第二十八話「戦いを終えて」

第二十八話「戦いを終えて」

 戦場から離脱したフラットはヒッポグリフに一端、雲の上まで上昇するように命じた。アーチャーはファーガスとの戦闘に集中している筈だから、追跡される可能性は低いが零では無い。それに、あのアサシンが問題だ。イリヤとクロエが見せた夢幻召喚という魔術をアサシンが使えるようになった可能性がある。そうなれば、飛行能力を持った英霊の力を振るえる可能性もある。ライダーとルーラーが戦闘不能の状態にあり、イリヤも冷静さを失っている今、彼との戦闘は避けるべきだ。
 冷静とも冷徹とも取れる判断を下したフラットは雲の上に飛び出すとヒッポグリフに一度新都方面に向かうように指示を出した。その間、ルーラーとライダーは無言だった。聞こえるのは風の音とイリヤの嘆きのみ。

「離して!! クロエが!! アイツを殺すんだ!! お願い、離して!! クロエ!!」

 その願いを叶えるわけにはいかない。フラットはヒッポグリフに決して彼女を離さないよう告げた。その直後、地上で巨大な魔力のうねりが発生するのを感じた。
 まさか、とフラットは視線を地上に向ける。雲が邪魔で何も見えない。けれど、ルーラーは違ったらしい。表情が死人の如く真っ青になり、慄いている。
 アーチャーの宝具が発動した。地上の様子を確認したい衝動に駆られるが、下手な手は打てない。そのまま、フラットはヒッポグリフを奔らせる。

「……今ので何人死んだのかな」

 フラットは声を震わせた。止める事は不可能だった。ライダーとルーラーに巻かれた拘束はあらゆる魔術の行使を無効化させる力が宿っている。今の彼女達は無力な人間も同然。ルーラーが令呪を発動させる事も不可能である以上、出来る事など一つも無かった。
 だけど、本当にこれで良かったのだろうか? 今、地上で多くの人が死んだ。もしかしたら、何か手があったかもしれない。例えば、どこかにアーチャーのマスターが潜んでいたかもしれない。そのマスターを殺せば、この事態は防げたのでは無いだろうか? 万に一つも無い可能性だが、零では無い。
 吐き気が込み上げてくる。クロエという幼い少女の死を防げなかった事も相俟って、フラットは自身が考えている以上に動揺していた。

「恐らく、被害は最小限に抑えられている筈です」

 ルーラーが言った。どうやら、聖堂教会が先手を打ち、周辺住民を避難させていたらしい。暗示を使うなりしたのだろう。けれど、被害は決して零じゃない。あれだけの宝具である。逃げ遅れた人が犠牲になった可能性は高く、そうでなくとも、地上は焼け野原となっている事だろう。財産を失った人々の今後がどうなるか考えるだけで胸が締め付けられる。
 もしかしたら、人生を儚む人も居るかもしれない。経済的に困窮し、不幸な人生を歩まざる得ない人も少なからず居るだろう。家を失うというのはそういう事だ。
 被害は最小限だろう。けれど、決して少なくない。むしろ、多過ぎるくらいだ。もしかしたら止められたかもしれない立場にあり、止められたかもしれない位置に居たのに逃げてしまった。
 ルーラーとライダー、それにイリヤの事を優先した結果とは言え、彼らの事をヒッポグリフに任せ、自分は残るべきだったかもしれないと思い、フラットは苦悩の表情を浮かべた。

「考え過ぎは良くないよ、フラット」

 ライダーは言った。

「君の選択は正しかった。だから、ボク達は生きているし、イリヤちゃんも助けられた」
「……でもさ」
「うん。もしかしたら、何か出来たかもね。でも、君は間違いなく死んでいた」

