第一話「アズカバンの囚人」

 三年目が始まった。僕がもっとも好きな『アズカバンの囚人』の年。毎日『日刊預言者新聞』に目を通し、ウィーズリー家の人々の笑顔が映っている記事を見つけた時の歓喜は忘れられない。
 現在アズカバンという魔法界の監獄に投獄されているシリウス・ブラック。十二年前に起きた大量殺戮の犯人とされている人物だ。
 実は彼は無実であり、自らを陥れた男の存在をこの年の『日刊預言者新聞』を読む事で知り、脱獄してくる。
「……ハリーの後見人。彼の無実は必ず晴らす」
 僕がいつも憧れていた光景。
 シリウスはハリーの両親からハリーの後見人になって欲しいと頼まれている。
 本当の家族を失い、愛のない親戚の家庭で育ったハリーが初めて得る『愛してくれる家族』。
 原作では離れ離れになってしまったが、必ず一緒に暮らせるようにする。
「ピーター・ペティグリューを捕らえる事が出来れば、ヴォルデモートの復活を遅らせる事も出来る筈だ。それだけ力を蓄える時間が得られる」
 日刊預言者新聞をクシャクシャに丸め、僕は決意を新たにした。
「絶対に逃さない。今の僕が使える全ての駒を使ってでも……」
 家族は一緒にいるべきなんだ。子供は愛されるべきなんだ。
 それを邪魔するなら、誰だろうと排除する。
 だが、短慮は禁物だ。
 ピーターを捕まえる事が目的じゃない。
 シリウスの無実を証明する事こそが大切なのだ。
 その為にはピーターとシリウスをよく知る人物達を巻き込む必要がある。
 それも決定的瞬間を目撃するように……。
 
 手始めにギルデロイ・ロックハートをホグワーツから追放した。
 これは別に難しくなかった。もしかしたら、僕が何もしなくても追放されていたのかもしれない。
 単にホグワーツの理事を親に持つ生徒達全員を炊きつけたのだ。
『来年もロックハートに授業を習いたいと思う?』
 誰も反対意見を出さなかった。清々しいくらいの満場一致。
 父上もロックハートの授業のあまりの杜撰さに呆れ返り、ダンブルドアに抗議の手紙を送ったほどだ。
 理事以外の親達からもダンブルドアに手紙がいっている筈。
 それでも継続して雇用したいと思う程の魅力がロックハートにあるとは思えない。
 ダンブルドアも賢明な判断を下す筈だ。
 これでシリウスの親友であるリーマス・ルーピンが来る事になった筈。
 後は立ち回り次第だ。
 僕はハリー・ポッターの親友。それが既にホグワーツの生徒達全員の共通認識となっている。
 だから、僕がハリーの両親の死について調べていても変に勘ぐられる事はない。
 目的達成の為には物語を読んで得た情報を改めて収集する必要がある。
 

 ある程度必要な情報が揃った頃、日刊預言者新聞がシリウス・ブラック脱獄のニュースを報じた。
 それから更に数日が経つと、ハリーから手紙が来た。
 物語中では親戚のマージョリー・ダーズリーを膨らませる事件を起こす筈だったが、ハリーには予め、どうしても我慢出来ない事があったら遠慮せずに頼ってくるよう伝えておいた。
 それが功を奏したのか、ダーズリー家は至って平和な様子。代わりにハリーの中でマグルに対する憎悪が一気に膨れ上がり、手紙には怨嗟の言葉が延々と綴られていた。
 素晴らしい。既にハリーはマグルを下に見ている。手紙にはマグルという種族そのものを軽蔑しているかのような言葉もあった。
 僕は口元が緩むのを抑えきれなかった。
「……だが、ここでマグルに手を出して下手に罪悪感など抱かれては台無しだ」
 僕は計画の第一歩としてハリーを屋敷に招待するべく、迎えに行く事にした。
 完璧なマグルの格好と態度で『完璧な』挨拶をしてこよう。ダーズリー家の人々がハリーの目の前でどんな対応の仕方をするのか楽しみで仕方がない。
 
