第四十五話「夜鷹の夢」

 役者達が舞台のカラクリに気付きかけている。こうなる事を恐れ、早々にルーラーを排除するよう命じたのに……。
 何が、二度も続けて無様を晒すような真似はせん、だ。あれだけの啖呵を切っておきながら、この様とは!
 
「まあ、そう猛るな。よもや、セイバーまでが加勢に参ずるとは思わなかったのだ」

 言い訳など聞きたくない。わざわざ、惨めな老人の姿で現れるとは、同情でも誘おうという魂胆だろうか。全くの無意味だ。
 大体、あんな衝撃波如きで戦闘不能になるなど、|悪魔《・・》が聞いて呆れる。
 
「所詮、この身は借り物だ。魑魅魍魎如きでは一騎当千の英霊を相手に立ち回るなど無理というものだ」

 分かっているなら、あんな風に堂々と姿を晒す愚行を反省しろ。憤る私を老人姿の悪魔は愉快そうに見つめた。
 
「いや、儂なりに言峰綺礼という男を演じてみた結果じゃよ」

 そうして、戯れた結果がこの様か、ふざけるな。
 
「戯れておったわけでは無い。儂の存在に奴等が気付けば、それこそ終わりだ。故に、言峰綺礼という如何にも怪しげな人物を演じたんじゃ」

 それにしたって、やり方がお粗末過ぎる。未だ、真相に辿りつかれた訳では無いが、このままでは時間の問題だろう。
 ここで終わる訳にはいかない。何度も何度も繰り返して来たのは、祈りを叶える為だ。何も為せないまま、指を咥えて終わりの時を待っているなんて御免だ。
 
「セイバーとアーチャーが手を組んだ現状、奴等を止める事は至難じゃ」

 他人事のように悪魔は言う。お前にもお前の目的がある筈だろう。何を暢気な事を言っているんだ。
 激昂する私に悪魔は微笑んだ。
 
「このまま、お主の祈りが奴等に折られるのを見るのも一興。本来の目的は果たせぬが、所詮、儂は紛い物じゃ」

 私はうろたえた。まさか、本当にこの状況を静観するつもりだろうか。私が直接動かせる手駒は一つしかない。だけど、アレは私にとって切り札だ。下手を打てば取り返しの尽かない事になる。
 慌てふためく私を悪魔は尚もニヤニヤと見つめていた。
 
「案ずるな。儂とて、本来の目的が最優先である事に変わりは無い。その為の策も講じておる」

 思考がピタリと止まった。意地の悪い奴だ。この自称悪魔はこうした悪魔っぽい行動を取る事を好む。人をからかう事が何より好きなのだ。
 全くもって、忌々しい事この上無いが、講じた策というものには興味がある。
 
「とりあえず、これでアーチャーは何とかなるじゃろう。問題はセイバーじゃが、やりようによっては、奴等に戦い合わせる事も出来るかもしれん」

 悪魔が用意した策は実に悪魔らしいものだった。なるほど、これならば凛は身動きが取れなくなるだろう。彼女の彼に対する恋心は本物だからだ。
 間桐慎二は布によって拘束され、地面に横たわっていた。
 
 第四十五話「夜鷹の夢」

 カフェテリアを出た私達を待ち構えていたのは綺礼が引き連れていた六体のサーヴァント達だった。
 セイバーとランサーが真っ先に武器を構えた。
 
「懲りないな、貴様等も」

 セイバーは既に宝具を解放し、臨戦態勢に入っている。アーチャーも無言のまま、幾十、幾百もの宝具を滞空させている。ランサー、ライダー、ルーラーの三騎もそれぞれマスター達を守るように武器を構え、油断無く相手を見据えている。
 
