第五十話「決意」

「キャスターの祈りは『|この世全ての悪《アンリ・マユ》の生誕』。これは事実よ」

 ライネスが提唱した悪夢のような仮説をクロエは肯定した。息を呑む私達を尻目に彼女は語る。
 
「ただ、イリヤの祈りも叶えようとしている。これもまた、事実なの」
「どういう意味だ?」

 ライネスが問う。
 
「キャスターはアンリ・マユの祈りを叶える為にイリヤを利用した。けれど、そのイリヤの祈りも聞き入れたのよ。だからこそ、こんな奇妙な状態が出来上がっているの」
「つまり?」
「キャスターはまず、イリヤの祈りを叶え、その後、アンリ・マユの祈りを叶えるつもりなのよ。ただし、優先順位はアンリ・マユの祈りの方が上。だから、もし、イリヤの祈りが叶おうが、叶うまいが、関係無く、最後にはアンリ・マユが誕生する」
「……で、具体的にキャスターはどうするつもりなんだ? イリヤスフィールの祈りを叶え、アンリ・マユの祈りをも叶えようとしている事は分かったが、それとこの状況がどう結びつくのか、皆目分からん」

 ライネスが言った。私も同意見だ。今までの話を統合しても、今一理解に苦しむ。
 ヴァルプルギスの夜という固有結界の中で、死者たる私達に聖杯戦争を繰り返させる理由は何なのだろう。
 
「キャスターがこの世界を作り上げた理由は幾つかあるわ。まず、純粋に二つの祈りを叶える為に膨大な魔力が必要だった事。何せ、イリヤの祈りは死者の蘇生を必要とする。それも、複数。これには第一法か第二法、あるいは第三法が必要となるけれど、何れにせよ、『魔法』の力が必要となる。加えて、アンリ・マユの生誕にも莫大な魔力が必要だったの」
「……ちょっと、いいかしら?」

 私は気になる点があり、話を遮った。
 
「何かしら?」
「イリヤの祈りに魔力が必要となる事は理解出来るけど、アンリ・マユの生誕にも魔力が必要なの? だって、士郎は魔術師として未熟だったけど、アンリ・マユを孕めていたじゃない」

 私の提示した疑問にクロエは肩を竦めた。
 
「士郎はあくまでアンリ・マユを生誕させれば良いという考えの下で動いていたの。まあ、それでも破滅的な被害を世界に齎しただろうけど、キャスターの思惑は少し違った」
「違ったって?」
「キャスターはアンリ・マユを完全な状態で誕生させようとしているの。文字通り、この世全ての悪を具現化させる事が出来る状態でアンリ・マユを世に放とうと考えているわけ」
「なっ……」

 あまりの事に私達は言葉を失った。
 アンリ・マユを完全な状態で誕生させるなど、それが意味している事は……。
 
「せ、世界を滅ぼす気か、キャスターは……」

 ライネスが顔を歪めて言った。そして、ハッとした表情でルーラーを見た。
 
「……だから、お前は召喚されたのか」

 ライネスの言葉にルーラーは青褪めた表情で頷いた。
 
「……おかしいとは思っていました。確かに、時間が一定周期でループしていたり、箱庭の世界に参加者達が閉じ込められていたりと、聖杯戦争の枠組みから大きく逸脱した事態が発生していた。それが『|裁定者《ルーラー》』たる私が召喚される切欠だったのだろうと……、そう考えていましたが、イリヤ……、クロエさんの話を聞いている内に違和感を覚えました」

 ルーラーは言った。
 
「だって、聖杯戦争は既に終わっている。なら、その後に誰かが聖杯を使って何かをしようとしたとしても、ルーラーが召喚される事は無い筈なんです。だって、『勝者が聖杯を使い、願いを叶える』という事は聖杯戦争の本来の在り方だからです。そこにルーラーが介入する事はあり得ない」

 なら、どうしてルーラーはここに居るのか、その疑問の答えを彼女は口にした。
 
「私はルーラーでは無かった。ただ、ルーラーという聖杯戦争の枠組みを利用する事でしか、この世界に介入する術が無かっただけ……」

 彼女は言った。
 
「私は抑止力だ。聖杯戦争の規律を守る為に設定された裁定者などではなく、世界の破滅を防ぐ為の防衛システム」

 ルーラーの言葉にクロエが口を開いた。
 
「まあ、ルーラーというクラスの本来の役割からすれば、当然の成り行きね」
「というと?」

 ライネスが問うた。
 
「本来、聖杯戦争は『|天の杯《ヘブンズフィール》』という根源へ至る架け橋を完成させる為の儀式なのよ。けれど、根源への穴を穿つ事は抑止力による粛清対象となる事と同義。故に、始まりの御三家は抑止力の力を御する為にルーラーというクラスを設定した。聖杯戦争の規律を守る裁定者としての役割はルーラーの思考を聖杯戦争本来の目的から目を逸らさせる為に講じられた措置だったの」
「……なるほど」

