第三十二話「積み重なる死」

 深い森の中を私達は歩いている。アサシンとバーサーカーに襲撃を受けた直後、昨夜の戦いによる疲労が癒えないまま、直ぐに深山町の西に広がる樹海に入って早二時間。一刻の猶予も無いというパパの言に従い、私達は歩き続けている。
 本当なら、襲撃を受けた時、返り討ちにする予定だったらしい。その為にパパは嘗て、キャスターが仕掛けを施した拠点の一つを合流場所に指定した。稀代の魔女が施した幻惑の術にアサシンは見事に引っ掛かり、後一歩のところまで追い詰める事が出来たのだけど、後ちょっとの所で取り逃がしてしまった。
 再度の襲撃を警戒して、即座に移動する事となったのだけれど、サーヴァントを四騎も引き連れて堂々と移動してはアーチャーやファーガスの注意まで引いてしまう恐れがあった。その為にこうして樹海を徒歩で進みながら円蔵山を目指す事となったわけだ。
 目的地は円蔵山中腹にある洞窟への入り口。その先に大聖杯があるという。

「そろそろ、円蔵山の結界内に入る」

 道先案内人を務めるパパが言った。特に境界線のようなモノは見当たらない。

「……ック」

 僅かに苦悶の声が上がった。
 セイバーは顔を顰めている。

「大丈夫?」
「……ああ、多少の重圧はあるが、耐えられるレベルだ」
「頑張ってくれ。洞窟内にさえ入れれば、回復出来る」

 パパの言葉にセイバーは鼻を鳴らし、ツカツカと歩き出した。
 
「うーん、フラットー。ボク、歩けないー」
「仕方ないなー、背中に乗るかい?」
「乗るともさー」

 キャッキャと騒ぐライダー陣営にセイバーとルーラーは呆れ顔。

「仲が良いのは結構ですが、もう少し緊張感を持ちなさい」

 掃除中に遊び始める男子を注意する女子よろしく、ルーラーは腰に手を当てて叱り付けた。
 二人はお行儀良く「はーい!」と返事をしながら先を行くセイバーの後に続く。如何にライダーが細身とはいえ、鎧を身に纏った人間一人をおぶっているとは到底思えない程、フラットの足取りは軽い。

「まったく」

 肩を竦めながらルーラーも歩き出す。その後にランサーとバゼットが続く。
 
「大丈夫か、イリヤ?」

 皆が歩く様をボーっと眺めていると、セイバーが引き返して来た。

「あ、うん」

 どうしたんだろう。足取りが重い。先に進もうとすると、足が地面に縫い止められているかのように重くなる。

「イリヤ?」
「だ、大丈夫。今、そっちに――――」

 急に目の前が真っ暗になった。セイバーの姿が見えない。他の皆の姿も見えない。
 まるで、ブレーカーが落ちたみたいに真っ暗。
 怖い。一寸先すら見えない暗闇に私は恐怖した。
 セイバーの名前を呼ぼうとして、声が出せない事に気が付いた。
 自分の体を抱き締めようとして、腕が無い事に気が付いた。
 何も無い。完全なる無の世界。
 ここはどこだろう……。
 私は誰だろう……。

第三十二話「積み重なる死」

 急に倒れこんだイリヤをセイバーは間一髪のところで抱き止めた。

「イリヤ!! おい、大丈夫か!? しっかりしろ!!」
「どうしたんだ!?」

 切嗣が慌てて引き返して来る。セイバーはイリヤが急に倒れた事を告げた。

「まさか、夢幻召喚の後遺症で……」

 フラットはライダーを背負ったまま青褪めた表情を浮かべた。
 ライダーも完全にうろたえた表情を浮かべている。
 そんな中、ランサーがイリヤに近づいた。

「……いや、それにしては妙だ」
「妙?」

 ランサーの呟きにバゼットが片方の眉を上げた。

「嬢ちゃんの魔術回路に異常が見当たらない。むしろ、あんだけの大魔術を行使した後にしちゃ、状態が良過ぎる程だ」
「……どういう事ですか?」
「……分からん。分からんが、嬢ちゃんをほったらかして置くわけにもいかねーだろ」

 ランサーはそっと指の先に魔力を篭めた。

「おい、何する気だ!?」

 セイバーが噛み付くと、ランサーは獣を鎮めるかのように「どうどう」と言った

「癒しのルーンを服に刻むだけだ。もしかすっと、昨夜の戦いでの疲労がピークに達したのかもしれん」
「……その可能性が高いな。イリヤは元々、普通の女の子として生きて来たらしいからな」

 心配そうにイリヤを抱き締めながら、セイバーが言った。

「あ? どういう事だ?」
「そのままの意味だ。イリヤがこの聖杯戦争に関わっちまったのは単なる偶然なんだよ。切嗣もアイリスフィールもイリヤに魔術の教育をして来なかった。体は立派に魔術師として完成されてっけど、心は本当にただの一般人なんだよ」
「……まさか」

