第十一話「家族」

 薄暗い部屋。僕はふかふかの椅子に腰掛けている。
『……忌々しい』
 腸が煮えくり返る。賢者の石さえ手に入っていれば、今頃は肉体を完全な状態で蘇らせる事が出来たものを……、あの老いぼれめ。
 どうにかして、手駒を手に入れなければならない。だが、どうやって?
 ルシウスを始め、配下達の内でアズカバンへの収監を免れた者達は信用出来ない。
 今の私はあまりにも非力だ。奴らは私への忠誠よりも己の保身を優先させるだろう。
 だからこそ、今も呑気に過去を忘れて生きている。
『手駒が必要だ……』
 この哀れな状態の私にも忠誠を誓う従順な下僕が必要だ。
『一つ、賭けに出てみるか……』

 精神を殺した状態で魂の融合を行っても、こういう事が起きるのか……。
 僕は今、ヴォルデモートと意識を同調させていた。
 隣のベッドではハリーが同じ夢を見ているようで、傷口を抑えながら苦悶の声を上げている。
「ハリー。大丈夫かい?」
 肩を揺さぶり、強引に目を覚まさせる。
 ハッとした表情を浮かべて起き上がるハリーを抱き締める。
「大丈夫かい?」
「う、うん……」
 頭を優しく撫でてあげながら、僕はハリーが見た悪夢の内容を聞いた。
 やはりと言うべきか、内容は全く同じだった。薄暗い部屋の中で怒りを滾らせるヴォルデモートとの同調にハリーは酷く動揺している。
「大丈夫だよ、ハリー。僕がついてる。だから、安心するんだ」
「ドラコ……」
 僕はハリーの瞳をジッと覗き込んだ。不安を他の感情で払拭する。
 ハリーはのぼせたように頬を赤らめ、そっと目を伏せる。
 そんな彼の顔を両手で包み込み、少し強引に僕の目を見させる。
「ハリー。嫌な夢なんて忘れて、明日の事を考えよう。明日、シリウスが君に会いに来るんだ」
「シリウス……。僕の後見人……」
 シリウス・ブラックの無罪は無事に証明された。魔法省内でゴタゴタが起きたり、日刊預言者新聞に掲載された哀れな冤罪被害者のニュースに世間も沸き立ち、それが落ち着くまで待っていたら三年目が終わる直前になっていた。
 試験やクィディッチの試合も全て終わり、今年もスリザリンが圧勝した。
 闇祓いの介入やピーターの逮捕劇などもあったけど、概ね平和な一年となった。
「明日会ったら、いっぱいお話をするといい。彼は聞きたがる筈だよ」
「……僕はシリウスと暮らす事になるのかな?」
「君が望むならね。それが何よりも優先される筈さ。ただ、彼はきっと君を愛してくれる。他の誰よりもね」
「……そうかな?」
「不安かい?」
「だって、今まで一度も会ったことがないんだ。夏休みに君から言われるまで、そんな人が居る事自体知らなかったし……」
「ハリー……。君は僕の事をどう思う?」
「え……?」
「僕は君が大好きだよ。出会えて良かったと心から思っている。君のためならそれこそ何だって出来るくらい、君を想っているつもりさ」
「ド、ドラコ……」
「君はどう?」
「……えっと」
 ハリーは照れたように唸る。
「……僕も君の事が大好きだよ。知ってるだろ!? この世で誰が一番大切かを聞かれたら、迷わず君を選ぶくらい大事に思ってる!」
 嬉しくて頬が緩む。思い通りの言葉だったけど、それを実際に彼が言ってくれた事に心から喜びを感じている。
「だけど、僕達が出会ったのはほんの三年前さ」
「それは……」
「たった三年でも、これだけの絆を作れるんだ。だから、君とシリウスの絆だって直ぐに出来る筈だよ。シリウスは君を愛してくれる。後は君が愛してあげるだけなんだから」
「でも……」
「僕が保証する」
「ドラコが……?」
「どうしても不安なら、僕を信じればいい。僕を頼ればいい」
 僕は彼に微笑みかけた。
「いつだって、どこでだって、僕は必ず君を助ける。だから、ドンとぶつかってきなよ!」
「ドラコ……、うん」
 ハリーは漸く笑みを浮かべてくれた。
「君は僕のためにシリウス・ブラックの無実を証明してくれた」
「たまたまだけどね」
 僕の言葉を彼は全く信じていない。だけど、その表情に批難の色は一欠片も見えない。
「ありがとう、ドラコ。君が道を作ってくれた。なら、進む勇気くらいは持たなきゃね」
「……ハリー。君は幸せになるべきだ。その権利があるし、義務もある」
「義務?」
「君の御両親はきっと君の幸福を祈っていた筈だ。それに僕だって、君が幸せになれなきゃ嫌だ」
「あはは……、それは責任重大だなー」
「そうさ、君は僕らの願いを背負っているんだから、幸福にならなきゃいけない義務があるんだよ」
「……幸福にならなきゃいけないって言うけど、もう僕はとっくに幸福さ。僕も君に出会えて良かったよ、ドラコ」
「ハリー……」
 夜が更けていく。明日、ついに僕が待ち望んでいた日がやってくる。

