第五十三話「死戦」

 時刻は23時58分。間桐の屋敷の屋根の上にセイバーは一人佇んでいた。マスターたる少女の最後の命令。それを実行に移すべく、時を待っている。
 後、一分。セイバーは数刻前に感じた少女の体温を思い出し、微笑んだ。
 
「女を抱くと、思い出すな……」

 嘗て、ベオウルフという『呪われた勇者』が居た。彼はヘオロットの宮殿を夜毎に襲う|巨人《ドラゴン》、グレンデルを打ち倒すべく、巨人の住処へと足を運んだ。そこで、彼は武器を持たず、素手のみで巨人と戦った。その結果、彼は巨人の腕をもぎ取り、勝利した。
 けれど、物語はそれで終わりでは無かった。息子を傷つけられた事に激怒したグレンデルの母である魔女が巨人討伐の祝祭に湧く宮殿に乗り込み、王の親友を手に掛ける。友を喪った王は嘆き悲しみ、ベオウルフに魔女の討伐を命じた。
 ベオウルフは仲間と共に再び巨人の住処へと足を運び、そこで彼はグレンデルと再び戦う事になる。そして、彼は戦いの最中、水中へと引き摺り込まれた。
 そこは奇妙な空間だった。水中にありながら、そこだけは水が無く、代わりに一振りの剣があった。彼はその剣を握り締め、自らを連れて来た巨人の首を引き裂いた。
 今度こそ、巨人が絶命した事を確認し、地上に戻ろうとした時、彼はそこで魔女と出遭った……。
 
「美しかった……」

 それは誰にも言えない彼だけの秘密だった。
 グレンデルの母は驚く程美しく、彼は彼女の誘惑に打ち勝つ事が出来なかった。彼は魔女を抱いた。そして、彼は地上に戻ると怪物は両方始末したと嘘の報告をした。
 しかし、その報告を唯一人、虚言であると見抜いていた人物が居た。ロースガール王は彼を褒め称えながらも感じ取っていたのだ。彼が何をしたのかを……。
 だからこそ、彼は自身が生きている限り、ベオウルフがこの地に足を踏み入れる事は無いだろうと確信した。
 そして、時が流れ、ベオウルフは王となった。そして、荒れ狂うドラゴンの話を耳にする。そのドラゴンの正体を彼は直ぐに理解した。それ故に彼は一人で戦う事を望んだ。
 史書にあるベオウルフという英雄の最期は凶暴なドラゴンとの激闘の末の討ち死にである。けれど、彼にとっては少し違う。自らの過ちに対する贖罪。
 ドラゴンはグレンデルの母が産んだ、もう一人の子だった。そして、その父親は……。
 
「さあ、始めるとするか……、我が子よ」

 時刻は0時00分。七日目は終わりを告げ、八日目が始まる。それは同時に終焉の幕が開いた事を意味する。
 天上を見上げると、銀月から伸びる光が見えた。目を凝らすと、それは光で編まれた階段だった。その幻想的な光景にセイバーは微笑み、そして、周囲を取り囲む異様な集団に目を向けた。
 
「どうやら、推測は当たっていたらしいな」
 
 屋敷を取り囲むように無数の影が集まって来る。ソレはこの街の住人であった者達であり、このヴァルプルギスの夜に招かれた魑魅魍魎達である。彼らは屋敷を包囲すると、その身に光を帯びる。
 やがて、光が消え去った時、彼らの姿は一変した。
 可能性はあった。予測もしていた。けれど、セイバーは顔を強張らせた。幾ら、予想していようと、覚悟を決めていようと、この光景を前にして、眉一つ動かさぬ者がどこにいようか……。
 