 ライダーの言葉に続くようにルーラーが口を開いた。

「貴方の苦悩は人として正しい。ですが、過去はどうあっても戻らない。それに、例え一時的に脅威を晴らす事が出来たとしても、貴方ではあのアーチャーを倒せはしなかったでしょう。結局、脅威はそのまま残る事になる。厳しい言い方になりますが、貴方は英雄ではなく、ただの人間なのです。あまり背負い込まない方がいい」
「分かってるよ。分かってるんだ……。でも、やっぱり、人が死ぬって……、重いよ」
「……その重みを知る貴方の在り方はとても尊い。ですが、それに押し潰されてしまってはいけませんよ、フラット」
「……うん。ヒッポグリフ、このまま北上して海に出てくれ。沖合いまで行ったら、海上すれすれまで降下して、夜闇に紛れながら深山町の北海岸に向かい、俺達を降ろしてくれ」

 必死に心を宥めながらヒッポグリフに指示を出す。イリヤと話す時にこんな状態のままで居るべきじゃない。大切な存在を失ったばかりの彼女をこれ以上動揺させるわけにはいかない。

「ごめん。ちょっとの間だけ、こっちを見ないでいて欲しいな」

 らしくないと思いながらもフラットは少しだけ泣いた。声も無く、ただ涙を流す。ライダーとルーラーは黙したまま視線を眼下の雲に向ける。
 彼女達もアーチャーの凶行を止める事が出来なかった事に激しい動揺を抱いていた。ルーラーは心中で守れなかった人々に懺悔し、ライダーは深く瞼を閉ざし、死者の冥福を祈った。
 ヒッポグリフが下降を始め、地上近くまで降りていくとイリヤの嘆きの声も止んだ。それでも、時折涙を啜る音が聞こえる。海面近くまで降りて来ると、波の音が心を少し宥めてくれた。
 
「……っはは」

 乾いた笑い声がむなしく響く。

「こんな状況じゃなきゃ、結構ロマンチックなんだけどな……」
「まあ、ボクも縛られてなかったら君の胸に身を任せるのも吝かでは無かったんだけどねー」
「……そうですね。私も貴方の背中に身を委ねてしまっていたかもしれません」
「あはは……。俺って、結構モテモテだね……」

 空元気なのは明白。だからこそ、ライダーとルーラーは少しでも彼を元気付けたかった。出来るものなら、本当にそうしてあげたいとすら願った。
 普段の彼の明るさを取り戻したい。そんな二人の思いを彼も察していた。
 やがて、深山町の北海岸が見えて来た。ポツポツと人家の明かりが見える。少し騒がしい気がするが無理も無いだろう。アーチャーの宝具の発動の影響がどれほどの範囲に及んでいるかは分からないが、戦場から遠く離れた深夜の田舎町を騒然とさせるだけの影響はあったらしい。

「静かに上陸してくれ。上陸地点は……うん、あの崖を目指してくれ。丁度、森が目隠しになってくれる筈だ」

 ヒッポグリフは静かに嘶くと、フラットの指示に従い少しだけ浮上した。漸く地表に降り立つと、フラットはイリヤに駆け寄った。ヒッポグリフに降ろされた状態のまま、俯き、肩を震わせている。

「イリヤちゃん……」
「どうして……」

 声を掛けると、イリヤは血走った目をフラットに向けた。

「どうして、私をあの場に残してくれなかったのよ!?」
「イリヤちゃん……」
「アイツはクロエを殺したのよ!? それなのに!!」

 一端は落ち着いたかと思われたイリヤだが、どうやら違ったらしい。

「……落ち着いて、イリヤちゃん」
「落ち着けですって!? クロエが死んだのよ!? あんな、あんな心臓を……うぅ」
 
 イリヤの瞳から涙が零れ落ちる。クロエの死の場面を思い出したのだろう。イリヤはその場で蹲るとそのまま吐瀉した。
 フラットは背中を摩ろうと近寄るが、イリヤに振り払われた。