「アレは……」

 声を発したのはアサシンだった。その声に応えるかのように、サーヴァント集団の中心から声がした。綺礼の声とは明らかに違う、聞き慣れた声。

「血気に逸るのも分かるが、少し落ち着くがよい」
「臓硯……」

 そこに居たのは間桐臓硯だった。アサシンが固有結界を使ってまで殺し尽くした筈の男。どうやら、何とかして逃げ延びていたらしい。
 
「――――桜よ。まったく、兄妹揃って、儂に逆らおうなどと、おいたが過ぎるぞ」

 まるで、孫を叱る好々爺のように戯けた事を口走る臓硯に私は得たいの知れない恐怖を感じた。十年の間に刻み込まれた言葉や痛みが私の身体の支配権を私自身から奪おうとする。
 駄目だ。屈するな。今の私は一人じゃない。|最強の英霊《ギルガメッシュ》が共に居てくれている。彼が居る限り、何者も恐れるには足らない。
 ギルガメッシュが一歩、前に足を踏み出した。随分と長い事、私達は話し合っていたらしい。東の空に薄っすらと陽光が垣間見える。闇夜を眩い光が照らした。
 ギルガメッシュは肩から太陽光の輝きを反射させる黄金を引き抜いた。
 
「――――凛、お前が決めろ」

 何を? などと愚かな事は口にしない。彼が問うているのは私の覚悟だ。間桐臓硯という存在に抗う意思を彼は問うている。
 
「ギルガメッシュ。奴を倒し――――」
「慎二がどうなっても良いのか?」
「……え?」

 臓硯の傍に彼が居た。虚ろな表情で佇んでいるのは間違いなく慎二だ。
 
「どうし――――」

 いや、臓硯が慎二を攫う事は別段難しい事では無い。
 臓硯が生きている可能性を失念していた事が最大の失態だ。奴が生き延びていた可能性を少しでも考えていれば、アサシンを屋敷に帰す選択も出来た。アサシンが居れば、慎二がむざむざ攫われる事も無かった筈。

「ほう、少し会わぬ内に頭の巡りがマシになったようじゃな。さて、ならば分かるじゃろう? 儂が何を言わんとしておるか――――」
「聞いてはなりません、凛殿!」
「アサシン!?」

 臓硯の言葉を遮るように、アサシンが飛び出した。
 
「貴殿が奴の傀儡に戻る事をマスターは決して望みません! 例え、自らが死ぬ事になろうとも!」
「愚かよのう。サーヴァントがマスターに逆らえると思うたか? なあ、慎二よ」

 アサシンが鮮やかな身のこなしで立ち塞がるサーヴァント達の合間を抜け、臓硯に短刀を振り下ろそうとした瞬間、虚ろな表情のまま、慎二が口を動かした。
 
「令呪をもって、命じる。アサシン、僕の命を最優先と考え行動しろ」
「マスター!?」

 驚愕に目を剥くアサシンに臓硯が言った。
 
「慎二の身体には刻印虫を植えつけておる。その意味は分かるな? 儂の意思一つで慎二は死ぬ。良いか? 儂を殺そうとしても慎二は死ぬ。慎二の身体から刻印虫を摘出しようとしても、摘出される前に慎二は死ぬ」
「貴様、臓硯!」

 憤怒の表情を浮かべながら、アサシンはゆっくりと短刀を下ろした。
 アサシンはマスターに対して実に忠実な英霊だ。それ故に令呪の効果が普通の英霊より強く作用する。もはや、彼に臓硯を殺す事は出来ない。それは慎二の死に直結しているからだ。
 そして、それは私も同じ……。
 
「ッハ! そんなガキ一人を人質にしたくらいで安全を確保したつもりか?」

 セイバーが吼える。この場に慎二の命を最優先と考える者は二人だけ。私とアサシン以外の面々にとって、慎二は赤の他人に過ぎない。
 一件、無意味な策に見える。如何にアサシンが敵に回ろうと、ベオウルフとギルガメッシュが手を組んだ以上、優勢なのは明らかに此方側だ。だけど、奴の真の狙いが私には分かる。
 
「とりあえず、死んどけ」

 セイバーが剣を振り上げた。
 彼が綺礼を倒した時の事がフラッシュバックする。慎二は綺礼以上にか弱い。何の守護も持たない彼では容易く命を摘まれてしまう。
 臓硯の狙いは分かっている。分かっていて尚、抗えない。この世界の謎、黒幕の正体、臓硯があのサーヴァント集団を引き連れている理由、何もかもがどうでも良くなる。
 何よりも優先すべき存在が居るからだ。愛は何よりも優先される。
 
