第四十二話「道司」

 不味い事になった。|裁定者《ルーラー》を早々に処分し、状況をリセットするつもりが、ギルガメッシュの襲撃により頓挫してしまった。おまけに、ルーラーとギルガメッシュに此方の存在を明かしてしまった。このままでは、前回以上に事態が混沌としてしまう。
 それにしても、解せないのはギルガメッシュだ。何故、奴はあの場に現れたのだろう。記憶を持ち越している可能性は零だ。サーヴァントは周回の初めにその都度、召喚される。サーヴァントは例え、同じマスター、同じ時間軸、同じ場所、同じ条件で召喚を行ったとしても、以前召喚された時の記憶を継承したりはしない筈。
 けれど、偶然とは思えない。あの時、ギルガメッシュは明らかにルーラーの救出を目的として動いていた。あの英雄王が何の目的も無しに正体不明のサーヴァントを救出するなどあり得ない。
 あの場に現れたのがライダーの陣営ならばまだ納得が出来る。彼らの性格上、多勢に無勢の状況を見れば、無思慮に飛び込んで来る可能性は十分にある。
 だが、実際に現れたのはギルガメッシュ。彼の行動の裏には何らかの思惑がある筈だが……。
 
「悩んでいるようだな」

 煩い奴が来た。考え事の邪魔をしないで欲しい。
 
「大方、ギルガメッシュの行動について考えを巡らせているのだろう?」

 相変わらず、勘の良い男だ。
 
「悩む必要などあるまい。答えは明白だ。奴はお前が作った『この箱庭』の事を勘付いているのだろう」

 そんな馬鹿な、あり得ない。今までも、ギルガメッシュがこの世界の絡繰りに気付いた事は幾度かあった。けれど、それは常に乖離剣を使用した後の事だ。そもそも、あのギルガメッシュは乖離剣を持っていない筈。なら、気付ける筈が無い。
 
「恐らく、前回の終わりにギルガメッシュが何かを企てたのだろうな。でなければ、如何に英雄王と言えど、この時点では気付けぬ筈。恐らく、凛に記憶を継承させたのだろう」

 それもあり得ない。サーヴァントに限らず、マスターの記憶を継承させる事も不可能な筈だ。何故なら、前回の役者と今回の『役者』は全くの別物だからだ。同じなのは『役』だけだ。
 
「簡単な話だ。奴は『役』に対して、細工を施したのだろう」

 そんな馬鹿な事がある筈無い。『役』たる六人は誰の手も届かない場所に封印してある。幾ら、ギルガメッシュが規格外の英霊とは言っても、あの場所に手が届くとは思えない。
 
「『役』と『役者』の関係を英霊で置き換えれば、座の本体とサーヴァントの関係性に近いが、英霊よりも結び付きが強い。ラインを通じ、役者から役に対し、干渉を行う事は不可能では無いだろう」

 でも、今まで一度もそんな事態は起こらなかった。そんな真似が出来るなら、今までは何故やらなかったんだろう。
 
「ルーラーが最初に現れたのはテストケース001291だった。その前、テストケース001290で、ギルガメッシュは前回に匹敵する程の傷を世界に刻み付けた。恐らく、あのレベルの損傷を受けて初めて、箱庭の外にまで通じる孔が穿たれるのだろう」

 つまり、今までもギルガメッシュはその方法を取ろうとした事があるという事? でも、遠坂凛が周回を跨いで記憶を持ち越した事は一度も無かった。ルーラーが初めて現れた周回でも、彼女は乖離剣を持つギルガメッシュを召喚した。

「テストケース001290で、ギルガメッシュが乖離剣を多用したのは、真の切り札を|召《・》|喚《・》したベオウルフとの戦いに起因している」

 つまり、あの時は記憶を持ち越そうとは思っていなかったという事?
 
「恐らくな。ベオウルフが真の切り札の召喚を忌避しているが故に総数こそ少ないが、アレが現れたケースでの乖離剣の発動回数は軒並み多い」

 まあ、それは当然だろう。アレとベオウルフに同時に襲い掛かられては、如何に英雄王と言えど、手段が限られてしまう。乖離剣による一掃こそが最善策である事は疑いようが無い。
 ルーラーが現れたのは偶然の結果という事か……。
 
