第六話「決意表明」

 十年前――――。
 第四次聖杯戦争の終結後、衛宮切嗣はアインツベルンの報復を恐れ、妻と娘を連れて姿を晦ました。元々、魔術協会にも属さず、他家との関わりも一切持たないアインツベルンは聖杯戦争を除いては内にのみ目を向け、己の求める真理の探究に明け暮れている単一の魔術一族だ。魔術師殺しとして、数々の魔術師を葬り去り、その数を遥かに凌ぐ復讐者の手から逃げ延びて来た切嗣の手腕を持ってすれば、アインツベルンの目を掻い潜る事自体はそう難しい事ではなかった。
 新天地として選んだ街で過ごすと決めた時、切嗣の妻、アイリスフィールは娘のイリヤスフィールを魔術に関わらせたくないと願った。それが如何に難しい事かをアイリは理解していたが、それでも尚、切嗣に懇願し、切嗣はその願いを承諾した。
 正義の味方になる。嘗て愛した少女に誓った夢を捨て、愛する妻と娘の為だけに生きると決めた時点で元々イリヤを魔術に関わらせるつもりは無かった。
 アインツベルンのホムンクルスである事。英霊・モルガンが調整を施した事によって、宝具としての側面を持つ事。
 それらを踏まえた上でイリヤを未来永劫守り抜くにはそれしかないと考えていた。無論、イリヤの魔術師の適正は並み居る魔術師達を遥かに凌ぐだろう。その才能に目をつける魔術が居ないとは言い切れない。その為に切嗣はイリヤの魔術師としての才能を全て封印する事に決めた。
 とは言え、魔術師としての才能を封印するなど、口で言う程容易い話ではない。可能としたのは聖杯戦争を共に戦い抜いたモルガンの助力によるものだ。
 最終決戦の直前、モルガンは切嗣にこう言った。

『聖杯戦争の後、平和な世界で生きるには魔術の力など不要であろう』

 平穏に暮らすならば魔術の力などあっても邪魔になるだけだ。そう考えたモルガンはイリヤの体に一つの仕掛けを施した。
 それは魔術回路や魔術刻印を封印し、魔術的な異能を自他に関わらず感知できないようにするというもの。
 モルガンの仕掛けと切嗣が施した暗示によって、イリヤは自分を魔術師である事を知らずに育った。
 
第六話「決意表明」

 冬木市に入ってから更に三十分程度走ってからパパは車を停めた。
 冬木市ハイアットホテル。この地域で一番立派なホテルらしい。一番立派って事はそれだけ利用者が大勢居るって事。パパが言うには下手にこじんまりとした宿を取るより安全らしい。
 念のためにクレジットカードを使わずに現金で部屋を借り、一休みした後、パパは大事な話があると言って、苦悩に満ちた表情を浮かべた。
 ママが淹れてくれた紅茶を飲みながら、パパが話し始めるのを待つ。眉間に深い皺が出来てる。酷く思い悩んでいるみたい。

「パパ?」
 
 私が声を掛けると、パパはハッとした表情を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。

「順番にいこう。まず、セイバー」

 パパに話を振られ、セイバーはキョトンとした表情を浮かべた。

「なんだ?」
「君はモードレッドで間違い無いかい?」
「モードレッド?」
 
 日本語だと赤型?

「ちょっとお酒を飲んだだけで赤くなっちゃう人の事?」
「それは赤型体質って……、どうしてそんな事知ってるんだい?」
「この前、本で読んだの」
「……とりあえず、イリヤは少し静かにしておいてくれ」

 何だか蔑ろにされてる気分。早くいつものパパに戻って欲しい。今のジャック・バウアー・モードのパパもちょっと渋くてイケてるけど、やっぱりいつものパパの方が好き。
 話の内容に付いて行けない私を尻目にパパ達は難しい話をし始めた。

「オレの宝具を見て推察したのか? いや、違うな。もっと前からお前はオレを知っていた。そうだな?」
「ああ」
「やはりな。だから、お前はオレが宝具を使おうとした時に『やめろ、セイバー』と叫んだ。あの時、宝具の使用を止めたのは宝具を晒す事を危惧したのかとも思ったが、それにしては……、な」
「僕が止めたのは、君が『|我が終焉の戦場《バトル・オブ・カムラン》』を使うと思ったからだ」
「バトル・オブ……? 何それ?」