 ルーラーは苦悩に満ちた表情を浮かべた。
 
「つまり、私はルーラーというクラスを使った事で、本来の自らの役割を誤認していたというわけですか……」
「そういう事になるわ。貴女の役割はキャスターの思惑を阻止する事。アンリ・マユという魔神が世に現界する事を防ぐ事だったの」

 ルーラーは頭を抱えた。自らに本来課せられていた重大な使命を忘却していた事実に愕然としている。
 
「……何と言う事だ」
「まあまあ、そう落ち込まないでよ」

 俯くルーラーにフラットが気安く声を掛けた。

「フラット?」
「まだ、全てが終わったわけじゃない。アンリ・マユはまだ、現界していないんだから、手は残ってるさ。だろ?」

 フラットがクロエを見る。彼女は頷いた。
 
「キャスターが何故、こんな風に時間をループしているのか分かる?」

 私達は首を傾げた。その点については未だ、霧が掛かったままだ。
 
「聖杯戦争という儀式における、サーヴァントの本来の役割を考えれば、分かる事よ」
「サーヴァントの本来の役割?」

 フラットが尋ねた。
 
「不思議に思わなかった? どうして、大聖杯はサーヴァントを召喚したり、聖杯戦争というシステムを運用したり、挙句、願いを叶える事が出来るのか? その為の膨大な魔力がどこから来るのか? その答えがこれ。サーヴァントの役割とは生贄。大聖杯という炉にくべる薪なのよ」
「……つまり、俺達は」

 ランサーは表情を歪めて言った。
 
「大聖杯を運用する為の魔力を絞り取られる為に呼び出されたってのか?」

 ランサーの憎々しげな言葉にイリヤは頷いた。
 
「そうよ。だから、聖杯はサーヴァントが残り一体になるまで現れない。まだ、英霊の魂という高純度な魔力が足りていないから……」
「ッハ! 胸糞の悪い話だな、おい」

 ランサーが声を荒げた。彼の反応は当然のものだ。自らが生贄にされる為だけに呼び出されたなど、容認出来る筈が無い。
 ところが、憤る彼をアーチャーが諌めた。
 
「一々、話の腰を折るな」
「なんだと?」
「黙っていろ。我等が生贄となる為だけに召喚された。その程度の事実で一々目くじらを立てるな。元より、勝者は一人なのだ。敗者は勝者の為に全てを捧げる。それが世の理であろう?」
「……っち」

 ランサーは腹立たしげにソッポを向いた。
 
「話を続けろ、イリヤスフィール」
「う、うん。えっと、キャスターは自らの思惑を果たす為に膨大な魔力を必要とした。時間をループさせた理由の一つがそれなのよ」

 クロエの言葉に身震いした。大よその彼女が言わんとしている事が分かってしまった。
 
「何度も聖杯戦争を繰り返す事で、マスター達に何度も英霊を召喚させ、何度もサーヴァントを大聖杯という炉にくべる。この繰り返しの世界の目的の一つはそうして膨大な魔力を生み出す事」

 頭がどうにかなりそうだった。何度も繰り返された聖杯戦争。その理由がよりにもよって、サーヴァントを何度も生贄にする事だったなんて、冗談じゃない。

「冗談じゃないわ……。何度も助けてもらったのに、私はアーチャーを……」

 苦渋に満ちた表情を浮かべるのは私だけでは無かった。ライネスやフラットも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 
「話を続けろ、イリヤスフィール。正直、同情心がどんどん薄れていって、怒りが込み上げているが、とりあえず、全てを理解するのが先だ」

 睨むライネスにクロエは静かに頷いた。

「時間をループさせているもう一つの理由があるの」
「それは?」

 ライネスが問う。
 
「イリヤの祈りを叶える為にキャスターはある状況を生み出す必要があったの」
「ある状況……?」
「そうよ。イリヤの祈りは全てをやり直す事。その為に必要な事は単なる死者蘇生じゃない」
「どういう意味だ?」
「単純な話よ。ただ死者を甦らせるだけなら、もっと他に簡単な方法があった。それこそ、こうしてキャスターのヴァルプルギスの夜で魂を喚び出し、第三法で固定化させればいい。それが出来るだけの魔力はとっくに溜まっているし、方法もイリヤは知っているの。だって、もともとアインツベルンが聖杯戦争という儀式を考案した理由は失われた第三法を復活させる事。その為の知識はイリヤの中にちゃんとあるの」
「なら、どうして……」