「あのギルガメッシュの姿を見るに、凛が記憶を持ち越している可能性は極めて高い」

 確かに、あのギルガメッシュの姿には驚いた。アレはこの箱庭を作る前、一週目の聖杯戦争で、彼女が彼を召喚した時の姿だ。それ以降、彼女は常に乖離剣という規格外の宝具を持つ冷血な性格のギルガメッシュを召喚してきた。
 どうやら、遠坂凛が記憶を持ち越している事に疑いの余地は無さそうだ。あのギルガメッシュが現れた事が何よりの証拠。
 いよいよもって、不味い事態だ。遠坂凛が記憶を持ち越し、ルーラーと接触した。つまり、抑止力にこの世界の絡繰りを知られた事になる。
 この男がさっさとルーラーを始末しないから、こんな事に……。
 
「無茶を言うな。如何にステータスを向上させたサーヴァントを六騎用意しようが、奴等はバーサーカーと変わらん。英雄王が相手では分が悪いと言わざる得ん」

 言い訳なんか聞きたくない。それを何とかするのがアンタの仕事だろう。
 
「まあ、二度も続けて無様を晒すような真似はせん。私としても、ここに来て全てが頓挫するなど御免だ。お前の祈りが希望を生むか、絶望を生むか、それを見るまで、この箱庭に壊れてもらっては困る」
 
 煩い。早く行け。お前はただ、馬車馬のように働いていればいいんだ。散々使い潰した挙句に何の見返りも与えず、ボロ雑巾のように捨ててやる。
 
「口は達者のようだが、期限は迫っているぞ? もうじき、お前は奴に呑み込まれる。そうなれば――――」

 黙れ。今更、そんな事をわざわざ言われなくても分かっている。
 男が去って行く。背に六騎の英霊を引き連れて、戦場へ向かって行く。
 ああ、忌々しい。奴の狙いは初めから分かっていた。けど、奴の思い通りになってやるつもりは無い。必ず、願いを叶えてみせる。その為に、裏切ったのだから……。
 
 第四十二話「道司」

 アサシンにとって、マスターの命令は絶対であり、それ故に彼が最も優先すべきは遠坂凛の生存。その為に、彼が取るべき選択はルーラーの指示に従う事。凛をアーチャーの下へ送り届ける事が出来れば、彼女の安全は保障される。
 もっとも、それは敵の数がもう少し少なければの話。あるいは、敵が取るに足らない小物であったなら、アサシンも迷わず凛を連れて離脱していた事だろう。

「間違っているぞ、ルーラー」

 ルーラーは決して、相手の力量を見誤っているわけでは無いだろうが、冷静さを欠いている。奴等は一人一人が一騎当千の手練だ。彼女一人で足止めする事はまず不可能。
 確かに、奴等の一番の狙いはルーラーだろうが、奴等の敵意は明らかに凛に対しても向けられている。理由は分からない。けれど、ここでルーラーに足止めを任せても、待っているのは彼女の敗北。そして、アーチャーと合流する前に接敵される未来。
 ならば、取るべき選択肢は一つ。アサシンは気配を消し、刹那の間にルーラーの背後へと移動した。裁定者のクラスに付与された感知能力を持つ彼女だけが彼の接近に気付き、目を見開いた。
 
「逆だ、ルーラー。お前が凛殿を連れて逃げろ」
「何を言って!?」

 アサシンは問答無用とばかりにルーラーの襟首を掴み、遥か後方、凛の居る場所まで投げ飛ばした。
 アサシンの突然の暴挙に声を張ろうとしたルーラーは目を瞠った。
 
「往け!」

 その言葉を最後に、アサシンは謎の英霊集団と共に虚空へと姿を消した。
 彼の宝具である固有結界が発動したのだ。敵をまるごと呑み込み、足止めをするつもりだ。
 そう、彼に出来る事は足止めのみ。彼の宝具の内容は嘗て、共にラシード・ウッディーン・スィナーンという男に導かれた同胞たる|戦士《フィダーイー》達を喚び出すというもの。
 フィダーイーと呼ばれる、嘗て、十字軍をも恐れさせた戦士達。彼らを決して侮っているわけでは無い。だが、相手が悪過ぎる。アーチャーが彼らを打倒し得たのは単に、アーチャーが強過ぎたからに過ぎない。 

「ア、アサシン!」

 凛が声を張り上げる。彼女の心が大いに乱れていた。変貌した嘗ての相棒と仲間との再会に揺らいでいた心がアサシンの無謀な行動によって、更に揺らぎ、理性的な判断を下せなくなっていた。
 脳裏に一つの光景が浮かぶ。十年前の戦争で、ライダーとセイバーに一人立ち向かったアサシンの後姿が甦った。

