第八話「魔術師二人」

 夜の冬木を歩くのは十年振り。太陽が沈んで尚、街は光に満ちている。人の数は昼間よりむしろ増えている気さえする。会社帰りの酔っ払ったサラリーマンが千鳥足で街を闊歩し、若者がコンビニの前でたむろっている。みんな、この街で起きつつある異変に気付いていない。過去の伝説にその名を記す英霊達の殺し合いが始まろうとしている事に気付いていない。
 英霊同士のぶつかり合いは戦争の名に相応しい被害を及ぼす。家々は破砕し、人が死ぬ。誰一人犠牲にならない結末などあり得ない。
 唾棄すべき所業だ。だけど、私はこの戦いに参加する。この街の人々の安寧を打ち砕く一端を担う。彼らの不幸を糧として、己が願いを叶える為に……。

第八話「魔術師二人」

「これは……」

 異変に気付いたのは新都を一通り見て周り、深山町に戻って来た時だった。
 冬木大橋を渡り終え、海浜公園に向かって歩いていると、不意に生き物の気配が消えた。さっきまでチラホラと居た通行人が姿を消し、鳥の鳴き声が聞こえなくなっている。
 じわりと額から汗が流れ落ちた。

「結界……?」

 どうやら、私は敵の領域に足を踏み入れてしまったらしい。嘗て、|アーチャー《エミヤ》の夢で見た未来の自分なら決してしないようなミス。
 気を落ち着かせ、辺りを警戒しながら一刻も早く離脱しよう走り出す。|アーチャー《ギルガメッシュ》は蟲蔵で別れたっきり姿を現さない。今、傍に居るのかどうかも定かじゃない。いざ戦闘に入ったとしても、万一、ギルガメッシュが傍に居なかったら為す術無く殺されるのがオチだ。令呪も無い今、この状況は致命的だ。

「逃げなきゃ――――」

 今来た道を駆け戻ろうとした、その瞬間、上空から無数の光が降り注いだ。

「!?」

 目視した瞬間に障壁を構築した。幼少期に齧っただけの未熟な障壁は光の雨を前に軌跡を逸らす事しか出来ない。

「――――ッ!!」

 声も無く絶叫しながら凄まじい光の豪雨が止むのを待つ。肌が焼け焦げ、肉の焼ける嫌な臭いが鼻をついた。

「グッ」
 
 あまりの痛みに目尻に涙が浮かぶ。躯を僅かにも動かす事が出来ない。少しでも動けば全身がバラバラになってしまう気がした。
 しばらくすると、光の嵐が不意に止み、障壁を解除せずに私は顔を上げた。遠くの空、高い建物の上にポツンと佇む影が見えた。なんだろう、目を凝らすと、唐突に影は消え、背後から声がした。

「どうやら、見込み違いだったようですね」

 鋭い声と共に首筋に冷たい感触が走った。
 
「御三家の一角、間桐の魔術師とお見受けします」
「……貴女は?」

 全身を苛む火傷の痛みに意識を失いそうになりながら、必死に頭を働かせる。
 この状況で助けに来ないという事はギルガメッシュは近くに居ないという事。
 なら、自分の力でこの場を切り抜けるしかない。

「魔術協会所属、封印指定執行者。バゼット・フラガ・マクレミッツと申します」

 彼女の言葉の中で私が理解出来たのは魔術協会という言葉とバゼット・フラガ・マクレミッツという名前だけ。『封印指定の執行者』という言葉が何を意味するのかは分からない。
 けれど、穏便な言葉では無い事だけは分かる。

「……わた、しに何か用かしら?」
「此方からの要求は一つ。令呪を破棄し、聖杯戦争から降りなさい」
「断る……、と言ったら?」
「拒否権はありません。自らマスターである事を辞退するならば良し。そうでないなら、殺すだけ」

 そう言った刹那、私の体は宙に浮いた。痛みを認識するより早く、私の体は地面を手毬のように弾んだ。
 視界が真っ赤に染まり、直後に痛みの波が押し寄せて来た。十年間受け続けて来た拷問の痛みを遥かに凌駕する痛み。
 壮絶な痛みに思考が全て持っていかれた。逃げなければいけない筈なのに、逃げるという選択すら出来ない。そうこうしながら蹲っていると、バゼットが傍までやって来た。
 明滅する視界の中に彼女の姿を捉え、私は本能のままに逃げ出そうと地面を蹴った。その瞬間、バゼットの手が私の右腕を捕らえた。そして、バキンッと音を立てて骨が砕けた。

