第十九話「ルーラー」

――――|検索《サーチ》開始。
 
 体格。霊格。血統。人格。魔力の適合率を満たす人物を検索。候補者が複数該当。更なる絞込みを行う。
 聖杯戦争の開催国である日本に縁のある人物を検索。三件該当。内、一件にイレギュラーを確認。残る二件の内、より信仰心の高い人物を選択。

――――検索終了。

 英霊の|霊格挿入《インストール》準備開始。該当人物に対し、|交信《コンタクト》開始。続いて、対象の|聖痕《スティグマ》を通じ、|接続《コネクト》開始。英霊の完全現界の為に体格、霊格に対し、調整を実行。憑依による人格の一時封印及び、英霊の霊格挿入開始。同時に元人格の同意獲得。素体の|別領域保存《バックアップ》開始。
 霊格挿入完了。体格と霊格の適合作業開始。続いて、クラス別能力付与開始。全英霊の情報及び、現年代までの必要情報挿入開始。別領域保存、並びにクラス別能力付与、必要情報挿入完了。
 スキル『聖人』――――聖骸布の作成を選択。これにより、適合作業終了。全工程完了。サーヴァント、クラス・ルーラー。現界完了。
 
 現界した直後、ルーラーは苦悶に満ちた表情を浮かべた。一瞬、召喚に不備があったのかと焦りを感じる程の激痛を感じ、咄嗟に瞼を開くと、目の前に異形が立ちはだかっていた。
 驚愕に目を見開くルーラーを異形はじっと見つめ続けていた。やがて、異形は徐々に形を変え始める。異形の姿は銀色の髪の少女へと変貌した。
 それがルーラーたる聖女、ジャンヌ・ダルクと被虐霊媒体質を持つ悪魔祓い、カレン・オルテンシアの出会いだった。

第十九話「ルーラー」

 |刺し穿つ死棘の槍《ゲイ・ボルグ》。ランサーの宝具の詳細は既に調査済みだった。宴の席で彼が名乗ったクー・フーリンという名をネットワークで検索し、ヒットした中にその槍の名があった。曰く、投げれば三十の鏃となって降り注ぎ、突けば三十の棘となって破裂する呪いの槍との事。これ以外にもこの魔槍に関する記述は多岐に渡り、その槍の絶大的な力を賛美していた。
 分かった事と言えば、彼にその槍を使わせてはいけないという事のみ。並みの英霊ではゲイ・ボルグを防ぐ事も躱す事も不可能。
 ならば、使われてしまった場合は死ぬしかないのだろうか? 

――――否。

 アサシンは既に切り札を発動する準備を整えていた。準備と言っても単純なもので、ただ、その身に刻まれた刻印に魔力を流し込むのみ。励起状態となった刻印に、後は命令を下すのみ。

「あばよ」

 ランサーは唇の端を吊り上げながら、目に見える程の濃密な魔力を槍に流し込んでいる。
 選択の余地は無い。切り札を出し渋ったまま、無駄に命を散らすわけにはいかない。

――――僕はまだ、死ぬわけにはいかないんだ!!

 魔槍が迫る。

「|刺し穿つ《ゲイ》――――」
「離脱しろ!!」
「――――|死棘の《ボル》ッ」

 驚愕に息を呑む音が響く。アサシンが姿を消した。霊体化では無く、存在その物が忽然と消え去ったのだ。
 この場に立つ三者は皆、今、目の前で起きた現象を明確に理解している。驚愕は消失のトリックに対してでは無く、何故、アサシンが使えるのか、という点。
 
「令呪……だと?」

 ランサーは片眉を上げながら呟いた。
 そう、アサシンの消失トリックの種は令呪。令呪はサーヴァントに対して命令を強制する力がある。例えば、サーヴァントの意に沿わない命令を下す事も出来る。
 だが、令呪の力はそれだけでは無い。アサシンが行った『空間転移』のように、令呪は使い方次第でサーヴァントに能力以上の力を行使させる事が出来る。
 如何に空間転移が魔法の域にある魔術であろうと、令呪を使ったならば別段不思議な現象とは言えない。
 ならば、ランサーの驚愕は何に対してものなのか? その答えは『アサシン自身が令呪を行使した事』だ。
 本来、令呪はマスターが所有する物である。それ故に魔術師は人智を超越した英霊と対等に接する事が出来るのだ。
 サーヴァントが令呪を所有しているなど、あり得ない事態だ。