 出来る限りダーズリー夫妻の不興を買うために敢えて来訪の知らせは送らなかった。
 ハリーにはサプライズのつもりだったと言っておけばいい。ついでに『魔法界で』大人気のお菓子の詰め合わせも用意した。
 プリペット通りに到着すると、目的の家はすぐに見つかり、僕は意気揚々とチャイムを鳴らさずに扉をドンドンとノックした。
 魔法使いとしては当然の、マグルとしてはまともじゃない来訪の仕方をコンプリートしてみせる。
 中から不機嫌そうな足音が響いてきた。扉が開くと、鼻の穴を大きく膨らませた不細工な女が現れた。
「やあ、どうも」
 僕は相手を見下しきった口調で先手を打った。そのまま、返事も聞かずに中に入る。
「ハリーはいるかい?」
 綺麗に掃除してあるフローリングの床に足跡をつけながら中に入ると、ダーズリー夫人がキチガイ染みた声を張り上げた。
 罵詈雑言の嵐を聞き流し、僕は丁寧に磨かれた調度品を素手で触った。
「安っぽいね」
 ヒステリックな悲鳴が木霊した。
 その声に反応して、上の階から誰かが降りて来た。同時に奥の扉も開く。
「ハリー!!」
 夫人が階段を降りてくるハリーに険しい視線を向けた。それに対して、ハリーは実に冷たい目を向け、その後に僕を見て目を大きく見開いた。
「ドラコ!?」
「やあ、会いに来たよ、ハリー。君を我が屋敷に招待しようと思ってね。来るだろ?」
「もちろん!」
「なりません!!」
 二つ返事をするハリーの声を遮るように夫人が叫んだ。
「こんな礼儀を知らないボンクラとの縁なんて切りなさい!!」
「なっ……」
 ハリーは夫人の言葉に絶句した。
 その間に夫人は僕に対する罵詈雑言をこれでもかと披露してくれた。
 そこにアシスタントの如く登場したバーノン・ダーズリーとダドリー・ダーズリー。
 三人が繰り広げる茶番劇に僕は笑いを堪えるのが大変だった。
 必死に吹き出しそうになる口を押さえて哀しそうな表情をハリーに見せつける。
 効果覿面。ハリーはみるみる内に顔を真っ赤にした。階段を駆け上がり、一分後にトランクをガタガタ言わせながら降りて来た。
「行こう、ドラコ!」
 僕の腕を掴むと、ダーズリー一家にコレ以上ない憎しみの視線を向けると、家を飛び出した。
 大成功。あまりにも思い通りに行き過ぎて頬が緩みそうになる。
 いけない。ここは確りと傷ついた振りをしておかないとね。
「ごめん、ドラコ。“あの人達”が君に失礼な事を……」
 僕の家族という言葉すら口にしたくないようだ。
 僕は首を横に振った。
「いいや、僕が悪いんだ。君から話を聞いていたのに、どうしても君と会いたくて……」
「ドラコ……」
 感じ入った表情を浮かべるハリーに微笑みかける。
「迷惑だったかい?」
「そんな筈ないよ。君の顔を見れて嬉しい」
「ありがとう、ハリー」
 クスリと微笑むと、ハリーも微笑んだ。

 電車を乗り継ぎ、僕の屋敷に到着すると両親は以前と同じように仰々しくハリーを出迎えた。
 だけど、今回ハリーは前回と違い少し嬉しそうな表情を浮かべていた。
 それからの数日、僕達は夏休みの課題を片付けたり、息抜きにクィディッチの練習をしたりした。
 フリッカ達も招き、実に健全で学生に相応しい休日を過ごした。
 ちなみに秘密の部屋に監禁したマグル達はマリアを除いて全員死んでしまい、マリアの世話はリジーにやらせている。
 そして、夏休みが終わるまで後2日と迫った日、僕は彼らと共に紅茶を飲みながらシリウスの話を切り出した。
「シリウス・ブラックの事は知ってるかい?」
「ああ、アズカバンから脱獄したって聞いた。そんな事、あり得るのかな……」
 エドワードが眉間に皺をよせて言う。
「どういう事?」
 ハリーが聞いた。
「アズカバンには吸魂鬼がいるのよ」
 アメリアが言った。
「吸魂鬼?」
 ハリーが首を傾げる。
「吸魂鬼っていうのは人の感情を食べる幽鬼の事だよ」
 エドワードの説明にハリーはますます不可解そうに首をひねった。
「感情を食べるって、どういう事?」
「うーん。言葉にするのは難しいな……」
 エドワードは救いを求めるように僕を見た。
「感情というより精神だね。人を構成する三つの要素の内の一つを彼らは食べる。それも陽の気を」
「陽の気?」
「陰陽道を知ってるかい?」
 ハリーが首を横に振る。
「中国から伝わった概念なんだけど、森羅万象は陰と陽の二つの分類にカテゴライズされるらしい。精神もそうだ。陰と陽の気が混ざり合う事で精神は構成されている。要は希望とか喜びの感情が陽の気で、絶望とか哀しみの感情が陰の気だと理解してくれればいい。この内、陽の気のみを吸魂鬼は吸う。すると、精神は陰の気に満たされてしまう。陰陽の均衡が崩れれば、後に待っているものは崩壊という結末だ。この場合は精神の崩壊だね」
 羊皮紙に陰陽の図を描きながら解説すると、ハリーはなんとなくだが理解出来たみたいだ。
「アズカバンに収容された者は四六時中吸魂鬼に精神を吸われ続ける。故に囚人達は早かれ遅かれ精神崩壊を起こす。吸魂鬼を出し抜いて脱獄する気力なんて残る筈がないんだ。だから、みんな驚いているんだよ」
「そうなんだ……」
「ハリー」
 僕はハリーの瞳を見つめた。
 ここからが重要だ。慎重に言葉を選ばなければいけない。
「シリウス・ブラックは……、君の両親の親友だった男なんだ」

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