 私が問うと、クロエは言った。
 
「だから、単純に死者を蘇生させるだけじゃ駄目だったのよ。だって、それじゃあ、やり直した事にならないじゃない」

 クロエは言った。
 
「イリヤは今まで、自分や凛の身に降りかかった不幸を無かった事にしたかったの」
「無かった事にって……?」

 私が愕然となって聞くと、彼女は言った。
 
「最初は時間を巻き戻そうと思ったみたい。でも、それも無意味だと直ぐに理解した。だって、結局は一度歩んだ人生の焼き直しを追体験するだけだもの。デウス・エクス・マキナでも居ない限り、イリヤも凛も結局救われない。なら、どうするか……」

 クロエは言った。
 
「救いのある世界を求めたのよ」
「どういう意味だ?」

 ライネスが問う。
 
「彼女がこの考えを思いついたのは、前回の聖杯戦争におけるキャスターのサーヴァント、モルガンの事があったからなの」
「つまり?」
「モルガンは大切な妹であるアーサー王の幸福を祈った。そして、彼女を王から一人の少女に変えた少年、衛宮士郎と再会させる為に聖杯戦争に参加したのよ」
「……ん? アーサー王が妹?」
「アーサー王は女の子だったのよ。まあ、そこは今、重要じゃないから置いておいて頂戴」
「お、おう……」

 アーサー王が女の子。そんなとんでもない情報をさらっと言われ、ライネスは大いに戸惑いを見せた。気持ちは分かる。私もエミヤシロウの夢の中でアーサー王が女の子だと知った時は本当に驚いたもの。
 
「モルガンは目的を果たす為に一つの計画を立案した。それが、凛のサーヴァントであったアーチャー、エミヤシロウとアーサー王の鞘を寄り代にアーサー王を聖杯戦争で召喚し、恋仲になった衛宮士郎の居る世界に穴を穿つ事。その計画は見事に成功し、モルガンはアーサー王と衛宮士郎を再会させる事に成功したわ。そして、イリヤはその方法を利用する事を考え付いた」

 眩暈がしてくる。十年前の聖杯戦争。私の人生を滅茶苦茶にした戦い。それが今尚、私達の人生に絡んでくる。

「イリヤの計画は……、誰もが幸福な人生を歩んでいる世界を検索し、その世界に私達の魂を|夢幻召喚《インストール》する事。その為に、まず、彼女はマスターが全員生き残っている状態で七日目を迎える事を望んだの」
「何を言って……」

 理解を大きく超えたクロエの発言にルーラーが目を丸くした。
 
「嘗て、モルガンが目的の世界を検索する為に、嘗て、衛宮士郎がとある事情からその身に宿したアーサー王の鞘、|全て遠き理想郷《アヴァロン》を使ったように、イリヤも目的の世界を見つける為に寄り代を必要としたのよ。それが七日目まで全マスターが生き残っているという状況。それも、極力余計な介入が無い状況で……」
「どういう事?」

 私が問うと、彼女は言った。
 
「要は出来る限り、私達が生きた一週目の世界と同じ状況で、その結末を迎えさせる必要があったのよ。じゃないと、検索した世界に居る私達に私達の魂を完璧にインストールする事が出来ないから」
「待って! お願い、ちょっと、待って!」

 私は溜まらず叫んだ。だって、幾らなんでも無茶苦茶だ。
 頭を整理する時間が欲しい。そんな私の願いとは裏腹にクロエは話を続けた。
 
「第二法と夢幻召喚。この二つを組み合わせれば、彼女の計画は実行可能なのよ。それと、これはイリヤの計画の一部に過ぎないわ」

 やめてくれ。そう、懇願したかった。
 
「まず、マスターが全員生存している世界線へ第二法と夢幻召喚によって移動した後、再びその世界を寄り代に世界を検索する。より、都合の良い世界を探し出して、再び、夢幻召喚し直す為に」
「……冗談やめてよ」
「冗談じゃないのよ。彼女は本気でそう計画しているのよ。最終的にはイリヤの両親が生きていて、イリヤ自身や凛も幸福な人生を歩んでいる。そんな世界線へ移動する事を彼女は望んでいるの。愛する家族やメイドのセラとリズに囲まれ、仲の良い友達に恵まれ、何の悩みも抱かずに生きていく事を彼女は望んでいるのよ」

