第十話「集いし参加者達」

 荘厳な礼拝堂で、一人の少女が床に両膝をつき静かに祈りを捧げている。
 明り取りから降り注ぐ月の光を浴び、彼女の髪は銀に輝き、その様はまるで絵画のよう。
 丘の上の教会に一人住む彼女の名はカレン・オルテンシア。本来、彼女はこの様な立場に身を置く存在では無い。そもそも、彼女が身を置く言峰教会は修道会に属する教会ではなく、教区に属する教会であり、女性が神父の役割を担う事は特殊なケースを除き、ほぼあり得ない。
 つまり、彼女がここに居る事は特殊なケースという事だ。

「……ええ、もうすぐ始まります」

 十字架に頭を垂れたまま、カレンは呟いた。まるで、誰かに語りかけるかのように。
 だが、彼女の周囲に人影は無く、電話や通信機のような物も存在しない。

「はい。これより、本格的に聖杯戦争が始まります」

 にも関わらず、彼女は会話している。
 まるで、姿無き神とでも話をしているかのように……。

「いいえ。むしろ、身に余る光栄ですわ」

 カレンはわずかに表情を緩めた。

「……いいえ。この体質は神より授かりしもの。死を迎えるその日まで、私は己が職務を全うします」

 慈愛に満ちた表情を浮かべ、カレンは自らの胸に手を当てる。

「報われています。だって、私は神に選ばれ、この体質を得ました。その時点で、私は報われています。一人の信徒として、これ以上の喜びなどありません」

 カレンは言った。

「あなただって、そうでしょう? 神に選ばれた事で、あなたは非業の末路を向かえた。けれど、その事を後悔などしていない。違うかしら?」

 クスクスとカレンは笑う。

「おや……」

 カレンは不意に立ち上がると、懐に手を入れた。
 中から取り出したのは携帯電話。最近になり、一般にも普及し始めた、その名の通り、携帯出来る電話だ。
 魔術や異能の世界に身を置く彼女が最先端の文明の利器を扱う姿はどこかシュールだが、それを指摘する者は居ない。
 少なくとも、目に見える範囲では……。

「どうやら、始まったようです」

 カレンは携帯電話を懐に戻すと、ゆっくりと入り口に向かって歩き出した。

「さあ、共に職務を全うしに行きましょう」

 少女は歩く。夜の世界を悠然と……。

第十話「集いし参加者達」

 私達がその場に辿り着いた時、既にそこは戦場になっていた。片や青の槍兵。片や巨躯の剣士。一挙一動が破壊を生む二騎の英霊の激突に私は息を呑んだ。
 クロエと出会った晩以来見る、英霊同士のぶつかり合い。常軌を逸し、物理法則を無視した理不尽な光景。彼らの周囲では薙ぎ倒され、木っ端微塵にされた木々や破砕された建築物の残骸が散乱している。
 冗談みたいに時代錯誤な武装をした両者が今、互いの命を刈り取ろうと殺し合っている。
 理解を超えた戦い。二人の動きはあまりにも早過ぎて殆ど目で追えない。ただ、夜気を裂く鋼と鋼の衝突音だけが二人の殺し合いの事実を証明している。
 
「あれが……、英霊」

 離れていても伝わって来る両者の殺意。鼓動が激しくなり、手に汗が流れ落ちる。
 人を殺す為だけに鍛えた体で、人を殺す為だけに作られた凶器を握る。これが私の参加した戦い……。
 
「イリヤちゃん……?」

 一緒に来たフラットさんが心配そうに私を見つめている。
 私は震えていた。怖いんだ。人を彼らが怖い。そんな彼らに挑まなければいけない事が怖い。
 クロエの時とは違う。彼女のサーヴァントは人には見えなかった。まるで、物語に出て来るような怪物だった。だからこそ、逆に怖くなかった。
 あまりにも現実感が乏しかったからだ。まるで、映画か演劇を見ているかのようで、私は恐怖を感じる前に、そのシュールさにおかしさを感じた。
 だけど、目の前の二人は違う。見た目は紛れも無く人間だ。だけど、どこまでも人間と掛け離れた力を持っている。
 同じ怪物だけど、人間の姿を保っているあの二人の方が私にとってずっと怖い。
 
「あら、貴女も見に来てたのね、イリヤ」

 膝まで震える私に背後から誰かが声を掛けてきた。
 聞き覚えのある声。恐る恐る振り返ると、そこには予想通り、クロエが立っていた。

「そんなにビクビクしないでよ、オリジナルの癖に」

 クロエは冷たい目で私を見ている。
 オリジナル。その言葉が私の胸を抉った。
 彼女の使ったオリジナルという言葉。それが意味するのは、私がホムンクルスである事。そして、彼女が私の身代わり人形という事。
 話をしたいと思っていた筈なのに、いざ彼女を目の前にすると、口が動かない。