 心臓が高鳴っている。今、僕はダンブルドア校長先生の部屋にいる。
「大丈夫だよ、ハリー」
 ドラコの微笑みには力がある。勇気を奮い立たせる聖なる力が。
 僕がどうしても一緒に居て欲しいと懇願すると、彼は「もちろん」と頷いてくれた。
 もうすぐ、ここに彼が来る。僕の家族となる人が……。
「来たようじゃな」
 ダンブルドアの言葉と共に扉がパッと開いた。そこに少し痩せ気味の男が立っていた。
「……シリウス……おじさん?」
 僕が呟くと、シリウスは涙を流しながら僕の下へ駆け寄ってきた。
「ハリー!! ハリー・ポッター!!」
 彼は僕の頬を両手で包み込むと、嗚咽を漏らしながら何度も僕の名前を呼んだ。
「ああ、ずっと会いたかった。ジェームズとリリーの息子。顔や髪はジェームズにそっくりだ……」
「でも、目はママにそっくり?」
 僕の言葉にシリウスは面食らった表情を浮かべ、やがて吹き出した。
「その通りだ! 誰の心も鎮めてしまう優しい瞳。紛うことなき、リリーの瞳だ」
 そう言うと、シリウスは表情を強張らせた。頬を紅潮させ、何度も咳払いをした。
「そ、そのだね。きょ、きょきょ、今日は君に提案があ、あ、あ、ある、あるんだけど……その、えっとな」
 ドラコは凄いと思う。彼の言葉はどんな奇跡も実現する。
 僕は初対面のシリウスの事が大好きになった。
「シリウス。僕、あなたの家族になりたい」
 先手を打たれたシリウスが口をあんぐりと開ける。そして、突然踊りだした。
「うっひゃーおおおうううう!! 聞いたか!? 聞いているか、みんな!! ああ、こんな素晴らしい事が待っていたなんて!! あああああああああ!! 報われたぞ!! 十三年、アズカバンで耐えていた甲斐があった!! うっひょおおおおお!! ハリーが!! ハリーが私の家族になるんだ!! 見ているか、ジェームズ!! リリー!! 私は絶対にハリーを幸せにするぞ!! 絶対に……絶対……」
 今度は泣き出してしまった。泣き喚きながら、彼は僕に必死に謝ってくる。
 彼の過去の過ち。ジェームズとリリーに秘密の守り人をピーターにするよう進言してしまった事を何度も地面に頭を擦りつけながら謝った。
 僕が何を言っても、泣きながら「ごめん。ごめんよ、ハリー」と……。
「ダーズリー家の事を聞いた!! 君を……辛い目に……グゥゥゥゥゥ。だが、もう誰にも君を傷つけさせんぞ!! 私が守る!! 私の人生全てを掛けて、君を幸福にしてみせるぞ!!」
 十三年間溜め込み続けてきた感情を一気に放出している。
 気がつくと、僕は涙を流していた。
 こんな人がいたんだ。
 僕の家族になりたいと心から願っている人。
 ドラコを見ると、彼は我が事のように嬉しそうな笑みを浮かべている。
 みんな、僕とシリウスが家族になる事を祝福してくれている。
 もう、理不尽な事を言われたり、暴力を振るわれたり、食事を抜かれる事なんて無いんだ。
 僕を愛してくれる人と一緒に暮らせるんだ。
「シリウス!!」
「な、なんだい、ハリー?」
「これから、よろしくお願いします!」
「……ああ、ああ!! よろしく頼むよ、ハリー。わ、わ、我が息子よ!!」
 シリウスは感極まった表情を浮かべながら僕を抱き締めた。あまりにも力強いハグに全身が痛くなるけど、僕は全く気にしなかった。
 むしろ、全身全霊で彼を感じたかった。
 三年目が終わりを迎えるこの日、僕は新しい家族を手に入れた。

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