「ギルガメッシュ!」
「――――ソレがお前の決断か」

 静かな声。ギルガメッシュには私の心が読まれている。
 
「セイバーを止めて!}
「おいおい、どういうつもりだ?」

 ギルガメッシュは私の意志に応えてくれた。セイバーの振り上げた腕に虚空から伸びる鎖が巻き付く。動きを止められたセイバーは忌々しげにギルガメッシュを睨む。
 
「凛はあの男の命を取った。それだけの事だ」
「情念に惑う主の命令を素直に従うたまか? 貴様が!」
「生憎だが、我は凛の選択を何より優先する。我が何もかも正し、導いてやる事も出来るが、それでは待ち受けているのは絶望のみだ。そんな|未来《もの》は見ていてつまらん。情念に惑うも大いに結構! その果てに答えを見出せるか否か! それを見守る事が我の仕事だ。貴様等は中々良い仕事をした。凛の目を曇らせていた霧の一部を破った。その褒美として、ここで退くならば追撃はせん。どうする?」
「舐めるな、アーチャー」

 返答したのはセイバーではなく、彼のマスター、ライネスだった。
 
「貴様の考えなど知らん。聖杯戦争を正常な状態に戻す為、私は真実を掴む必要があるのだ。時間を幾度もループしているだと? この戦い、所詮、アーチボルト家を再興させる足掛かりに過ぎん。足止めなど喰らっている暇は無い! 邪魔をするというなら、ここで消えてもらうまでだ、アーチャー!」
「ッハ! よくぞ、吼えた、ライネス! それでこそ、我がマスターだ! 勝てぬ相手であるなら退く事こそが勇気! されど、勝機のある戦から退くは単なる臆病! 我が名は|破壊神を破壊した男《ベオウルフ》! 勇気を尊ぶ者也!」

 圧迫感が広がる。獰猛な笑みを浮かべ、セイバーは左右の拳を打ちつけた。
 
「お前の力は前の戦いで把握した。俺に二度、同じ手は通用せんぞ!」
「ッハ! 来るが良い。最強の英霊が誰か、一つ、教授してやるとしよう」
「抜かせ!」

 ギルガメッシュが私の手を掴んで飛んだ。空中に黄金の舟が現れ、私をその上に乗せると、アーチャーは宝具を曼荼羅の如く展開したゲートから宝具を射出しながらセイバーに襲い掛かった。
 黄金の舟が上昇を始める。最強の英霊同士の激突に脅威を感じたのか、ルーラーがライダーとフラットを連れ、戦線を離脱しようと走り出した。
 そんな中、ただ一組、撤退とは真逆の動きを見せる影があった。ランサーとバゼットだ。まさか、臓硯を攻撃するつもりだろうか、焦る私を他所に臓硯は自らを取り囲んでいるサーヴァント集団を動かした。六騎の英霊が同時に二人に襲い掛かる。幾らなんでも無茶だ。ランサーにあの集団を倒す事は出来ない。アレに抗えるセイバーとアーチャーが規格外過ぎるだけで、並の英霊が抗える集団では無い。
 乱戦の様相を見せる戦場を上空から俯瞰している事しか出来ない。慎二を救う手立てが全く思いつかない。今は何よりも慎二を奪い返す事が最優先事項なのに……。
 思考が中断した。大気に震えを感じたからだ。黄金の舟は揺らぐ事無く漂い続けているが、突風の音が凄い。何事かと下界を見下ろすと、セイバーがアーチャーの展開した盾を只管殴っていた。
 恐らく、名のある盾だろうソレを目にも留まらぬ速さで殴り続けている。まるで、工事現場の掘削機のような音がけたたましく鳴り響く。信じられない事にセイバーの拳はアーチャーの盾をわずか二秒で粉砕した。その後もアーチャーは次々に盾を取り出すが、セイバーの進撃を阻む壁には成り得ない。
 
「アーチャー!」

 セイバーの筋力ステータスは宝具の発動と共に|評価規格外《Ex》に至っている。もはや、並の宝具を遥かに凌駕する彼の拳を止められる者は居ない。
 鎖や布といった、対象を拘束する事に特化した宝具も彼の腕力の前に捻じ伏せられ、無効化されていく。
 万が一にもアーチャーが死んだら、セイバーは臓硯の下に向かう。そうなったら、慎二が殺される。
 