 真相が明るみになるにつれ、私はまるで奈落の底に引き摺り込まれるような錯覚を覚えた。

「そんな都合の良い話、ある訳無いじゃない……」

 私は心の底で再び怒りの炎が燃え上がるのを感じた。
 
「やり直したいって気持ちも分かるわ。けど、そんな風に世界線を移動したって、本当の意味でやり直せるわけじゃない。この世界で起きた事を無かった事になんか出来ない! ううん、しちゃいけないのよ!」

 気がつくと、私はそう叫んでいた。
 呆気に取られるクロエを尻目に私は思いの丈をぶちまけた。
 
「この世界で起きた事は確かに不幸な事ばっかりだったわ! でも、それでも、この人生を歩んだから、今の私達が居るのよ!? この人生だったから、私達は出会えたのよ!? それとも、イリヤは私との出会いも無かった事にしたかったの!?」

 泣き叫ぶように言う私にクロエは俯いた。
 
「凛は後悔していないの? これまでの人生を振り返って、もっと幸福な人生を歩みたいとは思わないの?」

 クロエが問う。私の答えは決まっている。
 
「思うに決まってるじゃない!」

 苦しかったし、辛かった。もし、全てをやり直して、両親や妹や親友の死を無かった事に出来るなら、そんなの、考えるまでも無い事……。
 
「でも……」

 私は頬を伝う涙を無視して言った。

「やり直す事なんて出来ないわよ。だって、そんな事したら、今までの私を否定する事になるじゃない……。これまでの別れも出会いも苦しみも嘆きも何もかもが……」

 死者の蘇生も、時間の巻き戻しも、都合の良い世界への旅立ちも、望めはしない。
 
「死んだ人間は生き返らないのよ。どんなに辛い過去でも、無かった事になんて出来ないのよ!」
「でも、イリヤの計画はそれを可能とするわ」
「違うわ」

 私は首を振る。イリヤの計画は確かに幸福な人生を得られるかもしれない。けれど、それは全てを無かった事にする事だ。それは全てを嘘にしてしまう。
 頬を伝う涙も、身を引き裂く苦痛も、様々な感情が去来する記憶も……。
 この現実の冷たさも全て、嘘にしてしまう。
 そんなのは嫌だ。もしかすると、これは独り善がりな考えなのかもしれない。私にイリヤの祈りを否定する資格なんて無いのかもしれない。けれど、私は――――、
 
「どんな過去だって、今を生きる私達の確かな礎となってるのよ。不幸だったわ! 苦しかったわ! でも、この人生が誤りだったなんて、思いたくない! 嘘になんてしたくない!」
「凛……」

 クロエはクスリと笑った。
 
「やっぱり、いいわ、貴女。本当に、強くてかっこいいわ」
「別に強くもカッコ良くも無いわよ……。でも、腹は決まったわ」

 私は立ち上がった。
 
「どっちみち、イリヤを止めなきゃ、アンリ・マユが誕生して、世界が滅ぶんでしょ? だったら、一発殴ってでも、止めてみせるわ。そんで、分からせてあげる。私はやり直しなんて望んでない。何があってもイリヤの事を好きで居続けるって」
「……男前だな、嬢ちゃん」

 ニヤニヤとランサーは気持ちの悪い笑みを浮かべて言った。
 
「なによ……」
「いや、マジで良い女だぜ。世界が滅ぶってのも、英雄として放っとくわけにもいかねーし、協力させてもらうぜ。嬢ちゃんがダチに拳をぶち込めるようにな」
「べ、別にぶち込む事が目的ってわけじゃ……」
「へへ、いいじゃねーか。拳を交える友情ってのもアリだと思うぜ?」
「……ありがと」

 私の言葉にランサーは微笑んだ。
 
「バゼットの説得は任せとけ。あいつもさっきは動揺していたが、戦士の末裔だ。大局を見誤る事はしないだろうさ」

 そう言って、彼は部屋から出て行った。バゼットの下に向かったのだろう。
 
「……まだ、話は終わっていないぞ」

 気分を変えようと立ち上がった私にライネスが言った。
 
「確かに、キャスターとイリヤスフィールの目的は分かった。けれど、肝心なこの世界の仕組みについてはまだだ」

 ライネスの言葉に私はハッとした。
 
「詳しく話せ。戦うにしても、情報が無くては話にならん」
「ライネス……」

 私はライネスを見た。ライネスも私を見つめている。
 
「正直、お前とイリヤスフィールの因縁などどうでもいい。イリヤスフィールの願いも理解は出来るがどうでもいい。だが、私の魂を弄んだキャスターの事は断じて許さん」

 ライネスは言った。
 
「私自身の、そして、私の相棒たるセイバーの魂の尊厳を穢したキャスター。その落とし前は必ずつけさせる」

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