「イリヤ、退がってろ」
 
 セイバーが間に立ってくれたおかげで、少し気を落ち着かせる事が出来た。

「そう構えないでよ。今、貴女と戦うつもりは無いわ」
「どういう意味だ?」

 私の疑問をセイバーが代わりに問い掛けてくれた。

「そのままの意味よ。貴女は私にとって一番の得物。だから、殺すのは最後。オリジナルなら分かるでしょ? 私、好物は最後に食べる派なのよ」

 分かる。私もそうだ。
 そう、私がそうだからこそ、彼女もそうなのだ。
 彼女の好みは私の好み。そう、調整されたのだ。私の身代わりにする為に……。

「クロエ……」

 私はセイバーの背中から出た。

「おい、イリヤ!」
「クロエ、私……」

 セイバーの静止の声も聞かず、私は口を開いた。
 すると、

「謝罪しようとか思わないでね? そんな事されたら、今直ぐ殺したくなるから」

 クロエは強烈な殺気を放ちながら言った。
 私は慌てて口を噤んだ。

「もう、手遅れなのよ、イリヤ。私と貴女は敵同士。せめて、最初の夜に貴女が私の事を知っててくれたなら、私も貴女を許せたかも……ううん。とにかく、私は貴女を許せない。謝られたりしたら……」

 クロエは顔を歪めた。そこにあるのは怒りや憎しみじゃない。哀しみだ。

「クロエ……」
「羨ましいわ、イリヤ。お父様やお母様に愛されてる、そんな貴女が羨ましい。友達と一緒に歩く貴女が羨ましい。……元々、そんな人生が歩める立場じゃなかったけどさ。それなら、こんな……」

 クロエは自分の胸を掴むようにしながら小さく首を振った。

「私は貴女の敵よ、イリヤ。その事、決して忘れないで」
「私は……」

 その時だった。不意にさっきまで鳴り響いていた音が止んだ。
 二騎の英霊が距離をとって向かい合ったまま立ち止まっている。
 戦いが終わったのだろうか。そう思っていると、今まで以上の殺気が辺りに充満し、心臓が萎縮した。
 殺気の主は巨躯の剣士。その手に握る黒塗りの大剣に何かが流れ込んでいくのが分かる。

「イリヤ、あのサーヴァントのステータスを見ておきなさい。恐らく、この戦いはあのサーヴァントの勝ちよ」
「どういう……」

 クロエの言葉に首を傾げていると、セイバーが腕を掴んだ。

「いいから確認しろ、イリヤ。俺には見えんが、マスターのお前なら、奴のステータスを見破れる筈だ」
「う、うん」

 私はホテルでパパから習った通りに目に意識を集中した。
 セイバーのステータスを見た時の事を思い出しながら神経を研ぎ澄ましていると、あの巨躯の剣士の情報が視界に流れ込んできた。
 そこに映っていたのは基礎ステータスのみ。クラスはおろか、スキルも見えない。けれど、唯一つ見えている基礎ステータスのあまりの規格外振りに私は言葉を失った。
 パパから聞いた話ではAランクが最高レベルって話。

「どうした?」
「全てのステータスがAランクを超えてる……」

 例えばの話。セイバーのサーヴァントは聖杯戦争において最優のクラスであると言われているらしいわ。
 その理由は幾つかあるみたいだけど、その内の一つにセイバーのクラスに該当する英霊には全ステータスが一定ラインを超えているという条件が求められる事。
 未熟なマスターによってステータスの減衰はあるかもしれないらしいけど、基本的にセイバーのクラスは引き当てれば確実に平均アベレージを超えた性能を持つ英霊が召喚される。
 けど、今見えているあの英霊のステータスは明らかに常軌を逸している。幾らなんでも、筋力A++、耐久A+、敏捷A、魔力A、幸運A、宝具Aなど度が過ぎている。
 筋力B+、耐久A、敏捷B、魔力B、幸運C、宝具A+のセイバーと比べても桁外れだ。

「令呪によるブーストかな?」

 フラットさんが呟いた。

「いいや。奴のステータスは素の物だろう」

 セイバーが言った。

「セイバーとランサー、ライダー、バーサーカーのクラスが既に埋まっている以上、残るはキャスターかアサシン、あるいはアーチャー。どれも姦計に秀でた英霊の筈。この中で可能性があるとすれば、アーチャーかしら?」

