第四十七話「クロエの真実、イリヤの真実」

 どうして? クロエの脳裏に浮かんだのは疑問だった。イリヤが自分に対抗しようとする可能性は当然、彼女も想定していた。自分が如何に理不尽に彼女の幸福を奪おうとしているか自覚しているからだ。
 けれど、この選択には疑問を抱く。セイバーではバーサーカーに敵わない。先の戦闘でイリヤもその事を痛感した筈だ。まさか、その程度の事も分からない程の愚か者という事も無かろう。
 それに、サーヴァントの様子がおかしい。前に戦った時とはまるで別人のようだ。あれほど豊かだった表情が消え去り、まるで生気を感じない。そして、それはイリヤに対しても同じ事を言える。
 胸騒ぎがする。このまま、彼女と戦い続けて良いのだろうか? クロエは苦悩の表情を浮かべた。憎むべき存在を目の当たりにしている筈なのに、湧き上がってくる感情はソレとは相反するもの。
 
「イリヤ」

 クロエの呼び掛けにイリヤはうんともすんとも応えない。その間にもサーヴァント同士の戦いは苛烈さを増していく。
 
「イリヤ、応えて! 貴女、どうしちゃったの!?」

 我ながら、何を口走っているのだろうと思う。イリヤは倒すべき敵に過ぎない。なのに、そんな相手を心配して何になる。
 
「イリヤ!」

 理性とは裏腹に口を衝いて出た声には思いがけない程の深い思い遣りが滲んでいた。どうしてだかサッパリ分からない。ただ、殺意を留めておく事が酷く困難だった。
 
「誰かに操られているの?」

 クロエの決死の叫びも虚しく、イリヤは表情を変えないまま己のサーヴァントに向かって手を伸ばした。
 
「――――令呪をもって命じる。モードレッド。宝具を使い、バーサーカーを殺しなさい」
「イリヤ!?」
「|我が終焉の戦場《バトル・オブ・カムラン》」

 景色が一変する。大理石の床は血に染まった大地に変貌し、無数の屍が折り重なっている。実に奇妙な光景だ。天井は相変わらず、城の天井そのままだし、四方には壁とテラスと玄関口と階段。なのに、その中心部だけがまるで別世界のように変化した。
 そこで、テラスに何者かが潜んでいる事に気がついた。セイバーとアーチャー、それにライダーの主従の姿が見える。
 
「アンタ達が……」

 イリヤの身に起きた異変と隠れ潜んでいた一団。点と点が直線で結ばれた。
 身を焦がすような怒りに我を忘れそうになる。その一瞬が致命的な隙を生んでしまった。
 イリヤが一瞬でクロエの目の前まで距離を詰め、彼女の首に手を掛けた。クロエは短い爪でイリヤの手を引っ掻くが、更にきつく締め上げられ、足が宙に浮く。
 どうなっているのか分からない。戦闘にも耐えられるよう、身体能力を大幅に強化されたクロエは歳相応の身体能力しか持たない筈のイリヤに締め上げられているという現実に困惑している。
 足を必死にバタつかせるも、徐々に意識が遠のいていく。死ぬ。殺される。
 一瞬、それもいいかと思った。イリヤに殺されるのなら、それはそれで悪くないと思った。けれど、直ぐに思いなおした。このまま、己が死ねば、奴等に操られているイリヤはどうなるだろう。散々利用された後、ボロ雑巾のように捨てられるかもしれない。
 それは駄目だ。それだけは許されない。己が死ぬのは別に構わない。どうせ、最期は滅びる身だ。けど、イリヤが己以外の手に掛かって死ぬ事だけは認められない。
 
「|起動《セット》――――ッ」
 
 アハト翁が仕掛けたからくりに手を伸ばす。その瞬間、クロエの意識は闇に呑み込まれた――――。
 
 第四十七話「クロエの真実、イリヤの真実」

 バトル・オブ・カムラン。嘗て、相棒に致命傷を与えたモードレッドの宝具の発動に凛は焦燥感を顕にした。あの宝具の特性は両者相打ちという結果を敵に強制するもの。あの宝具の前ではヘラクレスの十二の試練も意味を為さない。
 このままではクロエが殺される。イリヤが彼女を襲った事には確実に意味がある筈だ。こんな風に正体を明かすような真似をした意図。それを知る為にクロエをここで死なせるわけにはいかない。
 ライネスも同じ判断らしい。私達は同時に口を開いた。
 