「趣味が悪いな、キャスター」

 彼は呆れたように言う。彼の瞳に移るのはもう一人の自分の姿。少し、視線を動かせば、同じ光景が無数に広がっている。
 マスターとは違い、サーヴァントはループの周回毎にその都度召喚され、周回の終わりに大聖杯に回収されている。つまり、第四次聖杯戦争のサーヴァント達が夢幻召喚によって、現界していたように、ループの周回毎に死亡したサーヴァント達もまた、キャスターは夢幻召喚によって現界出来るのが道理。
 目の前に広がる光景はそんな彼らの推測を肯定していた。
 千を越えるセイバーの姿がある。
 千を越えるランサーの姿がある。
 千を越えるライダーの姿がある。
 千を越えるアサシンの姿がある。
 千を越えるバーサーカーの姿がある。
 そして、姿形はこの周回での彼と異なるが、千を越えるアーチャーの姿がある。
 彼らはこうなる事を予期していた。それ故にセイバー一人が間桐の屋敷に居残ったのだ。早計八千を越える英霊達の目を逸らす囮となる為に……。
 
「……さらばだ、ライネス」

 静かに呟き、セイバーは自らの胸に手を当てた。
 
「来い、|呪われし勇者の子《ドラゴン・オブ・ベオウルフ》よ!」

 顕現するは巨大なドラゴンはその瞳に自らの父を映す。
 そこにはドラゴンの召喚によって全ての魔力を消費し、既に現界を維持出来なくなり、光の粒子に変わりつつあるセイバーの姿。
 既に、セイバーはライネスとの契約を断っていた。ドラゴンの召喚は契約状態にあればライネスの魔力をも根こそぎ奪い、死に追いやってしまう諸刃の剣だからだ。
 一週目の世界では大聖杯を手中に収めていたキャスターの助力を得ていたが故に慎二はセイバーにドラゴンの召喚を行わせたにも関わらず、彼を現界させ続ける事が出来たが……。
 
「もって、十分か……」

 ライネスは契約を断つ間際、令呪を全て使用した。
 命令は一つ。現界を維持し続ける事。セイバーが消滅すれば、ドラゴンも消滅してしまう。それでは役目を果たす事が出来ない。それ故の策。
 
「暴れろ……」

 セイバーの呟きにドラゴンは雄叫びを上げて応えた。
 彼は思う。自らの子を殺した時の孤独感を……。
 彼がライネスの召喚に応えたのは、愛する者をその手に掛けた苦悩を癒す愛を求めたが故だった。孤独を慰める存在を彼は欲したのだ。
 結局、彼らは傷を舐めあったに過ぎない。セイバーとライネスは互いの孤独を埋め合う為に肌を重ねた。けれど、それは真の愛では無く、それ故に慰めにすらならなかった。
 けれど、絆は確かにあった。自らの罪たるドラゴンを召喚する決意を固め、囮役を買って出たのは偏に彼女の為。先にあるのが希望にしろ、絶望にしろ、彼女が歩む道筋を切り開く為、彼は自らの罪と向かい合ったのだ。
 
 第五十三話「死戦」

 深山町と新都を結ぶ冬木大橋に彼女達は息を顰めていた。とは言え、肉眼や探知魔術では彼女達の存在を確認する事は出来ない。アーチャーの持つ気配遮断の宝具、『ハデスの隠れ兜』によって、彼らは物理的にも魔術的にもその所在を隠蔽されている。
 時刻が0時を回ると同時に彼らは動いた。天を仰ぎ、向かうべき場所が新都にある事を視認すると、足早に橋を渡った。
 橋を渡る途中、深山町に巨大なドラゴンが姿を現し、街を火の海に変えた。同時に無限にも等しいサーヴァントの軍団が深山町に向かって橋を疾走していく。セイバーは見事に囮としての役割を果たしている。
 とは言え、ソレも長くは続かないだろう。セイバーが力尽きるのが先か、敵が囮作戦に気付くのが先かは分からないが、何れは追っ手がやって来る。その追っ手を可能な限り深山町に封じ込める必要がある。その場合、この橋は唯一、新都と深山町を陸路で結んでいるが故に重要なポイントになる。
 橋を通る敵の姿が減った事を確認し、ランサーとライダーが姿を現す。敵は無数に存在し、その上、一人一人がサーヴァントを夢幻召喚している。ここに残り、足止めをする事は避けようの無い死を意味する。
 けれど、二人は自らこの役割を買って出た。
 