「近寄らないで!!」
「イリヤちゃん……」
「何でよ……。何で、もっと早く……、クロエを助けてくれなかったのよ」

 何も言えなかった。もう少し判断が早ければ、彼女を救えたかもしれない。その事はヒッポグリフに跨っている間、何度も考えた事だった。
 
「私なんかより、クロエを助けて欲しかったのに!! 何で……、何でよ……、何で」
「……ごめん」
 
 謝る事しか出来ない自分が腹立たしい。だけど、どうあっても過去を取り戻す事は出来ない。
 救えなかった事実は消えない。死んだ人は甦らない。

「……こんなの無いよ。何で、あんな良い子が死ななきゃいけないのよ……。あんな痛い思いしなきゃいけないのよ……。酷いよ……」
「……ごめん」

 フラットはただ謝るだけだった。言い訳もせず、イリヤの感情の受け皿になり続けている。
 そんな彼にライダーとルーラーはただ黙すのみだった。擁護の言葉など、彼は望んでいないだろう。イリヤを責める事も彼の本意では無い。むしろ、彼女に罵倒される事で少しでも罪の意識を晴らそうとしているのかもしれない。
 必要な事なのだろう。イリヤにとって、感情をぶつける相手が必要であるように、フラットにとって、感情をぶつけてくる相手が必要なのだ。罪の意識を少しでも紛らわせる為に……。
 どれほどの時間が経ったのだろう。イリヤの罵倒の声に力が無くなり、彼女の心に少しずつ冷静さが戻って来た。

「……フラット」
「……なんだい?」
「ごめんね」
「……ううん」

 散々フラットに感情をぶつけた事で彼女の心に一つの区切りが付いた。クロエの死に対する哀しみとアサシンに対する憎悪は消えないままだが、冷静な判断力が戻って来た。
 フラットに罵声を浴びせてしまった罪悪感に今更ながら罪悪感を抱き、頭を下げる彼女に彼はただ首を横に振るだけだった。

「イリヤちゃん。まずは夢幻召喚? だっけを解くんだ。自覚症状があるかどうか分からないけど、そのままだと危険だから」
「う、うん……」

 フラットに言われ、イリヤは夢幻召喚を解除しようと意識した。すると、アッサリとイリヤの内から英霊の気配が消失した。
 鎧や衣服も一緒に……」

「おお……」

 フラットは思わず凝視してしまった。均整の取れた美しいイリヤの肢体に視線を奪われた。
 上から下に移動する彼の視線にイリヤは自分の状態を理解し、頬を紅潮させた。

「み、見ないで!!」
「……って、ごめんなさい!!」

 胸を腕で隠しながら蹲り、顔を真っ赤にして涙を浮かべるイリヤに対し、フラットは慌てて顔を背けた。
 けれど、脳裏には確りと彼女の裸体が焼き付いていた。暗がりだったのが非常に残念ではあるが、劣情をおよぼすには十分過ぎる光景だった。

「フラット……」
「貴方という人は……」

 そんな彼を英霊の二人は白い目で見つめた。
 非常に後ろめたい。

「……ほんと、すんませんでした」
「……い、いいよ。私も散々、酷い事言っちゃったし……。でも、出来れば忘れて欲しいかも……」
「ぜ、善処します……」

 善処はする。でも、ちょっと忘れるには印象が強烈過ぎた。
 そんな彼の思考が読めたのだろう。ライダーが言った。

「……そんなに裸が見たいならボクのも見せてあげよっか?」
「是非!!」
「お止めなさい……」

 徐々に普段の感覚を取り戻し始めたフラットにライダーとルーラーは密かに安堵した。
 
「いや、この国の諺に据え膳食わぬは男の恥というのが……」
「いいから、そろそろ移動しましょう……」

 若干呆れた様子のルーラーの提案に一同は頷いた。

「んじゃ、行きますか」

 頬をパンッと叩き、フラットは気合を入れてライダーとルーラーを抱き抱えた。
 魔力で身体強化をしているとはいえ、鎧を纏った上に片や鎖でぐるぐる巻きにされている人間二人を抱えるのは中々に至難の業だった。
 けれど、そこは男の子。顔に出さないように必死に取り繕いながら歩き出す。森の中を歩いていると、イリヤが体をよろけさせた。

「おっと」

 間一髪。フラットは背中で彼女を受け止めた。

「大丈夫?」
「うん。ごめんね……」
「この森を抜ければ合流地点までは直ぐの筈だから、もう少し頑張って。夢幻召喚の影響を調べるにも落ち着いた場所が必要だし……」
「うん」

