第六話「秘密の部屋」

 ようやく念願が叶った。広々とした部屋の中心に置かれている一冊の日記帳から一つの『意思』が消滅したのだ。
 既に季節は春を過ぎ、夏を迎えようとしている。思った以上に時間が掛かった。
『僕はただ、認められたかっただけなのに……』
 精神が完全なる死を迎える直前、日記帳に刻まれた一文。それがゆっくりと消えていく。
 三位一体が崩れた事で日記自体に異変が起こり始めた。
 分霊箱を破壊する方法は分かっているだけで二つ。バジリスクの毒と悪霊の火だ。
 どちらも強力な守護を打ち破る『破壊の力』によって媒体を破壊する。
 分霊箱の媒体は三位一体の『肉体』の役割を担っている。それが壊れる事で分霊箱としての機能が失われるのだ。
 だが、どうやら『肉体』を破壊しなくても、三位一体を崩す事さえ出来れば分霊箱は破壊出来るらしい。
 日記帳から夥しい量のインクが溢れる。やがて、そのインクは人の形を作り上げた。
 虚ろな目をした青年がどこか遠くを見つめている。
 徐々にその体が空気に解けるように消えていく。
「……カプテムアニマ」
 呪文を唱えると、消滅する筈だったトム・リドルの霊魂が小さな光の玉になった。
 僕はその魂に杖を向け、ゆっくりと自分の胸へ誘導した。
 彼の魂が完全に僕の中へと消えた瞬間、目の前が真っ白になった。
 

 気が付いた時、僕はリジーに介抱されていた。
「何時間経った?」
「一時間程でございます」
 意外と短い。霊魂の融合は精神や肉体にも大きな影響を及ぼすから、適応までに時間が掛かる筈なのに。
 人間だったからなのか、分霊箱の霊魂があくまでも本体から切り離された一部だったからなのかは分からない。
 しばらくの間、僕は自問自答を繰り返した。今の僕が完全にドラコ・マルフォイであり、トム・リドルではない事を確認する為だ。
「……大丈夫そうだな」
 僕は杖を振った。
「サーペンソーティア」
 杖の先から一匹の蛇が飛び出す。
『な、なんだ!? ここはどこだ!?』
 僕は歓喜に打ち震えた。
 分かるのだ。召喚した蛇が驚きの声を上げている事が。
『おい』
『え? 今、お前、オイラに『おい』って言ったか?』
 蛇はギョッとした様子で体をのけぞらせた。
『僕の言葉が理解出来るか?』
『おいおいおい!! オイラ、お前の言っている事の意味が分かるぞ! どうなってるんだ!?』
 素晴らしい。僕は蛇に消滅呪文を掛けて処分しながら満面の笑みを浮かべた。
 ハリー・ポッターが蛇語を話せる理由はヴォルデモートの魂の一部をその身に宿していたからだ。
 だから、出来る筈だと思っていた。
 だけど、成功するかどうか、不安が無かったわけじゃない。 
「行くぞ、リジー」
 魂が抜け落ちた『分霊箱だったもの』をポケットに仕舞うと、僕はリジーと手をつないだ。
 パチンという音と共に目の前に鏡が現れる。
 視線を下げると、蛇の紋章が刻まれた蛇口。ここは3階の女子トイレ。別名『嘆きのマートルのトイレ』だ。
『ちょっと!』
 背後からキンキンとした声が響いた。振り向くと、そこには半透明な女の子が立っていた。
「マートル・エリザベス・ウォーレンか」
『あら? 私の事を知っているの?』
 フルネームで呼ばれた事にマートルは目を丸くしている。
 僕は今、とても機嫌が良い。彼女に杖を向けて言った。
「いつまでも縛られているのは辛いだろ?」
『ちょ、ちょっと、何をする気なの!?』
「イータアシエンション」
 柔らかい光が杖から伸びる。これは意図的に作り出したゴーストを消滅させる呪文だ。
 どうやら天然物にも効果があったようだ。
『なに、この光……。なんだか、すっごく……落ち着く』
 マートルは静かに光の粒になって消えた。
 分類的には闇の魔術に属しているが、これは効力的に考えると魔法使いよりも僧侶が使いそうな魔法だ。
「安らかに眠るといい」
 僕は光の粒が完全に消え去るのを待ってから蛇の刻印に視線を戻した。
「さてと……、『開け』」
 蛇口が白い光を放ちながら回転し始めた。
 みるみる内に洗面台が地面へ沈み込み、太い配管の丸い口が剥き出しになった。
 迷わずにリジーと共に穴へ飛び込むと、暗く長い滑り台を延々と下り続けた。
 やがて、管の勾配が平になった途端、広い場所に放り出された。
「ご主人様、ここが?」
「そうだ。 秘密の部屋だよ、リジー。さあ、奥へ進もう」
 仄暗い洞窟には動物の骨がそこかしこに散らばっている。
 しばらく進むと、巨大な蛇の抜け殻と直面した。
「こ、これは……」
「バジリスクの抜け殻だ。この部屋に封印されている魔獣だよ」
「バジリスクですか……? ご主人様はそれを……」
「ああ、手に入れる。もっとも、本当の目的は秘密の部屋自体だけどね。でも、バジリスクは色々と便利だ」
「は、はあ……」
 更に進んでいくと、そこに丸い扉が見えた。絡み合う二匹の蛇が刻印されている。その瞳には大粒のエメラルド。
「リジー。君はここで待っていてくれ」
「え? で、ですが……」
「一筋縄ではいかないかもしれないからね」
「……どうか、ご無事で」
「ありがとう」
 リジーは本当にいい子だ。目玉を僕に捧げた日から、その忠誠がブレた事は一度もない。
「さて……、『開け』」
 扉が開く。僕はリジーに軽く手を振りながら奥へと踏み込んだ。
「ここが秘密の部屋か……」
 ほのかに明るい部屋に出た。
 幾つもの石柱が立ち並んでいて、そこに二匹の蛇が絡み合う様が刻印されている。
 天井はあまりにも高くてよく見えない。
 一番奥へまでたどり着くと、壁を削って作った魔法使いの像が見えた。
『何者だ?』
 不意に声が響いた。辺りを見回しても声の主の姿はどこにも見当たらない。
『私を探しても無駄だ。それよりも答えろ。汝は何者だ? ここを偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンの領域と知って踏み入れたのか?』
『そうだ』
 僕は蛇語で答えた。
『僕の言葉を理解出来るな? 蛇の王よ』
『お前は私を知っているのだな。ならば、答えよ。汝は何者だ?』
『僕はドラコ。スリザリンの新たなる継承者だ』
 その瞬間、目の前の地面から巨大な生き物が現れた。巨大な蛇だ。
 念の為に目を瞑ると、バジリスクは言った。
『汝、双眸見開きて、我を見よ』
 僕はゆっくりと瞼を開く。すると、目の前に蛇の頭があった。
 瞼を閉じている。
『我は古の契約により、スリザリンの継承者に仕える。ドラコよ、汝は資格を示した。必要とあれば呼ぶがよい。我は常に汝の隣に潜んでおる』
 蛇が地面へ沈み、消えた。
 思わず、膝を屈してしまった。蛇の顔を見た瞬間、死んだかと思った。
 全身が震えている。
「クハッ」
 僕は嗤った。
「ハハ……、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 手に入れた。最強の力と秘密の部屋。
 こんなにアッサリと。
『バジリスク。僕の声が聞こえているかい?』
『聞こえている。汝、何なりと命じるが良い』
『そうだな……。まずはお前に名前をつける。今後はそれを名乗れ』
『人は個を識別する為に記号を必要とする。汝の思うがままに』
『……お前の名は『シグレ』だ』
『承知した』
『シグレ。これより、この部屋の主は僕だ。これから客人を連れて来る事もあるが、その者達に危害を加える事を禁じる』
『承知した』
 僕はシグレに秘密の部屋の事を詳細に聞いた。
 蛇の王と呼ばれ、長い年月を生きたバジリスクは知性も相応に備わっているらしい。
 この部屋の成り立ちや使い方を色々と教えてくれた。
 どうやら、秘密の部屋へ入る方法はマートルのトイレ以外にも色々とあるようだ。