「あばよ、バゼット」

 声どころか気配すら感じられない主に向かって、ランサーは呟くように言う。
 
「フラット。凛。クロエ」

 ライダーは渾身の笑顔を浮かべて言う。
 
「頑張ってね」

 二騎の英霊は橋の中央に向かい歩き出す。片や、ケルト神話の大英雄は己が愛槍に光の文字を刻んでいく。片や、フランスが誇る英雄は自らの腰に差した角笛を持ち上げる。
 
「ッハ、敵は八千越えだとよ」
「胸が躍るね」
「敵は全員サーヴァントだとよ」
「血が騒ぐね」
「敵側に俺が千に居て、お前が千人居るんだとよ」
「魂が熱く燃えるね」

 橋を渡り切った時点で時刻は0時五分。二人が橋の中央に辿り着いた時は0時10分。ドラゴンの姿が徐々に光の中に消えていく。
 それは同時に敵の軍団が彼らの下に殺到し始める事を意味している。
 
「ライダー。俺がこの戦いに参加した理由が何か分かるか?」
「何となく」
「言ってみな」
「戦いたいからだろう?」
「その通り! 血湧き肉躍る戦いを望み、俺はバゼットの手を取った! そして、俺はこの戦場を得た!」

 愉悦に顔を歪めるランサーにライダーは少女のような顔を綻ばせた。
 
「それは実に結構だね。楽しい事は良い事だ! 思いっきり、楽しもう!」

 ライダーは自らの|愛馬《ヒッポグリフ》に跨り、角笛を構える。戦いの始まりを高らかに告げる為に……。
 
「さあ、挑んで来たまえ! 君達の相手はケルトの大英雄、クー・フーリンとフランスの大英雄、アストルフォだ!」

 自らに大英雄などと名乗る資格が無い事は百も承知。されど、彼はそう名乗り、ランサーもまた、その事を咎めない。
 
「いくぜ、ライダー! 一匹たりとも通すなよ!」
「合点承知! それじゃあ、いっくよー!!」

 嘗て、それが発動した時はマスターである魔術師達が恐怖に竦む程度であった。しかし、それはライダーが敵を倒す意思の下に発動させたわけでは無かったからに過ぎない。
 今、ライダーは視界を覆う無数の敵を滅ぼし尽くすという意思を持っている。全ては己の主や友の為。彼らが自らの意思を貫き通せるように……。
 
「誰にも、フラット達の邪魔はさせないよ!! 『|恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》』!!」

 大きく息を吸い込み、ライダーは角笛を吹いた。瞬間、角笛の先から放たれたのは龍王の咆哮・巨鳥の雄叫び・神馬の嘶きであった。もはや、それは音というよりも破壊の力そのもの。
 橋に殺到していたサーヴァント達が足を止めたのも仕方の無い事だった。音は壁となり、彼らのそれ以上の進軍を阻んだのだ。
 そして、立ち往生する彼らの前に死神は鎌を振り上げた。
 