「セイバー!」
「ギルガメッシュ!」

 二騎の英霊が同時にテラスから飛び出す。途端、イリヤがクロエの首を片手で締め上げたまま、空いている方の手を此方に向けて来た。
 
「――――来て」

 イリヤの呼び掛けに応えたのは二体のホムンクルスだった。
 
「|夢幻召喚《インストール》」

 何故、あの黒い魔力を帯びたサーヴァント達が倒しても倒しても復活するのか、その理由が分かった。彼らは夢幻召喚によって喚び出されていたのだ。寄り代が死んでも、新たな寄り代に憑依する事で何度でも甦る。
 ホムンクルスは漆黒の魔力を帯びながら姿を変貌させた。一方はエミヤに変わり、一方はランスロットに変わる。
 
「令呪をもって、命じる。その者達を殺しなさい」

 瞬間、世界が一変した。懐かしさすら感じるその光景に息を呑む。曇天に浮かぶは巨大な歯車。ギシギシと音を立てながら回り続けている。地に広がるは剣の墓標。無数の剣が打ち捨てられたかのように地面に突き刺さっている。
 
「これが、エミヤシロウの|固有結界《リアリティ・マーブル》……。|無限の剣製《UnlimitedBladeWorks》か」」

 どこか恐れ戦くような表情を浮かべ、ライネスは呟いた。固有結界は魔術師にとって、ある種の到達点だ。骨の髄まで魔術師であるライネスにとって、その光景は憧れでもあるのだろう。
 けれど、呆然としている暇は無い。固有結界が発動した今、これまでの彼らとは違う。この世界では英霊・エミヤはギルガメッシュの王の財宝に対抗する事が出来る。
 文字通り、無限の剣が天に浮かぶ。
 
「|奉る王律の鍵《バヴ=イル》よ、我が宝物庫の扉を開けよ!」

 エミヤの無限の剣製に抗うべく、ギルガメッシュも宝物庫より無数の宝具を喚び出す。
 
「奴の相手は任せるぞ、アーチャー! 俺はあの剣士を殺る!」

 セイバーが飛び出すと同時にランスロットが動く。そして、上空では無数の宝具同士による撃ち合いが始まる。その光景は正しく戦争。互いの領域に攻め入る為の激しい攻防に震えが走る。
 地上では新旧のアーチャー同士による宝具同士の激突と同時に新旧のセイバー同士が激突した。|鮮血喰らう理想の剣《フルンティング》と|無毀なる湖光《アロンダイト》の斬り合いはもはや剣と剣の戦いとは思えない程の暴力的なぶつかり合いだ。
 元より、西洋の剣とは日本の刀とは違い、斬るよりも砕く事に特化しているが、この光景はあまりにも異常だ。ぶつかり合う度、大気が悲鳴を上げる。まるで、互いに握っているのが剣では無く槌であるかのような戦い方だ。
 天の戦いも地の戦いも拮抗状態に陥った。その間にもクロエの命運は尽きようとしている。剣の丘の先でイリヤは両手を使い、クロエの首を絞めている。手を出そうにも、その距離はあまりにも遠過ぎる。彼女の相棒は既にモードレッド共々消滅してしまっているし、彼女を助ける手段は何も無い。
 
「行くよ、ライダー! 令呪をもって命じる! 剣の丘を越え、イリヤちゃんの下へ俺を運んでくれ!」
「合点承知!」

 否、ここにはもう一組の主従が居る。幻馬に跨り、フラットとライダーは戦場へと飛び出した。天を覆うは無限の宝具による熾烈な撃ち合い。地で争うは人の域を超えた最強同士のぶつかり合い。そんな地獄の具現が如き戦場を翔け抜けるなど無謀。
 
「フラット! ライダー!」

 凛の叫びを背に受け、フラットとライダーは不敵な笑みを浮かべる。
 
「ボクのヒッポグリフを舐めないでくれたまえ!」
「いっけー! ヒッポグリフゥゥゥウウウ!」

 二人の叫びに応え、幻馬は嘶く。無理無茶無謀は己の主の専売特許。そんな主の期待に応えるのは大変だ。けれど、それに応えてこそ、彼の宝具というもの。
 幻馬は翔ける。前から後ろから襲い来る宝具の嵐を翔け抜ける。地上から襲い掛かる戦いの余波をも蹄と爪で捻じ伏せる。
 
 ――――我が名はヒッポグリフ、英雄・アストルフォの|宝具《トモ》である!
 