 バゼットは疑いに満ちた視線を切嗣に向けた。

「事実だ。僕達はこの子に普通の人生を歩ませたかった。まさか、こんな事になるとは……。本当なら、今頃、受験勉強に頭を悩ませていた筈なのに……」

 悔しげに表情を歪める彼にバゼットは目を瞠った。
 本気で言ってるのだろうか、とバゼットは愕然となった。こんな異常な素養を持つ少女が普通の人生を歩むなど土台無理な話。そんな事、分かり切っていた筈だ。
 にも関わらず、魔術の教育を施してこなかったなど、正気の沙汰とは思えない。
 
「……魔術師殺しが耄碌したものですね」

 いや、耄碌どころでは無い。なるほど、いきなり此方に正体を晒したり、イリヤと再会を喜び合った姿は偽りではなかったらしい。
 本当にこの男は娘をただ心配していただけだ。理性的な判断が出来ない程、彼女の身を案じているのだ。
 先のアサシン襲来時、どう考えても切嗣やアイリスフィールがバゼット達の前に姿を現す必要性は無かった。信用させる為というなら、どちらか一方で良かった。

「この子の為にわざわざ夫婦揃って敵対するマスターに顔を晒したわけですか……」

 怒りすら湧いてくる愚行。一般家庭の家族ならいざ知らず、魔術の世界に足を踏み入れながら、家族の愛を理性的判断よりも優先した罪は重い。
 
「……いや、そればかりじゃない。大聖杯に続く洞窟への入り口はキャスターが結界を張っているからね。その解き方は僕しか知らないし、その為にはアイリの存在が必要不可欠なんだ」

 やはり、理性的な判断が出来ていない。如何にキャスターに選ばれし英霊が張った結界であろうと、此方にはサーヴァントが四騎も揃っているのだ。
 内、セイバーとルーラーは強力な対魔力を持っている。破ろうと思えば、強引に破れる筈だ。

「……なるほど」

 まあ、いいだろう。バゼットは冷徹な判断を下した。
 魔術師殺しが耄碌している。つまり、自分の仕事がし易くなったというだけの話。
 聖杯戦争の行く末がどうなろうと、彼らと敵対する事になるのは確実。フラット・エスカルドスが敵の戦力に加わる可能性もある上、イリヤには厄介な夢幻召喚がある。
 高確率で封印指定となるであろう、イリヤの捕縛の際、彼らの戦力に欠陥があるならば、それは歓迎すべき事だ。

――――少し、残念ではありますが……。

 悪名高き魔術師殺し。彼と死合う事に燃え上がっていた闘志が萎えていく。
 切嗣がイリヤを背負い、一行は再び歩き始めた。獣道さえ無い山の中を木々をかき分けながら登っていく。
 やがて、少し開けた場所に出た。細い水の流れがある。

「あの小川の向こうが入り口だ」

 切嗣は小川の先の岩肌に手を付いた。すると、まるで濃い霧の中に突っ込むかのように切嗣の体が岩肌に吸い込まれて消えた。
 その後にアイリスフィール、セイバー、バゼット、ランサー、フラット、ルーラーが順々に後を追う。
 水に濡れた岩肌をゆっくりと歩く。急な斜面になっていて、ライダーもさすがにフラットの背中から降りた。
 奈落へ通じるかの如く、斜面はどこまでも下に続いていく。百メートル近く下った頃、急に視界が開けた。
 
「思ったより明るいッスね」

 フラットが辺り一面を薄っすら緑光で照らす光苔を眺めながら言った。

「綺麗だね」
 
 その隣でライダーが感想を洩らす。

「イリヤちゃんにも見せてあげたいね」

 ライダーの言葉にフラットが頷く。

「ですが、無理をさせるわけにもいかないでしょう。あのバーサーカーのマスターの死を乗り越えられたわけでも無いでしょうし……。彼女には休息が必要です」

 ルーラーの言葉に対してもフラットは深く頷いた。

「にしても、嫌な空気だな」

 ランサーが呻くように呟いた。
 確かに、この空間に漂う空気は異常だ。吐き気がするような生々しい生命力が満ち溢れている。まるで、生き物の臓物の内側に居るかのような感覚を覚える。
 
「行こう」

 切嗣は穢らわしい生命力の源泉に向かい歩き出す。
 しばらく歩いていると、大きく開けた空洞に出た。生暖かい空気に体が重くなる。
 
「急ごう」

 ここに長居する理由は無い。一向は急ぎ足で奥へと向かった。
 空洞をあと少しで抜けられるという所で、突然、悲鳴が上がった。
 悲鳴の主に切嗣が目を向けた瞬間、彼は声も無く絶叫した。

「アイリスフィール!!」

 叫んだのはセイバーだった。アイリスフィールの心臓から手が生えている。
 それは昨夜の焼き直しだった。クロエの時と同様の光景。
 それを為した存在にセイバーは斬りかかった。