 フラットはイリヤが辛くないように歩くペースを落とした。彼に抱えられている二人は申し訳無さそうに身を縮ませた。
 漸く森を抜けると一台の車が待っていた。

「ママ!?」

 その車から出て来たのはイリヤそっくりの美女だった。

「迎えに来たわ。イリヤ……、辛かったわね」

 美女はイリヤを優しく抱き締めた。すると、堰を切ったかのようにイリヤは再び泣き始めた。
 母親に会えた事で安心したのだろう。フラットも安堵の笑みを浮かべた。

「貴方がフラット・エスカルドスね」
「そうッスよ」
「私はこの子の母、アイリスフィールよ。この子を助けてくれてありがとう」
「……うっす」
「乗って頂戴。合流地点までちょっとしたドライブとしゃれこみましょう」

 フラットはライダーとルーラーを車内に運ぶと、その隣に座った。

「二人の拘束はセイバーと合流したら彼女に斬って貰いましょう。多分、それが一番確実だと私の夫が言ってたわ」
「はい」

 イリヤは助手席に座り、母の服の裾を掴んでいる。

「本当にありがとう、フラット君」
「……うっす」

 車の窓から外を覗くと、彼女がわざわざ迎えに現れた理由にも察しがついた。
 外は夜更けにも関わらず多くの人で賑わっている。この状況の中で鎖や布に縛られた少女を抱き抱え、全裸にフラットの上着だけ羽織った状態のイリヤを連れて歩いたら否応無く目立つ。
 
「イリヤ。ダッシュボードに着替えがあるから今の内に着替えておきなさい」
「うん……」

 ごそごそと着替え始めるイリヤ。フラットは思わず生唾を飲んだ。さっきの彼女の裸が脳裏に甦る。

「フラット。さすがにこの状況でそれは……」
「まったく、フラットはエッチだなー」

 横に並ぶ二人の英霊から白い目で見られ、フラットは小さくなって「ごめんなさい」と謝った。
 そんな彼にアイリスフィールは微笑んだ。

「まあ、健全な男の子だものね。嫁入り前の娘の裸を見られたのは親としてちょっと思う所があるけど……」
「ほんと、すんません!!」
「……まあ、状況が状況だったしね。許してあげる。両手に花どころか花束抱えてる状態の色男君」
「あ、あはは……」

 冗談めかした彼女の言葉にフラットは少しだけ肩の力が抜けたように感じた。
 車は海岸線をしばらく走り続け、しばらくしてから田園地帯にある古い屋敷に到着した。和風建築の広々とした屋敷には既に先客が待っていた。
 セイバーとランサーが彼らの到着を出迎えた。

「イリヤ!!」

 セイバーは一も二も無くイリヤに飛び付いた。

「この馬鹿野郎!! 馬鹿な真似しやがって!!」

 開口一番に彼女はイリヤを怒鳴りつけた。

「ごめん、セイバー」
「ごめんで済むか!! 一歩間違ってたらお前は――――」
「そこまでにしておけよ、セイバー」

 怒りに表情を歪めるセイバーをランサーが嗜めた。

「嬢ちゃんも大変だったんだ。先に休ませてやった方がいいだろ。それに、先にやるべき事もある」
「……ああ」

 渋々といった様子でセイバーは引き下がった。

「あんま、無茶すんじゃねーよ。馬鹿娘」
「……うん」
「ったく……」

 僅かに表情を和らげたセイバーにフラットはおずおずと声を掛けた。

「あん?」
「えっと、頼みがあるんスけど……」
「ああ、分かってる。そいつらの拘束を破ればいいんだろ?」
「頼めますか?」
「……お前にはイリヤを助けてもらった恩があるからな。ただし、これでチャラだぜ?」
「分かってます!!」
「……ッハ」

 セイバーは剣を手にすると、ルーラーとライダーの下へ向かい、鎖と紐を引き裂いた。
 拘束から解放された二人は安堵の溜息を零した。

「やっと、自由になれた……」
「感謝します、セイバー」

 礼を言うルーラーにセイバーは軽く肩を竦めた。

「さ、中に入ろうぜ。切嗣が待ってる」
「キリツグ?」
「イリヤの親父で、ここに俺達を呼び集めた張本人さ」

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