「アアアァァァアアアアアッ!!」

 あまりの痛みに気が狂いそうになった。腕が焼けた様に熱い。

「抵抗は無意味です。貴女では戦う事はおろか、逃げる事すら出来ない」

 脇腹に衝撃が走った。乾いた音が響き、そのまま私の体は地面を何度もバウンドしながら飛び跳ねた。ゼェゼェと息を吐きながら、堪えられない吐き気を感じ、そのまま吐き出した。
 真っ赤な血の塊が地面に広がり、脇腹から痛みがジンジンと響く。脇腹の骨が折れたらしい。口から血を吐いたのは、内臓に突き刺さった脇腹の骨のせいだろう。視界が真紅に染まり、空間が歪む。
 彼女の言う通りだ。私では彼女から逃げる事も出来ない。

「妙ですね……」

 バゼットは言った。

「これだけやってもサーヴァントが姿を現さないとは……」

 怪訝そうに眉を潜めると、バゼットは私の服の襟を掴んで無理矢理体を起こした。

「――――ッ!!」

 あまりの痛みに絶叫した。全身が火で焼かれた様に熱を発している。

「貴女は本当にマスターですか?」

 マスターじゃない。そう言えば、解放してもらえるかもしれない。
 だけど、それだけは言えない。それを言えば、きっと、あのサーヴァントが私を殺す。
 選択肢は二つに一つ。目の前の女に殺されるか、自分のサーヴァントに見限られて殺されるかのどちらかだ。
 ああ、痛い。でも、段々と慣れて来た。十年間、痛みに慣れる訓練は積んで来たつもりだ。全身を紅蓮の業火で焼かれるが如き激痛も、私にとっては慣れ親しんだものだ。
 頭に冷静さが戻り始める。それと同時に怒りが込み上げてきた。怒りの矛先はあのサーヴァントだ。
 どうして、私を助けないんだ。戦いの時は手を貸すと言った癖に、肝心な時に居ないなんて……。
 しかも、私がマスターである事を放棄したら確実に殺しに来るだろう。それだけは間違い無い。ほんの僅かな会合の内にあのサーヴァントの傍若無人な人柄は理解出来た。
 人類最古の英雄王の名に相応しき理不尽さ。
 ああ、本当に頭に来る。

「答えなさい。貴女がマスターでないなら、間桐は誰をマスターにしたのですか?」

 ふざけるな。

「確か、間桐には他に三人居ましたね。ですが、長男である間桐慎二には魔術回路が枯渇していると聞きました。ならば、間桐鶴野が……? それとも、何らかの方法を使い、間桐慎二をマスターに? 虱潰しもいいのですが、貴女が答えてくれれば手間が省けます。ついでに知っている限りの情報も。どうでしょう? 素直に白状するなら、命だけは保障しますよ?」

 冗談じゃないわ……。

「大人しく、間桐のマスターの情報を渡しなさい。貴女だって、これ以上怪我をしたくないでしょう」

 優しく諭すようにバゼットは言った。

「ず、随分と無作法ね……。自分から贈り物をねだるなんて、淑女にあるまじき事だわ」

 苦し紛れの挑発。私に出来る事なんて、それだけだ。
 今、間桐の家に残っているのは慎二だけだ。彼をマスターだと偽れば、私は助かるかもしれない。
 だけど、その後に己がサーヴァントに殺されるだろう。その上、慎二まで殺される羽目になる。
 慎二はただの玩具だ。だけど、他人に壊されるのは癪だ。

「生憎と……、そう言った教育は受けていません。それに、私には……」

 体が宙に浮く。あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。

「不要」

 私は投げ飛ばされ、地面を転がりながら備え付けのベンチに叩きつけられた。
 頭痛が酷く、視界が安定しない。もはや、自分が生きているのか死んでいるのかすら分からない。
 そんな中、不意に奇妙な光景が脳裏に浮かんだ。走馬灯という奴かもしれない。
 私は幼い頃に立ち戻っていた。

