第十二話「真実を求める者達Ⅰ」

 この世には常識では説明出来ない摩訶不思議な事件が数多く存在している。
 例えば、十年ほど前の話になるが、いくつかの村から村人が集団失踪を遂げ、その行方は今も不明のまま。
 他にも飛行中に突如旅客機が消息不明になり、数日後にそこから数百キロも離れた場所で発見された例もある。
 これらはイギリス国内で起きた事だ。他国に目を向ければ、それこそ数え切る事など不可能な量だ。
 一連の事件には幾つかの共通点があり、殆どの場合、被害者及び周辺区域に住む住民の記憶に異常が見られる事。
 そして、警察組織及び、それに類する組織に圧力が掛けられ、捜査の続行を阻止される事だ。
「……胸糞が悪いな」
 ロンドン警視庁専門刑事部に所属するフレデリック・ベイン警視長は一冊の分厚いファイルに目を通しながら一人呟いた。
 若くして警視長の座についた彼には一つの目的があった。
 それは『真実』を識る事。
 十年前、村人が集団失踪を遂げた村の一つが彼の故郷だった。
 ゴーストタウンと化した村を彷徨い、廃墟と化した自らの生家を前に涙を流した。
 毎日大学に通い勉学に励む自分を尻目に幼馴染達は今も畑を耕し、面白おかしく生きている筈だと思っていた彼を打ちのめした事件。
 誰に何を聞いても理由を知る事は出来ず、失踪した村人達の消息も掴めなかった。
「そんな馬鹿な話があるものか! 百人以上の人間が失踪したんだぞ……」
 当時、他にも同じ事件が幾つも起きていた。
 事件の真相を掴むために警察組織に入った彼は当時を知る老齢の警察官に話を聞き、その事を知った。
 彼は悔しそうに顔を歪めながらフレデリックに話した。
『事件の糸口さえ掴めなかった。周辺の住民に聞いても村人の行方を何も知らないと言い張る。たった一晩で百人以上が集団失踪したのに、目撃情報一つ無いなどありえるものか!! 私は悔しかった。私だけでは無い!! ポールもマイケルもエドモンドもみんな躍起になって情報を探した。だが、何も見つからなかった!! 車は各家にそのまま!! 近くの山を虱潰しに探しても人影一つ見つけられない!! その内、上から急に捜査の中止を命じられた。理由は分からない。上司に抗議をしても無駄だった……』
 今読んでいる資料は彼から受け取った物だ。当時、彼が調べあげた内容や彼と親交のあった捜査官達の集めた情報をまとめたもの。
 他の資料を一切合切没収される前に密かに隠したものだと言う。
『国家ぐるみの犯罪かもしれん。故にこの資料の取り扱いには慎重に慎重を重ねなさい。君を真の正義を心に掲げる警察官だと信じて託すのだ。どうか、真実を解き明かしてくれ。私だけではない。当時の悔しさを知る多くの捜査官の願いだ。その為ならば我々は君に出来る限り力を貸す』
 資料を閉じ、フレデリックはいつものように地下に隠してある金庫の中へ資料を仕舞い込んだ。
 既に内容は頭の中に事細かく刻まれているが、資料を託してくれた先輩の警察官への恩義と自らの使命を忘れない為に時折こうして目を通している。
「……そろそろ出掛けないとな。今日はウーリッジの方に出向かねばならん……、頭が痛いな」
 ウーリッジ近郊は治安の悪さが尋常ではなく、無警戒に入り込めば身包みを剥がされ、下手をすれば躯を晒す事になりかねない。
 元々、軍需産業の工場が立ち並ぶ区域だったが、軍縮の煽りを受けて失業者が大量発生し、おまけに移民が大量に入り込んだせいで今や中国の九龍城と並ぶ程の魔都と化している。
 他の四人の警視長から『若者は現場を知るべきだ』という御高説と共に命じられたスラムの視察にフレデリックはついつい溜息をこぼしそうになる。
 だが、警察官としての勤めを疎かにするわけにはいかない。更に出世して、『真実』に手を伸ばす資格を得る為にもっと働かなくてはならない。気を引き締めた。

