Act.5 《Love is blind》

 アストルフォが士郎と大河を連れ去り天高く舞い上がった後、残された桜とアーチャーは居間に移動した。
 
「……先輩を守る為にサーヴァントを召喚したのに、召喚されたのも先輩で……。私はどうしたらいいんでしょうか……?」

 思いつめた表情を浮かべて何を言い出すかと思えば、アーチャーは苦笑した。

「悩む必要はない。私とヤツは同一であって、同一ではない存在だ。君にとっての先輩はヤツ一人なんだよ。だから、私の事を気にかける必要はない」
「どういう意味ですか?」
「簡単な話だよ。私も聖杯戦争に参加した経験がある。だが、その時に召喚したサーヴァントはセイバーだった。それに、君が《|エミヤ《わたし》》を召喚する事も無かった。この時点で既に未来が分岐している。起源は同じでも、私達は別人なんだよ」
「……でも、先輩です」

 桜の言葉にアーチャーは心の中でため息をこぼした。
 こんな風に困らせるつもりはなかった。ただ、決して裏切らない存在だと認めてもらい、全力で頼ってもらいたかった。

「……マスター。私は君のサーヴァントだ。君に守られる存在じゃない。君を守る存在だ」

 ジッと桜の瞳を見つめながら、アーチャーは一言一句を刻みこむように言った。

「安心したまえ。これでも強くなったんだ」

 微笑みかけると、桜はポカンとした表情を浮かべた。
 少しキザな言い方だったかもしれない。呆れられてしまったかと思い、アーチャーは頬を掻いた。
 
「これだけは信じて欲しい。……オレは桜を守る。どんな敵からも、どんな運命からも絶対に。何が起きても、これだけは譲れない。君の幸福の為なら、どんな事でもするつもりだ」

 アーチャーは少し勘違いをしている。桜は呆れてなどいない。
 彼女は恋する乙女だ。他ならぬ意中の男性が成長した姿で己の前に現れ、己の事を守る為に全力を尽くすと言った。
 その衝撃たるや、核弾頭が頭上で爆発したかのようだ。みるみるうちに桜の肌は真っ赤になった。

「さ、桜!?」

 目を回す桜。アーチャーは慌てて倒れそうになる彼女を支えた。
 その鍛えぬかれた腕に包まれ、桜は今の状況が夢なのではないかと疑い始めた。
 己を抱き留めるエミヤの顔を見つめる。よく見れば、今の士郎の面影が色濃く残っている。

「……先輩。髪をおろしてもらってもいいですか?」
「は? か、構わんが……」

 困惑した様子で髪を撫で付けるアーチャー。

「……本当に先輩なんですね」

 逆立てていた髪をおろすと、それは童顔である事を気にしている彼の顔よりも少し大人びていたが、士郎の顔だった。

「なんだ。信じていなかったのか?」

 憮然とした表情を浮かべるアーチャーに桜は微笑んだ。

「だって、先輩は今でも凄くかっこいいんです。なのに、成長したらこんなに……、ますますかっこよくなるなんて……驚いちゃいまし……た」
「桜!?」

 突然意識を失う桜。慌てて呼吸と脈拍を確認するが異常は見当たらない。
 やがて静かな寝息を立て始めた。

「……召喚の疲れが出たか。色々聞きたい事もあったのだがな……」

 持ち上げると、見た目に比べてその体重は酷く軽かった。
 細い腕。失礼を承知で解析の魔術を使うと彼女の体内に蓄積している物が見て取れた。
 
「桜……。今度は絶対に助けるからな……」

 安らかな|家族《さくら》の寝顔を見て、アーチャーは決意を新たにした。

 ◇

 大河を学校で降ろしたアストルフォは士郎を後ろに乗せたまま高度六千メートルで遊覧飛行を楽しんでいた。

「どうだい? ヒポグリフの乗り心地は!」
「……凄い」

 語彙力が足りないのではない。その光景やその体感を他に言い表せる言葉が無かったのだ。
 どんな言葉もこの鮮烈な体験を表現しきれない。
 人が生身では到達出来ない場所。外気圏という、宇宙空間との境界面。そこからの光景はただ……ただ、凄い。

「地球が見える……」
「美しいよね」

 地球という|惑星《ほし》が球体である事実を肉眼で確認する事など普通は出来ない。
 その美しさを分厚い窓やカメラを通さずに見る事が出来た。その感動に心が揺さぶられる。
 
