らなかったという事はロンのルームメイトにピーターという人物は居ない筈だ。なのに、今は二人っきりで寝室にいる」
「おいおい、これはどういう事だ!?」
「わ、我が弟に何が起きているんだ!?」
「……つまり、どういう事だ?」
 口調や声はおどけているけど、その表情には緊張の色が浮かんでいる。
 十三年前に死んだ筈の男が弟と寝室で二人っきり。胸騒ぎを覚えているのだろう。
「ここで君達に一つ聞きたい事がある」
「なんだい?」
「なにかね?」
「なんだ?」
「ロンのネズミについてだよ。僕は以前、彼のネズミを見た事がある。哀れな事に指を数本失っていたね」
「あ、ああ」
「言っとくけど、それはロンが虐待したとかじゃねーぞ。アイツがパーシーからスキャバーズを譲られた時には既にああなってたんだ」
「そうか……。もう一つ質問。スキャバーズは何年くらい生きているのかな? 既に僕が知っている限りで三年以上生きているよね。しかも、パーシーが育てていた期間もあるとなると……」
「えっと……、少なくとも七、八年くらいかな?」
「ネズミの割に長生きだよな」
「ネズミの寿命は長くても三年程度なんだよ。なのに、随分と長生きだよね」
 僕の言葉にフレッド達は曖昧に頷く。それぞれの顔が少しずつ青褪めていくのが分かる。
 彼らは悪戯が大好きな問題児だが、頭は悪くない。
「ねえ、どうして今年、ブラックは脱獄して来たのかな?」
「それは……、なんでだ?」
 フレッドがジョージを見る。
「わからん。リーは?」
 ジョージはリーを見る。
「さっぱりだよ」
 リーは僕を見た。
「彼の目的はホグワーツにある。父上から聞いたんだけど、ブラックはアズカバンで寝言で頻りに『奴はホグワーツにいる』って言ってたらしいんだ。魔法省や闇祓いがホグワーツを厳重に警備している理由はそれさ。まあ、彼らはブラックがハリーを狙っていると思っているみたいだけど、僕の考えでは違う」
 僕の言葉に三人は息を呑む。
「夏休み。ブラックが脱獄する少し前、新聞の一面にある一家の写真が掲載されていたよね?」
 フレッドとジョージの顔が強張った。
「そこにはスキャバーズの姿もあった。こう考えてみると、どうかな? もしも、ピーター・ペティグリューが『動物もどき』だったとしたら? ブラックはピーターと学生時代、とても仲が良かったらしい。ブラックがピーターの変身後の姿をよく知っていて、新聞の写真からでも彼の正体に気付けたとしたら?」
「おいおい、まさか……」
「ちょっと待て……じゃあ、なにか? ブラックの目的は……」
「……っていう推理。面白かった?」
 僕の言葉に三人は大きな溜息を零した。
「お、面白いっていうか……」
「まあ、本当にピーターが動物もどきだったとして、ブラックから逃げ果せていたとしたら、その後に変身を解いてダンブルドアか闇祓いの下に身を寄せていた筈。未だに正体を隠したまま生きているなんてあり得ないよね。まあ……」
 僕はダリウスに聞こえるように少しだけトーンを上げた。
「全てが逆だったとしたら辻褄が合っちゃうけど」
「全てが逆って?」
 リーが首を傾げる。
「実は……ブラックはハリーの後見人になる筈の人だったんだよ。学生時代、ハリーの父上とすごく仲が良くて、加えて性格も良く、頭も良かったから学校中の人気者でもあったそうだ。対して、ピーターは卑屈で臆病な生徒だったらしい。だから、僕はブラックが死喰い人で闇の帝王の腹心だったという噂をどうしても信じる事が出来なかった。むしろ、ピーターが死喰い人だったとする方がずっと納得出来る。十三年前の事件でも、本当はピーターが死喰い人で、ブラックが彼を捕まえる為に追い詰めていたとしたら? その時にピーターが逃げる為に周囲にいた人々を巻き添えにして自爆した振りをしたとしたら? 自分が死んだと思わせる為に指をわざと現場に残し、自分はネズミの姿でペットとして今も生き永らえているとしたら? 変身を解かない理由は実は死喰い人でダンブルドアや魔法省を頼る事が出来ないとしたら?」
「……じょ、冗談だよね?」
「冗談……のつもりだけど、証明する手段はあるよ?」
「どうやって……?」
「実際にスキャバーズに変身解除の呪文を使うのさ。それでピーターに変われば僕の説が正しい事になる。その腕に闇の刻印でもあれば完璧さ」
 僕は三人に言った。
「ものは試しで実験してみない? 単なる変身解除の呪文だから、もしも単なるネズミなら、スキャバーズに何の害もない」
「……俺達、何をすればいいの?」
 リーはやや表情を引き攣らせながら問う。
「ロンにスキャバーズを連れて来させてもらえるかな? ここに」
 いつの間にか、ダリウスが移動していた。壇上で食事を取っている先生達や闇祓い達に声を掛けている。
 僕は最後のひと押しをした。
「ねえ、三人共。お願い」
 三人の心の奥底に丹念に植え付けた密かな忠誠心を揺さぶる。
 時間が無いから些か強引な論法を披露してしまったけど、これが最後のチャンスだ。逃す訳にはいかない。
「分かったよ、ドラコ。君がそこまで言うなら……」
「万が一が起きたら怖くて夜も眠れなくなりそうだけどな……」
「俺、スキャバーズの事、結構好きなんだけど……。うわぁぁ、頼むからピーターとかいうおっさんなんて関係ない普通のラブリーなネズミでいてくれよぉぉぉ」
 それから一時間後、フレッドとジョージが困惑した表情を浮かべるロンを連れて来た。
 大広間内にはいつの間にか闇祓いと教師陣が勢揃いしている。みんな、壇上でお喋りに花を咲かせているように見せながら此方に注意を向けている。
 フレッドとジョージが言葉巧みにロンからスキャバーズを受け取り、僕が教えた変身解除の呪文を唱えた。
 すると……、そこには一人の中年男が立っていた。

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