「|突き穿つ《ゲイ》――――」

 それはランサーの必殺の構え。大きく逸らされた肉体が意味するものは槍の投擲。
 クー・フーリンという英雄が持つ、至高の宝具。その真価を最大限に発揮する構えである。

「――――|死翔の槍《ボルク》!!」
 
 真紅の極光を纏う槍が放たれる。空中で槍は無数に分裂し、豪雨の如く足踏みするサーヴァント達に降り注ぐ。
 中には防ごうとする者も居るが、理性を失い、宝具の発動すら出来ない彼らに『心臓に必中する』という呪詛が篭められた槍を防ぐ事は出来ない。
 そう、彼らは宝具を使えない。元々、彼らに理性は無く、それ故に指揮官を必要とした。だからこそ、キャスターはわざわざ脆弱な肉体を戦場に晒したのだ。理性無き彼らに宝具の発動は不可能。そんな弱点を彼らは持っていたからだ。
 もっとも、これはライネスの予測に過ぎないものだったが、どうやら彼女の考えは正しかったらしい。ランサーとライダーは心中で彼女に称賛の言葉を送った。
 ライダーの角笛で敵の足を止め、ランサーが殺す。その連携攻撃により、彼らは役目を果たす事に成功した。
 無論、いつまでも続けられる策では無いが、彼らが天へと続く階段の下に辿り着くまでの時間くらいは稼げる筈だ。
 敵はドラゴンの暴虐を受けて尚、無限。実際には数が減っている筈だろうが、視界を覆う彼らの数は到底数え切れるものではない。対して、彼らは二人っきり。一度に殺せる数も五十が精々。
 加えて、何時かは別の新都への侵入経路を発見される可能性も高い。理性が無いが故に橋という唯一の陸路を目指しているが、一人でも川を渡り切って、対岸に辿り着いてしまえば、その時点で彼らは橋での侵入を諦めるだろう。
 それに、ライダーの角笛も何時までも彼らの足を止め続ける事は出来ないだろう。つまり、これは負け戦に他ならない。いずれ、破れるのが必定の戦い。
 にも関わらず、ランサーは嗤う。彼らの侵入を防がねばと思う一方で、早く、この拮抗状態が終わる事を願う。このような一方的な虐殺が終わり、自らの命が燃え尽きるまで、殺到してくる敵と死合いたい。そう、彼は狂気にも等しい感情を高ぶらせている。
 そして、その時はついに来た。ライダーの角笛による音の壁を越え、敵がやって来る。拮抗状態の終わりを感じると同時にランサーは小石を掴み、ライダーの跨る幻馬に当てる。嘶き、飛び上がる幻馬にライダーは慌てふためくが、そんな彼にランサーは言う。
 
「ここまでだ、ライダー。お前はバゼット達の下に向かえ!」
「で、でも!」
「いいから、行け! もう、ここは俺一人で十分だ!」

 迫るは無限の敵。それにたった一人で挑むなど、無謀としか言いようが無い。
 けれど、ライダーは頷いた。ランサーの意思を尊重した。何故なら、彼の祈りは今、ここで叶おうとしているのだから……。
 
「精一杯、楽しみなよ!」
「勿論だぜ!」

 それは一見して無駄な行為にしか見えない。ランサーもライダーと共に離脱した方が作戦としては圧倒的に正しい筈。
 けれど、彼らは条理を無視して自らの意志を貫いた。そして、それは結果的に正しかった。
 上空に逃げるライダーに向かって、幾千のサーヴァント達が同時に動く。
 彼らは理性を持たない。故に、真名を解放する事が必要な宝具を発動する事は出来ない。
 しかし、宝具を発動出来ないだけで、彼らは紛れも無く英霊。特に、セイバーのサーヴァントとして召喚された者達は類稀な筋力を持っている。その力をもって、彼らは剣を投げるべく、体を引き絞る。
 もし、ランサーもライダーと共に逃げていた場合、彼らは無数に降り注ぐ剣群を前に圧殺されていた事だろう。しかし――――、
 
「余所見してんじゃねーよ」

 彼方を飛ぶライダーから彼らの意識は身近に迫る圧倒的殺意によってシフトさせられた。理性が無いが故に、より脅威となる存在に彼らは意識を傾ける。

「さあ、行くぜ!」

 ランサーは吼え、走る。自らの死を確信しながらも、狂気的な笑みを浮べ、その槍を振り上げた。

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