「アストルフォは月に行ったことがあるんだよな?」
「うん! まあ、その時は別の馬車を使ったけどね」
「今は無いのか?」
「うん……。ごめんね」

 ショボンとするアストルフォに士郎は慌てた。
 ちょっとだけ月旅行に惹かれてしまっただけで、どうしてもという程ではない。

「こ、こっちこそ無理を言って悪かった。……えっと、月ってどういう所だったんだ?」
「すべて……」
「え?」

 アストルフォは夢見るような表情を浮かべて言った。

「そこにはすべてがあったよ。ローランの理性だけじゃない。なにもかもがあったの……」
「なにもかもが……?」
「そう……。人類という種が持つ叡智を遥かに超えた|存在《モノ》。……ムーンセル」
「アストルフォ……?」

 士郎はアストルフォの雰囲気がさっきまでと異なっている事に気がついた。

「アレを見て」

 彼女が指を差した先にあるものは《月》だった。

「月に近づいたから、少しだけボクの理性が戻って来ているんだ」

 ヒポグリフの背中で器用に座り方を変え、士郎に顔を向けるアストルフォ。

「折角だから、お話しようよ」
「あ、ああ」

 大き過ぎる地球を眼下に収め、星の海を漂い、可憐なお姫様と幻馬の上で語り合う。
 まるでお伽話の世界に迷い込んだような気分だ。
 
「シロウ」
「なんだ?」
「シロウ!」
「な、なんだよ……」
「シ・ロ・ウ!」
「……本当に理性が戻ってるのか?」

 いきなり名前を連呼され、少し頬を赤くしながら疑るような目つきをする士郎。
 
「もちろんさ。今、ボクは数奇な運命によって主となった君の名を胸に刻んでいるところだよ。ねえ、シロウ。君はどうしてボクを喚んだの?」
「……喚んだっていうのは、ちょっと違うかもしれない。だって、俺は桜から説明を受けるまで聖杯戦争の事を何も知らなかったんだ。いつもみたいに魔術の鍛錬をしていて、その内に眠って……気付いたらアストルフォが隣で寝てた」

 士郎の言葉にアストルフォは笑った。

「まさしく運命的だね! 君は召喚しようと思ったわけじゃない。呪文も唱えていない。なのに、ボクは君と出会えた! とても素敵な事だと思うよ」
「……ああ、そうだな。聖杯戦争の事は色々考える所もあるけど、俺もアストルフォと出会えた事は素直に嬉しい」

 それは嘘偽りのない本音。士郎は目の前の可憐な少女に恋をしている。この出会いはまさしく奇跡だ。

「ねえ、君の事を教えてよ。ボクは君の事をたくさん知りたい」

 その声は、表情は、言葉は魔力を秘めていた。
 どんな事でも話してしまいたくなる。己の全てを知ってほしい。そう思わせる魔力がある。
 恋の魔力はいかなる呪詛よりも強力だ。

「えっと、どんな事を聞きたいんだ?」
「そうだなー。まずは君の夢を教えてよ」
「夢……?」
「うん!」
「……俺の夢は」

 それをあまり人に言った事がない。この歳になって、それを理想と語るのは少し照れくさいからだ。
 だけど、聞かれたからには答えないといけない。

「正義の味方になりたいんだ」

 それが如何に難しい事かも知っている。それでもなりたいと思った。
 炎の記憶に色濃く刻まれた養父の笑顔。彼が掲げた理想。それを月夜の晩に受け継いだ。
 みんなが笑顔でいられる世界。それが望みだと士郎は言った。

「この歳になって、何言ってんだかって思われるかもしれないけど……。それでも、俺は正義の味方を目指してる」

 そう締めくくる士郎にアストルフォは言った。

「いいね、その夢! 君のようなマスターに召喚された事を幸福に思うよ! ボクはその夢、大好きだ!」
「あ……、ありがとう」

 それはまさしく致命傷だった。
 彼がその後、どんな真実を識っても、この時点で後戻り出来なくなってしまった。
 大好きだと、士郎の夢を断じたアストルフォの笑顔。そこに嘘偽りや冗談の色は欠片もない。
 心からの言葉だと理解して、士郎は赤くなる顔を隠す為にそっぽを向いた。
 
 人に話しても、呆れられたりバカにされる事の方が多かった。
 こんな風に真っ直ぐに肯定された事は初めてだった。

「アストルフォはどうなんだ……?」
「ボク?」
「ああ。夢とか、好きなものとか、そういうの」

 己の事を知りたいと言ってくれた彼女の事を士郎も知りたくなった。

「ボクの夢か……。いつでも自由気ままに生きてるからねー。でも、好きなものなら言えるよ! 全部!」
「ぜ、全部?」
「そう! この世界にある物なら嫌なこと以外全部!」
「……じゃあ、逆に嫌いなものは?」
「うーん、ないね! 世界の全て! 大抵のものは好きだよ!」