「駄目……。行っちゃ、駄目」

 彼女が取った行動は本来なら意味を為さないものだ。ギルガメッシュという英霊は令呪による命令を拒む事が出来る。特に、今、彼はベオウルフと戦っている。ここに来る前、彼は己の戦いの邪魔をする事を禁じた。
 戦いに対して、特別な感情を抱く彼を戦闘中に強制召喚するなど不可能な筈。その事がこの時の彼女の頭の中から綺麗サッパリ忘れ去られていた。
 
「来て、ギルガメッシュ!」

 予想に反して、ギルガメッシュは凛の目の前に現れた。ベオウルフと戦っていた筈にも関わらず、全くの無傷の状態で――――。
 
「ギルガメッシュ! アサシンを助けて!」

 戦闘を中断させられた上にいきなり居ない筈のアサシンの救出を求められ、さぞや混乱している事だろう、彼はしかし、躊躇い無く頷いた。
 
「良かろう」

 困惑したのはルーラー。如何に前回のギルガメッシュと異なる性格の持ち主とはいえ、彼の凛に対して寛容さは異常だ。人類最古の英雄王が身勝手とも言える主の命令に対し、あれほどの従順さを見せるなど違和感がある。
 疑問が氷解するより早く、ギルガメッシュは境界を切る剣を宝物庫より取り出し、振るった。人一人が入れる程の大きさの孔が虚空に穿たれ、その先に戦場が広がっているのが見える。
 ギルガメッシュが先行し、その後に凛が続く。
 
「一体……」

 ルーラーは怪訝な表情を浮かべながら彼らの後を追った。
 何れにせよ、この世界の謎に至るには彼らの協力が必要不可欠だ。

「アサシン!」

 凛が叫ぶ。戦場はまさしく地獄の様相だった。目の前で戦士達が死んでいく。ある者は無数の刃に貫かれ、ある者は雷を纏う戦車に轢き殺され、ある者は全身を無数の肉片に解体され、死んでいく。
 最初にどれだけの数の戦士が居たのかは分からない。けれど、今、目の前で死に往く戦士達の数は既に二十に満たない。
 戦場において、数は力だが、質に開きがあり過ぎる。
 
「ギルガメッシュ!」
「承知した!」

 凛の掛け声に応えると共にギルガメッシュが戦場を疾走する。双剣を抜き放ち、背後の回転する光球から無数の宝具を打ち出しながら、暗い光に身を包むサーヴァント達に襲い掛かる。
 最初にギルガメッシュの存在に気が付いたのは前回の戦争でセイバーのクラスを得て現界したサーヴァント。名は湖のランスロット。昨夜の教会前での戦いの時、ギルガメッシュを最も梃子摺らせたサーヴァントだ。
 ランスロットはギルガメッシュの進撃を阻み、その豪腕によって弾き返した。そこに、ギルガメッシュは宝具の豪雨を降らせるが、ランスロットは桁外れな動体視力でもって、降り注ぐ宝具の一本を掴み取り、他の宝具を己の聖剣と共に振るい打ち落とす。 
 そこに凛の嘗ての相棒、アーチャーのサーヴァント、エミヤシロウが襲い掛かる。まるで、鏡合わせのような光景。
 陰と陽の双剣を携えるエミヤと黄金の双剣を携えるギルガメッシュの構えは酷似していた。二人は刃を交えながら、片や蔵から取り出した宝具を、片や投影魔術によって創り出した宝具を、互いを射殺さんとばかりに撃ち出す。
 アサシンの固有結界が蹂躙されていく。戦いの余波に戦士達が倒れていく。ついに、その数が十を下回った時、周囲の風景が一変した。元のビジネス街に戻った瞬間、アサシンは膝を折った。
 
「アサシン!」

 凛が駆け寄ると、アサシンは歯を食い縛りながら立ち上がり、彼女の背後に迫る凶刃を弾き返した。
 凛が振り返った先に居たのは暗殺者のサーヴァント。嘗て、共に食卓を囲んだ事すらあるハサン・サッバーハが立っていた。
 
「逃げるように言った筈ですが?」
「だ、だって……」

 アサシンは顔を歪めて涙を流す凛に溜息を零した。
 
「決して、離れないで下さいね」

 凛が頷くのを確認すると、アサシンは飛んで来た短剣を己の短剣で弾き返した。すると、間髪入れずに赤い槍が襲い掛かって来た。
 前回のランサー、ディルムッド・オディナ。赤と黄の二槍を巧みに振るい、アサシンの短剣を弾くと同時に彼の腕を穿った。
 