「令呪に細工でもして、サーヴァント自身にも使えるようにしたのでしょうか?」

 バゼットは奇怪な現象に何とか説明をつけようと考えを巡らせた。
 幾つか、考えが浮かんだが、どれも説得力に欠ける。

「お前さんは何か知ってるんじゃないのか?」

 ランサーはルーラーに水を向けた。ところが、ルーラーはすまし顔で「答えられません」と一言。
 途端、彼は不機嫌そうにルーラーを睨み付けた。

「ケチくせぇ事言うなよ、ルーラー」
「ケチではありません。私はあくまでも裁定者。中立のサーヴァントたる私がそれを伝える事はルール違反になります」
「けどよー」
「そこまでにしなさい、ランサー」

 尚も食い下がろうとするランサーをバゼットが止めた。

「バゼット」
「自分から贈り物をねだるのはマナー違反らしいですし」

 ランサーは不覚にも噴出しそうになった。
 その言葉はつい先日、アーチャーのマスターにバゼット本人が言われた言葉だ。

「ルーラー。私は魔術協会の要請により、聖杯を調査する任を与えられています。つきましては、以前の宴の席で使い魔越しに発言した男との会合に私も参加させて頂けませんか?」
「私は構いませんが……」
「ならば、問題無いでしょう。アチラとは今から話をつけに行きます」
「今から……?」

 唖然とするルーラーにバゼットは薄く微笑んだ。

「武力行使になるかもしれませんが、それも一興。彼とは一度手合わせをしてみたいと思っていました」
「怖ッ! お前に目をつけられたソイツに本気で同情するぜ……」

 拳をポキポキと鳴らしながら獰猛な笑みを浮かべるバゼットにランサーは顔を引き攣らせた。
 女という生き物の恐ろしさは時代や国を問わないらしい。嘗ての師や女神を思い出しながら彼は苦笑した。

――――ああ、俺のマスターは本当に良い女だぜ。

「んで、奴さんがどこに居るかは分かってるのか?」
「いいえ。知りませんよ」
「……は?」

 予想外の返答にランサーは呆気に取られた表情を浮かべた。
 そんな彼にバゼットは肩を竦めた。

「だから、まずは知ってる人物に会いに行きます」
「知ってる人物っつーと?」
「セイバーのマスターですよ。イリヤスフィール・V・E・衛宮。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン・エミヤ。嘗て、アインツベルンは衛宮という名を持つ外来の魔術師を己が領域に招き入れたとか……。恐らく、あの声の主は魔術師殺し・衛宮切嗣。そして、彼女はその娘」
「って事は……、このままセイバーと戦闘もあり得ると?」

 ランサーは頬を掻きながら問い掛けた。

「どうしたのですか?」

 キョトンとした顔をするバゼットにランサーは苦笑しながら言った。

「この街に到着した直後にライダーと戦って、その翌日にアーチャーと戦い、その更に翌日にファーガスの野郎と打ち合って、その翌日の今日はアサシンとやり合ったばっかだぜ? んで、このままセイバーと対決しに行くって?」
「……確かに、連戦続きではありますね。貴方がこれ以上無理と言うのでしたら――――」
「ッハ!! その逆だ!!」

 ランサーは獣の如く牙を剥き出しにしながら獰猛な笑みを浮かべた。
 心の底から歓喜に湧いた笑み。

「やっぱ、お前は最高だ!! 行こうぜ、バゼット!! |奴《セイバー》とは俺も戦ってみたくて仕方が無かったところだ」

 まるで少年のように顔を輝かせるランサーにバゼットは苦笑を洩らした。

「そういうわけなので、私達は少々交渉しに行って参ります。また、後程会合の席で」
「え、ええ、では……」

 闘気を漲らせるバゼットとランサーを見送りながら、ルーラーは頬を掻いた。

「仲良き事は素晴らしき哉……と、言った所でしょうか?」

 賑やかな二人が立ち去った事で静かになった海浜公園にポツンと取り残されたルーラーはアサシンに襲われた被害者たる少女を丁重に抱き抱えると、拠点たる教会へと戻って行った。
 その途中、盛大にお腹が鳴り、彼女はポツリと呟いた。

「お腹……空きました」

 その声には切実な響きが篭っていた。

 被害者の少女の治療を終えたルーラーは街へ出た。今現在、遠くでアーチャーとバーサーカーが交戦状態にあり、その少し離れた場所ではライダーがランサーと交戦中。更にその少し離れた場所でセイバーとファーガスも交戦中。アサシン以外は絶賛交戦中。
 一応、教会のスタッフに声を掛けてあるから、大きな被害が出る事は無いだろう。それよりも今は食事だ。ルーラーは今、非常に空腹だった。