 少しでも会話に参加したくて挙手しながら聞いてみた。

「オレの切り札を知っているのか……。お前、一体……」

 無視された。セイバーが何だか凄く怖い表情でパパを睨んでる。
 凄く険悪な雰囲気。でも、無視されたままってのも癪だ。

「ねえねえ、バトル・オブ・カムランって何なの? っていうか、モードレッドって何?」

 セイバーの鎧の布の部分を引っ張りながらねえねえと聞くと、セイバーはクワッとした表情を浮かべた。 

「五月蝿ェ!! ちょっと黙っててくれないか、マスター!!」

 怒鳴られた。そんなに怒らなくてもいいじゃないさ。
 涙目になって部屋の隅で蹲っても誰も相手をしてくれない。チラチラとパパ達に視線を向けてみても、完全に無視された。
 酷い。あんまりだ。せめて、ママくらい私を慰めてくれたっていいじゃない!
 頬を膨らませながら文句を言ってると、ふと部屋の隅にパソコンが置いてある事に気が付いた。
 閃いた。

「えっと、スタートボタンを押してっと」

 分からないなら調べればいいのよ。時代はワールド・ワイド・ウェブ。
 さすがは高級ホテルだわ。備え付けのパソコンも最新式。プラウザをダブルクリックして、私は検索エンジンにキーワードを打ち込んだ。
 これでもパソコンの扱いには慣れてるの。ブラインドタッチが出来る女子高生ってかっこいいでしょ。

「とりあえず、バトル・オブ・カムランっと!」

 検索に少し時間が掛かった。後ろの方でパパとセイバーの話し声が聞こえる。

「……僕が君を知っているのは十年前、君の母上が僕のサーヴァントだったからだ」
「母上がお前のサーヴァントだっただと!? お前、よく生き残れたな……」
「キャスターは……、モルガンは必勝の策を練る卓越した頭脳とそれを実行し得るだけの能力があったからね」
「そうじゃない」

 パパが懐かしむような口調で言うと、セイバーは暗い表情で首を横に振った。

「母上ならば天下無双の英雄だろうと、不死身の勇者だろうと敵では無いだろうさ。オレが言ってるのは……お前、よく母上に殺されなかったなって事だ」

 セイバーの言葉に今度はパパが顔を顰めた。

「君なら分かっているだろうが、モルガンは伝説に語られるような悪女では無かった」
「知ってるさ。だが、母上は目的の為ならば手段を問わん。母上は勝利の為ならば平然と仲間を裏切る。しかも、性質の悪い事に裏切られた方は最期の瞬間に至って尚、裏切られたとは考えずに骸を晒す。あのアコロンのようにな」
「……それは」
「ああ、母上はその事を後悔していた。だが、それでもやり方を変えなかった。生まれながらの陰謀家なのさ、あの方はな」

 パパは不機嫌そうに黙り込んだ。また、空気が悪くなってる。
 丁度、検索が終わったみたいだから、私は意識をパソコンに傾けた。幾つかのホームページがヒットしている。
 とりあえず、それっぽいページをダブルクリック。また、ちょっと時間が掛かった。

「確かに、君の言葉はモルガンの人物像を的確に評している。十年前、モルガンは勝利の為に手段を問わなかった。……外道と罵られても仕方が無い程の所業を為した。けど、それは僕も承知の上だった。何より、モルガンは僕を……僕達を裏切らなかった。それだけは事実だ」
「……それは真実か?」
「なに?」

 セイバーの指摘にパパは明らかな動揺を見せた。

「言っただろう。母上の恐ろしい所は裏切られた側に最期まで裏切られたと気づかれない事なのだと」

 パパは言葉を失っている。どうしたんだろう……。
 後ろが気になりつつも、ホームページが開いたので、そちらに視線を戻す。
 ページの中央には一枚の絵が表示されていた。

「えっと、この絵はイギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムが描いた『|カムランの戦い《バトル・オブ・カムラン》』である」
 
 ページに表示された文章を目で追っていく。どうやら、カムランの戦いというのは、アーサー王物語の一部を描いた物らしい。
 私もアーサー王物語に目を通した事はあるけど、あんまり深く読み込んだわけじゃないから知らなかった。
 カムランの戦いのページ中にモードレッドの名前もあった。
 モードレッドは円卓の騎士の一人だったらしい。しかも、アーサー王の一人息子。彼は父であるアーサー王に叛逆し、殺し合った。
 モードレッドはこの戦いで命を落とし、アーサー王も致命傷を受けた。
 父と子が殺し合い、双方が命を落とす。あまりにも残酷な話だ。私は後ろを振り向くのが怖くなった。だって、ここに記されているモードレッドというのは、私の後ろでパパと話している騎士の事なのだから。耳を澄ますと、パパ達はまだ話を続けていた。

「モルガンは僕達の願いを確かに叶えようとしてくれていた。自分ならば、あの聖杯を制御出来ると」
「何の話をしているかは知らんが、お前がそう信じたいなら別にいいぜ。今ここに母上が居るわけでもないしな」
「……話を戻そう。僕が君の切り札を知っていたのは、キャスターの宝具が君だったからだ」
「どういう事だ?」
「キャスターの宝具は英霊・モードレッドを己が身を寄り代に召喚し、宝具として扱う事が出来るというものだった」

