思っていた以上に疲弊していたようだ。目を覚ました時、外はすっかり暗くなっていた。
アストルフォを起こして部屋を出る。居間に向かうと桜が夕飯の支度をしていた。
「あ! 起きたんですね、先輩」
お玉を片手にニッコリと微笑む桜。いつもと少し雰囲気が違う。
「なんか、機嫌がいいな。何かあったのか?」
「いろいろと」
「そっか……。料理運ぶの手伝うよ」
夕飯の準備が終わった頃、慌ただしく大河も帰って来た。
アーチャーも実体化して桜の隣に座る。いつもの風景だ。
三人で使っていた机が少しだけ小さく感じる。
「うーん! いつ食べても我が家のごはんは最高ね!」
大河の言葉にアストルフォがうんうんと頷く。
「美味いな……」
桜が来るようになる前は大河と二人きりだった。
大河が教師になる前は彼女も忙しくて、一人の時間が多かった。
家族がいる。それが如何に素晴らしい事か、今更になって気がついた。
「……先輩」
「ん? どうした、桜」
夕飯を食べ終えた後、桜は意を決したように切り出した。
「今夜、キャスターの根城に踏み込みます」
「……え?」
あまりにも唐突で、あまりにも物騒な、いつもの彼女からは想像も出来ない言葉が飛び出てきた。
「どうして急に? それに、キャスターの根城がどこにあるのか分かってるのか?」
「居場所に見当はついています。そこに……、姉さんもいると想うんです」
「姉さん……?」
士郎は首を傾げた。桜に姉がいるなんて話は初耳だ。まさか、慎二が実は兄じゃなくて姉だったなんて事もあるまい。
アストルフォの前例があるから完全に否定も出来ないが……。
「遠坂先輩です」
「遠坂……?」
「今まで黙っていましたが、私は養子なんです。幼い頃、遠坂の家から間桐の家に引き取られたんです」
「そうだったのか……」
あの遠坂凛と桜が姉妹だったなんて全然気付かなかった。
「姉さんを助けたいんです。その為に……」
桜は頭を下げた。
「私を助けてください、先輩」
「ああ、もちろんだ」
迷うことなく、士郎は頷いた。
予想通りの反応に桜はクスリと微笑む。
「ありがとうございます、先輩」
◇
一時間後、衛宮邸の庭にヒポグリフが姿を現した。タクシーに乗っても多少時間が掛かる距離だが、ヒポグリフならば一瞬でたどり着ける。
士郎と桜がそれぞれの相棒と共に彼の背中に跨る。
「みんな、気をつけてね!」
心配そうに見つめる大河に手を振り、彼等は天高く舞い上がった。
僅か一秒弱で目標地点の上空に到達する。
「どうやらビンゴのようだな。結界が張られている」
「ボクの出番だね!」
アストルフォが善の魔女ロジェスティラから献上された知恵の書を開く。
「道を拓け、《|魔法万能攻略書《ルナ・ブレイクマニュアル》》!」
それは知恵の書の本来の名前ではない。理性の蒸発しているアストルフォは宝具の真名を忘却してしまっている。
だが、知恵の書は間違った名前で呼ばれて尚、その真価の一端を発揮する。
ヒポグリフが近寄ると、知恵の書はあっという間に結界を破壊してしまった。
「さあ、キミの真の力を見せてみろ! 《|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》》!!」
ヒポグリフが猛烈な勢いで疾走を開始する。
その瞬間、地上に漆黒の騎士が姿を現した。莫大な魔力を剣に籠め、領空を犯す不届き者を睨みつける。
「――――|約束された勝利の剣《エクスカリバー・モルガーン》」
嘗て、ブリテンを混沌の渦に貶めた卑王ヴォーティガーンに鉄槌を下し、国を再建した騎士の王アーサー・ペンドラゴン。
その清廉なる身は魔女によって穢され、その魂は堕落した。
暗黒に染まった聖剣。その剣に宿る力は嘗て彼女が討伐した魔竜の息吹と等しい。
あまねく光を呑み込む暗黒が士郎達に迫る。
「行け!!」
アストルフォの掛け声と共にヒポグリフが嘶く。
暗黒が迫る寸前、彼は異世界に潜り込んだ。如何なる必殺も当たらなければ意味が無い。
異世界から飛び出した彼は聖堂内に直接侵入した。
「なっ――――!?」
結界やセイバーの存在をまるごと無視して最深部まで潜り込むというヒポグリフの暴挙に魔女は目を見開いた。
その一瞬の間にアーチャーが動く。
彼は確信した。彼女は奸計を巡らせる事に長けた優秀な魔術師だ。だが、戦上手ではない。
「ッハ!」
弧を描き、|干将《つるぎ》がキャスターの首に向かって迫る。
「そうはいかん」
その一撃はキャスターに命中する前に撃ち落とされた。
驚愕は誰のものか――――、そこには誰にとっても予想外の人物がいた。
「葛木先生……?」
桜が呆然とした表情を浮かべてつぶやく。
その男の名は葛木宗一郎。士郎と桜が通う高校の教師だった。
「キャスター。さっさとマスターを狙え」
葛木の指示を聞き、キャスターは咄嗟にAランクの魔術を発動する。ところが、その攻撃はライダーのサーヴァントによって防がれる。Aランクの魔術を持ってしても、彼女の対魔力を超える事は出来ない。
だが、それで構わない。その一瞬が彼等にとって致命的なのだ。
士郎達の目の前に魔神が姿を現す。
アーチャーは葛木によって足止めされ、アストルフォもキャスターの魔術を相殺する為に動きを封じられている。
この瞬間、マスターである二人は完全に無防備だった。
「桜!?
「シロウ!!」
サーヴァント二人が叫ぶ。
桜には何も出来ない。彼女は魔術師としての教育を全く受けていない。
だから、現状を打破出来るとしたら、それは――――、
「体は剣で出来ている」
桜を背中に庇い、士郎は撃鉄を落とした。
――――血潮は鉄で、心が硝子。
炎の中から救い出され、進むべき|理想《みち》を教わった。
――――幾たびの戦場を超えて不敗。
その理想の果てに待ち受ける苦難や絶望を見せられた。
――――剣を鍛えるように、己を燃やすように、彼の者は鉄を打ち続ける。
この理想は現実の前ではあまりにも儚い。
――――収斂こそ理想の証。
故に矛盾に塗れた心を鋼の刃に仕舞い込む。
「|是、剣戟の極地也《リミテッド・ゼロ・オーバー》」
前は無我夢中で造り上げたもの。
今度は確かな信念の下に鍛え上げた。
「……二度も同じ手は通じん。それでも尚挑むというのなら、来るがいい」
魔神は目の前の非力な少年を敵と定め、魔剣を構える。
「行くぞ、騎士王」
士郎はゆっくりと刀を構えた。