「お、お腹と背中がくっついちゃいます……」

 自分で料理をしてもいいのだが、正直な話、自分の田舎料理より、現代のレストランの料理の方がずっと美味しい。
 現代の食文化の発展は実に素晴らしい。ルーラーは現界してから今日に至るまで、幾度と無く思った。祖国フランスの料理も生前とは比べ物にならない発展振り。実に素晴らしい。
 どこで食べようかなー、と瞳を輝かせながらレストラン選びに執心していると、不意にルーラーの視界に一人の人物が映り込んだ。
 
「……どうされました?」

 空腹状態とは言え、ここまで接近されて気が付かなかった事にルーラーは息を呑んだ。彼はルーラーの眼と鼻の先に立っていた。
 身のこなしに一切の隙が見当たらない。ルーラー自身はそこまで戦闘に特化した英霊では無いが、戦場を駆け抜けた経験が目の前の人物を油断なら無い存在であると告げている。

「大丈夫か? もし、具合が悪いようなら救急車を呼ぶが……」
「い、いえ! ただ、ちょっとお腹が空いていただけなので!」

 英霊の身でありながら、空腹に倒れ、救急車で運ばれるなどあってはならない。そう思って、慌てて叫んでからハッとなった。
 周囲から生暖かい視線を感じる。顔がみるみる赤くなっていくルーラーに男は言った。

「……来なさい」

 男は表情一つ変えずに一言告げると、そのままスタスタと歩き出してしまった。
 恥ずかしさのあまり、ルーラーは慌てて彼の後を追った。しばらく歩いていると、少しずつ冷静さを取り戻し、ルーラーは男に声を掛けた。

「えっと、どこに行くのでしょうか?」

 問い掛けると、男は「そこだ」と言った。
 
「『紅州宴歳館・泰山』……ですか?」

 どうやら、中華飯店のようだ。窓は締め切られている。開店しているのだろうか? ルーラーが首を傾げていると、男はスタスタと中に入って行った。
 えっと、えっと、と迷っていると、男が手招きした。

「入りなさい」
「は、はい……」
 
 空腹がもはや限界に近く、ルーラーは素直に従った。
 ルーラーには啓示という直感のスキルに似たスキルがある。初対面の相手に空腹で判断力が鈍っているとはいえ、ノコノコ付いて来てしまったのも、この啓示により、目の前の男が不審な人物では無いと一目見た瞬間に分かったからだ。

――――もしかしたら、お腹を空かせた私を見るに見兼ね、お勧めのお店を紹介してくれたのかもしれませんね。

 ルーラーは一人納得しながら中に入った。中には背の低い女性が一人店番をしていた。

「おお! 葛木先生! いらっしゃいアルー!」

 店員の女性はサッとメニューを手渡して来た。私は咄嗟に受け取ると席に案内され、葛木の前に腰掛けた。
 
「えっと、先生というのは?」
「高校で教師をしている。それより、好きな物を注文しなさい」
「え?」
「空腹だったのだろう?」
「そ、それはその通りなのですが……」
「ここは私が支払う。好きなだけ食べなさい」
「い、いえ! そんな、申し訳無いです!」

 まさか、奢ってくれようとしていたとは予想外。
 ルーラーは慌てて自分の財布を取り出そうとして、恐ろしい事実に気が付いた。

「どうした?」

 葛木が怪訝な眼差しを向ける。

「その……、お財布を忘れてしまいまして……」
「ここは私が支払うと言った筈だが?」
「いえ、でも……、申し訳ありませんし」
「遠慮する必要は無い。子供が空腹に喘ぐ姿は見るに耐えん。それとも、家で家族が料理を作って待っているのかね?」
「いえ、家……には私一人で住んでいますので」
「……そうか。すまなかった」
「あ、いえ! それより、見ず知らずの方に奢って頂くわけには……」
「だが、空腹なのだろう?」
「それはその……、はい」

 気まずそうに言うルーラーに葛木は言った。

「ならば、食べなさい」
「えっと、その……、はい」

 不思議な貫禄を持つ男だ。ルーラーは生前、共に戦ったジル・ド・レェを思い出した。彼も不思議な貫禄を持つ男で、時に厳しく、時に優しく接してくれた。
 特異な立ち位置に居たルーラーには真に心を許せる友は少なかったが、彼はその数少ない友であった。彼が己の死後に犯した罪については知っている。その罪の裏には深い嘆きと怒りがあった事は想像に難くない。彼を思うと胸が痛んだ。