 フレデリックがウーリッジを視察する為にグリニッジ警察署を訪れると何やら揉め事が起きていた。
 どうやら、一人の少年が受付で何やら喚き立てているらしい。
「これは何事かな?」
 近くに居た署員に話しかけると、その内容は何とも物々しく、それでいて微笑ましいものだった。
 少年のガールフレンドが行方不明になったのだ。連れ去ったのは妖精らしい。
 受付の女性職員が困り果てているのを見て、フレデリックはお節介を焼く事にした。
 署長への挨拶とウージッリ近郊をパトロールしている警察官から話を聞く予定だったのだが、大分早く到着してしまい、どうしたものかと困っていた所だ。
「坊や、どうしたんだい?」
 声を掛けて、フレデリックは軽い驚きを覚えた。
 歳はまだ十歳前後だろうに、その目は子供とは思えない程ギラギラしている。
 とても『妖精』などというファンシーなものを信じているようには見えない。
「マリアが妖精に攫われたんだ!! 本当なんだよ、信じてくれ!! 目撃者が居るんだ!!」
 あまりにも必死な形相にフレデリックは表情を引き締めることにした。
 十年前。村が大きな事件に巻き込まれたに違いないと声高に叫ぶ彼の訴えを大人達は子供だからという理由で相手にしなかった。
 子供だから。そんな言葉を吐く者に真実を得る事など出来ない。
「詳しい話は私が聞くよ」
「あ、あんたは……?」
「私はフレデリック。これでも階級はこの署の誰よりも高いよ」
 そう肩の階級章を見せながら、フレデリックは少年に微笑みかけた。
 安堵と罪悪感の入り混じった表情を浮かべる女性署員に軽くウインクを飛ばし、フレデリックはそのまま少年を署から連れ出し、近くのレストランへ連れて行った。
「好きな物を選びなさい」
「い、いいのか?」
 疑わしそうな目を向けてくる少年にフレデリックは「もちろん」と答えた。
 料理とジュースが運ばれてくると、少年は初めて子供らしい表情を浮かべた。
「あの……」
「話は食事が終わってからにしよう」
「お、おう」
 よほど腹が減っていたのだろう。少年はゆうに三人分はあるだろう料理をペロリと平らげた。

 食後のコーヒーを啜りながら、フレデリックは彼から詳しい話を聞いた。
 少年の名前はジェイコブ・アンダーソン。ウーリッジのアパートメントに娼婦の母親と二人で暮らしているらしい。
 彼の子供とは思えない眼光の正体が分かり、フレデリックは少しだけ悲しくなった。
 親に無償の愛を注がれ、友人と共に夢を語りながら馬鹿な事をするべき年頃なのに、彼は並みの大人が経験するよりもずっと過酷な環境を生き抜いている。
「マリアの客の一人があの日見てたんだ。マリアを誘拐する妖精を……。最初はすっとぼけてやがったけど、足腰立たなくなるまで殴ってやったら吐きやがった。いっつも俺達が会っている所を見てて、その事をアイツに……」
「そうか……」
 聞いていて腸が煮えくり返ってくる。
 幼子が性を売り物にさせられるというスラムで常識的に起こっている事。それが堪らなく腹立たしい。
 人間とは理性を持つ生き物だ。力無き者を食い物にするなどあってはならない。それがフレデリックの信じる世界の真理だ。
「まあ、二度と使い物にならないようにしてやったけどな」
 悪辣に笑う少年にフレデリックは微笑みかけた。
「よくやった」
「……アンタ、警察官のくせにそれでいいのか?」
 呆れられてしまった。
「コホン。内緒にしておいてくれ。大人はあまり本心を顔や口に出してはいけないものだからね」
「あいよ」
「それで、妖精と言っていたが、具体的にはどんな姿だったのかな?」
「……こんなヤツ」
 ジェイコブは一枚のチラシをテーブルに乗せた。
 そこには奇妙な生き物が描かれている。
 耳が大きく、目がギョロっとしている。
「これが妖精か……」
 ディズニーのティンカーベルとは比べ物にならないくらい不細工だ。
 夢も希望もあったものじゃない。
「手掛かりとなりそうなものは他に無いかな?」
「……なんにも。色々なヤツ殴ったけど、出て来たのはそれだけさ。俺だって……、本当はあんまり信じてない。だけど、本当に他に何もないんだ。わけがわからねぇ……。表通りで店構えてる奴らも客待ちのババァ共も誰も見てないって言うんだ……。それどころか、その時何をしていたのかも覚えてないって……」
「なんだと?」
 気付けばフレデリックは少年の両肩を掴んでいた。
「そう言ったのか!? 記憶が朧げだと!」
「お、おう」
 常識ではあり得ない事件。その共通項は周辺住民の記憶の異常。
 妖精はさすがに目撃者が嘘を吐いているか、もしくは幻覚を見たのだろうが、この少年のガールフレンドの身に起きた事は間違いなく十年前の事件と同じ性質を持っている。
「クソッ、時間が……。ジェイコブ! 今から渡すメモの場所に行きなさい。そこに私の知人が探偵事務所を構えている。既に警察組織を引退した男だが、君のガールフレンドが巻き込まれたような事件を追っている。私も後で顔を出すから彼を頼れ。連絡は入れておく。これを持っていけ」
 フレデリックは腕時計を憎々しげに見た後、財布から札束を出し、一枚の名刺を少年に渡した。そこには『レオ・マクレガー探偵事務所』と書かれている。
「いいか、必ず行くんだ。君のガールフレンドは必ず助け出す。私を信じてくれ」
「……ああ、わかった! アンタは俺の話をちゃんと聞いてくれた。俺はアンタを信じる」
 フレデリックは力強く頷くと、彼に探偵事務所への行き方を詳細に伝えた。

 ジェイコブと分かれた後、フレデリックは拳を握りしめた。
 この事件が必ずや十年前の事件の解決に結びつく筈だ。
 幼馴染達や親兄弟の顔を頭に浮かべ、彼は決意を燃え上がらせる。
「必ず掴んでやるぞ、『真実』を!!」

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