「アサシン!」

 ギルガメッシュはランスロットとエミヤ、加えて二騎の英霊に取り囲まれている。助けを求める事は不可能。
 一秒後にはアサシンが殺されてしまう。悲鳴を上げそうになる彼女の目の前に救世主は現れた。そう、この場には彼女達の味方がもう一人。
 アサシンの身が二槍に貫かれる寸前、割って入って来たのはルーラー。彼女はランサーの槍を弾き返した。
 
「――――裁定者が一参加者であるアサシンを救うとは、聊か公平さに欠ける行いではないか?」

 ランサーが退いた。見れば、ギルガメッシュを取り囲んでいたサーヴァント達も彼から離れて行く。新たに現れた男の指示に従ったのだろう。
 凛は険しい表情を浮かべた。
 
「綺礼……」
「久しいな、凛。こうして、互いの顔が見える位置で対面するのは十年振りか?」

 僅かに微笑む彼に凛は拳を握り締めた。

「そうね。そのくらいになるわね。生きている事は臓硯から聞いてたし、この件に間違いなく絡んでるだろうな、とは思ってたけど……」

 よくもおめおめと己の前に顔を出せたものだ。凛は烈火の如く怒りを燃やし、嘗ての兄弟子、言峰綺礼を睨み付けた。
 やはり、己は変わった。以前なら、きっと彼を見ても怒りなど感じなかっただろう。むしろ、嘗ての己を知る者の生を喜んだかもしれない。というか、喜んでいた。臓硯から彼が生きている事を聞かされた時、凛は喜んだのだ。
 
「良い表情をするようになったな、凛。一週目のお前を思い出すよ」
「……そう」

 怒りを爆発させるわけにはいかない。折角、黒幕サイドの人間がのこのこ現れたのだ。情報を得る絶好の機会。逃すわけにはいかない。
 
「ところで、ギルガメッシュよ。その様子から察するにどうやら、理解したらしいな、全てを」
「え?」

 凛は思わずギルガメッシュに顔を向けた。
 
「全てって?」
「別に全てを理解したわけではない。が、黒幕の正体については分かった」
「ほ、本当なの!? まさか、本当にファーガスが!?」
「違う」

 ギルガメッシュは首を横に振った。
 
「ギルガメッシュ……?」
「――――凛」

 ギルガメッシュは真っ直ぐに私を見た。
 
「答えはとても単純だ。鍵は十年前の聖杯戦争にある。加えて、前周回でライダーのマスターが開いた宴でのルーラーの言葉を思い出せ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 貴方は黒幕の正体を暴いたんでしょ!? なら――――」
「我はあくまでも導くだけだ」
「どうして!?」
「お前に今、答えを教える事も出来なくは無い。だが、結果は見えている。お前は絶望に塗れ、立ち上がれなくなる」
「どういう、意味……?」
「この解答は今のお前では耐えられないもの、という意味だ。自らの知恵で辿り着かねば全てが無意味になる」

 意味が分からない。黒幕の正体は少なくとも聖杯戦争に参加している七人のマスターの中に居る筈だ。例え、誰が黒幕であろうと、絶望に塗れる程の衝撃を受けるとは思えない。
 凛がそう主張すると、ギルガメッシュは首を横に振った。
 
「黒幕の正体が問題なのではない。その先にある真実とその更に先にある真実に至った時、貴様は初めて理解するのだ」
「何を……?」
「運命とでも言っておく。とにかく、我がお前に与えるヒントはこれが最後だ。心して聞け」

 ギルガメッシュは言った。
 
「ベオウルフはセイバーだ。この周回だけでなく、今までも奴はセイバーとして召喚されて来た筈だ」

 待ってよ。そんな筈無い。だって、セイバーは他に居る。
 確認する意味でルーラーを見た凛は凍り付いた。ギルガメッシュの言葉に驚いたのは凛だけでは無かったのだ。ルーラーもまた、ベオウルフがセイバーである事に驚いている。
 彼女は裁定者のクラスに付与された能力によって、ベオウルフのクラスを知っていた筈だ。にも関わらず、驚いている。
 どうして? 疑問がを口にする暇は無かった。突然、綺礼が操るサーヴァント達が動き出したのだ。
 
「凛が答えに辿り着けるかどうか、見守るのも一興だが、万が一、辿り着かれてしまっても困る。少し、本気を出すとしよう」

 綺礼はカソックの袖を捲りあげた。そこには尋常じゃない量の令呪が宿っていた。目を瞠る凛達を尻目に綺礼は呟くように言った。
 
「全ての従僕に対し、令呪をもって命じる。全力をもって、遠坂凛を抹殺せよ」

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