「駄目! ギルガメッシュ! 負けちゃ、駄目! 慎二を助けて!」

 私の祈りも虚しく、アーチャーは盾諸共、セイバーの拳に殴り飛ばされた。
 
「ヤダ! 死んじゃ駄目! ギルガメッシュ!」

 セイバーの拳が振り下ろされた。大地が鳴動する。局地的な大地震と共に土煙が天高く舞い上がり、地上の様子が見えなくなった。
 ギルガメッシュはまだ生きている。令呪を通して、彼の生存を確認する事が出来た。けれど、慎二は? 慎二はどうなったの? 分からない。
 地上に目を凝らそうとしていると、突然、舟が動き出した。戦場の空から離脱しようとしている。
 
「ギルガメッッュ!?」

 地上にギルガメッシュの姿を確認する事が出来た。彼の肩には慎二の姿がある。
 一体、地上で何が起きたのかサッパリ分からない。分かるのは、ギルガメッシュが慎二を助けてくれたという事実のみだ。背後にアサシンの姿も見える。
 
「ギルガメッシュ……」

 感謝の思いでいっぱいだった。どうやったのかはまるで分からないけど、彼は私の願いを叶えてくれた。慎二を助ける事、それが私の意志だったからだろうか?
 それにしても、こうなった以上、今後、慎二から目を離すわけにはいかない。何度も上手く助ける事が出来るか分からないからだ。

「――――え?」

 思考が停止した。強力な魔力のうねりを感じて、地上に目を向けた瞬間、私は言葉を失った。
 黒い光を身に帯びた一体の英霊が私を見ている。もう、とっくに戦場から離れたというのに、見られていると確信した。見ているのは嘗ての相棒。その手に構えているのは一本の|矢《ツルギ》。
 嘗ての相棒が私を撃ち落す為に矢を構えている。その光景に涙が零れた。
 
「やめて……」

 私に生きろと言ったのはあなたじゃない。なのに、どうして、その矢を私に向けるの? 貴方の身に何が起きたのかは分からない。けど、誰かに操られているのだとしても、私に矢を向けて、貴方は平気なの?
 
「やめてよ……、アーチャー」

 矢が放たれた。一直線に迫る破壊の軌跡。
 彼との約束の為に私は生きて来た。走馬灯の如く、過去の記憶が甦る。矢が迫るまでの刹那の瞬間であった筈なのに、驚く程多くの記憶が垣間見えた。
 初めて、間桐の屋敷に連れて来られた日の記憶。受け継いだばかりの魔術刻印を使い、臓硯と鶴野を殺そうとしたけれど、敵は蟲の群体。次第に蟲に追い詰められ、痛みによる教育を施された。何度も何度も逃げ出そうとして、その度に酷い仕置きを受けた。
 次第に逃げる素振りを見せなくなった私の処女を彼らが蟲に喰わせた日、私は彼らに対して抗う意志を折られた。それでも、必死に生きて来たのは彼との約束があったからだ。生きろ、と彼が言ったから、それだけを寄る辺にして生きて来た。
 その彼が今、私を殺そうと矢を射った。大気を捻じ切りながら眼前まで迫って来たのは螺旋の刃を持つ剣――――|偽・螺旋剣Ⅱ《カラドボルグ》。
 時間が停止したかのような錯覚を覚えた。恐怖と哀しみに心が引き裂かれた。
 
「助けて、アーチャー」

 刃が船体を貫いた。けれど、これで終わりでは無い。アーチャーはこの先に更なる一手を持っている。放たれた矢は無敵の徹甲弾であると同時に最強の爆弾でもある。瞼を閉じ、その時を待った。身を震わせながら爆発に呑み込まれるその時を只管待った。どのくらい待ったのか分からない。私の中で時間という概念が消え去った為だ。分かるのは矢が船体を貫通し、夜空の彼方へ消えていった事だけだ。
 舟はゆっくりと下降を始めるも、決定的なダメージを受けたわけでは無いらしく、動きは実にスムーズだ。地上に降り立つと、ギルガメッシュとアサシンが出迎えてくれた。

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