 幻馬の嘶きがフラットとライダーにはそう聞こえた。
 
「ああ、我が友よ! 翔けろ! 翔けろ! 翔け抜けろ!!」
「行け! 行け! イッケエエェェェェエエエエエ!!」

 越えた、幻馬は剣の丘を越え、イリヤとクロエの下に到達した。
 
「イリヤちゃん!」

 フラットは幻馬から飛び降りて、イリヤの下に向かう。
 イリヤはフラットの姿を視界に収め、目を見開いた。
 
「夢幻召喚!」

 二つの声が重なった。イリヤの体をモードレッドの鎧が覆うと同時にクロエの体を無骨な灰色の鎧が覆う。
 クロエはイリヤの手から脱すると、フラットの下に駆け寄った。二人は互いに睨み合う。
 
「どうして……」

 イリヤは不思議そうな顔で呟いた。
 
「分かる筈よ」
「……分からない。ここで死んでも、また次があるじゃない。抵抗しないでよ。その為に記憶を戻したんだからさ」
「大分、呑まれてるらしいわね……。|悪魔《キャスター》に伝えなさい。今度はあの時みたいにアンタに唆されたりしないって」
「何を言ってるのよ……。どうしちゃったの? 貴女は私でしょ? なのに、どうして!」
「会えて嬉しかったわ。奴に感謝するとしたら、貴女とこうして会えた事だけよ」
「駄目よ! 駄目! だって、取り戻したかった筈でしょ!?」
「うん、そうだよ。だけど、そんなの無理だって、最初から気付いてたでしょ?」
「分からない! 分からないよ、イリヤ!」
「分かる筈よ。分からないのはアレに呑まれ過ぎているせい」
「違う! 違うよ! 願いを叶えるの! じゃなきゃ、みんなが!」
「きっと、誰も望んでないよ」
「そんな筈無い!」
「……話はここまでにしておこう。今のままじゃ、何も進展しない。会いに行くわ。だから、今は――――」

 |クロエ《イリヤ》はフラットの傍で戸惑いの表情を浮かべているライダーの腰の剣を掴んだ。
 
「借りるね、ライダー」
「え、あ、はい、どうぞ?」

 目を丸くするライダーに微笑みながら、彼女は剣を振り上げた。
 
「退いてもらうわ、イリヤ」
「駄目よ!」
「――――|射殺す百頭《ナインライブス》」
 
 ◆◆◆◆
 
 白い世界。雪が降り積もっている。寒いのは嫌いだ。孤独である事を思い知らされる。嘗て、傍にあった温もりは遥か遠くへ行ってしまった。再び手にしようにも、その距離はあまりにも……。
 私は夢を見る。ほんの数年間の思い出を何度も何度も咀嚼するように夢に見る。愛する人達との大切な思い出を奪う事は何者にだって出来はしない。けれど、夢は常に幸福のまま終わらせてくれない。鮮烈な色彩と大音響が美しい思い出を悪夢へ誘う。
 今尚、鮮明に甦る体の痛み。口の中には錆びた鉄の味が広がり、心は恐怖に満たされている。万力の如く、恐怖は私をとらえて離さない。萎えて動きの鈍った足を必死に動かす。
 
 ――――逃げなくちゃ。

 敵はあまりにも多く、まるで訓練を受けた軍人の如く見事な連携で私を追い詰める。心臓の音が煩いくらいに鳴り響く。駄目だ。このままでは追いつかれる。お仕舞いだ。待ち受ける未来は冷たい死。
 ああ、失敗した。死という単語は否応無く両親の死に様を思い出させる。私と父を逃がす為に囮となった母は残酷な拷問の果てに殺された。父も私を庇い、首を切り落とされた。
 二人の無惨な死の記憶が私の足を止めた。死神が迫る。私と瓜二つな姿をした死神は何故か震えていた。
 