 クロエの言葉に応えるかのように巨躯のサーヴァントは黒塗りの剣をまるで槍投げの選手みたいに引き絞った。

「投擲の構え! やはり、アーチャーか!」

 セイバーの叫びと同時に突如、ライダーが動き出した。
 その手はマスターであるフラットさんの手に繋がれている。

「いっくよー、マスター!」
「オッケー!」
「え、ちょ!?」

 止める間も無く、二人は戦場に向かって走って行く。何を考えているんだろう。
 あんな危険な場所に飛び込むなんて無茶だ。
 慌てて追いかけようとした瞬間、上空から何かがライダーとフラットさん目掛けて飛来した。光り輝くソレは絵本で見た幻獣そっくりだった。

「グ、グリフォン!?」
「いや、ヒポグリフだ!」

 睨み合っていた二騎の英霊まで突如乱入して来た幻獣に跨るライダー主従に目を瞠っている。
 
「幻想種を持ち出すか……」

 セイバーは戦慄の表情を浮かべながら呟いた。
 ライダーは二人の間をヒポグリフで駆け抜けると、一端浮上し、二騎の頭上で静止した。

「セイバー。私達も行こう!」
「え、おい!?」

 知り合ったばかりだけど、フラットさんは悪人とは思えなかった。
 何を考えてるのか知らないけど、あんな危険な怪物二人に一人で挑んでも勝てる筈が無い。

「ちょっと、待て! 何する気だ!?」
「助けに行くの!」
「馬鹿か!? あいつは敵だぞ!」
「だ、だって!!」

 押し問答をしながら走っていると、ライダーがどこからか巨大な角笛を取り出し、思いっきり息を吸い込んだ。

「まさか、宝具か!?」

 セイバーが咄嗟に私を庇おうと前に出る。その瞬間、ライダーは角笛を吹いた。
 刹那、戦慄が走った。それを例えるなら、夜道を歩いている途中、訳も無く後ろが気になり感じる恐怖。背筋が寒くなり、今直ぐこの場を離れたくなった。

「こ、この音は……」
 
 多分、一人だったらとっくに逃げ惑っている。隣にセイバーが居てくれたおかげで、辛うじて踏み止まっていられた。
 私はセイバーの背中に縋りつきながら音が止むのを待った。
 音が止むと、戦闘態勢だった二騎の英霊もそれぞれの凶器を下ろし、ライダーに視線を向けていた。

「ストーップ! はい、そこまでー!」

 人に散々恐怖を味合わせた下手人と思われるライダーは何を考えているのか、ヒッポグリフから降り、両手を伸ばして二騎の英霊を押し留めるように立ち塞がった。

「あ?」
「なんだ、貴様?」
「ボクはライダーのサーヴァント。名はアストルフォ。イングランド王の息子にして、シャルルマーニュ十二勇士の一人だ!!」

 瞬間、辺りが水を打ったかのように静まり返った。
 え、なんだろう、この空気。

「し、真名を明かした……」

 セイバーが唖然とした表情を浮かべている。
 他のサーヴァント達も同様だ。いち早く再起動したのはあの巨躯の英霊だった。

「まさか、素直に答えるとはな」

 巨躯の英霊は黒塗りの剣を下ろし、頭をポリポリと掻きながらライダーを見た。

「ヒッポグリフに、さっきの角笛……。嘘では無いらしいな」
「ボク、嘘なんてつかないよ?」

 ライダーは朗らかに笑みを浮かべながら言った。
 毒気を抜かれたように巨躯の英霊とランサーは視線を交し合う。

「ああ、でだ。お前、何の様だ? 戦いに来たって感じじゃねーっぽいけどよ」

 ランサーの問い掛けにライダーは「よくぞ聞いてくれました!」と口笛を吹いてヒッポグリフを呼んだ。
 すると、そこにはヒッポグリフの背中にしがみ付きながら恐怖に震えるフラットさんの姿……。

「なんで、|マスター《おまえ》まで怯えてんだよ!?」

 ランサーが叫ぶ。ああ、私がつっこみたかった事をつっこんでくれた。
 あの恐怖を呼び起こす角笛はライダーの宝具だ。なのに、ライダーのマスターであるフラットさんまで怯えてるのはどういう事だろう。

「い、いや、耳栓すれば大丈夫かなーって思ったんだけど、無理でした」

 テヘペロしながら言うライダーにランサーと巨躯の英霊は無言で視線を交し合った。
 さっきまで殺し合っていた間柄とは思えない程、彼らの考えは一致していた。
 多分、私やセイバーと同じ考えを抱いているに違いない。
 
