Act.11 《Full of courtesy,full of craft》

「……綺礼」
「教会の神父が何の用?」

 途端に殺意が乱れる。二人の魔術師は現れた神父を目の前の宿敵以上に警戒している。
 言峰綺礼。アーチャーの記憶にも登場した人物だ。聖杯戦争の監督役であり、新都にある教会の神父でもある。
 夢の内容はノイズが混じる上にシーンが飛び飛びで細かい人物像を把握出来た者は一握り。
 この男については油断ならぬ相手という事しか分からない。

「このような往来での戦闘行為は控えたまえ。如何に人避けの結界を張ったところで限界がある。サーヴァント同士の交戦などもっての外だ。それに……」

 綺礼は士郎とイリヤを見た。

「未だに監督役の承認を受けていない|不心得者《マスター》が三人も……。まったく、嘆かわしいものだ」
「うるさいわね。監督役の承認なんて形だけでしょ」
「それを言うな、凛。監督役の運営は聖杯戦争を続行する上でも重要な事だ。規律があるからこそ、この戦いは存続を赦されている。それを乱すとなれば、さすがに魔術協会も聖堂教会も黙ってはいられなくなる。それはお前達の望むところでは無いだろう?」
「……ふん」

 あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる凛とイリヤ。

「……まあ、これも神の導きというものだ。この場で監督役としての責務を果たしてしまおう。……っと、少し小腹が空いたな。話は店の中でしよう」
「店の中……?」

 綺礼がすぐ近くの店に入って行く。

「早くしろ。元々、私は夕飯を食べに来たのだ」
「なんで、アンタと夕飯を食べなきゃいけないのよ!」
「……余裕がないな、凛」

 やれやれと溜息を零す綺礼。青筋を立てる凛。その様子を冷淡な眼差しで見ているイリヤ。
 
「リン」

 膠着状態を解いたのはセイバーのサーヴァントだった。

「ここで問答をしていても埒が明きません。その神父の言葉が本当ならば、正当な手続きを踏むべきかと」
「……セイバー。この店の料理が気になってるとかじゃないわよね?」

 ジロリとセイバーを睨みつける凛。セイバーの目が泳いでいる。どうやら図星だったようだ。
 凛は溜息を零す。

「仕方ないわね……。後で文句は受け付けないからね」
 
 そう言って、凛は店の中に入って行く。後ろからセイバーもついていく。

「さて、君達はどうするのかね? ものの数分を惜しみ、要らぬ敵を作りたいのならば何処へなりと去るがいい。もっとも、それが賢明か否かは計れんがね」

 士郎はアストルフォとイリヤを見る。アストルフォはセイバーと同じく目の前の店が気になるようだ。
 イリヤは相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべている。

「えっと……、イリヤはどうする?」
「……お兄ちゃんこそ、どうするの?」
「とりあえず……」

 アストルフォが入りたいとアピールをしている。

「規定には従っておこうかと……」

 その店には出来れば入りたくない。だが、綺礼の言葉ももっともだ。避けられるのに要らぬ敵を作る事は賢明とは言えない。

「……なら、わたしも行く」

 そう言って、店に入って行くイリヤ。
 
「はやく行こうよ、シロウ!」

 その後に続き、士郎に手を振るアストルフォ。

「……とりあえず、餡掛けを注文しよう」

 士郎は店の看板を見上げる。
 マウント深山に唯一存在する中華料理屋。名は『紅洲宴歳館・泰山』。
 真昼間のかきいれ時だというのに、カーテンで窓ガラスが締め切られ、店内の様子が見えない。一見さんが悉く逃げ帰るという商店街きっての魔窟だ。

「いざ……」

 店内には敵であるマスターが二人。サーヴァントもいる。そして、胡散臭い神父まで……。
 だが、士郎はそれ以上の存在を識っている。
 覚悟を決める。
 ちびっこ店長と親しまれる謎多き中国人・魃さんとは町内会のボランティア活動の時にちょくちょく会うのだが、彼女が振るう十字鍋の中身を見た日以来彼女の店の半径十メートル以内には決し近づくまいと心に誓っていた。
 
「いらっしゃいませアル!」

 相変わらず胡散臭い。語尾にアルを付ける中国人など実際にはいない。
 この人を前にすると神父の胡散臭さすら霞む。いや、同じくらいか……。
 席に座るとみんなメニューを開いていた。

「アストルフォ。それに、イリヤ。ここでは甘酢あんかけ系にしておくんだ」
「えー! ボク、この麻婆豆腐っていうの食べてみたい!」
「ダメだ!」
「え?」

 今日一日、どんな我侭にも笑顔で答えてくれた士郎が却下した。その事にショックを受けるアストルフォ。
 
「アストルフォ。とにかく、俺を信じてくれ。甘酢あんかけ系にするんだ」
「無いわよ、甘酢あんかけ系……」
「……え?」

 凛の絶望に満ちた声に士郎は目を丸くする。

「ああ、撤去したアルよ! 甘酢あんかけ系」
「……嘘だろ」

 士郎は戦慄した。メニューを見る。そこには禍々しき文字が踊っている。
 麻婆豆腐。剁椒大蝦球。刀削麺。泡菜魚片。剁椒大蝦球。地獄炒飯。
 写真を一切載せていない。なんと濃密な悪意。メニューから迸る濃厚な殺意に士郎は恐怖した。