『大丈夫か、マスター』

 彼は私を心配そうに見つめた。
 共に長く短い戦いを潜り抜けた相棒。
 大きな背中で私を守ってくれた人。
 
――――大丈夫だよ、アーチャー。

 視界が元に戻った。何の因果だろう。
 この場所は私がアーチャーを召喚した後、気を失った私をアーチャーが連れて来てくれた場所だ。
 私は友達を失ったばかりで、深い悲しみを感じ、彼に泣き付いた。
 そう、ここは私の始まりの場所でもある。ただの子供から魔術師へと生まれ変わった場所。
 ああ、そうだ。私はこんな場所で死ねない。だって、彼と約束したのだから……。
 生きるんだ。私は生き続けるんだ。こんな所で死んでなんていられないんだ。

「後顧の憂いは絶たせて頂きます。間桐のマスターは虱潰しに探すとしましょう。確立は三分の一。そう手間も掛からないでしょう」

 死んで堪るか……。
 私は生きるんだ。
 だから……、

「さようなら、間桐桜」
「さっさと助けに来てよ、アーチャー!!」

 鋼鉄の音が響く。目の前に巨大な剣が何本も地面に突き刺さり、私とバゼットの間に立ちはだかっていた。

「無様だな、小娘。だが、貴様の足掻きは中々に見応えがあった。褒めてやろう。道化としては上出来だ」
「それは……、どうも」

 血反吐を吐きながら、私はギルガメッシュを睨み付けた。
 こいつはずっと見ていたんだ。にも関わらず、姿を現さなかった。私が痛めつけられているのをただ眺めていたんだ。

「そう不服そうな顔をするな。我は先刻告げていた筈だ。『戦いの時は呼べ』、とな」

 本当にふざけている。
 つまり、私が呼ばなかったから、こいつはただ傍観するに徹していたというわけだ。
 |アーチャー《エミヤ》とは雲泥の差だ。こんな奴に自分の命運を賭けなければならないなんて、悪い冗談だ。
 だけど、私が持ち得る|手札《カード》はこいつだけ。だから、今は怒りを腹の底に仕舞っておく。

「頼むわよ、アーチャー」
「まあ、見ていろ。所詮は座興だが、愚劣な雑種共に王の威光を知らしめてやるとしよう」

 悠然と構えながらギルガメッシュは言った。

「それが貴女のサーヴァントですか……。なるほど、自身の身に余る高位の英霊を呼び出したわけですね」
「まあね……」
「まあ、良いでしょう。何はともあれ、これで漸く、聖杯戦争が始まるわけですし」
「ああ、そして貴様の聖杯戦争はここで終わる」

 ギルガメッシュの言葉に呼応するように、彼の背後の空間が歪み始めた。
 そして、一本の剣が歪みから飛び出した。人智を越えた速度で飛来する剣を前にバゼットは立ち止まったまま。
 決まった。私がそう確信した直後、甲高い金属音が鳴り響き、剣が彼方へと弾き飛ばされた。

「マスターはマスター同士。サーヴァントは……サーヴァント同士ってのが、聖杯戦争の基本だろ?」

 飄々とした態度で現れたのは夜に溶け込む群青の鎧に身を包んだ長身の男。
 獣の如き粗暴さを漂わせ、手には紅の槍が握られている。

「ラン、サー……?」
「御明察。そう言うお譲ちゃんのサーヴァントはセイバー……って風じゃないな。今の攻撃。アーチャーか?」

 背筋が凍りつく。飄々とした男の声が今まで聞いたどんな言葉とりも冷たく恐ろしい。
 苛烈な拷問を強いた鶴野や臓硯ですら、この男の前では矮小な存在に成り果てる。
 これが英霊。歴史、伝説、逸話にその名を記す英雄の霊。
 