 僕はリジーを呼び、バジリスクに教えてもらった秘密の部屋にある継承者の部屋を訪れた。
 そこには大量の書物と実験に使われた器具や生物の標本が無数に飾られていた。
 本棚から適当に一冊引き出すと、そこには必要の部屋で手に入れた本以上の闇の知識が詰まっていた。
 他にも歴代の継承者が綴った研究資料や医学書などもあった。
 その部屋にいるだけで時間があっという間に過ぎてしまうくらい、素晴らしい空間だ。

 秘密の部屋内には他にも牢獄のようなものやスリザリンの遺した財宝があった。
 中には歴代の継承者が遺したものもあるみたいで、面白そうなものがわんさかある。
「リジー。ここに姿現しは出来そうかい?」
「大丈夫です」
「オーケー。じゃあ、明日までにマグルを一匹捕らえて牢獄に繋いでおいてくれ。出来るだけ遠くから攫ってくる事。いいね?」
「かしこまりました。性別や年齢はいかがしますか?」
「……そうだな。性別は不問とするが、年齢は十代後半から三十代前半までにしてくれ」
「かしこまりました。では、行ってまいります」
 バチンという音と共にリジーが姿を消す。
 僕は再び継承者の部屋に戻ると、緑の瞳を持った二匹の絡み合う蛇の刻印が刻まれている奥の扉に手を掛けた。
 脳裏にスリザリンの寮の近くにある秘密の抜け道を思い描き、扉を開いた。
 すると、扉の出口は秘密の抜け道の途中に出現した。扉を閉めると、一匹の蛇だけが壁にひっそりと残った。
 通路自体、光源が無いからとても暗く、よほど注意していても刻印の存在に気付けないだろう。
「二年目が終わる。来年、物語通りならシリウス・ブラックが動き、ピーター・ペティグリューを狙う筈。その結果、ピーターが逃げ出し、ヴォルデモートの下へ向かう筈」
 途中でイレギュラーが起こらない限り、ヴォルデモートはピーターが手元に戻った時点で復活を図る筈だ。
「さて……、これからどう動くべきかな」
 いずれにしても、力が必要だ。バジリスクを手に入れたが、それでもまだまだ足りない。
 あの継承者の部屋の知識を全て得る。その為に実験を繰り返す必要がある。フリッカやエドにも手伝ってもらわないとね。
 出来ればヴォルデモートとダンブルドアに互いを消耗させ合ってもらう。そして、チャンスが来たら両方を始末する。
 そして、僕は……、

「理想の世界を作る」

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