Act.32.5 《A person whose love is insane》

 地の底で戦いの行末を見つめていた少年の下に一人の男が近づいていく。

「――――ああ、やっぱり生きていましたか」
「随分と忙しなく動き回っているようだな」

 魔女に殺された筈の男。言峰綺礼は何食わぬ顔をして現れた。
 その事に少年もさして驚かない。
 あの魔女はツメが甘い。なにもかもが中途半端だ。だから、戦力で圧倒的優位に立っていたにも関わらず敗北した。
 出自故に悪ぶっていても、彼女は根が善良過ぎた。

「何しろ手駒が居ませんからね。ボク自身が動かなければ舞台を用意する事も儘ならない」
「そこまでの手間暇を掛ける必要があるのか?」
「愚問ですね」

 ギルガメッシュは言う。

「これは英雄譚ですよ。英雄とは悲劇を乗り越え、試練に耐え、難敵を打ち砕くもの」
「……打ち砕かれたいのか?」
「ええ、もちろん」

 微笑む少年に綺礼は肩を竦める。

「分からんな。お前は何がしたいんだ?」
「ボクの瞳はこの世の全てを見通す。幾重にも隠された真実さえ、この眼には明瞭に映ってしまう」

 嘗て、名君と呼ばれた少年王はつまらなそうに言う。

「わかりきった結末に価値などない」

 一時、錆びた心を動かす出会いも会った。唯一《友》と呼べる存在と出会い、様々な冒険を繰り広げる日々に魂を震わせた事もある。
 だが、絶対的な力を持つ王にも定められた運命を覆す事は出来なかった。
 土塊に還った友。その姿を見た時、彼は大いに恐れた。

「運命とは絶対的なもの。その条理を覆したくて、不死の霊薬を求めた事もあった。可能性を求め、あらゆる英知や宝物を集めた。それでも、この心を満たすものは見つからなかった」

 それは全知全能故の絶望。
 瞳に映る全てのものが無価値に視えた。

「――――だけど、漸く出会えた」

 これは一つの奇跡だ。
 あまねく物語は彼から始まった。
 無限に枝分かれした物語。それは人類という種の価値を見出す唯一の可能性。
 人の可能性が収束し、一人の英雄が生まれようとしている。

「彼がボクに勝てる可能性は万に一つも無い。だが、それでもボクを討ち倒せたのなら……」

――――ボクは漸く人間を愛する事が出来るかもしれない。

「なるほど……。どちらに転んでも破滅的だ。巻き込まれた者達にとっても悲劇でしかない」
「そうでもありませんよ」

 クスクスと少年は笑う。

「それより、余計な事はくれぐれもしないように」

 少年の言葉に神父は応えない。

「……何を企てても、ボクが先に潰しますよ」
「分かっている。言わずとも分かる事だから黙ったのだ」
「だったら、頭の中で変な陰謀を巡らせないで下さい! 戦いが終わるまで、泰山で一人麻婆祭りを開催してていいですから!」

 そう言って、札束を綺礼のポケットに仕舞い込むギルガメッシュ。

「……この私を金で動かすつもりか?」
「動かないようにしてるんです! これも付けますから!」

 王の財宝から世界各国の“辛味”を追求した調味料を取り出し、綺礼に持たせる。

「あの怪しいお姉さんと怪しい中華料理の研究でもしてて下さい!」
「……っふ、必死だな」

 嘲笑う神父に英雄王は眉間を痙攣させる。

「……全部没収した上で牢獄に一生繋いでおいても構わないのですが?」
「まったく、ユーモアが分かっていない」

 やれやれと肩を竦めて去っていく綺礼。

「……まったく」

 近い将来、『紅洲宴歳館・泰山』という中華料理店から人死が出るかもしれないが、考えないようにする。
 それよりもアインツベルンの城の戦いが終わったようだ。
 
「――――7.23%の勝利を引き当てましたね。そう来なくては」

 その確率は彼の能力が完成に至る確率だ。バーサーカーを討ち倒せたという事はそういう事。
 口元が緩む。まるで恋を楽しむ思春期の子供のようだ。
 この出会いに運命すら感じている。

「さあ、ここに来て」

 門を築き、彼を誘う。
 微笑みながら、ギルガメッシュは士郎を歓迎した。

「こんばんは。はじめまして。会えて嬉しいですよ、お兄さん」

 天使のように微笑む彼に士郎は怒りを滾らせる。

「ギルガメッシュ……」
「いかにも、この身は世界最古の英雄王ギルガメッシュ」

 遙かなる天蓋へ昇る黒い柱を背に英雄王は歩き出す。

「――――さあ、人類の持つ|可能性《カチ》をボクに見せて下さい」

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