 パパの言葉にセイバーは鼻を鳴らした。

「大方、オレは敵のサーヴァント相手に捨て駒にされたんだろうな」
「僕には君が承知の上で宝具を使ったように見えた」
「宝具にされてる状態なんだろ?」

 セイバーの言葉にパパは沈黙した。

「それで?」

 セイバーは押し黙るパパに痺れを切らしたように言った。

「……話はまさか、それで終わりじゃないよな?」
「ああ。君がモードレッドで、君の切り札がバトル・オブ・カムランだと確認がしたかっただけだ。それよりも、イリヤ」
「……ひゃい!?」

 いきなり話の矛先を向けられ、思わず変な声が出た。

「席に戻りなさい」
「う、うん」

 おずおずとセイバーの隣に腰掛ける。何だか、凄く窮屈な感じ。
 深呼吸をして、頭を上げると、ママが新しく淹れた紅茶を私のカップに注ぎながら言った。

「貴女には最初から説明をしないといけないわね」
「ママ……?」

 ママは何かを言おうとする度に口を閉ざし、瞳に迷いの色を浮かべた。

「どうしたの?」
 
 何だか心配になって声を掛けると、パパがママの手を握った。

「僕から言うよ」

 パパの言葉にママはやんわりと首を振った。

「いいえ。私から言うわ」

 ママは深く息を吸うと、言った。

「イリヤ。私と貴女はホムンクルスなの」

 その言葉に目を見開いたのはセイバーだった。
 当の本人である私は「ホムンクルス……?」と首を傾げるばかりだった。
 そう言えば、あの怪物を連れた女の子、クロエも自分をホムンクルスだと名乗っていたっけ。
 ホムンクルスって、一体何なんだろう。さっき、調べておけばよかった。

「セイバー。ホムンクルスって何なの?」

 とりあえず、答えを知っていそうなセイバーに聞いてみた。すると、彼女は躊躇うように視線をママに向けた。

「日本語だと人造人間。人が作った人という意味よ」
「人造人間……、え? 仮面ライダー!?」

 まさかのショッカー!?

「それは改造人間よ……。じゃなくて、人造人間」
「ああ、ドラゴンボール!」
「……とりあえず、アニメの話に持っていくのは止めなさい。貴女ももう高校生なんだから……」

 額に手を当てながら溜息を零すママに私は小さくなった。
 だって、人造人間っていきなり言われても意味が分からないんだもん……。

「もっとも、イリヤは私と切嗣の娘だから、正確にはちょっと違うのだけど」
「どういう事……?」
「ママはアインツベルンの魔術師、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンが鋳造した人造人間だったの」
「……え?」
「私は第四次聖杯戦争における聖杯の外装として作られた人形だった」

 戸惑う私に構わず、ママは続けた。

「そして、アインツベルンは聖杯戦争のマスターとして外来の魔術師を雇った。それが切嗣なの」

 無意識に私はパパを見た。
 パパは黙ってママの話に耳を傾けている。
 否定も肯定も無い。

「切嗣は鋳造されたばかりで何も知らなかった私に様々な知識を与えてくれた。そして、貴女が生まれたわ」

 私は背筋が寒くなった。
 聞きたくない。これ以上、その話を聞きたくない。
 気が付くと、私は椅子から立ち上がっていた。まるで、両親が得たいの知れない生き物に見えた。
 クロエと出会ってから、非常識な事ばかり起こって、夢と現実が曖昧になってる。これはきっと夢なんだわ。ううん。これだけじゃない。きっと、クロエと出会った事も、セイバーを召喚した事も全部夢なんだわ。
 そうよ、そうに決まってる。だって、こんなのおかしいじゃない。いきなり、自分が魔術師だったとか言われて、ママが人造人間とか……。
 我ながら恥ずかしい夢を見ている。中二病って奴ね。そう言えば、タッツンとどこでもドア……じゃなくて、どこにでも行ける魔法があればいいのにって話してたんだっけ、
 きっと、そのせいでこんな変な夢を見てるんだ。早く、目を覚まさなきゃ。