「これでも礼節は弁えてるつもりだ。そら、|弓《エモノ》を出せよ、アーチャー」

 ギルガメッシュの顔は背を向けられているから分からない。けれど、直接向けられたわけでも無いのに、私は彼の放つ殺気に身を震わせた。

「雑種如きが我に指図をするか……。王たるこの我に……」
「あ?」
「分を弁えぬ愚か者め。せめて死に様で我を興じさせよ」

 アーチャーが指を鳴らすと、先程と同じようにアーチャーの背後の空間がまるで水面の如く揺らめいた。
 波紋が幾重も広がり、無数の武具が姿を現した。

「――――ッ!?」

 理解を超えた光景。驚き、息を呑む音は誰のものか。
 一つ一つが馬鹿げた魔力を漲らせている。どれも嘗て見た、英雄達の誇る宝具に匹敵する魔力を迸らせている。

「さあ、踊れ」

 王の号令と共に、無数の刃の軍勢がランサーに向かい降り注ぐ。
 一つ一つが必殺の力を秘めた宝具。そんな物を雨のように降らせる英霊を私は嘗て見た事がある。
 私の嘗ての相棒。衛宮士郎。
 十年の時を経て、新たに召喚した英霊が彼と同じ戦法を使っている。
 私は圧倒され、魅了された。
 |アーチャー《エミヤ》と|アーチャー《ギルガメッシュ》の違いは降らせる宝具の真贋の差にある。
 |アーチャー《エミヤ》の宝具はあくまで彼の魔術によってコピーした贋作だった。けれど、|アーチャー《ギルガメッシュ》の宝具はどれも本物。

――――|王の財宝《ゲート・オブ・バビロン》。
 
 人類最古の英雄王の誇る宝具は『この世全ての宝具の原典』。私の|目《・》にはその詳細が鮮明に浮かび上がっている。
 完全に反則だ。劣化無しの宝具を無数に使えるなんて、ほぼインチキだ。
 さすがはお父様が最強と称し、召喚を狙った英霊だけある。この英霊の前ではどんなに勇名を轟かせた英霊の名も霞む。
 最強のサーヴァント。その名に偽り無し。

「その程度か?」

 にも関わらず、ランサーは前進した。宝具の豪雨を前に恐れを微塵も感じていない。
 見れば、いつの間にかバゼットが姿を消している。
 懸命な判断だが、この状況下でその判断を即座に下し、実行するなんて半端じゃない。
 ギルガメッシュが最強のサーヴァントなら、バゼットは最強のマスターだ。
 そんな最強のマスターが用意した手駒が生半可な英霊である筈が無かった。
 ランサーは宝具の豪雨の中を悠々と突き進む。

「うそ……」

 理解出来ない。あの暴虐の嵐をまるで何でも無いかのように歩めるなんて尋常じゃない。

「ほう……、矢避けの加護を持っていたか。たかが犬の分際で大したものだな。そうは思わぬか? 小娘」
「えっと……」
「……犬、だと?」

 答えん窮していると、不意に心臓が握り潰されたかのような錯覚を覚えた。
 あまりにも濃密過ぎる殺気。鬼気迫る表情を浮かべたランサーがギルガメッシュを睨み付けている。
 
「犬と言ったか、貴様!!」

 猛るランサーに対し、ギルガメッシュは余裕たっぷりな態度で返した。

「躾のなっていない犬だな。我らの会話に横槍を入れるとは……。まあ、王に噛み付こうとする時点で狂犬であったか」
 
 そう言いながら、ギルガメッシュは何故か私に顔を向けた。

「……どうした? 笑っても良いのだぞ」
「……え?」
「……ん?」

 私とランサーの声が重なった。
 えっと、どういう事だろう。今のどこに笑うべき所があったのかしら。
 彼の言葉を一つ一つ検証してみてもさっぱり分からない。と言うより、いきなりどうしたんだろう。

「横槍よ。ランサーと槍を掛けたジョークだ。何故、理解出来ないのだ!?」

 どうしよう。意味が分からない。元々、理解の及ばない存在だったけど、ここまで理解出来ないとむしろ笑えてくる。

「おお、理解出来たか!」
「……え?」

 ギルガメッシュは勝手に何かを納得した。
 分からない。人類最古の英雄王の考えが理解出来ない。

「……ッハ、この期に及び、俺をおちょくるとはな」
 
 ランサーは既にギルガメッシュの目と鼻の先まで迫っていた。

「ア、アーチャー!」
「囀るな、小娘」

 ランサーの槍がギルガメッシュに迫る。ソレを彼は黄金の双剣で防いだ。

「光栄に思え。冗談を解せぬ愚かな頭を我の宝剣で打ち砕いてやろう」
「ッハ、その前にオレの槍でその茹った頭を串刺しにしてやるよ」
「ククッ、言ったな、狂犬。ならば、死力を尽くし、我を愉しませてみるがいい!」
「――――赤い棘は茨の如くってな。まあ、触れたら痛いじゃ済まないけどな!!」