「キキ――――」

 アサシンのサーヴァントはアイリスフィールの未だ僅かに鼓動し続けている心臓を手に持ったまま距離を取った。
 そして、その心臓を己の口に運び、飲み下した。

「……ウ、マイ」

 それは酷く奇妙な声だった。若い男のようでもあり、幼い少女のようでもあり、老婆のようであり、少年のようでもある。
 その顔を見た瞬間、セイバーは目を瞠った。
 アサシンの姿が大きく変容していた。嘗て、彼の顔は暗殺者に不似合いな青い髪の男前な青年だった。けれど、今の彼の顔を一言で評するなら混沌だった。
 髪は青と金と黒と白が入り混じり、目は左右で大きさ、色、睫の長さまで何から何まで違う。顔の輪郭に至ってはまるでデコボコだらけのじゃがいもだ。
 幾人もの人間の顔のパーツを適当にくっつけたかのような異様な顔。

「コろすよ!! 殺す!! こロしてヤるぅぅぅぅぅううううううううう」

 一単語ごとに声の質が切り替わり、不気味さが一層増した。

「貴様、一体――――ッ!?」

 セイバーの問いに対する応えは無数の剣群だった。

「夢幻召喚をしてる!?」

 フラットが叫ぶと同時に天上いっぱいに無数の剣が現れた。
 悪夢のような光景に誰ともなく息を呑む。

「死んジャえぇぇえイイイキキキキキキ」

 四騎のサーヴァントは即座に動いた。
 セイバーは途方に暮れる切嗣を背負っているイリヤごと地面に押し倒し、頭上から降り注ぐ剣群を悉く叩き折った。
 ランサーはバゼットと共に剣群を弾きながらアサシンに迫る。
 ルーラーも彼らに続き、アサシンの下に向かう。
 そんな中、ライダーはフラットを庇う事が精一杯だった。元々、白兵戦を苦手とするライダーは宝具の豪雨を防ぎ切る事が出来なかった。故に出来た事は己の体を盾にする事だけだった。

「ライ、ダー……?」
「ごめ、んね……、フラット」

 それが最期の言葉だった。ルーラー、ランサー、バゼットの三人がアサシンの下に辿り着くと同時に剣群が止み、フラットが手を伸ばすとライダーの体は霞の如く消え去った。
 あまりにも呆気無い別れにフラットは咄嗟に言葉も涙も出て来なかった。ただ、呆然と虚空を眺めている。

「……なんだよ、これ」

 その呟きは誰に聞かれるでも無く闇の中に消えた。
 その闇の中を一筋の光が奔った。アサシンと刃を交える三人の背に三つの矢が襲い掛かる。
 咄嗟に回避した三人の瞳に映ったのは災厄の襲来を告げるものだった。

「……アーチャー」

 英雄王・ギルガメッシュが空洞の入り口に立っていた。

「退け、雑種共」

 アーチャーの冷たい声が洞窟内に響き渡る。
 すると、突如フラットが狂ったように叫びながらアサシンに向かって走り出した。

「フラット!?」

 我武者羅に突っ込もうとするフラットをルーラーが慌てて押し留めた。

「落ち着きなさい、フラット!!」
「アイツ!! アイツ、俺のライダーを!! アストルフォを!!」

 涙を浮かべるその瞳に深い憎しみを称えるフラットをルーラーは必死に抑えた。

「離してくれ!! アイツ!! アイツだけは!! 俺がこの手で――――」
「駄目よ、ライダーのマスター」

 フラットの叫びを遮るかのように、少女の声が響いた。
 その場に居る殆どの者が初めて拝むアーチャーのマスターに目を瞠った。

「ソレは私の得物よ。邪魔をするなら殺す。死にたくないなら消えなさい」

 少女の言葉にアーチャーが薄っすらと微笑む。

「……中々、悪くないぞ、小娘よ。余興としては十分だ。手を貸してやる」
「なら、アイツを捕らえて、アーチャー。留めは私が刺すわ」
「構わんぞ。これを持て」

 アーチャーは虚空から一振りの宝剣を取り出して少女に渡した。
 そして、荒れ狂うアサシンを虚空から喚び出した無数の鎖で縛り付ける。
 身動き一つ取れないアサシンに少女が一歩一歩、歩み寄る。 

「ふざけるな!!」

 フラットが叫んだ。

「ソイツは俺が殺すんだ!! ライダーを殺したソイツは俺が!!」
「駄目よ。言ったでしょ? こいつは私の得物。アンタなんかにはあげない」
「ふざけるな!!」
 
 フラットは先を越されて堪るかとばかりにルーラーの拘束から逃れようともがく。
 その時だった。空洞に新たな侵入者の声が響き渡った。

「随分、面白そうな事になってんな」

 空洞の入り口に姿を現したのはファーガスだった。

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