「座って、イリヤ」

 ママの振りをしている夢の住人を無視しながら頬を抓った。

「は、早く目を覚まさなきゃ。また、学校があるんだし……」
「イリヤ、落ち着いて。これは夢なんかじゃないわ」

 何を言ってるんだろう。夢に決まってる。じゃなきゃ、私は……、

「いや……」

 胸に浮かんだのは嫌悪感だった。
 親は人形だった。
 親は人形を孕ませた。
 人形が生んだのは……、

「落ち着け、マスター」

 誰かの手が私の手を掴んだ。
 咄嗟に払おうとしたけど、伸びた手は驚く程強い力で私の手を握り、その手を振りほどく事が出来なかった。

「落ち着けよ、マスター」

 その声がまるで水底へ落ちていく自分を掬い上げるように私の意識を取り戻させた。

「セイ、バー」

 荒く息をする私の目をセイバーは黙って見つめた。

「……ごめんなさい」

 誰にとも無く謝ると、私は倒れた椅子を起こして座った。
 ママは思いつめた表情で言った。

「ごめんなさい」
「ママ……?」
「いきなりこんな事を言ったら……、貴女がどれだけ混乱するか分かっていたのに」
「ううん。私の方こそ……ごめんなさい」

 押し黙る私達にセイバーは大きく息を吐くと言った。

「なるほど……。オレがマスターに召喚された理由も想像がついたぜ」
「セイバー……?」
「母上はマスターに手を加えたな?」
「……え?」

 咄嗟にセイバーを見たが、セイバーの視線はパパに向けられていた。
 パパは私を見つめながら言った。

「そうだ。イリヤは生後まもなく、次回の聖杯戦争の器となるために調整を受けた。その為に体の成長は遅くなり、寿命もただでさえ短命な他のホムンクルスより更に短くなった。だが、キャスターはイリヤが常人と同じ生活が出来るようにイリヤの体を調整した。恐らく、その事が君を召喚する呼び水となったのだろう」
「調……せい」

 自分の手を見つめながら呟くと、声が無意識の内に震えた。
 その手をセイバーはそっと握り締めた。

「安心しな、マスター。人格はどうあれ、母上の技術は確かなものだ。常人として生きられるようにしたっていうなら、その通りだろうさ」
「セイバー……」

 セイバーの手を握り締めながら「ありがとう」と呟く。
 彼女の声が私に勇気をくれる。
 私はパパに気になった事を聞いた。

「あの娘は誰なの?」

 頭の中を渦巻く疑問の嵐の中、一際大きな疑問。

「クロエって名乗ってたけど、あの娘は……」
「十年前、アインツベルンにイリヤの身代わりとして残した少女型のホムンクルスだ」
「……やっぱり」

 彼女の言葉が頭の中で甦った。

――――『私は……イリヤの代わりにイリヤになった。だったら、だったらさ……、せめて、貴方達くらい、私を……』

「イリヤの存在はアインツベルンにとって重要なものだった。だから、万一……聖杯を手にする事が出来なかった時の為に逃げる準備をしていた」
「だけど、見つかった」

 セイバーは嫌悪感を隠さずにパパを睨みつけた。

「胸糞悪い話だな、オイ。人造人間ならどう扱おうが構わないだろうと思ったか?」

 セイバーの言葉にパパは何も言い返せない様子だった。言い返せる筈が無い。理由はどうあれ、パパは……ううん、私達はクロエを……。
 何を言おうと、言い訳にしかならない。

「ま、結局オレのやる事は変わらないけどな」
「やる事……?」

 肩を竦めながら言うセイバーに私は首を傾げた。

「聖杯が使えるなら使う。穢れてるならぶっ潰す。結局同じ事だ。オレはマスターとこの戦いを勝ち抜く。あの小娘が立ちはだかるなら倒すだけだ」
「そんな!?」

 セイバーの言葉に私は思わず声をあげた。
 すると、セイバーは言った。

「あの小娘を倒す以外にどうにかしたいってんなら、それはアンタの仕事だぜ、マスター」
「……私の?」
「あの小娘には迷いが見えた。その迷いの先がどっちに転ぶのか……。そいつはきっと、アンタ次第だ。救うにしろ、排除するにしろ……、な」
「私……」
「力なら、幾らでも貸してやる。オレはアンタの剣だ。好きに使いな」

 だがな、とセイバーは立ち上がり、剣をその手に具現化させた。
 その切っ先が私の鼻先に向けられる。

「剣を取ったからには後には引けないぜ。どうする?」

 私はママを見て、パパを見て、最期にセイバーを見た。
 皆一様に私の選択を待っている。
 混乱の渦はいつしか明確な答えに変わっていた。
 やるべき事は分かっている。

「私もやるべき事は分かってるわ」

 私は立ち上がるとセイバーに手を伸ばした。

「私の剣になって、セイバー」

 私の決意を篭めた視線にセイバーは真っ向から答えてくれた。

「了解した。これより我が身は御身の剣となり、我が命運を御身に預けよう。ここに――――」

 セイバーは私の手を取り言った。

「――――契約は完了した」

 そう、ここに契約は完了した。
 もう、巻き込まれて、運命に振り回されるのはここまでにする。
 ここからは私自身の足で運命に踏み出す。
 大丈夫。私には強い味方が居る。セイバーが居てくれるなら、私は歩き続けられる気がする。

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