 瞬間、金属と金属がぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。音は鳴り止む事無く、まるで曲を奏でるが如く夜気を裂いた。

「その程度か、狂犬」
「ほざくな!!」

 戦況は大きく様変わりした。二人の距離は二メートルにも満たない。奔るは迅雷。剃らすは疾風。
 本来、ランサーが繰り出す稲妻の如き槍撃に対して、躱そう、などと試みる事に意味は無い。それが稲妻である以上、人の目で捉えられるものではないからだ。だが、その条理をギルガメッシュは双剣によって覆す。如何に弓兵と言えど、アーチャーとてサーヴァント。通常の攻め手など、決めてにはなり得ない。その面貌に浮かぶのは凍てつく夜気の如き冷笑。奔る真紅の軌跡を黄金の軌跡が打ち払う。
 間合いを詰めようと前に出るランサーの足をギルガメッシュは柳の如き剣捌きで縫い止める。

「ハッ、中々やるなッ! だが――――ッ」

 烈火の如き気性に乗せられる槍撃の一つ一つには正しく必殺の力篭められている。ギルガメッシュは守りに徹する事を余儀無くされ、顔を顰める。
 本来、間合いを取り、敵を迎え撃つという戦法こそが槍の本領であるにも関わらず、その定石をあざ笑うかの如く、ランサーは前進する。

「なるほど、貴様も世に武名を轟かせた英雄の一角なだけはある」

 一際高い剣戟と共にギルガメッシュはランサーから距離を取った。そうはさせじとランサーが距離を縮めようとするが、その間に無数の刃が降り注いだ。
「またこれか……」
「ああ、褒めてやろう。我を愉しませた褒美だ。存分に味わうが良い」
「――――ハッ、おもしれぇ」

 ランサーは獰猛な笑みを浮かべ、一足飛びで大きく後退した。
 瞬時に離された両者の距離は百メートルを超え、ギルガメッシュはランサーの後退にその意図を悟った。
 即ち、ランサーの後退の意図とは必殺の間合いを取った事に他ならない。
 獣の如く四肢を大地に付けるランサーにアーチャーは百を超える宝具を放つが、掠るだけでも致命的な暴虐の嵐の中心で、ランサーは平然とした表情を受けべている。

「ッチ」

 舌打ちをするギルガメッシュにランサーは凶暴な笑みを浮かべる。

「――――狙うは心臓。謳うは必中……」

 ランサーは腰を持ち上げ、疾走直前のスプリンターの如き体勢を取った。

「――――行くぜ。我が一撃、手向けとして受け取るがいい!!」

 瞬間、ランサーは青色の残影となり、疾風の如くギルガメッシュへと疾駆した。
 刹那の間に五十メートルの距離を詰めると、ランサーは高く跳躍した。
 無数に襲い掛かる宝具の群を欠片も恐れる事無く、手に握る真紅の槍を大きく振りかぶる。
 アーチャーは再び舌を打つと、宝具の投擲を中断した。そして、空間の揺らめきから新たなる武具を取り出した。

「――――|刺し穿つ《ゲイ》」

 天高く飛翔したランサーの口から紡がれるは伝説に曰く敵に放てば無数の鏃となりて、敵を滅する魔槍の名。
 生涯、一度たりとも敗北しなかった常勝の英雄の持つ破滅の槍は空間を歪ませる程の魔力を纏い、主の命を今や遅しと待っている。

「|死翔の槍《ボルグ》――――ッ!!」

 怒号と共に放たれた真紅の魔槍は防ぐ事も躱す事も許されない。
 正しく、必殺。
 この魔槍に狙われ、生き残る術などありはしない。
 しかし、

「我を守護せよ」

 ギルガメッシュの号令に呼応し、黄金の輝きが魔槍の進撃を止めた。
 まるで獣の雄叫びの如き叫び声が戦場に轟き、ランサーは目を瞠った。

「――――それは、クルフーア王の!!」

 ランサーの驚きを尻目にランサーの全魔力を注がれた真紅の魔槍は黄金の盾を蹂躙する。
 嘗て、山三つを消し飛ばした大英雄の斬撃を受けながら傷一つつかなかったとされる至高の盾は四つの外殻の内、一つ目を打ち破られながら尚、高らかに吠え、二つ目が破られようとも所有者を鼓舞するか如く叫び続ける。
 されど、必殺を誓う真紅の魔槍はソレを嘲笑うか如く三つ目の外殻を打ち破る。
 最後の一つとなった盾は烈火の怒号を上げ、アーチャーは最期の一枚に己が魔力を残さず注ぎ込んだ。