『どうして、見つかっちゃったのよ。私は何の為に……』

 泣いている。死神は鎌の代わりに一振りの剣を持っていた。白く、美しい細身の剣の刀身が向けられているのは私じゃない。死神の後ろからぞろぞろと――死神とは違って――表情の無い亡霊達が追いついて来た。死神が剣を向けているのは彼らに対してだ。何を考えているのかサッパリ分からない。
 死神は小声で囁いた。
 
『逃げなさい。時間を稼いであげる。ここから二つ目のブロックを右に曲がって、その先を只管真っ直ぐ走りなさい。そうすれば、繁華街に出られる筈だから――――ああ、まったく」

 死神はうんざりした様子で溜息を零した。
 
『魔獣を檻から出すなんて、誰の判断かしら……。アレは衛宮切嗣の対策の為に用意した駒でしょうに』

 陽炎の如く揺らめく黒い影。死神が魔獣と呼んだソレは真っ直ぐに襲い掛かって来た。死神が滑らかな動きで剣を振るう。まるで、良く切れる包丁で豆腐を切ったかのように魔獣が真っ二つ。息を呑む私に死神は言った。
 
『行きなさい、イリヤスフィール。もう一人の私。願わくば、私の事を記憶の片隅にでも留めて置いてちょうだい。クロエ・フォン・アインツベルン。あなたの……、姉妹よ』

 クロエは私の背中をそっと押した。
 
『走りなさい!』

 途惑う私を彼女は一喝した。その叫びが私を一時的に恐怖の鎖から解き放った。走る。無我夢中で腕を振り、彼女に言われた通り、二つ目のブロックを曲がる。曲がる寸前、走り抜けた道の先に視線を向けた。
 声にならない絶叫を上げた。腕が宙を舞う光景が、噛み千切られた足が瞳に焼き付いた。死んだ。殺された。私を助けてくれた子が死んでしまった。

 ――――怖い。嫌だ。助けて、誰か!

 只管、真っ直ぐに走る。繁華街にさえ出られれば、追っ手も諦める筈。逃げ切ったら、警察に駆け込もう。きっと、助けてくれる筈だ。
 早く。早く。もっと、早く。見えた。光だ。暗い路地に表通りの光が差し込んでいる。後、ほんの一メートル。
 
『目標を発見。確保します』

 追い付かれた。後、ほんの一メートルなのに、また、暗闇に引き摺り込まれる。
 
 ――――助けて!

 愕然となった。声が出ない。恐怖のせいか、限界を超えて走ったせいか、理由は分からない。痛みが走る。何をされたのか分からない。ただ、全身に痛みが広がっていく。死が近づいて来る。寒い。痛い。
 光が遠ざかる。意識が遠ざかる。私は誰かに抱えられたまま、その場を後にした。いつしか、意識を失った私は広い大海原を飛び越え、山々を抜け、川を渡り、雪原の中に佇む古城へと誘われた。
 これが夢の終わり。私は冬の城に閉じ込められ、長い年月を過ごした。寂しい。辛い。折角、夢の中でなら両親に会えるのに、わざわざ不幸な結末で終わらせなくてもいいじゃないか。幸福な夢なら、幸福のまま終わらせるべきだ。不幸なんて、現実だけで間に合っている。
 だから、私は夢想する。幸福な夢の幸福な未来を思う。普通に学校に通って、友達に囲まれて過ごし、ちょっとしたアクシデントに見舞われながら、大人の女性へと成長していく。素敵な男の子と出会って、結婚して、子供を作る未来。
 ああ、そうだ。そうだったのだ。彼女は私。私は彼女。寂しくて、痛くて、辛くて、全てに絶望したあの日、私の中に彼女は生まれた。
 私の理想。私の友達。私の家族。私自身。
 夢の続きを空想した。その空想は一つの人格を作り出した。
 
「……幸福な未来を夢見た。でも、夢はいつか終わるもの。さあ、終わらせましょう、もう一人の私。さあ、閉じましょう。この魑魅魍魎の宴――――、ヴァルプルギスの夜を」

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