「どうかしたか?」

 葛木に声を掛けられ、ルーラーは慌てて平静を装い、メニューに視線を落とした。
 そこには中華料理の名前がズラズラと並んでいた。そう言えば、現界してからこれまで、中華を食した事は一度も無い。どんな味なんだろう。
 ルーラーは目移りしながら注文する品を選んだ。

「一つ二つで無くとも構わん」

 その葛木の一言にルーラーの理性は吹き飛んだ。

「じゃ、じゃあ! こ、このマーボーとチンジャオとホイコーローと!!」

 調子に乗って次々に注文すると、店員の女が店の奥へと引っ込んで行った。

「ここの麻婆豆腐は美味しい。きっと、気に入るだろう」

 その時、初めて、ルーラーは葛木の微笑みを見た気がした。気のせいかもしれない。それほど、この男は表情の変化が乏しい。

「そう言えば、まだ名乗っておりませんでしたね。私はジャンヌと申します」
「ジャンヌ……というと、フランスから?」
「ええ、ルーアンという街に住んでいました。今は所用で此方の知人に世話になっております」

 男は口数こそ少ないが、決して無愛想というわけでは無かった。
 ルーラーは彼に友の姿を重ね、普段より饒舌に口が動いた。
 しばらく語り合っていると、店員の女が料理を運んで来た。
 瞬間、ルーラーの表情が凍り付いた。

「こ、これは……?」
「アイ、マーボードウフお待たせアル!」

 知らない。こんなマーボーを私は知らない。現界時に与えられた知識にも、この身の寄り代となってくれた少女の記憶にも、こんなマーボーの情報は無い。
 煮立った釜の如き真紅のソレはまるでラー油と唐辛子を延々煮込み続けたかのようで、まるで地獄の釜のよう。
  
「さて、頂くとしよう」
「え!?」

 葛木は日本特有の所作で手を合わせると、レンゲを手に取り、真紅のソレを口に運んだ。
 思わず生唾を飲み込み、その姿を見守る。
 葛木は凄い勢いでマーボーを食べ始めた。額に汗を滲ませながら、機械的にレンゲを口に運び続ける。

――――お、美味しいのかな?

 ルーラーは恐る恐るレンゲを手に取り、自分の分のマーボーを一掬い、口に運んだ。
 瞬間、ルーラーは眩暈に襲われた。
 辛い。否、辛いなんてもんじゃない。もはや、痛い。まるで舌を針で隙間無く突かれ、その上に塩を掛けられたかのよう。
 尋常では無い辛さに汗が滴り、涙が滲む。このままでは舌が融解してしまう。

「きゅ、きゅじゅきしぇんしぇい……」

 たった一口だというのに、ルーラーの舌は麻痺してしまった。
 涙を拭いながら葛木を見ると、彼は残り二口を残すのみだった。
 おかしい。この人、絶対おかしい。
 ルーラーは真剣に葛木の正気を疑った。こんな物体を完食するなんて、人としてどこかおかしい。
 お金を払ってもらう立場とはいえ、こんなものをこれ以上食べる事は出来ない。これ以上食べれば、寄り代たる少女の肉体が甚大な被害を被る。
 そう思い、葛木に謝ろうとした……その瞬間だった。
 
「……え?」

 ルーラーの体が彼女の意思に関係無く動き出した。
 腕が勝手に動き、レンゲを持ち上げ、マーボーを掬う。

――――な、何を考えているのですか、カレン!?

 止めて。お願いですから、止めて下さい。
 ルーラーは必死に懇願した。にも関わらず、勝手に動き出した腕は容赦無くマーボーを口に運んだ。避けようと思って、顔を動かそうとするが、顔が微動だにしない。

「あ、ああ……」

 口の中に、レンゲにたっぷり掬われたマーボーが流れ込む。
 その瞬間、ルーラーは声無き悲鳴を上げた。しかし、絶望は終わらない。彼女の不幸は……彼女の寄り代たる少女がこのマーボーを気に入ってしまった事。
 嫌だ。止めて下さい。お願いだから、勘弁して下さい。
 生前、火刑に処される前、幽閉されながら毎日尋問官や見張りの兵に暴行を受け続けた日々以上にルーラーはこの時、必死に命乞いをしていた。
 殺される。いや、むしろ殺して下さい。次々に口に運ばれるマーボーにルーラーは止め処なく涙を流し続ける。
 ああ、幸薄き乙女に希望は無い。マーボーの後に次から次へと料理が運ばれて来る。さっき、調子に乗って頼んでしまった料理達が異様なオーラを放ちながら待ち構えている。

「た、たしゅけて……」

 ルーラーの悲痛な叫びを聞く者は誰一人居なかった。

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