「馬鹿な――――」

 地に降り立ったランサーは目前のサーヴァントを凝視した。無数の宝具には驚かされたが、その程度の常識外れは戦場の常だ。だが、解せない。
 何故、あの男が嘗て己が使えた王の盾を所有しているのか?
 最強の一撃。自らを英雄たらしめる一撃を防がれたランサーはその盾が紛れも無く本物であると確信した。それ故に眼前のサーヴァントの正体が不可解だった。

「貴様、何者だ?」
「我が宝物を目にしながら、まだ分からぬか」

 ランサーの問いにギルガメッシュは不遜な態度で応えた。
 両者共に限界まで魔力をすり減らしていながら、その眼光は僅かたりとも衰えず、互いを射殺さんばかりに睨み合っている。

「そのような蒙昧、これ以上生かしておく価値も無い」

 冷たくそう言うと、ギルガメッシュは背後のゆらぎから鎖を奔らせた。

「天の鎖よ」

 鎖はまるでそれ自体が意思を持つかのように動き、ランサーの体を拘束した。

「なっ、これは!?」

 身動き一つ取れず、ランサーは殺気を漲らせた視線をギルガメッシュに向ける。
 すると、ギルガメッシュはその手に握る双剣を変形させた。二つの剣は一つとなり、弓の形を象った。

「これの名は|終末剣《エンキ》。貴様にはもったいない宝剣よ。だが、それなりに我を興じさせた褒美だ」

 弓の先に奇怪な陣が描かれ、ギルガメッシュは弦を引き絞った。
 その時だった。それまで隠れ潜んでいたバゼットが突如姿を現した。何らかの魔術を行使しようとしているらしく隠形の術が解けたのだ。
 ギルガメッシュはその者の持つソレに目を瞠った。
 彼が驚愕する程の物。私はバゼットに視線を向けた。
 バゼットは拳の上に球体を浮かばせ、真っ直ぐにギルガメッシュを睨み付けている。

「きっ――――」
「|後より出でて先に断つ者《アンサラー》」
「貴様!!」

 ギルガメッシュが彼女の浮かべる球体の正体に気が付いた時には既に矢を放った後だった。
 黄金の輝きがランサー目掛け飛来する。
 それを迎撃するかのように、バゼットはその手に浮かべる奇跡の真名を紡ぐ。

「|斬り抉る戦神の剣《フラガラック》ッ!!」

 それが、ランサーのマスターであるバゼット・フラガ・マクレミッツの秘奥の名。
 これは後から知った事。神代の魔術たるフラガラック、その力は不破の迎撃礼装。
 呪力、概念によって護られし神の剣がギルガメッシュの心臓に狙いを定め、一直線に迫り来る黄金の矢を超え、射手たる彼に向かい飛来する。
 己の切り札を解き放った直後のギルガメッシュに咄嗟に|逆光剣《フラガラック》を防ぐ手段は無く、唯人たるバゼットにサーヴァントの一撃を防ぐ手段など無い。
 この後に待ち受ける戦いの決着は相打ち。しかし、何事にも例外というものは存在する。結果として待ち受けるものが相打ちであるならば、女魔術師はその結果を勝利へと覆す。
 |逆光剣《フラガラック》が斬り抉るは敵の心臓では無く、両者相討つという運命。それこそがフラガラックという神剣に宿りし奇跡。敵が切り札を行使した直後に発動し、相手が如何な高速を持とうと更なる高速をもって命中、絶命させる。
 その必中の精度、必勝の速度、必殺の攻撃力は確かに誇るべきものだろう。しかし、この魔剣の真の恐ろしさはその特性にある。
 後より出でて先に断つ――――、その二つ名の通り、フラガラックは因果を歪ませ、自らの攻撃を『敵の切り札の発動よりも先に為した』というものに書き換えてしまうのだ。
 どれほどの強力な宝具を持つ英霊であろうとも、死者にその力は振るえない。先に倒された者に反撃の機会を与えられる事は無い。
 フラガラックとは、その事実を誇張する魔術礼装であり、運命を歪ませる相討無効の神のトリック。如何に優れた英雄であろうと、歪められた運命の枠から逃れる事は出来ない。吸い込まれるように己が心臓を穿った神の剣にギルガメッシュは屈辱に満ちた表情を浮かべ、瞬時に背後のゆらぎから巨大な船を出現させた。船は宙に浮かんだまま静止している。ギルガメッシュは無数の武具を縦横無尽に降らせながら私の下へやって来た。