「無いならしょうがないね! ボク、コレとコレとコレ!」
「あ、アストルフォ!?」

 目の前に特大の地雷が埋まっている事も知らず、アストルフォはいくつも注文をしてしまった。
 その隣でセイバーも負けじと注文をしている。
 凛の顔が青褪めていく。

「せ、セイバー? 注文したのはアンタだからね?」

 サーヴァントは胃袋も強靭なのだろうか……。
 そうである事を望む。

「わ、わたしはお兄ちゃんと同じものにするわ」

 イリヤは士郎と凛の様子が明らかにおかしい事に気づき、警戒心を露わにした。
 
「じゃ、じゃあ……、ほ、回鍋肉で!」
「私は青椒肉絲……」

 魃さんが去って行った後、綺礼から聖杯戦争における諸注意などを聞かされた。
 だが、殆ど右から左に流れていってしまう。なにやら、いい笑顔で何かを言っていたが士郎はそれどころじゃなかった。
 これから現れるだろう、泰山の料理に意識が集中している。

「……喜べ少年。君の望みはようやく叶う」
「お待たせしたアル!」

 来てしまった……。

「ヒッ」

 イリヤが悲鳴を上げる。
 そこに並べられたものは何もかもが赤かった。
 それはあたかも溶岩を思わせる。グツグツと煮えたぎり、蒸発した赤い霧が目を突き刺す。
 セイバーとアストルフォも言葉を失っている。漸く、士郎と凛の言葉の意味を悟ったのだろう。
 真紅の麻婆豆腐。真紅の剁椒大蝦球。真紅の刀削麺。真紅の回鍋肉。真紅の青椒肉絲……。
 辛くない筈の回鍋肉や青椒肉絲までもが赤い。

「そうだ! 初めてのお客さんもいるみたいアルから、言っておくネ!」

 魃さんが言う。

「一口足りとも残す事は許さんアルよ」

 その瞳に冗談の色は欠片もない。残したら殺す。そう書いてある。
 セイバーが恐る恐る麻婆豆腐を口に運ぶと顔を歪めた。声も出せないようだ。呻きながら水を飲む。
 その惨状にアストルフォとイリヤが震えている。

「……大丈夫だ、二人共」

 こうなる事を予期していた。二人の前にある皿を自分の前に寄せる。

「ちょ、ちょっと……? 何をしているの、お兄ちゃん!?」
「だ、ダメだよ……、シロウ!」

 目の前に並ぶ中華料理という名の狂気。士郎はレンゲを振り上げる。
 その姿に綺礼は「ほう……」と関心した様子を見せ、セイバーは「なんと……」と驚嘆する。
 そして……、

「も、もう無理……。死ぬ……」

 四皿を完食した時点で士郎は倒れた。
 お腹が痛い。喉が痛い。口が痛い。全身が痛い。
 まるで内側からナイフを突き立てられているようだ。

「シ、シロウ! 死んじゃダメだよ!」
「うう……、なんてことなの……」

 倒れこむ士郎を介抱する二人。その様子に凛は呟いた。

「……ここ、飲食店よね?」

 ただ、飲食店で注文したものを食べただけの筈なのにこの惨状。
 隣を見ると、汗を掻きながら三皿目の麻婆豆腐を完食して良い笑顔を浮かべている兄弟子がいる。

「セイバー」
「……なんですか?」
「アンタもさっさと食べなさいよ。注文したんだから……」

 セイバーは泣きそうな顔をしている。こんな筈ではなかった。
 一口食べた瞬間、生まれ故郷で食べた最低の食事を懐かしんでしまう程、この中華料理は強烈だ。
 もはや、これは食べ物ではない。一種の攻撃だ。

「……り、リン。その……、一皿だけ」
「自分で食べなさい」

 冷酷なマスターにセイバーは嘆いた。
 召喚されてから今日まで、凛とセイバーは非常に良好な関係を築いてきた。
 最強のマスターである凛にセイバーは不満など持たず、最強のサーヴァントであるセイバーに凛も不満を持たなかった。
 凛はとある事情から霊体化が出来ないというセイバーの為に衣食を用意する事も厭わなかった。
 食事の時だけ仮面が取れたかのように色々な表情を見せるセイバーが面白く、凛は張り切って彼女の為にたくさんの料理を作って上げた。
 凛の料理は基本的に中華が多く、セイバーは中華料理店という文字を見た瞬間、期待してしまったのだ。
 店を構えるプロの腕前。素人である筈の凛の料理があれほど美味しいのなら、この店の料理は一体どれほどのものなのか……、と。
 嘗て、肉を焼くだけという雑な料理を主食にしていた彼女にとって、凛が作る料理はまさしく奇跡の一品だったのだ。

「……辛い。痛い。苦しい。ぅぅ……」

 五皿目を必死に胃袋に詰め込むと、セイバーはテーブルに突っ伏した。
 彼女の他にもアストルフォとイリヤが最期に残った一皿を二人で懸命に処理して倒れ伏している。

「……今ならライダーとバーサーカーを同時に撃破出来るわね」
「構わんぞ。既に承認が完了している。ここから先はお前達の自由だ」
「――――駄目ですよ、遠坂先輩」

 凛は目を見開いた。そこに彼女のよく知る少女が立っていた。
 間桐桜。彼女はジッと凛を見つめている。
 右の頬が少し赤い。

「……喧嘩でもしたのかしら?」
「遠坂先輩には関係の無い事です。それよりも先輩に手を出したら絶対に許しません」

 そこにあったのは明確な敵意だった。
 
「……メイガス。そちらこそ、リンに危害を加えるつもりならば覚悟する事です」

 いつの間にか立ち上がったセイバーが桜を睨みつける。

「待ちなさい、セイバー。さすがに三対一は無謀よ。どうやら、イリヤスフィールも衛宮君にご執心のようだし」
 
 イリヤは起き上がり、凛とセイバーを睨みつけていた。

「モテモテね、衛宮君」

 意地悪そうな笑みを浮かべ財布から二人分の食事代を出すと、凛はセイバーを連れて店から出て行った。

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