――――このサーヴァント、ちょっとバカだ。

「で、本当にお前は何をしに来たんだ?」

 巨躯の英霊がとうとう呆れたような顔をしながら問いかけた。

「あ、そうだ。ほら、マスター。みんなが待ってるよ!」

 ライダーが揺さぶりと、フラットさんはライダーに縋りつきながらヒッポグリフから降りた。
 
「あ、なんかライダー、良いにおい」
「お前等、本当に何しに来た!?」

 ランサーがキレた。気持ちは分かる。

「ほら、マスターしっかり!」
「はーい!」

 フラットさんは漸く落ち着いたのか、片手を挙げながらサーヴァント達一人一人に視線を合わせた。

「俺、フラット・エスカルドスって言います! 俺、英霊の皆さんと友達になる為に来ました! ってわけで、俺と友達になりませんか? 俺、皆さんの武勇伝とか聞きたいッス!」

 空気が再度凍り付いた。

「……は?」

 ランサーの目が点になっている。
 無理も無い。私も呆気に取られてる。確かに、さっき彼は英霊と友達になりたくて参戦したいと言っていた。だけど、幾らなんでもこれは……。

「あ、俺今、冬木ハイアットホテルの三階に住んでるんですけど、これから皆でどうッスか? お酒とか飲みながらパーっと!」
「拠点まで暴露した!?」

 セイバーが絶句している。
 私も別の意味で絶句中。まさか、同じホテルに泊まってたなんて。
 しかも、同じフロア。あ、私達の拠点も即効バレるんじゃね。

「ったく、変な奴だな。だが、メシの誘いとあれば断れん。俺は構わないぜ」
「ええ!?」

 私は思わずランサーを見た。
 あんなおバカな提案に乗る人が居るなんて。

「まあ、俺も構わないぞ。なんか、戦う気が削がれちまった」

 肩を竦めながら言う巨躯のサーヴァント。
 あれ、おかしい。みんな、一緒にご飯食べる感じになってる。
 あれ、おかしいのはみんなじゃなくて、私の方なのかしら。

「あ、そっちのお嬢ちゃんやイリヤちゃんもどうッスか?」
「ええ!?」

 話をこっちに振らないで! 
 っていうか、いつの間にかクロエが隣に居た。

「ど、どうするの?」

 私はこそこそとクロエに聞いた。

「いや、親しげに話しかけないでよ……。まあ、いいんじゃない? どうせ、最後には全員殺すわけだし、一緒に食事するくらい」
「あら過激……」

 そして、男前。

「あ、でも、私、お酒飲めないわよ?」
「大丈夫! ジュースも用意してるッス!」
「なら、私は構わないわ」
「おお! 話が分かるッスねー! じゃあ、イリヤちゃんは?」
「え、ええっと、あ、じゃあ、私も!」
「おい!!」

 私が挙手しながら言うと、セイバーに頭を叩かれた。

「な、何するのよー!?」
「お前、今、完全に流されてただろ! 敵の本拠地に招かれてんだぞ!? もっと、警戒心持て馬鹿!」
「ば、馬鹿って言った!? 馬鹿じゃないもん! 学校の成績はトップクラスなんだからね!」
「そんなの知るか! とにかく、もっとよく考えて発言しろ!」
「あらあら」

 セイバーがガーッと怒鳴る。すると、クロエがクスクスと笑った。

「貴女のサーヴァントはマスターを守る自信も無いのね、イリヤ」
「……あ?」

 クロエの言葉にセイバーが剣呑な表情を浮かべた。

「だって、そうでしょ? 怖いから敵の招待なんて受けられないんでしょ?」
「そ、そんな訳ねーだろ!!」
「じゃあ、どうするの?」
「い、いいぜ! 受けてやるさ!」

 セイバー、チョロい! チョロ過ぎるわ。ちょっと心配になるレベルで!
 っていうか、クロエはどうしてセイバーをわざわざ炊き付けたんだろう。
 私としては戦場とは違う場所でクロエと話が出来る機会が出来た事に内心喜んでるんだけど。

「んじゃ、行くッスよ!」

 なんか、よく分からない展開だけど、私達は一同、冬木ハイアットホテルに向かって歩き出した。
 ちなみに、ランサーと巨躯のサーヴァントは鎧を外した下にしっかりと現代風の服を着ていた。スタイルの良い外人集団に好奇の視線が集まる。
 なんだかむず痒さを感じながら、私達はフラットさんの招きに応じる事となった。

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