 その曇りない笑顔が眩しく感じた。この世の全てを愛する。そこに彼は己の理想に対する答えがあるように感じた。
 
「シロウはある? なにか好きなモノ!」
「俺か……? 俺は……」

 答えが中々口に出せなかった。好きなものを聞かれて、具体的に答えを出すことが出来なかった。

「なになに? ひょっとして、ボクの事とか?」

 からかうように言われ、士郎は顔を真っ赤に染め上げた。
 するとアストルフォはガバッと士郎を抱き締めた。

「嬉しいよ、シロウ! ボクもキミが大好きだよ!」

 その体の柔らかさと鼻孔をくすぐる甘い香りに頭が蕩けてしまいそうだった。

「ボクは弱い」

 アストルフォは士郎を抱きしめながら言った。

「それでもボクはキミのサーヴァントだ。キミがボクを信頼してくれるなら、ボクは全力で応えるよ」
「アストルフォ……」
「誓うよ、マスター。ボクはキミの剣であり、キミの刃であり、キミの矢だ」
 
 契約が完了した。マスターとサーヴァントは互いを見つめ合い、全幅の信頼を相手に預け合う。
 普段は何をしでかすか分からないところがあるサーヴァントだが、どんな時でも彼女を信じよう。そして、信じてもらえるように頑張ろう。そう、士郎は心に誓った。

 ◇◇

 士郎とアストルフォが遊覧飛行を終えて衛宮邸に戻って来た時にはすっかり日が暮れていた。
 その頃、丁度眠りから覚めた桜が夕飯の準備を進めていて、士郎も慌てて手伝いに向かった。すると、そこには既に先客としてアーチャーが居座り、まるでその場の主が如く鍋を振るっていた。

「いいか、桜。中華鍋を振るコツは――――」

 その実に楽しそうな表情を見て、士郎はなんとも言えない気分になった。

「……あれ、俺なんだよな?」
「あはは! 楽しそうだね!」

 まるで自分の城を奪われた王のような気分。
 どんよりとした空気を漂わせる士郎にアストルフォは後ろからハグをした。
 そこにゴジラでも出たかと思うような大きな足音を立てて大河が現れる。

「うえーん! 怒られたよぉぉぉ」

 泣きべそをかく大河の到来。そこにアーチャーが現れた。
 皿には麻婆豆腐が盛られている。

「……相変わらずだな」

 どこか嬉しそうな表情だった。
 皿を食卓に並び終えると、アーチャーはそのまま縁側に出た。

「どうしたの? 赤士郎」
「その赤士郎というのはなんだ!?」

 大河に変な呼び方をされ嫌そうな表情を浮かべるアーチャー。

「だって、士郎も士郎なんでしょ? でも、士郎は士郎で士郎がいるし、士郎と士郎じゃ混乱するから士郎は士郎のまま、士郎は赤士郎って呼ぶ事にしたわけよ!」

 まるで早口言葉のようだ。アーチャーは深々とため息をこぼした。

「アーチャーでいいよ」
「でも、士郎なんでしょ?」
「そうだが、赤士郎よりはマシだ」
「えー! 怒られながら必死に考えてたのに―」
「……怒られている時は反省する事に集中するべきだぞ」

 アーチャーはまたもため息をこぼした。

「ため息ばっかり吐いてると幸せが逃げるんだぞー」
「今更逃げる幸せなんてないよ。それより、何か用があったんじゃないのか?」
「えーっていうか、どこに行くの? アーチャー士郎も一緒にご飯食べるでしょ?」
「アーチャーだけでいい! それと、私はサーヴァントだ。サーヴァントに食事は不要なんだよ」
「え? でも、アストルフォちゃんは食べてるけど? っていうか、みんなで《いただきます》するまで待ちなさい!!」
「えー!」

 ぶーたれるアストルフォを牽制しながら大河はアーチャーを見つめる。

「食べれないわけじゃないのよね?」
「それはそうだが……」
「アーチャー! マスターとしての命令です! 一緒にご飯を食べましょう!」
 
 渋るアーチャーに桜が言った。
 目を丸くするアーチャー。士郎や大河も驚いている。

「駄目ですか……?」

 途端に不安そうな顔をする桜。
 アーチャーは苦笑した。

「命令ならば仕方ないな」
「アーチャー! はやくしてよ! ボク、はやく食べたい!」

 アストルフォにも急かされ、アーチャーは桜の隣に座った。

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