「ア、アーチャー!!」
「黙っていろ!!」

 ギルガメッシュは私を脇に抱えると、空中で漂う船に乗った。直後、船は九十度回転し、真上に向かって疾走した。
 体が船の中を転がる。けれど、何らかの加護が働いているのか、地に落ちる事は無い。
 
「ま、待ちやがれ!!」

 ランサーの叫び声があっと言う間に掻き消える。一瞬の内に私達は雲の中へと突入していた。
 敗北。最強の英霊たるギルガメッシュが敗北した。その理由は単純明快。マスターの差だ。
 私は慢心していたんだ。ギルガメッシュは最強だから、私が何もしなくても彼が勝利を齎してくれると思い込んでいた。
 何もせずに勝利だけを掠め取れる道理など無い。そんな単純な事を忘れていた。
 私自身、苦痛のあまり殆ど身動きが取れない状態だが、それでも立ち上がり、彼の下に向かった。

「……クク」

 ギルガメッシュは嗤っていた。

「狂犬如きが……」
「ア、アーチャー……」
「小娘。以前、我はこの戦いが貴様のものだと言ったな?」
「え、あ、はい」
「それは一端忘れよ。あの狂犬は我の敵だ。この屈辱……、奴の死をもって他に祓う方法は無い」
「で、でも、大丈夫なんですか!? その怪我……」

 私が問い掛けると、ギルガメッシュは口元を歪めながら嗤った。

「無論……と言いたいが、少し休む必要がある。一度、屋敷に戻るぞ」
「は、はい……」
「ああ、それと……」
「な、なんですか?」

 ギルガメッシュはジロリと私を睨んだ。

「その不慣れな喋り方は止めろ」
「……へ?」
「聞いていて耳障りだ。貴様の話し易い話し方で話せ」
「で、でも……」
「我が許す」
「……う、うん。分かったわ、アーチャー」
「それでいい」

 船は雲を抜け、天高く上昇した。
 星が驚く程近い。私は思わず見惚れてしまった。

「飲んでおけ」

 そう言って、ギルガメッシュは私に緑色の液体の入った瓶を投げ渡した。
 慌ててキャッチしようとした拍子に全身が酷く痛んだ。その姿にギルガメッシュは相好を崩した。

「貴様……、中々愉快ではないか」
「う、うるさい……」

 ジトッと睨み付けると、ギルガメッシュは意地悪く笑みを浮かべながら自身も緑の液体を喉に流し込んだ。
 私も彼を真似ながら瓶に口を付ける。
 美味しくない。けど、彼も同じ物を飲んでると思うと、不思議と気分が良い。
 |アーチャー《エミヤ》とはやっぱり全然違うけど、私はこの黄金のサーヴァントに少しずつ心を許し始めていた。

 地上では、バゼットが空を見上げていた。

「まずは……一体」

 最期にマスターを連れて逃亡したとはいえ、フラガラックが命中した以上、アーチャーの消滅は時間の問題だ。そう結論付け、バゼットはアーチャーに対し、もはや欠片も興味を抱かず、ランサーを伴い歩き去った。
 ランサーは立ち去る間際に溜息を零した。

「マスターが強過ぎるってのも、考えもんだぜ」

 結局、自分が為した事はマスターの為のお膳立てだ。勝つには勝ったが、女に見せ場を奪われるのは面白くない。
 次は己の槍のみで勝利を掴む。ランサーは密かに意気込みながらマスターに付き従う。

「聖杯戦争。中々、面白そうじゃねぇか」

 そう、呟きながら……。

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